SCP-3363-JP
評価: +64+x
blank.png

記録データ情報


ファイル名: LMC2520-SPI420B_29601011.log
記録日時: 2961/10/11
記録者: Terra Verde - 職員定期状況報告

2961/10/11
PM 01:12
生存圏"Terra Verde"
居住域11番樹"ブリタニア"

昼下がり。緑が茂るこの土地は木漏れ日がとてもお似合いなのだが、今日はあいにくの曇天であった。

すっすっ、赤リンは紫リンとこすれ合った摩擦熱で不安定になり、頭はちろちろと燃える。それを燃料をしみこませた繊維に移す。繊維に火がともる。これを一言で言うなら、「アルコールランプに火をつけた」なのだが、この場に居る人間の何割がこの行為を目にしたことがあるだろう。少なくとも、三割を切っているのが私の見立てだ。

「先輩……貴女って人は」

低い声が耳を刺す。

「ここ、火気厳禁です」

「知ってる」

「ここが燃え落ちますよ」

「燃える?ここはブリタニアだぞ。枯れ木でもないし、組み木の家でもない。小火だって起こるものか」

「駄目です。私があなたの連絡係になっている理由を、もう一度説明した方が良いですか?五度目になりますが」

「私のわがままだ」

「反省しないからです」

この世界の金属は全てインクリニティウムとかいう無限増殖ナノマシンの餌だ。必然、建材は木材か石材の二択になる。今、私達が立っているここは、「テラ・ヴェルデ」、アマゾン川汽水域の23本の大木のひとつ、「ブリタニア」の中だ。品種改良を重ね、数年で標高50メートルにもなったこの大木は、実は想像するような木ではない。

木の幹に見えるものが木そのものであり、切っても輪切りのピーマンのようになる。この幹は栄養と水分に満ちており、加工こそ難しいものの、柔軟性に富み火に非常な耐性を持つため、そのまま建物として扱われたり、給水施設になることが多い。枯れた大木は良い薪になり、耐久性も十分なため、対金属、対機械への有用な城壁になる。乾燥するとただの木材と変わらないので、良く燃えるのが難点だが……。

しかし、この大木は現役の「ブリタニア」。たかだかアルコールランプ一本で大火事には至らない。それを知っているからここで珈琲を沸かそうとしているのに、このカタブツの角ばった後輩は融通が利かない。だが確かに規則では禁止されているので、渋々沸かしはじめたポットを除けて、アルコールランプに蓋をした。

「要件はそれだけかい?」

後輩は長方形の眉の下に潜む仏頂面を動かさず、ただ単調に口を開いた。

「予定通りなら、今夜『アストリズム』の通信路が開きます。委員会から通信の準備を通達されました」

「そうかい、じゃあ行くとしよう」

規則違反がとうとう私を破滅に追い込んだか、と緊張したが、杞憂だったようだ。安心で自然に顔がほころんだ。






つかつかつか、と「ブリタニア」を降りる。

「ええと、通信機器はマリアンヌにあったっけ」

「7番樹、アンクル・サムです」

「ここから何キロだよそれ」

「ここからだと……」

「ストップ」

距離の話がしたいんじゃない。と遮った。汽水域からアンデス山脈のふもとへ行く。その意味するところは「ひどく時間がかかる」である。それ以上でも以下でもない。同位のものとして「すごく面倒」くらいか。

「そうですか。ですが今からでも飛ばさないからには予定時刻に間に合いません」

「じゃあなぜ今来た、前日とか前々日とかに来ればいい話でしょうが、そのための予定だろ」

「四日前から動いていましたよ。ほぼすべての大木を訪ねました」

「アテナも?」

「ヘルヴェティアもイヴァン四世もまわりました。そもそも、貴女が行き先を教えないからこういうことになるんですよ」

「はい、すみません」

放浪癖のある私を追うのに、さぞ苦労したことだろう。通信機器のあるアンクル・サムをまず確認して、そこからアマゾン川を下りがてら二十数か所の大木を一々確認しているのだ。

「通信が終われば奢るよ」

「……ありがたく頂きます」






船を使う、というのは、良い移動手段だ。川沿いには植物が必ず生えていて、機械共の入り込む余地がない聖域となっている。そういう環境だからこそ、金属を用いた機械がその運用を許されるのだ。とはいえ、喫水下でジェットを吹かしたり、次元理論を用いて跳躍したり、などという技術は生きていない。此処における船とは、燃料植物から抽出した燃料を利用して動く、気筒エンジンを用いたスクリュー式ボートだ。時代にして千年も前の技術水準。人類は此処まで情けなくなってしまった。しかし、時速60キロの風は、じめじめとした曇り時には丁度いいし、揺れる景色にも風情がある。原始的だが、進んだ文明。植物と共に生きる街と岸沿いに点在する船の数々は、どこか懐かしいという感情を想起させた。

向かう途中は、お互いの近況報告。彼は委員会連絡士として、委員会と私のような技術者、研究者との橋渡しをしている。彼はコミュニケーション能力が高く、所謂問題児と称される人間との連絡は、主に彼を通して行われる。私は問題児ではない。違反はルールが邪魔な時にしかしないから、ここでの問題児にはあたらない。彼は私の研究室の後継者だった。それを委員会に横取りされたのだ。私の分野は後継者不在で道はしばし途絶えるだろう。その賠償として、彼の古巣の主であるという特権をフル活用しているに過ぎない。

後輩である彼は、私以上の偏屈、あるいは常識知らずの同業者にしっかり衝撃を受けていた。情報交換のときに顔合わせをしていたお行儀のいい仲間は、単に上澄みであったことを知ったのであろう。船室で操舵する彼の顔は、背後の椅子に座る私からは見えない。しかし、不思議と「うんざりしている」という表情がありありと目に浮かんだ。

「貴女が可愛く思えるくらいには個性的な方ばかりです」

「言ったろ、私は問題児ではないって」

「問題児とは相対的な評価ではないですよ。先輩も委員会から目をつけられてます」

「……マジ?」

「僕がこういったことで冗談を言いますか?」

「私についてはえらく辛辣な冗談を飛ばすだろう?」

「冗談と思われないためにあえてそうした言動をしていたはずですが」

悲しいすれ違いである。待て、これまでの物言いが冗談ではないとは何の冗談だ。

「それで、先輩の方は。何か委員会に報告したいことはありますか」

「……植物壁の更新が遅れている個所がいくつか。侵食深度が250Xel前後までになっている箇所もある。2か月ほど遅れているのもあったから、その場所をまとめた。これ以上遅れるとそこから滅ぶって脅せ」

「他には」

「付近に危険区域が発生していたが、その場所についても記している。駆除は待ってくれ、私が実験場に使う」

「他には」

「さっさと次の連絡士を見つけて君を返してほしい」

「最近事前に断るということを覚えました」

「ケチだなあ」

「寛大とはよく言われます」

後継者がいなければこの研究は50年もしないうちに終わる。それは世界の損失だと自負しているが、しかし。彼にとっては将来終わる研究よりも、今自分がやらなければ世界が終わりかねない仕事の方が大事のようだ。次の連絡士を見つける気概はない。彼は実直な人間だ、あのボケ老人や変人を相手するというハズレくじを誰かに押し付けるなど、他ならぬ彼自身が許さないだろう。愚かとは思わない。今の世では不要だが大切な感性だ。

しばらく、無言の時間が流れた。後輩は東の果ての大木たるアンクル・サムへ向けて舵を取り、段々と狭まりつつある川幅と船の間を縫うように駆ける。私はと言えば、危険区域での実験の準備について考えながら、川から見える船を眺めるばかりであった。

「そうだ、今回はどこと通信するんだい?」

ふと、思い出した。生存圏ごとに定められている固有の周波数を事前に知っておかないと、作業が円滑に進まない。それに、各生存圏ごとに文化が違う。マナー違反をしてしまわないために、相手のことは知っておきたいものだ。

「今回は生存圏ではありません。テラが送り出した第五次大規模外郭調査部隊の定期報告です」

「ああ、もう半年経ったのか」

時の流れとは早いもので、既に外郭調査部隊は北米大陸に入り、予定の上ではオタワに居るとのこと。灰色の天井を見ない数少ない地域のひとつだ。

「じゃあ、特別意識すべきマナーもないな」

「礼儀は尽くしてくださいよ……先輩、見えてきました」

日暮れ、夕日に照らされる大木を見る。管理域第7番樹、アンクル・サム。最大にして、果ての大木。ここより東はアンデス山脈、機械の海から私たちを守る、父たる山々だ。


アンクル・サムの中はブリタニアと同じ環境であるが、様子は全く違うものだ。わかりやすく言うなら、ブリタニアは西欧らしいシックな造り、アンクル・サムは北米らしいポップな造りのオブジェや建造物が多い。住民の精神的な部分が見事に反映されているとも言えよう。夕暮れ時のため、人の動きもまばらながら活発であった。
閑話休題、通信機器は程なくして見つかり、動作も良好だ。

「通信はどこで?」

「時間もないので、ここで通信をします。通信に必要な委員会の人間は、既にここに呼んでおります。あくまで通信機器を扱えるのはテラ・ヴェルデにおいて指で数えられる程度なので」

「あー……もしかして、私がすごく迷惑をかけた感じかな」

「有体に言えば、はい」

「すみませんでした」

「その言葉は委員会にとっておいてください」

大木からほど離れた、高く開けた場所で、通信機器の調整をする。万事順調、大した問題もなく、着々と作業は進む。このようなことも「できる」と言える人は、黒鋼が地表を覆う際にそのほとんどが死に絶えた……真っ先に。

あれらはおおむね種としての繁栄のために増える。「技術者」、そうニューロデータに登録されている人間や、機械に興味を示すとわかっている人間は優先的に瓦礫に殺された。データベースに「技術都市」と書かれているものは優先的に金属の群れに埋められた。私が生き残ったのは、ひとえに偶然だ。偶然に生き残って、重すぎる責務を背負わされた。技術者需要に対して、圧倒的に少ない供給が原因だが、今更一人二人私みたいなやつを増やした程度でどうにかなる状況ではないし、後続の育成も面倒だ。他の技術屋連中は同様でないことを願いたい。

日は沈み、夜が来る。赤道直下はどの時期でも暑いものだが、夜の高山は肌寒いものだ。アルコールランプに火をつけて、水を沸かす。珈琲を作って、身体を温めるためだ。黒い天井は点々と光を灯し、その中でもひときわ明るいシリウスのごとき星が動いているのが見えた。アストリズムであった。



「アルコールランプか、レトロだな」

ふと、私の背後から声がする。妙齢の女性が発する声だ。ため息を若干ついて、火を消す。二度目の妨害だった。

「珈琲の邪魔をして済まないが、そこはお互い様だ。アストリズムは佳く見えるかい?」

「ええ、見えておりますとも。今日は眼鏡をお持ちでなかったのですか?アンクル・サム代表、アレクサンドル委員」

「人間の観点は、心理状態によって変化する。心は眼鏡で覗けるものではないのだよ。ともあれ、貴様は悪くないようで何よりだ」

「それなら、『元気?』と訊けばいいでしょうに」

「上に立つ者がフランクに接するという行為は見苦しい」

「委員会も大変でございますな。今日の通信はあなたが?」

振り返ると、白髪の片眼鏡が黒い礼服に身を包んで立っていた。複数の黒服もおまけつきで。山腹だというのに、なかなか殊勝な心掛けだと感心する。その堂々たるたたずまいは、登山の装備をしてきた私たちがかえって場違いのように思えてしまう。それはさておき、私の問いかけにアレクサンドルは首肯した。

「何せ古巣に我が外郭調査部隊が行くというのだからな」

「当時も偉かったのでしたっけ」

「馬鹿言え、ただの中間管理職だ。だからこうして生き残ったのだよ」

お互い幸運でしたね、と慰めにもならない言葉で会話を締める。機材の調整は完了し、あとはアストリズム経由でオタワからの発信を待つばかりだ。アストリズムに付随する衛星兵器の攻撃によってあらかた消失した (ゆえに、空からの攻撃を警戒して機械が入り込んでこない、という説もある) とはいえ、何か残っているのかもしれない、という淡い希望。それは、オタワから何者かの通信が入ったという緑神からの報告がきっかけであった。何者かはわからない。しかし生存圏間の通信の際、わずかな間、割り込みがあったのは事実だ。緑神は海を渡れず、ならばとテラ・ヴェルデがその手を上げた。何もないはずの土地に、何かがある。財団の理念としても、なんとかして調査したいという本音は隠せないものであった。

機材がハウリングする。通信が不安定ながらも受信をしている証拠だ。数秒後、声が聞こえる。

『あ、あーテステス。聞こえますか』

「こちら生存圏テラ・ヴェルデ。管理委員会所属、アンクル・サム代表のアレクサンドルだ。そちらの声は聞こえている」

衛星経由特有のラグが、会話に独特な拍を生んでいる。

『はい、こちらも聞こえております。第五次大規模外郭調査部隊、連隊長のサミュエルです。アレクサンドル委員、ご無沙汰しております』

「挨拶はその辺にしよう。まずは状況の報告だ」

『はい。隊の現状をお知らせします。損耗率は───』

外郭調査部隊の状況は、正直に言って芳しくない。得たものは少なく、失ったものは多い。通信ができているのだから、技術者は多かれ少なかれ生きているのだろう。彼らの悪運の強さに敬礼だ。

「ご苦労。特段のものはあるか」

『その件ですが、興味深いものが見つかりました。機械に反抗するウイルスです』

黒服たちがざわめく。私もその音声を聞き逃すまいと聞き耳を立てる。

『インクの作るハブノードを乗っ取っているところを発見・抽出したのですが……たった一行の文章で稼働する攻撃的なウイルスです。機械らがオタワに立ち入れなかったのも、これが原因でしょう。1つや2つではありません。ここ一帯をある種の聖域のように環境構築しています』

「ほう?」

『彼らは我々に友好的です……というのも、驚かないでくださいね。冗談を言っているわけではないのですが』

通信可能時間残り1分のベルを鳴らす。悠長に喋っていられる時間はないことを知らせた。

「構わん、言ってみろ」

『四足歩行の生き物、えー、犬でしょうか……それが廃品同然のコンピューターの画面内で不規則というか、とても有機的な動きでこちらへアプローチしています』

アレクサンドル委員の声の調子が変わった。

「了解した。その犬をコンピューターごと連れて帰るように。貴君らの生還を、心待ちにしている」

ぶつ。無理やり布を破くような音が、通信切断の合図だ。アレクサンドル委員の表情は変わらないが、今までにない位上機嫌であった。

「通信機器の設営、ご苦労だった。私はここでお暇させてもらう」

踵を返して下山する彼女の背中を見て、私は確信する。今、この瞬間は変節なのだ。何の変節か。それはまだわからないけれど。



「先輩」

「ああ、これから忙しくなるぞ」

星々に照らされる生存圏を見渡す。
優しく灯る淡い光は23の大木とその街の形をアマゾンの密林からふわりと輪郭を浮き上がらせている。

「君も、連絡士なんて席でぬくぬくできそうにないかもな」

夜は更け、帰り着くころには朝になっているだろう。安眠は、いつのことになるのやら。





◀◀◀ BACK DATA | SCP-3363-JP | NEXT DATA ▶▶▶

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。