僕たちは相変わらず、内部保安部門のエージェントとして監査の仕事をしていた。今まで散々巨大な陰謀というものを暴いてはきたが、それからはいつも通りの業務内容に戻っていった 他の財団職員たちの仕事に不正や不手際がないか見回る、パトロールカーのような仕事だ。大抵は問題ないことが確認されたし、問題があったとしてもちょっとした職務怠慢程度のものだった。そうして、僕たちの日々は一転して起伏のない、ある意味では平穏とも言える状態に戻っていった。
しかし、そんな日々というのは長くは続かないものだ。ある日、僕たちのところに1件の奇妙な内容の要請が入ってきた。
収容クラス: Gödel1
機密
特別収容プロトコル: SCP-3448-JPはサイト-660の電子保管庫に収容されています。SCP-3448-JPの利用には財団心理学部門およびファウンデーション・コレクティブ夢界保全局のBクラス職員による許可が必要です。
説明: SCP-3448-JPは財団によって複数の超常技術を用いて作成された、自他境界維持ヘッドセットです。SCP-3448-JPの装着者には、シャドウ2の自他境界の喪失(シャドウ溶解)3が発生しにくくなります。これにより、装着者はシャドウ溶解およびそれに伴う昏睡から一定の保護を受けます。
SCP-3448-JPの主たる使用目的は、集合的無意識4の探査におけるシャドウ溶解を防ぐためのものです。通常のシャドウが集合的無意識において自他境界を保つことのできる滞在可能主観時間は約30分ですが、SCP-3448-JPの装着者の滞在可能主観時間は約50時間です。これは本稿執筆時点の財団におけるシャドウ保護手段の中で最長の時間であり、現状SCP-3448-JPは最も集合的無意識探査に適した装備であると推定されています。
補遺3448-JP.1: 歴史
2019/02/19、ジョン・リックウッド財団心理学部門管理官とオン・ザ・ガムボール夢界保全局管理官は共同でSCP-3448-JPの開発を計画しました。当時、集合的無意識はその性質から詳細が未解明であり、長時間の探査の必要性が指摘されていました。このため、心理学部門および夢界保全局は超常理論に基づくSCP-3448-JPのメカニズムを立案し、財団工学技術事業部門にその製造を依頼しました。結果、ジョヴァンニ・ノア工学技術事業部門博士によってSCP-3448-JPが製造され、その超常技術的要素からSCP-3448-JPはGödelクラスアイテムとして分類されました。
SCP-3448-JPを用いた探査により、夢界空間から集合的無意識への記憶の廃棄が行われていること、および廃棄された記憶が集合的無意識内に蓄積されていることが判明しました。また、ヒトは死亡時に夢界空間を喪失しますが、この際に夢界空間が高速での全記憶の整理5を行うため、ヒトが死亡した際に当時の全記憶が集合的無意識へと廃棄されることも判明しました この際に生じる記憶の集合体は一定の自我を有し、他の幽体やシャドウに概ね誘引されるように振る舞うため、新たに「モルフェウス型幽体」と命名されました。
モルフェウス型幽体はシャドウでないにもかかわらずSCP-2670-JPと同様に自我を有することから、夢界任務に適切な人的資源として利用可能である可能性が浮上しました。このため、2019/05/03、マティルダ・エメット心理学部門博士(ファウンデーション・コレクティブではアクト・コール夢界保全局博士)はSCP-3448-JPを用いたモルフェウス型幽体確保計画「プロジェクト・アパリション」を立案しました。以下はその内容です。
文書記録
プロジェクト・アパリション
概要: 当該プロジェクトはSCP-3448-JPを用いた集合的無意識探査により、夢界任務のための人的資源としてモルフェウス型幽体を確保するためのものです。
手順:
- 肉体を有するファウンデーション・コレクティブ職員による静止任務部隊(STF)を結成します。
- 当該STFの各隊員はSCP-3448-JPを装着して入眠し、シャドウを集合的無意識へと進入させます。
- 当該STFのシャドウは、集合的無意識内のモルフェウス型幽体を回収します。
- 当該STFの帰還後、回収されたモルフェウス型幽体に標準夢界訓練を実施し、ファウンデーション・コレクティブ職員として雇用します。
目的: 夢界実体でありながら職員として雇用されているSCP-2670-JPの最大の長所は、自我を有するために種々の事例に対し自己学習や柔軟な対応を行うことができる点にあります。これは、事前にプログラムされた内容の動作しか行うことができない夢界実体であるドローンにはない特徴です。
また、SCP-2670-JPの発生に再現性はなかったものの、モルフェウス型幽体は現状の仮説が正しければ無数に 正確に言えばこれまで死亡した人類と同数、存在することになります。単純な夢中人的資源の雇用という意味でも、特殊な素質や知識を持った人員の隔離という意味でも、早急に財団がモルフェウス型幽体を確保すべきであると考えます。
マティルダ・エメット財団心理学部門博士
アクト・コール ファウンデーション・コレクティブ夢界保全局博士
前回のSCP-3664-JPの件の舞台となった、僕のもう1つの職場ファウンデーション・コレクティブ。そこで、1つの計画が立案された。モルフェウス型幽体 死後に集合的無意識に複製される、人間の魂の影法師のようなものを確保する計画だった。
自我を持っていながら、シャドウではない夢界実体。モルフェウス型幽体ではないけれど、僕たちは既に一度その実例を見ている。SCP-2670-JP エドワード・アッカーマンさんだ。彼がいかに有能で、そしていかに人間味に満ちているのかは、前回の一件でしっかりと目撃した。だから、第三者の視点から見ている限りでは、この計画はとても有用なもののように思えた。
しかし、実際のところそう簡単な話ではなかったというのを、僕たちは知ることになった。それも、実に予想外の部署からの要請で。
補遺3448-JP.2: 倫理委員会による懸念
2019/05/31、イ・ヘヨン倫理委員会副委員長が自身のオフィスにアナステイジア・ライト財団内部保安部門エージェントおよびジョセフ・カオ同部門エージェントを呼び出しました。
映像記録
<記録開始>
エージェント・カオが、イ副委員長のオフィスの扉をノックする。
エージェント・カオ: 失礼します、イ副委員長。
イ副委員長: エージェント・カオですね。どうぞお入りください。
エージェント・ライトとエージェント・カオが入室する。イ副委員長が2名のほうに手を伸ばす。
イ副委員長: 初めまして、お2人とも。イ・ヘヨンです、ご存じでしょうが倫理委員会の副委員長を務めております。
エージェント・ライトがイ副委員長と握手する。
エージェント・ライト: こりゃあどうも、副委員長さん。エージェント・アナステイジア・ライトです。こっちは相方のジョセフ・カオ。
エージェント・カオ: カオです、よろしくお願いします。
エージェント・カオがイ副委員長と握手する。
イ副委員長: さ、どうぞ。おかけください。
エージェント・ライトとエージェント・カオが、オフィスのソファーに腰かける。
エージェント・ライト: ……んで? 2、3年前にあたしらにぶっ潰された倫理委員会の新副委員長さんが、そのあたしらにいったい何のご用事で?
イ副委員長の笑い声。
イ副委員長: これは手厳しい。ですが、そのように気張っていただけるのは逆にありがたいことです。先のインシデント3554-JP-EXおよびインシデント3664-JP-2において、我々倫理委員会とそちらの内部保安部門はある種の癒着関係にありましたから。こうして、今現在こちらとそちらに壁があるという状況はむしろ歓迎すべきことと言えます まあ、そもそもその癒着関係を破壊した人物こそがお2人なのですがね。
エージェント・ライト: まあ、そうですねえ。おたくのパントージャ元委員長さんらのせいで、あたしらは随分と苦労させられましたから。
イ副委員長: ええ、まったくその通りですね。委員会を代表して、改めて謝罪させていただきます。
エージェント・ライト: 詫びの言葉はいいですよ、別に。あんたは例の話とは無関係なんだから。んなことより、さっきも言いましたけど本題に入ってもらえます?
イ副委員長: これは失礼。では、さっそく。あなたがたは 特にエージェント・カオ、あなたはプロジェクト・アパリションについてご存じですか?
エージェント・ライト: アパリション? ……あー、坊主ってことは、もしかしてあれか? またFC関連ってわけか?
エージェント・カオ: ……ええ、そうですね。この場でパッと説明するのは難しいんですが、ええと……
イ副委員長: やはりご存じでしたか。まあ、我々のような夢界の素人にもわかりやすく言うなら、死者の魂 の、複製のようなものらしいですが とにかくそういったものを回収し、職員として雇用する計画です。
沈黙。
エージェント・ライト: ……死者あ? いや、これまた何ていうか……ぶっ飛んだ話ですねえ。
エージェント・カオ: でも、実際に存在するんですよ。死者の魂の複製 モルフェウス型幽体は。
イ副委員長: さすが、エージェント・カオですね。所属は違えども、アンテナを広く張っていらっしゃる。
エージェント・カオ: どうも。それで、そのプロジェクトがどうしたんですか? 少なくとも、僕たちはそのプロジェクトの監査担当者ではありませんが。
イ副委員長: 正確に言うならば、まだ内部保安部門では監査の担当者は割り当てられていないそうです。ですので今回は、こちらからお2人を指名させていただきたく思いまして。
沈黙。
エージェント・ライト: 話が見えてこねえな。指名? あんたら倫理委員会が? 今さっき自分が吐いた言葉を忘れたか? もう、内部保安部門と倫理委員会に癒着はないでしょうが。
イ副委員長: だからこそ、ですよ。より正確には、今回お2人にやっていただくのは監査というより、監視と仲裁なのです。
エージェント・ライト: 仲裁だって? いったい何の?
イ副委員長が立ち上がる。
イ副委員長: 今回、我々はこのプロジェクト・アパリションに対し倫理的懸念を抱いております。そのため、これより我々倫理委員会と、プロジェクト・アパリションの立案者である財団心理学部門ならびにFC夢界保全局は、その実行に関する協議に入ります。つきましては、第三者である内部保安部門のお2人にその仲裁をお願いしたいのですよ。
沈黙。
イ副委員長: エージェント・ライトの仰った通り、我々倫理委員会は過去に重大インシデントの主犯格として行動していた負の実績があり、それに伴い組織内における信用を失っております。財団組織における最大のブレーキとして、このままでは良くない。ですので、そのインシデントを暴いたお2人にその議論を第三者として監視していただき、双方陣営に何か問題点があれば各個それを正していただきたいのです。
エージェント・カオ: ……事情は、理解しました。この話は、こちらの管理官にも既になさっているというわけでしょうか?
イ副委員長: ええ。先ほど言及したように、そちらのプロジェクト・アパリションに関する対応は確認済です。マクラーレン管理官も、あなたがたお2人が担当することに肯定的でいらっしゃいました。
エージェント・ライト: なるほどねえ。こりゃあまた、随分と面倒臭そうな案件を持ち込んでくれたもんで。
イ副委員長: 申し訳ございません。ですが先の件において、我々倫理委員会も、これより対立する心理学部門および夢界保全局も、揃ってお2人の手でその悪事を暴かれております。その両陣営に対して最も中立といえるのは、やはりあなたがたなのですよ。
沈黙。
エージェント・ライト: ……1つ、確認させてもらいたい。坊主、この一件は本当に第三者が必要な感じなのか?
エージェント・カオ: それは……イ副委員長の仰る「倫理的懸念」の具体的な内容によりますね。僕も、プロジェクト・アパリションに関しては噂程度しか知らないので。
イ副委員長: そうですね、お話ししておきましょう。ただ、いかんせん専門的な内容なのでひとまず大雑把にかいつまんだものにさせていただきます。
エージェント・ライト: こりゃ、どうも。相変わらず、この手の話については門外漢なもんでね。
イ副委員長が、エージェント2名の対面のソファーに座る。
イ副委員長: 先ほど話にあがった、死者の魂の複製ことモルフェウス型幽体。それらが存在する精神領域というのが、人間の精神に悪影響を及ぼしかねない場所なのです。プロジェクト・アパリションは、その危険地帯に人員を派遣するという内容になっているのですよ。
エージェント・ライト: はあ、なるほど。
エージェント・カオ: しかし確か、そのための防護策が既に講じられているはずでは?
イ副委員長: ええ、その通りですね。ですが、その防護策というもの自体の信頼性が不十分ではないかと我々は考えているのです。果たしてそれが、本当にかの領域に長時間滞在するに足るものか、我々は疑問視しているわけなのですよ。
エージェント・ライト: ほう。んで、今からその文句を心理学部門と夢界保全局につけにいく、と。
イ副委員長: その通りです……この点を鑑みても、夢界学の知識のあるエージェント・カオと知識のないエージェント・ライトのタッグというのは都合がいいのですよ。心理学部門や夢界保全局と違って、我々倫理委員会は言ってしまえばその辺りの分野について素人です。そうなると、対照的に つまりある種、最も俯瞰の視点で議論を見られるということになります。そういった点でもお2人はピッタリなのです。
エージェント・ライト: ははあ、なるほどねえ。まあ確かに、それぞれでのアプローチっていうのはしやすいですわな、間違いなく。
イ副委員長: ええ。
エージェント・カオ: 事情はひとまず把握しました。僕としては問題ありません。ちょうど、今現在抱えている仕事に大きなものはありませんから。ライトさんは?
エージェント・ライト: あたしも別に構わねえよ。ま、面倒事を押し付けられるのは慣れっこだからなあ。
イ副委員長: ありがとうございます。では、後で資料をお配りしておきます。それではお2人とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
エージェント・ライト: どうも。
エージェント・ライトとエージェント・カオが退室する。
<記録終了>
この呼び出しの後、倫理委員会よりプロジェクト・アパリションに関する倫理的懸念の正式な発表がなされました。これを受け、内部保安部門のボブ・マクラーレン管理官は一連の議論の監査担当者としてエージェント・ライトおよびエージェント・カオを任命しました。
というわけで、僕たちはあの倫理委員会からの依頼で、彼らと心理学部門・夢界保全局の議論を仲裁する役を請け負うこととなった。かつて立ちふさがった強大な敵が、今度は僕たちに助けを求めてくる立場になったというのは、何とも不思議な感覚だった。
でも、頼まれた仕事自体は不審なものではなかったし、僕たちが選ばれる理由も納得のいくものだった。それに、何より彼ら倫理委員会に大打撃を与えた張本人である僕たちを呼びだしたという点を鑑みても、この仕事は受けても問題ないように思えた。
そうして、第1回協議の日がやってきた。
補遺3448-JP.3: 第1回協議
2019/07/07、サイト-660の会議室にて、プロジェクト・アパリションに関する第1回協議が実施されました。
映像記録
<記録開始>
会議室にて、イ副委員長、エメット博士、エージェント・ライトおよびエージェント・カオが着席している。
エージェント・カオ: 録画の開始を確認しました。それでは、これより第1回協議を開始いたします。
イ副委員長: よろしくお願いいたします。
エメット博士: よろしくどうぞ。ではまず そうですね、プロジェクト・アパリションについての振り返りは必要でしょうか?
イ副委員長: 不要です。既に、一連の資料には目を通しております。
エージェント・カオ: こちらも同様です。
エメット博士: なるほど。では、いったいどうして今回そちらは我々に抗議をなさっているので? 報告書にもある通り、プロジェクト・アパリションは喫緊の課題を解決するためのもの。モルフェウス型幽体の回収を、他の要注意団体などに先を越されてしまってはまずいのですが?
イ副委員長: 理由は簡単です。あなたがたが集合的無意識の対抗策として開発したSCP-3448-JPは、モルフェウス型幽体の発見・回収に十分な時間を確保できていないように我々には思えるのですよ。
エメット博士: 不十分、ですか。しかし、主観時間にして約50時間。集合的無意識の深淵を覗き、そして帰ってくるのに十分な時間であるというのは、先の探査で既に判明していることですが?
イ副委員長: 確かにその通りです。しかし、単身で赴き帰還するまでにおおよそ40時間かかっていることは無視できない点であると言えます。そこからモルフェウス型幽体を回収し、さらにそれらを抱えた状態で帰還するわけですから、当然ながら余計に時間はかかってしまうでしょう 特に問題なのは帰路です。1体や2体程度でさえも恐らく大きな枷となるうえに、計画の趣旨を考えれば一度に何百体・何千体と回収しなければならないわけです。それを生身の人間を用いて行うには、50時間程度では足りないのではありませんか?
エメット博士: ……なるほど。しかし、こちらの計算では十分に訓練された職員であれば時間内に回収可能なのです。
イ副委員長: であれば、まずそのデータをこちらに提供していただきたいですね。少なくとも、現状の資料だけでは時間内に回収可能と断言するに至っていないように我々は読み取っている、というのが現状ですので。
エメット博士: そんな時間などないというのが、それこそその資料に書いてあるでしょう。我々は、一刻も早くモルフェウス型幽体を回収しなければならないんですから。
エージェント・ライトが手を挙げる。
エージェント・ライト: 1つ良いですかね、エメットさん?
エメット博士: ……何でしょうか?
エージェント・ライト: これはあくまで中立的な立場からの質問なんですがね、おたくらそもそも何でそんなプロジェクトの実行を急いでらっしゃるんで?
エメット博士のため息。
エメット博士: あなた、資料には目を通しているはずでは?
エージェント・ライト: そりゃあ、もちろん。その上で、あんたの口から説明をお願いしたいって思っただけなんですよ。あいにく、こちとらそういった話に関しちゃあトーシロなもんでね。癇に障っちまったかな?
エメット博士: ……まあ、いいでしょう。プロジェクトの資料にも書いてありますが、そもそもモルフェウス型幽体というのは死者のシャドウの複製なわけです。つまり、超常社会の情報、果ては財団の高レベルの機密までもを抱えた幽体が、集合的無意識の遥か彼方に漂っているということになる。これを野放しにしていてはまずいでしょう? 一部の要注意団体も、集合的無意識に参入しようとしている動きが確認されていますし。
エージェント・ライト: へえ。でも、例えば えー、ドローンって言うんでしたっけ。わざわざ人間にそんな危険なとこ行かせなくたって、そういうの使えばいいんじゃないですか?
エメット博士: ドローンで実行可能な計画ならばとっくにそうしていますよ。今回わざわざ3448-JPという物理デバイスを開発し、それを肉体持ちに装着させて派遣しようという話になったのは、集合的無意識への対抗策がどうしても肉体を媒介しなければ成立しなかったからなのです。ドローンは肉体を持ちませんから、集合的無意識に派遣しても30分と経たずに溶解してしまう。だから、わざわざシャドウ溶解の危険を冒してでも肉体持ちの職員を派遣しなければならないという話になっているわけです。
エージェント・ライト: なるほどねえ。あ、以上ですー、お2人さん。失礼、失礼。
イ副委員長の咳払い。
イ副委員長: とにかく、我々倫理委員会としては、現段階ではもう少し3448-JPの改良をしてからでも遅くはないのではないかと思わざるをえません。現状の3448-JPでは、探査ならともかくモルフェウス型幽体の回収までを行うのには不適切に見えてしまいます。
エメット博士: ……代替案もなしにそうやって我々の業務の邪魔をして、給与を得るわけですか。その態度、実に気にくわない。
エージェント・カオ: 博士
イ副委員長: お気になさらず、エージェント・カオ……エメット博士、そちらの主張はおおむね理解できました。しかし、こちらも先ほど言った主張をそう簡単に曲げるつもりはありません。このままでは平行線です。ですので、やはり可能であればそちらから3448-JPの信頼性について追加のデータをいただければと思うのですが?
エメット博士: 先ほど言っていた「データ」ですか。
イ副委員長: ええ。それを踏まえて、改めてこちらのほうでプロジェクトの実行について判断を下したいと思います。代替案ではありませんが、悪くない提案ではありませんか?
沈黙。
エメット博士: ……いいでしょう、イ副委員長。こちらで、追加の試験を行ってみましょう。それでご納得いただけるんですね?
イ副委員長: 内容次第です。
エメット博士のため息。
エメット博士: わかりました。では、次回までにそのデータとやらを持ってきますよ。
イ副委員長: ありがとうございます。こちらも、可能な限り譲歩を検討させていただきます。
エメット博士: どうも。
エージェント・カオ: ……では、心理学部門および夢界保全局は3448-JPの追加試験を、倫理委員会はそのデータを踏まえての再協議を行うということで。双方、よろしいですね?
イ副委員長: ええ。
エメット博士の舌打ち。
エージェント・カオ: ……では、第1回協議は以上となります。皆さん、お疲れ様でした。
各々が立ち上がり、会議室から退出する。
<記録終了>
当該協議の後、心理学部門および夢界保全局はSCP-3448-JPに関する追加試験を開始しました。
「……あー、疲れましたね……」
ライトさんと2人きりになってから、僕は第一声でそう呟いた。張りつめた緊張感の中、ずっと肝が冷えていた。
「そうか? あたしはむしろ、中々に面白い会議だなって思って聞いてたけどな」
「ライトさんは……まあ、いい性格してますからね」
「お、何だ? やんのか、坊主」
冗談交じりに喧嘩腰になるライトさんを尻目に、僕は今回の協議について振り返っていた。喧嘩腰といえば、やはり気になったのは一連のエメット博士の態度だ。確かに、彼女の言う通りプロジェクト・アパリションの実行は急務であり、それを邪魔されてはいら立つのもわからなくはない。しかし、それにしてもあの態度はいかがなものだろうか。
「どうした、坊主? おおかた、あの女博士の態度が気になった、とかだろうが」
そんなことをボーッと考えていたら、ライトさんにズバリ思考を読まれてしまった。
「……流石に鋭いですね。その通りです」
「ま、何だかんだお前とはそこそこ長い間タッグやってるしなあ。つか、あの場にいりゃ誰だって気になるわな」
「まあ……それもそうですね」
ライトさんはそう言うと、立ち上がって自販機に硬貨を入れた。
「正直あたしゃ、こういう話にゃあついていけねえから判断に困ってたとこなんだがよお。坊主的にも、やっぱあの人の反応は異常に見えたわけか?」
「そうですね……半々、といったところでしょうか。そうなる理由自体は理解できますが、にしてもあれはいきすぎているように感じました」
「なるほどねえ」
ガタンという音がしたと思うと、ライトさんはコーラの缶を持って戻ってきた。そして、僕の横に荒っぽく座り直した。
「次の協議までにはまだ時間がある。1回、こっちからアプローチかけてみんのもアリかもしんねえな」
「アプローチ、ですか?」
「ああ。例えば、今回のプロジェクトの背後にいるお偉いさんにとかな」
そう言うと、ライトさんはコーラの缶を一気に傾けて、プハッと心地いい音を立てて飲み干した。
「……せっかくの機会だ、久々のご挨拶といこうじゃねえの」
補遺3448-JP.4: 内部保安部門による訪問
2019/07/19、エージェント・ライトおよびエージェント・カオは、リックウッド管理官およびガムボール管理官への面会を申請しました。結果、面会はリックウッド管理官の夢界空間にエージェント・ライト、エージェント・カオおよびガムボール管理官が訪問する形で2019/08/01に実施されました。
映像記録
<記録開始>
リックウッド管理官の夢界空間は心理学部門オフィスとほぼ同様の様相である。ガムボール管理官は既に、リックウッド管理官の夢界空間内のソファー上に存在している。エージェント・ライトのシャドウおよびエージェント・カオのシャドウが、リックウッド管理官の夢界空間に進入する。
エージェント・ライト: お、どうもどうも、お2人さん。お久しぶりですねえ あ、リックウッドさんのほうは夢ん中だとはじめましてかな?
リックウッド管理官: ああ、エージェント・ライトに……そちらはエージェント・カオか。久しぶりだな。
ガムボール管理官: お久しぶりです、エージェント・ライト、エージェント・カオ。
エージェント・カオ: ええ、どうも。夢界保全局の管理官への正式就任、おめでとうございます、ガムボール管理官。
リックウッド管理官のシャドウが、ハンドサインでエージェントらにソファーへの着席をうながす。
リックウッド管理官: まあ、かけたまえ。
エージェント・ライト: 別に気にせんでもらって大丈夫ですよ……さて、お2人さん。この度は、ま何というか、ご愁傷さまでしたわ。
リックウッド管理官のシャドウの笑い声。
リックウッド管理官: その言い方は、まるで倫理委員会が不当な訴えをしているようではないか。少なくとも、仲裁役の君たちがそんな言い方をしていいのかね?
エージェント・ライト: ま、正当性うんぬんは関係なく、シンプルに「訴えられるのって割とこたえるんじゃねえかな」って思っただけですよ。
ガムボール管理官: ご心配いただき感謝します。しかし、その心配は無用ですよ。私どもは、あくまで冷静に事態に対処していますから。まもなく、倫理委員会から要請された追加試験も完了します。
エージェント・ライト: おお、そいつぁ良かった。んじゃあ、次の協議にお2人が出席されても問題ないってわけですね?
沈黙。
リックウッド管理官: すまない、話の一部を聞き漏らしたようだ。いったいどういう流れで、我々の出席が問題ない、という話になったのかね?
エージェント・ライト: おっと、こいつぁ失礼。いやね、リックウッドさん? そちらのエメットさん、ちょっと 言葉を選びますけど、お口がおクソ悪くていらっしゃるんですわ。だから、もう少し上の……というかせっかくならお2人に出てきてもらいたいなーって思いましてね。
ガムボール管理官: 突飛なご提案ですね。残念ながら、今回はたまたま私どものスケジュールが合ったためにこうして一堂に会することができたにすぎません。それに、私は夢界保全局とファウンデーション・アーカイブ局の管理官を兼任していますし、そもそもこのように夢界にしか存在することができません。協議への参加は難しいかと。
エージェント・ライト: そこを何とかお願いできませんかねえ? このまんまエメットさんひとりに全部を押し付けてっと、そのうち爆発しますよ、彼女。ただでさえ、この前の協議のときゃあけっこうなプッツンでしたからねえ。
エージェント・カオ: それに、ガムボール管理官のおっしゃった問題点のうち後者に関しては解決策があるはずです。財団には、夢界空間の映像化技術が存在していますから。それこそ、例えば明晰睡眠訓練を受けた職員の夢界空間へガムボール管理官に移動していただき、その彼または彼女の夢界空間をリアルタイムで映像として出力すればいい。現実から夢界空間への出力は、それこそ眼球がカメラ代わりになりますしね。
ガムボール管理官: ……なるほど。
エージェント・カオ: 何より、そもそも次の協議を現実でやる必要はどこにもないわけです。明晰睡眠サポート機器さえあれば、今のライトさんのように明晰睡眠訓練を受けていない職員 例えば倫理委員会の皆さんであっても、こうしてあなたと対話できる。それに夢の中であれば、多少スケジュールが押していても現実時間と主観時間のギャップをいじれば猶予は設けられますから。
沈黙。
リックウッド管理官: 君たちの提案内容は把握した。私としては構わない。スケジュール調整も、重要プロジェクトのためなら何とかなるだろう。ただ、ガムボール管理官のほうはどうだろうか?
ガムボール管理官: 繰り返しますが、私は夢界保全局とファウンデーション・アーカイブ局の管理官を兼任しています。主観時間速度を操作するとしても、時間が空くかと言われれば難しいと言わざるをえません。夢中業務は、そもそもそういった主観時間速度の操作を前提とした内容のそれが多いものですから。
リックウッド管理官: だ、そうだ。
エージェント・ライト: うーん、そいつあ残念だ。んじゃ、最後に1つだけ。
エージェント・ライトのシャドウが指を鳴らす。エージェント・カオのシャドウが、エージェント・ライトのシャドウの前に資料を出現させる。
エージェント・ライト: うちのマクラーレン先生からの伝言です。えー、「第1回協議におけるエメット博士は議論態度が不適切であったため、心理学部門および夢界保全局には担当者の交代をお願いしたい」とのことで。
沈黙。
リックウッド管理官: ……ガムボール管理官、どうするかね?
ガムボール管理官: ……プロジェクトの責任者は彼女であり、夢界保全局においてそれと同等以上の関係者は私しかおりません……協議の予定日は、まず私からご提案させていただく形でよろしいでしょうか?
エージェント・ライト: あい、構いませんよ、あたしらとしちゃあ。後で倫理委員会にも確認取っておきますわ。いやあ、わざわざありがとうございますね、お2人さん。
リックウッド管理官: まあ、私は別に構わない。ガムボール管理官もそれで良いのであれば、私もそれにならうだけだ。
エージェント・カオ: ありがとうございます。では、また後日。
エージェント・ライトのシャドウおよびエージェント・カオのシャドウが、リックウッド管理官の夢界空間から退出する。
<記録終了>
これを受け、第2回協議の日程を夢界保全局の提案で決定することが倫理委員会および内部保安部門によって承認されました。
結果として、ライトさんの『アプローチ』は成功した。主にマクラーレン管理官の協力あってのものではあったが、あのリックウッド管理官にガムボール管理官を協議の場に引きずり出すことができたわけだ。
そして、そのおかげで次の協議までの時間が空いたのも僕たちとしてはありがたかった。僕たちが第1回協議で覚えたエメット博士の態度に関する違和感を、しっかりと調査する猶予が追加でもらえたことになるわけだ。
僕たちは、スケジュール調整のかたわら同時並行でエメット博士の周辺を洗っていた。彼女の焦りといら立ちの裏に何か隠されたものがないかチェックすることもまた、内部保安部門のエージェントとして大事な仕事だった。
マティルダ・エメット博士。財団心理学部門とFC夢界保全局に所属する夢の専門家であり、プロジェクト・アパリションの立案者。しかし、一方でそのプロジェクトの背後にはあの2人の管理官がいる SCP-3448-JPの開発を計画したのは、そもそもリックウッド管理官にガムボール管理官なのだから。エメット博士の不自然な態度には、この2人が関わっている可能性があった。
まず、ジョン・リックウッド心理学部門管理官。長年心理学部門の長を務める大御所であり、先のインシデント3664-JP-1の監査のきっかけを作った1人だ。数年前に昏睡状態に陥った際、SCP-2670-JPという故・エドワード・アッカーマン研究員の複製をその夢界空間から生み出した人物。この事象に再現性があれば良かったのだけれど、残念ながら同等の自我と知性を有する夢界実体は今のところSCP-2670-JP 僕たちと共に戦ってくれた彼だけだ。だからこそ、エメット博士はプロジェクト・アパリションでモルフェウス型幽体を回収しようとしている。僕たちにとっては、監査のきっかけを作ってくれた恩人にして、その監査から逃げおおせた厄介な相手でもある。警戒は間違いなく必要だろう。
次に、オン・ザ・ガムボール管理官。元はブレア・アーバナという女性研究員だったけれど、所属するサイトにおける事故で肉体を失いシャドウだけの存在になったという経歴を持つ。肉体を失ってからは瞬く間にファウンデーション・アーカイブ局の管理官にまで登り詰め、さらにはインシデント3664-JP-1に乗じて夢界保全局の管理官も兼任するに至った侮れない傑物だ。あのライトさんさえ、彼女の鉄仮面を破ることができなかったほどだ まあ、ガムボールマシンの外見をしているので顔はないのだけれど。とにかく、彼女もまたリックウッド管理官に並んで厄介な人物に間違いはない。
そうして、ついに第2回協議の日がやってきた。倫理委員会もイ副委員長ではなく委員長が直々に来ることになったため、3つの内局のトップが一堂に会することになったわけだ。僕たち というか僕にのしかかるプレッシャーは半端ではなかった。
補遺3448-JP.5: 第2回協議
2019/09/29、ジョジマール・オゾリオ倫理委員会委員長の夢界空間にて、第2回協議が実施されました。
映像記録
<記録開始>
オゾリオ委員長の夢界空間は、日本庭園を大雑把に模したような様相である。エージェント・カオのシャドウによって生成された椅子とテーブルがその中心に設置されており、オゾリオ委員長のシャドウ、リックウッド管理官のシャドウ、エージェント・ライトのシャドウ、エージェント・カオのシャドウが着席している。ガムボール管理官がオゾリオ委員長の夢界空間に進入し、着席する。
ガムボール管理官: お待たせしたことをお詫び申し上げます、皆様。
オゾリオ委員長: いやいや、時間通りだよ、ガムボールくん。それに、こうして早く集まったおかげで僕らは楽しくお茶会を楽しめた。気にしないでくれていいよ。
ガムボール管理官: お気遣い感謝申し上げます、オゾリオ委員長。
オゾリオ委員長: そんなかしこまんなくても構わないよ……まあ、これから話すことについて考えると、そうも言ってられないか。寂しいもんだね、リックウッドさん。
リックウッド管理官: まあ、仕方のないことだろう。こうして対立関係にありながら、茶会を楽しむ余裕があるというのは、むしろ歓迎すべきことであると私は思うがね。
オゾリオ委員長のシャドウの笑い声。
オゾリオ委員長: なら良かった!
エージェント・カオの咳払い。
エージェント・カオ: ……では、そろそろ第2回協議に移らせていただいても?
オゾリオ委員長: おっと! これは失礼したね、カオくん。そうだね、じゃあ始めようじゃないか、諸君。
リックウッド管理官: よろしく。
ガムボール管理官: よろしくお願い申し上げます。
エージェント・カオ: ではまず 既に倫理委員会のほうには提出済とのことですが、前回の話にあった心理学部門と夢界保全局による追加試験のデータについてお聞かせください。
リックウッド管理官: ああ。ガムボール管理官、お願いできるかな?
ガムボール管理官: 承知しました。
ガムボール管理官が、テーブルにおける出席メンバーの手前にそれぞれ資料を出現させる。
オゾリオ委員長: おお! いやあ、やっぱり夢の中ってのは便利でいいもんだね。
エージェント・ライト: はいはい、これね。えー、どれどれ……
リックウッド管理官: まず、我々心理学部門はそちらの要請通りSCP-3448-JPの追加試験を実施した。その目的はもちろん、モルフェウス型幽体の回収にあたっての主観時間に十分な猶予があるか否かを確認するためのものだ。無論、実際にモルフェウス型幽体の回収を行うわけにはいかないので、3448-JPの装着者には帰路において500体の夢界実体群を逐一生成しながら帰還してもらうことになった 夢界実体は帰路の途中で溶解してしまうので、溶解したタイミングでその都度新たな夢界実体群を生成してもらうというのを繰り返す形だな。そして、その結果として
オゾリオ委員長: 帰還に間に合わないと判断して、全ての装着者は途中で夢界実体の持ち帰りを中断して帰還に専念した、と。うん、聞いてるよ。
エージェント・ライト: あら、ビックリ。ってこたあ、イさんが指摘した問題は正しかった、と?
ガムボール管理官: お待ちを。今回の追加試験には、実際のモルフェウス型幽体の回収とは大きな剥離があります 500体の夢界実体の逐次生成という本来存在しない行程が挟まっている点に加え、装着者が自主的な判断で実体と共に帰還することを諦めている点です。特に前者は、帰還時間において大きなロスを生んでいることは間違いありません。そのため、それだけではSCP-3448-JPがプロジェクト・アパリションに不十分であるということにはなりません。
エージェント・ライト: ふうん、なるほど。
リックウッド管理官: 結局、我々は追加試験だけでは倫理委員会を納得させるに足るデータを用意できないと判断した。そのため、今度は夢界保全局にシミュレーションを頼んだわけだ。
エージェント・カオ: シミュレーションですか?
ガムボール管理官: はい。SCP-3448-JP装着時における集合的無意識における滞在可能主観時間のデータも、集合的無意識内におけるモルフェウス型幽体の観測データも存在していますから、それをもとにシミュレーションを行いました。ファウンデーション・アーカイブ局の有するデータも投入し、可能な限り正確なシミュレーションになるよう手配しました。その結果
オゾリオ委員長: 生成した夢界実体ではなく、元来より集合的無意識に存在し続けているモルフェウス型幽体ならばいちいち溶解することはないから、再生成のロスなく主観時間50時間以内に回収可能、と。うんうん、それも聞き及んでるよ。
エージェント・カオ: なるほど。
エージェント・ライト: 1ついいですかね、ガムボールさん? ファウンデーション・アーカイブ局もこの件に絡んでるんですか?
ガムボール管理官: その表現は適切ではありません。あくまで、ファウンデーション・アーカイブ局からデータの提供があっただけです。シミュレーション自体は夢界保全局が行っています。
エージェント・ライト: はあ、そうですか。了解しましたー。
エージェント・カオの咳払い。
エージェント・カオ: ……では、以上が心理学部門ならびに夢界保全局より提出されたデータということでしょうか?
リックウッド管理官: その通りだ。
エージェント・カオ: 承知しました。では、オゾリオ委員長、それを踏まえて倫理委員会で行われた再協議の結果をお訊きしても?
オゾリオ委員長: ああ、もちろんだよ! それじゃあ発表しようか。
沈黙。
オゾリオ委員長: 倫理委員会としての立場は変わらないよ、リックウッドさんにガムボールくん。僕らは、君らにプロジェクト・アパリションの実行許可を出すことはできない。
沈黙。
リックウッド管理官: ……あー、そうだな。理由を訊いても構わないかね、オゾリオ委員長?
オゾリオ委員長: 簡単なことさ。夢界保全局が提出したシミュレーションの信頼性に疑問があるからだよ。
ガムボール管理官: 疑問、ですか?
オゾリオ委員長: その通り! 夢界保全局は、FCという非現実に根を下ろす内局でしょ? でも、今回問題となってるのは、現実に肉体を持つ職員にこれまた現実で取り付ける装置なわけだ。それなのに、FCのデータだけで納得しろと言われてもねえ。
リックウッド管理官: しかし、実際にことが行われるのは夢界空間に集合的無意識という非現実だ。そこでのデータをもとに算出されたシミュレーション結果を無視すると言いたいのかね?
オゾリオ委員長の笑い声。
オゾリオ委員長: 無視するなんて一言も言ってないよ、リックウッドさん。僕らはあくまで、現実に根ざしたデータも欲しいなって言ってるだけ。だって、そうでしょ? 今回の話の軸になってる3448-JPは物理デバイスなのに、肝心のそのデータが不足してる。それをもとにしたシミュレーション結果なんて、なーんの役にも立たないもんね?
リックウッド管理官: それは
ガムボール管理官: 異議を。よろしいでしょうか、エージェント・カオ?
エージェント・カオ: は はい。
ガムボール管理官: そちらの資料にもあります通り、夢界保全局は既にSCP-3448-JPのデータを保有しております。その上で、今回のシミュレーションは実施されました。であるにもかかわらず、そちらは私どものシミュレーションを否定なさると?
オゾリオ委員長: 否定なさるんだな、これが。今回で一番大事なのは、あくまで3448-JPっていう機器の性能でしょ? その性能のデータをさ、リックウッドさん、君ら心理学部門から提出してもらえないと。
リックウッド管理官: いや
ガムボール管理官: これでもデータ不足、と仰りたいわけですか。
オゾリオ委員長: さっきからそう仰ってるけど? ていうかさ、今僕はリックウッドさんに話してるわけ。君はちょっと黙っててもらえるかな、ガムボールくん?
エージェント・カオ: オゾリオ委員長、度が過ぎ
ガムボール管理官が席を立つ。
ガムボール管理官: では、次回の協議までにそのデータをこちらで用意します。それでよろしいですね、リックウッド管理官?
リックウッド管理官: あ ああ。もちろん。
ガムボール管理官が、オゾリオ委員長の夢界空間から退出する。
エージェント・カオ: ガムボール管理官!
オゾリオ委員長のシャドウが肩をすくめる。
オゾリオ委員長: あらら。怒らせちゃったかな?
リックウッド管理官: ……オゾリオ委員長、今回の協議において我々が召喚された理由、忘れてはいないだろうな?
オゾリオ委員長: やだなー、リックウッドさん。そんな怖い顔しないでよ。軽いジャブじゃない、ジャブ?
エージェント・ライト: エメットさんがダメであんたがオーケーかどうかは、うちのマクラーレン先生にしっかり相談させてもらいますよ、オゾリオさん。今回の協議は、前回以上に惨憺たるありさまですからねえ。
オゾリオ委員長: おー、怖い怖い。ま、僕としては別にもう一回イのやつに来てもらっても構わないんだけど。
沈黙。
エージェント・ライト: んじゃ、第2回協議は以上でおしまいおしまい、っと。おい、坊主、帰るぞ。
エージェント・カオ: ……あ、はい!
エージェント・ライトのシャドウとエージェント・カオのシャドウが、オゾリオ委員長の夢界空間から退出する。
<記録終了>
当該協議の後、心理学部門および夢界保全局はSCP-3448-JPに関するさらなる追加試験を開始しました。
「……し、死ぬ……」
協議が終わり、現実の自分の肉体に帰ってきてすぐ、僕は全身から力が抜けて床にへたり込んだ。夢界空間だというのに、心臓が破裂するかと思った。あんな緊張感は、もう二度と味わいたくなかった。
「お疲れさん、坊主」
明晰睡眠サポート機器を首にぶら下げながら、ライトさんは僕に手を貸してくれた。
「……ありがとうございます」
「いやあ、しっかし流石にあの態度はアレよなあ」
「そ そうですよ! いくら何でも酷すぎるというか……問題ですよ、問題! ちゃんとマクラーレン管理官に報告しないと……」
ライトさんと僕は、内部保安部門施設の休憩室のソファーに座った。
「本当にビックリしましたよ、あの態度は。自分の立場というのをわかってらっしゃるんでしょうか?」
「そうよなあ。いくらぶちぎれたからって、何もあんな感じで離席せんでもなあ」
「ええ、本当に え?」
僕は目を丸くして、ライトさんのほうを見た。
「え、あの、態度って、オゾリオ委員長のほうじゃなくてですか?」
「ん? たりめえだろ、むしろオゾリオさんはファインプレーよ、ファインプレー。前回あの女博士の態度がおかしかったのは、あの女が ガムボールさんがいたからかもしれねえな」
「いや、でもさっき『うちのマクラーレン先生にしっかり相談させてもらう』って……」
「や、それはそれ、これはこれだよ。後でしっかり報告には行くが、それとは別口でガムボールさんを洗う必要が出てきたってわけだ」
そう言うと、ライトさんは立ち上がった。僕はまだ、彼女の言っていることを理解できないでいた。
「なあ坊主、気になんなかったか? 夢界保全局のシミュレーションに、ファウンデーション・アーカイブ局が手を貸してること」
「え? いや、別に……データが必要なら、あそこに要請が入るのは自然だと思いますが」
「坊主はそう感じたわけか。ま、あたしゃあっちの所属じゃねえからわかんねえけどよ。そもそも、あの女はお偉いさんだし、自分の立場を利用したってことも考えられんじゃねえのか?」
「な なるほど? 無くはないとは思いますが……うーん……」
僕は、ライトさんの主張に疑問を感じつつも、彼女の側に傾きはじめていた。確かに、ガムボール管理官はそもそもファウンデーション・アーカイブ局の管理官だ。例えば、シミュレーションをより確実にするためにデータの提供を早めさせたということは考えられなくもない。
「とにかく、だ。夢界保全局の連中がこぞって態度悪いってなりゃあ、もっとしっかりそこを洗う必要アリってこった」
「……なるほど。いつもの流れに持ち込むわけですか」
「たりめえよ。ようやっとお楽しみの時間が来たってわけだ。ヒャッホー! 興奮してくんじゃねえの」
こうして、僕たちはガムボール管理官の過去から現在まで、その動向や周辺を洗いはじめた。幸い、ガムボール管理官自身は相変わらず忙しかったので、スケジュール調整の兼ね合いで次の協議はまたもっと先になりそうだった。時間は十分にあった。
その間に、マクラーレン管理官の判断が出た。結局、オゾリオ委員長は協議から外された。まあ、仕方のないことだと思う。いつものライトさんみたいにエージェント程度の立場の人がアレをやったならともかく、倫理委員会委員長がやるのは威圧的がすぎた。なので、次の協議には再びイ副委員長が出席することになった。
そして、ついにその日がやってきた。第3回協議という、運命の日が。
補遺3448-JP.6: 第3回協議
2019/12/25、イ副委員長の夢界空間にて、第3回協議が実施されました。
映像記録
<記録開始>
イ副委員長の夢界空間は、雷雨の中の山小屋のような様相である。椅子とテーブルがその中心に設置されており、イ副委員長のシャドウ、リックウッド管理官のシャドウ、エージェント・ライトのシャドウ、エージェント・カオのシャドウが着席している。ガムボール管理官がイ副委員長の夢界空間に進入し、着席する。
ガムボール管理官: 再三遅れてしまい大変申し訳ございません、皆様。
リックウッド管理官: 気にするな、ガムボール管理官。席につきたまえ。
ガムボール管理官が着席する。
イ副委員長: こちらこそ、先日はこちらのオゾリオ委員長が大変失礼をいたしました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
ガムボール管理官: いえ、お気になさらず。
沈黙。
エージェント・カオ: ……えー、ではこれより、第3回協議を開始いたします。
イ副委員長: よろしくお願いいたします。
リックウッド管理官: よろしく。
ガムボール管理官: よろしくお願い申し上げます。
エージェント・カオ: では、早速ですが、リックウッド管理官。あれから、そちらの心理学部門のほうでSCP-3448-JPの追加試験を行われたのですよね?
リックウッド管理官: ああ。まずは、残念なニュースからお伝えすることになる。追加試験の結果としては、前回と特に大きく変わったデータを用意することはできなかった。つまり、結局は前回問題になった夢界保全局のシミュレーション結果が我々の主張の軸になっている。
イ副委員長: なるほど。ではやはり、大変申し訳ありませんが、こちらといたしましても主張を曲げるわけにはまいりません。プロジェクト・アパリションの実行は許可できない、というのが我々の見解になってしまいますね。
リックウッド管理官: まあ待て、話はまだ終わりではない。悪いニュースがあればいいニュースもあるものだろう?
イ副委員長: ほう。その、いいニュース、というのは?
リックウッド管理官: こちらとしてもこのままではまずいと思い、3448-JPの開発者である工学技術事業部門のノア博士に連絡し、その性能の改良をお願いした。結果、集合的無意識における滞在可能主観時間が約70時間に伸びたのだ。プラスにしておおよそ20時間だな。
イ副委員長: なるほど。
ガムボール管理官: それに合わせ、こちらのシミュレーションも再検証いたしました。結果、本来は十分な訓練を受けた職員でなければ間に合わないという結果だったのが、訓練を受けていない職員でもモルフェウス型幽体回収以外の不必要な行動をとらなければ帰還可能という結果に変わりました。
イ副委員長: ふむ。確かに、20時間も追加されればリスクはかなり低下するでしょうね。その資料を拝見させていただいても?
ガムボール管理官: 承知しました。
ガムボール管理官が、テーブルにおける出席メンバーの手前にそれぞれ資料を出現させる。
ガムボール管理官: こちらになります。
イ副委員長: ありがとうございます。
沈黙。
イ副委員長: ……拝見しました。なるほど、確かにこれなら我々の見解も変更することができるでしょうね。
ガムボール管理官: ありがとうございます。では
イ副委員長: 「プロジェクト・アパリションの即時停止の要求」へと。
沈黙。
ガムボール管理官: 何ですって?
エージェント・ライト: はい、ちょっとここで失礼させていただきますよ、皆さんがた。ガムボールさん、ちょっとお話よろしいですか?
ガムボール管理官: ……構いませんが。
エージェント・ライト: あんた、旦那さんと息子さんがいらっしゃいましたね?
沈黙。
ガムボール管理官: ……はい、そうでしたが。ですが、私のプライベートな情報がこの協議にどう関わってくると?
エージェント・ライト: 待ってくださいよ。こっからが大事なんですから。で、おたくの旦那さんと息子さん、どっちも交通事故で
ガムボール管理官: 質問にお答えください、エージェント・ライト。私のプライベートな事情をこの場で暴露することが、いったいどうして必要なのですか?
エージェント・ライト: いやね、ガムボールさん。うちら内部保安部門は、あんたのプロジェクト監督者としての素質について疑いを抱いてるんですわ。
ガムボール管理官: 素質?
エージェント・ライト: はい。ガムボールさん、あんたはずっと夢界保全局管理官として、プロジェクト・アパリションの実行をやけに急いでいた。さすがに倫理委員会の制止を振り切ってまでは実行しなかったみたいですがね、それでもちょっと強引な手段に出てる。1つ挙げられんのが、ファウンデーション・アーカイブ局管理官としての立場の濫用ですわ。
ガムボール管理官: 濫用と申されましても、私はただファウンデーション・アーカイブ局管理官としてシミュレーションに必要な情報を夢界保全局に提供し、それをまた夢界保全局管理官として利用したにすぎません。それのどこが濫用にあたると?
エージェント・ライト: 簡単なことです。あんた、ファウンデーション・アーカイブ局の他のお偉いさんに話通してないでしょ。
沈黙。
エージェント・ライト: 普通、ファウンデーション・アーカイブ局として情報提供をするなら、ある程度の職位の人に話を通すのが筋ってもんだ。でも、あんたはそれを自分っていう最短経路でやってのけた。2つの内局の管理官としての職権濫用にあたるんじゃないですか?
ガムボール管理官: それだけでは「濫用」と呼べる程度のものではないでしょう。それに、その事実と先ほどあなたが掘り下げようとした私のプライベートな事情にいったい何の関連があるというのでしょうか? 少なくとも、そちらのほうが私としては濫用に思えてならないのですが。
エージェント・ライト: 関連ならありますよ、ガムボールさん。動機ってやつです。坊主、そもそもプロジェクト・アパリションってのはどういうプロジェクトだったっけ?
エージェント・カオ: モルフェウス型幽体 死者の魂の複製を、集合的無意識から回収するプロジェクトです。
エージェント・ライト: そう、その死者ってのが重要だった。おたくら夢界保全局がやけにモルフェウス型幽体の回収に躍起になってたのは、機密漏洩だの何だのが理由じゃない。ガムボールさん、あんたがご家族の幽体を一刻も早く回収したかったからだ。
ガムボール管理官: ……私が個人的な感情で、このプロジェクトを推し進めていた、と?
エージェント・ライト: その通り。だからこそ、うちらはあんたのプロジェクト監督者としての素質に疑問がある。大義名分があるとはいえ、私情でプロジェクトを進められちゃ監督者としては不適格って言わざるをえない。
ガムボール管理官: そのような証拠が、まさかどこかにあるとでもいうのでしょうか? 私が、個人的感情でプロジェクト・アパリションを進めていた、という証拠が
エージェント・ライト: あるんですよ、これが。
ガムボール管理官: はい?
エージェント・ライト: ま、厳密に言やあ証拠とまでは言えねえんですけどね。ちゃんとこっちにはあるんですよ、残念ながら。
ガムボール管理官: いい加減にしていただきたい。個人的感想なのであれば
エージェント・ライト: 工学技術事業部門のジョヴァンニ・ノアさん。おたくのマティルダ・エメットさん。そしてさらに、心理学部門と夢界保全局それぞれの担当職員。全員、さっき内部保安部門のほうで拘束させていただきましたよ……捏造っていう罪でね。
沈黙。
ガムボール管理官: ね、捏造……?
エージェント・ライト: ええ。まあ、肉体持ちの職員ばっかじゃないんで、FCのほうはFCのほうで処理してもらいましたけどね。
ガムボール管理官: ちょっとお待ちください。捏造ですって? いったい何の?
エージェント・ライト: いやあ、ノアさんが行かれてる時点で決まってるでしょ。3448-JP あのヘッドセットの性能の捏造ですよ。
沈黙。
ガムボール管理官: ……馬鹿な。既に、心理学部門からも十分なデータが提出されています。その性能に疑いはありません。
エージェント・ライト: じゃあ、ここでリックウッドさんに交代しましょうか。
ガムボール管理官: ……リックウッド管理官ですって?
リックウッド管理官: ……我々心理学部門と夢界保全局が合同で行った、あの集合的無意識探査。実はあの日、エメット博士は直接モルフェウス型幽体からの干渉を受けていた それも、実際は集合的無意識の奥深くではなく、その遥か手前で。そのときエメット博士は、我々の知識にない未知のミーム汚染を受けていたのだ。
沈黙。
リックウッド管理官: 未知の領域には未知の危険が潜むというのを、我々はいつしか忘れていたのだ。その危うさを軽んじて、3448-JPというデバイスの完成にばかり目が行ってしまったわけだ。
ガムボール管理官: ……あり得ない。そんなことはあり得ない。探査は実際に行われ、何十時間にもわたって集合的無意識に滞在し、その最深部に到達したという記録だったはず。何より、集合的無意識から帰還する際は、必ず種々の除染を受ける必要があるはずよ。
リックウッド管理官: 無理もない。既存の技術では検出もできないような、全くもって新しい形でのミーム汚染だ。それを除染することなど、あの段階では不可能だったのだ。そして、それこそがモルフェウス型幽体たちの狙いだった。
ガムボール管理官: 狙い……?
リックウッド管理官: 集合的無意識には、元型と呼ばれる夢のイメージの根源がある。モルフェウス型幽体の集合体は、そんな元型の1つとして機能していたのだ。そして、ノア博士をはじめとする標準夢界訓練を受けていない職員は、夢を介したミーム汚染を受けていた。標準夢界訓練を受けていたエメット博士も、直接の接触により汚染された。結果、彼らは1つの至上命令をもとに動くようになったのだ 「シャドウを次々と集合的無意識へと投入せよ」というな。
沈黙。
ガムボール管理官: そんな……そんな馬鹿な。
リックウッド管理官: 恐らく、モルフェウス型幽体の目的はシャドウの溶解とそれによる幽体への「仲間入り」だったのだろう。集合的無意識において、自他境界の概念は希薄だ。シャドウが長時間留まれば、空間に、何よりそこに存在する幽体たちに溶け合ってしまう。だから、モルフェウス型幽体たちは持てる限りの声でもって、人々を誘い込もうとした。「自分たちの仲間になってほしい」と。だからこそ、ノア博士やエメット博士、そして関連する職員たちは、共同して3448-JPの性能の捏造という罪に手を染めたのだ。君の罪が薄まるわけではないが、同じプロジェクトを担当する部下全員を疑うことも難しいことだ
ガムボール管理官: で では、最初から、あのヘッドセットには保護機能など一切なかった、と? そんなはずはない。エメットは、皆は、しっかりと実験を行っていたはず……私は、この目でその実験に立ち会いました。それすら、私を欺くための欺瞞であった、と?
リックウッド管理官: ……そうだ。汚染を受けたエメット博士は、心理学部門と夢界保全局両方における博士であり、プロジェクトの立案者にして責任者だ。担当職員も、ミーム汚染を受けた同胞から選ぶことができる つまりは、そういうこと、だ。
沈黙。
リックウッド管理官: ……すまなかった、ガムボール管理官。これは、気づくことのできなかった私の責任でもある。だから
ガムボール管理官: 「すまなかった」で済むわけがないでしょう、リックウッド? ジョシュアを 息子を取り戻せるたった1つのチャンスだったのに。それを、あんたが……よりにもよってあんたが。あんたが!
沈黙。
ガムボール管理官: ……あんたがずっと憎かったのよ、ジョン・リックウッド。私は家族も肉体も失って、ただ職務だけしか残されていなかった。ただの書庫に徹して、無私の姿勢を貫き続けた。それなのに、あんたは……あんたは失った友人を取り戻した。よりにもよって、再現性のない奇跡でもってして!
ガムボール管理官の泣き声。
ガムボール管理官: 何で、私じゃなくてあんたなのよ……何で、私にはそのチャンスがもらえないのよ。肉体がないから? 自分の夢界空間がないから? 私がいったい、どれほど息子と会いたいと願ったことか。それなのに、あんたはまた私を絶望の淵に追いやった。あんたが……あんたが見抜けてさえいれば。私がこうやって、存在しない希望にすがることなんてなかったはずなのに。
沈黙。
エージェント・ライト: ……悪いが、それだけは違うぜ、ガムボールさん。このプロジェクトの監督者は、リックウッドさんとあんたの両方だ。存在しない希望とやらに気づけなかったのは、あんた自身の責任でもある。
ガムボール管理官: ええ……そうでしょうとも。ああ、さぞや愉快でしょうね、ライト。この協議が始まったときからわかっていたのでしょう? 全員知っていたのでしょう? あんたも、あんたも、あんたも、そしてあんたも! 全員、私が道化にすぎないと知ったうえでこの協議を始めたのでしょう? 壮大な茶番を用意して、この私を絶望のどん底に追いやるために……
エージェント・ライト: それは
ガムボール管理官の笑い声。
ガムボール管理官: おしまいよ、何もかも。これで、もう私は永遠にジョシュアに会えない。たった1人の息子に会うこともできず、部下ひとり守ることもできず、私は管理官の座から降ろされる……プロジェクトの責任を取らされてね。
ガムボール管理官の泣き声。
リックウッド管理官: ……本当に、すまない。
ガムボール管理官の泣き声。
イ副委員長: ……1つ、よろしいでしょうか、ガムボール管理官。
ガムボール管理官: ……何? あんたも私を笑うつもり? 何も得られず、ただ愚行を重ねただけのこの私を?
イ副委員長: 私が というよりは、我々倫理委員会が要求したのはプロジェクトの「停止」です。「廃止」ではありません。
沈黙。
イ副委員長: そもそも、この一連の協議における争点は何だったでしょうか? そう、集合的無意識における滞在可能主観時間の長さでした。
ガムボール管理官: そして今、それは一連のインシデントによって振り出しに戻った。そうでしょう?
イ副委員長: その通り。「振り出しに戻った」だけなのです。
沈黙。
イ副委員長: 確かに、モルフェウス型幽体には有害なミーム汚染能力があります。しかし、対抗ミームを製作するのはまさに財団の得意分野ではありませんか。それに、現状わかっているミーム汚染能力はあくまで集合的無意識におけるもの。集合的無意識外、つまり夢界空間まで回収することができれば、そのミーム汚染能力はなくなるかもしれない。対抗ミームさえ開発されれば、再びヘッドセットを安全に製作することができるかもしれない。
ガムボール管理官: 「かもしれない」、ね……そんな薄っぺらな希望は、もう意味がない。
イ副委員長: 息子さんに会える「かもしれない」という希望にすがってきたのに、ですか?
沈黙。
イ副委員長: 繰り返しますが、我々倫理委員会はあくまで集合的無意識における滞在可能主観時間を問題視してきました。これから再び正当な手順で本物のヘッドセットが開発され、それが十分な機能を持っていると判断できれば、我々はプロジェクトの実行を許可すると約束しますよ。何より、モルフェウス型幽体の元々の回収目的自体は正当なものだったではありませんか。そう、全ては振り出しに戻っただけなのです。また、ゼロからやり直すことができるのですよ。
エージェント・カオ: それに、今回あなたが犯したのは「少々強引な情報提供」と「捏造の見過ごし」の2つだけです。もっと言えば、後者に関しては優秀な部下全員の裏切りがあってのものでした。リックウッド管理官含め、その職位を保てる可能性はある。絶望し、打ちひしがれるには、まだ早いとは思いませんか?
沈黙。
ガムボール管理官: ……そう、なのかしら。自分の我欲のためだけに、部下たちまで犠牲にしてしまって……もう、私にはわからない。
エージェント・ライト: なあ、ガムボールさんよ。今回、あたしらがこうしてあんたを囲んだ目的は何だと思う? あんたに真実を知らしめるためだ。でもそれは、あんたをただ地獄の底に叩き落としたかったわけじゃない。あんたに、もう一度前を向いてもらうためだ。
沈黙。
エージェント・ライト: あたしは、ゴミ野郎もその家族もどうなろうが知ったこっちゃない。でも、あんたは少なくともそんな「ゴミ野郎」なんかじゃなかった。このライトとカオのタッグがしっかり調査して、あんたにこれ以上の罪はないことを確認してる。このあたしが保証する。
沈黙。
エージェント・ライト: これから、あたしらはうちのマクラーレン先生に事の次第を報告しにいく。後は、全部あんた次第だ。あんたがここで前進を選ぼうと、諦めようと、それはあんたの自由だ。だがな
エージェント・ライトのシャドウが立ち上がる。続いて、ガムボール管理官以外の出席メンバーも立ち上がる。
エージェント・ライト: あたしに負けなかったクソ女が、こんなところでくじけんなよ。
エージェント・ライトのシャドウとエージェント・カオのシャドウが、イ副委員長の夢界空間から退出する。
<記録終了>
当該協議を受け、プロジェクト・アパリションは停止され、SCP-3448-JPはPendingクラスに再分類されました(インシデント3448-JP)。内部保安部門による協議の結果、ノア博士やエメット博士をはじめとする関連職員は拘留されました。リックウッド管理官およびガムボール管理官にはモルフェウス型幽体によるミーム汚染は確認されなかったため、カウンセリングおよび減給処分のみが下されました。
こうして、運命の第3回協議は幕を閉じた。結局、SCP-3448-JPは何の性能も持たないヘッドセットとしてその役割を終えた。プロジェクト・アパリションは、まさしく亡霊アパリションのごとくに立ち消えることになった。
これではいけなかった、とは思わない。捏造があったのは事実だし、それをプロジェクトの実行前に暴けたのは内部保安部門エージェントとして誇るべきことだ。でも、やはり心のどこかに申し訳なさがあった。今まで僕たちが相対してきたのは、まごうことなき悪人たちばかりだった。でも今回の一件では、ガムボール管理官を筆頭に、ある意味その全員が被害者だった。『黒幕』と呼べる存在は、集合的無意識の彼方に存在する詳細不明の幽体群だ。僕たちに裁くことはできないし、どうにもならない。
でもとにかく、僕たちは倫理委員会から依頼された『仲裁と監視』を無事にやりきったわけだ。僕は、胸のうちにモヤモヤした思いを抱えながら、あのオゾリオ委員長のオフィスを訪問した。
倫理委員会委員応接記録(2020/01/09)
<記録開始>
オゾリオ委員長のオフィスにて、エージェント・ライトおよびエージェント・カオが並んでいる。デスク後ろの椅子にはオゾリオ委員長が座っており、その横にはイ副委員長が立っている。
オゾリオ委員長: いやあ、見事だったね、君ら! 倫理委員会として、心から感謝するよ。
イ副委員長: ええ、本当に感謝しております。やはり、お2人に頼んで正解でした。
エージェント・カオ: ……どうも。
沈黙。
オゾリオ委員長: ……こらこら、そんな暗い顔しない! 立派なことじゃんか、2つの内局の悪事を暴いちゃうなんてさ。そっちのマクラーレンくんも、今回の件で喜んでたでしょ?
エージェント・カオ: ええ、まあ。
オゾリオ委員長: それなら、全て良し、ってわけだ。違う?
沈黙。
イ副委員長: 負い目を感じる必要はありませんよ、エージェント・カオ。
エージェント・カオ: イ副委員長……
イ副委員長: 今回の件は、お2人の独断専行ではなく、我々倫理委員会の依頼が発端でした。その結果、捏造と彼女 ガムボール管理官の悲劇が明るみに出たというだけなのです。少なくとも、あなたが負い目を感じるようなことではありませんよ。
エージェント・カオ: そう……ですか。ありがとうございます。
エージェント・ライト: まあ、内部保安部門で働いてりゃこういうことの1つや2つもあるさ。切り替えてこうぜ、坊主。
エージェント・ライトがオゾリオ委員長のデスクに座る。
エージェント・ライト: にしても、オゾリオさん、第2回でのあんたの大立ち回りには感心させてもらいましたよ。ま、うちのマクラーレン先生はおかんむりでしたけどね。
オゾリオ委員長の笑い声。
オゾリオ委員長: いやいや、君の指南のおかげだよ、ライトくん。僕も、ああいうヒールムーブは嫌だったんだよ? 結果的には、あれで彼女の冷静さが失われているのを確認できたんだけどさ。
エージェント・カオ: ……指南? ちょっと待ってください、じゃあもしかして、ライトさんとオゾリオ委員長って
エージェント・ライト: テテーン! 実は裏で繋がってました、ってな。
エージェント・カオ: なっ
オゾリオ委員長: 僕らはさ、はじめからプロジェクト・アパリション陣営の急進的な動きを不審視してた。だから、こうして君ら内部保安部門のタッグに監査の依頼をしたわけだけど……ライトくんがさ、第2回の前に僕にコッソリ会いに来たんだよ。「ちっと頼みたいことがあるんですけど」ってぐあいにね。
エージェント・ライト: そもそも、ガムボールさんの背景事情は、あたしのほうじゃこの前のThaumielクラスのDクラスんときにとっくに調べがついてたしな。でも、あくまで第三者のあたしじゃあ揺さぶりをかけるにゃあ弱かった。相手は、あの鉄仮面のガムボールさんだったからな。だから、そこのオゾリオさんに頼んでちっと揺さぶりをかけてもらったわけだ。
沈黙。
エージェント・カオ: ……このことは、イ副委員長もご存じで?
イ副委員長: ええ……まあ。
エージェント・カオ: ……言ってくださいよ、みんなして!
エージェント・ライトの笑い声。
エージェント・ライト: あの破砕機んときの仕返しだよ、坊主!
オゾリオ委員長: 悪いね、ちょっとしたサプライズさ。でも、ちょっと元気出ただろう?
沈黙。
オゾリオ委員長: うーん、あとひと押しかな。それじゃあ、もう1つのサプライズをあげようじゃないの。
オゾリオ委員長が、手元の端末を操作する。やがて、オゾリオ委員長はエージェントらに端末の画面を見せる。
エージェント・カオ: これは……
端末の画面には、現行のSCP-3448-JP報告書の補遺3448-JP.7が表示されている。
エージェント・カオ: ……良かった……
オゾリオ委員長の笑い声。
オゾリオ委員長: さて、僕らの仕事もこれでひと段落だ。それじゃあ、イくん、またみんなに嫌われる仕事に取り掛かろうじゃないの。
イ副委員長: ええ。改めて、お2人とも、本当にありがとうございました。
エージェント・ライト: どうも。
エージェント・カオ: こちらこそ、お気遣いありがとうございました。では、失礼します。
エージェント・ライトとエージェント・カオが退室する。
<記録終了>
「坊主、ほれ」
倫理委員会のオフィスから内部保安部門施設の休憩室に戻ると、ライトさんは僕にモンスターの缶をくれた。
「あ、ありがとうございます」
僕は、彼女から缶を受け取って、彼女と一緒にソファーに座った。
「……それにしても、意外でした」
「ん、何が?」
「いや、ライトさんも激励とかするんだな、って」
「お前、今回あたしに喧嘩売りすぎじゃねえか? やっぱそれ返せ、こんにゃろ」
そう言うと、ライトさんは僕が今栓を開けたばかりの缶を奪って、自分で飲み始めた。
「すいません。でも、やっぱり不思議だなって思っちゃって。いつものライトさんなら、罵倒を吐き捨てて終わるじゃないですか、ああいうときって」
「だいぶ失礼こかれてるが……否定はできねえな。実際、気持ちいいからな、ああいう場面で罵倒すんの」
僕は、自分で自販機からコーラの缶を買って、ライトさんの横に座り直した。
「……ま、大事なやつへの執着心ってのは、デリケートなもんだからな」
ライトさんはそう独り言ちながら、またモンスターの缶を一口飲んだ。
収容クラス: Gödel1
機密
特別収容プロトコル: N/A
説明: SCP-3448-JPは本稿執筆時点で開発途中の、自他境界維持ヘッドセットです。SCP-3448-JPの装着者には、シャドウ2の自他境界の喪失(シャドウ溶解)3が発生しにくくなります。これにより、装着者はシャドウ溶解およびそれに伴う昏睡から一定の保護を受けます。SCP-3448-JPの主たる使用目的は、集合的無意識4の探査におけるシャドウ溶解を防ぐためのものです。
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補遺3448-JP.7: 開発再開
2020/01/07、モルフェウス型幽体が有するミーム汚染特性への予防策および除染策が確立されたことを受け、リックウッド管理官およびガムボール管理官はSCP-3448-JPの開発再開を決定しました。このため、SCP-3448-JPはGödelクラスに再分類されました。
あの人のこれからの未来に幸あらんことを、ただ祈る。
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