灰色の雲が、オタワに圧をかけている。一方、俺に圧をかけているのは、財団のお偉いさん、アレクサンドル管理官。
「2度目だな、A15調査班長、古河。今回ここで諮問するに至った理由は……まぁ、そんなことは君が一番わかっているだろう」
自明である。度重なる規定違反、独断専行、ついでに財団運営の大黒柱たるアトラスタ財閥に余計な深入りを大匙3杯程度。アトラスタからの苦情によって、俺たち……いや、俺の独断専行が詳らかにお偉いさんの耳に届くところとなった。階下に空と同じ色の街が広がる、遥か上空に位置するこのサイトの議場。人々が生活する都市を踏みつけるように透けた床の部屋で、たった一人──つまり、俺一人──を殺風景なダウンライトが照らしつける。弾劾する面子の顔は管理官含めよく見えない。いいや、正確には管理官以外のお偉い職員方は単なる壁のような黒いモノリスとして鎮座している。逆光で見えない表情は、管理官の意図をうまくつかむことができない。まるでカオナシの怪異を相手取っている気がした。決して良くはない己の感情に、顔は自然と仏頂面になっていく。
「……しかしだ、古河。同時に記録上では、人事部門におけるあんたの評価は申し分ない程の好成績な事も見て取れる。仮にもそんな優秀な人間が、なぜこのような愚行を行ったのか。私は訊かなければならない」
「へぇ、こんな形式上の裁判で聞かなきゃいけないことなんかあるんです?」
露骨な態度に嘲笑交じりのざわめきが起こる。それを牽制するかのように、管理官は「形式上は」と、少し声を張り上げた。一瞬で訪れる静寂。貫禄、威厳、そのようなものが鶴となって吠えたような印象を覚えた。
「形式上なのはその通りだ。しかし、この場は形式以上の意味を持つ」
なるほど、と俺は眉をひそめた。要は、優秀な「人間」を手放したくないのだ。正真正銘生粋の生身で、義体よりも優秀である。貴重なサンプルケースにして異常な水準に居る「生き物」。こういった手合いは世界中どこを探してもほとんど存在しない。だから、アトラスタの圧力に反してなんとか守り抜こうとしている。正直、そういった上から目線の問題は考えたくない。しかし、自分の命ややりたいことを考えれば、財団との利害は一致しているかもしれない。いや、一致してしかるべきだ。そう確信して、俺は口を開いた。
「それじゃあ、俺たちの調査で得られた結果で弁解するとしますか、管理官殿。……先の我々の実施した調査により、いくつか不自然な接続痕が見つかったのですよ。あのセンターでね」
「あのセンターというのは、君がアトラスタに確保されたトラフィックプログレスセンターで間違いないな?」
「ええ、通信の港、データの結節点。あのセンターは、システムの中でも上の権限を持つ場所です。たぶんお手元の資料にはあるとは思いますが……37ページ目のやつ。それを見てみると、ぱっと見、変な場所はみられません。ですが、一件だけ、このセンターが不明な場所へ『ゲスト』として接続していたんです。よく考えてみてくださいよ。『港』が、まるで『船』のような挙動を取ったんですよ。高位の施設がそういった振舞をするには、もっと高位の施設につながる必要がある。そのもっと高位な施設は港として名前をぼかす理由がない。よって……」
待った、と、アレクサンドル管理官の声がかかる。
「それは確かな情報か?少なくとも、アトラスタ財閥からはそのような話を聞いたことがない」
「確かかどうかは財閥さんにでも訊きゃあ良いんじゃないですかね。最も、公式的には絶対首を縦に振らんでしょうが……別に、事実かどうかは公式が決めるもんじゃあないでしょうしね」
「……ふむ」
サイトの管理官ともなれば、常日頃から人脈の拡大や根回しなどは怠らないだろう。こんな情報を出されたら確認せざるを得ない。気になれ、不審に思え、疑え。俺の活路、正義の在り方、財団の義務、全てが同じ方向にある。そっちを見ろ、俺を見ろ!
「アトラスタが発表している通りちょいとした誤作動だったなら、これは悲しい『災害』で終わるでしょう。アトラスタは今後も再発しないように頑張りましょうねで終わりです。しかし、これが意図的なものなら?誰かが目的を持ってやっているなら?また起きるでしょうなぁ、こんな恐ろしい『事件』が!
その可能性が存在する以上、形だけでも『人類への制憲権』を持つ組織なら、本腰入れて探るべきなんじゃないですかね?」
ざわめきが再び沸き起こる。有り得ない、XANETを攻略する勢力?、まさか、などなど。喝采代わりの動揺が、モノリスの向こう側から巻き起こる。さて、肝心の管理官殿は……
「……その発言は脅迫とも取れるぞ、古河。ここは公の場。もう少し言葉を選べ。だが……主張自体は興味深い。真偽確認を済ませたのち、これが仮に真だった場合だが……。その場合、君らの班を解散・左遷させ、別途で調査班を立てる。君の足跡は他の優秀な者に継がせるとしよう」
「いいや、それでは遅すぎますよ、管理官。こうした不祥事は風化が速いものです。財団だってそれを一番理解しているはずでしょう。こうした案件こそ拙速を尊ぶんですよ。時間がたてばたつほど相手にとって有利になる。この一分一秒が惜しいんです。他の奴らに異動命令出して引継ぎやってるうちに本当に不具合だったことにされるかもしれない」
「……だから?仮に犯人がいたとて、これ一度限りかもわからない。そうした場合なら真相究明は二の次、再発防止に努めた方がまだ将来のためになる。そもそも、上意下達の組織で言うことを聞かない手足など要らないのだよ。君は何か勘違いをしている。自分の価値を高く見積もりすぎじゃないか?」
「お言葉を返すようですがこちらを安く見て貰っても困りますよ。情報は資本です。それに、飼い主への噛みつき方なら、多分俺たちが確実に、最も手ひどく噛みつけますんで。つまり。仮に事実と認められた場合は、俺を、俺たちを起用しろ!それ以上に良い人事はないってことです。以上、弁明を終わります」
胸を張る。最後まで、最後まで強気になれ。俺は決して悪くない、財団、ひいては人類の大義のためにやったことだと思わせろ。場の空気を作ったなら、他の奴らに水を差されない振舞を貫け……そんな想いでレスリングをする心臓と滝のように出る汗を態度と語気でごまかした。こんな気分はもう二度と味わいたくない。さて、どう出るか、アレクサンドル管理官。
「……その言葉を待っていた。ブラフにせよここまで言い切れるのなら相当な胆力だ。今一度、人事部門に君の処遇について進言する。君の提示した資料は後ほど私が確認しておく、今までに蓄積した捜査資料を引き渡せ。事実確認を行った後、結果如何では君にこの件を任せられるよう手配してやっても良い」
ほ、と息をつく。どうやら自分の首は薄皮一枚つながったようだ。
「だが、古河。それはそれとして、君が独断で動いた事実は揺るがない規律違反だ。これから噛みついていい飼い主と噛みついてはいけない飼い主を判別することだ。これからは私に話を通せ。処分は追って知らせる」
これにて諮問を終了する。という鶴の一声は、議場の人間を椅子から解放した。議場を出てから初めて見る瓦礫の山は、からっとした青空になっていた。