アイテム番号: SCP-2807-JP
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル: SCP-2807-JPはサイト-81██の標準人型オブジェクト収容室に収容され、1日に3度通常職員と同様の食事が提供されます。
現在SCP-2807-JPは、レベル0職員と同等の権限を与えられた上で、サイト-81██の一般事務員として雇用されています。担当職員及びサイト管理者の許可を得た上でSCP-2807-JPに支払われている毎月の給料を、嗜好品及び自身の収容房の快適化の為に使用することが可能です。
また、SCP-2807-JPの精神状態の安定を目的としたカウンセリングの実施、その他自身の所有する一眼レフカメラを用いての風景写真の撮影が認められています。
説明: SCP-2807-JPは1967年生まれ、三重県在住(収容当時)の日本人男性です。一般的な50代前半男性の外見をしており、後述する異常性を除き、特筆すべき点はありません。
SCP-2807-JPは撮影機器を用いて北海道上川郡弟子屈町に存在する屈斜路湖を撮影した場合にのみ異常性を発現させます。SCP-2807-JPによって撮影された写真(以降、SCP-2807-JP-1群と表記)は撮影時期や時間に関係せず、如何なる場合であってもフロストフラワー1が映った冬期の状態、または屈斜路湖周辺を児童が描いたと思われる絵画に改変されます。異常性は写真の改変のみにとどまっており、改変された風景そのものに異常性は見られません。
SCP-2807-JP及びSCP-2807-JP-1は、2019年にアマチュア写真家であるSCP-2807-JP自身がフロント企業のスケプティック・アンド・クレーマント・プロダクションズにSCP-2807-JP-1群とその内容を記した手紙を送付したことから発覚、財団に収容されました。
インタビュー記録No.001 - 2019/07/21
対象: SCP-2807-JP
インタビュアー: 豊浦研究員
付記: 以下は収容直後に実施したインタビューの抜粋である。円滑なインタビューを実施する為、豊浦研究員はSCP-2807-JPを戸籍上の本名である鶴居と呼称している。SCP-2807-JPには事前に、異常性が露呈した場合に社会への混乱が生じることを懸念し極秘で隔離を行うこと、社会復帰を目指しサポートを実施する旨を告知している。
<前略>
豊浦研究員: ご協力ありがとうございます。これから当日の様子などについて詳しく伺っていきますね。鶴居さん、あらためてよろしくお願いします。
SCP-2807-JP: はい、こちらこそよろしくお願いします。その……先ほどのお話でなんだか不安がいっぱいでね……豊浦研究員: そうですよね。堅苦しくて申し訳ありません。ご不便はかけないよう善処させて頂きます。どうか、出来るだけリラックスされてくださいね。
SCP-2807-JP: ええ……はい……
豊浦研究員: ありがとうございます。それでは早速なのですが、貴方が撮影したSCP-2807-JP-1群……屈斜路湖畔を映した一連の写真ですね。頂いた手紙には今月撮影したとありましたが、間違いありませんか?
SCP-2807-JP: え、ええ……7月の中頃でした。豊浦研究員: 送って下さったお写真の他にも、それ以前に撮影されたものをいくつか拝見させて頂きました。いやあ、どれも素晴らしい景色ですね。私には写真の知識はないので素人目ですけれど、構図だとか、光の感じだとか、とても綺麗に撮れていらっしゃると感じましたよ。
SCP-2807-JP: ああ……いやいや、ありがとうございます。趣味が高じて、という感じですがね。まだまだアマチュアの域を出ませんから。世辞でもお褒め頂けるのは、正直に嬉しいです。
豊浦研究員: 素敵だと思いますよ。本当にお写真を撮るのがお好きなんですね。
SCP-2807-JP: ええ、そりゃもう大好きでね……屈斜路湖を撮りはじめたのはもう15年以上前からになります。僕は、あの雄大な青い空と真っ白な雲を、透き通った湖面がただ静かに映している……そんな美しい夏の景色に心を奪われたんです。何回行っても飽きなくってね。だけど、こんなことはもちろん初めてです。とても驚いたなんてものじゃないですよ、腰が抜けましたからね。(笑い声)何枚撮りなおしても変わらないんです。まさに白昼夢を見たようでした。
豊浦研究員: それはさぞや驚かれたことでしょうね。鶴居さんが仰るように、確かに変化が見られたのは先月のお写真だけでした。その日、なにか特別なことをされたなどはありますか?
SCP-2807-JP: いやあ、特別なことは何も。まあ確かにレンズとカメラは新調しました。これは使い慣れたやつの後継機です。母親が大病を患ってから、長いこと介護に追われておりましてね……昨年無事に看取ることが出来ました。それから遺品整理やら相続やらもあらかた終わりまして、少しずつ穏やかな生活が戻ってきて……それで念願叶って10年ぶりに、ようやっとまた訪れることが出来たんですよ。だから絶対に良い一枚を撮りたくってね……
豊浦研究員: なるほど。こちらの絵のような写真には何か心当たりはありませんか?他の写真とは随分系統が異なるようですが。
SCP-2807-JP: そうですね……これはおそらくあの子が描いたものじゃないかな……何故僕のカメラで撮れたのかは全く見当がつきませんけれどね。
豊浦研究員: あの子、といいますと?
SCP-2807-JP: 簡単にいうと、現地で交流があったちいさな女の子です。懐かしいなあ……とても人懐っこい子でね。初めてあの場所に訪れた日から何日目だったかな……夢中で写真を撮っていた僕に、「おじちゃん、毎日飽きないね」って声が聴こえて。振り向くと、その子がいました。スケッチブックとクレヨンを大事そうに抱えてね。僕が「飽きないよ。ここはとっても綺麗な場所だからね」って言うと、その子は満面の笑みで、「そっか。じゃあ私と一緒だね!」って言って、スケッチブックを広げて見せてくれたわけです。
豊浦研究員: なるほど。それで鶴居さんは、その時見た絵ではないかと感じたのですね。
SCP-2807-JP: ええ、そうです。そこには紙いっぱいに屈斜路湖と青空が描いてあって、他にもたくさんの絵を見せてくれました。湖畔の様々な角度からの景色だったり、地元の風景で埋め尽くされていてね。絵を描くのが大好きで、そしてとても絵の上手な子でした。僕は写真で、彼女は絵を描くことに夢中で……なんだか不思議と居心地がよくってね。良い話し相手になってくれました。毎年僕が行くと必ず会いに来て、「おじちゃん今年もまた来たんだね」と笑っては、僕が撮影をする横で楽しそうにずっと絵を描いていましたよ。僕が来れなくなってしまうまで、毎年ずっとそうでした。フロストフラワーのことを教えてくれたのも彼女なんですよ。
豊浦研究員: そういえば、拝見した写真の中には雪景色の写真はありましたが……
SCP-2807-JP: はい。ご想像の通り、ついぞこの目で見ることは叶わなかったんです。10年前にも冬に2回行きました。でも、この氷の花を捉えるのはかなり大変なことでね。ある程度天候を予測して行っても、条件がひとつでも欠けてしまえば駄目なんです。非常に神秘的で、不思議な自然現象ですよね……例えうまく揃ったとしても、陽が昇れば、風が吹けばすべて儚く消えてしまう。時期も年の瀬ですから、仕事もありましたしそう長くは滞在出来なかったんです。非常に残念でした。
豊浦研究員: なるほど、フロストフラワーとはそういうものなのですね。こういうものには疎くてすみません。
SCP-2807-JP: いえ、そんなそんな。僕もあの子に聴いて初めて存在を知ったのですから。あそこに通い出してから3年目ですね。「おじちゃんは毎年夏に来るけど、冬にはこないの?ちょっと難しいけれど、氷のお花がたくさん見れる日があるんだよ。もし来られたら、絶対一緒に見ようね」ってね。まあ、結果は先ほどお話した通りです。
豊浦研究員: そうだったのですか。それはとても残念でしたね。
SCP-2807-JP: ええ、本当に……叶うなら、あの子と一緒に本物の氷の花畑を見たかったなあ。せめて元気に過ごしているかだけでも知りたかった。あの子はちいさかったですし、10年も会っていませんから、きっと向こうは僕のことなど忘れているでしょうけれどね。
<インタビュー抜粋終了, (2019/07/21)>
Enter
実験記録 SCP-2807-JP: SCP-2807-JPを対象として、異常性の発生条件などの正確な特定の為に実験を実施しました。以下にその結果を示します。
実験記録-001
実施概要: 山梨県██湖の撮影。財団所有の撮影機材、およびSCP-2807-JPの所有するカメラを用いてそれぞれ実施。
結果: どちらの機材においても同様の写真が撮影された。どの写真にも改変の痕跡は確認できない。
分析: 対象の所有するカメラにおいても改変が見られなかったことから、SCP-2807-JPの証言通り特定の場所でのみ発生すると考えられる。
実験記録-002
実施概要: 屈斜路湖北東部にて撮影を実施。実験記録-001同様、複数の機材を用いた。
結果: どちらの機材においても改変が発生した。
分析: やはり屈斜路湖で撮影を実施することが改変の発生トリガーになると考えられる。
実験記録-003
実施概要: 撮影位置を変更。屈斜路湖和琴半島へ移動し撮影を実施。実験記録-001同様、複数の機材を用いた。
結果: それまでの実験結果同様、写真の改変が発生した。また、撮影された絵画調のSCP-2807-JP-1群には撮影回数を重ねるごとに画力の向上が見られている。
分析: 撮影の角度に関係なく、屈斜路湖を撮影する行為が改変の条件だと結論付けられる。撮影結果の改変が、どのようにしてSCP-2807-JPの意識外で判断されているかは未だ不明である。
実験No.003実施後、これまでとは異なる異常性が確認されました。詳細は以下を参照してください。
インタビュー記録No.002 - 2019/08/07
対象: SCP-2807-JP
インタビュアー: 豊浦研究員
付記: 実験No.003実施後、屈斜路神社付近にてSCP-2807-JPより再度写真を撮影したいとの申し出があった。豊浦研究員はこれを許可し実施させたところ、これまでとは異なる油絵調に改変された写真(以降、SCP-2807-JP-2と表記)が撮影された。SCP-2807-JP-2を目視した直後、膝をつき嗚咽を漏らす様子が確認されたが、豊浦研究員の指示により鎮静剤は投与せずに経過を観察した。以下は安定後に実施したインタビューの抜粋である。
<前略>
豊浦研究員: 少し落ち着かれましたか?
SCP-2807-JP: ええ……もう大丈夫です、すみません。ご迷惑をおかけしました。豊浦研究員: いえいえ。では矢継ぎ早に申し訳ありませんが、先ほどの理由をお話して頂けますか?
SCP-2807-JP: (5秒間沈黙)あの写真を、あの絵を見た時……声が、聴こえたんです。あの子の声が。
豊浦研究員: 声ですか。あの子、というのは以前仰っていた現地の少女のことでしょうか。
SCP-2807-JP: ええ、そうです。
豊浦研究員: なるほど。それで、その声はなんと言っていたのですか?
SCP-2807-JP: 「おかえり、ありがとう」と。そう、聴こえました……都合がいい、ですよね。でも僕には確かに、確かにそう聴こえたんです。母の介護という、やむを得ない事情があったとはいえ……僕は、僕はちいさな友人との約束を守れなかった。ずっとあの場所に行きたかった……でも、出来なかった。年月が経つごとに、もう自分のことなど忘れているから今年も行けなくても大丈夫だ、これは仕方がないことなのだと自分を納得させました……こんな僕に、あの子はありがとうなんて、そう言ったんです……あの子はこの10年間ずっと、ずっと……指切りをしてまで、僕は約束を守れなかったのに……!豊浦研究員: 鶴居さん。
SCP-2807-JP: (嗚咽の後、10秒間沈黙)すみません……年甲斐もなく取り乱してしまいました……
豊浦研究員: いえ、大丈夫ですよ。残念ながら、私にはその声は聴こえませんでした。鶴居さんにとってあの場所は相当想い入れのある場所でしょうから、だからこそ貴方にだけ聴こえたのかもしれませんね。
SCP-2807-JP: 僕への、メッセージ……
豊浦研究員: これは私の憶測ですが、この絵もこれまでの絵も、鶴居さんに宛てた手紙なのではないでしょうか。鶴居さんと少女の交流がどれだけあたたかく深いものだったかは、私にはわかりかねます。でも話を伺っていると、そうなのではないかという気がしてならないのです。
SCP-2807-JP: (3秒間沈黙)いつだったか……あの子から、父親がいないのだと聴いたことがあります。自分が生まれてすぐに病気で亡くなったと。僕が年の離れた彼女と友人になれたのは、その境遇を憐れんだからでは決してありません。ただ、夢中になって絵を描く姿が、まるで写真に打ち込む自分のようで……幼いころから写真に、カメラというものに夢中だった自分の姿に重ねたのかもしれません。だからこそ居心地が良かった。写真を撮るという目的は勿論でしたけど、毎年少しずつ成長していく彼女の姿と絵を見ることも、いつしか自分の中でひとつの楽しみになっていてね……ああ、そうか。そうだったんだね。この写真たちは……僕への。
豊浦研究員: 成長した姿を、貴方に見せたかったのでしょうね。
SCP-2807-JP: そしてこれがきっと、最期の手紙なんでしょうね。虫の知らせ、って言うんですかね……なんでだろうなあ……そう、思えてしまったんです。僕はやっと、見ることが出来ました。それでも僕は……僕は並んで見たかったなあ。絵を描いている君の横で。僕はカメラを構えて……一緒にね。
<インタビュー抜粋終了, (2019/08/07)>
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補遺: 2019/08/16にエージェント・二乃岱による現地の聞き込み調査が実施されました。結果、弟子屈町立██小学校付近にある商店の男性店主より"幼少時より地元の風景画を描き続けていた朝生 風花という人物が存在し、弟子屈町役場に彼女の作品が展示されている"という有力な情報を得ました。その後展示されていた絵画作品を確認したところSCP-2807-JP-2と完全に一致した為、この人物がSCP-2807-JPが述べていた少女であると結論付けられました。該当の絵画は回収され、調査の結果、非異常性の油絵であることが判明しています。
以下のファイルは朝生 風花によって描かれた最後の絵画と、その裏に書かれたメッセージです。
朝生 風花(当時20歳)は先天性心疾患の悪化により2018年に釧路市内の市立病院に入院するも、その後逝去していたことが確認されています。