
特別収容プロトコル: SCP-3487-JPは、サイト-81UTの人型異常収容棟に収容されます。SCP-3487-JP-Aの出現を想定して、通常の規模よりも一段階拡張した収容室を適用します。SCP-3487-JPに対しては14歳男児にとって適切な食事・生活を設定するほか、中学生相当の義務教育を施してください。
俺は今、上野公園にいる。いや、正確に言えば、上野公園の"偽物"、そこにある知らない建物の中にいる。上野公園のことは好きだ。美術館が好きだから。この場所のことは……よくわからない。
説明: SCP-3487-JPは、小野おの日向ひゅうがという名で生活していた、2024年現在で14歳の日本人男性です。身体的には通常の児童の範囲を逸脱しませんが、後述の家庭的環境に起因するであろうやや抑制的な性格を持ちます。SCP-3487-JPは、不定期に半透明の実体(SCP-3487-JP-A)を周囲10m以内の空間に発生させます。実体はある程度自律的に行動し、主にSCP-3487-JPに対して会話という形の意思疎通を行います。
現在財団の確認しているSCP-3487-JP-Aは2種類です。それぞれ、
- 小野 小夏こなつ氏(SCP-3487-JPの母親)
- 小野 明彦あきひこ氏(SCP-3487-JPの父親)
と外見が一致しています。
家にいた時のことを思い出すと、視界の端に小さな影が見える。その影はどんどん大きくなって、パパだったりママだったりの形になる。ママは優しいから、俺が勉強してる時にはこっそり答えを教えてくれるし、パパは所構わず喋ってくるから、たまにうるさい時もあるな。
所詮はみんな偽物だ。本物でもないのに、どうして俺の周りにいるんだろう。
特筆すべきこととして、日向氏の住んでいた住宅においては、上記と日向氏自身の他に日向氏の双子の兄である小野 太陽氏が居住していましたが、氏に対応するSCP-3487-JP-Aの出現は確認されていません。異常発現前のSCP-3487-JPと太陽氏は同じ██区立██学校に通っており、双方の担任を経験したことのある教諭の1人は太陽氏について品行や学業が優れていたという旨を証言しましたが、SCP-3487-JPに対しては外見や服装が太陽氏に類似していた1という点を除いて、顕著な印象は有していないようでした。
お兄ちゃんは俺にそっくりだった。──いや、時期を考えると俺がお兄ちゃんに似ていた、と言った方が正しかったのかもしれない。それでも、俺よりも少しだけ人にもてた。俺よりも頭が良かった。スポーツもできた。友達も多かった。
そっくりに生まれた俺を、パパとママは最初はお兄ちゃんと同じように育てた。同じ塾に入れて、同じスポーツを習わせて、同じように愛していた……んだと思う。
SCP-3487-JPは、東京都██区の路上で歩いているところを警察に発見され、保護段階で異常性の発現が認められたため財団に引き渡され、近隣のサイトであるサイト-81UTに収容されました。SCP-3487-JPは当時同区に在住していたものの、発見地点はそこから██m離れており、警察はSCP-3487-JPの彷徨を家庭環境を起因とする家出事案の一つとして認識していました。
当初、警察は保護した児童をSCP-3487-JPの兄である太陽氏だと誤認していました。これはSCP-3487-JPの着用していた衣服のほとんどが以前太陽氏が使用していたいわゆる「お下がり」であり、衣服にSCP-3487-JPではなく太陽氏の本名が記入されていたことを起因とするものです。
一言で言えば、俺はお兄ちゃんの粗悪なコピー品だった。俺はお兄ちゃんと同じように育たなかった。
家の中の光みたいな存在がお兄ちゃんだとしたら、俺は家の影だった。急に冷たくなったわけじゃない。でもいつの日か、パパもママも、自分の子供は後にも先にも一人しかいないと思い込むようになった。最低限の食事とか服とかはあったけど、もうその目は俺に何も期待していなかった。
なお、SCP-3487-JP-Aと小野氏の家族との外見的な類似性から、家族への記憶処理はSCP-3487-JPの異常性に変容をもたらす恐れがあったため、家族にはカバーストーリー「事故死」を適用しました。
交番の中からここまで連れてきた職員? の人から、もう元の家には戻れない、あなたの両親には交通事故で死んだと伝えた、と変に悲しそうな顔をして言われた。
どうでもいいと思った。たとえ俺の記憶を消されなくとも、あるいは俺が死んだと言われなくとも、俺のことはとっくに忘れてる。
事後観察の結果、SCP-3487-JPとSCP-3487-JP-A間の任意の交流やそれに対するSCP-3487-JPの情動は、小野家に存在する人物に対して一切の影響を及ぼしていないということがわかっています。
サイト-81UT内、国立西洋美術館。
補遺: 警察から財団へのSCP-3487-JPへの引き渡しに際して、対象の精神状態が良好ではない旨が伝達されており、財団によるオブジェクト保護の観点から、その状態の改善は重要度の高いタスクと位置付けられていました。SCP-3487-JPがベースライン上野公園に存在する博物館・美術館について好意的な反応を示していたため、オブジェクトの精神状態を比較的良好な状態に保つことを目的として、SCP-3487-JPをサイト-81UT内の展示施設と接触させる旨の計画書がSCP-3487-JP収容チームより提出されました。
サイト-81UTの有知性アノマリーが同サイトの低機密性区画へ接触することは、サイト拡張以降ある程度許可されていました2が、今回の計画における展示施設は既に美術系アノマリーの収容に用いられており、計画はアノマリー同士の相互作用を引き起こしうる、前例のない事例と認識されています。
内部のアノマリーに対する責任の所在が明確であり、性質がある程度解明されていること3、財団の収容活動によってサイト内の空間性質は安定しており、既知の物品の性質を逸脱させうる大規模な空間異常が、短期的には起こりにくいであろうことに加え、SCP-3487-JP自身の趣味嗜好などが考慮された結果、サイト-81UT管理官は同サイト内の国立西洋美術館にSCP-3487-JPを接触させることについて許可しました。
音声記録-3487
実験概要: SCP-3487-JPをサイト-81UT内の国立西洋美術館、および内部の複数のオブジェクトを鑑賞させる。作品は内部のオブジェクトのうち、実験時異常性が発現していないか、発生していても鑑賞者に対しての影響が少ないものから選定され、鑑賞には同サイト職員でありオブジェクト責任者の羽柴 竜洋氏が案内役として、異常芸術セクション長の安藤あんどう 龍介りゅうすけ研究員が実験監督として同行する。
主要関係者:
- SCP-3487-JP
- サイト-81UT所属 財団職員
- 安藤 龍介 主任研究員 (異常芸術セクション長)
- 羽柴 竜洋 (異常芸術セクション)
<記録開始>
[3人が国立西洋美術館2階、常設展エリアを歩いている]
初めてここに連れてこられた時、西洋美術館の四角い建物が目に入った。上野公園の中の景色はよく知らなかったけど、美術館の外装なら知っていたから、すぐに自分が上野公園にいるんだ、とわかった。
それを連れてきた職員に見られたらしい、あの施設は西洋美術館に似ているけどそのコピーみたいなもので、同じように今俺がいるところも上野公園じゃなくて、上野公園のコピーである、ってこともその時初めて知った。
公園の中には明らかに人気がなかった。休日なのに、博物館に行く人どころか、散歩している人すら10人もいなかった。さしずめ俺が前に行った上野公園が本物で、こっちは偽物の上野公園といったところだ。
偽物の上野公園に、俺の作った偽物の親。そして、お兄ちゃんの偽物になった俺。お似合いではあるんだろう。
安藤: 君はたしか、ここに来る前に西洋美術館に行ったことがあったらしいね。
SCP-3487-JP: はい、昔、親に連れられて……でもその一回だけで、普段は美術館とかは行かせてもらえなかったです。
安藤: む、そうか……あまりいい思い出ではなかったかもしれない、すまないな……
SCP-3487-JP: いいですよ、その時は楽しかったんだし……
ある日、パパが新聞で企画展を見つけていた。週末は野球の試合もなかったから、4人一緒に行くことになった。パパは自分の目に入る絵ひとつひとつに対していちいち俺たちに何か言った。あの時は、まだ期待してくれていたのかな……
[SCP-3487-JP後方に、父親型のSCP-3487-JP-Aが出現する]
父親: おい、日向! 見ろよ。これすごいなあ! 絵がこんなにあるんだぞ。
SCP-3487-JP: そりゃ美術館なんだから絵はたくさんあるよ。……パパ、あんま大きい声出さないで。
羽柴: いえいえいえ、構いませんよ。もとよりこの美術館には我々の他に鑑賞者はいない。それに、大声の賛美は製作者にとっては嬉しいものなのです、含羞こそ、ありますがね……。
父親: パパはこの中だと、この女の人の絵が好きだな。ほら、この布の光沢が上手に見えるだろう?
安藤: 日向君も、何か絵を見て思うことがあれば自由に言ってごらん。下手な感想でも構わないし、たとえ批判だとしても、羽柴君はいちいちそれに怒り出すような人間ではないからね。
[SCP-3487-JPが父親型実体の指差した絵を鑑賞する。数瞬唸る]
SCP-3487-JP: ……絵は確かに好きです。綺麗だと思います。だけど、これって結局羽柴さんが作った偽物ですよね。
羽柴: ええと、まあ、一旦はお褒めの言葉をいただき、ありがたいですが……まず、「アプロプリエイション」という概念について、ご存知ですか?
[SCP-3487-JPは回答しない]
安藤: あんまり子供を困らせないでくれよ。[SCP-3487-JPに向き直って]偽物、と言う言葉は正解だ。さっき羽柴さんがいった「アプロプリエイション」はみんながすでに知っている美術品とか、他にもそれに限らないものを複製したり、そのまま持ってきたりして作り出されるアートなんだ。
羽柴: アプロプリエイションにおいて重視されるのは、新たな物語の付与、つまり、元の作者とは別の、制作者の意図を込めることです。こうすることで、複製された美術品は単なる贋作……偽物から、それとは別個の物語を生み出すことができるのです。そうですね、視覚的にわかりやすいものがありますから、紹介しましょう。
エドワールト・コリール作『ヴァニタス-書物と髑髏のある静物』
[3名と父親型実体が移動し、『ヴァニタス-書物と髑髏のある静物』の複製絵画(現在、Obj. 3173-JP-NMWA-P-1998-0003として指定)を鑑賞する。3人の鑑賞によって、絵画内の書物部分の画具が溶解し始める。画具の溶解は絵画全体に及び、最終的には白いキャンバスと黒い額縁を残して全て床に滴り落ちる]
SCP-3487-JP: ……うわっ。[後ずさる]
安藤: 大丈夫だ、融解した油絵具は僕達に特に影響を及ぼすわけではない。うっかり触っても、指先の汚れよりひどいことは起こらないはずだ。
SCP-3487-JP: ……これも偽物の絵がダメになってるってだけじゃない、別の意図があるんですか?
羽柴: ええ勿論。まずそれには、静物画の様式について解説する必要がありますね。
父親: 日向、前に美術の教科書見せて、静物画のなんとかって概念について教えてくれたよな。確か……なんだっけな……
SCP-3487-JP: ヴァニタスだよ。静物画は、一見すると無作為にものを置いてるように見えるけど、実は、例えば、ガイコツを置いて人は必ず死ぬことを暗示したり、果物のリンゴを腐っていく命の代表に見立てたりしている、みたいなことをやって、人間の生命の儚さを表しているんだっけ……[羽柴・安藤の方向を見て]合ってますか?
羽柴: 詳しいですね。加えて、静物画家がヴァニタスを自らの絵の中に取り入れたのは、必ずしも人は死す運命にあるというメメント・モリの精神に熱狂したためだけではないでしょう。もとより、宗教画などと比べて、静物画は当時「ただそこにあるものを描いただけの絵画」とみなされ、その点で価値を低くみなされていました。ヴァニタスの中に内包される宗教的な意図を絵画に取り入れることで、その絵画を当時持て囃されていた宗教画のように見せ、価値を上げようとする試みもあった、と言われています。
安藤: この絵には、さっき日向くんが言ってくれたヴァニタスも込められているけど、単にモチーフを描くだけではない。その他にも、今ドロドロになっている紙の上には聖書や説法といったものが書いてあって、積極的に宗教的な成分を取り込む形になっているね。
羽柴: 自ら解説するのは少々興醒めの感が否めませんが……ここにおいて、宗教的な内容が記された書物が溶解するのはそういった権威づけの試みに対する皮肉とともに、それが絵画全体に広がっていくことで、全ては消えゆくものである、というヴァニタスの精神を絵の全体にも体現させる意図があります。[SCP-3487-JPがわずかに首を捻る] えーと、つまりはですね……
[SCP-3487-JPの近くに新たに母親型のSCP-3487-JP-Aが出現する]
母親: つまり、ヒュウ君の見ている絵は、元々の作者が「全ては消えていく」っていうことを表したくて書いたけど、それはただ興味があって入れたわけじゃなくて、当時の価値観に沿ったテーマを取り入れることで絵の価値を上げよう、みたいなねらいもあった。そういう隠れた狙いも含めて、絵の全体を、「消えていく」ものの中に含めてみたい、っていうのが羽柴さんがこの絵の複製で言いたかったことじゃないかな。
羽柴: 補足をありがとうございます。申し訳ないですね、何せ子供に教えるのはあまり経験がないものですから……
SCP-3487-JP: [小声で頷く] なるほど。なんか、話を聞いていたら確かに元の美術品とはちょっと違うふうに見ることはできるのかもです。
羽柴: ありがとう。そう言ってくれて嬉しいですね。ここにあるのは、確かに偽物の美術品ばかり。加えてこの美術館だって、現実に存在した西洋美術館の複製ですから、私たちの空間自体偽物にすぎない、と捉えることができるでしょう。しかし……
[羽柴が西洋博物館内を見回す]
羽柴: ここは、本物の美術館とは、随分様変わりしたように見えませんか。もちろん僕の作成した"偽物"を並べたことで、西洋美術のコレクション、という美術館の当初の意図から外した文脈は既に存在していました。しかし、そこから……まあ色々ありまして、新しく異常物品全体の収蔵場所という意図が盛られた。私にとっては些か不本意なことではありますが、ともあれその結果として君は今ここにいます。
羽柴: ここでの物語は、いずれ全くの別物になるでしょう。元々の西洋美術館とも、私が当初意図していたものとも。それは、あなたの周りに発生する影についても同じことが言えます。
SCP-3487-JP: 僕のですか?
羽柴: ええ、あなたの周りの親御さんの影を、いわばあなたが作り出したアプロプリエイションアートとして捉えた発言ではありますが……
SCP-3487-JP: でも、僕は何が欲しいとかわざわざ考えて両親の偽物を作っているわけではないですよ。ただ出てくるだけですし、別に親に特に思い入れがあるわけではないのに。
羽柴: しかし、それが単に親御さんの偽物……全てがあなたの知っている家族と同じというわけではないでしょう。現に、あなたの作り出したお父さんとお母さんは、あなたの感覚……特に、美術的な理解をより引き出しているように見えます。"本物"の親御さんが美術館にあまり連れて行かなかったにもかかわらずね。
SCP-3487-JP: [無言で頷く]
羽柴: 同じような形でも、どのように扱うかによって、アートとは変化しうるものなのです。……そして、それはアートを作り出した当人にも言えることです。
SCP-3487-JP: 影をどういうふうに扱うかによって、僕自身が変わる、ってことですか?
羽柴: アプロプリエイションアートを作る人々は、贋作師……いわば、本物の作品を作り出した人間の"偽物"としてみられることもあるわけです。アプロプリエイションの過程で偽物から本物へと変わるのは作品だけではありません。その作品に何の意図を込めるのか決めているのは、間違いなく作者なのですからね。
安藤: 君は、ここにきた当時から絵とか美術品に興味を持っているように見えた。そして、それは多分、日向君のお兄ちゃんとは違った感覚なんだと思う。だから僕は日向君をここに連れて行きたいと思った。君が芸術を好きだってことは、そして、君の周りの影がそれを助けてくれるのは、日向君がお兄ちゃんの一部を取り入れただけの劣化コピーじゃない証拠だと思ったから。
羽柴: ……あなたは、自分自身のことをお兄さんの偽物だと言っていた、と聞きました。しかし、もし君が誰かのコピーだとしても、あるいはそう教えられたとしても、君がそれとは別の意思を持っている限り、作品としては別物だ。私はそう考えます。
SCP-3487-JP: 僕は……
美術館の絵を改めて見る。鼻提灯を膨らませて眠ったり、右手にピースを作ったり、元々の絵の雰囲気とはまるで違うような動き方をしていた。
彼らは確かに元々の作品とは違う意図があった。一つ一つ、羽柴さんが意図を込めてコピーを作っていったんだろう。元々の作品とは別の物語を作るために、そして、羽柴さんが自分自身の物語を歩むために。
ママがその中の一つをじっと見つめた後、俺の方に向き直る。
ねえ、ヒュウ君は何をめざしてコピーを作った?
<記録終了>
後記: 実験の結果として、SCP-3487-JPの長期的な精神状態は十分な改善傾向がみられています。以上のプログラムは、同サイトにおける人型オブジェクト収容環境のさらなる改善に活用できる可能性があるとして、継続的な実施が計画されています。
なお、SCP-3487-JPの異常性が自身の周囲に限定されており比較的穏やかなものに留まっていること、SCP-3487-JPの精神が安定しており行動異常も見られないことから、SCP-3487-JPをサイト-81UTの異常性保持職員として雇用することを前提にした教育プログラムが計画されています。現在のSCP-3487-JPの関心分野を鑑み、主に同サイトの異常芸術セクションがSCP-3487-JPの教育・受け入れ準備を行っています。
パパはあれから、俺が絵を描いてる時にたまに口を出してくるし、ママは昨日見た絵に対して一緒に考えてくれることもある。
あの日見た、ヴァニタスの静物画のアプロプリエイションアートのことはたまに思い出す。かつて意義のないものとみなされた静物画に込められた、すべては儚いものである、という意図。そして当時、絵としての価値が高かった宗教画と近しい存在になるように絵の中に書き込まれた文言。羽柴さんは、それらをひっくるめて、ドロドロに溶かしてしまった。
俺は多分、お兄ちゃんのためじゃない、俺のためだけの家族が欲しかったんだと思う。お兄ちゃんと同じ存在としてじゃなくて、俺として自分を育てて欲しかった。それが、あの時羽柴さんが言っていた、俺が影を出す意図なのかもしれない。
確かにお兄ちゃんと比べて俺は影みたいな存在だったから、俺として育てられても大したことにはならなくて、むしろ下手くそでもお兄ちゃんの真似さえすれば、今よりもっと価値のある存在にはなれたかもしれない。実際本当に「家族」が欲しかったのなら、今のパパとママ……影しかないパパとママは俺にとっての失敗作だ。それでも、お兄ちゃんがしそうもない絵の勉強をする、と伝えられた時、パパとママは俺のために大喜びしてくれた。
あの時、宗教画に似せて価値を上げようとした絵画の表面は溶けて、まっさらなキャンバスだけが残った。
あの絵のように、そしてこの上野公園のコピーのように、ママもパパも、そして俺自身も、お兄ちゃんとは違う、偽物じゃない物語を、今は過ごしている。









