サイト管理者通知:
以下の細部描写を鑑みて、SCP-2610に関する情報はNeed to Know原則に基づいており、現在はレベル2610.4職員に制限されています。
自己責任を持って閲覧してください。
特別収容プロトコル: SCP-2610-A、-B、-C、-D、および全てのSCP-2610-E個体は、補遺2610.8: 事案UIUタンゴ-タンゴに記載されている“事案2610 UIUタンゴ-タンゴ”の出来事を生き延びたとは思われないことから、現在Neutralizedと推定されています。
しかしながら、財団職員は各SCP-2610個体の更なる目撃情報がないかを監視し続けてください。
説明: SCP-2610-A、-B、-C、-Dはアヴァキアン四兄弟 ― 長男シメオン、次男アルモンド、長女イヴェット、三男ホルヘを指す名称でした(最後の2人は二卵性双生児)。彼らはそれぞれ1922年、1929年、推定1943年1に誕生しています。四兄弟は全員、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで、ドローマン・アヴァキアンとアニタ・マーテルの子供として誕生しました。事案2610 UIUタンゴ-タンゴ以前のSCP-2610-Aは著名な医師であり自称“テレパシー能力者”、SCP-2610-Bはボストン港で雇用されていた甲板員、SCP-2610-Cと-Dは無職でした。
SCP-2610-Aが開発した現在あまり理解されていない医療技術を使用し、四兄弟は共謀して自らの遺伝子構造を変異させ、近親相姦によって生まれた子孫に異常能力を付与しました。これらの子孫(および子孫の子孫)は総称してSCP-2610-Eに分類され、連邦捜査局・異常事件課からは親たち(自称“長子”)と共に“コロニー”の名称で分類されていました。この一件でUIU捜査官たちはSCP-2610の発見と無力化のきっかけとなりました。
SCP-2610-E個体は、自然な妊娠期間よりも顕著に短く、急速に成長するという異常な生まれ方をしました。これらの変化と、重度の近親交配によってSCP-2610-E個体間で遺伝物質の多様性が限定されていた結果、SCP-2610-E個体は遺伝的には人間でありながら高い割合で肉体的奇形や異常性を有し、また知能面も顕著に発育不全でした。
SCP-2610の全個体は、1971年11月16日にUIU命令で出動したアメリカ海軍の戦闘機によって無力化されたと考えられています。より詳細な情報は補遺2610.8: 事案UIUタンゴ-タンゴで閲覧できます。
SCP-2610の一件には直接関与が無かったことから、SCP-2610に関する全ての情報は財団職員とUIUエージェント間の協力を通じて収集されました。SCP-2610に関連する公式UIUレポートについては以下の補遺を参照してください。
補遺2610-1: 背景と発見
SCP-2610-A、-B、-C、-Dは全員マサチューセッツ州ボストン近郊で誕生しました。彼らの父、ドローマン・アヴァキアンは当該地区の肉体労働者でした。彼らの親戚の多くはイラン(父方)またはフランス(母方)に住んでいました。SCP-2610-Aが生まれる前の一家の記録は殆どありませんが、移民届で“D・アヴァキアン”が1911年にモロッコからニューヨークに移住したことは確認されています。
SCP-2610-Aは西ボストン軍事医療センター(現在は消滅)で1922年1月16日に誕生しました。幼い頃から、SCP-2610-Aは様々な異常性質、特に本人が主張するところの“テレパシー”を示していました。SCP-2610-Aはこの能力のことを事案UIUタンゴ-タンゴの後に回収された日誌の広範囲に記述しています。以下はそれらの日誌の1冊からの抜粋です。
…それは一般的な共感者のように、私が周りの人物の感情を感じ取れるというのとは違うのだ。むしろ、精神的に私が働きかけるあらゆる男女のイメージを見て、衝動を聞き取れると言った方が近い。かつて私の青春の悪夢だった不協和音は、経験を経て、最も興味深く貴重なツールへと変わった…
数年後、SCP-2610-Aは日誌の他の場所で複数回言及されている何らかの出来事を経験し、自身にとって非常に重大な事柄だと考えるようになりました。
…そして私は、私自身の思考を手術台の上に伸ばし、そこにある空虚を感じ取り、その中へ私自身を入れた。顔の上から影が晴れたかのように、突如として私は他者の視点から見る事が、他者の耳で聞く事ができていた。その通りだ、自分自身が驚異のあまり口をぽっかり開けた状態で私を見下ろしているのを見聞きした。
だが、ロボトミーはそう単純でもなければリスクも伴う。私が思い描くほど多くの手術を気付かれずに行うことは不可能だ。まして、私自身の意識ともう一つの意識 ― 回復した患者 ― が合一してしまった場合に何が起きるかなど、とてもではないが分からない。思うに、最適なのは対象者が全く意識を持つこと無く生まれた場合だろう。完全に手付かずの精神を…
SCP-2610-Bに関しては、出生(こちらも西ボストン軍事医療センター)と、1945年のケルヴィエール海運社への雇用(指紋と車両の登録を含む)以外には殆ど記録が残っていません。注目すべき点として、SCP-2610-BはSCP-2610-Aの日誌において1回しか言及されていません ― この時、SCP-2610-Bは造船所の近くで無名の移民女性に性的暴行を加え、尻拭いのために上述したロボトミー手術をSCP-2610-Aが行わなければなりませんでした。
SCP-2610-Cおよび-Dは一切の出生記録や市民記録に記載されていません。SCP-2610-Aの日誌での言及(数枚の写真含む)と、彼らの関与を示すUIU記録の他には、彼らが存在したという証拠は外部に残っていません。
1959年3月、SCP-2610-Aは未成年者に違法な医療行為を行った容疑で逮捕されました。しかしSCP-2610-Aは金額不明の示談金で被害者と和解し、医療分野から撤退しました。SCP-2610-Aやその兄弟に関する更なる言及は、事案UIUタンゴ-15まで記録されませんでした。
補遺2610.2: 事案UIUタンゴ-11
以下の情報はUIU事案記録から収集されました。
UIU事案記録: タンゴ-1-1
エージェント指定: キプロス
日付: ████/██/██
1965年11月12日に提出された警察報告書より:
██、██████、████西15丁目にて強盗事件
4名が逃亡中
性別不明
3名が殺害される
銃火器に強い抵抗力あり
高速で移動可能
非人間的な体力
牛の飼料を積んだトラック4台で逃走
“グロテスク”と描写し得る外見
極めて危険である旨留意の事
課の捜査官は、局の接触後に関与。対象者たちは“身長およそ6フィート(182cm)”の“辛うじて人間らしかった”と描写されており、手足・目・耳などの欠落や余分な付与、陥没した胸郭や突き出した腹、全身の巨大な腫瘍といった明白かつグロテスクな身体的奇形を数多く見せていた。銃火器に屈せず、素早いながらも釣り合いの取れない/折れた四肢のために調和を欠く移動。意思疎通の試みは行われず。倉庫内では██████ ███████、████ ███████、█████ █████████と特定された3名が死亡しているのが発見された。全ての死体に暴力的██████ ███████の痕が残されており、ここには███████████ ██ ███ ████ █████ ████████████, ███████████ ██ █████ █████████その他の重篤な外傷が含まれる。現場から回収された指紋は既知の容疑者と一致しなかった。
調査は継続中である。
補遺2610.3: 回収された日誌からの抜粋
補遺2610.4: 事案UIUタンゴ-15
事案UIUタンゴ: タンゴ-1-5
エージェント指定: ユリシーズ
日付: ████/██/██
家畜飼料の大量盗難が再発生。昨夜、サウスカロライナ州行きの牛用飼料の出荷が略奪された。港湾労働者5名が、倉庫で発生した事案と同様の傷を負って死亡。現場に駆けつけた警官は逃走車の1台を使用不能にした。対象者たちは現場を逃走したが、回収された車両はボストンの港湾労働者であるA・アヴァキアンの所有物と特定され、彼の指紋は前回の事件現場に残されていたものと一致した。記録によると、彼は数ヶ月間にわたってケルヴィエール・グループに雇用されていなかった。
車の1台を追跡中、以前の事案報告書に記載したヒトのような生物の1体がトレーラー内からパトカーに飛び移り、警官に暴行を加えた。警官1名が殺害され、もう1人(運転手)は近くの堤防に車をぶつけて全損させた。警官は脱出に成功したが、生物は(車両の下敷きとなって)死亡した。
補遺2610.5: 回収された日誌からの抜粋
補遺2610.6: 事案UIUタンゴ-18
事案UIUタンゴ: タンゴ-1-8
エージェント指定: グレナダ
日付: 1970/██/██
1970/██/██、地元の公益事業会社に潜入していたエージェントからの内報を受け、課のエージェントたちが放棄された█████████包装社の倉庫を訪れた。30年以上テナントがいないにも拘らず、この倉庫は最近になって近くの電線から電気を引くようになっていた。また、現場ではH・ラザフォードの名で所有者登録されている自動車が発見された。ラザフォード氏に確認を取ったところ、氏はこの自動車を5年前にシメオン・アヴァキアンに売却していた。
当初エージェントたちは倉庫は空だと判断したが、地下からの音を聞きつけ、一階・北西の角に位置する運用リフトへと移動。エージェントはリフトで地下3階まで降り、さらに階段で地下4階へ降りた時点で[細部描写削除]。
倉庫に入ったエージェント13名のうち、現地FBIのセーフハウスへ逃れたのは僅か4名だった。事件の詳細は後述する。
補遺2610.7: 回収された日誌からの抜粋
補遺2610.8: 事案UIUタンゴ-タンゴ
事案UIUタンゴ: タンゴ-タンゴ
エージェント指定: キルロイ
日付: 1971/██/██
1971年11月14日、捜査局のエージェントは、動物飼料を輸送中のクロスカントリー機関車が攻撃を受けて制圧され、加害者たちが列車に乗り込んで西海岸に向かっているという通報を受けた。列車の進行を止めるために各地のエージェントが動員された。
東海岸で行われた進行を食い止める最初の試みは殆ど効果が無かった。機関車の100ヤード以内に接近した編成グループは全て、車両から現れたヒト型生物の大群に圧倒された。爆薬で車両を止める試みも同様に無益であり、進行方向に爆発物を発見したヒト型生物群は直ちに身を投げ、上に覆いかぶさって無効化した。
最初の列車を減速するための試みが継続する中、中央はさらに2両の列車がハイジャックされ、西海岸を目指しているという通報を確証した。これらの列車の片方が通報されたのは、ペンシルベニア州█████████████の街に燃料を積み込むために停車した後のことである。報告によるとこの時、“1000体以上の”ヒト型生物群が地元高校のフットボールの試合に乱入し[細部描写削除]。死傷者は1時間以内に███名を数えた。
状況が手に負えなくなったことが明らかになり、UIU中央本部は既に無力化されたUIU戦力に加勢を加えるため、SCP財団のエージェントに連絡を取った。現地の軍事部隊も同様に出動し、迫りくる“コロニー”の列車の進路に向けて派遣された。
財団職員は4両目の列車が通過しようとしていたケンタッキー州█████████の街へ迅速に移動し、[編集済]から収集した技術を活用して生物群とシメオン・アヴァキアンの交信能力を断ち切った。その後の混乱により、生物群は機関車の制御を失って鉄道構内で転覆。反撃や自己防衛をすることも出来ないまま、生物群は財団の火器武装チームによって排除された。
翌日にかけて、UIUとSCPのチームは民間人の被害を最小限に絞って残りの列車を制止しようと試みたが、殆ど成功しなかった。11月16日、残る全ての列車(全6両)はカリフォルニア州ロングビーチの軍港に到達し、待ち構えていたUIUおよびSCP財団職員を圧倒した。生物群3はその後、停泊していたオイルタンカー3隻に乗船。迫り来る嵐に向かい、3隻は西へ出港した。
タンカーはアメリカ沿岸警備隊の船によって追跡されたが、やがて嵐の中を追跡するのは余りにも危険と判断された。西へ向かうコロニーの進行を停止する最後の努力の一環として、UIU中央本部は米海軍のF-14にスクランブル発進とタンカー排除を要求した。太平洋標準時20:28、USNパイロットは3隻全ての沈没を確認した。
余波と最終報告書: 事案タンゴ-タンゴの後、1200体以上のヒト型生物の死体が海中から引き上げられ、焼却処分された。残りは無力化したと見做され、後日の潜水調査で他の生物群も死亡を確認。しかし、徹底した発見の努力にも拘らず、シメオン、アルモンド、イヴェット・アヴァキアンは今日まで沈没船から発見されていない。
1979年7月15日、ケースファイルUIU-15511“コロニー”を閉じる要求が提出された。
1979年7月19日、ケースファイルUIU-15511“コロニー”を閉じる要求は却下された。
補遺2610.9: 回収された日誌からの抜粋