SCP-3156-JP
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アイテム番号: SCP-3156-JP

オブジェクトクラス: Neutralized

特別収容プロトコル: SCP-3156-JPは1961年を境に絶滅したと考えられています。SCP-3156-JPと推定される個体はサイト-81██内の冷凍保管チャンバー内で保管されています。

説明: SCP-3156-JPは長野県上伊奈郡を中心に生息していた異常性を持つ人型実体の総称です。SCP-3156-JPは全て女性形で、人間の男性に強い恋愛感情を抱いた際に異常性を発現します。SCP-3156-JPに恋愛感情を抱かれた対象はSCP-3156-JPからの命令に必ず従おうとします。この精神影響を除去する方法1は確認されていません。

SCP-3156-JPは人間の女性と機能的な差異が極めて少なく、人間との交配が可能です。SCP-3156-JPは異常性発現後は身体能力が向上するほか、食性が肉食性に変化2し、強い性衝動が発生します。SCP-3156-JPが対象と交配した場合、SCP-3156-JPは必ず対象を捕食しようとします。対象の捕食に成功するとSCP-3156-JPは必ず妊娠します3。それ以降は人間と全く同様のプロセスで出産しますが、この時に生まれる子供は必ず生物学上の女性で、SCP-3156-JPと同様の性質を持ちます。

SCP-3156-JPは西暦1423年、要注意団体の"蒐集院"により長野県上伊那郡で発見されました。蒐集院はSCP-3156-JPを"蟷螂女"と呼称し監視下に置いていました。近代化に伴いSCP-3156-JP個体数の減少が確認されたため、蒐集院は1911年にSCP-3156-JPを保護区に集め、個体数管理を開始しました。蒐集院の措置により個体数の減少に歯止めがかかったものの、第二次世界大戦によりSCP-3156-JP保護区が空襲による被害を受けました。この戦禍により、SCP-3156-JP及び資料の大部分が焼損しました。

以下は焼損から復元された蒐集院の資料の一部です。

蟷螂はその特異な形態や性質により、古来から人々に強い印象を与えてきた生物だ。蟷螂をもとにした逸話は枚挙に暇がない。例えば、蟷螂は獲物が近付くまで草木に擬態し微動だにしないような強い忍耐力と執着心を持つ。また、体の大きさに比して力が強く、小型の鳥すらも捕食する。その攻撃的な面を持つ一方で、前足の鎌を揃える外観は信心深さに結び付けられ、拝み虫とも呼ばれてきた。

また、交尾中に雌が雄を捕らえて捕食する話も有名だ。これには理由があり、雌が雄を捕食して栄養補給をする事で、雌はより多くの卵を産む事が出来るようになる。とは言えこれは雌側の理屈であり、雄は黙ってその身を捧げる訳ではなく逃走する可能性の方が高い。このように交尾相手を捕食する奇異な特性から、蟷螂は毒婦の代名詞として用いられている。

こうして見ると、前述の蟷螂女の性質は実在の蟷螂の印象に近いが、生態そのものが反映されている訳ではない事がわかるだろう。これは蟷螂女の成り立ちが関係している。信濃国伊奈郡の一部地域に蟷螂女の伝承が見られるのだが、蟷螂女はその伝承により生まれた、あるいは元来の性質が変容した怪異であり、蟷螂女は蟷螂と聞いて人々が想起した性質を持っていると考えられている。

また、この蟷螂女の伝承は伊奈郡で伝えられていた以下の二件の伝承を基に作られたものとされている。この伝承の考察については後述するが、簡潔にまとめると前者は悲恋、後者は毒婦の伝承で、蟷螂と毒婦と言う性質が結び付けられた形になる。これらは蟷螂女の本質を表しており、蟷螂女と言う怪異を理解する上で重要な点となるだろう。

ある所に、人間に憧れる蟷螂がいた。蟷螂が人間になれるように祈り続けていたところ、諏訪大明神がご利益を与えて人間の女性にして下さった。蟷螂となった女は人里に降り、生活を始めた。やがて村の男と恋に落ちた。
だが、蟷螂であった頃の性質が抜ける事はなかった。夫はまぐわった際に嫁に嚙みつかれたり、夜中に隠れて虫を食べている姿を見て、妻の正体が化け物なのではないかと疑うようになり、遠くに逃げてしまった。一人になった女は男が帰ってくるよう祈り続けていたが、もう帰って来る事は無いと悟ると川に身を投げてしまった。
その姿を哀れに思った諏訪大明神は、蟷螂を神使の一つとして用いるようになった。諏訪大社の宝殿に蟷螂の絵が見られるのはそのためである。

ある村に独り身の女がいた。その女はたいそうな醜女で、蟷螂を思わせるような外見だったという。女は村一番の善良な孝行者の男を好いており、振り向いてもらえるようよく神様に祈っていた。その思いが通じたのか、女の枕元に神様が現れ、人心を操る術を授かったそうだ。そして、女は男の心を操り結ばれる事となった。
だが、その男は病気の母の薬代のために借金をしていた。女は男の事は愛していたものの、いつまで経っても貧乏暮らしな上に、常に病気の母を気遣う男を見て不満を募らせていき、やがて病気の母が早く死なないかと願うようになって行った。
そして大雨が続いたある日の夜、男は女に病気の母を連れて高台に逃げてくれないかと頼むと、村の男衆たちと堤防の補修に向かった。村の男衆の尽力により全員が十分に避難する余裕はあったが、女はこれ幸いと病気の母を置いて逃げ出した。高台で男と女は合流したが、母がいない事を知ると助けに戻ろうとした。女は男を止めようとすがりついたが、男は振り払って洪水の迫る家に向かった。女は男の帰りを待ったが、二度と男が帰ってくることは無かった。

(以後焼失により解読不能)

第二次世界大戦後、蒐集院から財団に異常存在及びその資料が引き継がれましたが、上記の理由によりSCP-3156-JPは正常に引継ぎが行われておらず、財団でSCP-3156-JPの存在が初めて確認されたのは1960年でした。その後の調査の結果、数体のSCP-3156-JPが戦禍から逃れていた事が判明しましたが、いずれも数年後に死亡届が出されている事が確認されました。財団はSCP-3156-JPの資料を補充するため、蒐集院の資料の復元と並行して空襲から逃れていたSCP-3156-JPの足跡を追い、現地調査が行われました。

補遺1: 1961/10/15、SCP-3156-JPの足跡を追っていたAgt.小笠原からの定期連絡報告が途絶えました。調査の結果、Agt.小笠原は長野県██川流域で10代女性の遺体と折り重なった状態で遺体となって発見されました。Agt.小笠原及び女性の死因はいずれも刃物による頸部殺傷によるものと推定されています。また、女性は内臓が刃物により摘出された状態4でした。Agt.小笠原の定期報告及び残された資料から、10代女性は過去に死亡届が提出されていたSCP-3156-JP個体の内の一人と考えられています。

以下はAgt.小笠原が現地に残していた手記及び映像・音声記録の写しです。


Agt.小笠原の手記1

1961/06/08
蟷螂女5がしばらくの間生活していたとされる村に到着した。蟷螂女は戦時中に娘を連れてこの村に疎開したようだが、母子ともに8年前に死亡届が出されている。8年も前の事なのであまり情報は残っていないかもしれないが、他に手がかりも無いので仕方ないだろう。
渉外部もこの程度の任務にややこしい立場6を用意したものだと思ったが、今回ばかりは感謝しかない。先ほどこの村の顔役の地主に挨拶をしてきたのだが、この村は余所者への警戒心が強いらしい。姿は見えないが、監視されているように感じる。村のために来た医師と言う肩書が無ければ一苦労していたんじゃないかと思う。

1961/06/11
昨日の夜は私の歓迎会だった。おらが村に医者が来たのがよっぽど嬉しかったのか村人総出の会になった。集まった住民を見ていて思ったのだが、この村はやけに男性の数が少ない。戦争に招集された事を踏まえても少なすぎる。集まった所を見ると良く分かるが、ほぼ年寄りか成人前の若者しかいない。女性陣から熱烈なアピールを受けたのは気のせいではないだろう。お見合いと勘違いしてるんじゃなかろうかと言う位だった。年齢層の偏りは風土病の影響かとも思ったが、この地方の風土病は老若男女問わず発症しているようだ。決めつけるのは早計だが、蟷螂女がこの村で色々やらかしていた可能性を考慮しておいた方が良さそうだ。

1961/06/30
財団の解析班から風土病の調査結果の連絡が来た。症状を見た段階で予想はしていたが、他の地域でも見られる水を介して感染する非異常の寄生虫で間違いない。風土病の症状は、長い年月を経て内臓に異常をきたし腹水がたまった頃には死に至るというものだ。根本的な解決とはいかないが財団製の虫下しで治療は可能なので、頃合いを見て送って貰う事とする。村への情報料としてはこれで十分だろう。風土病の研究と言う建前の問題は解決したので、後は蟷螂女の調査に集中するだけで良さそうだ。
聞いたところによると蟷螂女の死因は風土病で、住んでいた家は空き家のままだそうだ。ついでに蟷螂女に関連しそうな話を村の人に色々聞いてみたが、ほとんどが知らない、覚えてないという反応だった。唯一聞けたのは小さい娘を置いて男漁りをしていたという話くらいだ。蒐集院の管理下から離れた事で欲求が爆発したのだろう。周囲からすればたまったものではないのだが。ともかく家に関しては村の地主が管理しているようなので、後で調べさせてもらおう。

1961/07/15
地主に話を通し、蟷螂女の住んでいた家を調べさせてもらった。埃が溜まっている以外は何もない家に見えたが、念のためルミノール溶液をかけると夥しい量、人が殺されたくらいの血液が飛び散っているのが分かった。少なくとも蟷螂女の死因と聞いた風土病に血を撒き散らすような症状は無い。
普通に考えると蟷螂女が村人を食い殺したか、蟷螂女が殺されたと言う事だろうが、前者は考えづらい。食い殺す事での足が付く可能性が高まる事や捕食後の後始末を考えれば、あえて男を自分の家に呼び寄せる必要はないだろう。後者に関しては正直なところ心当たりしかない。蟷螂女が男漁りをすれば恨みを買うし、狙われた男ばかり失踪すれば怪しまれて当然だ。村人達の怒りで私刑が発生したとしてもおかしくはない。
法の裁きを、などと言うつもりは更々無いが、本当に蟷螂女を殺していたとすると村人達の口は重そうだ。厄介な事になったものだ。


1961/07/27
村人達から蟷螂女についてそれとなく聞き出そうとしているがやはり成果はない。地道に信頼関係を築いていくしかないだろう。
地主の家で話をして帰ろうとした時、土蔵の前を通ると妙な視線を感じた。ふと気になって土蔵の通気口に明かりを向けると、知らない女性の顔が浮かび上がった。財団のエージェントとして情けない話だが不意打ちだったので腰が抜けるくらい驚いてしまった。まあ、よく見てみるとただの細身の女性だったのだが。今回の任務が単独での潜入任務で良かった。もし共同任務だった場合、1ヶ月くらいは相方に腰を抜かした時の顔を真似されていただろう。
私が醜態を晒していると、その女性からは蚊の泣くような声で怖がらないでほしいと言われてしまった。女性相手に申し訳ない事をしたと思う。地主に事情を聴くと、あれは地主の孫娘らしい。名は富江。気狂いとなってしまったため土蔵を改造した座敷牢で生活しており、地主のもう一人の孫娘がその世話をしているそうだ。地主に診察をさせて貰いたいと言うと、身内の恥なので、と断られてしまった。
彼女はある意味で村の共同体から外れた人物だ。もし蟷螂女の事を知っていたとしたら、教えてくれるかもしれない。出来ればもう少し話をしたい所だ。

1961/08/20
あれから何度か座敷牢の女性の診察をしようかと申し出たのだが、地主を怒らせてしまった。これ以上話を持って行くと調査に支障が出そうだ。これは極力避けたかったのだが、世話役の孫娘から攻める事にした。例の世話役は前の歓迎会で私の方をチラチラと見ていた子だ。甘い言葉を囁いたり、贈り物を渡したりと機嫌を取ったところ、私のお願いは大体聞いてくれるようになった。内緒で座敷牢に入れて欲しいと頼むと少し嫌な顔をされたが、何とか入る事に成功した。
富江は話しかけても反応が乏しかった。ぶつぶつと何かを呟いており、表情の変化もほとんど見られない。地主の言うように一見すると精神病にしか見えなかったが、会話を続けていくとそうでは無い事がわかった。話の受け答えの内容自体はしっかりしており、頭の回転もかなり早いようだ。挙動が不自然なのはまだ極端に人との会話経験が少ないという所が大きく、呟いている言葉も良く聞くと神様への唱詞のようだ。

1961/09/07
富江への診察は今も続いている。最初は反応が乏しかったものの、心を開いてくれるようになってきた。世間話を交えて生い立ちなどを聞いてみると、座敷牢の外に出る事は許されておらず、世話役の娘も最低限の会話しかしないらしい。世話役の娘がたまに置いていく、いらなくなった本を読みふける位しか楽しみが無かったようだ。今は私との会話が生き甲斐で、私に会えたのは神様に祈り続けたお陰だと言っていた。
世話役の娘に『座敷牢の子とあまり似てないね』、と軽口を言ったところ、あれは化け物の子だと言い出した。それは本当かと聞くと、親が化け物退治の後に拾ってきたと言っているのを聞いたのだと言う。これは調査が必要そうだ。

1961/09/08
彼女の遺伝子情報を調査するため、体毛を採取する事にした。富江に髪を貰っても良いかと聞くと迷わず富江は自身の髪を引っ張り始めたので、抜け落ちたもので十分だと慌てて止める羽目になった。年頃の娘に髪が欲しいと言うと気味悪がられると思ったので、病気の検査と言う建前を準備していたのだが。病気の検査の話をすると、自分を気遣ってくれるのは先生だけだと嬉しそうにしていた。
抜け落ちた髪を拾い集めた時に改めて感じた事だが、富江の居住環境はよろしくない。座敷牢と言う事を踏まえれば劣悪とまでは言えないが、閉じ込められていたらいつか病気になってもおかしくはないだろう。富江の話によると私が見る前は今より酷かったらしく、今も見えない所で嫌がらせをされているそうだ。実際私が見に行ったタイミングで世話役の娘が富江を叩いている姿を見かけた事もある。世話役の娘に富江に優しくするよう伝えてみたが、嫌そうな顔をされただけで終わった。

1961/09/20
財団の解析班から結果が送られてきた。以前送った蟷螂女の家から採取された血痕の人物と、富江は親子関係にある事が分かった。また、家から採取された髪の毛の一部は富江と同一人物だった。ついでに世話役の子の髪の毛も送ったが、富江とは血の繋がりが無かった。
つまり、富江は疎開した蟷螂女の娘の可能性が高い。今まで蟷螂女に関する足跡を調べるためにこの村に滞在していたが、蟷螂女本人を見つけたというのなら話は別になる。富江の健康状態が悪くならないうちに財団へ連れて行くべきだが、地主の反応を見る限り富江を穏便な形で移送するのは難しいだろう。
彼女にここより環境の良い保護施設に移らないかと提案すると、今すぐにでも連れ出してほしいと答えた。よっぽどこの環境が嫌なのだろう。個人的な感情で言えば、私もこの村にいたいとは思えない。

1961/09/22
富江を連れ出す算段が立った。まずは世話役の娘から借りて作っておいた土蔵の合鍵を使い、深夜の内に村を抜け出す。その後、近隣に留めていた車を使って財団の施設に逃げ込む。荒っぽくはあるが、すぐに村を抜けるならこの方法しかない。彼女は座敷牢に入っていた割にあまり足腰が弱っていないように見える。私と一緒に少しの距離を走るくらいはできるだろう。
応援を要請するのも考えたが、事態は一刻を争う。いくら財団が迅速でも、この僻地に到着するまでに一週間はかかるはずだ。村人に不審がられる前に、さっさとここをお暇しよう。


1961/09/23
脱出計画は、限りなく失敗に近い成功を収めた。座敷牢から逃げ出す事に成功はしたが、私は足を大怪我し、人里離れた川辺で財団の救助を待つ羽目になってしまった。
二人揃って土蔵を出たところを世話役の娘に見られた。いつもあの時間は見かけないはずだが、虫の報せというやつかもしれない。それをきっかけに、村人総出で追われる事になったのがケチの付け始めだった。私を追っていた時の村人達の話声を聞く限り、私は地主の孫娘をもて遊んで土蔵の座敷牢に忍び込むクソ野郎と言う評価になっていた。まあ、そこは言い訳しようのない事実なのだが。
車は使えず、富江を連れて自分の足で村人の捜索網を抜ける事になった。だが、すぐに富江の体力が尽きた。やむを得ず富江を抱えて走ったのだが、追い立てられるうちに崖から川に飛び降りる羽目になり、かなりの距離を流された。何とか川岸に流れ着いたが、富江を庇いながら高所から飛び降りた際に私の片足が折れてしまった。彼女は無事だが、長距離を歩くのは難しそうだ。
定期連絡が途絶えれば、しばらくすれば財団は捜索に来るだろう。それまでここで生き延びなければならない。
結果として、応援を待つより厄介な状況を招いてしまった。計画を実行するより先に、財団へ事前に事情を伝えるべきだった。財団の支援があればここまで苦しい状況にもならなかったはずだ。助けたいという気持ちが先走り過ぎていたのだろうか。自分でも何故その程度の判断が出来なかったのか分からない。

1961/09/26
資料や荷物の多くは川で流された際に無くしたか使い物にならなくなっていた。歩けない以上探す手段も無い。村での調査が水の泡とまではいかないが、インタビュー用の撮影機材くらいしか残らなかった。
とはいえ、悪い話ばかりでもない。長い距離を川で流されたのが功を奏したのか、追手らしき者の気配は無さそうだ。さらに富江は思っていた以上に働いてくれており、簡易的ではあるが寝泊り出来る環境を整える事ができた。野草や木の実も発見できたので、冬を迎えるまでは耐え凌げるはずだ。十分とは言えないが、命を繋ぐ最低限の生活は確保できたと見ていい。
働いている富江は楽しそうで、不満一つ漏らさず動いてくれている。以前の富江が神様に祈っている姿は切実さがあったが、今は笑顔を見せる事もある位だ。座敷牢にいたときは決して笑う素振りなど見せなかったのに。そんなに村が嫌だったのかと聞くと、初めて得られた自由が嬉しいのだと言った。空、雲、川、森。花には蝶。文字の存在でしかなかったものが、今は目の前に広がっている。私がこの状況を絶望的と捉えていないのは、彼女によるところが大きいのかもしれない。

1961/09/28
厄介な状況になっている事が分かった。どうも彼女はこの脱出劇を、小説のような駆け落ちだと認識していたらしい。何度も逢瀬を重ね、追われる中で崖から飛び降りるなど刺激が大きすぎたようだ。今から考えるともう少し距離を置くべきだったと思う。
一度話を始めると、彼女は堰を切ったように夢物語を話しはじめた。孤独な幽閉生活の中で育まれた想像力は止まる事を知らなかった。これからどうしたいか。まずは東京に行って部屋を借り、女でもできる仕事をしてみたいのだと、途切れる事なく話し続けた。もちろん、その夢の中には私も含まれているようだった。
残念ながら、その夢は実現しない。私の役割は富江を、蟷螂女を財団に引き渡す事だ。彼女が思い描いている夢を踏みにじってでも、それは果たさなくてはならない。けれど、矛盾した感情を抱きもする。彼女の夢が叶えばいいと、頷いてしまいそうになるのだ。語り続ける彼女に、無責任な笑みを返してしまう。彼女を引き渡した時の事を考えると胸が苦しくなる。

1961/09/30
富江は既に、蟷螂女の特性を発現させていて、私はその精神影響を受けている。今更な話だがようやく自覚出来た。
一日の仕事を終え、二人で話していたときの事だ。富江は私の手を取り顔を覗き込むようにして、愛してほしいと言った。瞬間、私は無意識に手を伸ばし、彼女の肩を掴みかけた。ただそうするのが自然だとでも言うように、私の身体は衝動に突き動かされてしまった。
その時、財団職員の本能ともいうべきか、私の体が意に反して彼女を突き飛ばした。彼女に謝罪し、頭を冷やそうと寝床に戻って手帳などを読み返してみて、ようやく影響を受けている事を自覚出来た。
自分事と認識せずに、精神影響を受ける収容対象に無防備で近付く状況を考えると恐ろしい話だと分かるのだが、それを彼女に当てはめようとするとどうしても考えがまとまらない。彼女への恐怖心に繋がるような考えが阻害されているようだ。何かがまずい気がする。が、何がまずいのか分からない。手帳からはっきりと読み取れたのは、彼女が私に好意を向けているという事実だけ。


1961/10/01
富江を傷つけてしまった。
どう考えているか教えてほしいと、彼女は恥ずかしそうに私に聞いてきた。その時点で、彼女は自身の特性を理解していない事が分かった。彼女自身は純粋に告白をどう思っているか知りたかっただけなのだろう。全てを説明するのは安全な場所に辿り着いてからにしようと答えを濁そうとしたが、逆効果だったようだ。今考えている事を全部話して、と彼女に命じられてしまったからだ。
そして、一切合切を話す羽目になった。村の事、蟷螂女が持つ特性の事、それから、彼女の母親の事。私は財団と言う組織に所属しており、財団の任務を最優先している事。私が財団に彼女を引き渡すともう彼女は収容室から出られなくなる事。自身の口をふさぐ事も出来ず、辛そうな顔をする彼女を横目にひたすら話し続けた。
一つ伝えるごとに彼女の顔は曇っていき、可哀想に最後には泣き出していた。しばらく一人にしてほしいと私に告げて、川の流れを目で追っていた。彼女と話をするのは明日にする。自分でも何を話すか分からないので、撮影機材を回して臨もうと思う。


映像ログ1

1961/10/02


Agt.小笠原: よし、それじゃあ話していこうか。

SCP-3156-JP: 話すって、何について。

Agt.小笠原: そうだな。まずは君が何を感じているか、それについて教えてほしい。

SCP-3156-JP: 昨日とは逆だね。うん……何か、よく分からない。いろんなことをいっぺんに教えられて、頭が割れちゃいそう。財団の話なんかは冗談かと思ったけど、母さんの事を出してきた辺りで本当なんだと思った。お前の母親は怪物で、子供の私は怪物の子。ずっとそう言われて隠されて生きてきたから。村の人達が外に伝える訳もないし、普通ならそんな事外の人が知ってるはずもないよね。先生が諜報員なのも少し納得したかな。[発言の後、息を吐く]

Agt.小笠原: どうかしたかい?

SCP-3156-JP: これも小説みたいだな、と思って。先生、明智小五郎みたいなところがあるじゃない。だから探偵様が私を助けに来たんだって、ずっと思ってたの。けど、怪人は私だったんだよね。人に化けた蟷螂女。お前は人間じゃなくて蟷螂なんだと言われて、気持ち悪い虫を食べさせられた事もあったかな。村の人が膨らませた法螺話だと思ってたけど、それすら本当だったなんて。ねぇ、先生。

Agt.小笠原: 何かな。

SCP-3156-JP: 先生は、私を殺す?

Agt.小笠原: 殺さない。私が所属している財団は収容、確保、保護を目的とした組織だからね。君は安全な場所で過ごすことが出来るはずだ。

SCP-3156-JP: でも、そこに行ったらもう二度と先生には会えないんでしょう?

Agt.小笠原: おそらくは。少なくとも、こうやって触れ合う事の出来るような距離で会う事はできなくなる。

SCP-3156-JP: なら、座敷牢より辛いかもね。先生、もう一つ聞いてもいい?

Agt.小笠原: あぁ。

SCP-3156-JP: もしね、仮になんだけど、私と一緒に死んでと言ったら、死んでくれる?

Agt.小笠原: 君がそう言ったら、逆らうことはできないだろうね。例えば、昨日君が見たように。

SCP-3156-JP: でも、そうされると、先生は困るんだよね。先生は今、私の事を愛してくれているけど、本当はもっと大事な事が他にあるんだよね。ほら、先生って責任感強い人だから。

[10秒間の沈黙]

SCP-3156-JP: やっぱりそうなんだね。あのさ、昨日から色々考えていたの。今の先生の態度を見てようやく決心したの。

Agt.小笠原: どうするんだ?

SCP-3156-JP: この川に飛び込む。三日後、一人でね。

Agt.小笠原: どうしてだ。早まる事はないだろう。

SCP-3156-JP: 先生。気付いてないかもしれないけど、もう耐えられないの。最初は先生の事良いなって思ってた位だったんだけど、今は愛し合いたいって考えが頭から離れない。喉が渇いているのに水を飲むなと言われていて、けど水は目の前にある、そんな苦しさ。だって、私が手を出したら先生は死んでしまうんでしょう。

Agt.小笠原: あぁ。そうなったら私は助からないだろう。だが、そうだとしても君が死ぬ理由はない。そうだ、財団なら記憶が消せる。財団で私の事を忘れさえすれば。

SCP-3156-JP: 忘れるのも嫌なの!さっきも言ったけどね、私だって愛し合いたい気持ちはあるよ、だけど、母さんと同じになりたくないから。

Agt.小笠原: 同じになりたくないか。お母さんの事はどう思ってるんだ?

SCP-3156-JP: 嫌い。許せない。大勢の人を殺して、身勝手に自分の欲を満たして、殺されて当然だと思う。だから、自分が母さんと同じ存在だっていうのが許せない。蟷螂女なんていう化け物じゃなくて、好きな人を殺さない、ただの人間でありたいの。先生は私がよく神様に祈ってるの知ってるよね?

Agt.小笠原: ああ。毎日欠かさず続けてるな。

SCP-3156-JP: そう。私、ずっと自由が無かったから神様に祈る事しか出来なかったの。何もせずにただ与えられるのを待っているだけだった。けどね、自由になってみて分かったの。何も選べない人生なんて死んでるのと変わらないって。先生が話してくれたお話あったでしょ?人になった信心深い蟷螂のお話。ただ幸せが訪れるよう祈るだけじゃ何も変わらないの。何を失うとしても最後くらい自分のことは自分で決めたいの。

Agt.小笠原: だからと言って自殺を選ばなくても。自殺してしまったら後に何も残らないぞ。

SCP-3156-JP: 先生は私がどうなったのか、記録に残してくれるんでしょう?私が死んだあとも、私がどういう人だったのかが残るんでしょう?

[30秒間の沈黙]

Agt.小笠原: 理由は分かった。だが、どうして入水を選ぶんだ。何か拘りでもあるのか?

SCP-3156-JP: うん。それ以外考えられない。

Agt.小笠原: 入水は苦しい。それに、水死体を見た事はあるか?あれは見れたもんじゃない。

SCP-3156-JP: [沈黙] 私、太宰治が好きなんだ。あの人の書くお話、ひょうきんな物語が多くて。自殺するなら入水だってずっと決めてたの。そうそう、太宰の書いた文章で好きな一節があってね。

Agt.小笠原: どんな文なんだい?

SCP-3156-JP: 「少なくとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う」……先生。私は意志で、私を終わらせるよ。


Agt.小笠原の手記2

1961/10/02
太宰を語った富江は、憑き物が落ちたような、にこやかな顔をしていた。今後の事を話し終えてから、富江は少し気が楽になったらしい。彼女が辛さから解放されたなら話した意味はあったと思う。これはただの自己満足でないと願いたい。
入水。
どうしてもその言葉だけが頭から離れない。蒐集院の伝承のようになりたくないと言っているのに、同じ自殺方法に拘るのが妙に引っかかる。困ったことに考えようとしても上手く頭が回らない。

1961/10/03
珍しく川辺で遊んでいた富江が一点を眺めていた。近寄ると、虫が水の中を泳いでいた。座敷牢にいたときに食べさせられた虫はこれらしい。私が滞在していた時期もそれは続いていたようで、主犯は世話役の娘との事だ。生で飲み込まされるのが常だったと言う。
私もその虫を食べた事がある。ざざ虫などと呼ばれる水辺で暮らす虫だ。この辺りでは食べられる事もあるがあれは幼虫を佃煮などで食べる料理であって成虫を生食するような物ではない。
村の風土病を考えると、この辺りの川は寄生虫の感染源となってもおかしくはないはずだ。あまり不用意に川遊びはしないよう伝えると、富江は虫を気にかけながら、川から離れていった。

1961/10/04
ここ数日、もやもやと考えていた事が一つに結びついてしまった。
蒐集院の蟷螂の伝承は、水を司る諏訪大明神にまつわる神話だ。信心深い蟷螂が入水する事で諏訪大明神の神使となった訳だが、よくよく考えるとこの神話と蟷螂の結びつきはそれだけではないだろう。水辺の虫を捕食した蟷螂はハリガネムシに寄生される事がある。ハリガネムシに寄生された蟷螂は体を操られて水に飛び込み、溺れて死ぬ。この姿を見た人々が、水を司る諏訪大明神と結びつけたと考えるのが自然ではないだろうか。
蒐集院によると蟷螂女は人々が想起した性質を持つらしい。入水する姿が元となる伝承の根幹を成しているのだとしたら、ハリガネムシが寄生する性質はあって然るべきではないだろうか。
そして、悲しい事に富江は感染する条件を完全に満たしている。富江と話をすればするほど、富江の決断が寄生された結果にしか見えなくなってくる。

1961/10/05
今日が富江と過ごす最後の日だった。相変わらず彼女は夢物語を語り、暇な時間には蝶を追いかけていた。こうして見ると、普通の少女にしか見えない。
彼女はこの短い人生でひたすら蟷螂女と言う運命に翻弄されてきた。その運命から逃れるために命を懸けて選んだ道が蟷螂女の特性そのもので、財団がその記録を残し続ける事になるとしたら、こんな残酷な事はない。私は財団職員となって以降、財団の理念に命を捧げている。得られた情報を隠蔽するなどもっての外だ。
そんな私が彼女に出来る事と言えば。
楽しそうな彼女の姿を見て、私は決意を固めた。



映像ログ2

1961/10/06


Agt.小笠原: どうして機材を付けてくれなんて頼んだのかな。

SCP-3156-JP: 先生に、私の事を忘れてほしくなくて。これから起こる事を、できるだけ鮮明に覚えていてほしくてさ。

Agt.小笠原: 機材を回さなくてもそのつもりだよ。私は財団にすべて報告する義務があるんだ。

SCP-3156-JP: そう。 [沈黙] 私ね、先生には本当に感謝してるんだ。先生が村から私を連れ出してくれたお陰で、私は空を見る事ができた。小説に出てきたものが実在する事を確かめられたし、何より村から逃げ出した日はずっと心が躍ってた。あの牢の中にいたら、私は何にも触れられずに死んでたはずだから。自分で死に方を選べるだけ、幸運だと思ってる。

Agt.小笠原: 私が行動したのは、きっと君の異常性の仕業だよ。君のお母さんと同じ力の影響だ。

SCP-3156-JP: だったらそれだけは、感謝してもいいのかもしれない。先生、最後に一つだけお願い。

Agt.小笠原: 何かな。

SCP-3156-JP: 抱き締めてから、見送って。

Agt.小笠原: あぁ。

[砂利を踏む音。その後、しばらくの沈黙]

[SCP-3156-JPは激しく呻く。Agt.小笠原の手には小型のナイフが握られている。]

[SCP-3156-JPは首筋から大量の血を流しているが、笑顔を見せている。]

[Agt.小笠原がSCP-3156-JPの表情を見て一瞬動きが止まったが、その直後に崩れ落ちるSCP-3156-JPを抱え込んだ]

Agt.小笠原: すまない、すまない。君の名誉を守るために、こうするしか無かったんだ。

SCP-3156-JP: いいの。先生が選んだ事なら、全部受け入れるから。先生は責任感が強いものね。

[Agt.小笠原はSCP-3156-JPから息を引くような音が続く間、SCP-3156-JPを抱きしめ続けていた]

[Agt.小笠原はSCP-3156-JPの死亡確認後にカメラの位置を調整し、小型のナイフを再度取り出した]

Agt.小笠原: これより、SCP-3156-JPの解剖を開始します。目的は体内に侵入した寄生虫の捜索です。


[有益な情報が存在しなかったため、省略]


Agt.小笠原の手記3

1961/10/06
結論から言うと、彼女の身体に寄生虫はいなかった。
得物は調理用の簡易ナイフ。首の動脈を切り裂いたが彼女は抵抗する事もなく私に身をゆだねた。何を言われても仕方ないと覚悟していたが、彼女からは恨み言一つ無く笑顔すら見せてくれた。感情が乏しい彼女が見せた、今までで一番の満面の笑みだった。
操られて入水と言う結果を不確定なものにしようと思っていたが何もかも裏目に出た。なぜ彼女の事を信じてあげられなかったのだろうか。彼女を突き刺した感覚は今も手に残っている。

彼女が私にしてもらいたい事はいくらでもあったはずだが、最後まで私の意志を尊重してくれた。だが、私はもうこの先の人生に意味を見出せないし、生きている価値も無い人間だ。思えば私も彼女のように色んなしがらみに縛られていた訳だ。せめて最後は自分の意志で、財団ではなく彼女だけに殉じて終わりにしたい。

妙な話だが、さっきから蒐集院が遺したもう一方の逸話が頭から離れない。何故あの話の女は最初の一回しか男の心を操らなかったのか。何故男を引き止めるのに術を使わなかったのか。その理由はいくら考えても思いつかなかったが、私には関係無いはずだ。私は彼女と術ではなく、心で結ばれているのだから。



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