SCP-2700-JP
rating: +23+x
blank.png

アイテム番号: SCP-2700-JP

オブジェクトクラス: Euclid

特別収容プロトコル: SCP-2700-JPは海洋サイト‐81██の収容下に置かれます。海底探査艇整備マニュアルに基づいた整備を行ってください。なお、研究班による解体作業を除き、SCP-2700-JPから覗き窓を撤去することはセキュリティクリアランス3以上の職員3名以上の許可が必要です。

現在SCP-2700-JPは収容されていない状態です。再回収の目途はたっておらず、海域2700-JPにおける再現検証が急がれていますが、そのほかのSCP-2700-JPに関するプロジェクトは全て凍結されています。再現計画の進展による即時再開を除き、プロジェクトの凍結解除は最短で800年後になる見通しです。

海域2700-JPは海上封鎖の上、潜水艦による巡回を行い、部外者によるSCP-2700-JP-A近辺への物理的アクセスの封じ込めが行われます。

説明: SCP-2700-JPは大深度有人潜水探査艇「かいえん3号」です。SCP-2700-JPは乗組員4名の標準的な潜水艇であり、その構造、性能に異常性はありません。この潜水艇は2018年に財団のフロント企業傘下となった█████社が、海底資源探査を目的として所有していた4機の潜水艇の内の1機でした。事業合併時、SCP-2700-JPに異常性は確認されておらず、後述の事案:2700-JP‐1によって異常性が付与、または顕現したものと推測されています。

SCP-2700-JPが京都府舞鶴沖海底(海域2700-JPに指定)を潜航した場合、乗組員はアクリル樹脂製の覗き窓から未確認の海底遺跡(以下、SCP-2700-JP‐Aに指定)を観測することが可能です。SCP-2700-JP‐Aは他の潜水探査機による調査では存在を観測することが出来ず、またSCP-2700-JPに搭載されたレーダーやソナーでも認識されません。船体や探査アームを用いた遺跡構造物への物理的な接触は対象を透過する結果となります。加えてSCP-2700-JPの覗き窓を交換した後も問題なくSCP-2700-JP‐Aが確認されたことから、この現象はSCP-2700-JPの乗組員を対象として発現する認識災害であると推測されています。

海域2700-JPには深層海流が流入しており、海面から垂直に潜航を試みた場合は地球規模の海洋循環に巻き込まれることとなります。財団では海難事故のリスクを避けるため、海域2700-JPから7kmの地点より潜航し、海底部に沿う形で海域2700-JPへ接近、SCP-2700-JP-Aの外縁部から調査を開始。SCP-2700-JP-Aは電子機器を初めとした測定器による計測が不可能であるため、調査は目測を主として実施されました。

SCP-2700-JP-Aはすり鉢状の地形に存在し、石造の高層建造物群の様相を持ちます。約20km2の面積内に40棟以上の遺跡が確認されおり、その中には崩落したものも存在しますが、遺跡の中心部へ下るにつれてその構造は低層建築へと移行しています。SCP-2700-JP‐Aの中心部、即ち最下層部には幅12m2の祭壇らしき建造物が確認されています。祭壇の高さに関しては300m以上との報告がありますが、SCP-2700-JP-A付近での垂直の潜航、及び浮上は先述の海流に接触する危険性が懸念され、調査は難航していました。

事案:2700-JP

この事案記録はSCP-2700-JPの異常性が初めて確認されるに至った経緯をまとめたものです。

20██/█/█、潜水艇「ふくすい2号」、「ふくすい3号」、「かいえん2号」、および異常性が確認されていなかった当時のSCP-2700-JP「かいえん3号」の計4機を用いた海底資源探査計画を実施。その際に「かいえん3号」が海域2700-JPの深層海流に接触、脱出を試みた際に海底へ衝突する事故が発生しました。この事故により「かいえん3号」は損壊、船内には海水が侵入していました。異変を察知した他3機の潜水艇により「かいえん3号」は曳航され、約40分後に海面へ浮上、乗艇していた乗組員4名が救出されました。2名の技師および研究要員の巣型博士は低体温と低酸素により意識不明の状態で救出されましたが後に回復。残る研究要員の保浦研究員は船内で死亡が確認されました。

補遺: 海域2700-JP付近には縁猪島という島が存在したという伝承が舞鶴近辺に残されています。干潮時には本土近くまで砂州が出現していたとされ、室町時代には天橋立と並ぶ名勝地として栄えたと伝えられるほか、島の中心には壮大な祭祀施設が存在し、毎年神輿と御饌、巫女による神楽を奉納していたと伝えられています。

縁猪島の祭祀施設、祭神及び祭事の詳細については伝承が意図的に失伝されたと思われる点が多く、地元民の間は”海上交通の守り神とされる讃岐の金刀比羅宮の分霊を勝手に奉鎮していたため”と言われていますが、一部地域では”土地神として大陸から渡って来た猪神を祭っていたが、江戸時代の宗教弾圧によって根絶した”と伝えられており、正確なところは判明しておりません。

縁猪島は江戸時代に津波による浸食と地殻変動とによる地盤沈下によって消滅したとされていますが、これらの伝承は口碑によるものであり、史料による裏付けのないものとして伝説の域を逸しません。本オブジェクトとの関連については不明です。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。