SCP-3054-JP
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アイテム番号: SCP-3054-JP

オブジェクトクラス: Euclid

特別収容プロトコル: SCP-3054-JPの収容は、その発現者であるSCP-3054-JP-αを収容することに主眼が置かれます。SCP-3054-JP-αは人工血液循環システム備え付きの医務室に収容し、必要に応じて医療措置を施します。

SCP-3054-JP-αの後継となる候補者をDクラス職員から選出してください。候補者は、死産ないし新生児との死別を経験していること・絶対的不妊であることの両条件を満たさなければなりません。両条件に該当する職員がいない場合、倫理的承認を受けたDクラス職員をSCP-3054-JP-αの候補者として選定し、妊娠・堕胎・不妊処置を施します。SCP-3054-JP-αが終了次第、当該の候補者にSCP-3054-JPを発現させることでSCP-3054-JPの収容状態を維持します。

前述の候補者ではなく民間人からSCP-3054-JP-αが発生した場合、カバーストーリー「出血性の奇病」を流布したうえで当該の人物を収容してください。

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『1973年春 愛する健太と』三浦正清医師、財団が確認できている最初のSCP-3054-JP-α

説明: SCP-3054-JPは瀬戸内海東部沿岸で発生する、ヒトへの致死性を伴う現象です。財団が確認できている限りにおいて、SCP-3054-JPは兵庫県明石市の海浜療養地クアオルト 蝦守郷えもりごう1 で1973年と1988~1990年に確認されています。現在、蝦守郷に付属していた不動産は財団に接収されており、蝦守郷に関係する医療従事者・入院患者には記憶処理が施されたうえで一般医療機関への異動・転院が行われています。

蝦守郷での診療記録およびに収容後の実験から、以下の条件に該当する人物がSCP-3054-JP発現の主対象 (SCP-3054-JP-α) となることが判明しています。

  • 胎児の死産ないし新生児との死別を経験している。
  • 生理的ないし物理的に、生殖機能を後天的に喪失している。

各月の満潮日の 01:00〜03:00(JST) の間、条件に該当する人物が瀬戸内海東部沿岸に滞在することでSCP-3054-JPが発現します。2 この際、後述するSCP-3054-JPの影響がSCP-3054-JP-αの配偶者にも発生します。SCP-3054-JPが同時に複数発現する例は確認されておらず、SCP-3054-JP-αが生存している限り、SCP-3054-JPは新たに発現しないと推測されています。

SCP-3054-JP-αは後述する特徴を有する霊的実体 (SCP-3054-JP-A) を知覚し始め、異常性の発現から約13か月後に循環血液量減少性ショックを理由に死亡しています。人工血液循環システムに繋がれた状態では、SCP-3054-JP発現から約3年後に慢性的失血の合併症を理由に死亡します。

SCP-3054-JP-Aは非敵対的と推測される霊的存在であり、以下の特徴を有します。

  • SCP-3054-JP-αとその配偶者以外には知覚が不可能である。SCP-3054-JP-αが終了した時点で当該の配偶者は知覚能力を喪失する。
  • 四肢を欠損していることを除き、外見的特徴はSCP-3054-JP-αが死別を経験した新生児に相似である。SCP-3054-JP-αが死産を経験している場合、出産が予定されていた実子と外見的に相似であると推測される。
  • SCP-3054-JP-αの皮膚に口部を吸着させることで血液を奪取する。これは頬や乳房などの柔軟な部位で顕著であり、吸着で生じた傷は自然治癒する過程を示さない。
  • ヒト同様に経時的に発達すると推測される。上述の血液奪取に関して、その奪取量はSCP-3054-JP-Aの発達段階(推定体積)におおむね比例し、輸血行為を伴わない場合には発現から12か月ほど経過した時点でSCP-3054-JP-αが死亡する。

SCP-3054-JP-αは自身を犠牲にしてSCP-3054-JP-Aを執着する傾向が認められますが、これがSCP-3054-JP-Aによる異常性に起因するものか、SCP-3054-JP-αの体験に起因するものかは明らかとなっていません。

補遺.3054-JP-1: 座間澄子氏の日記療法記録
以下は座間澄子氏 (1987年のSCP-3054-JP-α) の日記療法の記録からの抜粋です。座間澄子氏は蝦守郷入院の前年に陣痛促進剤による胎児死亡・子宮破裂の薬害3を被っており、子宮を全摘出していることからSCP-3054-JP発現の条件を満たしていました。

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座間澄子氏(左) 三浦由美子看護師(右)

1987/6/12
ユミコさんのひとこえで今日からひとり部屋へ移動することになりました。ほほのキズで感じる痛みも確かです。みなさんにはこの子が見えていないけれど、ユミコさんは信じてくれました。(ほんとうにありがとうございます) 仕事柄、ユーレイを信じてるって。私は夕子が帰ってきたのだと思っていますし、ユミコさんも肯定してくれました。

1987/6/13
ゆっちゃんの泣き声で目を覚まして、腕の中のゆっちゃんを見て、夢じゃなかったと安心すると同時に泣いてしまいました。縦に抱き直して胸によせるとゆっちゃんはおっぱいは吸わずに血を吸います。ゆっちゃんの耳は私そっくりで、目元は泰造さんにそっくりです。

1987/6/14
ユミコさんが言うには、ゆっちゃんは私の血でどんどん大きくなるって、そして吸う力もどんどん強くなるって。だから今から血を貯めておく必要があるらしいです。私ひとりの体じゃないってあたたかい言葉もいただきました。(ゆっちゃんがおなかの中にいた頃を思い出してやわらかなきもちになりました) 胸が弾むようなきもちでした。この子が私をママと呼ぶ声を私は聞きたい。

研究役注記
これ以降の日記はSCP-3054-JP-Aの成長過程を記載した「育児記録」と呼称できる内容が続く。また、座間澄子氏の配偶者であった座間泰造氏をSCP-3054-JP-Aに引き合わせる手筈を整えている旨、およびに体調の乱れを感じる頻度が増加している旨が綴られる。

1988/6/12
泰造さんは何もわかってない。私たちの子どもなのに。抱っこの重さもおぼつかない言葉もわかるはずなのに。どうして、あんな酷い言葉を言えるのか、あんな冷たい態度を見せるのか、わからない。

1988/6/21
ゆっちゃんに吸われるときに安らぎを感じられる。ユミコさんに輸血してもらうだけ忘れられる。血だけじゃなくて私のなかの悲しいものも吸われて無くなっていくみたいに。

1988/7/7
夕子にママと呼ばれる日まで生きたい。

研究役注記
以降の日付の記録は存在しない。座間澄子氏は1988年7月15日に循環血液量減少性ショックに起因する多臓器不全を理由に死亡している。

補遺.3054-JP-2: 三浦由美子氏へのインタビュー記録
以下は、蝦守郷の初代院長である三浦正清医師の配偶者であり、当時の看護部長であった三浦由美子氏を対象としたインタビュー記録の転写です。当該のインタビューは医療事故調査委員による聴取に偽装されたうえで実施され、この後に三浦由美子氏はSCP-3054-JP-αとして財団に収容下に置かれました。

日付: 1990/12/27

対象: 三浦由美子 氏

担当: 須美克彦 上級医学研究員

<記録開始>

須美研究員: えー、これより聴取記録を取らせていただきます。国の調査委員会より遣わされました須見と申します。三浦さん、念の為、お名前から仰ってもらってもよろしいですか?

三浦氏: 三浦由美子と申します。ゆは自由のゆ、みは美しい、こは子供の子で綴ります。

須美研究員: 本日は、三浦さんが勤められる精神病棟において、直近3年で複数発生しているステルベン4についてお伺いさせていただきたく思います。

三浦氏: えぇ、そのことについては存じております。存じておりますとも。

須美研究員: それでは、まず蝦守郷と三浦さんについて確認させてください。[資料を捲る音] まず、現在は看護部長として勤めておられますが、その前身となる療養所の時代からおられるのですね?

三浦氏: はい。国立の明石病院に属する療養所として建てられた頃より勤めておりました。現在は「蝦守郷」と名前こそ変えてはおりますが、元々はスモン5の患者様向けの療養所だったのです。結核の時代より明石にはサナトリウムがございましたのでその流れを汲んだのでしょうね。

須美研究員: 現在は婦人向けの、特に不幸な出産を経て精神に不調をきたしたご婦人向けの療養所、正しくは療養地とされておられますね?

三浦氏: 初代院長の意向によるものです。70年にはスモン患者様もご自宅にお戻りになり、建物だけが残ることとなりました。それを継ぎ、明石の海風や砂浜も治療的要因と捉えた正清さんは一帯も含めて療養地と定義しました。ですので療養所とは謳っていないのです。

須美研究員: 初代院長で「まさきよ」さんと申しますと、[資料を捲る音] 三浦正清さん?1973年に夭折されたご亭主の?

三浦氏: はい。

須美研究員: なるほど。初代院長の奥方ということでしたら看護婦長という役職にも納得です。関連しての確認ですが、経営方針や治療方針など、もしや現院長よりも最終決定権をお持ちの立場なのでは?

三浦氏: そう仰っていただいても半ば差し支えございません。うちの患者様は必然と女性ばかりでありますので。彼女らの辛苦を真に和らげられるのは同じ辛苦を味わった女性だけとも、そう思えます。そして悲しいことに、快復なさった患者様にえも言えぬ感情を抱く方もいらっしゃいます。人とは身勝手なものと率直に言えばそう思えるのです。子を喪った母親などは特に。

須美研究員: なるほど?[資料を捲る音] それでは本題に移りまして、座間澄子さん、織部康子さん、石森弥生さんについて、3名が亡くなった時分の看護担当は三浦さんであると記録されていますが、こちら誤りないですね?医院全体を統括する役職柄、患者様個人を直接担当されるのは滅多にないと思われますが?

[3秒の無音]

三浦氏: うまく言葉にできるかわかりませんが… 彼女たちは母親でしたので。特殊でした。ですので、直接に面倒を看させていただいておりました。

須美研究員: 母親とは?

三浦氏: つまり、子を授かったのです。

[5秒の無音、資料を捲る音]

須美研究員: すみません、こちらの診療録ではお三方ともに「陣痛促進剤による子宮破裂・胎児死亡を経験」と「子宮全摘出手術を受けている」旨が記載されていますし、他の病院の施術記録とも矛盾なく思えます。子を授かるとは?

三浦氏: 言葉の通りです。彼女たちと、おそらくはご亭主以外には感じることもできませんでしたが、明石の海から赤ん坊を授かったのだと思います。生きた子ではありませんが。

須美研究員: 俄かには信じられません。言葉を憚らずに言ってしまえば、それこそ精神的な、精神の錯乱に起因するものでは?

三浦氏: いえ、いえ。私も経験したことでしたので確かです。確かに水子の痕がございました。

須美研究員: 経験なさった?

三浦氏: えぇ、真に子を授かったのは正清さんですけれども。

[5秒の無音、資料を捲る音]

須美研究員: 資料には「重篤な輸血合併症を伴う病を理由に死亡」と記録されています。まずは旦那様の死因について、詳細に伺ってもよろしいですか?

三浦氏: えぇ。先に申しておきますと「病」と呼ばれるのは好い気がしません。かたちはともあれ、喪った子が帰って来たのだと思っております。感傷的な、四半世紀ほど前の話をしても?

須美研究員: どうぞ。

[以降の音声は須美研究員の慌ただしい筆記音と共に記録される。]

三浦氏: 元々、私は東京の愛育医院に勤めておりました。正清さんと出会ったのもそちらで、60年の頃です。白黒ではなくカラーのドラマがテレビで初めて流れた頃と、恋愛結婚が辛うじてまだ少数側の時代だったと記憶しています。正清さんと私の子は生き永らえることもできず、腕に抱いたのは一週間とありませんでした。正清さんのお母様には冷たい言葉も投げられました、全て覚えております。それらを忘れるように仕事に没頭して1年と半年が経た頃、正清さんのムンプス6で私たちは子供の望めぬようになりました。弱り目に祟り目とはこのことを言うのですね。全て忘れるべく東京から抜け出しました。ちょうどスモン患者様のための療養所が明石に建てられた折のことでした。

須美研究員: なるほど。正清さんが蝦守郷を開院なさったのはお二人自身のためでもあったのでしょうか?

三浦氏: そうですね。もしかしたらそうだったのかもしれません。それに、あの人はドイツの医術というものを信奉していたので、そこに救いを求めたのかもしれません。

須美研究員: [資料を捲る音] それが「クアオルト」ですか?

三浦氏: えぇ、えぇ。最新の自然療法と申しておりました。湯治や森林浴や月光浴など、治療の一環として試しておりました。

須美研究員: 興味本位で恐縮ですが、療法として効能はあったのですか?月光浴など、特に訝しく思えますが。

三浦氏: 何かを喪った人ほど別の何かに縋りたくなるものです、それが非論理的であっても、無理のある話でも。それに効果はあったのでしょう、正清さんが健太を授かったのは明石の浜の月光浴ででした。甚く脱線してしまいましたが、気になさっている本題はこちらでよろしいですね?

須美研究員: はい、是非お聞かせください。

三浦氏: 月の出から月の入まで、波打ち際で一夜を共にしました。6月半ばの撫でるような浜風と果てなく折り重なる潮騒に包まれて、それがいつからだったのかは分かりません。微睡みの中、傍らで赤ん坊の泣き声がしたような気がして私は目を覚ましました。正清さんの方を見遣ると懐に小さな子を抱えているのです。月影に照らされた頬から血を流しながら「健太だよ」と、そう私に申しました。

須美研究員: 「けんた」とは、[資料を捲る音] 先ほど仰っていた、ご逝去されたお子様ですね?何ゆえにそう確信されたでしょう?

三浦氏: 背中に痣があったからです。健太には血管腫がございまして、この拳ほどの大きさで、もみじのような痣でした。「背中で良かった、顔にでもできていたら」なんて、抱いた健太の背を眺めながら安堵したことを強く覚えています。正清さんが抱く子には両の手も足もありませんでしたが、確信しました。正清さんも同じです。この奇妙な奇跡を、今度こそ大切にしようと契りました。

須美研究員: それは… 他の方々はどう反応されたのでしょう?赤ん坊を連れ帰ってくるなんて、俄かには受け入れられないでしょう?

三浦氏: 他の方には見ることも聞くことも触ることも適いませんでした。初めは、二人して気狂いになったのやもと思いました。ですが、正清さんの頬に付けた傷痕が証です。正清さんも傷を隠すことをしませんでした、健太がこの世にいることの印をどうして隠すことがありましょうか。

[須美研究員の筆記音が一時止む、4秒の無音]

三浦氏: 人の生き死にが傍にある医療に従事している者であれば、例えば、夜勤の廊下や患者様が亡くなられた後の病床で尋常でない経験の1つや2つしているものです。それは私も同じで、それ故に霊魂の存在というものを私は否定できません。この健太は私たちと同じ命を持っていなくとも、別のかたちで確かに在るものなのだと思い至りました。

須美研究員: 個人的には興味深く感じられますね。お二人以外に干渉することはあったのでしょうか?例えば、言い方が正しいか分かりませんが、他の方に憑りついたりというのは?

三浦氏: 生きていた頃と変わらず、か弱く、ただ私たちにのみ縋る存在でした。変わったのは手も足もなく、母の代わりに父から、乳の代わりに血を吸うことだけ。健太が大きくなるにつれ正清さんは痩せ細り、翌年の海開きの頃には帰らぬ人となりました。

須美研究員: それでは健太さんは?

三浦氏: 健太も消えてしまいました。私、奇跡がもう一度起きることに焦がれて満月の日にはいつも浜へ足を運んだのです。ですが、健太に逢うことも叶わず、健太が幻でなかったことを確認するために患者様も巻き込みました。満月の日の月光浴を蝦守郷の慣例行事として継続させました。

須美研究員: なるほど。正清さんの亡くなられた経緯については概ね把握しました。同様の現象が、座間さんたちも自身の水子に逢われたということですね?

三浦氏: えぇ。

須美研究員: 何故でしょう?正清さんの事象が15年前です、どうして今になって同様の事象が発生したのでしょう? [資料を捲る音] 片やムンプスによる無精子症で、片や子宮破裂後の子宮全摘出が、もしや、子を作られぬ体が関係するのでしょうか。

三浦氏: 私はそう思っております。彼女たち以前には子を孕むことのできない体の患者様は当院におりませんでしたので。座間さんの頬の丸い傷跡を見て私はすぐさまに思い至りました。そして、特別に彼女たちを手当てしました。

須美研究員: 手当てと申しますと?

三浦氏: 一番は貯血でしょう。正清さんの最期は輸血した余所様の血に食われました。7 彼女たちを長らく生かすには自身の血を保存しておくべきと思っておりました。貴女ひとりの身体ではないのだから肉体的にも精神的にも健康でありなさいとも、そう説きました。精神薬を投与された体から吸われた血が悪影響しないとも限りませんので。

須美研究員: なるほど。[資料を捲る音] 座間さんの日記ともそう矛盾ないですね。

[3秒の無音]

須美研究員: 1点確認させてください。座間さん、織部さん、石森さん、水子を確認されてから亡くなるまでの日数がお三方ともに完全に一致しているのですが、この日は症状が急変したものだったのでしょうか? [筆記音] もしかして、正清さんが亡くなるまでの日数とも合致している?この日に水子に憑り殺されたりなど、あったのでしょうか?

[3秒の無音]

須美研究員: 石森さんのゼク8によりますと、確かに多臓器不全を原因として亡くなられているようですがこれは組織灌流の低下によるもののようです。

三浦氏: つまり?

須美研究員: 看護婦として長い三浦さんでしたらお分かりでしょう。少なくとも石森さんは大量失血で亡くなられたようです。正清さんとは死因が異なります。出血量が急増するなど、いつもとは様子が変わったのでしょうか?

[4秒の無音]

三浦氏: 私からも1つ伺ってよろしい?

須美研究員: はい?どうぞ。

三浦氏: あなた、調査委員から遣わされたと仰ってましたけれども、違いますわよね?

須美研究員: いえ、自分は確かにー

三浦氏: どうか、最後まで聞いてください。一番熱心に「赤子の幽霊」について記録されていた様子でしたけれど。あのような戯言など、調査する側からしたら一蹴してしかるべきものでしょうに、可笑しなことに貴方は信じている。それに加えて医術の心得があるのは確かなご様子、どこか上等な医療施設に属しているか、そうでなくともいづこかご紹介いただけるのでは?

須美研究員: 思い違いですー

三浦氏: いえ、いえ、思い違いだとしても、どうか1つ頼まれていただきたいのです。

[3秒の無音]

三浦氏: もう暫く私を生かしていただけないでしょうか?

[5秒の無音]

須美研究員: もしかして、今はあなたが?

三浦氏: えぇ、えぇ。やはり信じていただけるのですね。そうです。左右の胸と左の腹に傷痕がございます。今は股座の間に乗せております。変わらずに愛おしい背中の痣がございます。当院の設備では、この老いた体ではふた月と経たずに地獄行きでしょう。

須美研究員: ですが、あなたは子宮の摘出もしていないはず。何も異常はないはずでしょう?

三浦氏: 齢も52を過ぎて遂に私の胎は枯れ、もはや子を産むこともできないのです。

須美研究員: なるほど… 閉経も赤子の作れない身体と見做されるのですか…

三浦氏: えぇ、えぇ。そのようにございます。先程の疑問にお答えします、知りたいことが他にございましたら知る限りお教えいたします。ですので、私を生かしていただけませんか。

[10秒の無音]

須美研究員: 分かりました。善処します。とにかく、暫くはこちらで勾留したうえで聴取を続けることになるかと思います。

三浦氏: あぁ、そう答えていただけて大変嬉しく思います。先程のあなたの疑問は当然です。あの日、この子はいつもと変わりありません、いつもと変わらず3Lほどの血を吸っておりました。そして、座間澄子さんと織部康子さんと石森弥生さんへ、私は輸血することなく見殺しにいたしました。

須美研究員: それは何故にー

三浦氏: 不公平ではありませんか。

須美研究員: 不公平?

三浦氏: 正清さんは13か月と3日で逝きました。この子に父と呼ばれることはついぞございませんでした。彼女たちは若く、輸血さえあれば少なくともあと半年は生きたでしょう。そうしたならば彼女たちのお子は育ち、彼女たちはお子に母と呼ばれるのです。そんなもの不公平ではありませんか。

須美研究員: すみません。私は… 私には分かりません。あなたをこちらで受け入れることになるでしょうが、あなたの言い分が理解できていません。

三浦氏: 先にも申し上げました、人は身勝手なものです。そして、荒唐無稽な思い違いであっても治療法であっても、縋りたくなってしまうのが人なのです。子を喪った母親などは特に。

[3秒の無音]

三浦氏: 今度こそ、この子が私を母と呼ぶ声を聞きたいのです。

<記録終了>

上述の遣り取りを経て、財団の管理下に入った三浦由美子氏の聴取内容からSCP-3054-JPの特別収容プロトコルの草稿が作成されました。

補遺.3054-JP-3: 三浦由美子氏の詠唱
以下の記録は三浦由美子氏 (1991年~1993年のSCP-3054-JP-α) による詠唱の転写です。収容室内の監視カメラの映像から、SCP-3054-JP-Aへの子守唄として歌われていたものと推測されています。

物悲ものがな物悲ものがな
父母かぞいろはてられたるみずからをも見捨みす
いささかうらみもたずあいねがいぬ

心安こころやす心安こころやす
あやまちてみしかなすえ
ゆえにこそつかわしじょうくしぬ

れらはだえいつわりならんや
なんじははこえにてやすらぎぬ
こえにてなんじこころさだまりぬ

れら母子ははこなからいいつわりならんや
すでにゆくともおもんぱからうべからず
あらたなる垂乳根たらちねなんじいのちたくすればこそ

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