SCP-3038-JP

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「君は風のようだね」と言われた時、僕は咄嗟に笑顔を作れただろうか。


波風立てずに生きるのが夢だった。とりとめのない思い出を、三杯目のコーヒー、その水面が思い出させる。

あの日の長い聴取から調子の悪い腰を慮りながら、僕はデスクに座り、インスタントのホットコーヒーを流し込む。

けれど──僕は、凪の海だけ選べはしない。




SCP-3038-JP

アイテム番号: SCP-3038-JP

オブジェクトクラス: Safe

特別収容プロトコル: SCP-3038-JPはSafeクラス収容ロッカーに収容されています。

説明: SCP-3038-JPは2020年にエージェント・蜜戸によって作成された、ボトルシップとして知られる工芸品です。用いられた帆船模型とボトルはいずれも既製品を流用しています。

SCP-3038-JP内の帆船模型が地面に対し水平な状態である時、帆船模型が水没しない水位の海水が発生します。海水をボトル内部より排出した場合、同量の海水が不明な手段で発生し、総量を維持します。

水平状態のSCP-3038-JP内では、エージェント・蜜戸の精神状態に応じて気流が生じます。エージェント・蜜戸が大きなストレスを感じている状態では、この異常性に──


液晶右下の時刻表示を見ると、そろそろ日を跨ぐところだった。あのボトルシップを組み立てたのも、ちょうどこのくらいの時間だったと思い出す。

その行為に、特別なことは何もなかった。前日飲み終えた700mlのジンの、六角形のボトルを見て一つ、暇潰しを思いついただけ。ちょうど良い大きさの、初心者向けの模型を買って、説明書を見ながら一日で組み立てた。マストが立ち、帆が開いた時、ささやかな感動があったのは覚えている。

ただ。その帆が風を受け、膨らんだ時に何を思っていたのかは、なぜだか忘れてしまった。





水平状態のSCP-3038-JP内では、エージェント・蜜戸の精神状態に応じて気流が生じます。エージェント・蜜戸が大きなストレスを感じている状態であるほど、この異常性による波浪は強くなります。生じた気流や波浪の影響を受け、内部の帆船模型がわずかに損傷することはありますが、転覆や沈没に繋がる重度の損傷を受けた例はありません。

SCP-3038-JPとエージェント・蜜戸の精神状態との関係は一方的なものであり、SCP-3038-JP内に送風することによって波浪を発生させた場合、エージェント・蜜戸の精神状態が悪化することはありません。

特筆すべき点として、エージェント・蜜戸がSCP-3038-JPを視認している際、ボトル内の波浪は強くなる傾向にあります。



ボトルの中にある船は、風を受けてもどこへも行けない。むしろロッカーに収容されて、さらに世界は狭くなった。

異常性を上に報告したのは、ボトルシップが完成した次の日だった。結果、直ぐ報告しなかったことを詰められた。それはそうだ。人が死ぬような異常だったらどうするつもりだったんだ、僕は。

まだ強い風の吹いていない海を見て、どこか安らいでいた。舐めていた。異常性を知らない時から、船に自分を乗せていたのだ。

窓の外で、意思のない風が鳴っている。今日は冷える。今のうちから、外に出るのが憂鬱だ。





補遺1: インタビューログ


顔をしかめた。ここらへんは見る必要がないし、見たくもない。スクロールで書き起こしを飛ばしていく。

ボトルを受け渡してからの監視とインタビューの日々は、ひたすらに僕を摩耗させた。申し訳なさそうに話を聞いてくるのも、強い言葉で無い情報を絞り出そうとする人も、どちらも等しく嫌だった。

こうなるなんてわかってなかった。僕も、誰も、わかってなかった。僕にはなんの落ち度も、力もない。

長い聞き取りが終わって、僕は財団職員としてではなく、オブジェクトの関係者として実験に立ち会うことになった。僕が作ったその"荒れた"海を、監視の目がある場所で見て。僕以外が見ているのを見て。

海が枯れるのを、静かに願った。





補遺2: 実験記録

実験記録3038-4 - 日付2020/██/██

対象: SCP-3038-JP
実施方法: エージェント・蜜戸に対して精神的な負荷を与え、SCP-3038-JPのボトル内部に設置した小型風速計により、変化を計測する。
結果: SCP-3038-JP内部の風速は最大で70m/sを記録した。この場合においても帆船模型は破損せず、飲み口より外部にいかなる影響もなかった。一方、設置した風速計には損傷がみられる。



「本当に僕は大丈夫なんですよね」

「はい。先程説明したように、あなたをオブジェクトとして扱うことに決定した、というのは、精神負荷をかけるための虚偽でしたので」

酷く事務的な態度。拘束されて一晩を過ごすのは、確かに負荷として丁度良かっただろう。

冷静に、本当に冷静になれれば、そんなわけないと疑えたかもしれない。作らされた二つ目のボトルシップはぴくりとも動いちゃくれなかったわけだし──それはおそらく、喜ばしいことなのだけれど。

Safeクラスロッカーが開かれ、ボトルシップと最初の実験ぶりに対面する。聞くところによれば昨夜は大層な荒れ方だったようだが、今はそこまででもない。無風とはいかなくとも、船酔い程度で沈みはしない風だ。

ふむ、と、隣で彼がメモを取る。僕の作った、僕の心と同じような容れ物を見て。

マストがへし折れればいいのに、風はただ強くなるだけで。

それだけで。





補遺3: オブジェクトは研究の価値を疑問視され、現在Anomalous認定、もしくは破棄が検討されています。


何かを終わらせたら、次の一つを選ばなければならない。

報告書の最後の行を読み終えて、温いコーヒーに口をつける。春も中頃を過ぎているし、財団施設の暖房はそこまで効きにくいわけでもないけれど、指は未だ冷たい。そんな言い訳を一人しても、結局仕事は残っているわけで。報告書を閉じ、メールボックスを開く。

ここまで何も進んでいないのに、あの海はきっと荒れ続けている。清々しいほどに。







「追加実験ですか?」

「ええ」

野方と名乗ったその男は、応接室のソファーに浅く腰掛けて、話を始めた。

「SCP-3038-JPの発生に、そしてあなたに興味がありまして。まだあのオブジェクトには実験の余地があると考えています。蜜戸さんにはその実験に協力していただきたい」

「僕としては、あまり乗り気ではないんですが……」

あのボトルシップに関する実験で良い思いをした覚えがない。リラックスもストレスも絶えず観測されるのは、苦しくて二度とごめんだ。

しかし、野方さんは首を振る。

「ああ、いえ! こちらとしても、蜜戸さんの精神に負担がある実験を提案するつもりはありません。私がやりたい実験は、むしろもう少し直接的なアプローチなので」

「直接的な、というと?」

正直、やるつもりは全くない。けれど断るにも話くらいは聞いておきたかった。

「SCP-3038-JP、特に内部帆船模型の分解や再構成をしてみようと考えています」

「……なるほど。いや、でもあの船は壊れないはずでは?」

「オブジェクト保護の観点から確証は持てていませんが、あの破壊耐性は異常性によって生じた波浪に対してのみではないかと推測されています」

普通に組み立てたボトルシップが、普通に分解できる。オブジェクトのくせに、道理を通している。けれど。

「分解することによって何を分析したいのか、僕にはよくわからないのですが」

異常性を失うリスクすらある。現状の実験で十分異常性は解明されているはずだ。

僕の海に、これ以上どう踏み込むつもりだ?

「たとえばボトルを変更して、異常性が消失しないか。帆船のパーツを半分ほど差し替えて二つのボトルシップを作成した場合どのようになるか、などですね」

すでに廃棄も検討されたオブジェクトだからこそやりやすい、とも彼は付け加えた。

「異常性の核を探る試みが主となると思います。なにせ突然発生した異常ですし、その原理を追求することに意味はあるでしょう」

なるほど、と、頷いた。意味は理解した。意図も。その上で、やる気のない僕は首を振ろうとして──。

「このまま廃棄されるか、倉庫でそれに近い扱いをされるよりは、蜜戸さんも嬉しいことと思いますが」

──言葉に、詰まる。何か、それこそ心を見られているような、刺されたような不快に駆られ、口走る。

「いや、僕はその……別に、嬉しいとは思わないですが」

「そうなんですか?」

野方さんは驚いた、というようにこちらを見る。

「ボトルシップは時間もかかるものですし、何よりあなたの心を映すものでしょう? 愛着なんかもあるものかと」

「いや、すでにインタビューでも話しましたが、思いつきで作った初心者向けですし。嫌なことの方が多かったので。何より自分の心が見られるのは、あまりいい気はしません」

早口。どうして、僕は焦っているのだろう。

「そうだったんですね……」

残念そうに、野方さんは書類をまとめ、席を立つ。

「それではこのお話はなかったことで、お願いします」

「いや」

歩き出した彼を止めるため、僕は立った。

「少し、考えさせてください」

地面が揺れているような気がした。さながら、甲板のように。







思い出した。

ボトルシップを組み立てて、その帆船が小さな海へ進水した時。

僕は、「ああ、作ってよかった」と、ただそう思ったのだ。





補遺3: オブジェクトは研究の価値を疑問視され、現在Anomalous認定、もしくは破棄が検討されています。


「君は風のようだね」と、財団に入ってから会っていない友人に言われたのを覚えている。波風立てないのが目標の僕には、未だにこの言葉が引っかかっている。この心の風のせいで、生きる先には波ばかり立っている。

でも、その波に、風に、前に進めてもらったことも多い。ボトルの帆船は揺れているが、一度も沈んだことはない。

ピンセットを差し込む。ゆっくりと、慎重に。

作った人間が分解し、組み立て直せばまた何か起こるかもしれない。根拠の弱い推論だと思った。破棄しやすいオブジェクトでの、体のよい実験だとも。けれど、僕の緊張でより勢いを増す波浪を見て、僕はこの実験の成功を確信している。

この船は容易く折れない。この海は容易く枯れない。一晩で作られたかりそめだとしても──人の心は、簡単には死なない。

細いマストを、ピンセットの先が捉えた。





補遺3: オブジェクトは研究の価値を疑問視され、現在Anomalous認定、もしくは破棄が検討されています。 オブジェクトの研究は現在も継続されてい──
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