アイテム番号: SCP-3419-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-3419-JPの周囲は物理的に封鎖し、非財団職員の侵入を阻止してください。収容チームは3週間に1度SCP-3419-JPの保存状態のチェックを行い、必要に応じて洗浄・修繕を行ってください。SCP-3419-JPへの接近は収容チームへの許可申請が必要であり、なおかつ直接的な接触行為は原則的に禁止されています。
収容チームはWebクローラー等を用いた情報収集を通じて過去にSCP-3419-JPに接触した民間人を捕捉し、その人物が後述する曝露者であるか否かを判別する必要があります。曝露者と考えられる場合、汎用マニュアルに基づき当該人物を一般社会から隔離して専用の生活チャンバーに居住させ、部屋の外部には常に水難救助用自立機を配備してください。異常事象が発生し、曝露者が生存した時点で当該人物は記憶処理と共に一般社会に返却されます。
訳注: 注意/局地洪水が随時発生する可能性があります(Agt.カットにより撮影)
説明: SCP-3419-JPは風化した警告標識です。その視覚的特徴は、黄色の背景および溺水者を示す黒色のアイコンから成り、下部には局地洪水の発生を示唆する警告文が綴られています。SCP-3419-JPはアメリカ合衆国ミズーリ州南部に位置するホーソン国有林の管理小屋の外壁に存在し、地元の森林局が取り扱うラミネート加工貼り札と同様の形態を取っています。
SCP-3419-JPの描画物である「人の手」1に接触した人物は、その後の人生で必ず何らかの水害を被ります。この異常性は対象にとって致死的なインシデントを発生させうる危険性を大いに孕み、かつまた非科学的な現象を発生させうる可能性も十分に含みます。異常性発現の例として、SCP-3419-JPの被害者と考えられている40代の一般男性は、当該アノマリーの「人の手」との接触から約7年後、メリーランド州のホテルの客室で科学的に説明できない浸水に見舞われ、結果的に溺死しています。
SCP-3419-JPの異常性がいつ、どのような形で発現するかは予測不可能であり、さらなる傾向分析と対応策の確立がサイト-531管理官により督促されています。消耗人材を積極的に活用し、調査サンプルを増やす試みは採算および倫理の観点から認められていません。
補遺3419-JP.1: 沿革
1997/07/13、ホーソン国有林を流れるブランシュ川で発生した一連の局地洪水を受け、ミズーリ州の森林局職員は、敷地内に計14点の警告標識を設置する作業を行いました。当時の記録によると、当局職員は川辺に近い主要な林道沿いに標識を置くことを策定しており、SCP-3419-JPの存在する管理小屋は計画に含まれていませんでした。このような経緯にもかかわらず、SCP-3419-JPはいずれかのタイミングで問題の管理小屋の外壁に貼り付けられ、ホーソン国有林の公共標識として振る舞い続けていました。
SCP-3419-JPが最初に人目に触れてから約2年後、財団は南カリフォルニアでとある1人の男性の科学的に説明できない水死を記録し、それから約11年後にその妻である女性の水難事故を確認しました。彼らは1999/10/14にハイカーとしてホーソン国有林を訪れていたため、この時にSCP-3419-JPの「人の手」と接触していたと考えられています。
2012/04/15 、ホーソン国有林で巡回していた森林局職員はSCP-3419-JPの経年劣化を確認し、敷地内の標識の設置作業を行った職員に修繕関連の問い合わせを行いました。この際、当時の作業監督員を受け持っていた職員はSCP-3419-JPの設置場所に身に覚えがないことを初めて不審に思い、個人的なFacebookにSCP-3419-JPの情報を問いかける投稿を行ました。この投稿はその不可解性から一定数の一般人の目を引き、確認できるだけで22人の観光客がSCP-3419-JPに接触したことが分かっています。
2014/01/13、財団はミズーリ州周辺で時たま発生する起源不明の水害による変死を関連付け、その被害者がホーソン国有林に訪れた事実を共有していることを突き止めました。この際、財団はFacebookを通じて不審な標識にまつわる前述の投稿を確認し、実地調査によって当該オブジェクトの検査を行いました。結果として、その異常存在確度が96.81%である事が判明し、財団はこの警告標識が変死の原因であると推断してSCP-3419-JPの即時隔離を実施しました。
現在、財団はホーソン国有林の敷地の一部を公的に取得し、SCP-3419-JPの存在する管理小屋を囲繞する形で継続的な収容を実施しています。SCP-3419-JPに曝露した人物の完全な特定は未だ達成されておらず、ミズーリ州のサイト-531職員によって目下調査が進められています。
補遺3419-JP.2: インタビュー記録
以下は、現在進行形で収集されているSCP-3419-JP関連事案の生存者に対して財団が実施した聴取からの証言抜粋ログです。聴取対象者の多くは異常な水難事故のトラウマ体験に起因する様々な程度の言語障害を来していたため、報告の簡潔化を目的として自然な形で省略する編集が施されています。閲覧に際して本資料は調査の進展に応じて随時追加・編集される事に留意してください。これの完全版を含むSCP-3419-JP関連電子記録はサイト-531データベースから取得可能です。
証言抜粋ログ#1
対象: マイク・ハードリカー、29歳、高校教師
発生日時: 2005/11/13
発生場所: ストックトン湖岸、ミズーリ州ポーク郡オルドリッチ近郊、ウォレス通り
ハードリカー: 僕は車の運転をしない。他人のドライブに付き合うのもご無沙汰だ。何故かって……改めて言わせるな、トラウマだよ。クソ、僕自身の心の中にいる僕はまだあの時のままなんだ。本当に湖に近付かなければよかった。レイクビューを楽しめると思って知らない道に寄った事が愚かな選択だったんだ。
そうそう見ないほどに真っ赤な夕方だったよ。仕事帰りにふと見えた湖面のきらめきに惹かれて、僕は何かを思い出すみたいにハンドルを切って細い砂利道の方に車を進めたんだ。湖の外周をぐるっと端から回り始めて……その場所が期待外れの景観だったら印象に残らずに済んだろうに、息を呑むほど綺麗だったのが癪な話だ。僕は窓の外を横目に見ながら運転して、課外活動で自分の生徒を連れて来ようかとか彼女に共有しようとか平和たらしい事を心に浮かべていた。そんな時に差し掛かったのが小さな橋だ。全体的にひび割れていて道幅が狭いから注意して渡ろうなんて考えていた。その時、一瞬だけ嫌な予感がしたよ。本当に一瞬だけだった。何故なら悪い予感はすぐに現実に顔を出したからだ。
車は水の中にいたんだ。刹那だ。カントリー・ミュージックを流していたラジオがジリジリ叫んでも僕は何も感じなかった。当惑していたんだ。そうしたら心臓が爆発したみたいに高鳴り出して……僕は窓に酷く頭をぶつけたんだ。……もう一度言うが、僕は車ごと水の中にいた。狂った話に推論を持ち込むのもどうかしてると思うが、橋下の湖の水位が出し抜けに上昇したような感触だったんだ。
車体は水流で急激につんのめって、後部のラゲッジスペースに置いてあった工具箱が勢いよく僕の肩を強打してきた。車体は多分1回転して……車外ではとんでもない音が響いて止まなかった。その間僕は身震いばかりだ。たとえ地元で銃乱射事件が起きても容易に塗りつぶせないくらいの恐怖が車内に張り詰めていた。だけどその時、僕の頭に突然彼女や生徒の顔が浮かんできて、唐突に死を認識する事ができた。だから僕は無我夢中でシートベルトを外して、窓を開けて身を外に放り出したんだ。
水中は夕空と同じ真っ赤な光で満たされていたよ。胃はすぐ水浸しになって、僕はまるで泳ぎ方を忘れた魚みたいに激流の中を下手くそに進もうとした。するとどうしてか太い木の枝に捕まる事ができた。僕が目を瞑って激しく呼吸していると、水位が肩から足先までみるみる引いていくのを感じて、気が付けば事態は元通りになっていたんだ。濡れねずみの僕だけが異常みたいだった。体は30分近く硬直したままだった筈だ。
その後は歩いて高校に戻った。僕を見た女教諭は取り乱してSRO2を呼んだんだったかな。家に帰ったのはもうしばらく後で……そこまで深くない湖なのに車は誰が探しても見つからなかった。そうしてる内に僕は気付いたんだ。自分が全く車に乗れない事にだ。彼女やバスドライバーの運転でも駄目だった。その後に心理学の本を読んで、トラウマは脳が未整理のまま保存してしまったおぞましい記憶なんだと知った。行き着くところ僕の深層心理は危険信号を光らせたままなんだ。ちょうどあの日のてらてらした真っ赤な太陽みたいにだ。ああ、まあ、今日はもうこれ以上語らせないようにしてくれ。今も空えづきが凄いんだ。あの日あの瞬間の水没事故が何もかも意味が分からないんだ。……意味が分からないんだ。
証言抜粋ログ#2
対象: ノーラ・ゴストムスキー、32歳、ライター
発生日時: 2014/01/28
発生場所: コロンビア・スイミング・プールのシャワールーム、ミズーリ州ブーン郡コロンビア近郊、ラビニア通り713番地
ゴストムスキー: 習慣だったんですよ。ほら、1月って大抵の子供が新しい教育環境に慣れてくる頃でしょう?私の2人娘もそうでした。とどの詰まり安定期です。……だからプールに通う事を決めた。最初は小さな思い付きで、運動不足解消のためでした。スーパーマーケットで隣人が自分の足で歩けず電動カートを使っているのを見たんです。数ヶ月振りに見かけましたが、見知った人が病的な程に太っている事に衝撃を受けて、危機感を募らせたというのもあったと思うんです。ただそれだけの経緯でした。
あの日も私は寒い風が吹く中プールに向かいました。いつも通り受付から鍵を貰って、決まったレーンを泳いで……子供を待つために3時頃までにはそこを出る予定でした。そして当日の運動計画をやり終えた後、私はシャワールームに向かいました。建物のとても奥まった場所にある部屋です。面倒な造りのせいで毎回長く冷たい通路を歩かされていました。着いた時には私以外に1人だけ少女が利用していました。私は隅の個室に入って、シャワーレバーを引いて……体に付いた塩素を入念に洗い流していました。温水を浴びている間はキャップやゴーグルも指でこすり洗いしていましたが、思い出したくない事はこの辺りから起こる事なのです。
1度だけ強く重々しいノックがありました。他の個室は絶対に空いている筈なので私は固まりました。しばらくシャワーの弱々しい音だけが響いていました。そうすると、床の排水トラップが急にコッと音を鳴らしたかと思えば、個室の扉が勢いよく開かれて、水の塊が堰を切ったように中に押し寄せてきました。……人の脳は突発的な出来事に弱いというのは今になってよく分かります。私は頭が真っ白になって、手足が痺れるような不快感に思い切り叫び声を上げました。水中では体ごと世界がうねるような感じでした。目鼻口に水が押し寄せて塩素の尋常でない刺激臭がしたのを覚えています。私はそこで何かに縋るように手を振りました。しかし何にも接触しなかったので、私は無意識に上方向へ泳ぎ出し、何とか水面に顔を出しました。
私は激しい混乱に揺さぶられたままそこで辺りを見渡しました。けれど、水位のせいで頭の真横に天井の照明器具があるような異常な事態しか認識できませんでした。私はここで必死に水面に浮かぶ事しかできない最中、どうしてか不意に先程見た少女の事を思い出したんです。ちょうど下の娘と同じくらいの年齢に見えました。そもそも独りでプールに来る事自体憚られるような年齢でしたが……私は彼女の安否がとにかく不安になり、咄嗟に手に握っていたゴーグルを付けて水中に顔を沈めました。はたして少女の姿はどんなに視界を巡らせてもどこにもありませんでしたが、入り口付近の洗面台の蛇口から、螺旋状に捻れるような強い水流が発生している事に気付く事ができたんです。何故だか分かりませんが、私は"これだ"と思いました。
私は一気に息を深く吸って潜水し、渦巻く流れに押されつつ洗面台の元に向かいました。陶製の台にしがみ付いた時点で私は洗面鏡に一瞬奇妙な影が映るのを見ましたが、構いもせず手を伸ばして、蛇口の栓を強く締めました。……後は早い話です。1秒前まであった水は嘘のように消えていました。シャワーの温水が床タイルにぶつかる音だけが部屋に響き渡り、全てが日常の顔を取り戻していました。私はすぐさまその場を離れて、プールサイドに居た清掃員に事の顛末を報告しました。その男性は怪訝そうに話を聞いていましたが、女性の職員を呼んでくれて、私は水着のまま従業員用の休憩室に通されました。私は手渡されたブランケットを持って独りで泣きました。家に帰ってもそれは変わりませんでした。
私は何とか生き延びる事ができました。けれど、少しでも誤りがあったらと思うと今でも恐怖や不安で涙が込み上げてきます。家族にはこれ以上心配を掛けたくありません。あれは私の人生で最も辛く恐ろしい体験でした。
証言抜粋ログ#3
対象: セシル・チェッカレリ、51歳、銀行員
発生日時: 2027/06/08
発生場所: チェッカレリ氏の私邸の書斎、ミズーリ州ペティス郡セダリア近郊、コリンズ通り2039番地
チェッカレリ: まばたきのように一瞬の出来事でした。確か、豪雨の日に遅い昼食を終えて、書斎で静かにスペイン語版のグレート・ギャッツビーを読んでいた時だったと思います。私が鮮明に覚えているのは、濁った水中の色でした。まずは視界が気泡に包まれて、次は途方もない水圧が全身を打ちました。私は自分の命が直接押し潰されたような感じがして、錯乱から左胸を押さえました。私は心臓に持病があるので。……まあ、無意識にやった悪手でした。私は為すすべもなく廊下に押し出され、そのまま階段の方に流し去られてしまいました。
既に10分以上息を留めていたかのような酸欠感が私の肺を襲ったと記憶しています。目を見開くと何百もの書籍が水流の中で藻掻くようにはためいていました。私も辛さのあまり咄嗟に腕を振り回すと、手すりか何かを掴みましたが、1秒かそこらで握力が無くなって手が離れました。この時点で私の心は死にました。全身の活力が急に無くなった感じがして、私はそのまま物のように、水中の深い所に飲み込まれていきました。
耳に響く音は飛行機のジェットエンジンのように煩く、かといって厚い貝殻の中のようにくぐもっていました。そして、意識が飛ぶ寸前に見えたのは手でした。あれは私の手ではありませんでした。……そこからの記憶はぽっかりと抜け落ちています。徐々に意識がはっきりしてくると、私は自分が横たわっていて、暗い病室の中に居る事に気付きました。ぼんやりとした意識で辺りを見渡すと、視界の端で、妻が肩を震わせてすすり泣いているのが分かりました。訳もわからなかった私は、それでも慰めるために手を伸ばそうとして初めて、自分の右肩から先が無い事に気が付いたのです。妻は「もがれていたのよ」と恐ろしそうに呟きました。病室の隅では研修医らしき青年が何度も何度も嘔吐していたのを思い出します。
補遺3419-JP.3: 起源調査
セシル・チェッカレリ氏への聴取記録を筆頭とする複数の証拠に基づき、サイト-531は何者かの手が実際に曝露者の周囲に出現し、一連の異常水難事故の経過に関与しているとの結論付けを行いました。また、チェッカレリ氏の損傷した肩部からは皮膚の深層まで食い込んだ爪の破片が採集されており、3419-JP収容チームはそれらを遺伝子鑑定に回して「人の手」の正体の究明を試みました。精密な法医学的調査の結果として、SCP-3419-JPの関連実体である「人の手」のDNAがイリノイ州クック郡シカゴ在住の女性、ジャクリーン・アンゼヴィーノのそれとほぼ完璧に一致すること3が判明し、財団は当該人物への聴取を実施しました。以下はその音声記録の書き起こしです。
対象: ジャクリーン・アンゼヴィーノ、39歳、イリノイ州15区下院議員
記録日時: 2027/06/08
記録場所: 第3聴取チャンバー、サイト-481
記録者: クーパー・ヴィン研究員
SCP-3419-JP
[前略]
ヴィン: 改めて、アンゼヴィーノさんに尋ねたい事があります。それは「人の手」についてです。[SCP-3419-JPの写真を提示する]これはミズーリ州南部、ホーソン国有林に位置する管理小屋の外側から撮影されたものです。この被写体を見て、何か思い当たる事はありませんか?
アンゼヴィーノ: [考え込む]えっと、ちょっと分からないんですけど、これは一般的な警告標識ですよね?何と言うか、自宅近くの湖の周りにもこんな類の看板をよく見ます。[写真に目を凝らす]後はそうですね……"局地洪水が発生する"と書かれている。シカゴは雨が多い地域なので、そうした問題をしばしば引き起こすと認識しています。
ヴィン: そうですね、雨天時の川は危ういものです。ところでアンゼヴィーノさん、我々は貴女が幼少の頃ミズーリ州南部に住んでいたと把握しています。ホーソン国有林については何か心当たりはありませんか?
アンゼヴィーノ: [軽く笑う]意外と詮索好きなんですね。ええ、貴方の言う通り、私が育った故郷はフォックス・ベンドというミズーリ州南部の町です。目立った観光地も何も無い地域でしたが、自然豊かな場所が沢山あって、ホーソン国有林もその内の1つでした。でも、ほんの数回しか行ってませんよ?私の家は地元で有名な資産家の家庭だったので、厳格なホームスクーリングが行われていたんです。9歳の頃には隣州のシカゴに移住しましたし、特にこれと言ってお伝えできる事はありませんよ。
ヴィン: いえいえ、些細な事でも結構ですよ。この写真に関連して言えば、川に関して何か危ない出来事があったとか、そういう内容の話ですかね。
アンゼヴィーノ: 無いですよ。私、川は好きですしね。見ていると心が身軽になります。
ヴィン: 分かりました。ちなみに僕は川が苦手でしてね。何かを流してしまいたくなる衝動が強まってしまうんです。
アンゼヴィーノ: 貴方、ちょっと病んでるんですよ。こんな閉塞的な施設で連日働くのはきっと心に来るはずです。
ヴィン: 皆知っています。……ところで今日、実は私はもう1枚写真を持って来ているんですよ。今お見せしますね。[証拠品袋に封入された爪片の写真を提示する]こちら、小さいですが、人間の爪の破片を写した写真です。
アンゼヴィーノ: [驚いて]つ- 爪?どうしてその写真を見せるんですか?
ヴィン: 重用品なんですよ。聴取の最初にお伝えしましたが、我々が追っているのは「人の手」です。とある危険な事件群の元凶がそれだとさえ考えられています。そしてこれは恐らく「人の手」から割れ落ちた爪で、法医学的検査からDNAも既に解析されています。
アンゼヴィーノ: [考え込む]……おぞましい。あのう、貴方がたは異常な事件に対処する捜査機関なんですよね?つまり、もしかすると、私がその犯人をよく知っているだとか、そういった話なのですか。
ヴィン: いいや、貴女ですよ、アンゼヴィーノさん。この爪のDNAは貴女の遺伝子配列とほぼ完璧に一致している。前置きが長くなりましたが、我々が問いたい本題はそれです。
アンゼヴィーノ: [沈黙]……爪のDNAが私と一致?あのう、すみません、ちょっと突然の事なので混乱しています。そ- その、貴方がさっきから仰っている手と言うのが、私?私が犯人なのですか?それでも、身に覚えがありませんよ?
ヴィン: 分かっています。「人の手」が出没した時、貴女が全く別の場所で何の問題も無く活動していた事はこちらも把握している。それゆえに協力して真相を解き明かしたく思っているんです。我々も下院議員である貴女の公務をなるべく邪魔したくはない。
アンゼヴィーノ: そんな事言ったって……ちょっと待ってください。ホーソン国有林ですよね?私は両親と確か3度程そこに行きました。でも、本当にそれだけで……何かの間違いじゃありませんか?例えば、私が1枚目の写真に描かれている沈み行く「人の手」だったとしても、私はあの場所で溺れた経験なんてありませんよ。もしそんな危険な事があれば覚えているでしょうし、先の貴方との会話で取りこぼしなく伝えられたはずです。
ヴィン: 落ち着いてください。当該異常の調査は依然として進行中ですから、貴女はまだ悪くない。我々の見解では、その「人の手」の行動原理はおおよそ2つの有力な仮説で説明できると考えられています。1つ目は人を殺す目的で、自身に関与した人物を激流の中に引き摺り込んでいる。2つ目は少し真逆で……自分に触れた人物に助けを求めている。標識が標識ですから、単純な発想ですがね。幼少の頃のアンゼヴィーノさんは、何か助けを求めた事はありましたか?
アンゼヴィーノ: ……そうですね。助けを求めたいほど息苦しい時期も勿論あったと思います。しかし、そう言った場面は全て両親と共に努力して解決してきました。団結は家族という最小単位だけでも大いなる推進力を持つと学んだのは誇らしい経験です。私はそうして連帯力やリーダーシップを重んじ、政治家の道に進みました。……私は何も後ろ暗い過去を持ちません。ましてや、その忌々しい「人の手」に関わる事なんて。私が話せる事はもう無いと思います。
ヴィン: なるほど、ありがとうございます。調査はこちらで随時取り仕切って行きますので、何か進展があればお呼びするかもしれません。では、僕は一旦退室するとして、今度は別の聴取官が来ますので、心の準備をしておいてくださいね。
アンゼヴィーノ: は- はあ?
[後略]
以上のように、3419-JP収容チームはアンゼヴィーノ氏に対する本格的な取り調べを実施し、様々な聴取官・アプローチを通じて詳細な情報を引き出す試みに尽力しました。しかしながら、アンゼヴィーノ氏はSCP-3419-JPに対する明確な心当たりが無いと一貫して主張しており、当該アノマリーの起源調査は難航を極めました。しかしながら、収容チームはアンゼヴィーノ家の経歴について広範な調査を開始し、彼らの過去についての情報を有する一連の人物や行政文書に対して綿密なリサーチを実施しました。その結果、特筆すべき点として、アンゼヴィーノ家の家系図を始めとする計27点の公的記録に権力による改ざんの形跡が発見され、彼らの証言の信憑性にまつわる疑念が一層強まる結果に至りました。
現在、3419-JP収容チームは依然としてSCP-3419-JPに関連する人物の証言を収集しており、当該アノマリーの起源特定活動に従事しています。以下は、アンゼヴィーノ家にまつわる聴取の内、特に重要と考えられる証言抜粋ログを掲示した資料です。以下の資料は収容チームにより現在進行形で追加・審議され、最終的に確定した情報として本報告書に記載される事が予定されています。現時点での進展はこの時点が最新となっています。
証言抜粋ログ#4
対象: レナード・マルロニー、38歳、大工
マルロニー: アンゼヴィーノ家の事だろ?彼らの事はよく噂で耳にしていたよ。あんまり良い噂じゃないけどね。典型的なイタリア系の一族で、肌黒いから出歩くだけですぐ分かった。しかも親子揃ってしゃなりしゃなりと貴族みたいに歩くんだ、本当だぜ。田舎の貧乏人に対する外面を少しでもよく見せたいんだろうなとか、子供心にそう感じる事がままあったよ。
こんな田舎で何してるんだと思っていた。まあ内情は地価だろうね。彼らは高い金で野原一帯に広い敷地を買っていたんだ。彼らの家はその中の細長い丘の上にあって、刑務所みたく張り巡らされた鉄柵越しにしか見えなかったが、立派な邸宅だったよ。周りの人々は一切彼らの敷地に招かれる事は無かったけどね。孤立していたんだ。当たり前だろ。移住して日が浅かったし、彼らも孤高を甘んじている様子だったからな。あの一家は隣州シカゴから突然この町にやって来て、9年間のさばったと思えばいつの間にやら向こうへ舞い戻って行ったんだ。変だと思わないか?
変と言えば、彼らの事は娘も含めて1度ホーソン国有林で見かけた事があるんだ。さっきも言ったがあの家族は地元じゃ顔が通っていたし、一人っ子の箱入り娘をあまり外に出さない事で知られていたから、物珍しくてさ。よく覚えているよ。彼らは誰一人として楽しそうな顔をしていなかった。娘はずっと息苦しそうに俯いていたし、両親はずっと険しい顔で自然を眺めていた。異質な家庭だと思ったよ。同時に厳格な上流家庭は皆ああなのだろうかと勘繰った。詮無い話だ。
娘は今下院議員だってな?君から聞いて驚いたよ。俺と彼らはつくづく縁の無い人々だ。どうしてあの家族があんなにも他人を寄せ付けなかったのか、無駄に考える事も稀にあるよ。"あるいは、他人を寄せ付けられなかったのだろうか"ってね。下らない事だ。
証言抜粋ログ#5
対象: シンシア・エドワーズ、58歳、家事使用人
エドワーズ: 私はアラバマの下流階級の元で育ち、生まれつき寡黙な性分でした。以前私が仕えていた御主人様の御令息様は、他の使用人とつるまず黙々と仕事をする私に酷いあだ名を付けていました。その名が何だったかはもう忘れましたが、私は自分が酷くつまらない者のように思えてなりませんでした。
そうした時期に私を雇用して頂いたのがアンゼヴィーノ家です。立場を弁えずに申し上げると、その御家族様は私に似た性格を持っていました。だからこそ無口な私を雇い入れたのかもしれません。私はたった一人の家事使用人として、アンゼヴィーノ家の広い土地で家政の仕事を幅広く受任していました。それは炊事洗濯や掃除、庭の手入れまで多岐に亘り、そこにはお嬢様のお世話も含まれていました。絵に描いたように対照的な、2人のお嬢様です。……何を驚かれているのですか?……すみません、続けて良いのですね。
[咳払い]アンゼヴィーノ家のお嬢様方は、長女の名前をジャクリーン、次女の名前をグレイスと仰りました。実はグレイス様は呼吸器が未発達になる病気を患っていて、長い間清潔な部屋で機械換気を受けていました。姉であるジャクリーン様はそれをいつも心配そうに見つめていました。毎週日曜日には決まってホームドクターが訪れ、彼女の容態を診ていました。私が空調のためにカーテンと窓を開け放つと、グレイス様は一心に外の野原を眺めていました。私はこれをお見受けして奥様に外出をご具申すると、しばらくする内に最新式の電動車椅子が届けられ、グレイス様は頻繁にジャクリーン様と庭園内を回遊なさるようになりました。
私はこうしてお世話の機会が減った事もあり、フォックス・ベンドの繁華街へ出て生活用品の調達を行う事も増えました。御家族様が町へ行かれる機会も時折ございましたが……グレイス様だけは家の外門から出る事を許されませんでした。この状態は私が解雇される日まで続きました。
……1997年の7月の中頃です。あの時期は激しい風雨が一昼夜吹き込んでいました。当時を想起すると、TVニュースで農薬散布機が住宅地に墜落したとの報道が頻りになされていたのを何故か併せて思い出されます。グレイス様は頭痛と息苦しさに喘いで毎日時間がある時に私を側に置かせました。ジャクリーン様の来訪がめっきり無くなったからです。私はお嬢様の笑い声を半年間聞いた事がありませんでした。ジャクリーン様への家庭内教育も大学からチューターを雇って日に日に厳格さを増して行き、家庭全体がグレイス様に構っていられるような状態では無かった、そんな風に記憶しています。私は単なる使用人でしたので、行動の範囲は限られていました。
そうしている内に日数が経って、絶え間なく振り続ける雨足が一段と強くなった日がありました。7月13日の事です。奥様は突然森に行くと仰りました。そこで私は外は大荒れでございますと伝えると、奥様はつんとして、良い天気だわと仰りました。その後、奥様は子供を連れて車で邸宅から出て行かれました。私は後を追う事も考えましたが、近くで雷鳴が轟いていて迂闊に外に出られない状況にありました。
この時町外れの変電所に想定外の水が押し寄せて来ていて、フォックス・ベンド全域は身の毛のよだつようなサイレンの音に包まれていたのを鮮明に思い出されます。町の中心ではホーソン国有林から溢れ出した局地洪水の到来が危険視されていて、高台への避難行動が始まっていました。その高台とは、必然的に言えば細長い丘の上にあるアンゼヴィーノ家の敷地の事です。ややあって気付いた頃には相当数の町人が車で敷地内の道に侵入していました。私は急いで彼らの元に向かい、御主人様の言いつけに従って別の安全地帯への移動を乞うて回っていました。そうしている内に奥様の車が帰って来られたのです。私は身の縮む思いでした。
車を降りた奥様は見るに耐えない敷地の状況を目にするなり激怒なさって、私への非難と共に日頃抱いていたと言う不満を述べ始めました。そして一度静かに溜息をつくと、その場で私に懲戒解雇をお伝えになったのです。……その後の事は激しい雨音と雷光以外よく覚えておりません。私は混乱する頭で雨上がりの丘道を下っていました。過去を振り返る事も何か大切なものを思い出す事もありませんでした。私は錯乱の極みにいたのです。
私は9年間お仕えしていた家庭から突然解雇され、向かう宛も無い悲惨な状況でした。元々アンゼヴィーノ家と個人契約を交わしていたので、組織的な支援も頼れず、町役場を尋ねる他ありませんでした。しかしながら幸運にも、当時窓口を担当した公務員の女性が公徳心のあるお方で、寄る辺のない私に献身的な支援を施して頂いた事が今の私に繋がっています。私は金銭的サポートを受けながら新しい生活への体裁を整え、行政的なブローカーの紹介を通じて家事使用人の仕事を再開しました。あの御家族への後ろめたさが心の奥深くに焼き付いているのを感じながら、今日という日までその職業を続けています。
……私はあの邸宅に2度と戻る事はありません。ちょうど1年前に足を運んだのです。細長い丘の上は更地になっていて、まるで人が暮らしていたという事実を否定しているかのように青々とした低木林が広がっていました。私はいつかの町役場に行き、アンゼヴィーノ家の顛末を尋ねました。すると、窓口対応を受け持っていた中年の男性は"あの家族はきっかり3人分の住所変更届を出してシカゴに戻った"と仰りました。私は次女の事を尋ねると、その男性は首を傾げて続けました。"アンゼヴィーノ家は最初から3人だった"と。生命記録も見せて頂きましたが、アンゼヴィーノ家の書類にはグレイス様の名前が一つとして見付かりませんでした。……私は夢を見ていたのかと思いました。しかしながら、あの日々は紛れも無い現実だったはずです。そうでないと、私の記憶の奥深い領域に焼き付いている、グレイス様と交わした幸せな会話や笑顔に説明が付かないのですから。
アンゼヴィーノ家は私を解雇してすぐイリノイ州に戻られました。その後の経過はあえて耳に聞き入れておりません。私は過去を振り返って、あの内向きの視線が交差する高潔な御家族様とついぞ打ち解ける事は出来なかったと考えています。変わる事のない昔の記憶を拾い上げながら、ただグレイス様の事が心配されるばかりです。
最新: 証言抜粋ログ#6
対象: ゾーイ・サンドワイス、51歳、看護師
サンドワイス: 私は2001年に閉鎖されるまでシカゴのエッジウォーター病院に勤務していました。ヒラリー・クリントンが生まれた病院と言えば大層に聞こえるかもしれません。元々は箔の付いた5つ星病院でしたが、年を追うごとに粗が生じ始め、医療レベルの低下が懸念され出した、そんな時期に来院したのがアンゼヴィーノ家でした。
彼らに関して、今でも覚えている事は幾つかあります。父親は排他的で、母親は高圧的でした。見ず知らずの受診者や医療スタッフにさえギラリと目を光らせていたと記憶しています。詳しくは看護サマリーを見れば分かりますが……とにか切羽詰まっていた事は伝わりました。彼らの出産医療は主に少人数の医師が担当していて、病院の最上階にある奥の個室を取っていました。詳しい事情は教えられませんでしたが、何か口止めのような特別な措置が取られていたと薄っすら感じていました。
……私は本来、通院される患者様やそのご家庭の噂について公然と話すのは不道徳と承知しています。しかしながら、このインタビューで貴方の面前に座って、今回だけは伝える必要があると思い至りました。これは噂です。噂ですが、担当した医師の密語によると、アンゼヴィーノ家の娘は、一卵性の双子だと言うのです。それも、DNAはどちらもほぼ完全に同一なのに、片方は健常児で、もう片方は小児性の疾患を罹っていると。……私はこれを聞いて、浅ましいながらも納得してしまいました。彼らは誰よりも、自分達の社会的体裁を気にする家庭でした。彼らは2人の命を授かって、大いなる悩みの只中に居たのです。
……赤ちゃんが取り上げられてすぐ、彼らの話は聞かなくなりました。アンゼヴィーノ家がシカゴを離れたと知ったのは少し後の事です。伝えられる所によると、逃げるような移住だったと。彼らは衆目の視線に持ち堪える事ができなかったのかもしれません。あるいは家族の運命を切り開くためにミズーリ州の田舎町に訪れたのかもしれません。真相は不明ですが、1つ確かなのは、彼らは一種の問題を乗り越えてシカゴの政界に舞い戻ったという事です。私は……私は実の所、彼らが真の幸せを見つけられたのだと信じたく思っています。……聴取官さん、貴方はどう考えますか?









