クレジット
タイトル: SCP-3173-JP - 東京 - アプロプリエイション
著者: renerd, FattyAcid
作成年: 2023
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特別収容プロトコル: SCP-3173-JPに関する全ての収容活動はサイト-81UTによって実行・調整されており、現在、その内部空間は同サイトの敷地として施設運営体制に組み込まれています。その形而上的性質のため、Thaumielクラス特殊資産として財団の収容活動に利用することで、SCP-3173-JPの存在的安定性を高めることが可能であると考えられており、その積極的な活用が推奨されています。
ベースライン現実からSCP-3173-JPへのアクセスポイントは財団の管理下にあるもののみを維持し、管理下にない空間重複が偶発的に発生した場合には、可及的速やかに解消しなければなりません。この目的のため、上野恩賜公園内に設置されている監視カメラの映像がサイト-81UTに転送されており、空間異常を検出するための各種観測機材も複数設置されています。
サイト-81UTは、SCP-3173-JP内部に存在する異常存在群への対処も管轄します。その大部分は低危険度かつ自己収容状態にあると見做されているため、管理番号が指定されるのみで、特段の収容措置は行われません。一部のアノマリーについては、脅威度や研究上の価値を考慮の上、必要に応じて個別のSCPオブジェクト指定がなされる場合があります。
説明: SCP-3173-JPは、内部の地形及び建築物が上野恩賜公園 (以下「上野公園」と略記) の複製である小型現実空間です。SCP-3173-JPはベースライン現実における上野公園の敷地内に局所的かつ安定的な空間重複を発生させる場合があり、これらは当該空間への安全なアクセスポイントとして機能します。
SCP-3173-JPの外縁は、上野公園の敷地境界に概ね対応しており、低反射率のガラス様素材で構成された障壁で区切られています。この障壁は現在までのところ破壊不可能であり、外部に出ることはできません。飛行ドローンによる空間全体の探査や掘削調査の結果、同様の障壁は空中および地中にも存在することが判明しています。障壁を通して観察可能な景色は、ベースライン現実の対応地点のものとほぼ同様に見えますが、これがSCP-3173-JP外部にも空間が続いていることを示しているのか、あるいは単なる映像なのかは不明です。
SCP-3173-JP内部の天候状況及び (見かけ上の) 日周運動は、ベースライン現実の上野公園におけるものとほとんど同期しています。
先述の通り、SCP-3173-JP内部の地形や建築物は基本的に上野公園の複製物であるものの、完全に一致してはいません。最も顕著な相違点は、主に建築物内に収蔵・展示されている物品群です。それらの展示方法や解説、あるいは物品それ自体は、鑑賞者の受け取る印象がオリジナルと異なるものになることを意図して改変されており、一部の物品は異常性を付与されています。
SCP-3173-JPとベースライン現実とが初めて接続したのは、2023/10/06 12:20頃のことだと考えられています。接続イベント発生から数時間、不安定な空間重複が形成と消失を繰り返しており、公園内にいた民間人複数名のSCP-3173-JP内への転移を引き起こしました。
財団は同日12:45、SNS上に投稿された動画において、背景に映っていた人物が消失する場面をWEBクローラが検出したことで、上野公園内における異常現象の発生を感知しました。情報封鎖及び初期調査のための人員派遣を目的として、近隣の財団施設にこの情報が通知されましたが、上野公園内に所在していた小規模施設であるサイト-81UTはこの発報に対し応答しませんでした。
以下は、事案発生当時のサイト-81UTの概要です。
サイト-81UT
正式名称: SCP財団 日本国東京上野 小規模遺物研究・収容施設 | ||
サイト識別コード: JPTKUE-Site-81UT | ||
カバーストーリー: 東京国立博物館 精査・編年プロジェクト研究室 |
概要: サイト-81UTは、東京国立博物館の本館地下3階に所在する小規模な遺物研究・収容施設です。当初は、戦後に接収された東京帝室博物館 (現在の東京国立博物館) 地下の異常収蔵品保管庫を流用する形で設置されました。同サイトは歴史的超遺物の研究と収容に特化しており、特にパッシブ・アノマリーの特定及び監視に注力しています。
パッシブ・アノマリー (受動的異常存在) とは、平常時は異常活性を示さないものの、特定の儀式の実行や他のアノマリーとの相互作用のような、何らかの外的要因により異常性を発現する可能性が高いオブジェクトを指します。その大多数は歴史的遺物・芸術品・宗教的 / 呪術的工芸品であり、深妙性パラメータ (ヒューム値、EVE、アキヴァ放射など) の標準からの逸脱によって識別可能である場合がほとんどです。
SCP財団は同サイトを「精査・編年プロジェクトScrutiny and Chronology Project」のカバーストーリーの下で運用し、職員を東京国立博物館内に潜入させています。このチームは一般的な考古学・歴史学調査チームに偽装されており、博物館所蔵品への超常科学的検査を通じて、パッシブ・アノマリーを特定 / 監視しています。
接続イベントの直後、サイト-81UTの主要な出入り口はSCP-3173-JPへのアクセスポイントに置換されており、不明な要因 (空間異常の副次的作用の一部だと推測されている) のために通信も不可能となっていました。これにより、サイト-81UTは一時的な孤立状態にありました。
財団による外部からの調査の試みと並行し、同サイトの職員らが独自にSCP-3173-JP内部へと侵入し、事態の解決を試みていたことが判明しています。彼らは民間人の救助や小型現実内の調査を行い、現在のSCP-3173-JP収容体制の構築に大きく貢献しました。参考のため、当時の記録の転写や関係者の証言から構成された資料が補遺に掲載されています。
補遺: 接続イベントの発生から終結までの時系列記録
接続イベントの正確な発生日時は不明ですが、公園内の監視カメラに記録されていた最初の異常現象の発生時刻から、2023/10/06 12:20頃だと推定されています。同日12:25頃、当時サイト内で業務に当たっていた財団職員が、サイト-81UTにおける異常事象の発生を認識しました。以下はその際の記録です。
音声記録-1
主要関係者:
- サイト-81UT所属 財団職員
- 欧陽おうよう 静しずか サイト管理官 (専門: 近世和漢文学)
- 二神ふたがみ 誠一せいいち 研究員 (専門: 中世絵画史・仏教絵画史)
- 梅山うめやま 聡行さとゆき 警備員
<記録開始>
梅山警備員: 録開始、記録開始 サイト-81UT所属、警備員の梅山聡行で
二神研究員: [離れた場所から] あら。梅山くん何か忘れ物ですか?
梅山警備員: 緊急、緊急ですよ。今何時ですか!
欧陽サイト管理官: 12時27分。状況説明を?
梅山警備員: えー、状況⋯⋯2, 3分前、私がサイトの扉を、つまりサイト-81UTの収蔵品特別管理区画から東京国立博物館のバックヤードに繋がる扉を、開けたところ⋯⋯なぜか、博物館の2階に繋がっていました。
二神研究員: 地下2階ではなく?
梅山警備員: いえ、間違いありません。2階特別1号室の隣、エントランスの大階段脇の扉につながっています。
二神研究員: 異常事象ですね⋯⋯最近検査したものの中には、そのような大規模な空間異常を起こし得るような物は無かった筈ですが。
欧陽サイト管理官: 確実に、我々が扱う「小規模」の範疇ではないね。まずは他サイトへ連絡しないと。
[欧陽サイト管理官が緊急回線を利用した通信を試みる]
梅山警備員: もう1人の警備員は元々扉の向こう側にいました。彼への連絡も取れない状況です。
二神研究員: ああ、米田くんと甲府くんも丁度外に食べに行ってる サイト内にいたのは我々3人だけですか。この現象に巻き込まれたのは。
梅山警備員: 休暇や出張が重なっていたのは運が悪いと言うほかありませんね。せめて技術員の誰かが残っていれば、通信の面倒は見てもらえたでしょうけど。
欧陽サイト管理官: その通信ですが、やはりダメです。電波は元より、特別回線さえ全く繋がりません。外部が気づいてくれるのを待つしかないでしょうが、調査隊がここまで来るには多少時間がかかると思います。一般のスタッフや観覧客が巻き込まれていたらかなり大きな問題ですが⋯⋯
二神研究員: 連絡不可とは! なかなかまずい状況ですね。地上と繋がったのなら、逆に電波は届いても良さそうなものなのに。
梅山警備員: [頷く] では、まずは建物の外に出てみませんか? 電波の通りがいいかもしれません。
欧陽サイト管理官: そうですね、お二方お願いします。私はここに残りましょう。
[職員2名が歩き始める]
梅山警備員: [歩きながら] それにしても、都心の人口密度の高さが恨めしいですね。隠蔽のことを考えると、23区内にはとても大施設なんか置けませんから。
二神研究員: 小規模施設を複数置くことでカバーする、ということになってはいますが⋯⋯こういう時にはどうしようもありませんね。⋯⋯っと、この扉ですか。
梅山警備員: はい、普段使っているはずの出入り口ですが、先ほど開いた際には異常なことに。
[二神研究員が扉を開けるが、その先の空間は本来のものと異なっている]
二神研究員: 確かに、2階だ。
梅山警備員: やはり異常ですよね⋯⋯ともあれ外に出ましょう。
[2名が扉を通ってSCP-3173-JP内へと侵入する]
二神研究員: ちょっと待ってください。妙に人がいないと思いませんか。
梅山警備員: た、確かに。平日の昼間とはいえ。
二神研究員: ええ。エントランスに人っこ一人いないのはおかしいです。まさか人気が急落したわけでもあるまいに。
梅山警備員: そうですね、おか は?
二神研究員: どうし 写真を!
梅山警備員: ダメだ、行ってしまいました⋯⋯あー、[マイクを意識して] 今、館内1Fの方を何かが飛んでいました。写真は撮れませんでしたが、鳥です。身体が金属製のように見えました。
二神研究員: 私も確実に見ました。えー、名前は失念しましたが、よく似た置物の検査レポートに目を通した記憶があります。担当ではなかったので詳細は知りませんが、パッシブ・アノマリーでさえなかったはずです。
[このとき2名が見た物品は、後日Obj. 3173-JP-TNM-E-2000に指定された『自在鷹置物』であると比定された]
梅山警備員: しかし、随分アクティブに見えましたよアレは。
二神研究員: はい、飛んでいましたからね。⋯⋯仮に、仮にですよ? 我々が見逃していただけで、あの鳥は元々パッシブ・アノマリーだったのだとしましょう。その場合でも、再起動させるだけのエネルギー源がどこかにあることになります。
梅山警備員: そうすると、そもそも、今起きている異常現象は単に扉がおかしくなるだけではないようですね。
二神研究員: ええ、間違いなく。恐らく、『ナイト・ミュージアム』じみたことが起きているのではないでしょうか。真昼間ですが。
梅山警備員: どう対処しましょう?
二神研究員: もし戦うことになれば、あなたはともかく、私ではあの鷹1羽にも勝てないでしょうね。ましてや彫刻スペースの毘沙門天が館内を歩き回っていたらどうです? それに、ここには国宝の刀剣類も展示されていますし
梅山警備員: 徒手格闘は経験がありますよ 冗談です。それで、ここも電波は届いていないようですね。
二神研究員: 普段はもう少し良い筈なのですが。
梅山警備員: とにかく階段を降りて博物館を出ましょう。アノマリーとの接触を防ぐために、展示室に近づくときはできる限り素早く通り過ぎるようにしてください。
二神研究員: はい。
梅山警備員: では
[不明な人物の叫び声]
梅山警備員: 前言撤回です。先にあちらを。
二神研究員: はい。右から、10室の方からでした。
[2名が10室との境まで移動する]
梅山警備員: [小声で] 10室の展示ってこんな感じでしたっけ?
二神研究員: [小声で] 2, 3日前に展示変えがあった筈ですが、こんな配置では無かったような⋯⋯あ、あそこです、尻餅をついて倒れている方が。
梅山警備員: どうやら急に動き出すような物品はここには無いようですね、行きましょう。
[2名が倒れている人物に近づく]
二神研究員: 大丈夫ですか、ご自分で立てますか。
民間人女性: は、はい、ありがとうございます。
梅山警備員: 先ほどの叫び声はあなたですね? 何か危険を感じたとか?
民間人女性: いえ、その、ここは? 危険というか⋯⋯ひっ!
[冬木小袖の生地が突然劣化して裂け、衣紋掛けから落ちる]
二神研究員: これは⋯⋯
梅山警備員: ひとまずこの建物を出ましょうか。詳しい話はそれからです。
[3名が歩き始める]
<記録終了>
その後、3名は大きな問題なしに東京国立博物館の本館から退出し、博物館内のみならず公園全体が無人であることを発見しました。進行中の異常事象が当初の想定より広範なものであることが明らかになったものの、通信は依然不可能であったため、3名は物理的な連絡手段を求め、上野公園内を貫く都道452号線を南下して上野駅へ移動することを決定しました。
その道中、救助した民間人である浦極うらぎわ 茜あかね氏への事情聴取と、協力関係の確立がなされました。
音声記録-2
主要関係者:
- サイト-81UT所属 財団職員
- 二神 誠一 研究員 (専門: 中世絵画史・仏教絵画史)
- 梅山 聡行 警備員
- 民間人
- 浦極うらぎわ 茜あかね (大学生 / 東京大学 文学部 美学芸術学専修)
<記録開始>
[3名は都道452号線上を歩いている]
二神研究員: さて、歩きながらで申し訳ありませんが、まずは自己紹介をさせてください。私は東博の職員で、二神と申します。そして、こっちが
梅山警備員: 梅山といいます。同じく、東博の者です。
浦極氏: あっ、私は浦極、浦極 茜といいます。大学生で、えっと、一応あの、東大の文学部で学生をやらせてもらってます。先程は助けていただいて本当にありがとうございました。
二神研究員: いえ、館内での問題ですから、職員として当たり前のことです。⋯⋯早速ですが、いくつか質問をさせてください。まず、あなたはどういった経緯であそこにいたのでしょうか? 何か原因が掴めるかもしれないので、できれば最初から説明してください。
浦極氏: はい、今日は空きコマに1人で東博を見に、ああいえ、その、私は結構毎日上野公園に来るんですが。
梅山警備員: なるほど、空きコマですか。今日は何時くらいからこちらに?
浦極氏: 今日は⋯⋯10時50分くらいからですね。
二神研究員: その時間が空きコマですか? とうとう文学部まで1限に授業を
浦極氏: その、空きコマになってしまったというか。家を出たものの2限授業への遅刻が確定してしまったから、面倒になってこちらに⋯⋯
二神研究員: 一般には、たとえ遅刻しても出欠が取られなくとも、授業には参加した方が良いとされていますが⋯⋯まあ私には関係のないことですね。公園に着いて、すぐに東博に?
浦極氏: はい。何となく常設展を、えー、大学のアレを使えば無料1なので。
二神研究員: 館内を回った際に、何か異変は感じましたか?
浦極氏: 最初の1時間くらいは何もなかったはずです。最初におかしいと感じたのは、冬木小袖を見ていたときでした。ふと気づいたらいつの間にか周りに人がいなくなっていて⋯⋯変だなと思っていたら急に冬木小袖がボロボロになったり元に戻ったりして、パニックになって、それで悲鳴を。
梅山警備員: 私たちが聞いた声はそれですね。
浦極氏: はい⋯⋯それで、ええと、他の人たちは一体どこに行ってしまったのでしょうか。天気も良いお昼なのに広場に誰もいないなんて。
二神研究員: そうですね、それは
梅山警備員: [驚く] ちょっと2人ともあそこ見てください! クジラがいません!
二神研究員: 本当ですね。[マイクを意識して] シロナガスクジラの実物大模型があったはずですが、いなくなっています⋯⋯となると、先ほどの鷹のように?
梅山警備員: その可能性は高いかと。恐らくは他の展示物も。
二神研究員: では早急な脱出を
浦極氏: あの、すみません、何が
二神研究員: ごめんなさい、今はできるだけ急いで、かつ静かに移動しなければいけません。
梅山警備員: 大丈夫です。落ち着いてください。私が先導します。
[3名は移動を続け、国立科学博物館北側、本来クジラ模型があった地点の横の交差点に到着する]
梅山警備員: [歩いていると突然に足先をぶつけて] 痛! うん? なんだ⋯⋯ [固い物体を叩く音] どうやら、ここに透明な壁がある、ようです。
二神研究員: えー、記録のために。壁があるのは寛永寺の西角、クジラ模型のそばの丁字路です。[断続的な打撃音と障壁に石が衝突する音] ⋯⋯梅山警備員の様子を見る限りでは、破壊は全く、いえ、少なくとも現時点で利用可能な方法では不可能と思われます。
梅山警備員: 固いですね。石を投げても傷一つ付かないとは思いませんでした。それに、この壁は道沿いにずっと続いているようです。
二神研究員: となると、普通の方法では脱出は無理そうです。それに、この分では壁の向こうも安全かどうか⋯⋯
浦極氏: あの、本当に、一体何が。
梅山警備員: すみません、放置してしまって。ええと、どうやら⋯⋯私たちは変な場所に迷い込んでしまったようです。恐らく、形は上野公園のコピーか何かで⋯⋯そうですね、異空間のような場所です。それも、めちゃくちゃな異常が起こるような。
二神研究員: 『ナイト・ミュージアム』的な。
浦極氏: ああ、分かります。ベン・スティーラーが出ていた。
梅山警備員: 詳しいですね、話が早い。それで、私たちも、えー、あなたと殆ど同じ境遇にあります。12時20分頃に、突然こちらに。ただ⋯⋯ええ、博物館の職員として、可能な限りこの状況を何とかしたいと思っていますし、展示物にも元に戻ってもらいたいと考えています。
二神研究員: せっかく修復した小袖2がボロボロになるのは辛いでしょう、そういう事です。それに、家に帰るためにもこの空間から脱出しなければいけません。
浦極氏: ああ、その冬木小袖といえば、少し気になることが。
梅山警備員: 何かありましたか? 確かに不思議な現象でしたね。
浦極氏: いえ、今起きていることを考えると、些細なことかもですけど⋯⋯
二神研究員: 何でも話してください。こういう時、何が解決のヒントになるかは分かりません。
浦極氏: はい、それが⋯⋯その、小袖がボロボロになったときのことなのですが、あれはただ劣化したのではなく、修復されていない状態になっていたんです。もし修復しないまま展示し続けていたらああなっただろう、といった感じの。
梅山警備員: どうしてそれが?
浦極氏: 修復前の並縫いの糸が見えたからです。修復前に施されていた箇所に、確かに。
二神研究員: 覚えているのですか?
浦極氏: はい。
二神研究員: ⋯⋯動く鳥の置物に覚えはありませんか? 金属製の、東博に収蔵されているものです。
浦極氏: ええと、関節や羽が動かせるようになっている物ですか? 確か⋯⋯自在鷹置物、ではなかったかと。明珍清春の作品です。
梅山警備員: 凄い記憶力ですね。
浦極氏: も、もちろん学芸員さんや職員さんに比べればアマチュアですが、その、上野公園にはよく来ているので、どこのものでも普通の人よりは詳しいと、自負を。
二神研究員: 他の施設もですか。
浦極氏: はい、大体どこでも。ああいえ、その、こども図書館とか球場とか不忍池の辺りとかはあんまり分からないですが⋯⋯
二神研究員: 十分です。これから我々は他の施設の調査と、同じような境遇の人の捜索をしようと思っています。もしよろしければ、それに同行して頂けませんか。
梅山警備員: そうですね、人数は多い方が何かと安心でしょうし、ここに1人でいるよりは安全かと。何より、あなたの知識は大いに助けになると思います。いかがでしょう?
浦極氏: 分かりました。その、よ、よろしくお願いします。
<記録終了>
この後、3名は園内のベンチで休息し、サイトから持ち出された携帯食を摂ってから出発しました。休息中、民間人である浦極氏との暫定的な協力関係構築のため、事件終了後の記憶処理を秘密裏に前提とする、SCP財団及びその目的に関する最低限の情報共有がなされました。
探索候補地は複数挙げられましたが、最終的には国立西洋美術館と国立科学博物館の外観を遠隔から観察し、そのどちらかから選択するという方針が定まりました。これは13:50のことでした。
一方、14:15頃、重力波観測技術を応用した空間異常検出手法を用いることで、SCP-3173-JPへの安定したアクセスポイントの特定に成功し、財団の機動任務部隊複数チームが内部へと突入しました。この時点までに、少なくとも17名の民間人が偶発的にSCP-3173-JP内へ転移したことが把握されており、この突入作戦はSCP-3173-JP内部の探索と各人の保護とを目的としたものでした。
部隊の突入とほぼ同時刻、サイト-81UT所属の2名及び民間人1名は国立西洋美術館に進入しました。
音声記録-3
主要関係者:
- サイト-81UT所属 財団職員
- 二神 誠一 研究員 (専門: 中世絵画史・仏教絵画史)
- 梅山 聡行 警備員
- 民間人
- 浦極 茜 (大学生 / 東京大学 文学部 美学芸術学専修)
<記録開始>
[3名は、噴水広場南の木陰から西洋美術館の前庭を覗いている]
浦極氏: あれ⋯⋯前庭の彫刻の位置が違いますね。
二神研究員: ここからだと、よく見えません。どう違っていますか?
浦極氏: まず『考える人』がいません いえ、見つけました。『弓をひくヘラクレス』の向こう側で考えています。ヘラクレスの方は元の場所ですね。⋯⋯ああ、なるほど、『地獄の門』の目の前です。
梅山警備員: なるほどとは?
浦極氏: 『考える人』は、元々『地獄の門』を構成する像の一つとして作られたものなんです。いえ、別にそれが移動している理由になるわけじゃないですけど。
二神研究員: 他に何か変わったところはありますか?
浦極氏: パッと見たところ特には⋯⋯いえ、いや⋯⋯
梅山警備員: どうしましたか。
浦極氏: いまいち見えないのですが、『カレーの市民』の人の配置が違うような⋯⋯気のせいでしょうか。
梅山警備員: 待ってください、一瞬あの像、こちらを見たような
[『カレーの市民』の像6体が突如3名の方を向き、台座から降りて迫ってくる]
浦極氏: に、逃げ、逃げましょう!
梅山警備員: とりあえず離れ
[逃げようとする3名の眼前の地面に『弓をひくヘラクレス』の放った矢が刺さる]
浦極氏: [悲鳴]
二神研究員: 逃げれん!
[梅山警備員が、迫る『カレーの市民』のアンドリュー・ダンドルと格闘し、足を払って倒す。二神研究員はその場からほとんど動けない。浦極氏は混乱して逃走しようとするが、躓き転倒する]
梅山警備員: [『カレーの市民』のジャン・デールに後ろから組みついて] 早く !
二神研究員: 無理がある!
[『カレーの市民』のピエール・ド・ヴィッサンとジャン・ド・フィエンヌとがそれぞれ、二神研究員及び転倒した浦極氏の肩に手を当て、梅山警備員を見つめる]
梅山警備員: クソッ。
[梅山警備員が手を離す。『カレーの市民』のジャック・ド・ヴィッサンが悠然と3人に近づく]
ジャック・ド・ヴィッサン: [中世フランス語で] 来たまえ、私たちと共に。
梅山警備員: ええと⋯⋯
浦極氏: ム、ムッシュ・ジャック・ド
ジャック・ド・ヴィッサン: [中世フランス語で] 否! 私はいち市民である3! [国立西洋美術館の入り口を指しながら] さあ、来たまえ。
梅山警備員: こちらへ来いと言っているのですか?
浦極氏: いまいち⋯⋯恐らくは。
二神研究員: 仕方ない。行こう⋯⋯自分もカレーの市民のような気持ちだ。
浦極氏: 本当に。
[3名が『カレーの市民』に連れられ、国立西洋美術館の館内に移動する。銅像は館内には同行しない]
<記録終了>
14:16、サイト-81UTをSCP-3173-JPと接続し、ベースライン現実と隔絶していた空間重複が消失したことで、欧陽サイト管理官とサイト外部との通信が復帰しました。これにより二神研究員と梅山警備員がSCP-3173-JP内を探索していることが共有されたため、後発の機動部隊の目標には彼ら財団職員との合流も含められました。
一方、国立西洋美術館内に進入した3名は、館内に設置されている飲食店『カフェすいれん』を目的地に定め、移動を開始しました。
音声記録-4
主要関係者:
- サイト-81UT所属 財団職員
- 二神 誠一 研究員 (専門: 中世絵画史・仏教絵画史)
- 梅山 聡行 警備員
- 民間人
- 浦極 茜 (大学生 / 東京大学 文学部 美学芸術学専修)
<記録開始>
梅山警備員: さて、西洋美術館と言っても広い。どこに行きましょうか。
二神研究員: その前に、一旦休憩しなくて大丈夫ですか?
梅山警備員: 自分は大丈夫です。怪我もしてません。浦極さんはどうですか? 先ほど転倒してましたが⋯⋯
浦極氏: 転び慣れてるので問題ありません。行きましょう。
梅山警備員: 仮に民間人がいるとしたらどこでしょう? フロアマップは⋯⋯
浦極氏: 休める場所と言えば、本館の右、新館に続く道にある休憩スペースだと思います。椅子がありますから。あとはカフェすいれんでしょうか、一般論としては。休憩スペースを抜けた先にあります。
梅山警備員: なるほど。ちなみに一般論から外れると?
浦極氏: 空いているときは、展示室内の椅子で寝てしまったこともありますが⋯⋯
二神研究員: まずは可能性の高いところから巡りましょう。もし動くと危険そうなものは思いつきますか?
浦極氏: そうですね、『青銅時代』でしょうか。前庭にあった作品の多くを手掛けているロダン作の像ですが⋯⋯要するに、金属の大男です。身長180センチの。
梅山警備員: それは流石に勝てませんね。
浦極氏: はい。なので、常設展の入り口付近には近寄りがたいです。
二神研究員: なるほど、ありがとうございます。では行きましょうか。
梅山警備員: [企画展の会場に続く階段とポスターを見て] 『キュビスム展 美の革命』⋯⋯
浦極氏: キュビスム展の作品群が勝手に動き出したら⋯⋯それはそれで別種に怖いですね。
[3名が通路を歩く]
梅山警備員: ここには⋯⋯誰もいないようですね。カフェまで行きましょう。
二神研究員: 先ほどのロッカーも全て空でしたね。
梅山警備員: その割に電気は点いています、東博もそうでしたが。公園自体が隔絶されていて、電波も届いていないというのに。
浦極氏: そういえば⋯⋯さっきは銅像に気を取られていて余り考えていませんでしたが、自動ドアも動いていたような。
二神研究員: ううん [カフェすいれんの中をガラス窓越しに覗いて] あれは人影かな。
梅山警備員: 確かに、座っていますね。行きましょう。
浦極氏: はい。
[3名がカフェすいれんに入り、不明な人物と対面する]
不明な人物: おや、こんにちは。早いね、まだ開館準備中なんだが⋯⋯まあいい、君たちが最初の観覧者ですよ。
二神研究員: どうもこんにちは。あなたもこの美術館に迷い込んでしまった形でしょうか? 我々も
不明な人物: うん? ああいや、僕は羽柴はしば 竜洋たつひろですよ、ほら、この『ハコ』の作者の。
梅山警備員: ええと、すみません。私たちのように、上野公園に居たらいつの間にかこの世界に迷い込んでしまったのではないと?
羽柴氏: ふむ、入るときに見ませんでしたか。入口辺りにあった筈⋯⋯ほら、展覧会のポスターとか。一応僕の名前も入れたんですがね。
二神研究員: うん、キュビスム展とはまた別のことですか? 入るときは少しバタバタしていて。
羽柴氏: ああ、なるほど。そうですね⋯⋯この美術館全体は、私が再構成したものです。あなた方は夢の中で風変わりな美術館に立ち寄ったとでも思っていただければよろしい。どうですか、ご覧になっていかれますか そういえば、失礼ですが、いわゆる現代美術というものにご関心はありますか。
二神研究員: あまり詳しくないですね。
梅山警備員: 同じく。
浦極氏: 多少見たことがある程度です。
羽柴氏: うんうん、なるほど。そうですね⋯⋯初めてのお客様ということもありますし、どうですか。簡単なガイド、解説もいたしましょう。
二神研究員: うん、うん⋯⋯お誘いありがとうございます。惹かれますね、ぜひ。
梅山警備員: あー、その前に、お手洗いに行っても?
羽柴氏: もちろん。
二神研究員: ⋯⋯なるほど、私も行こうかな。浦極さんも行っといたほうがいい。
浦極氏: え、あ、はい。分かりました。
<記録終了>
その言動から羽柴氏を警戒対象と判断した3名は、一度新館B1Fの化粧室に移動して距離を取り、今後の対応についての協議を行いました。14:21のこの時点では、機動部隊との位置情報共有は為されていませんでした。
音声記録-5
主要関係者:
- サイト-81UT所属 財団職員
- 二神 誠一 研究員 (専門: 中世絵画史・仏教絵画史)
- 梅山 聡行 警備員
- 民間人
- 浦極 茜 (大学生 / 東京大学 文学部 美学芸術学専修)
<記録開始>
[3名は化粧室前で話している]
浦極氏: えっと、どう、どうなっているんでしょうか。
梅山警備員: どう、とは?
浦極氏: その、口ぶりからするとあの人が上野を滅茶苦茶にしたみたいです。魔法使いか何かのように。そんな人に従って、美術館巡りなんかをしていて良いんでしょうか。
二神研究員: ええ。そうですね。しかし、彼の言に乗るのは現状一番良い手かもしれません。
浦極氏: というと?
二神研究員: 彼、羽柴さんは今のところ私たちに友好的ですが、いつそれが崩れるかは分かりません。もし上野公園全域を思いのままにできる強大な存在なら、その精神は私たちの預かり知らぬところにあるやも。
浦極氏: な、なおさらでは
梅山警備員: いえいえ、そうではなくですね。私たちは現状、彼を拘束するような手段を持っていません。そろそろ財団の応援が来てくれるとは思いますが、もし羽柴氏が圧倒的な力を持っているのなら即座に対抗できるかどうか。そうすると、一時的なものかも知れないとしても、この事件の首魁が友好的なのは好都合と言えます。それが崩れないうちに、まずはできる限り情報を聞き出すべきかと。
二神研究員: その通り。何を目的としているのか、どうやってこの場を作ったのか、この状況を収めてもらうように説得できるか。そして、もし応援部隊との戦闘が始まったとして、向こうに対抗手段があるのか これは例えば、この空間を自由自在に操ることはできるか、などが考えられますね。そして、もし彼が意識を失ったり亡くなったりしたらこの空間はどうなるのか。
浦極氏: わ、かりました。
梅山警備員: 大丈夫ですよ、心配しないでください。この装置で私たちの位置は定期的に送信していますからもうすぐで応援が来てくれるでしょうし、もし戦闘になったとしても、あなたを巻き込ませはしません。必ず。
二神研究員: そろそろ戻った方がいい頃合いですかね。あくまで、友好的に。
<記録終了>
この会話が記録された5分後の14:29、空間内を探索していた部隊の1つが、サイト-81UT所属財団職員の持つ通信機の位置情報ループ発信を捉えました。これによって捜索対象の位置を特定することに成功した部隊員らは、直ちに国立西洋美術館の企画展示館に向かいました。
音声記録-6
主要関係者:
- サイト-81UT所属 財団職員
- 二神 誠一 研究員 (専門: 中世絵画史・仏教絵画史)
- 梅山 聡行 警備員
- 民間人
- 浦極 茜 (大学生 / 東京大学 文学部 美学芸術学専修)
- 要注意人物
- 羽柴 竜洋
<記録開始>
[全員が合流して、4名は企画展示館に向かう]
羽柴氏: [歩きながら] では、いきましょう 現代美術というのは一口に語りつくせません。ここでは私がこの美術館全体で表現した、あるいはしようとしているモノについて焦点を絞った解説となります。さて、皆さんは「アプロプリエイション」というものをご存じですか。
二神研究員: いいえ。どういったものでしょう?
羽柴氏: 単語を日本語に訳せば「盗用」であるとか「流用」となります。アートの文脈においてこれは、「何かしら既にあるものを、そこに宿った文脈を変えた上で、作品に使用する」といったような意味になるでしょうか。
梅山警備員: というのは⋯⋯
羽柴氏: 失敬、説明が分かりにくかったら申し訳ありません。具体例としては そうですね、歴史的な縦軸に沿うのは面倒なので止めておきましょうか ええ、非常に有名な具体例として、デュシャンの『泉』は分かりますか?
梅山警備員: ああ、それなら聞いたことありますよ。便器をひっくり返したやつですよね?
羽柴氏: はい、まさにそれです。元々『泉』は便器、即ち大量生産された陶器製品であって、これが「何かしら既にあるもの」にあたります。それをアートとして展示することで、そこには「トイレとして使われるもの」ではない別の文脈が乗るわけですね。それが具体的にどういったものか、というのは本題ではないのでここでは触れませんが。
浦極氏: レディメイドな 大量生産品を基にした何か、新たな作品ということでしょうか。
羽柴氏: その通りです。しかし、アプロプリエイションはそれだけに留まりません。「何かしら既にあるもの」は、例えば芸術作品でもありうる。アプロプリエイションは、より広い観念なのです。
二神研究員: 芸術作品でも、ですか⋯⋯では、例えばモネの『睡蓮』に、えー、『近代化に伴い失われた風景』と題しなおして展示すれば、それもアプロプリエイション・アートとなりますか。
羽柴氏: 一つの方向性として間違っているわけではありません。ただし、もちろんそれが広く認められるかどうかで言えば難しい、ということになりますがね。その場合ですと、改めて題することで新しい価値の創出ができているか? ということが重要な問題となります。
羽柴氏: 環境問題とアートというのは、昔から多くの角度で掘り下げられてきました。モネの『睡蓮』を使うならば⋯⋯そうですね、フラッシュアイデアですが、『睡蓮』は何十点もの作品を内包する大連作なので、それを活かすのはどうでしょうか。幾つかのオリジナル作品を並べた上で、汚れた池を描いた模倣品を数作付け加える、とか。
浦極氏: しかし、『睡蓮』のモチーフはそもそも人工的な池ですし、各地に絵画を基に作られた睡蓮の池さえありますよ。
羽柴氏: ええ、ええ、ええ。その通り、お詳しいですね。実際にアートを作る際には、より慎重な文脈の検定が必要になるでしょう。あくまで今のはフラッシュアイデアですから。
二神研究員: いえ、すみません。私の例が悪かったですね。
羽柴氏: いえいえ さて、早速ですが、最初の展示に参りましょう。
梅山警備員: これは⋯⋯仮面、の群れ?
[4名は鑑賞のために数分間、沈黙を保ちつつ部屋内を歩き回る]
羽柴氏: 少し恥ずかしいですね。この作品は私にとって特に初期のものです。今から考えると、ここに示した意図は多少ありきたりです。
浦極氏: ⋯⋯プリミティヴィズムへの批判、でしょうか?
羽柴氏: 素晴らしい洞察力です。
梅山警備員: 解説をお願いしても?
羽柴氏: ええ。そもそもプリミティヴィズムとは、非西洋圏で作られた文物に影響を受けた芸術家たちの運動です。すなわち「西洋的ではない」視点、あるいは敢えて言葉を選ばずに言えば「未開の部族の」視点を与えられた者たちによる。
二神研究員: プリミティヴなものを礼賛した運動ですか。しかし逆説的に西洋中心的発想を感じ取ることもできますね。西洋美術の体系に沿っていないものを、プリミティヴとラベリングするというのは。
羽柴氏: まさにその通りで、今日においては批判されることも多く そもそもこれら像は儀式のために作られたもので、そういった文化的文脈を無視しながら西洋的な芸術作品として鑑賞するという行為には、現在では顰められた眉が向けられることもあります。
羽柴氏: そしてこれら像が見つめるのは、ゴーガンが若い時の、西洋的な自画像です。この自画像を描いた後ゴーガンはオセアニア、タヒチを楽園とみなして創作を続け、プリミティヴィズムに大きな影響を与えました。像が彼を見つめることによって、先ほど述べた鑑賞するという行為を逆転させています。
[短い沈黙]
浦極氏: その、先ほど仰った「文化的文脈を無視しながら鑑賞する」という行為は、それ自体もアプロプリエイション的な行為と見做せませんか? 実際に、「プリミティヴ」さを求めて個人などに収集されたこれら像や仮面その他は、まさにピカソのキュビスムに繋がっています キュビスム展の解説の受け売りですが。
二神研究員: なるほど、キュビスムやそこからさらに発展した一連の芸術的運動、その火付け役としての「価値」が収蔵によって見いだされた、ということですか。間違いなく、像の製作者たちはそんなことを想定してはいなかったでしょう。
梅山警備員: それだけを聞くと、どうやら美術館そのものが巨大な、えー、アプロプリエイトの場とも感じられますね?
羽柴氏: ⋯⋯皆さん、先ほど現代アートにあまり詳しくないと言っていたのは⋯⋯ [咳払い] ええ、その考えこそ、私がこの美術館を作るに至った動機なのです。企画展も常設展も、美術館というものは、それ自体がアプロプリエイションの巨大な実践と言えるでしょう。それを示し、新たな道を見出すために、私はこの国立西洋美術館全体を巨大な『ハコ』という芸術作品に仕立てました。
二神研究員: ハコ?
羽柴氏: ライブハウスなどをハコと呼称することがあるでしょう? それと同じです。これは美術館 作品の入れ物、展示の場それ自体を複製し、再構築し、再展示する試みなのですよ。もちろん国立西洋美術館という建物自体も、大建築家ル・コルビュジエによる近代建築の芸術でありますから、それの「盗用」でもありますが。
二神研究員: それを貴方は⋯⋯その、えー、夢の中で造り上げた?
羽柴氏: 具体的な制作方法ですか。説明が難しいですね⋯⋯
梅山警備員: 確かに、夢の中の風変わりな美術館、というようなことを仰っていましたね。とても不思議です。これが夢だとは思えませんし、しかし現実とも思えません。
羽柴氏: うん、うん。そうですね、ここは 異世界というのが一番簡潔な説明でしょうか。勿論、私一人で全てを彫ったわけではありません。元々あった不安定な境界、神隠しの向こう側 そういったものの形を、新しい意図と価値、文脈の再構成と再定義を通じて安定なものへと整え、塑像したのです。主観的には凡そ8年に渡る蓮の微睡みの中で、『ハコ』の中にあったアートを流用しながら。
[沈黙]
二神研究員: 少し抽象的で難しいですね。
羽柴氏: いえいえ、皆さんは非常によく理解してくださっています。もしかすると、その機微の聡さが、あなたたちをこちら側の美術館に誘ったのかもしれません。なにせ、開館はもう数日後の予定で、芸術家仲間を招待するのもこれからだったのですから。
浦極氏: あっ、一つ質問をしてもいいですか?
羽柴氏: もちろん。答えられることなら何でもお答えしましょう。
浦極氏: 私がこちらで最初に見た作品と言えば、東京国立博物館の冬木小袖です。私たちの目の前で突然ボロボロになったのですが、私の解釈では、あれは博物館による無茶な展示と破損、そして多額の費用がかかった修復への皮肉なのではと
羽柴氏: ええと、国立博物館? 何のことですか? 私の作品はここ、西洋美術館の内部だけのはずなのですがね。
梅山警備員: んん? そうなのですか? しかし、現に恐らく上野公園全体が⋯⋯あなたの言う、異世界となっています。私たちは現実の上野から、突然ここに迷い込みました。
二神研究員: ええ。飛び回る自在鷹置物も、矢を放ってくるヘラクレスも、私たちは体験しています。あなたの作ったものではないと?
羽柴氏: [小声で] 手違いがあったか? 何らかのミスが⋯⋯ [3名に向かって] この美術館の外 上野公園全体にも世界が続いているのですね? その上、不安定に現実世界と繋がってしまっていると。
浦極氏: 少なくとも私は、東京国立博物館内で突然こちら側に来てしまいました。
二神研究員: [梅山警備員の方を指して] 私たち2人も同じく東博からです。ドアを開けた先がここに繋がっていました。
梅山警備員: まだ私たちは見つけていませんが、他にも巻き込まれてしまった人がいる確率は高いでしょうね。
羽柴氏: [3人の方を全く意識しない様子で] 私の意図の外にまで複製が⋯⋯? 不安定化は意図が不明確なせいか? いや
[SCP-3173-JP全体が、地震のように大きく揺れる]
梅山警備員: しゃがんで! 頭を守る姿勢を!
[4人はすぐに床にしゃがみ込むが、すぐに揺れは収まる]
二神研究員: この揺れは
羽柴氏: ここまで不安定に? なんと⋯⋯
梅山警備員: 羽柴さん! [羽柴氏の注意が引かれたことを確認して] 一体どうしたんですかここは! 今の地震と言い、異界に引き摺り込んだことと言い、随分危険じゃないですか! これもあなたのアートの一部だと言うのなら、何とかしてくださいよ!
羽柴氏: それは 少なくともこれは私の意図するところではないのです。いたずらに死や血、暴力と結託した芸術は。
二神研究員: では、何かの意図しない不具合ですか。その心当たりはありませんか?
羽柴氏: [言葉に詰まりながら] それは つまり、領域が拡大してしまったのでしょう。国立西洋美術館だけだったはずのアプロプリエイトの範囲が、上野公園全体にまで。しかし、公園全体、あるいは他の文化施設に収蔵された大量の展示物の流用について、私はほとんどまったく構想していません。
[羽柴氏が壁に手をつき、しゃがみこむ]
羽柴氏: それこそが問題です。この複製世界は美術館から公園全体へ拡張されたにもかかわらず、拡張部はきっかりと意図が込められたものではない。故に不安定で、あなたたちが流れ着いたのではないかと。
浦極氏: 収める方法はないのですか? 例えば、新しく意図を込めなおせば
[財団の機動部隊隊員6名が、4名のいる展示室に乗り込む]
機動部隊-アルファ: [大声で] 二神研究員と梅山警備員ですね? そちらのお二方は民間人でしょうか? 救出に来ました!
羽柴氏: な、は ? まさか ああ、財団! 黒服ども! クソ、ああ! 君たちもか!
[羽柴氏が展示室から逃走を図って走り出した瞬間、震度4程度の地震が発生する]
梅山警備員: [機動部隊に] その人の確保を! 主犯です! この異常の!
[機動部隊隊員が、地震によって転倒した羽柴氏を拘束する]
羽柴氏: 待ってくれ! やめろ!
機動部隊-アルファ: まぁまぁ、落ち着いて
羽柴氏: 今、この空間についてまともに知識があるのは私しかいないだろう [地面が揺れ、たたらを踏む] 崩壊が迫っているやも知れんと言うのに、有識者の口を塞ぐなど愚の骨頂だぞ! 手を離せ!
梅山警備員: 崩壊ですか。それで、まさか現実の上野にまで何か起きたりは ?
[震度2程度の揺れが継続的に起こる]
羽柴氏: それはない! この『ハコ』が現実に影響を与えることはない⋯⋯はずだ。言っただろう、いたずらに死や血、暴力と結託した芸術は、私の意図するところでは無い!
浦極氏: であれば、羽柴さんには申し訳ありませんが、こちらとしては問題ないのでは。危険ですし、早く脱出することを優先した方が
二神研究員: いや、こちら側の上野公園にいるはずの、転移した民間人が巻き込まれるかもしれません。救助隊もここに来た6人だけじゃないはずです。
梅山警備員: 何とかして状況を収めることはできませんか!
羽柴氏: 私も考えている!
浦極氏: さっき言いかけましたけど、公園全体に意図を込めなおすというのは
羽柴氏: 理論上はうまくいくだろうが、一朝一夕にできるものではない! 全く構想に無かったアートを即座に考え出すなど、下手を打てば更におかしなことに
二神研究員: ですが少なくとも、この事態は我々双方にとって好ましくありません。羽柴さん、安定化のためには、例えば儀式や犠牲は必要ないということであっていますか。
羽柴氏: そうとも、そんなもの必要ない! しかし、上野公園全体に与える新しい意図、新しい価値、新しい文脈を創造するということ自体が最も容易ではないんだ!
[数瞬の沈黙]
二神研究員: では、この複製された上野恩賜公園 東京23区の裏側に突然現れたこの異常空間全体を、SCP財団の収容施設、サイト-81UTの敷地とします。その広大な土地を流用し、首都圏における一大収容拠点という新たな価値を与えましょう。これでどうですか。
羽柴氏: ⋯⋯は?
浦極氏: なるほど?
梅山警備員: 確かに、必ずしもアートとして、という必要はないですもんね。
羽柴氏: わ、私の芸術作ひ
[続いていた揺れが、突然に収まる]
梅山警備員: お。
二神研究員: どうやら、あなたの『ハコ』の方も、私の再定義を受け入れてくれたようです。
羽柴氏: なぜ⋯⋯ああ、私の⋯⋯
機動部隊-アルファ: [羽柴氏に] さて、空間が安定したようでしたら、そろそろご同行願います。何が起こるか分からないので、これ以上手荒な手段はとりたくありませんが。
羽柴氏: ⋯⋯くそ、ああ良いとも! 何処へでも行ってやるさ。ただ、私を傷つけようなどとは
機動部隊-アルファ: 勿論です。[二神研究員らに向かって] 皆さんも。お疲れさまでした。ありがとうございます。出口へ案内しますよ。[浦極氏に] あなたは、出た後に少しカウンセリング等があるかもしれませんが⋯⋯
浦極氏: あ、ありがとうございます。ええ。
[全員が、企画展入口に戻る道を進む]
梅山警備員: それにしても、即興でよくあんな流用、アプロプリエイションが思いつきましたね。
二神研究員: まあ、咄嗟の賭けのようなものでした。それに、彼の付けた『ハコ』という題を聞いて、少々思うところがあったのですよ。
梅山警備員: というと?
二神研究員: この空間は「鍵のかかった箱」そのものになりうるということです。
[全員が階段を上り、国立西洋美術館から出る]
<記録終了>
この後行われたSCP-3173-JP内の探索活動によって、意図せず転移していた民間人は全員保護され、記憶処理の後に解放されました。状況に応じて、カバーストーリー「迷子」「急病による搬送」「突発的家出」などが適用され、情報統制は成功裡に完了済みです。
一時的に財団と協力関係を結んでいた民間人である浦極氏について、事案解決への多大な貢献と、その際に活かされた知識量及び判断力、標準からやや逸脱した高い状況適応力に鑑み、財団への雇用が打診されました。この申し出は受諾され、現在同氏は大学に通学しつつ財団キャリアの基礎研修を受講中です。
SCP-3173-JP自体及びSCP-3173-JP内の小規模異常物品群の調査が完了した後、SCP-3173-JPは二神研究員らの提言によってThaumielクラスに指定されました。
以下は、更新されたサイト-81UTの概要です。
サイト-81UT
正式名称: SCP財団 日本国東京上野 東京都心総合研究・収容施設 | ||
サイト識別コード: JPTKUE-Site-81UT | ||
カバーストーリー: 東京国立博物館 精査・編年プロジェクト研究室 |
概要: サイト-81UTは、東京国立博物館の本館地下、及び同施設内からアクセス可能な小型現実空間に所在する遺物/次元収容施設です。元々は目立たない小規模な遺物研究施設でしたが、2023/10/06に財団が収容したSCP-3173-JPをThaumielクラス特殊資産として活用し始めたことで急速に注目を集めることになりました。
同サイトが保有する異常空間上の広大な土地面積は、東京都心部における財団資産の不足に対する解決策になり得ると見做されています。SCP-3173-JPが有する形而上的性質から、内部を収容設備として扱うことが空間の安定性を高めると考えられており、現在も設備拡張が進行中です。