SCP-2864-JP
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アイテム番号: SCP-2864-JP
 
オブジェクトクラス: Safe
 
特別収容プロトコル: SCP‐2864‐JPはサイト-81██にある低危険度物品収容ロッカーに収容されます。SCP‐2864‐JP暴露者は標準人型収容室に収容され、担当職員は暴露者が重度・軽度問わず精神負担を示した時点でカウンセリングを行ってください。
 
説明: SCP‐2864‐JPは亜麻のキャンバスに描かれた49cm×32cmの油彩画です。古びた木造建築を背景に悲哀と形容される表情を湛える福谷 佑真氏1と推測される人物(以降、SCP-2864-JP-Aと呼称)が描写されています。

SCP‐2864‐JPの異常性は、推測される条件下の男性2 (以降、暴露者と呼称) の視認をトリガーとして発生する認識災害です。これはSCP‐2864‐JPを複写・撮影したものであっても同様に発生します。暴露者は視認後経過した時間に応じて精神異常を引き起こします。

時間経過によって齎される認識災害の影響については以下を確認してください。
時間の経過 暴露者の様子
視認直後 SCP‐2864‐JPに傾注する素振りを見せ、オブジェクトへの注目・接触を始める。
視認後 約20分経過 SCP‐2864‐JPに対して一層傾注する。オブジェクト以外の事物に対する関心を喪失する。
視認後 約40分経過 前兆もなく突如昏睡する。
視認後 約5時間経過 昏睡状態から覚醒する。この時点でSCP‐2864‐JPへの関心を喪失し、視認以前の精神状態に戻る。

以上の過程を経た後、暴露者に記憶への影響が現れます。暴露者が想起する過去の事象において、記憶内の自分自身の容姿・音声等がSCP‐2864‐JP‐Aのものに置換されます。また、記憶内において暴露者に関連する事物についても同様に、SCP‐2864‐JP‐Aに関連付けられる自然な形で変化します3。暴露者の記憶内ではSCP‐2864‐JP‐Aを背後から見下ろす視点に固定されます。この影響に付随して、暴露者は自身の記憶に対する所有感が希薄となることが確認されています。影響は永続的であり、記憶処理による除去が不可能です。暴露者が再びオブジェクトを視認した場合には異常性が発現しません。

SCP‐2864‐JPは2016/01/08、中井 徹氏の自宅にて発見されました。同日、徹氏は生家へ帰省しており、救急要請を目的に119番通報を行っていました。通報を受けて救急隊員が現場に到着した際、複数の刺傷を要因として死亡している中井 茜氏4と中井 一良氏5、同様に複数の刺傷を要因として意識不明となっている徹氏が発見され、付近の総合病院へ搬送されました。本事件は徹氏の計画的犯行であると推定されています。なお、SCP‐2864‐JPを発見した救急隊員1名は暴露者となっていたため、サイト-81██にて保護されました。

以下はSCP‐2864‐JPと共に発見された、徹氏が記述したと推測される文書です。

これは自己満足の為に書きます。もし誰かがこの文書を発見しているならその時私は病院、もしくはあの世にいることでしょう。なのでこれが遺書となることも考慮して、私がこうした経緯を記します。

本題の前に、まず福谷佑真という人物について説明しておきます。彼とは中学時代からの知り合いで、高校、大学と同じところに通っていました。といっても特段仲が良かったわけではなく、学校の休憩時間にたまに話すことがある、程度の関係でした。彼は根暗で、消極的な人でした。普段はおとなしい様子だったのですが、時々 ── 彼の癖でしょうか。喜んでいたり、目立っていたりする誰かがいると、目をかっと見開いてその人をじっと凝視するんです。それが長くなると数分続くものですから、クラスメイトからは「気味が悪い」と疎まれていました。因みに、私も大学の時にじっと見つめられたことが1度あります。テニスの大会で良い実績を残すことができた後日だったと思います。彼とは大学の卒業以降、一度も顔を合わせていません。

本題に入ります。今から大体1ヶ月前の休日のことです。朝、買い物のために外出しようと玄関を出たところ、自宅の前に質素な、所々に傷や汚れの目立つダンボールが置かれていることに気が付きました。一瞬郵便物なのかと思いましたが、これを郵便物とするには外見や状況からして明らかに不自然でした。ですが、「郵便物ではなくとも家の前に態々置いているのだから、自分に宛てた何かだろう」と推測した私はそれをリビングまで持って行き、中身を確認しました。そのダンボールの中には、福谷佑真の肖像画が入っていました。

それを見た瞬間私は、何かにとりつかれたようにその絵に夢中になってしまっていました。数十分もの間、無我夢中に絵を眺め続け、それから突然意識を失って、数時間後に目が覚めました。我に返った私はこの異常な状況を飲み込めず、夢と錯覚してしまうほどでした。そんな混乱の中、自分が何をしていたのか記憶を辿ろうとすると、1つの変化に気が付きました。記憶の中の私が、福谷佑真になっていたのです。

記憶ではその日、彼がショッピングバッグを持ち、玄関の扉を開け、ダンボールを手に取って開封していました。理解が出来ませんでした。それらは全て私が行ったはずなのですから。起きている事の不可解さでぐちゃぐちゃになった脳が、何が起きているのか確かめるためにもっと前の記憶を辿りました。

小3の頃、北海道へ家族で旅行したこと。これは私にとって最も鮮烈で素敵な思い出。なのに、私はいなかった。代わりに彼がいたんです。雪まつりの雪像に囲まれて、私の両親と姉も思わず笑ってしまうほどに全身を動かして喜んでいました。他の記憶も同じでした。成人して親友とお互い初めてのビールを飲みながら駄弁ったこと。好意を寄せていた女性への告白が成功したこと。あらゆる記憶の中で彼が当たり前のように存在していて、過去の自分と同じ行動、同じ喜怒哀楽をなぞっていました。私はただ、それを他人事のように見ることしか許されませんでした。

印象深い思い出を巡り終わった頃には、状況の理解ができていました。ですが、同時に大きな喪失感が心に浮かんでいました。私はあるはずのない不条理な記憶を否定するために、大好きな思い出を繰り返し辿りました。しかし、何度やっても本来の記憶を彼は見せてくれませんでした。その上、私が思い出を反芻する度に、彼の幸せや喜びが増幅しているような気さえしました。結局私のした事は、不条理な記憶が確たるものであることを自分自身に実感させるのみでした。それで心にぽっかり穴が空いて、気付いたんです。私はずっと思い出に支えられて生きていたことに。過去があってこそ、自分は幸せでいられるのだということに。

それからの話です。働いていた会社は自分でも驚くほどあっさりと辞められました。これから自分が何をしようとも全て彼のものになる。当時、もう何をするにもやる気が起きませんでした。幸せを完全に諦めて死ぬことも考えました。ですが、どうしても生きる意味を人生のどこかに見出したかった私は苦悩の果てに、再び幸せな記憶を想起することにしました。これまでの事が全て悪夢だったというほぼ0パーセントの可能性、一縷の希望に縋ったんですね。

私は、テニスの県大会について思い出しました。思い入れのあった出来事の一つです。青空の下の会場、熱気にあふれた応援席、ボールが激しく往来するコート。そこに立ち、ラケットを大きく動かしていたのは、私 ── ではなく案の定彼でした。わかっていたはずなのに落胆し、追憶を後悔した、その時でした。相手から点を奪い、優勝が確定した彼はガッツポーズをして、そのまま後ろを、もはや彼を羨ましそうに見ることしかできない私の方を向いて。狂ったような笑顔で、「ありがとう」って、露骨に悪意を含んだ声で言ったのです。それまでに彼がこんな素振りを見せたことはありませんでした。彼が明確な意思を持って私の記憶を乗っ取っていることを知り、絶望に打ちひしがれました。そして、私は私の思い出を全て諦め、この世を去ろうと決意しました。

しかし、私は結局自殺しませんでした。なぜならある1つの考えが浮かんだからです。彼は「意思を有している」。私は考えを閃くと同時に、10才の頃経験した自転車事故を想起しました。坂道でスピードの調節を失敗し、転倒。そのまま勢いよく転げ回り、肩と左足を骨折。人生で最も痛い思いをしたその記憶を、繰り返し思い出しました。彼は繰り返しの度に激痛に苛まれ、そして想起を7、8回繰り返した頃です。こちらを振り向き、涙を浮かべ許しを請うような表情で見つめてきました。

この出来事をきっかけに色々と試してみました。頭を思いっきり壁に打ち付けてみたり、熱したフライパンに触れてみたり、あえて彼女に嫌われるような言動をとってみて別れたり。他にも様々な事をやりましたが、それらが記憶となる毎に彼は良い反応を示してくれました。彼の背後から観ることになる都合上、あまり表情を確かめられないのが残念ですが、彼は結構素直で、しばしば懇願や焦燥の顔をして振り向いてくれるので十分です (いえ、今思い付いたのですが、鏡を使えばいいですね!) 。そのような行為に躊躇は一切ありませんでした。久しぶりの心が満たされる感覚に、ただただ感動し、興奮しました。私は幸せを ── もとの形とは程遠いものの ── 取り戻すことができました。

そしてこれから、私はさらなる幸福を求めにいきます。私と彼の素敵な思い出のコレクションを完成させます。その為には一線を越えなければなりませんが、今の私ならきっと容易く行えてしまうと思います。だって、これを書いている最中、ずっと胸がドキドキしてしょうがないんです。本来は今の自由な時期にもっと思い出をつくっておく予定だったのですが、そんな事をしてると際限がないですし、何より、もう我慢が出来ないんです。

ここまで目を通してくださった皆さん、ありがとうございます。それで、皆さんには頼みたい事があります。皆さんには迷惑をかけますが、少しでも私にうんざりしたなら、どうか私を許さないでほしいのです。そして、この文書を読み、少しでも私のことを狂っていると感じたなら、その心を忘れないでいてくれたらと思います。よろしくお願いします。

書き忘れていたことがありました。例の肖像画ですが、リビングに飾ってあります。是非とも彼の表情に注目して見てみてください。今でこそ落ち込んでいるような顔をしていますが、少し前までは生き生きとした良い笑顔だったんですよ。こんな話、信じてもらえないでしょうけどね。それは今更だと思いますが。

書きたいことは殆ど書き終わりましたが、彼への感謝をこれまでずっと忘れていたのでこの機に伝えておきます。「彼」ではなく、「佑真」として接しなければなりませんね。

佑真が僕に与えてくれている幸せは、前の幸せに匹敵するほど素敵なものだと思う。むしろ、周りの目を気にしなくてよくなった分、今の方が気楽で良いかもしれない。幸せといえばさ、佑真はこんな状況に置かれても前の僕みたいに幸せを諦めようとしていない、だろ?いつまでも苦痛に慣れることのない姿が、たまに見せる恨みのこもった鋭い眼差しが、それを物語ってる。そのお陰で僕は幸せになれたんだよ。でも僕はもっと幸せになりたい。その為に今からチャレンジをしようと思うんだ。少し大変だろうけど、大丈夫。僕と佑真には幸福を望む強い気持ちがあるから、きっと成功させられるよ。それで、その前に佑真に感謝を伝えておきたくてこれを書いてる。

佑真、ありがとう。チャレンジが成功したら、これからも ── 時間にして50年くらいかな、僕と一緒に生きていこうじゃないか。よろしく。

SCP‐2864‐JPを所持していた事実や上記の文書を鑑みて徹氏は暴露者であると推定されたため、2016/01/██現在、サイト-81██にて保護されています。徹氏は未だに意識回復が確認されていませんが、担当医療者により、現状死亡の危険はなく完全に回復できる段階にあると判断されています。

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