アイテム番号: SCP-2987-JP
オブジェクトクラス: Keter
特別収容プロトコル: SCP-2987-JPは鉄筋コンクリート製収容室ですべての歩脚および胴体を固定された状態で収容されます。SCP-2987-JPを発見した場合、抵抗できない程度に弱体化させてから収容し、それが困難な場合のみ無力化が許可されています。SCP-2987-JPが産卵した場合、孵化する前に圧砕してください。
また、SCP-2987-JPを弱体化させる暫定的措置としてプロトコル・グローバリゼーションが実行されています。外務省および経済産業省には当該プロトコル担当チームが設置され、海外文化の受容に関する監視、介入を行います。
説明: SCP-2987-JPは全長約1mのオオツチグモ(Theraphosidae)に酷似した生物です。その皮膚は約7cmほどに肥厚しているのに加え、未知の成分により硬化しており、ビッガース硬度1は約700HVです。また、人間に対して極めて敵対的であり、人間を発見すると殺害し、捕食します。SCP-2987-JPには触肢および生殖孔が存在せず、その雌雄を判別することはできません。しかし、現在まで12体が産卵をしており、一回の産卵で生まれるSCP-2987-JPの幼体数は平均で145体です。
今までに財団が収容したSCP-2987-JPは256体であり、確認されている生息地は日本全国に及びます。現時点でSCP-2987-JPが外国で発見された事例は確認されていません。収容されたSCP-2987-JPの約8割が山間部で発見されており、現在財団が発見現場周辺を捜索し、巣に該当する場所が存在するか否かを調査しています。補遺2を参照してください。
蒐集院が残したSCP-2987-JP関係記録が発見されたことでSCP-2987-JPの間接的な影響力に関する研究が開始されました。蒐集院覚書帳目録第一八八九 「土蜘蛛」には、SCP-2987-JPは災いや病魔をもたらすとの記載があるため、現在より詳細な相関調査を行っています。災害や感染症が発生した際のSCP-2987-JPの現実安定性の揺らぎを観測することで、財団が確認しているだけでも45件の地震や火山の噴火、感染症はSCP-2987-JPによるものだと結論づけられています。また、それに伴いSCP-2987-JPの特別収容プロトコル改訂が検討されています。詳しくは補遺2を参照してください。
補遺1: 発見経緯
SCP-2987-JPは、1990/10/16に██県██市の山林で巡回中のエージェントにより初めて発見されました。収容までにSCP-2987-JPを目撃した7人の民間人を記憶処理することで秘匿性は保たれました。この事例の後、立て続けにSCP-2987-JPの目撃情報があがったため、全国規模でSCP-2987-JP確保の作戦が行われています。
以下は1990年代に確認された、SCP-2987-JPに起因する災害、病魔のタイムラインの抜粋です。
補遺2: 記録の回収
1998/05/21にSCP-2987-JPの巣だと思われる洞窟が発見されました。機動部隊30名による調査の結果、洞窟内にて16体のSCP-2987-JPに加え、研究所および祭儀場が発見され、記録の回収が行われました。なお、研究所と祭儀場は蒐集院が運営していたものと見られますが、現在は廃棄されています。
以下は現場より回収された蒐集院覚書帳目録第一八八九 「土蜘蛛」からの引用文です。なお、文章には現代語訳、補足を行った部分があることに留意してください。
土蜘蛛蒐集物覚書帳目録第一八八九番
蒐集院が実際に土蜘蛛を発見したのは一四七一年のことである。天変地異が頻繁に発生する地域を調査中にこの怪異を発見したのだ。それ以降、数多くの土蜘蛛が現れるようになった。そこで蒐集院は土蜘蛛に関する記録を集め、様々な観点で相関調査を行った。
今から記載する文章は『██████』からの抜粋である。
我が国で初めて土蜘蛛という名称が使用されたのは古代のことである。当時は大王・天皇に忠節を持たぬ土着の豪傑や豪族、賊魁への蔑称としてこの名称を用いていた。そして、こうした者共を土蜘蛛と名付けた由来は、「土隠」にあるとされている。先にあげた者共はその多くが横穴のような場所に住んでおり、穴にこもる様子から「土隠」という名がついたという。
この史料によれば、古代においては天皇へ恭順を示さぬ民族を土蜘蛛と呼んできたというのが一般的な定説である。だが、この伝承は蒐集院による隠蔽工作に過ぎない。蒐集院が回収した本来の伝承は以下のようである。
まず、古代において土蜘蛛と呼ばれたのは大王・天皇に忠節を持たぬ土着の豪傑や豪族、賊魁ではなく、彼らが抱えていた蜘蛛の怪異である。『肥前国風土記』に、地方の蛮族の巫女や呪術についての記載があるように、彼らは呪術的な能力を身につけていたとされている。そしてその能力でもって土蜘蛛なる怪異を誕生させていたのだ。
次に土蜘蛛に関して特記すべきこととしてその力が挙げられる。土蜘蛛は荒々しい文化や気風に影響を受け、強化されるという。先にも述べたが、土蜘蛛を抱えているのは天皇への恭順を拒否する地方の蛮族である。彼らは文化的な気風や風習をもつ存在とは程遠く、それゆえに自らの特徴を土蜘蛛の強化に利用したのだろう。
実際、██国██の豪族のもとに集落を構えていた人々はこのように記している。
我が領主██殿が勢ひの源はその呪術にあり。太占、探湯、████にて国の吉凶を占ひ、倭を脱する計らひなり。
(中略)
彼のもちたる蜘蛛が頼みなり。我らが手風を荒ましくするが功あることなり。大和がつつまふこと確かなり。然れば██殿の弘むる手風を学びてこれを成すべし。然れどもこれは一時の術にて、倭が領くを止むるままに手風は細しくなるべし。
また、戦国時代には土蜘蛛に関してこのような逸話が残されている。
富樫政親は痔を患い床に伏していた。そこに身長7尺の托鉢僧が現れ、政親を縄で縛ろうとした。そこで政親が側に置いてあった刀でこの托鉢僧を斬りつけると托鉢僧は逃げていった。翌日、政親は血痕をたよりにこの托鉢僧を追いかけると横穴に全長4尺の巨大な山蜘蛛がいた。政親が刀で山蜘蛛を討伐すると彼の病はたちどころに回復した。
これは蒐集院が集めた文書の一節である。古来より日本には巨大な蜘蛛の怪異が潜んでいて、様々な災いをもたらすとされてきた。
以上のことから、土蜘蛛のもたらす災いや病魔の程度は文化の特徴に応じて決定されていることが分かった。そして、我々はこの災いや病魔を土蜘蛛の魔力に由来するものだと仮定した。つまり、ある時代に勇猛たる文化が流行すれば土蜘蛛の魔力は増大し、またある時代に秀麗な文化が広まれば土蜘蛛の魔力は減少するということだ。こう考えれば、長く姿を消していた土蜘蛛が最近姿を現したことにも説明がつく。
また、文化とは時代の気風に大きく左右されてきた。戦乱の世では、戦からの休息を求める文化が台頭した一方で武士の多くは過激な文化を好んだ。安土桃山時代であれば、戦乱の世に終わりを告げるが如く美を求める文化が流行した。
[以下は腐敗により判読不可。]
以下は先述の研究室より発見された記録を編集し、まとめた資料です。
土蜘蛛封印の儀土蜘蛛を封印する手だてが完成した。蒐集院が以前より使用していた呪術結界の儀を応用することで膨大な魔力を封印する結界を生み出す方法を確立したのだ。巨大な魔方陣に土蜘蛛を閉じこめて儀式を終えることでやつらを封印することが可能だ。
だが、儀式を行うに当たってひとつ問題が浮上した。蒐集院がこの儀式の研究を開始したのは1580年である。時代は安土桃山であり、その頃の気風や文化は土蜘蛛の魔力を抑えるのにおあつらえ向きだった。
しかし、現在1610年、世の文化はどのようになっているだろうか。幕府により天下は統一され、秩序正しい世が訪れるとの思惑とは裏腹に、関ヶ原の戦いにて西軍であった者、戦乱の終わりをよく思わぬ者、あるいはそれに感化された一般民衆によって野蛮で粗暴な文化が生み出されている。幕府もこれを事実上黙認しているという有り様だ。
現在、土蜘蛛は魔力を増強させている。土蜘蛛が原因とされる災害2や病魔は50件確認されており、今のままでは土蜘蛛によって日本は滅ぼされるだろう。加えて、今の土蜘蛛の魔力を考慮するにやつらを封印することはできず、そもそも儀式を無事に終えることもままならないだろう。そこで蒐集院は江戸幕府と完全に提携することでこの状況を打破することとした。
江戸文化刷新計画
これは江戸の文化を 町人や商人を担い手とする柔和なものに切り替えることで、土蜘蛛封印の儀を実行可能にすることが目的である。以下の計画は実行可能な時期を見計らって行う。
- 現在の戦闘行為を是とし、武力を誇示する文化を廃止する。その際に合理的な理由をつけることで人々の反感を最低限にとどめる。強制力をもって行うことも視野に入れる。
- 町人や商人を担い手とする文化を広める。その文化とは日常を題材とした文学や演劇、芸術などである。
以下は江戸文化刷新計画の成果の抜粋である。
- 侍講林羅山が主導して朱子学、霊廟、装飾画などの寛永文化が広められた。安土桃山文化の特徴を取り入れ、秩序ある文化の確立に成功した。
- 三代将軍徳川家光の政策により、所謂「鎖国」が完成した。これは外国の文化を可能な限り遮断し、当該計画の影響を最大限に引き出すことを目的としている。
- 四代将軍徳川家綱が浮浪人およびかぶき者の取り締まりを強化した。また、末期養子の禁を緩めることで浮浪人の発生を抑制した。浮浪人およびかぶき者は気風を乱し、文化の荒さを引き立てる存在であると判断された。
- 五代将軍徳川綱吉が服忌令、生類憐れみの令および下克上の禁止を定めた。これにより血を忌み嫌う風習が確立する一方で生類を虐待、遺棄する風習や力で身分秩序を逆転させる風潮は否定され、戦国時代の気風は取り除かれた。
- 側用人柳沢吉保が主導して俳諧、浮世草子、人形浄瑠璃などの元禄文化が本格的に広められた。上方の町人が主な担い手であり、民衆の情緒や現実社会を見据えた文学、学問、芸術が生み出された。
- 老中田沼意次の政策により、国学や蘭学、浮世絵の隆盛が始まったとされる宝暦・天明文化が広められた。正徳の治および享保の改革により武士の文化を抑制することに成功した時期ににあって、文化の新たな担い手を育成することを目的としている。
- 老中松平定信が浮浪人を人足寄場に収容する政策を実行した。浮浪人に職業訓練を施し、更正させることが目的である。
- 大御所徳川家斉が主導して滑稽本、浮世絵、蘭学などの化政文化が本格的に広められた。江戸の町人が主な担い手であり、庶民的な享楽が題材とされる。
土蜘蛛封印の儀 実行
1815年、文化や気風の特徴を鑑みるに土蜘蛛の魔力が十分抑えられていると推測された。よって土蜘蛛封印の儀が実行され、これに成功、土蜘蛛を封印した。祭儀場は常に蒐集院衛士15名が監視を行うものとする。
追記: 現在、蒐集院により封印されたSCP-2987-JPが出現している原因を調査中です。財団日本支部は蒐集院の情報を引き継いでいるにもかかわらず、SCP-2987-JPのことを認知していなかったことから蒐集院残党の関与が疑われています。
SCP-2987-JPは文化と相関があるという事実から、SCP-2987-JPが出現したのは現在の日本の文化に関連があるという見方が最有力です。以下はこの説と関連がみられる蒐集院の記録を編集し、抜粋したものです。
- 土蜘蛛封印の儀を実行後、江戸幕府がアメリカと日米和親条約、日米修好通商条約を締結した。蒐集院は外国の近代兵器が輸入されることを危惧する一方で、日本の近代化が不可欠であること、外国の持つ近代文化、思想が日本の文化をより文明的なものへと導くと思われることから、開国に消極的賛成をした。
- 科学を基とした思考法や大衆文化、大正デモクラシー等は開国の積極的評価の事例である。しかし、ナショナリズムの高揚とともに帝国主義に傾倒する日本政府と蒐集院がSCP-2987-JPに関して対立、1931年を境に日本政府と蒐集院との間にSCP-2987-JPに関するやり取りは行われなくなった。
以上の資料より、SCP-2987-JPは1931年頃から財団の発見に至るまでの期間に出現し始めたと推測されています。
また、現在の日本は様々な文化が普及しており、SCP-2987-JPの弱体化のために代替文化を普及させることは不可能です。そのためSCP-2987-JPの弱体化を促進させる暫定的措置としてプロトコル・グローバリゼーションが実行されています。プロトコル・グローバリゼーションにより財団は日本政府との完全な連携のもと、文明的かつ非暴力的な海外文化の積極的受容を推進させます。具体的な受容物の決定は外務省および経済産業省担当の財団職員チームにより決定されます。