特別収容プロトコル: SCP-3470-JPは翻訳研究を取り扱う各国企業の翻訳システムやコンピュータに秘密裏に埋め込まれ、翻訳技術研究を阻害するために作動されます。
説明: SCP-3470-JPは"モルデント・ウイルス"と呼称される、2023年4月に財団が開発したコンピュータウイルスです。SCP-3470-JPは機械翻訳システムに入り込み、正しい翻訳結果の出力を阻害するようプログラムされています。この機能は特に難解なことわざ、婉曲的表現、ジョークを翻訳する際に作動し、本来であれば意訳などを用いて自然な文章に変換されるべき文を不自然な翻訳にする効果があります。
SCP-3470-JPには反ミーム技術が使用されているため、コンピュータに入り込んでもウイルスとして検出されず、低品質の翻訳結果がバグとして出力されるようになっています。また、財団の奇跡論的認識除外刻印が該当するバグに自動で刻まれるようプログラムされているため、技術者はそのバグを認識できても、その重要性と対処の必要性を感じることができません。今のところ、SCP-3470-JPを全世界の機械翻訳システムに埋め込むことにより、研究や学習を重ねる事による翻訳の質の向上は有意に抑制されています。
補遺: SCP-3470-JPは、世界の言語が適切に翻訳されるようになるという未来が実現された際に起こる終末論的危機を未然に防ぐために開発されました。この終末論的危機に関して、戦術神学部門は以下の見解を示しています。
技術は何のためにあるでしょうか?端的に言うなら、その1つは「統一するため」です。例えば、情報。人は情報を得るため、対話、書物、ネット検索という手段を用いてきました。お分かりでしょうか?対話から書物、書物からネットと情報を得る媒体が変遷していく上で、私達は幅広い情報を楽に得られるようになっているのです。
他にも例を挙げましょう。例えば食肉加工。昔は人の手で肉を切っていましたが、今や専用の切断機で、画一された規格で製造できるようになっています。他にも、果物。かつては不均一で可食部も乏しかった果物は、今や遺伝子操作により全て一様の商品となりました。
つまり技術は、知識を得る方法を、食卓に並ぶ肉料理の規格を、店頭に並ぶバナナのサイズを、それぞれ統一させてきたという事です。技術によって何かが統一されるという事は、複雑な物事やプロセスが簡略化され、一般化されるという事を意味します。人類はその恩恵を大いに享受してきました。
そして私達は、世界のあらゆる事が統一によって簡略化されることを、歓迎すべき事柄であると認識していました。しかし全てにおいてそう言える訳ではないようです。先月、私達は統一の"限界"を目の当たりにしました。
財団には言語を扱う部門が存在します。その目的は異常言語の翻訳でしたが、それと同時にGoogle翻訳のようなシステムの開発も行っていました。財団では時に支部間で協力してアノマリーを収容するといった国際連携が行われます。その時に職員らの間で円滑にコミュニケーションが取れるようにするため、翻訳システムの完成は急がれていました。
結論から言えば、開発者は優秀でした ― 彼らは機械翻訳にAIを組み合わせることで、主要言語を任意の言語に即時翻訳できるようにしました。もちろん、私達が翻訳できるようにしたのは世界に存在する言語の一部に過ぎません。しかし実用するにはそれで充分でした。私達は事実上、機械翻訳という技術で言語を"統一"したのです。
問題はその後に発生しました。件の機械翻訳が使用されてからというもの、各地で使用者から「上空からの威圧的な視線を感じる」との報告があがるようになりました。上からの威圧感 ― この言葉が出る時、大抵は神が関わってきます。
戦術神学部門はすぐに、使用者近辺のアキヴァ放射線量を調査しました。アキヴァ放射線とは、簡単に言えば神格の存在を示すエネルギーのことで、線量が高ければ高いほど神格がよりハッキリと存在している、という事を示します。
調査結果によれば、使用者が高い位置にいればいるほど、上空からのアキヴァ放射線量も多くなる ― つまりより威圧されるという事が判明しました。この事実を、神の立場から考えてみましょう。神からすれば、言語を統一させた状態の人が高い場所に行くことを"好ましくない"と思っているのでしょう。だから威圧感を与えることで、高所へ行くことを拒ませている、と。
この話を聞いて、お気づきの方もいるでしょう ― そう、これは"バベルの塔"の再来です。かの逸話をご存じでしょうか?
かつて、人類は同じ地、同じ言語で暮らしていた。人々はこう言った、「さぁ、我々の塔を作ろう。各地に散って消え去ることのないよう、天に昇れるほど大きな塔を作ろう」。それを見た主は、人が天に到達しようとすることをお怒りになり、「この業は彼らの言葉が一つであり、協力して作り上げようとした処から始まったのだろう。然らば、我々は人の子らの言葉を乱し、互いに理解できぬものにしてやろう」と述べた。
言葉の通じなくなった人々は塔をこれ以上建設できなくなり、やがて各地へと散った。かの塔は神の吹き付けた風によって壊され、天に届くことは終ぞなかった。この塔は後にバベルの塔と呼ばれる事となる。
要するに、人類の言語が統一されていた頃、人は天、即ち高所を目指そうとして神の怒りを買い、統一言語と塔を壊されたという事です。
さて、先程私達はこれを"バベルの塔の再来"と言いました。これは概ね間違いないものと推測されています。私達は財団の機械翻訳によって言語を統一しました。そしてこの世界には既に、天への到達とは無関係の高い建物がいくつも立ち並んでいます。
言語の統一、そして高層構造物の完成。この2つが意図せず揃ってしまったのです。これに対しなぜ神が"裁き"をすぐに与えないのか、という点についてですが、神は私達に猶予を与えているのだと考えられます。神がわざわざ上から視線と威圧感を投げかけているのは、「言語を統一した状態で天に近付けば、すぐさま裁きを与えるぞ」と遠回しに警告しているという事です。逆に言えば、私達がある一定以上の高さに達したら、神は即刻裁きを落とすつもりです。高い所に行くほど高まるアキヴァ放射線量が、それを物語っています。
神の存在感を示すアキヴァ放射線量が一定を越えると、"神の顕現"を招きます。この状態になれば、神の裁きが引き起こされるでしょう。つまり我々は、件の翻訳システムを持っても、神の顕現を招かないほど高いところに行かなければよい…と、そう思っていました。
しかし、誤算でした。神学関係者によれば"天"は雲の上、つまり600m以上の形而上学的位置に存在すると考えられていました。ですが先述のアキヴァ放射線量の増加量を鑑みるに、例の翻訳システムを持った状態で150mに達した時点で神は顕現するつもりのようです。
これが、"天"が地上150mの位置にある事を示しているのかはまだ分かりません。ですが、150mクラスの建物が幾つこの世界にあるでしょうか?スカイツリーやサグラダファミリアなどの名所はもちろん、超高層ビルも余裕で突破しています。私達は、起こそうと思えば簡単に神の顕現を引き起こせるほどの高い建物を有しているのです。
そして最大の問題は、一般企業が開発している機械翻訳の進化のスピードです。財団の機械翻訳は確かに優秀ですが、一般企業の機械翻訳も同様に優秀です。実のところ、使用している技術自体には対して差がありません。
何より大きなファクターは、AIの一般化です。これまでは財団や大企業が秘匿的に開発を進めていたAIが一般化されたことで、進化は加速度的に上昇しています。chatGPTやMidjourneyが社会に与えた影響を知る方なら、AIによる翻訳も多大な影響を与えることがお分かりになるかと思います。このままAIと翻訳システムが融合した状態で研究が進めば、いつか一般企業でさえ財団の翻訳システムと同じレベルに達してしまうでしょう。
そうなった時に何が起こるでしょうか。仮に財団の機械翻訳と同じ有用性を持つ翻訳アプリが全世界にリリースされ、そのアプリを持った人々が観光のためにスカイツリーのような高い建物に行ってしまったら?
各地で神が顕現し、バベルの塔の末路を辿るように建物が破壊され尽くされ、翻訳システムも崩壊するでしょう。それ以前に、各地で「上から謎の視線と威圧感がする」と報告され、混乱を招くでしょうが。
私達財団が封じ込めるものは、モンスターや本、建物、人などです。そういった小さな"怪奇"に、私達は記憶処理やカバーストーリーで人々から遠ざけてきました。
ですが、世界各地で人々が視線を浴び、神が顕現し、建物が破壊し尽くされる光景は?これは最早"怪奇"などではなく、単なる"終末"に他なりません。
何百万もの人々が謎の視線を感じたことが記憶処理でどうにかなるでしょうか?高い建物だけ謎の力で破壊されることが"怪奇現象"や"自然災害"という言葉で片付くでしょうか?破滅によって発生する死者を、納得のいくよう説明できるでしょうか?
起こり得る終末に対し、財団は"収容"することができません。であれば、我々にできることは、神への対処法が開発されるまで人類の進化を食い止めることだけです。
そのために作り出されたのが、"モルデント・ウイルス"です。このウイルスは、翻訳の精度を落とし、研究のスピードを遅らせるものです。貴方も経験がありませんか?翻訳ソフトで慣用句を翻訳しようとしたら、妙な訳になったことが。例えば、「事なきを得る」が"Get Kotonaki"となったり、「ありがたき幸せ」が"Arigataki Happiness"となったり。
これは、モルデント・ウイルスが引き起こした誤翻訳です。本当は今の機械翻訳技術ならこれらの言葉は正しく翻訳できる水準にありますが、ウイルスがそれを封じています。理由は言うまでもなく、世界の言葉が神の怒りを借りるレベルで精密に翻訳される事態を防ぐためです。
これらの誤翻訳はインターネットミームになったりと、クスっと笑える程度の反響を呼んでいます。財団職員の中でも話のネタにする人もいらっしゃいますが、どうか忘れないでください。これらの、一見して笑えるような翻訳の陰に、終末を食い止める責務が潜んでいるという事を。
先述の通り、私達は技術が世界を統一することを望ましいことだと思っていました。もちろん言語分野の統一には言語帝国主義の助長といった問題を孕むことも事実ですが、それ以上に有用な翻訳アプリによって国際間の交流や旅行における支障がなくなるという未来が実現されることを期待していました。技術による諸々の簡略化や統一は、人類の進化と、より大きな変遷をもたらすとも思っていました。そう思っていた私達にとって、今回のように世界の進化を止める働きかけを行うことは、苦肉の策であり、最も避けたかったことです。
しかし、その必要があるならば、私達はそれを行わなければなりません。今はただ、いつか必ず訪れる終末への対抗策を生み出すまで、人類の変化を、進化を、抑え封じるだけです。
財団の収容に差し当たって、一般社会の享受する正常すら、その例外ではありません。
