アイテム番号: SCP-2564
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-2564はフェンスで囲まれ、暫定サイト467として収容されます。収容はサイト81により行われます。サイトの周囲及びSCP-2564に含まれるすべての部屋は継続した監視カメラによる監視下に置かれます。サイトにいる監視要員は許可の無い一般市民が偶然に、あるいは意図的にサイトに侵入しないように監視しなくてはなりません。どのような異常の発生も即座に報告されねばなりません。
説明: SCP-2564は、インディアナ州ゲーリーのヴァージニア通り2301にある、1959年から1964年にかけて建設されたウィローグレン市中病院跡地です。SCP-2564では多くの異常な現象が発生し、少なくとも5人(加えて数名犠牲者がいた可能性もあります)が死亡する結果をもたらしました。この病院に受け入れられた患者の関係者が、病院内もしくは近隣で事故により負傷、死亡する確率は有意に高いものでした。加えて、2001年に行われた念動力ポテンシャル測定はSCP-2564付近で検出限界を超えて∆N = 14.5 nE/mを示し、未だに継続した活性がある可能性を示唆しました1。
この病院の精神科病棟であった区域(SCP-2564-1)では、建設当時から1979年まで多くの重度の永続的な精神疾患の患者を収容していました。そのうちの一人は現在POI-58436としてサイト06-3にて財団の保護下にあります。SCP-2564-1は1979年8月、事案2564-aの調査中に、現地の法執行機関に潜伏したエージェントに報告され財団の注意を引き、当初SCP-2564として収容されました。精神科病棟は閉鎖され、入院患者はスクリーニングのため財団の保護下に移されました。スクリーニング後ほとんどの患者は記憶処置を施され他の施設へと移されました。
SCP-2564-1の収容後、病院ではさらに事案(2564-bからf)が発生したため、1989年12月財団は建物全体をSCP-2564と再指定しました。1990年1月までにSCP-2564は財団により接収されました。財団は最後の患者を1990年3月に退院させ病院を閉鎖し、その後暫定サイト467がSCP-2564を収容するため設立されました。
事案報告2564-a: 文書閲覧不可。原文書はサイト81書庫の火災のため2004年に破壊されました;そのデリケートな性質のため、コピーの閲覧不可。申請許可を中断し、エリア135のバックアップへアクセスしてください。
事案報告2564-b: 1981年7月23日の出来事の調査にもとづき、1989年12月16日にSCP-2564のHMCL監督者Veronica Easonの指導のもとエージェントPamela Bushnellにより作成されました。
以下は監視カメラの映像、目撃者へのインタビュー、公式、非公式あわせた様々な記録から類推された、おおよその出来事の羅列です。
<1981-07-23T03:20-05> 州警察官Clifford Walkerは、Bekmarza Timayevによる25番通り1862の市民銀行への強盗事件の鎮圧中、右胸上部に銃創を負う。
<03:28> Walkerは救急車によりウィローグレン市中病院へと運ばれる。
<03:34> Walkerは病院に着き、救急処置を受ける。
<03:35> Terri Rogers医師は救急隊員により報告された負傷部位に一致して衣服の破れがあったものの、Walkerは負傷していないことを確認。
<03:37> 州警察官Thomas DunnがWalkerを訪ねて病院に到着。受付し銃をフロントデスクに預ける。
<07:45> Dunnがフロントデスクに戻り銃を受け取る。
<07:49> Dunnがウィローグレン市中病院を去る。彼は車に乗り込み駐車スペースから出る。
<07:50> Dunnの車が駐車場内にて他の車と接触。監視カメラの映像は、衝突時もう一台の車には誰も載っていなかったことを示している。他の目撃者はなし。
<07:54> Bradley Schuette医師がDunnの死亡を確認. 死因は急性の頭蓋損傷と記される。
Bekmarza Timayevは報告書作成時点でインディアナ州ウェストビルのウェストビル矯正施設に収容されており(インディアナ州矯正省収容番号526820)強盗傷害および致死性の武器を用いた強盗の罪で26年の刑に服していました。
警察官Clifford Walkerは当初の予想に反して生き延び、その後退職していました。別件で2年後に撮られたX線映像では、負傷部位に一致してWalkerの右肺に硬い金属製の物体が埋め込まれているのが発見されました。医師たちは感染により彼が死んでいないことに驚きました。外科的に取り除かれた銃弾の解析では、強盗で使用されたものと一致するコルトM1911から発射された45口径ACP弾であることが判明しました。
事案報告2564-c: 1984年01月15日の出来事の調査にもとづき、1989年12月15日にSCP-2564のHMCL監督者Veronica Easonの指導のもとエージェントPamela Bushnellにより作成されました。
以下は監視カメラの映像、目撃者へのインタビュー、公式、非公式あわせた様々な記録から類推された、おおよその出来事の羅列です。
<1984-01-15T13:15-06> Kyle Law氏、41歳が息子のRichard Law、7歳を連れてウィローグレン市中病院に到着する。R. Lawは尺骨を骨折していた。2
<13:25> Richard LawはLennon医師の処置を受ける。K. Lawは病院ロビーのシートに座る。
<13:30> 排気口カバーが天井から落ちK. Lawの頭部を直撃し、軽い打撲を負わせる。K. Lawは数語の悪態をつく。
<13:31> K. Lawは傷の手当てを断る。
<13:33> K. Lawは息子に会いたいと要求。511号室に行くようにと案内される。彼はロビーを出て、2階への階段を上がる。
<13:39> 不明な出来事が起き、K. Lawは511号室の窓から落下。3
<13:48> Margret Govea夫人が病院に到着、K. Lawが窓の下の舗装に倒れているのを発見。
<13:50> K. Lawは頸部の複数の骨折によりウィローグレン市中病院へと収容される。
K, Lawはその後四肢麻痺と診断され、インディアナ州レイク巡回裁判所にてR. Lawを養育する能力はないと判断されました。R. Lawの養育権はDaniel Utley氏(母方の叔父)とその妻に移行し、後に養子となりました。
事案報告2564-d: 1989年02月03日の出来事の調査にもとづき、1989年12月14日にSCP-2564のHMCL監督者Veronica Easonの指導のもとエージェントPamela Bushnellにより作成されました。
以下は監視カメラの映像、目撃者へのインタビュー、公式、非公式あわせた様々な記録から類推された、おおよその出来事の羅列です。
<1989-02-03T11:10-06> Ethan Warren氏、28歳が祖父を訪ねてウィローグレン市中病院に到着。祖父のReece Warren氏、75歳の見舞いとして受付される。
<11:16> E. WarrenはR. Warrenの部屋へと拳銃を持ち入室。
<11:17> 監視カメラの映像が11:17から11:19へ飛ぶ。
<11:19> E. WarrenがR. Warrenの部屋を出る。依然として銃を所持。
<11:21> E. Warrenがロビーに向けホールを歩いて行くのが見える。彼はすでに銃を持っていない。
<11:25> 秘書のAnn OlsonがE. Warrenがドアを出てロビーで"うろついて"いるのを目撃。E. Warrenは変性意識状態にあるように見える。
<11:40> Katerine Long看護師が銃が老人科病棟のゴミ箱にあるのを発見。警察に通報。
R. Warrenは1986年から1989年7月30日の死までウィローグレン市中病院の患者でした。彼の医療記録は彼がいる間常に植物状態だったことを示しています。
E. Warrenはこれ以前、それぞれ別件の二件のギャングに関連した暴行事件で有罪判決を受けています。E. Warrenはこの後二日間勾留され、犯罪歴のある人間による銃器所持の罪で起訴されました。彼は懲役4年の有罪判決を受けました。E. Warrenはエジンバラ刑務所に収監されている間、1989年4月13日もしくは15日に脳内出血により死亡しました。4
事案報告2564-e: 1989年12月4日の出来事の調査に続き、1989年12月12日にSCP-2564のHMCL監督者Veronica Easonの指導のもとエージェントPamela Bushnellにより作成されました。
以下は監視カメラの映像、目撃者へのインタビュー、公式、非公式あわせた様々な記録から類推された、おおよその出来事の羅列です。
<1989-12-04T04:36-06> Carl Hazen、18歳と4人の同乗者、Tammy Knotts16歳、Luella Silvera18歳、Eva Blue17歳、Mark Moore19歳が州間自動車道65号線の南方面車線を走行。
<04:37> Hazenの車が車線を外れ距離標識26の側の木に激突。Knottsは窓から投げ出され意識不明となる。Hazen、Silvera、Mooreは衝突後生存していたが車に閉じ込められる。Blueは衝突時に頭部が切断される。
<04:45> ゲーリー消防署のレスキュー隊が事故現場に到着、Hazen、Silvera、Mooreを車の残骸より救出に成功。
<04:47> 二台の救急車と一気のヘリコプターが到着、HazenとSilveraは救急車でウィローグレン市中病院へと運ばれる。KnottsとMooreはヘリコプターでシカゴ大学外傷センターへと運ばれる。
<04:52> HazenとSilveraがウィローグレン市中病院に到着、収容される。
<06:30> Hazenが403号室に移送される。
<06:32> Eddie Jacobs看護師が403号室に入り、499本のプラスチック製10mL皮下注射器に貫かれたHazenを発見。注射器はHazenの血で満たされている。
<06:49> SCP-2564に配備された財団の警備員が403号室の初期収容を確立。サイト81に異常現象の発生可能性の警報が出される。機動部隊ベータ-32"カミツキガメ"が出動する。
<07:01> 機動部隊ベータ-32が病院に到着。Hazenの体と注射器が分析のため回収される。
死後のHazenの体と注射器の血液の分析では、Hazenは事故の際飲酒していたことがわかっています。他の明らかな異常は発見されず、ウィローグレン市中病院の永続的な収容の根拠となる、これまで続いた異常現象の脅威が消えたのかどうか査定するための、過去の事案の再検討が必要と思われました。
事例報告2564-f: 1990年1月8日の出来事の調査にもとづき、1990年1月10日にSCP-2564HMCL監督者Veronica Easonの指導のもとエージェントPamela Bushnellにより作成されました。
以下は監視カメラの映像、目撃者へのインタビュー、公式、非公式あわせた様々な記録から類推された、おおよその出来事の羅列です。
<1990-01-08T14:30-06> Hazel Moyer夫人がウィローグレン市中病院(すでにSCP-2564と指定されている)へ夫であるOrville Moyer氏を伴い到着。Moyer氏は腎臓障害の症状を感じており、入院となった。
<14:38> Moyer夫人の頭部を圧縮二酸化炭素タンクから外れたガス管が直撃し、頭蓋を骨折する。
<17:02> Adam Dean氏がMoyer氏を見舞うため受付される。
<17:08> DeanはMoyer氏の部屋を訪れドアを閉める。DeanがMoyer氏に話しかけてるのが見える。
<17:09> Deanが窓枠から離れ、おそらく何かで満たされたカップを持って再び窓に現れる。DeanはMoyer氏にカップを渡し、Moyer氏は内容物を飲む。
<17:12> Deanが部屋の床に嘔吐してるのが見える。窓へ移動し開けようと試みる。
<17:13> Deanは窓を開けようともがいているが成功しない。
<17:14> Mary Webb看護師がドアを開けて部屋に入り、Deanが窓にもたれるように倒れているのを発見する。彼女は窓を開ける。目眩を感じ、換気のために窓を開けたと証言している。
Moyer夫人は頭蓋への衝撃と骨折の結果の頭蓋内出血により死亡しました。Dean氏とMoyer氏はコンゾーニ建機の共同オーナーでした。コンゾーニ建機はレイクカウンティーやその周辺地域で大型の建設機械を販売する会社ですが、財政上の困難を抱えていました。死後解剖では両者とも一酸化炭素中毒で死亡したことが示されました。Moyer氏の胃の内容物の分析では大量のエチレングリコールが検出され、彼が当初訴えていた症状はそれによる中毒と一致します。
事案報告2564-f-2: 1990年3月18日の出来事の調査にもとづき、1990年3月18日にSCP-2564HMCL監督者Veronica Easonの指導のもとエージェントPamela Bushnellにより作成されました。
暫定サイト-467は金属製の銘板がSCP-2564の正面玄関近くの側面に取り付けられているのが発見されたことを報告している。銘板には、"Hazel Gracia Moyerの思い出のために。深く謝罪する。"と刻まれていた。監視カメラの分析では銘板が現れた場所のカメラのタイムスタンプが1990-03-18T4:19:04-06から4:19:27へ飛んでいることが発見された。銘板はそれまでなかったにもかかわらず、タイムスタンプが飛んだ後出現している。侵入者は発見されていない。これは事案2564-fと関係していると思われる。