
SCP-3595が1989年に第一次出現を実行した地点。実体が異常な活動を終了する直前に撮影。
アイテム番号: SCP-3595
オブジェクトクラス: Neutralized(以前はEuclid)
特別収容プロトコル: 1990年10月3日現在、SCP-3595は無力化したと考えられています。SCP-3595の知識を示す残存する民間人は記憶処理され、現行の収容プロトコルは以前のその異常な活動についての知識を民間人一般から秘匿することを内容とします。「国境の幽霊」としてのSCP-3595に関する低レベル情報は民間人のあいだに流布され続けますが、SCP-3595の身元を特定する記憶は影響を受けた既知の全人物から除去されます。メドラロイト村はSCP-3595の無力化以来いかなる異常性も示しておらず、村に以前駐在していた財団エージェントは1993年に撤収しました。
説明: SCP-3595は、1949年から1990年までの冷戦の期間中にドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断されていたドイツの村であるメドラロイト1に、定期的に出現していた人型実体でした。SCP-3595の外見および声は、1952年7月30日にメドラロイトの西ドイツ側から東側に越境しようとしていた際に東ドイツの国境警察官に殺害された、14歳の少年だったクリスティアン・シュミット(1937-1952)のものと同一でした。SCP-3595は軽度の暗示能力を有していたため、出現イベント中に周囲のいかなる人物をも感情的な状態にさせることが可能であり、全出現の終結に対するものを除けば、通例ではこれらの感情は悲しみまたは怒りでした(イベントログ参照)。出現イベントをそれらの完結以前に終了させようとする試みは、脅威が存在しない付近の場所へのSCP-3595の再出現という結果をもたらしました。
SCP-3595出現イベントは両ドイツ間に政治的な混乱や争いがあった時期に関係しており、財団の研究員はその家族史を考慮して、SCP-3595がドイツの分断への反対を表明しようとしているという説を支持していました。記録上最初のSCP-3595の出現は1961年に発生し、最後のものは1990年、ドイツ再統一の期間中に発生しました。1966年から1989年にかけて、SCP-3595は第二次出現イベントにおいてハインリヒ・シュミットの周囲に出現しました(イベントログ参照)。
1962年、財団はソヴィエト連邦・ドイツ民主共和国・ドイツ連邦共和国とSCP-3595の収容に関する秘密条約を締結しました2。東ドイツ当局の承認を得ていない財団エージェントはメドラロイト外部の東ドイツ領に進入を試みないという申し合わせのもとで、財団は国境の両側における収容業務を管理することに同意しました。
イベントログ3595: 重要なSCP-3595出現イベント
日付: 1961年8月13日
関係する当時の出来事: ドイツ民主共和国当局によって西ベルリンへの境界が封鎖され、ベルリンの壁の建設が開始された。
第一次出現イベントの概要: これは記録上最初のSCP-3595出現イベントであり、財団の収容が確立される以前に発生したため、正確な内容は主に一般の目撃者の報告に依拠している。当日の真夜中、東ドイツの国境警察官が国境の塀をたたいている少年を見たと報告し、その少年を拘束しようとしたところ、少年は手の中から消失し、国境の反対側に再出現して同一の行動を繰り返した。プロセスはシュタージ3のエージェントが村の東ドイツ側を封鎖するまで約2時間にわたり続き、西ドイツ当局はその直後に反対側に到着した。ソヴィエト連邦は初期調査に加え研究プロトコルの実行を開始するようGRU"P"部局に指示し、任務は翌年に財団の研究員に引き継がれた。
SCP-3595による感情的影響の概要: 国境の両側の住民は核戦争が近く勃発するかもしれないという懸念をいくらか示すとともに、不安と恐怖の感情を報告した。GRUによる民間人の会話の分析は、クリスティアン・シュミットへの異常に頻繁な言及が日常会話に存在していることを示し、彼をSCP-3595として特定することにつながった。
日付: 1966年1月30日
関係する当時の出来事: 前年11月にポーランドの司教団からドイツの司教団・監督に送られた和解の書簡4を受けて、東西ドイツ間の緊張が高まった。東ドイツおよびポーランドの共産主義政権は書簡を統治への脅威だと判断し、ローマ・カトリック教会のポーランド首座司教は東ドイツ訪問のためのビザの発給を拒否された。
第一次出現イベントの概要: SCP-3595は9時に地域の教会の礼拝が開始された直後に国境の塀の上に出現した。SCP-3595は水平に腕を伸ばした後(おそらく十字架上のイエスの模倣)、オールド・ハンドレッドス5を用いた讃美歌Praise God From Whom All Blessings Flowを歌った。讃美歌を歌い終わった後、SCP-3595は頭を抱えて塀の上に座り、約30分にわたり悲しむ様子を見せつつメドラロイトの東側方向を見た。当該位置から実体を退去させる試みは成功せず、財団職員による移動のための再三の努力に実体は反応を示さなかった。記憶処理剤が散布された。
第二次出現イベントの概要: これはハインリヒ・シュミットに関連する記録上最初の出現イベントであり、第一次イベントの約一時間後に発生した。標準的な尋問の際、ハインリヒはSCP-3595が台所に出現し、彼との会話を試みたのを目の当たりにしたと報告した。甥が生存しているように見えることへの初期のショックから回復した後、彼は当局の警告まで15分にわたり会話した。SCP-3595はこれほど長く伯父に会えなかったことに狼狽する様子を見せ、村が再統一されるのを見たいという願望を繰り返し述べた。ハインリヒが冷戦と国境が封鎖されたままになるだろう理由について説明すると、SCP-3595は怒りだして消失した。研究員のあいだで短い討議が行われた後、地域のシュタージのエージェントの支援を受けてハインリヒ・シュミットを24時間体制で監視下に置くとともに、SCP-3595の研究に彼の協力を得ることが決定された。
SCP-3595による感情的影響の概要: 西ドイツ側においてメドラロイトの教会への出席者は約25%減少し、多くの村民が伝統的な地域の信仰への懐疑を示した。信仰の水準は1970年までに概ね回復した。
日付: 1983年9月25日
関係する当時の出来事: この出現に関係する出来事は当初特定されず、冷戦の終結後になって判明した。1983年9月26日、ソ連の早期対応システムが正常に作動せず、アメリカからの核攻撃が迫っていると報告した。勤務中のソ連防空軍軍人だったスタニスラフ・ペトロフ中佐は誤警報だと正確に判定し、その日は事件なく経過した。
第一次出現イベントの概要: 22時(午後10時)、SCP-3595が東ドイツ側の国境の壁付近に出現し、立ちながら約5分にわたり休まずに大声で叫んだ。SCP-3595は発声の終了後に消失し、記憶処理剤が散布された。
第二次出現イベントの概要: ハインリヒ・シュミットは、彼のベッドの下に隠れていたSCP-3595に出会い、世界が近く滅亡するのかどうか尋ねられたことを報告した。そう思う理由についてハインリヒから質問されると、SCP-3595は「なぜかただ知っていた」と返答し、それ以上詳細を語ろうとしなかった。財団エージェントが家への進入とSCP-3595への尋問を試みた際、後者はエージェントが視界に入るとすぐに消失した。これは両ドイツ関係に直接関わらなかった記録上唯一の出現イベントである。
SCP-3595による感情的影響の概要: メドラロイトの住民は核拡散について懸念を示し、アメリカ大統領ロナルド・レーガンの「戦争をあおる」レトリックを明確に批判した。
日付: 1989年12月9日
関係する当時の出来事: メドラロイトの国境の壁がベルリンの壁に一か月遅れて開放され、民間人はほぼ40年ぶりに両側のあいだを自由に横断できるようになった。
第一次出現イベントの概要: なし。
第二次出現イベントの概要: SCP-3595の記録上の出現には珍しく、ハインリヒ・シュミットのみがイベント中に実体を観測したと報告した。SCP-3595は家族が再び一体となったことに喜びを示し、国境の反対側の家族を訪問するよう伯父に繰り返し頼んだ。そうする予定だと彼がSCP-3595を安心させると、実体は消失した。SCP-3595は計45分にわたりハインリヒの家に出現していた。
SCP-3595による感情的影響の概要: 村民が壁の反対側でもう一方の村民に会った際、両者と国境警備隊員がクリスティアン・シュミットに繰り返し言及し、国境を越える道を「クリスティアンの道」と呼ぶに至った。他の長期的影響は記録されなかった。感情的影響が軽度であり、国境の開放が契機となって非異常的に殺害を想起したという関係も考えられたため、記憶処理は施されなかった。
補遺3595.A: 異常な活動の終結: 1990年10月3日、真夜中に行われた東ドイツの公式な解体と国の再統一の直後に発生した、SCP-3595の最後の既知の出現が記録されました。SCP-3595は国境の壁が保存されていた区域において壁の上に出現し、Auferstanden aus Ruinen(廃墟からの復活)6の一番を歌いました。そしてしばらく休んで微笑んだ後、SCP-3595はDeutschlandlied(ドイツの歌)の三番7を歌い、歌が終わると消失しました。
SCP-3595の出現に続いて村民は楽観と幸福の感情を報告しました。もっともこれはSCP-3595の影響または国の再統一のいずれかによるものだった可能性があります。SCP-3595がこの日以降再び観測されることはなく、1993年10月3日にNeutralizedと宣言されました。