アイテム番号: SCP-3760
オブジェクトクラス: Keter
特別収容プロトコル: 潜在意識ミームエージェント・カッパ/オミクロン("SMA-K/O")が、キャリアの役割を果たす偽造された“科学的事実”を介して世界的に伝播している状態に保たれます。虚報部門はSMA-K/Oキャリアが真実ではない可能性があるという考えを抑制します。
キャリア情報が事実に即していると信じるのを止めた人物は、SMA-K/Oの影響を受けなくなり、SCP-3760の異常性に対して脆弱になります。潜在的な世界終焉K/O不全シナリオを阻止するため、SMA-K/Oキャリアの性質に関する全ての記録にはレベル5アクセス制限が課されています。
説明: SCP-3760は負傷した人間の組織再生に影響する異常な突然変異誘発現象です。SCP-3760罹患者の近傍にいる人間は現在進行形で感染のリスクにさらされています。しかしながら、SCP-3760は微生物を原因とする疾患ではないようです。収容状況のため、SCP-3760の感染経路は未だ決定的に特定されていません1。
罹患者の負傷した2体組織は、サメ上目(Selachimorpha)の系統群に関連する様々な形態の非ヒト生物学的特徴を異常に発達させます。これらの特徴には一般的に以下が含まれます(がこれらだけに限られません。)
罹患者が発達させた感覚器官には一見したところ機能性があり、刺激に適切な反応を返しますが、罹患者自身はこれらの感覚を直接経験しません。その他の臓器も同様に独立した機能を示します — 例として、下顎骨は自発的な咀嚼が可能です。咬傷による不随意の自傷は頻繁に発生します。SCP-3760によって発達した口腔が消費する物質は、観察可能な消化管との繋がりが無いにも拘らず消失します。
これらの前述した開口部は、消費する食用物を繰り返し求めます5。この行動は血液が存在する状況で激しさを増し、自食行為に発展する場合すらあります。食用物を一定間隔で供給しないと罹患組織は壊死します。即ち、壊死した部位の切除が必要となり、その結果として追加のSCP-3760突然変異と開口部が発生します。
SCP-3760の拡散に関する正確な疫学統計は現時点で確認不可能です。財団の研究者たちは、SCP-3760の蔓延率を世界人口の71%~92%と推計しています。SMA-K/Oは大部分の罹患者の症状を抑制できることが証明されており、1958年から2016年までに観察されたSCP-3760活動の記録は僅か2,785件でした。
補遺: 以下は、USSカービィに搭乗していた軍医官、キース・ウッドワード医師による一連の日誌エントリです。彼の患者たちは最初のSCP-3760感染者だったと考えられています。
1922年8月5日
記録を残すのが不得意なのは百も承知だが、これは重要な事だと思う。私の本能が全身全霊で、何かがとんでもなく間違っていると言っている。忘れてしまう前に全てを書き残さなければならない。
一体どうしてウィリス・リグスがあんな目に会ったか、当のリグス本人すら分かっていない。1521、彼が甲板下に向かうのを見た者たちが数人いる。1522、私たちは船外に1人の男が浮いているとの報告を受けた。
リグスだった。何が起きたのかは誰も見ていない。船上に引き上げられた時、リグスは当日の朝食より先の記憶が全く無いと言った。しかも彼の左足からは肉が大きく失われていた。
皆は勿論、彼を診察してほしいと私に依頼した。脚を縫い、ギブスで固定し、どうして何も思い出せないのかを探ろうとした。最初は脳震盪だろうと推測した。しかし、損失時間以外に悪い所は特に無いようだった。私は少しベッドで休むようリグスに伝え、彼が立ち去ってから上層部に電話した。私が考え出せた唯一の解釈は、リグスが酒を飲んで船外に転落したというものだった。しかし、彼は酔っているようには見えなかった。
奇妙な事件だった。乗務員たちは数日間この話を続けたが、私はそう大した事だとは考えてはいなかった。事故は起こるものだ。もっと酷い事例だって見てきた。
しかし、その後もおかしな事が発生し続けた。あちらこちらであらゆる類の事故。私は後々になるまでその殆どを知らないままだった。この船の男たちはちょっとした事で医者に泣き付くタイプじゃない。リグス事件の後で私が診た一番の重傷患者は、片目の周りに青あざを作った無鉄砲な若造だった。
何かに足をガブリとやられてから大体1週間後、リグスは口ごもりながら私の診察室に来た。音のせいでここ数日間眠れていないという。私はこういう船の騒がしい夜に慣れるべきだと助言した。すると彼は、眠れなかったのはうるさいからではなく、音が来る場所が原因だと言った。彼はデスクに足を乗せ、ギブスに耳を当てて聞いてみろと言った。
私は錠剤を渡して彼を蹴り出した。とうとう脳震盪の弊害が出たな、とばかり思っていた。
そしてつい昨夜、皆がリグスを診察室へ引きずってきた。彼は火炙りにされているのかと思うほどの大声で叫んでいた。私がギブスを切り開いている間、寄ってたかってリグスを抑え付ける必要があったほどだ。
私は壊疽を予想していた。過去20年以上、深刻な壊疽の事例を目にしてきた — 臭いを嗅いでもきた。この職業では何事も最悪の事態を予想しなければならない。
しかし、あのギブスの中から漂ってきた瘴気は今までの人生で嗅いだ一番凄まじい臭いだった。死んだ魚の上にクソをして夏場に1週間放置したようなあの悪臭。彼の足周りの肉はあらゆる種類の黒と緑と小豆色の寄せ集めだった。鋭い歯のような突起が、私が縫合糸を刺し込んだ場所の皮膚から突き出していた。突起は数ヶ所の糸を噛み切り、開いた傷を後に残していた — その中にはもっと小さな、もっと鋭い歯が何列も並んでいた。
リグスや他の皆には、足が感染症を起こしていると伝えた。例のブツは膝のあたりまでこそげ取らなければならなかった。あの手術から私は眠れない。仕事にも、判断力にも、それどころか視力にまで悪影響が出ている。黒い染みが視野の端っこに現れたり消えたりする。多分そろそろ書くのを止めて寝たほうが良いのだろう。
1922年8月8日
目に痣を作った若者が今日再び連れられて来た。彼の右まぶたは腫れ上がって閉じており、水漏れする蛇口のようにそこから血が滴っていた。まぶたを開くのにペンチを使う羽目になった。閉じているのは腫れのせいだけではなかった。また例の小さな歯だ。まぶたの裏側で成長し、噛み合っていた。
彼はすぐさま眼帯がどうのこうのとジョークを言い始めた。
目といえば、私の視界は悪化している。黒い染みは目の中心に移動してそこから消えなくなった。目を閉じている時さえ、この小さな染みの中には色の閃きが見えない。悪臭のせいで角膜が焼けたなんて有り得るだろうか? リグスを運んできた男の1人 — ロニー・ゲインズだったと思う — はあの夜から頭痛がすると言う。リグスの病気が何であれ、毒性を帯びていても私は驚かない。
1922年8月9日
今日さらに3人診た。ただ、今回は歯が無かった。
1人は発疹が背中に出て死ぬほど痒いと言った。最初は吹き出物のように見えたし、実際幾つか吹き出物もあったのだが、彼の背中にはびっしりと瘤が浮き出していて、整然と小さな列を成していて、触ると柔らかかった。軟膏を与えた。
1人は片足の親指に腫瘍ができたと言った。何かの大きな塊が足指の左側面から突き出していて、先端に爪が生えていた。半透明で若干ぶよぶよするのを別とすれば、殆どサンゴのように見えた。切除した。
1人は耳が痛むと言った。中を覗き込むと何かが見つめ返してきた。気のせいだと言った。
視界の黒い染みが段々大きくなっている。もう染みですらない。形が変わり続けている。検眼医が船に乗っていれば良かったのだが…
1922年8月11日
上層部に話をした。私は狂っていると思われたようだ。それでも話を止めようとしなかったので、彼らは私を監禁した。
今日リグスの脚はある男の喉を噛み破った。なので上層部は私を解放した。
1922年8月18日
私の前には肉の欠片を乗せた小さな皿がある。数分おきに、私は肉片を左手の薬指まで持っていく。爪が上にスライドし、下に歯が見える。私は肉をそこに押し込んで乗務員たちの看護に戻る。今ではこれが常態化してしまった。
上層部は全員いずれ家に帰れると皆に納得させろと言ってきた。海に飛び込む男たちをこれ以上出したくないのだ。疾病が拡散するリスクがあると彼らは言った。
私は命令に従った。ただ、もし飛び込みたくなったらまず私に会いに来いと付け加えた。
1922年8月22日
ロニー・ゲインズが今朝死んだ。顔があるべき場所には歯がびっしり生えた穴があるだけだ。彼は何日も片頭痛を訴えていた。何かが彼の頭の中で成長しているとは察しがついていた。それが内側から噛み付けるとは思っていなかった。
興味深いことに、歯は未だに歯軋りを続けている。確かに道理ではある。足が死んでもリグスは死ななかったのに、リグスと一緒に足が死んでやる理由などあるだろうか?
1922年8月23日
リグスが死んだ
1922年8月29日
これ以上は書くべき事も無い。私には理解できない。私には治せない。もう既に書いてしまった。書き続けても何にもならない。餌をやらなきゃならない口が幾つもある
1922年9月5日
今ではあれがはっきり見える。それしか見えないのに、特徴までは掴めない。人のように見える。
大きくなっているんじゃない。
私に向かって泳いでいる