SCP-3305-JP

侈のいろは ハブ » SCP-3305-JP

評価: +26+x
blank.png

アイテム番号: SCP-3305-JP

オブジェクトクラス: Keter

特別収容プロトコル: 現在SCP-3305-JP自体の封じ込めはできておらず、カバーストーリー"不審チラシ"の流布による異常性発現の抑制及び回収、財団ウェブクローラによるSCP-3305-JP関連の情報の操作、影響下に置かれたとされる人物の逐次的な記憶処理が行われています。

説明: SCP-3305-JPは、建造物に設置された郵便受け内部に出現するA4サイズの印刷物です。出現の瞬間を観測することには成功していないため正確な条件は不明ですが、以降に示す特徴を有する人物が住んでいる居住地のポストに特異的に出現するものと思われます。チラシの主な内容は、その建造物の住人のうち、
何らかの文章1の執筆を課せられている
当該文書の執筆が長期間滞っている
執筆が進まないことに精神的な負担を覚えている
人物一名に向けて、"一筆旅館"と称された地点にて当該文書の執筆を行うことへの案内となっています。以下はその典型的な内容です。

筆を持つ全ての方へ


静寂と癒しの宿で、言葉を紡ぐひとときを。当館は、執筆に悩むあなたのための温泉旅館です。
  • 閑静で快適な客室。雑音のない空間で、思考を深めるひとときを。
  • 一日三食、当館誇る板前の絶品料理をお楽しみください。
  • 源泉100%掛け流し。多くの文豪が「発想の湯」として愛した浴場です。
  • 執筆の機密は守ります。大切な創作活動を、確かな環境で。

お値段: 一作につき一万二千円

こちらの用紙にサインをしていただければ、すぐに温泉宿へとご案内いたします。

ご記名欄: ________

あなたの物語がここから生まれることを、旅館一同心よりお待ちしております。

湯元街温泉組合認定旅館 一筆旅館

当該人物(以後、対象者)がチラシの記名欄にサインをした場合、対象者は後述するSCP-3305-JP-A内部の客室地点へと転移すると同時に、12,000円相当の金銭を失います。この際、筆記用具や機材等執筆に必要な用具など、対象者が持ち込みの意思を示した物品群も同時に転移します。

SCP-3305-JP-Aは、後述の実体群から"一筆旅館"と呼称されている、外見上は温泉宿に類似する異常空間です。1階にはフロントおよび大浴場が、2階以降には客室が存在します。内部廊下は吹き抜けとなっており、階段およびエスカレーターを通じて昇降することが可能ですが、見かけ上は構造が無限に上部へと続いているように見え、正確な階数は不明です。後述する"チェックアウト"時を除いて対象者はSCP-3305-JP-Aから脱出することができず、窓や玄関口から脱出を試みた場合、即座にSCP-3305-JP-A内部へと転移します。

SCP-3305-JP-A内部の大浴場は、男女別湯の一般的な風呂・露天風呂です。掲示されていた温泉分析書によれば、泉質は一般的な塩化物泉と同様ですが、特筆すべきこととして「効能」欄に「ひらめき」「やる気」「継続力」等、通常では表記に適さない効能が記されています。これらの効能に関連した異常性が存在するかについては不明です。

ryokan

SCP-3305-JP-A内部の一般的な客室。

SCP-3305-JP-A内部の客室は、広縁や押入れ、ローテーブルや座椅子、木組みパズルおよび茶菓子、ルームキー等を備えた一般的な一人用の宿泊部屋となっています。

SCP-3305-JP-A内部では、大きく分けて2種類の友好的な実体が活動しています。1つは、宿泊者たちから"従業員"と呼称される人型の実体群であり、客室への食事の運搬、清掃など種々の業務に従事しています。これら実体群は、SCP-1749-JP-Aおよび要注意領域「湯元街2」で確認された複数の実体と形質が類似しています。このためSCP-3305-JP-Aは「湯元街」内部に存在する温泉旅館の1店舗だと推測されますが、前述の空間異常性により確認は不能です。

もう1つは、宿泊者及び"従業員"から"編集者"と呼称される、スーツを着用した黒い影のような人型実体です。"編集者"は玄関口を通して出現・消失し、およそ週に一度客室を訪問するとともに対象者らに執筆の進捗等についての質問及び催促、助言等を行います。

対象者が目的とする文章を完成させていた場合、"編集者"はルームキーを玄関で返却し、"チェックアウト"を行うことを促します。その後鍵の返却および退出処理を行った対象者が、SCP-3305-JP-Aの玄関口から退出した場合、対象者及び退出時に持ち出した物品は基底現実へと帰還します。

調査記録: 2024/07/08、サイト-81██において、同サイト所属の田山研究員を対象としてSCP-3305-JPが送付されました。なお、田山研究員は当時、月刊財団新聞における小説の連載を担当し、送付以前よりその執筆が難航している旨を他の職員に伝えていました。これを受けて、田山研究員をSCP-3305-JP-Aに転移させ、執筆完了までの間内部探査を行う計画が可決されました。以下は田山研究員によるSCP-3305-JP-Aの探査記録です。

音声記録3305-01 - 日付: 2024/07/11


付記: 田山研究員とともに転移したのは、小説の執筆に使っていた私用PCおよびその充電ケーブル、探査に用いる録画・録音機材等。


«記録開始»

room

研究員の転移した客室。

田山研究員: SCP-3305-JP内に転移しました。サインをしてからの主観的な感覚としては、だんだん眠くなっていくような感じでしょうか、その中で旅行に行くための荷造りをしなくては、という感じが起こって、夢中で必要なものを詰め込んだ⋯⋯みたいな。これは私の推理ですが、転移時対象者が意識内で選んだものが対象者とともに転移する、という機構になっているのではないでしょうか。

[カメラは田山研究員の私物であるボストンバッグを移す。中には執筆機材等が整然と詰め込まれており、これらは研究員と共に消失した物品群と一致する]

田山研究員: こちらが今回持ち込まれた物品です。結局パソコン等の執筆用具にだけ意識があって、アメニティ等は忘れてしまったんですが⋯⋯その必要はなさそうですね。

[研究員がクローゼットを開く。スリッパや浴衣の他に、歯ブラシやタオルといった用品も確認された。底面には「3本以上の手をお持ちの方や17本以上の足をお持ちの方は、お手数ですがフロントまでお申し付けくださいませ どなたにもぴったりなお召し物をご用意いたします 一筆旅館 女将」と記された半紙が置かれている]

田山研究員: 折角なので、SCP-3305-JP-Aの中では浴衣でいようかな⋯⋯室内ですが、こんな感じです。

[客室入口方面からのノック音、女性の「失礼いたします」という声]

田山研究員: はい!どなたでしょうか!

[研究員が玄関に移動する。着物を着用した女性の人型実体が和食の乗ったカートを引いて玄関前に立っている。]

実体: 一筆旅館の女将と申します。今回は私どもの一筆旅館にお越しいただき、誠にありがとうございます。

[女将と自称する実体が一礼する]

田山研究員: 女将さんでしたか[一礼]、こちらこそ、直々に挨拶くださり、ありがとうございます。

女将: いえいえ、お客様一人一人に、最初から最後までおもてなしをすることも、女将の務めですから。お部屋の方、いかがです?

田山研究員: ここなら執筆も捗ります。ところで、館内等の動画を撮影してもよろしいでしょうか?

女将: 構いませんよ  あ、でも流石にお風呂とかスタッフルームとかは遠慮くださいね。あとネットにあげるのもダメ。それと[台車の上の御膳を指す]これが今日のお昼ご飯になります。食べ終わったら容器を回収しに行きますから、そこにある電話使ってフロントに連絡してもらえれば。

田山研究員: ええと、それなんですが、実は  

[研究員が頭をかく]

田山研究員: ここに来る前に食べてきちゃって。

女将: [拍子の抜けた顔を浮かべる]あら、そう。

«記録終了»


メモ: 夜間になってから、記録と同じような形式で夕食が配膳された。こちらについては摂食したが、通常の温泉旅館の食事と比べ、かなり美味であった。-田山研究員




内部探査では、SCP-3305-JP-A内部の客室は建物の構造に従って無数に存在しているようにみえます。また、そのいくつかには同じくSCP-3305-JP対象者と推測されるものが宿泊しているようですが、これらの実体には基底次元において観測されていないものも含まれているため、SCP-3305-JPの出現範囲は基底次元外にも及ぶと考えられています。

音声記録3305-02 - 日付: 2024/07/19


付記: この探査では、客室外のSCP-3305-JP-Aの把握、並びに可能であれば他の客室の構造の確認を目的とする。


«記録開始»

[記録地点は廊下であり、廊下と吹き抜けをカメラで見回す。天井からの光のため、廊下に比べて吹き抜けは明るい。数多くの"従業員"らしき実体が各階に確認される。

田山研究員: 玄関を出てみましたが、同じような扉がいくつも並んでますね。

[カメラは廊下の張り紙にズームする。「他のお客様の秘密を漏らすこと」「他のお客様の作品を盗むこと」「騒ぐこと、むやみに廊下を走り回ること」のほか、「『"博士"3』様のご利用」「『下天茶屋4』構成員様のご利用」等が禁止事項として挙げられている。]

田山研究員: できれば、他の利用者や客室についても調べたいのですが⋯⋯

[研究員が右隣の扉のチャイムを鳴らす。扉は6本足のヤモリのような実体によって開かれ、内部の構造は先程の部屋とほぼ同一。]

実体: ん? 誰だお前は? 俺様に何か用か?

田山研究員: うわっ! 失礼しました  あの、私はこの旅館の利用者に話を聞こうと⋯⋯

実体: 成程インタビューってことか。なら大歓迎だ。入った入った!

田山研究員: 失礼します[スリッパを脱ぎ、客室に上がる。開いたクローゼットの中には、袖が二対ある浴衣が詰め込まれている]私はこの部屋の左に、  大体1週間くらい前かしら  から泊まっているものです。

実体: ん、右隣に泊まっていたのは君だったのか。そうか、もう1週間か⋯⋯[何かを思い出したような顔]まずい! 編集者が来ちまう。いいか、俺様のことを聞かれても知らないって言ってくれよ。

hirame

ヒラメによる典型的な環境同化。

[実体はヒラメ(Paralichthys olivaceus)のような形に変形して壁に張り付き、体色を変えて周囲の環境と同化する。カメラ上で姿が消失するのとほぼ同時に玄関の扉が開き、黒い影状の"編集者"が入室する。]

"編集者": [靴を脱いで客室に入る]もしもし?[不明な発音]さん? 進捗はどうですか? [不明な発音]さん! おや、貴方は⋯⋯

田山研究員: あ、すみません。隣の部屋のものです。どうも。

"編集者": 貴方、[不明な発音]さんを見ませんでしたか?ここの部屋で執筆をなさっている方なんですが⋯⋯

田山研究員: えと[口ごもる]み、見てないですね、全然。ええ。

"編集者": ううむ⋯⋯あの方はなかなか執筆が進まないようでしてね、小説のフアンでもあるワタクシがここ一筆旅館にお誘いしたのですがここのところめっきり姿を表してくれず[帽子を脱ぎ、顔の前で扇ぎ始める]心配になってしまいましてね。女将さんからはあの方は元気でここにいる、と言われてはいるのですが⋯⋯全く困ったモノです。

田山研究員: はあ⋯⋯それは、大変ですね⋯⋯ お誘い、ということはあなたが私たちにチラシを?

"編集者": いえいえ、ワタクシは一筆さんに便宜を測っただけでございます。貴方、ここのお隣でしたっけ⋯⋯しばらく経ったら伺いますから、お部屋で待っててくださいな、んじゃ、失礼。["編集者"が退出する。実体は再び姿を現す]

実体: [ヤモリ状の形に変形する]ありがとよ、助かったぜ。

田山研究員: あの、結構長いことここにいられるんですね?

実体: そうそう、こう見えて俺様売れっ子小説家で、新作を催促されるのがもう億劫で。そんな時にこの旅館のチラシが届いて、サインして荷物まとめたらすぐこの旅館に着いたのよ。ここに来てもう何日になるのやら⋯⋯半年超えたあたりから数えるのやめちゃったよ。

田山研究員: [沈黙]流石に長すぎでは?

実体: だってェ、しょうがないじゃない! ここはご飯も美味しいし、お風呂も入れるし、俺様みたいな売れっ子でも平穏に過ごせるし⋯⋯、と、いうか、あんたも隣にいるならわかるでしょ? 大浴場は是非入ったほうがいいよ。あそこに浸かってるとインスピレーションがすごい湧き上がってくるんだ。ここにズーーっといたいくらいなんだけど、週一で来るあの編集者!⋯⋯あとはこの原稿用紙に書くだけ、書くだけなんだけどさァ、

田山研究員: [空いた口が塞がらないといった表情]

実体: 前編集者と会った時全然原稿が進んでなかったんだけど、そしたら編集者がすごい形相になって5いやァあの時は死ぬかと思ったよ。そのせいで俺様怖くて全然話が進まなくって、弱っちゃうよねェ[中央の机で原稿用紙を丸め、くずかごに投げ入れる]

田山研究員: [丸まった原稿を目で追う]ちょっと、あなたの書いたもの、見てみてもよろしいでしょうか?

実体: いいよ。といっても、今投げたやつはボツ稿だから[唸り声]これが読みやすいかな⋯⋯でも俺様っぽくないんだよな⋯⋯

[実体が机に積み上がった原稿用紙のうち1束を研究員に渡す。ストーリーは王道的なファンタジー小説であるが、比較的風景の描写を重視した文体であり、また登場人物は全て実体と同様のヤモリ状生物であることが示唆されている。なお、文字は現代日本語であり、研究員が読解可能なものであった]

田山研究員: [しばらく用紙を広げ、読了する]いや、結構良くないですか。これ! 結構世界観の描写とかしっかりされるタイプなんですね。なんというか、その世界を切り取った風景画の解説を聞いているような感じになります。

実体: え? そう? いやァ、なんか、照れちゃうなァ[実体の色が変化し、濃い赤色になる]そういえば、ここには俺様の追っかけみたいなのもいないし、褒められるのも久しぶり⋯⋯いや、普通にあったな。編集者からも風景画だ何だって褒められたし。

田山研究員: あ、あの人催促するだけじゃないんですね。やっぱり逃げずにちゃんと会うほうが良かったんじゃ⋯⋯

実体: んー[首を傾げて考え込む]。そうねえ。君がそこまで言うなら、会ってあげてもいいかなァ。

田山研究員: ⋯⋯是非、そうしてもらえれば。

«記録終了»


yu

1階、大浴場前の写真。

メモ: この映像記録ののち、実体に勧められた大浴場を利用した。浴場内の記録は禁じられていたので入り口の写真のみをここに添付する。内部には2つの浴槽と露天風呂、5つの洗い場が設置されていた。なお、上記の実体は結局自分がSCP-3305-JP-Aから退出するまでの間に原稿を完成させていなかったらしく、自分がチェックアウトする際にも滞在している姿が確認できた。-田山研究員



探査記録3305-03 - 日付:2024/07/19


備考: 探査記録3305-03と同日の記録。"編集者"についての情報を得ることを目的としたもので、研究員は客室で執筆を進めながら"編集者"を待機している。


«記録開始»

[パソコンのキーボードが鳴る音。田山研究員が自身の小説を執筆している。研究員の唸り声が頻繁に混じる]

[玄関の戸を叩く音。玄関から"編集者"のものと一致する男声]

"編集者": もしもし? 田山さん? おられますか?

田山研究員: [パソコンから顔を上げる]はい! 今鍵開けますね。

[田山研究員が鍵を開け、"編集者"を客室の机へと迎える。研究員は給湯器から湯呑に茶を注ぎ、編集者の方に渡す]

田山研究員: あ、どうしよう。お茶受けが、客室にあった胡麻煎餅しかないんですが⋯⋯

"編集者": ほほほ、お茶だけでも十分嬉しいですよ。ここのお煎餅は美味しいですから、どうぞご自分でお食べなさいな[笑い声]。して、進捗を伺いたいのですが、少し原稿を見せていただいても?

田山研究員: 進捗はぼちぼちといったところです。ただ、原稿なのですが、当方の機密等の問題で、おそらく外部には見せられないかと⋯⋯

[田山研究員の執筆していた小説は主人公が財団職員であり、財団保有の超常技術の存在を前提とした描写がある。また、当該の小説は財団内部で発行されている新聞に掲載される。田山研究員が申し出に対して難色を示したのはこのためである]

"編集者": いえいえ、機密はしっかりと守らせていただきますよ。ほら、旅館さんの張り紙にもあった通り、秘密をバラすのはここでは御法度ですからね。

田山研究員: [音声記録3305-02冒頭の張り紙を思い出す]確かにありましたね、わかりました。では、お言葉に甘えて⋯⋯[研究員がパソコンを"編集者"の方へと向ける]

["編集者"は老眼鏡のようなものを顔面に装着し、パソコンを受け取る。財団職員である主人公と一般人の女性の恋模様を描いた連載小説であり、この時研究員が執筆していたのは主人公が女性とのデートを予定している水族館の下見をしながら、職務に巻き込まれる場面である。"編集者"が時折「ふむふむ」や「ほほう」等、やや演技張った独り言を挟みながら文書を読む]

"編集者": まずは、主人公の思想や周りの状況説明がきちんと最初に明示されている、これはいいことです。見たところ貴方は短編小説の連載をまとめて書いている。そうすると筆者にとっては1回1回の間が精々10分もかからないでしょうが、読者はそこに、例えば週刊だと1週間の隔たりがある。月刊だと4週間ですな。前回のことを忘れてしまっている読者に対して、大いに優しい書き方です。

田山研究員: なるほど、ありがとうございます──

"編集者": ただ[指を立てる]、今だとそれは少し煩雑すぎるかもしれませぬな。ことに、冒頭で語られる場面設定──今回は水族館ですね──が、少なくともこのお話の中では活かされていない。異常が発生し、それに対処するというストーリーの中に、何か水族館ならではの展開があるならいいのですが、現状ではここが水族館でも動物園でも、はたまた温泉旅館でも構わない書き口になっていますな。設定や場面の説明を書き連ねるのは⋯⋯ワタクシとしてはおすすめしません。それが面白い設定であればあるほど、作中で活かされなかった時は焦れったくなる。やはり先ほど言った1週間、1ヶ月と、読む時の間隔が空いてしまえば、その情報を読者は忘れてしまって、焦らされた、と言うマイナスなイメージが残ってしまいがちになりますからな。

田山研究員: う、確かにそうです、ね。しかし、個人的にこの光景は残しておきたいんですよね⋯⋯ナンセンスは百も承知ですが、1ヶ月ほど前に水族館に行きまして。そこの巨大水槽がとにかく圧巻といった感じだったんですよ。その時の圧倒的な光景を、ぜひ文章で描写したい、という欲があって⋯⋯

"編集者": ははあ成程、何とまあ素敵なことではございませんか。そうであるなら[考え込む]、思い切ってその水族館の綺麗さを、本気で描写するのはいかがです? 一旦ストーリーは閑話休題、として──それでも多少あらすじを補うのは読者に親切でしょうが──今回は、その圧倒的な大水槽を、最初にあるような想いを抱えた主人公の目線から見つめることを目的とした回にする、というのは。

田山研究員: 水族館を文学的に描写すること一本でやる、ということですか。確かにそちらの方が素敵かもしれませんね。例えるなら、そう! 「世界を切り取った風景画」みたいな。

"編集者": ほほほその通りでございます。丁度お隣の[不明な発音]さんがそういった風景画的な描写がお得意なのですが⋯⋯もしや、[研究員の方向に顔面を近づける]やはり貴方、[不明な発音]さんにお会いしているのでは?

["編集者"の顔面はさらに近づき、田山研究員の目の前にまで接近する]

田山研究員: えっと[動揺]、いや、自分が行った時も既に空き部屋で──それより、的確なアドバイス、助かります。何だか自分の書きたいものと進めたいお話との折り合いがつきました、ええ。

"編集者": そうですか⋯⋯[ゆっくりと研究員から顔を遠ざける]まま、それは頗る良かったですな。田山さんの書きたいものの片鱗を拝聴することができて、実に面白かった。それじゃこれにて⋯⋯

田山研究員: はい、ありがとうございました──[やや急ぎがちに"編集者"を玄関へと誘導する]

«記録終了»


メモ: アドバイスについては耳が痛かったが、その分書き方の糸口が掴めたような気がする。それはそうとして、隣の実体の件で詰められたのは相当肝が冷えた。実体が逃げ隠れているのも(流石に1ヶ月はどうかと思うが)同情できないこともない⋯⋯かもしれない。-田山研究員



 
 
 


探査記録3305-07 - 日付:2024/08/16


備考: この時点において、田山研究員は目標とした連載を完結させていた。以下は完成からチェックアウトまでの記録である。


«記録開始»

[客室内。田山研究員の姿と、開かれたボストンバッグが映る]

田山研究員: さて、原稿が完成したので、あとは荷造りをして、"編集者"を待機するだけになります。

[荷造りが進められる。田山研究員がボストンバッグに、基底現実から転移したものを詰めるが、客室内にあらかじめ用意されていた胡麻煎餅も加えて同封する。チャイムの鳴る音]

"編集者": もしもし? 田山さんいらっしゃいますか?

田山研究員: はーい⋯⋯[玄関にカメラとパソコンを持って向かう]どうも、おかげさまで無事完結いたしました。

"編集者": ほほう、それは誠におめでたいことです。是非、見せていただいても?

田山研究員: もちろんです! どうぞ⋯⋯[パソコンを"編集者"に渡す。"編集者"は前回からの差分を読み、研究員に戻す]

"編集者": いや、お見事でございます。ワタクシからはもう何も言うことはございません。[手にあたる部分で拍手をするが、音はない]それにしても、やはり新しい作品の羽ばたきを見るのは、何度見てもやはりいいモノですな。ワタクシの助言が、お役に立ったのなら幸いですが。なにぶん、ワタクシの言葉に対してやや苦しそうな顔をしておりましたから⋯⋯

田山研究員: いえいえ。良薬は口に苦し、というやつですよ。今から思い返せば、もっと厳しくしてもらった方が良かったかなあ。[笑う]

"編集者": ふうむ、喝を入れることもなくはないのですが、個人的には、あまり厳しい言葉を使いたくはないんですよ。実は、その周りに苦い思い出がありましてね⋯⋯少し、昔話になってしまいますが⋯⋯聞いていただけますか?

[研究員が首肯する]

["編集者"が玄関に座る。研究員もそれに続いて玄関に座る]

"編集者": 創作は厳しい環境に晒されてこそ、と思っていた頃も、確かにあるのですよ。以前出版社に勤めていたことがありましてね、出版社が小説家を旅館に缶詰にする、という風俗はその時分からすでにあったもんで、まあ例の如く、旅館の戸を叩いては、とある小説家の原稿を読んでやいのやいの言っておりました。心のどこかで、己は目の前の小説家共より偉いのだ、という考えがどこかで湧き上がっていたのだと思われます。よく高圧的になっては、この表現はありえない、こんな文章を書くやつは小説家じゃないくらいまでのことを言った覚えがあります。

田山研究員: ええ、そんな時があったんですね。今じゃ考えられないです。

"編集者": まあまあまあ、その時のワタクシは、まあ、簡単に言えば思い上がっていたのでしょうな。⋯⋯そうしていたある日、いつものように扉を叩いたのですが、返事がない。もしや、逃げたのでは⋯⋯なんて合鍵で戸を開けたら、

["編集者"が帽子を目元まで下げる]

"編集者": 部屋の真ん中に、彼は浮いていました。首を括っていたのです。

[約10秒の沈黙]

"編集者": 彼は遺書も何も残しませんでしたから、正確には何のために死んだのかは私にもわかりません。ともあれ、私は担当の小説家をその傲慢のために失ったものと解したのです。

"編集者": それっきりでその出版社も辞めてしまいました。元より、専属の小説家が自殺した編集者、なんて誰も寄り付かないモノですからね。辞めて少し後、旅館の近くに行く機会がありまして、ふと旅館の方を見たら跡形もない。私は近くの人に聞いてみました、ここにあったはずの旅館はどうなったか、と。彼は言いました。ちょっと前に潰れちまったらしい、何でもここで小説家が死んだってんで客がこなくなって、それで首が回らなくなったんだろう。と。

[沈黙]

"編集者": 何とまあ、罪深いことをしてしまったものです。それからのことは、あまり覚えておりません。思い出したくもないですからな。しかしまあ、ひょんなことからここの一筆さんに呼ばれたのが転換点と言ったところです。女将さんもワタクシも大の小説家おたくということで以前から仲は良かったのですが、ワタクシは例の件以降、人とは疎遠になっておりましたから、今度小説を作る人のための旅館をやろうと思っている、と連絡が来た時は大いに驚きました。そして、ワタクシにそのお客の原稿を見て欲しいと言われた時はなお驚きました。

"編集者": 驚いた、というより、少しワタクシは怖かったのです。ワタクシの傲慢さでまた人が死んでしまっては堪らないですし、彼女の旅館を潰すことも恐れていました。しかしここの女将さんは剛気な方でしてな、そんなものは何も心配はいらない、もしちょっとでもあんたがお客様を病ませたりしたら、あたしが客室まで行って直々に成敗してやるから、なんて言われまして半ば強引に⋯⋯未だ編集者としては未熟者ですし、ノックが帰ってこないと底知れぬ不安がふっと過ぎるモノです。しかし、そんな一度は世間から影を潜めていたワタクシがまたこうやって創作に携われるのは、まっこと嬉しいことです。

田山研究員: 色々とご苦労なさったのですね。

"編集者": しんみりした話になってしまいましたな⋯⋯[立ち上がる]さあ、作品が完成したのでしたら、チェックアウトができるはずです。室鍵をフロントまで持っていけば、そのまま元の世界に帰れますよ。

田山研究員: 色々と、ありがとうございました。[一礼]あなたの批評、確かに役立ちましたよ。

"編集者": こちらこそ、昔の話を聞いてくださりありがとうございました[一礼]。話の種にするでもよし、あるいは何か創作のねたにしていただければ、こんなに嬉しいことはありません。じゃワタクシはこの辺で。また、何かご縁があれば会うでしょう⋯⋯

["編集者"が退出する。]

田山研究員: 僕も、帰る時ですね。一応フロントまで記録は続行します。

[荷造りを完了させ、部屋を退出する。フロントでルームキーを返却し、玄関口から退出した瞬間、画面は暗転する]

«記録終了»


メモ: 自分と共に転移したボストンバッグからは、チェックイン時に所持していた執筆機材や記録機器だけでなく、SCP-3305-JP内部由来の胡麻煎餅も確認できた。また、退出時、客室内に黒のボールペンを一本置いていってしまったが、帰還から1週間後の08/23、記名などから遺失物と同一とみられるボールペンが、以下の内容が書かれたメモ用紙とともに自宅の浴槽内で発見された。これらは現在超常現象記録として申請済である。-田山研究員

メモ用紙に記載された文章:

お忘れ物があったようですので、遅まきながらお届けいたします。
今後の更なる創作活動を、旅館一同応援いたします。

一筆旅館女将

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。