SCP-2687-JP
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アイテム番号: SCP-2687-JP

オブジェクトクラス: Safe

特別収容プロトコル: SCP-2687-JPが存在する建物は財団によって買収され、カバーストーリー「老朽化」を適用して封鎖しています。一ヶ月に一度、担当職員はDクラス職員に必須確認事項-2687-JPを伝えた上でSCP-2687-JP及び203号室の状態を確認させてください。

説明: SCP-2687-JPは██県██市のアパート█████の203号室に存在する品田 浩太氏の首吊り死体です。首吊りに使用されているタオル、そのタオルが括り付けられている天井は破壊不可能であり、更に天井とタオル、及びタオルとSCP-2687-JPはそれぞれ不明な原理で接着しているため、SCP-2687-JPの移動は不可能です。また、SCP-2687-JPが腐敗することはありません。

SCP-2687-JPを直接・間接を問わず視認した人間は、SCP-2687-JPを面白おかしいものであると見なします。しかしながら、視認した人間の倫理観・道徳心そのものが改変される訳ではありません。

実験記録-2687-JP


対象: D-3534

実験担当者: 鷲岡研究員

概要: D-3534にSCP-2687-JPを視認させた。なお、D-3534は人の死という事柄に対して否定的であったことに留意。また、鷲岡研究員はSCP-2687-JPの影響を受けないように音声のみ聞こえるようにしている。


[記録開始]

鷲岡研究員: それでは、D-3534、入室してください。

D-3534: はい。

[D-3534が203号室に入室する]

D-3534: [吹き出す]はっはっはっ!はっ…ひい。死体…死体がっはっはっ!

鷲岡研究員: 死体がどうかしましたか?

D-3534: [笑いを堪えながら]首吊り死体が…あります。ああ。[5秒沈黙]少し収まってきた。

鷲岡研究員: 首吊り死体ですか。それの何がそんなに面白いのですか?

D-3534: 何がって言われましても。まあまずこんなとこで首吊ってるっていう事実が面白いですね。それから目玉が若干飛び出てるとことか…ぷっ。まあ見ればすぐ分かります。

鷲岡研究員: でも人が死んでいるのですよ?貴方は確かに死刑囚ですが、人を殺したことをよく反省していましたし、少なくとも人の死を笑うような人ではなかった筈ですが。

D-3534: ああ…それは分かってるんですけど。ええ。普通だったら死体見て笑ったりしないんですけど。こんなこと不謹慎だって分かってるんですけど。そんな考えが吹っ飛ぶくらい面白いんです。にやにやが止まりません。

鷲岡研究員: 成程。では、貴方が今見ている死体と他の死体とで何が違いがあるのでしょうか?

D-3534: 違いと言ったらそれこそ面白いか面白くないかの点だけですね。貴方が聞きたいのはそういう事じゃないんでしょうけど。

鷲岡研究員: …ではもし、他に同じようなアパートの同じような内装の部屋に、同じような状態で首を吊っている死体があったら貴方は笑いますか?

D-3534: それはないです。だって人死んでるじゃないですか。

鷲岡研究員: 貴方の目の前でも人が死んでいるのですが。

D-3534: まあ…うーん。…おや?

鷲岡研究員: どうかしましたか?

D-3534: 何か…紙が。死体…ふふっ。のポケットに。遺書でしょうか?

鷲岡研究員: 遺書?ではD-3534、その内容が写るようにカメラを向けてください。

D-3534: はい。[紙をSCP-2687-JPのズボンのポケットから取り出し、カメラを紙に向ける]ええと…これで多分大丈夫ですね。…やっぱり遺書みたいです。[小声で笑う]遺書、書いて、自殺かあ。

鷲岡研究員: ありがとうございます。それでは退室してください。遺書はとりあえず元の場所に戻してください。

D-3534: はい。[紙をSCP-2687-JPのズボンのポケットに戻す]あっ、もう数秒だけ…はっはっはっ。

[記録終了]


追記: インタビュー後に非異常の死体を複数D-3534に視認させたが、いずれの場合もD-3534が笑うことはなく、否定的な意見を述べた。


文書記録-2687-JP


概要: 以下の文書は実験-2687-JP時に発見され、D-3534によって撮影された。筆跡から品田 浩太氏が書いたものと思われる。


貴方がこれを読んでいるということは、私はもうこの世にいないのでしょう。(すみません。書いてみたかっただけです)この遺書は警察の方々のために、なぜ私が自殺したのかを説明するために書いたものです。もし今これを読んでいるのが警察の方でないなら、内容すっ飛ばして最後だけ読んでください。警察の方々もが書いてあるところから先だけでいいです。暇なら読んでくれても構いませんが。

※警察の方々へ: 私のこれはただの自殺であり、事件性は一切ありません。自殺に見せかけた殺人などではありません。私が勝手に死んだだけです。誰が悪いという訳でもありません。他にすべき仕事があると思うので、そっちを優先してください。

ここから自分語り
私、品田 浩太は、どのクラスにも1人くらいはいる休み時間は寝たふりをして過ごし、「はい、2人組作ってー」なんて言われたらまず余る陰キャ男子高生でした。そんなクソ陰キャが何かしたところで空回りしてにらまれるだけなので迷惑かけないようひたすら静かに目立たないようにしていました。正直陽キャ同士の関係は面倒くさそうだったので個人的にも別に不満はありませんでした。(流石に遠足で忘れ去られた時はこたえましたが)要するに、私は居ても居なくても変わらない存在でした。声も小さいし作文のやる気もないし成績も中の下だったので先生からもそんな評価だと思います。

話はいきなり変わりますが、私は生き物の命をとても大切なものだと思っていました。そんなん当たり前だろ、と思われるかもしれませんがとりあえず読んでください。小学生の頃、私は外を出歩く度に蟻を踏まないよう気を付け、ゴキブリや蚊ですら殺さないでいました。と言っても、肉を食べたがらないとかいう程ではなく、食べたり作物を守るために駆除するのは仕方ないことと受け入れていました。
はてさて、子供とは残酷なものです。私が外で草取りをしていると、蟻の巣を見つけました。何か物を運ぶ姿を、かわいいなぁとか何とか思いながら見ていました。そこに、元気に満ちあふれた男子3人組が現れました。その内1人は花に水をやるためのホースを持っていました。そして彼らは蟻の巣を見つけました。そう言ったらやる事は1つでしょう。
それ以降も彼らは、いや彼らに限らず、ミミズを踏みつけたり、バッタの脚を引っこ抜いたり、トカゲの尻尾を無理やりちぎったりしました。
それを見て居るうちに、だんだんなぜ命を大切にしなければならないのか分からなくなってきました。道徳の授業で「命は大切にしないといけません」とか言われてももはやよく分かりませんでした。この頃から人と感性の違う私が陰キャになることは確定だったのかもしれません。

しかし、道徳の授業で私が確実に納得出来たことが1つありました。それは「君が死んだらきっと誰かが悲しむ」ということでした。こんな私でも、愛してくれている人が1人いました。母、美代です。母は、早くに病死した父の代わりに懸命に働き、私を養ってくれました。私に辛いことがあって泣きながら家に帰ってきた時、時間をかけてよく話を聞いてくれて、抱きしめてくれました。私という一人間を、心から愛してくれました。本当に、いい人でした。

知っている人は知っているかもしれません。2023年10月14日。私が学校から帰り、まさに家に着かんとしていた時でした。何やら家の近くの道路で人だかりが出来ていました。多くの人は一瞬そちらを見ると顔をしかめて早足で離れましたが、何人かは動かずに見ていました。疑問に思って近づいてみると、鼻の中に凄まじい悪臭が飛び込んできました。怪我をした時に傷口からする臭いを何倍も強くしたような臭い──実際そうだったのですが──でした。鼻をつまみながら人混みをわけてみると、赤黒いものが存在していました。その中に白、というよりむしろ黄土色のものがありました。それが血と骨だと気付くのに数秒かかりました。それが人の脚だと気付くのに更に数秒かかりました。吐きそうになるのをこらえながら恐る恐るそれの顔をよく見てみました。

それは母だったものでした。

両脚は潰れ、腹部からは若干内臓が見えていました。それから何があったかはよく覚えていません。覚えていることがあるとするならば、それは取り巻きの人たちが「うわー」「ひでえ」「グッロ」などと言いながら一様にスマホを母だったものに向けていたことです。
それがひき逃げだったこと、そして私が母を見た時はまだ救急車が呼ばれていなかったこと、すぐに傷を塞いでいればもしかしたら母が助かった可能性があったかもしれなかったことを知ったのは後になってからでした。

3日後、ひき逃げ犯が逮捕されたと聞きました。周りの人たちは「捕まって良かった」などと言っていましたが、肝心の私はその報せに些かの興味も持てませんでした。犯人が死刑になろうが、無罪放免になろうがそれこそどうでもよかったです。犯人がどうなろうと母が生き返る訳でも私の人生が幸せになる訳でもありません。

母が死んだことは当然悲しかったです。こんなろくでなしの私を唯一愛してくれた母は、誰よりも優しかった母はもうこの世にいないのですから。しかし、涙は一滴も出ませんでした。悲しい、というよりも喪失感、倦怠感の方が強くあったのです。むしろ、この事件により今まで全く話したことのなかった、私に一切興味の無さそうだったクラスメイトたちが話しかけて来るようになったことを嬉しく思ってしまいました。この時、「ああ、自分は屑なんだ」と認識しました。

私は一人暮らしになりました。母の遺したお金と叔父の仕送りで生活が成り立っていました。叔父は私のことが当然ながら好きではありませんでした。それなのに毎月お金を受け取っていることに対し、私の心は強い罪悪感に支配されていました。高校生をやめて就職しようかとも考え始めていました。消極的な私が社会で、高校中退でやっていける自信など全くありませんでしたが。

ふと、母が死んだあの事件について調べたくなりました。あの事件に対し、世間がどんな反応を示しているのか知りたくなったのです。と言っても、単なるありふれたひき逃げ事件に過ぎないので、なかなか興味を惹かれるものはありませんでした。単に事件の内容をまとめただけのニュースサイトばかりヒットしました。下にスクロールしていき、関係ないページが増えてきて、もうやめようか、と思ったその時、一際気になるタイトルのページがありました。

「轢き逃げで脚がぐちゃぐちゃになった女の画像がこちらwww」

普段ならウイルスやらを気にして触らないようなページでしたが、私がその事を気にした時には既にリンクをクリックしていました。画面に表示されたページは、いかにもアングラな雰囲気で、性的な広告にあふれ、関連記事もそっち系のものばかりでした。ページをスクロールしていくと、かつて見た、絶対に忘れられないそれがありました。

脚が潰れ、腹部から内臓が飛び出た、母の無修正の画像でした。

あの時スマホを向けていた誰かが投稿したのでしょう。
不思議とその時の私はいやに冷静でした。「ああ…そう…。」程度の言葉しか頭に思い浮かびませんでした。
その記事にはいくらかコメントが付いていました。

「思ったほどぐちゃぐちゃでもないな つまんな」

「せめて脚片方はちぎれてほしかった まあ割と美人なのは高得点」

「まあ「www」なんて付けるくらいならもっと派手であってほしいわな 嫌いじゃないけど」

彼らにとって、ずっと私を愛してくれた、優しい母の死体は自分の好奇心を満たすだけの存在でした。他のページにも、同じようなコメントが付いていました。

私はようやく気付きました。「君が死んだらきっと誰かが悲しむ」と言いましたが、こうも言えます。「君が死んだらきっと誰かが喜ぶ」とも。
人間誰しも他人に迷惑をかけないと生きていけません。時に誰かを「死んでほしい」と恨み、時に誰かに「死んでほしい」と恨まれるものです。それでも人間が生きるのは、誰か自分の死を悲しんでくれる人がいるから、その誰かのためにだと思うのです。(もちろん私利私欲のために生きる人もいるでしょうが)
しかし私は?ひたすら目立たず、迷惑ばかりかけてきたこの私を、誰が大切に思うでしょうか。誰が必要とするでしょうか。誰が死を悲しむでしょうか。

もう、迷う要素なんてありません。

自分語り終わり
さて、ここまですっ飛ばしてくださった方々も、律儀に読んでくださった方々も、これが私の最後の言葉です。これまで、私は誰の役にも立つことなくのうのうと生きていました。私が自殺することで、更にまた誰かの迷惑になってしまうでしょう。本当に申し訳ありません。ですが、誠に勝手ながら一つだけ頼みがあります。一度くらい、誰かの幸せを作りたいんです。ですから、どうか皆さん、こんなしょうもない私の生涯を、勝手で呆気ない私の死を、

笑ってください。

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