クレジット
記録データ情報
ファイル名: SurveyTeamA15.Spatial_Psychological_Infomation_Map.29271112.log
回収日時 2952/10/18
回収者: Terra Verde - 外郭調査部隊-UN6
復元状況: 復元済
2927/11/12 17:21:10 (日本標準時) |
アジア経済連合領日本 埼玉ブロック 新常盤40番市 |
日本。アジア経済連合と呼ばれる国家影響圏の牽引役を担う国家である。
経済規模としてはアジア経済連合の中央理事国では最も大きいものであり、「最先端事業の採掘場」と言わしめるほど、高い技術力と製品品質の高さが売りの国家であった。しかしながら、今では財閥に良いようにされる筆頭となっている。財閥主導のベーシック・インカムが取り入れられてからは、政策的見せしめや新制度の試験導入はおおかたここで行われるが、その後始末はいい加減で、今となっては全体的に治安が悪い。それでも大国、列強と形容できるその経済規模は、ひとえに財閥の恩寵の厚さを示している。
その恩寵の証のひとつが、「政令指定工場」。人間を雇うことそのものが非効率となっている職域が大量にあるこの時代、政令指定工場は「働きたいものが働く自由」を保障するためのものであった。もちろん、多くの地域はそのような無駄なことをする余裕はない。しかし、金を余らせている地区では、それを有効に使うために無駄遣いすることもある。
「これはどうも、遠路はるばるこのような極東へ」
A15班の一同を柔らかな笑顔で出迎えてきたのは、マキザキ。常盤第八工場の工場長であり、アトラスタ財閥における先代の副社長である。工場長オフィスの席に腰を掛けていた一同は向き直り、古河が先陣を切って頭を下げる。
「こちらが常盤第八です。まあ平々凡々な場所ではありますが、どうぞ、ゆっくり見ていってください」
その物腰柔らかな態度に、イリシアは戦慄する。
「うわっこわ……これで200歳弱のおじいちゃんってマジ?──いてっ」
「イリシア、お前は無礼なのがウリなのか?」
「小声だったじゃん!酷いなぁーもう……」
それにしても、清潔感のある中年義体はとても2世紀分も生きているようには見えない。無頼気取りの復讐鬼、一匹狼、実力ひとつで成り上がらんとする野心家。先だって聞いたそのような評価が砕け散っていく。どちらかと言えば上司に頭を下げる中間管理職の印象だ。
「今日は、私に用があるんですってね?この老骨に話せることなら、何でも訊いてください」
常盤第八工場、アトラスタ財閥の下で娯楽飲料を作っている工場だ。ここも手酷くRe:BREAKの影響を受けていたはずだが、今では正常に稼働している。そもそもに義体化やニューロアーク技術の適用を受けた人間が少なかったためだろうか、それとも──。
「すごい、普通に動いてる……」
「これも人の手のなせる業か」
「ご明察です、この工場は政令指定工場。日本は働きたがる物好きたちが多くてね。そして理由もそれだけじゃあない」
マキザキは表情ひとつ変えず続ける。
「元々、この国は財閥が管轄する領域がそれほど多くなくてですね。あなた方の組織が管理するニューロバンクのお陰で、私も彼らも、工場も、ご覧の通り」
「日本支部の管轄……トツカか」
ええ、ええ、とゆっくり頷くマキザキに、古河はふと思い出す。『トツカ』と呼ばれるニューロバンクにはアトラスタ財閥は関与しておらず、財団が最初からすべての運営権を所掌している。詳しい話こそ知らされてはいないものの、後ろで「あたしのいるところじゃん!」と間の抜けた声で古河の言葉に反応するイリシアの通り、ニューロアーク技術の適用を受けている財団職員はほぼすべて、そのトツカと呼ばれる施設に命が保管されていた。
「あそこは他のニューロバンクよりも堅牢と聞いています。やはり、財団や連合が管理するところのほうが信頼性が置けるのでしょう。はるか昔は色々とあったようですがね」
「そういえば、そんな古い話も歴史の教科書程度には知られてるな」
ローゼンバーグはマキザキの言葉を受けて、視界の端にトツカについての情報を軽く表示していた。本来の用途では財団職員の人格表象領域を保管する設備として運用されていたが、ニューロアークの普及に伴う技術的ブレイクスルーが完全な人間の人格そのものの保管を可能にしたこと、ヴェール条約の撤廃による機密解除などの政治的ゴタゴタの末、財団だけで独占する必要が薄まったことなどを受け、ニューロバンクの1つとして一般向けにも開放された、という経緯を持っているのだという。
「そう、うちで働く義体化人員も、そこで暮らしている者が多くいるのです。おかげで復旧も意外に早くできたし、その間の稼働を生身の人員がしっかり支えてくれるもんですからね、他と比べて業績も良いんですよ」
「政令指定工場だから、人員について影響圏内でそこまで差はないだろ。業績が良いのは、元副社長である彼の采配のうまさだろうな」
ローゼンバーグは感嘆する。マキザキの表情は懐かしいものを見る目つきで、「元副社長など、厭な話をしますね」とつぶやいた。
「あれから、本社はどうです?」
「しょーもない失脚騒動を起こそうと躍起になったお馬鹿さんが引き起こした乱痴気騒ぎで世界中大混乱だ」
「ああ……あの馬鹿どもが、焦ればそこで終わりだと学ばなかったのか……」
その声色は、怒りに打ち震えているというよりは、歓喜を抑えているかのようだった。咳ばらいをして、失礼、とマキザキは続ける。
「もう昔のような顔ぶれは残っていないでしょうな。とはいえ、世界を停滞させ続けるイサナギ家の連中が、未だトップに居るんでしょう?」
停滞。マキザキの嫌いな言葉であり、状況である。
今や世界の全てがXANETに覆われ、非常に便利な社会が訪れた──しかしそれらは人の心をひどく堕落させたと、彼は考えているのだ。それをもたらした張本人は他でもないイサナギ家の人間であり、世界の頂点に居ながら人類の成長を抑えつけている。それは自身の、世界の頂点という椅子を奪われるのが怖いからだろう。私はそれを恐れない。人間は、更なる競争をするべきだ。それがマキザキの考えである。
「マキザキさん、訊きたいのはひとつだ」
古河が虚空を見つめるマキザキへ話しかける。
「100年前、ニューロバンクに何をした?誰が何をすることを認可した?」
「……ニューロバンクに何か起きたのですかな?」
僅かに首をかしげて問い返すマキザキに、「とぼけやがって」と内心で舌打ちをかましつつ、古河は全て説明する。ニューロバンクで起こったことを。ニューロバンクで覚えていることを。凄惨な事件を。マキザキの夢を見ているような顔は、次第に醒めたそれに変化していった。
「これで思い出したか?」
「……あぁ、ついにやったか、やってしまったのか!」
それは、心当たりだとか、懐古だとか、その類いの表情ではなかった。現在に対する憤りと希望、そして未来に対する満足と展望の表情だった。
「そうか、そうなんだな。やっぱりイサナギはやった。ああ、いつか必ずやると思ってたんだ、絶対にやると!ははは……この悪事、どうにかして世間に公表しなければならないぞ」
「ちょ、工場長さん!いきなりどうしたのよっ!?」
「お、おいマキザキさん……」
マキザキは目を見開く。事務所の天井を強く刮目するように見上げ、不敵な笑みを浮かべるべく口角を持ち上げる。まるで古河達には目もくれず、彼は狂乱してデスクへと駆け寄り、端末に向かい合って文字を打ち始めた。その目の輝き具合といえば、怪しく爛々と際立っており、古河の肌には寒気が走り、他2名も吃驚の声を上げるばかり。
「君たち、そのことを詳しく話してくれ。まだ事態の詳細は公開されてないんだろ」
「それは報道規制が敷かれているからだ。ただでさえ混乱の極まった世間で、これがあられもなく公表されれば混乱が発生する」
「それは君、コラテラル・ダメージってもんだろう!」
妙な気迫と汗を滲ませながら強く声を張り上げるマキザキに、古河はみじろぐ。彼は嘘などついていない。そう直感が告げている。本心からこう願っているのだ。「今が、イサナギを倒すとき」「それが成されなければ、二度とチャンスは訪れない」「それ以外はどうでもいい」と。
「あの競争否定主義者が、邪魔な人間をかくも残酷な方法で人を殺して見せたのだ!自分の椅子が惜しいからと!それだけで!前途有望な人間たちを無惨に殺したのだ!それが繰り返されないためには、まず社会の混乱よりもイサナギを倒すことだろ、違うか、えぇ!?」
「工場長さん、アンタ一回落ち着け。間違いなく精神状態がよろしくないぞ」
「いいや、いたって冷静だとも!いや冷静でいられるか!放っておいたら間違いなく彼らは隠蔽しているんだ、事は一刻を争う、絶対に逃すわけにはいかない、絶対に!」
彼は側頭部のカバーを外し、そこに端末から伸びるケーブルの先端をカチリと接続してみせる。瞳孔は開ききり、なすべき事をなせと湧き起こる使命の波にまかせ、さらに端末をタイプし続ける。
「このまま放っておけば、奴は……イサナギは絶対に隠蔽するだろう!先代があのような怪物だったのだからこそ、今代だって同じようなことをする、怪物の子が怪物でないわけがない!」
「ちょっと待って、おじさん何言ってるの?!ニューロバンクに穴を仕掛けたのはあの社長とでも言いたいの?」
「まるでお嬢ちゃんが前に言ったことを地で信じ込んでるのかって顔だな……」
イリシアとローゼンバーグの引き気味の言葉に耳を傾けようともせず、マキザキはケーブルがつなぎ止める一心の通信に集中しているようだ。
「私はやらねばならん、やらねば、やらねば!あの男を許してはいかん、何十何億という人間を幾度となく己の退廃のために振り回しておいて、すべてがなかったことになどさせるものか!あの男を、あの一族を決して許しては──」
端末が煙を噴き上げる。いや、噴き上げるそれは端末からだけではない。
「……まて、おい工場長、マキザキさん!あんた、ニューロデータが焼き切れてるぞ!」
ローゼンバーグはマキザキのもとへと近づき、その肩を強く握り込んで引っ張る。だが、それに対し彼は振りほどくように暴れ、ローゼンバーグの頬に拳を振り当てた。
「触るな!私はなすべき事をなす、この告発で世界を変えられる、財閥の暴走を止められるんだ!」
「まずい、このままじゃ死んじまうぞ」
「イリシア、そいつを抑えろ!」
間伐入れず返事とともにマキザキに駆け寄ったイリシアは、彼の後ろから回り込んで羽交い締めにする。彼女の強靭な身体能力の上では、彼からいくら殴られようと、身悶えながら振りほどこうとしようと意味を成すことはなかった。
遅れて2人も駆け寄り、強引にでも端末に手を伸ばすマキザキを左右から引き剥がそうとする。
「ったく、俺にこんな真似をさせるんじゃねぇよ……お嬢ちゃん、こいつに繋がってるケーブルはくれぐれも抜くなよ!」
「ふぇっ、わ、わかったわよ!」
「よせ、離せ!おまえらも財閥に良いように使われるだけの日々が終わるチャンスをみすみす無視するのか!」
マキザキは床に倒れ伏しながら喚き散らかす。古河は暴れ続ける彼の首に手を掛け、腰元から取り出したシリンジをそこに突き刺した。
「いい加減に落ち着きやがれ!」
「やめろ!私を殺すつもりか、この財閥の犬め!貴様らとてこのままでは連中に、後ろから……寝首を掻かれて……しま……」
古河が手を下したことによって、マキザキはようやく落ち着きを取り戻していく。いや、正確に言えばそれ以上に、力なく項垂れていった、と形容した方が正しいか。
「……私は……まだ、まだこんなところ、で……」
「リーダー、それは」
「義体用強制鎮静剤。政令指定工場が大騒動になっている可能性を踏まえて念のために持ってきておいたやつだ。使うことはないと思ってたが、そんなことはなかったか」
シリンジを引き抜くと、かすかに声を響かせながら、マキザキは身体を痙攣させる。辛うじて意識がシャットアウトされてはいないようで、ギリギリ会話は可能そうだ。古河は間髪入れず口を開く。
「おい工場長、一体どうしたんだ。端末で何をしようとした?」
「あ、はは、は……私は、この、事実を、表へと曝露、しなければいけなかった」
「ニューロバンクへの不正なハッキングは、全部イサナギがやったって言うのか」
「そうだ、そうだとも。私はすべてを知り、それを表沙汰にしなければいけないんだ……。先代の失脚では反省などしなかった、そんな連中に……」
うわごとのように同じ事を繰り返し続けるマキザキに、若干の呆れを見せる古河を横目、ローゼンバーグは立ち上がり、今なお煙を吹き続ける端末へと向かい合う。
「……やはりな」
モニタを一目見たローゼンバーグは、何かを察したようにマキザキへと向き直る。
「工場長さん、あなたのやるべきと確信していることは、我々が引き継ぎましょう」
「……な、なに……?」
「ローズ、何を言って」
ローゼンバーグはふたりに目配せをする。「話を合わせろ」、そう言っているようだった。
「この陰謀の告発は、財閥とも財団とも独立して動いている我々が、責任を持って対応します。いずれにせよ、ここの端末は工場内でしか使えないスタンドアロンだ、私達であれば、すべてを解決できます」
「……本当、なんだな……?」
「はい、お約束しましょう」
「わ、わかった……で、では……私のメモリに、記録されている、すべてを……あの男の、すべてを……託、す……」
「頼ん……だ、ぞ……」
ローゼンバーグはため息をつく。
「これは一体どういうことだ?何故あんなことを言った、説明をしてくれ」
「そうよ、まさかイサナギが本当にアレをやらかしたって言うの?」
「何も本気で言っちゃいねぇよ。というか、この状況じゃあどう言ったところでこいつは止まらなかった」
「はぁ?」
「マキザキは義体を変え名義を変え、200年も生き続けてきた老獪だ。どういう理屈でそれを成し遂げたのかは知るよしもないがな……いずれにせよ、数時間もしないうちにニューロデータが焼き切れて死ぬ運命だったのさ、こいつは」
寿命。健康というものが簡単に手に入り、病苦が駆逐された現代において、死というものの最後の砦が寿命であった。耐用年数や、データの物理的劣化ではない。心や魂といわれるものの寿命だ。それは一般に150年、長生きしても200年が限界とされている。心の摩耗はニューロデータにすら作用し、発狂や憤死に近い形で現れる。今、それが目の前で起きていた。ローゼンバーグが、彼のニューロデータを格納していた脳殻シリンダーを後頭部から取り出せば、見事に内部から液状化した構成物質が溢れ出てしまっているのが何よりの証拠だ。
「だが、こいつが託そうとしたデータの残骸、記憶痕跡を見る限り……途方もない恨みつらみでここまで立っていたであろうことはよく分かるな。全部無意味化していて読めたもんじゃないが」
そして、200年に迫る期間を生きた者の共通点として、執念や執着といったものが人並み以上に存在する。自己実現の欲求から色欲まで、それは多岐にわたっているが、彼の場合は復讐や出世欲、そして彼なりの使命感がそれにあたるだろう。しかし、死の直前は人の形をした妄執が動いているようなものであり、そこに如何なる大義があったとしても、それは人に理解できるものではなくなってしまっている。
「結局振り出しに戻ったってことじゃんそれ……あの社長が結局黒幕なのかも分かんないし」
「なら、直接聞くのが一番だろう」
「そろそろ、終わりましたか?」
今までずっと隠れていたイサナギの分身……プレイル・イサナギが一通り終わったことを察して顔を出した。
「ああ、ご覧の通りだ……しばらく俺たちは当局に色々訊かれるだろうな」
「マキザキ……」
プレイルは特に何を言うこともなく、マキザキの遺体をただ見ていた。哀愁漂うクマ人形は、すこしだけシュールであるが、この構図自体はこれからのことを考えるのに少しも助けにならない。A15班に必要なものは、彼の風貌ではなく能力なのだから。
「すみません、感慨にふけってしまいました。警察には通報しておきます。彼らが到着するまでに、出力メモリのアーカイブを作成しましょう。後ほど班の技術担当者とともに解析作業を行います」
「無意味化してるのにか?」
「全部が全部、というわけではないでしょう。彼の発言は殆どが妄想ですが、一部真実が混じっている可能性も捨てきれません。情報の精査は一応得意なので、お任せを!」
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