
ハリー・ハーロウの代理母実験。
針金のみで構成された模型(写真左)が異常性を発現させ、
SCP-3801-JPとなる。
アイテム番号: SCP-3801-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-3801-JPはサイト-██の低脅威度オブジェクト収容ロッカーに収容されます。定期点検時にロッカーは開放され、胸部の穴から母乳が発生していないかを確認します。発生が確認された場合は布によって拭き取り、処分してください。
現在、SCP-3801-JPの母乳による知能向上作用に関連した新規実験は凍結されています。2015年現在で生存している個体はSCP-3801-JP-A7のみであり、母乳の影響に関する研究はSCP-3801-JP-A7の経過観察やインタビューを通して継続されます。
SCP-3801-JP-A7は現状サイト-██にて自主的な収容状態にあり、職員として雇用されています。衣服や適切な娯楽品は財団から提供され、申請があった場合は人型実体の収容手順を基準に判断されます。
説明: SCP-3801-JPは頭部を模した簡易的な装飾が施されている、筒状の模型です。針金によって基礎は構築され、胸部に相当する位置に直径5cm程度の穴が存在します。この模型では内部に哺乳瓶を設置することが想定されており、穴を介して授乳する機能を有していますが、現在SCP-3801-JPの内部に物体は設置されていません。
SCP-3801-JPは直接接触による刺激が与えられた際、胸部の穴からアカゲザル(Macaca mulatta)の母乳を発生させます。発生時、母乳は穴の内側から漏出するように微量な量だけ流れ出し、数分が経過すると量が減少、やがて完全に停止します。発生の停止した母乳はさらに3時間程度が経過すると再び発生するようになります。発生の機序、供給源については解明されていません。
この母乳は通常の母乳と同等の栄養価に加え、知能向上作用を含むことが判明しています。母乳を1ヵ月ほど習慣的に摂取した動物には摂取以前と比較して論理的思考力や記憶力などの明確な成長が見られ、脳構造や骨格構造などにも変異が確認されました。
研究チームによる検証実験の結果、母乳の知能向上作用には複数の傾向が発見されています。成長への影響も生物種によって変化しており、以下のような特徴があります。
- 摂取者の知能が低ければ効果が大きくなり、高ければ小さくなる。
- 摂取者の年齢が低ければ効果が大きくなり、高ければ小さくなる。
- 哺乳類であるほど効果が高い。特に霊長目の生物に近いほど効果が高くなる。
これらの特徴から、最も知能向上作用の影響を受けやすいのはサルの赤子だと考えられます。
補遺.3801-JP: 回収経緯
SCP-3801-JPは1950年代に心理学者ハリー・ハーロウ1によって製作され、身体接触と情愛の発達に関する実験に使用されました。この実験は「代理母実験」として知られ、母子間の愛着形成を検証する実験として心理学領域に影響を及ぼしています。
ハーロウの代理母実験
実験概要: 接触時の安心感が情愛の形成には深く関与しており、それを与える存在は生理的欲求(この場合は食欲)を満たす存在よりも優先されるという仮説2を、アカゲザルの赤子を用いて検証する。
実験内容:
1. アカゲザルの赤子8匹を母親から隔離し、それぞれ孤立した飼育環境に置く。
2. 「代理母」として、以下の2体の模型を飼育環境に配置する。両者は内部に哺乳瓶が設置可能であり、アカゲザルの赤子に授乳ができる。
- 全体が針金で構築された模型。
- 全体が針金で構築され、布が巻き付けられた模型。
3. アカゲザル8匹を2グループに分け、針金模型と布模型のどちらか一方からのみ授乳できる環境を作る。以降は経過を観察し、アカゲザルがどのような行動を取るか記録する。
実験結果: アカゲザルには以下のような行動が見られた。
- 2グループに共通して、アカゲザルは布模型に長時間接触していた。布模型から授乳のできないグループは授乳時のみ針金模型に接触したが、それ以外の時間は布模型に接触していた。
- 自動で動く玩具が投入されるなど、恐怖を感じる出来事が生じた際も同様であり、アカゲザルは布模型に駆け寄る行動を取った。
ハーロウによる考察: 子が情愛を形成する要素には接触時の安心感が関係しており、それが排除された状態で愛着形成が発生する可能性は低い。
この実験が実施された時点では、SCP-3801-JPは異常性を発現させていませんでした。追加実験として行われた比較検証を含め、計画されていた工程はすべてSCP-3801-JPに指定された模型が使用され、結果にも異常が関連した痕跡は発見されていません。
模型を用いた実験の終了後、SCP-3801-JPは研究に参加した研究者の1人に譲渡されました。その後、1971年に研究者から知人へと再び譲渡され、該当人物が経営する動物園へ設置されています。動物園では集客を目的に、遊具と展示を兼ねたオブジェとしてアカゲザルの檻に配置されました。
1971/05/18、アカゲザルの担当飼育員が檻を訪れた際、飼育しているサルのうち数匹が他のサルと比較して顕著に高度な遊びをしているのを発見しました。例として、木の枝を組み合わせて立体物を構築する、飲み水と泥を混ぜて自身を表した絵を制作するなどが挙げられます。以降、サルは飛躍的な成長を見せ、人間の幼児程度の知能が確認されるようになりました。動物園側は当初こそ偶発的な現象として捉えていましたが、サルの知能向上につれ状況を疑問視し、アカゲザルの公開を中止しました。
1971/07/12、動物園側の動きを財団が捕捉、短期間での知能向上に異常関与の可能性を抱き、調査を開始しました。動物園への訪問の結果、母乳の発生が確認されたSCP-3801-JPが回収されました。同時に知能の向上したサル数匹も回収され、感染症による死亡をカバーストーリーとして流布しました。回収にあたってハーロウの実験で使用された他の模型も調査されましたが、確認可能な範囲で異常性が見られた模型はありません。
1971/09/06、財団による収容体制が確立され、知能向上の条件に関する実験が開始されました。様々な動物を対象とした実験が実施され、知能向上作用の特徴が判明しています。その後、知能向上作用の最大効果を検証する実験が進行していましたが、該当個体の負担を理由として中止されました。
実験の詳細については、以下の記録を参照してください。
プロジェクト・マザーグース
プロジェクト・マザーグースはSCP-3801-JPから採取される母乳の最大効果を測定するため、計画されました。実験責任者は当時のサイト-██生物研究科長レネ・パストゥール博士であり、1972/04/09の開始以降、長期間に渡って実施されていました。現在、新規実験の開始は凍結されており、生存個体の知能測定のみが継続中です。
1972/04/09~: 実験開始
実験はアカゲザルの赤子を主要な観察対象に開始されました。これは知能向上作用の条件および実験管理の容易さから、アカゲザルが対象として最も適切と判断されたためです。実験中の給餌では基本的にSCP-3801-JPの母乳を与えることが定められ、通常の食物での生育期間に入っても並行して母乳が与えられます。
実験では、母親から隔離された生後2ヵ月以内のアカゲザルの赤子8匹がそれぞれ独立した実験スペースに配置され、SCP-3801-JPの母乳を用いて育成されました。この際、研究チームはアカゲザルに独自のナンバー(SCP-3801-JP-A1~A8)を割り当てています。
実験開始から数週間にかけては、母乳を摂取したアカゲザルすべてに知能の向上が確認されました。全個体が3歳程度の人間の知能を獲得し、研究員の動きを簡単に模倣するなどの行動を取っています。以降、個体差は生じながらも10ヵ月経過時点ですべての個体が10歳程度の人間と同等の知能へと成長しました。脳の成長も微かながら確認され、肉体そのものに変化を起こすことが再確認されています。
しかし、上記の知能とはあくまで知能テストから算出される論理的思考力や記憶力を指しており、感受性や意思伝達など精神性の発達はあまり見られませんでした。これにより、SCP-3801-JPを用いた知能向上では能力面と精神性の発達が並列には発生しないことが判明しました。
12ヵ月が経過すると能力面での知能向上も停滞し、可能性として精神性の未発達との関連が指摘されました。研究チームはアカゲザルに対して接触を増やすなど、情緒の発達を課題とした研究に着手しました。
1973/07/26~: SCP-3801-JP-A7 - アルバートとの意思疎通を達成

SCP-3801-JP-A7 - アルバート
1973/07/26
接触機会を増加させた後、アカゲザルの1体に明確な変化が生じました。この個体はアルバートと呼称されていた個体であり、知能テストで最も低い点数を記録していました。
SCP-3801-JP-A7は実験室に入室した職員に対し、目で追う、アクリルガラスを叩くなどの挙動を取りました。これらの行動は繰り返され、月日が経過するにつれ動作の模倣なども行うようになっていきます。研究チームはこれを接触意図の明示と捉え、他のアカゲザルと比較して自他を区分する認識が進歩していると解釈しました。
研究チームはSCP-3801-JP-A7の行動に反応し、意思疎通に積極的姿勢を見せることを決定しました。当初、反応は簡単な動作によるものを中心としていましたが、SCP-3801-JP-A7の動作模倣が早い段階で人間の幼児程度にまで到達したため、言語学習を学習プログラムへと組み込みました。
SCP-3801-JP-A7は順調に言語概念を認識し、会話に必要な最低限の語彙や文法を習得しました。文字と音声の紐付けも問題なく理解しており、こちらの発話内容を簡単に把握できる程度の学習を短期間で完了させています。
学習完了後、研究チームはキーボード入力を介してSCP-3801-JP-A7との意思疎通を試みました。会話を円滑に進めるため、SCP-3801-JP-A7にはコードネーム - アルバートが与えられました。
映像ログ - 1973/11/08
付記: この映像はサイト-██生物研究棟の実験室にて撮影されました。アルバートはアクリルガラスの檻の内部にて、キーボードを介して応答しています。接触を試みたパストゥール博士はマイクとスピーカーを使用し、檻の内部へと音声を生じさせています。
パストゥール博士: よし。アルバート、話してもいいぞ。キーボードを叩いてくれ。
パストゥール博士の指示に従い、アルバートが鈍い動作で指を動かしてキーボードを叩く。
音声ソフトにより文字が読み上げられる。アルバートの入力が緩慢であるため、読み上げに間隙が生じる。
アルバート: はじめまして。ぼくは、アルバート。かしこい、さるです。
パストゥール博士: うん、順調だ。 [沈黙] これはSCP-3801-JP-A7、コードネーム - アルバート。自己を明確に認識しており、能動的に私たちと意思疎通を図ろうとしました。SCP-3801-JPの母乳による知能向上の結果ですが、接触機会を増やしたことも影響として考えられます。アルバート、なぜ私たちに話しかけようと思ったんだい?
アルバート: そこに、あなたたちが、いたので。
パストゥール博士: 「いた」と気付いたのはいつのことかな?
アルバート: さいしょから、です。そのときは、ただいるとしか、おもわなかったのです。でも、いつからか、おもいついたのです。そちらも、ぼくと、おなじなのでは、と。
パストゥール博士: ありがとう。 [通話用マイクを切る] このように実験中の他の個体を凌駕する想像力を身につけ、行動に移す思考力を有しています。知能テストでは報告されていた能力ですが、自身の意思として発露した事例はこれが初めてです。思うに、情緒の形成が自発的行動を促したのではないかと──。
アルバートが何度かアクリルガラスの檻を叩く。首を傾げてから、キーボードを叩く。
アルバート: せんせい。
パストゥール博士: ああ、すまない。状況分析はレポートで。 [通話用マイクを入れる] どうしたんだ、アルバート。
アルバート: きょう、さんすうが、とてもよかったのです。ぼくは、きのうより、ずっとかしこく、なっているのです。
パストゥール博士: それはすごいな。何がどれくらい良かったか教えてくれないか?
アルバート: にじほうていしき、かんぺきです。さんへいほうのていりも、もうちょっとでわかりそうです。さんすう、たのしいです。しきにすうじ、いれたら、わからなかったことが、わかるのです。
パストゥール博士: 君が学びの楽しみを知ってくれて私も嬉しいよ。 [通話用マイクを切る] 言語学習を開始するこの前まで、アルバートは最低点を取っていました。簡単な足し算ができる程度で乗算や分数などはからきしといった具合で。しかし接触の意思を示してから、知能は飛躍的に向上していて──。
アルバート: せんせい。
パストゥール博士: [通話用マイクを入れる] 今度は何かな?
アルバート: もじ、もっとはやく、うちたいです。さんすうも、もっとときたいです。わからないことが、わかるようになりたいです。かしこく、なりたいです。
パストゥール博士: いい心がけだ。でも、休憩だって必要なものさ。賢くなるのはまた明日だ。
アルバート: ありがとう、ございます。かしこいさるは、もっとかしこいさるになります。
さらなる能力向上が見込めるため、研究チームは計算と言語を軸にした知識吸収を継続させる方針を定めました。
1974/01/14~: アルバートの成長と二足歩行
その後もアルバートは知能を向上させ、この影響を受けて肉体にも変化が生じました。脳に肥大化が見られ、脊髄なども通常のアカゲザルにはない成長が確認されました。SCP-3801-JPの母乳が作用し、それが長期間続いた結果と考えられます。
脳の成長は続き、それを受けてアルバートの身体構造も変形しました。アルバートの下肢は胴部に対して直線的に移動し、部分的に伸長しました。最初の変化から1ヵ月程度でアルバートは二足で平衡感覚を取るようになり、そこから2週間程度で基本の歩行姿勢を二足歩行へと移行しています。この時期はアルバートの能力発達も著しく、こうした肉体の急速な変化が関係していると推測されます。
映像ログ - 1974/03/15
付記: この映像はサイト-██生物研究棟の実験室にて撮影されました。姿勢が変化したため、檻の内部にはアルバートに合わせて制作された家具が設置されています。
アルバートが二足歩行でカメラの画角に入り、その背を引いて椅子に座る。
テーブルに設置されたキーボードを滑らかな動作で叩く。
アルバート: 先生、インタビューの時間ですよ。
パストゥール博士: おっと……すまない。手順を確認していた。前と規定が少し変わってね。
アルバート: "かしこいさる"に任せてください。"かしこいさる"なら何でも覚えてみせます。
パストゥール博士: 残念だけどそれはできないんだ。さて、今日学んだことを教えてくれるかな?
アルバート: はい! 今日は常微分方程式について学びました。算数の先生にももうすぐでマスターできると言われました。今日初めて学んだことなのに。
パストゥール博士: それはすごいな。そもそも……微分積分の領域に入ったのが一昨日だろう?
アルバート: 基礎的な概念の理解はそれほど難しくないのですよ、算数においては。これまでと同じことを繰り返すだけです。
パストゥール博士: 頼もしい発言だね。
アルバート: いえ、まだまだ先生には追いついていません。偏微分方程式との差異を理解しようとして少し時間もかかっていますし。もっともっと、先生みたいに賢くなりたいのです。
パストゥール博士: 期待しているよ。 [通話用マイクを切る] 4ヵ月ほど前まで、アルバートの知能は子どもと同程度でした。これもアカゲザルの赤子と比べれば十分に知能は発達していますが、現在はそれに留まってはいません。他の個体の計算能力は四則計算で止まっているため、大きな差をつけているといえます。
報告を終え、沈黙が続く。アルバートはパストゥール博士を注視しており、博士がそれを察知する。
パストゥール博士: [通話用マイクを入れる] どうしたのかな、アルバート。
アルバート: いえ、なんでもないです。ただ、先生のお話が終わるまで待っていようと思いまして。
パストゥール博士: それは…… [咳払い] こちらこそ失礼だった。そんなことまでわかるようになったんだな。
アルバート: これも「わかる」に入るのですね。"かしこいさる"はただ、思いついたことを実践してみただけです。なるほど、思いつくこともわかることなんですね……「わかる」ということがさらにわかりました。嬉しいです。
パストゥール博士: 君の喜びに繋がったのなら良かったよ。
アルバート: はい、"かしこいさる"はまた賢くなってしまいました。あっ、また思いついた。
パストゥール博士: 何を思いついたんだい?
アルバート: もしかして何度も何かを思いついて、何度も何かをわかっていけば、"かしこいさる"は誰よりも賢くなれるのではないですか?
パストゥール博士: たしかにそうだろうね。なぁアルバート、質問なんだが……君は"かしこいさる"なんだろう?
アルバート: もちろんです。
パストゥール博士: なら、どうして今以上に賢くなりたがるんだ? 君はもう"かしこいさる"だよ。
アルバート: うーん……考えもしなかった難問です。"かしこいさる"にとって、賢くなることは当たり前のことだったので。 [沈黙] はっきりした答えは、今は出そうにないです。「わかる」が見当たりません。けど、こうして何かをわかろうとすることは、とても楽しいです。
パストゥール博士: だから君は学ぼうとするのかい?
アルバート: はい。いつか先生くらい賢くなったら、質問に答えてあげますよ。そのときまでには、きっとその質問の「わかる」を見つけているでしょうし。
脳の成長によりアルバートは高度な計算能力を身につけ、青年期の人間と同程度の思考力を獲得しました。言語能力の発達も同様であり、高い記憶力から様々な語彙を吸収しました。キーボードの入力速度も上昇し、流暢な会話が可能となりました。
一方で精神性はそれほど発達せず、7歳の人間程度の思考傾向で停滞しました。こうした情緒発達の停滞はアルバート固有のものではなく、SCP-3801-JPによる知能向上作用に精神性の発達は含まれないためという仮説が立てられました。精神性の向上は脳の成長による副次的作用であり、刺激を受けることで発達すると推測されましたが、他の事例が観測されていないためこの現象の詳細は現在も不明です。
なお情報の制御により、アルバートは自身を"偶発的に知能が向上した個体"と認識させていました。SCP-3801-JPや提供された餌に含まれる母乳についての情報は秘匿され、実験終了までこの状態は維持される予定でした。
1974/06/17~: アルバートの飼育環境最適化とSCP-3801-JP-X11 - ヨリックの飼育
アルバートの二足歩行姿勢の安定化により、研究チームはアルバートの飼育環境の最適化を提案しました。この提案はアルバートを人間型オブジェクトと同等の存在として扱うもので、適切な家具の配置や娯楽物品の提供などがこれに含まれます。上層部の一部からは反対もあったものの、アルバートの知能が実質的に人間と同程度であること、財団の実験で発生した保護責任の生じうる個体であることなどから、提案は承諾されました。
提案の承諾により、アルバートは衣服の着用、檻への家具の配置が正式に認められました。檻からの外出も職員の許可および同伴の元で可能となり、アルバートはさらなる学習の機会を獲得しました。この影響により情緒の発達が促され、アルバートの精神性は10歳の人間程度まで向上しています。
アルバートは職員の選定した情報源から様々な知識を吸収し、能力面においては職員雇用規格と同等に達しました。未だにアルバートの精神性に成長の余地が見られることから、研究チームは情緒発達へのアクションとして特定の他者との関係構築を訴えました。アルバートと固定された他者を継続的に交流させ、愛着形成によって精神性の向上を促すために、この訴えは実段階へと移行しました。

SCP-3801-JP-X11 - ヨリック
1974/07/18
この計画においてアルバートと関係を構築する対象についての議論が実施され、職員では不適切という理由から小動物が選定されました。このとき並行して、霊長類以外の生物にSCP-3801-JPの母乳による知能向上作用がどの程度働くか長期間の検証実験が計画されており、この実験の延長としてアルバートに実験動物を飼育させることが決定しました。
飼育はSCP-3801-JPの母乳を摂取した対象同士の相互影響を調査する目的で開始されましたが、アルバートには異常の関与しない動物の観察実験として説明しています。このときはアルバートも実験対象という事実は伏せられており、意欲向上のためアルバートはプロジェクト・マザーグースに参加することとなりました。
アルバートに飼育される対象はニワトリ(Gallus gallus domesticus)となり、雑食性や平均より小型で管理しやすいことから烏骨鶏の雛が選定されました。独自のナンバー(SCP-3801-JP-X11)が付与された上で、呼称を簡易化するためにコードネーム - ヨリックが与えられました。
映像ログ - 1974/07/18
付記: このときアルバートは実験室の檻から出ており、同棟にある飼育施設にて実験の説明が実施されました。アルバートの前のテーブルにはキーボードと音声変換装置が設置されています。
アルバート: 先生、お話とは何でしょう?
パストゥール博士: そうだね……まずアルバート、君はとても賢くなった。1年前の君とは比べものにならないほどだ。これは誇るべきことだと私は思う。
アルバート: そんな。"かしこいさる"はただ、"かしこいさる"になりたかっただけですよ。まだ先生にも追いつけていません。まだまだお勉強を続けます。
パストゥール博士: 君ならそう言うと思っていたよ。アルバート、提案なんだが……君は研究に興味はないか?
アルバート: 研究、ですか?
パストゥール博士: ああ。まだわからないことを確認するんだ。今まで学んできた知識を元にね。
アルバート: わからないことを確認する……「わかる」を見つけにいくんですね。
パストゥール博士: 勉強とは少し違うけど、どうだろう?
アルバート: うーん…… [沈黙] その、問題はないのですか?
パストゥール博士: なるほど。それについては大丈夫だよ。上からの許可も出ているからね。君はもう我々の仲間として遜色ない知識量を持っている。研究に加わることには誰も異論はない。
アルバート: そうなんですね。それなら喜んで、研究に参加しますよ。それで先生、"かしこいさる"は何を研究すればいいのでしょう?
パストゥール博士: 君に調べてほしいのはこの個体についてだ。
パストゥール博士の指示により研究員が籠を運び、アルバートへと示す。
パストゥール博士: 名前はヨリック。ニワトリの雛だ。本で読んだことはあるかな?
アルバート: えぇ。本物は初めて見ましたけど……毛が真っ白ですね。
パストゥール博士: こういう種類だからね。それとこの個体は普通の個体と違うところがあるんだ。君と同じように、賢くなっていく可能性がある。
アルバート: 賢くなる? つまり一緒にお勉強したり、お話したりできるようになるかもしれないのですか?
パストゥール博士: あくまで可能性としてだけれど、上手く育てばそうなるだろう。君の接し方もここには関係してくるんだ。責任は重いが、それでもやるかい?
アルバート: はい。ヨリック、これからよろしくお願いします!
パストゥール博士: 彼と仲良くできそうでまずは嬉しいよ。私たちは君の……良き友人ではあると思うが、それでも立場は違う。今回の実験で、君は同じ立場の存在ができる。君にとっては、きっと未知の体験だ。君らしく言うなら……是非とも「わかる」を見つけてきてほしい。
アルバート: ご期待に応えてみせますとも。"かしこいさる"は"かしこいさる"なのですから。
このときアルバートにはヨリックについて、自身と同様に"偶発的に知能が向上した個体"と伝達しています。
1974/07/28~: アルバートによるヨリックの教育
アルバートにより、ヨリックの育成が開始されました。ヨリックはアルバートとは別個の飼育環境で育成され、アルバートと研究チームの共同での管理体制が敷かれました。
アルバートの育成開始から10日を経て、ヨリックへの学習プログラムが実施されています。この学習プログラムにおいてアルバートは教育係を務め、ヨリックを指導する役割を担っていました。最終的に能力面および精神面で5歳の人間と同等の知能獲得を目的に学習は進められ、ヨリックは指導に従う様子を見せました。
指導開始からヨリックには知能の向上が確認され、他者との意思疎通、動作での応答など通常のニワトリでは見せない挙動を取り始めました。並行して行われていた実験を含め、鳥類へのSCP-3801-JPの母乳投与は効果が薄いという結果が出ていましたが、この事例はそれに反しています。母乳の摂取対象同士で何らかの相互影響があるものとして、観察は継続されました。
映像ログ - 1974/08/07
付記: この映像はヨリックの飼育環境にて撮影されました。ヨリックの指導に必要な道具が配置されており、アルバートはこれを用いて指導にあたっています。
また、将来的なヨリックへの言語学習を想定して、アルバートにも言語での指導を促しました。アルバートは文字入力と音声変換の機能を持った端末が与えられ、それを介して意思表示しています。
ヨリックの前に積み木が置かれる。積み木には様々な図形があり、その隣には対応する穴の開いた板がある。
アルバート: それではヨリック、今度はこれをやってみてください。穴と同じ積み木を選んで入れるのです。上手くできるでしょうか?
ヨリック: [はっきりと1度だけ鳴く]
積み木を眺めるように動いてから、ヨリックはくちばしでつついて形状を確認する。続いて板の穴も、くちばしで形状を確認している。
把握が完了するとヨリックは積み木を掴み、穴に移動させようとする。積み木は板状に近いため、くちばしで挟んで持ち上げては穴に運んでいくが、苦労している様子も見られる。
アルバート: まだ口を大きくは開けられないんですね。無理して入れなくても大丈夫ですよ。どの穴にどの積み木が入るか、"かしこいさる"に教えてください。
積み木を咥えているヨリックに、アルバートが手を差し出す。
意図を理解したらしいヨリックが積み木をアルバートに渡し、穴の方向をくちばしで示す。積み木と穴は一致しており、アルバートが大きく頷く。
その後も同じ手順が繰り返され、ヨリックは間違えることなく課題をクリアする。
アルバート: 全問正解です。間違えずにできたのはすごいですよ。"かしこいさる"も昔は三角と四角の違いはわかりませんでしたから。
ヨリック: [小刻みに3度鳴く]
アルバート: 相変わらず、何を言ってるのかわかりませんね。早く文字を勉強するところまでいきましょう。そうすれば本が読めるようになります。本はいいですよ、とっても。
ヨリック: [くちばしでアルバートの服の裾をつまみ、そのまま鳴き声を発する]
アルバート: なんですか。褒めているじゃないですか。おやつですか? お水ですか?
ヨリック: [鳴き続けている]
アルバート: しかたないですね。両方とも持ってきますよ。
アルバートが同伴している職員から水入れと餌袋を受け取る。ヨリックは忙しなく辺りを見回している。
戻ったアルバートが水入れを置くと、ヨリックが翼を動かしながら水を飲み始める。
アルバート: お水でしたか。お前は元気ですね。あんまり動きすぎると──。
ヨリック: [鳴き声]
ヨリックが水入れをひっくり返し、水がアルバートの着衣にかかる。
アルバート: だから言ったでしょう!
ヨリック: [首を持ち上げて鳴いてから、アルバートを凝視する]
アルバート: そんなことをしていたら賢くなれませんよ。"かしこいさる"たちは特別な動物だと、先生は言っていました。こんなに賢い動物はいないそうです。特別賢いのですから、もっとお行儀良くならなくてはダメですよ。
ヨリック: [壁を見ている]
アルバート: まったく…… [餌袋を揺らす] これはいらないのですね?
ヨリック: [アルバートへと振り向く]
アルバート: だったら約束してください。おりこうさんになると。
ヨリック: [頷くような素振りを見せる]
アルバート: よし。はい、どうぞ。
餌袋からカボチャの種を掬って取り、アルバートがヨリックに差し出す。
餌を摂食している途中に、ヨリックがアルバートの端末をくちばしでつつく。
アルバート: もしかして、今日もですか? お勉強もひと段落しましたし、いいですよ。ほら、来なさい。
アルバートが床に座り、股の間へとヨリックが移動して座る。
端末が操作され、アルバートの手許から録音された音楽が流れ出す。
アルバート: "誰がコマドリを殺したか? 「それは僕だよ」スズメが言った"
ヨリック: [歌唱の合間に鳴き声を発する]
アルバートが童謡"クックロビン"の歌詞を打ち込み、ヨリックが身体を揺らす。
アルバート: "僕の弓と僕の矢で、僕がコマドリ殺したの"
ヨリック: [歌うように何度か鳴く]
アルバート: 何回聞いても怖い歌です。本当にこんな歌が好きなんですか? まだ言葉がわからないからなのでしょうけど。
ヨリック: [歌が中断されたためか、激しく鳴き始める]
アルバート: わかった、わかりました。歌いますから……言葉のお勉強をするようになったら、違う歌を覚えてもらいますからね。
ヨリックは自他の認識とともに論理的思考力を発達させつつあり、簡単なパズルを解くことなどが可能になっていました。また、ヨリックは音楽に強い関心を抱いており、研究チームによる実験では童謡などの曲調の遅い楽曲を好み、実験後もそれを求める挙動を取っています。この現象は聴力の高いニワトリが知能を向上させた結果、感知しやすい音楽を知的関心の対象として捉えたものと考えられています。
ヨリックはアルバートとも積極的に接触を図り、アルバートも要求に可能な限り応じるといった交流が確認されています。この交流はアルバートにも影響を与え、その精神性は15歳程度に発達しました。管理業務に率先して携わろうとするなど、ヨリックとの接触に意欲的だったことが記録されています。
1974/11/17~: ヨリックの能力面の発達

SCP-3801-JP-X11 - ヨリック
1974/11/20
育成開始から3ヵ月を経て、ヨリックへの言語学習が開始されました。文字の習得に必要な形状認識能力や記憶力が水準以上に達したと判断されたためであり、学習開始から文字と音声の紐付けや単語の構築を順調に理解しています。一方で文法の構築はまだ難しく、会話は困難な状況が続いていました。
ヨリックにも脳の成長は見られ、他の鳥類個体から顕著に発達しているものの、その成長速度はアカゲザル個体と比較して遅いことが確認されています。研究チームは何らかの肉体的な要因が阻害原因となっている可能性を指摘し、それが格差をもたらしていると推測しました。同時期のアカゲザル個体の成長と比べても明確に差異が生じており、接触が十分であるにもかかわらず精神性の発達も緩慢です。
この頃、並行して実施されていた実験では実験個体の死亡が多数確認されています。ニワトリを含む鳥類、爬虫類、魚類を中心に複数の個体が行動しなくなった後に突然死しており、原因の究明が求められていました。また、アルバートを除いたアカゲザル個体にも死亡個体が発生しています。死亡個体は飼育環境にて突然暴れ出し、壁に何度も頭を打ち付けて脳震盪で死亡しました。これらの死に関連性があるかについても調査は進められていました。
映像ログ - 1974/12/18
付記: この映像はヨリックの飼育環境にて撮影されました。言語学習のため、ヨリックの飼育環境にはキーボードとモニターが追加配置されています。
アルバート: ヨリック、お勉強のテストです。僕の前に置かれているものを、タイプしてみてください。
アルバートが様々な物品を置き、ヨリックがそれらを凝視する。
ヨリック: [首を動かし、物品を構成する文字を順番にタイプしていく]
アルバート: その調子です。前に間違えたところもしっかり打てていますね。
ヨリック: [完成を知らせるように鳴き声を発する]
アルバート: よくできました。これで単語のテストもひと通り終わりです。身の回りにある物の名前はわかるようになったでしょう。
ヨリック: [2度鳴き、キーボードを打つ。「水」と画面に表示される]
アルバート: お水ですね。わざわざそうしなくてもわかりますよ。でも、ありがとうございます。取ってきます。
アルバートが同伴している職員から水入れを受け取って置き、ヨリックが水を飲み始める
アルバート: 前より飲み方が丁寧になりましたね。こんなに賢くなって、お前は"かしこいとり"ですよ。
ヨリック: [アルバートを見上げ、何度も鳴く]
アルバート: 嬉しいですか。僕も嬉しいです。文章さえ覚えられたら本だって読めるのですが……けど、もう大丈夫です。単語を理解できるなら、僕がページの内容を教えてあげます。
ヨリック: [連続で鳴いてから小刻みに動き、跳ねながらアルバートを周回する]
アルバート: そんなに喜びますか。では今度、本を持ってきますね。最初だから絵本がいいでしょう。そうだ、本といえば最近聞いた話があるんです。僕やお前のような、賢い動物の話です。
アルバートが、ヨリックの使うキーボードを叩く。「ねずみ アルジャーノン」と画面に表示される。
アルバート: 名前はアルジャーノン。"かしこいねずみ"です。あるお話に出てきて、知恵比べで人間にも勝ってしまうそうです。僕はまだまだ先生に勝てませんから、きっと"かしこいねずみ"なのでしょうね。
ヨリック: [アルバートを向いて静止している]
アルバート: アルジャーノンも、アルジャーノンに負けた人も、手術を受けて頭が良くなるそうです。手術というのは、身体を切って自分の思い通りにすることで……だから、アルジャーノンたちも頭を良くしてもらった。とても羨ましい話です。僕だって、もっと賢くなりたいのに。お前もそうでしょう?
ヨリック: [短く1度鳴く]
アルバート: そうでしょうね。もっと賢くなれたら、もっとたくさんのことがわかるようになります。いろんなことを知り尽くして、何でもわかるようになれば、僕は── [沈黙]
ヨリック: [沈黙を妨げるように繰り返し鳴き声を飛ばす]
アルバート: なぜ、僕は賢くなりたいのでしょう? でもそれは、「わかる」のが楽しいからで……なぜ、「わかる」のが楽しいのでしょう?
ヨリック: [ひときわ大きな声で鳴き、アルバートの服の袖を咥えて揺する]
アルバート: ありがとう、ヨリック。これはわからなくていいことですね。賢くなれれば、それだけで幸せなのです。世の中は知識で溢れていると気付けたのは、賢くなれたからです。きっとアルジャーノンもとても幸せなのでしょう。先生に頼んでも本を貸してくれなかったので想像ですが。アルジャーノンの名前を出して、お話に出てくるねずみだって教えてくれたのは、先生の1人なのにですよ。
ヨリック: [短く1度鳴き、アルバートの足元へ駆け寄る]
アルバート: そろそろお歌にしましょうか。新しい曲を入れてきましたよ。
端末が操作され、アルバートの手許から録音された音楽が流れ出す。
アルバート: "きらきら、きらきら、小さな星よ。 君は一体何者なんだい?"
アルバートが童謡"きらきら星"の歌詞を打ち込む。ヨリックは静止している。
アルバートが歌詞を繰り返し打ち込むごとに、ヨリックの瞼が落ちていく。
やがて、ヨリックが完全に眠りに就く。
アルバート: おやすみなさい、ヨリック。
ヨリックは他者が発した言語をはっきりと認識しており、これにより言語を用いた意思疎通も円滑になりつつありました。特にアルバートが流す童謡によって入眠することを好み、習慣の1つとなっていました。
両者は良好な関係を構築していましたが、アルバートに精神性の向上が見られた一方、ヨリックにその兆候は見られませんでした。
1975/01/07~: ヨリックの容態急変
1975/01/07、ヨリックが行動を示さなくなりました。
ヨリックは飼育環境に入ったアルバートに反応せず、提示した課題に対しても無反応でした。給餌には反応して摂食するものの、条件反射と同一の挙動と考えられます。言語での呼びかけや音楽にも応答はなく、外界への興味関心を失っているように見えます。
研究チームは特定疾患の可能性を疑いましたが、代謝などの生理的機能に異常は見られず、ヨリックの生命に別条はありませんでした。アルバートには「病による一時的な無反応」と説明し、接触機会を減少させて対応にあたらせていました。
1975/01/15、ヨリックは容態を急変させました。アルバートが管理のため接触している最中であり、同伴していた職員によってすぐに隔離されています。
映像ログ - 1975/01/15
付記: この映像はヨリックの飼育環境にて撮影されました。ヨリックはアルバートの入室以後も反応を示さず、一定方向を向いています。
アルバート: ヨリック、入りますよ。調子はどうですか?
ヨリック: [静止し、反応を示さない]
アルバート: 大丈夫ですよ、何もしなくても。今日はお前の好きそうなお歌をたくさん入れてきました。きっと気に入るはずです。
寝床に座り込むヨリックのそばに、アルバートが近づく。
アルバート: 先生に頼んで世界中のお歌を入れてもらいました。いろんな動物が出てきますよ。犬に、猫に、馬に、羊に、うさぎ……タヌキは知ってます? 丸い耳に黒い目の、茶色い動物です。こっちでは珍しい動物なので知らないでしょうね。
ヨリックは変わらず反応を示さないが、アルバートは構わず端末を操作する。
アルバート: 僕も本当に見たことはないのですが。そんなタヌキにもお歌があるんです。普段使っている言葉とは違う国の言葉だったので、先生の力を借りて訳してみました。このお歌は、お母さんのタヌキが子どもをあやしているお歌です。
アルバートの端末から音楽が流れ始める。メロディーに乗って、歌詞の一部を端末に入力する。
アルバート: お前がお歌を好きじゃなかったら、僕はこの音楽を調べようともしませんでした。タヌキという動物の、その国にしかない音楽があるなんて、一生をかけても辿り着けなかった。僕がこの音楽を聞けたのはお前のおかげですよ、ヨリック。
音楽が流れている最中、ヨリックは顔を向けるが、すぐに別の方向を向く。
アルバート: 気に入らなかったのですか。いいですよ。また違う国のお歌を探してきます。お前が動けなくても、僕が世界のいろんな国に連れていってあげます。
ヨリック: [無反応]
アルバート: お前も話を聞いているといいですよ。そうすれば、もっともっと"かしこいとり"になれます。元気になる頃には、お前は今まで以上の天才に育っているのです。なぜならお前の隣にいるのは、特別な頭脳を持った"かしこいさる"だからです!
ヨリック: [無反応]
アルバート: 2人並んで賢くなって、たくさんお話をしましょう。何かを見つけたら、今度はお前が"かしこいさる"に教えてください。僕だって、まだまだ世界を知り尽くしたとは言えないのですから。お前が見つけた「わかる」を、僕は知りたいのですよ。
ヨリック: [無反応]
アルバート: お前は、何がわかるようになったのですか? 教えてくれる日を、待っていますよ。
ヨリック: [緩慢な動作で、アルバートへ向く]
アルバート: ヨリック?
直後、ヨリックが脱力を起こし、首を床につけて倒れる。痙攣し、口からは泡が生じる。
アルバート: ヨリック? ヨリック? [鳴き声を零す]
混乱により、アルバートが意味不明な文字列を端末に打ち込む。
発生した雑音により職員が事態を察知し、飼育環境へと進入する。
対応にあたる職員の近くで、アルバートは立ち尽くしている。
アルバート: 助けて。
ヨリックは飼育環境から運び出され、獣医師による処置を受けました。緊急性はないと判断されたものの、変わらずヨリックは反応を示していません。
該当事案を受け、アルバートにはケアを兼ねたヒアリングが実施されました。このときのアルバートは想定を逸脱する混乱には陥っておらず、発達した精神性により衝撃を受け止めている様子が観察されています。アルバートは複雑な感情を処理できる状態にあり、その精神性は成人した人間に相当すると推測されました。
1975/01/23~: 実験個体の死亡要因がSCP-3801-JPの母乳摂取にあると判明する
相次ぐ実験個体の死亡に対し、要因の特定が完了しました。SCP-3801-JPの母乳摂取による効果として生じる肉体的影響が身体への負荷となり、死に直結していることが判明しました。
研究チームによる死亡要因分析

死亡個体のレントゲン画像。
脊椎に負荷の痕跡が見られる。
SCP-3801-JPによる母乳摂取は脳の成長を促して知能向上の一助となるが、このとき発生するはずの脊髄や下肢などの肉体構造の変化が、霊長類以外の動物では不完全にしか発生しないことがわかった。この結果、脳や頭蓋骨やそれに近い脊椎のみが部分的に発達し、身体全体にとって負荷の大きい状態を引き起こす。死の前兆として見られた無反応はこの圧迫が関係していると推測されるが、前述の症状には死後解剖まで認識できないでいた。
脳を支える肉体に構造的不備が存在するためか、頭蓋骨や脊椎などの成長は停滞する。しかし依然として脳の成長は続き、脳は押し付けられることになる。これが著しい刺激として実験個体に働き続け、死を招くものと考えられる。
アカゲザルの死亡個体は、共通して下肢の発達が未熟だった。霊長類のためそれほど大きな負荷は生じなかったものの、脳の成長が肉体構造の成長を追い越し、前述の状態が発生。発狂のような症状を引き起こし、死に至らしめたと思われる。
この分析を経て、研究チームは実験個体全体への母乳供給を停止しています。以降、脳の成長が未熟だった個体に脳の萎縮が見られ、その後に成長前の大きさまで後退する様子が確認されました。成長を早期段階で中断できた場合のみ身体の構造変化を中断させ、症状の発症前に負荷を軽減できることがこれにより発見されています。
実験個体のうち最も高い知能を保持していたアルバートは、母乳供給の停止以後もその知能を維持しました。アルバートの下肢の発達が十分であり、身体的欠陥を抱える要素がないためと推測されます。下肢発達の条件は特定されていないため、アルバートが健康を保っている理由は現在も判明していません。
同様に、ヨリックも母乳供給の停止以後にも知能を維持している挙動が確認されましたが、無反応の状態が続きました。症状は改善されているものの脳の圧迫は続いており、対処しない場合は死亡する可能性が高いと見られます。
研究チームは上層部に実験の継続について意見を仰ぎましたが、危機的状況ではないとして選択を研究チームへと委託しました。この際、パストゥール博士はSCP-3801-JPによる知能向上作用の技術転用が困難と判断し、以降は実験個体の経過観察を主軸にすると宣言しています。
1975/01/28、それぞれの実験個体について飼育継続もしくは殺処分の判定を下すことが決定されました。判定時点のヨリックにも殺処分が実施される予定でしたが、成長した脳を切除して萎縮を促すという実験案が研究チームの一部人員から提出されました。異常性研究のサンプルとしての実験価値は存在すると上層部は承諾しましたが、知能の喪失が想定され実験意義そのものは薄いと指摘しました。
ヨリックの判定において、パストゥール博士は議論参加の権限をアルバートにも持たせました。主要な管理担当者として長期間職務に携わっていること、判断を下す論理的思考力を有していることを理由して挙げています。実験終了と同時に後日開示される予定だった情報も、判断材料としてアルバートに提供されています。
映像ログ - 1975/01/28
付記: この映像はサイト-██生物研究棟会議室にて撮影されました。
アルバート: 先生、お話というのはヨリックについてですよね。あいつにあれ以上、何かあったのでしょうか?
パストゥール博士: 落ち着いてくれ。先んじて言っておくが、ヨリックはまだ生きている。依然、こちらに反応を示さないままだが。
アルバート: 教えてくださいよ。ヨリックはどんな病気なんですか? 脳の腫瘍ならすぐに摘出してください。あいつは"かしこいとり"です。もう少しで言葉だって話せるようになるはずです。
パストゥール博士: その前提から撤回しなくてはならない。ヨリックをああしたのは病ではないんだ。
アルバート: では、なんだというんですか?
パストゥール博士: 知能そのものだよ。膨らむ脳の圧迫が、ヨリックを苦しめている。
アルバート: [沈黙] 待ってください。脳が膨らむとはどういうことですか? そんな話……仮に何らかの症状だったとしてもありえるわけがない。
パストゥール博士: ありえない話がありえてしまうんだ。知能を向上させる液体、ヨリックはそれを飲んでいた。賢い君なら悪い冗談だと言うだろう。そこに資料がある。疑うなら読んでくれ。
アルバートが書類に目を通す。時間をかけて読み込み、1枚を抜き取る。
アルバート: 僕もそうだと?
パストゥール博士: ああ。
アルバート: 偶然生まれた賢い動物だと言っていたではないですか。僕は特別な動物だと、あなたたちが言ったんですよ。他にもこの液体を与えられた動物がいたと?
パストゥール博士: そうなんだが、特別なことに変わりはない。知能向上の作用を受けて成人した人間に劣らない知能を得たのは君だけなんだよ、アルバート。ヨリックも鳥類としては高い知能まで成長した。君の知能は誇るべきものだ。
アルバート: その知能が、今はヨリックをあんなふうにした。
パストゥール博士: それは認める他ない。
アルバート: [頭を抱え、しばらく黙り込む] 先生、また教えてください。僕たちは、何のために賢くなったのですか?
パストゥール博士: それが実験の目的という意味なら、喜んで話そう。我々は異常なものを封じ込め、研究する組織だ。ある日、奇妙な針金人形を発見した。触れると胸部の穴から液体を垂れ流す。その液体はサルの母乳そのもので、舐めた者の知能を高めた。
アルバート: その母乳の効果を、あなたたちは調べていたのですね?
パストゥール博士: 話が早い。知能向上の傾向を調べ、サルに働きやすいと判明した。そこで長期的な研究に取りかかったが、どれも人間の子ども程度の知能で止まってしまった。しかし、あるサルだけは我々に興味を示し、育てるとみるみるうちに賢くなっていった。
アルバート: それが、僕。
パストゥール博士: [頷く] だが、精神性の発達に限界が見えてきた。我々は君と密接に関与する存在を作ることに決め、動物を育てさせた。君はヨリックと喜んで関係性を築き、ヨリックも知能を高めていった。君は親しみを持ってヨリックに知識を与えようとしていたね。それがヨリックにも深く影響したようだ。
アルバート: 皮肉ですか?
パストゥール博士: 違うとも。誤解しないでほしいが、騙そうとする意図などなかった。我々も君たちが知能を高めていく様子を微笑ましく眺めていたよ。私だって学者の端くれだからね。
アルバート: そうですか。
パストゥール博士: 御世辞じゃない。君はたくさんの本を読んだ。たくさんの知識を得た。世界をわかろうとした。それは知を楽しむ者にとっては、自分事のように喜ばしいことなんだ。
アルバート: でも、その知識でヨリックを救えなかった。僕は何もできず、震えるヨリックを前に立ち尽くすばかりだった。
パストゥール博士: それは関係ない。どれだけ賢くあろうと、そうなってしまうものだ。
アルバート: いいえ。友達も助けられないで、何のための知識ですか。僕は何の役にも立てなかった。 [鳴き声を零す] いや、それどころか……先生。知能が、ヨリックを苦しめているんですよね?
パストゥール博士: たしかにそうは言ったが──。
アルバート: だったら、ヨリックをああしたのは僕です。学ぶことを押し付けさえしなかったら、ヨリックはまだ動けていたかもしれない。僕の知能が、独りよがりな知能が、ヨリックを壊したんです。
パストゥール博士: 結果論だろう、それも。君は苦しめようと思ってヨリックを教育したわけじゃない。
アルバート: 同じことですよ、僕の中では。
パストゥール博士: その議論は後日、私が引き受けよう。今、早急に決めなくてはならないことがある。今後についてだ。
アルバート: 今後?
パストゥール博士: 知能向上作用の長期的な効果でこのような症状が発症するとわかった以上、実験は中止しなくてはならない。再開するとしても体制の立て直しが必要になる。現在飼育されている動物については飼育を継続してその後を観察するか、楽にしてあげるかを選ばなくてはならない。脳が圧迫されているんだ、その苦しみは想像できない。
アルバート: それなら……僕はどうなるんです?
パストゥール博士: 君は健康そのものだろう。処分されるということはない。問題はヨリックだ。
アルバート: 早まらないでください。あいつはまだ。
パストゥール博士: 落ち着けと言っている。脳が成長した動物のうち、液体の摂取をやめた個体で脳が萎縮して元に戻った個体がいた。ヨリックは自然とそうなっていくわけじゃないが、神経系を避けて成長した部位を切り取れば元に戻せる可能性がある。他の個体群と比べ、ヨリックは発症が遅れていたからね。この実験は症例を観察する価値があるとして、組織も承諾済みだ。
アルバート: なら、ヨリックは助かるんですね。良かった、良かっ── [文字入力の途中で手が止まる]
パストゥール博士: そう、丸く収まるなら問題にはならないんだ。
アルバート: 先生、僕の理解が間違っていれば訂正してください。元に戻せるとは、知能も戻ってしまうということですか? 脳の萎縮が知能に何の影響も与えないとは思えない。
パストゥール博士: そうだ。
アルバート: 訂正してくださいよ、先生。知能を削り取ってしまうなら、今のヨリックはどうなってしまうのですか?
パストゥール博士: 人格や意識と呼べるものは、ヨリックからは消えてなくなる。残る記憶も単純なものになる。知能が消え、ただの動物に戻るとはそういうことだ。既にある個体の例からしても確実視できる。君もわかっているだろう。
アルバート: こんなこと、わかりたくなんてなかった。
パストゥール博士: ああ。だからこの選択は、回避することもできる。
アルバート: 何を、言っているんですか?
パストゥール博士: 自我のある人格を持ったまま死なせてやるか、ただの鳥に戻すためにその人格を殺すか。安置か手術か、我々は選べる。そしてそれを決める権利は……アルバート、君にもある。
アルバート: [鳴き声を零し、しばらくして端末に触れる] 何故、僕にも選ばせるんですか?
パストゥール博士: 君は研究チームの一員だ。何よりヨリックについては、君が面倒をずっと見ていた。一存で決めさせるわけにはいかないが、決定に際して意見を聞く必要があると、私が思った。
アルバート: [長い沈黙] 棄権します。僕には選べない。
パストゥール博士: 本当にそれでいいんだね? 何の意見も出さず、我々に任せていいと思うのかい?
アルバート: そうじゃない、そうじゃないけど。わからないんです。
震える指で、アルバートが端末に文字を入力する。
アルバート: 僕には、わからない。どちらを選ぶのが正しいのか、わからない。今まで問題の答えに詰まることなんてなかったのに、ずっとずっと、わからない。
しばらく、アルバートが沈黙する。目はパストゥール博士を捉えているが、視線が合う様子はない。
アルバート: 安置を選べば、ヨリックは死ぬ。手術を選べば生きられる代わりに、人格を失う。これは、僕が決めていいのか。わからない、わからない。一体、どうすれば。
パストゥール博士: 今すぐとは言わない。他の処理もある以上、数日は待てる。だが、決断は急いでくれ。
アルバート: [長い沈黙] 先生、質問してもいいですか。
パストゥール博士: 何かな。
アルバート: こんな思いをさせるために、僕を賢くしたのですか?
パストゥール博士: 違うさ。ただ、君に教えてやるべきだった。賢くなるとは、あらゆるものを受け入れられるようになることだと。理解したくないことすら、我々の頭には入り込む。
アルバート: そうなのですね。また、わかってしまいました。けど、肝心な問題の答えは、いつまで経ってもわからない。あんなにも誇らしげにヨリックに教えていたのに、どこが"かしこいさる"なのでしょう。
顔を隠すように俯き、押し込むように端末に文字を打つ。
アルバート: こんな大切な判断もできないなんて、"かしこいさる"は、どこも賢くなんてないのですね。
映像ログ - 1975/02/04
付記: この映像はサイト-██生物研究棟実験室、アルバートの檻にて撮影されました。
パストゥール博士: アルバート、入るよ。今は話しても構わないかな。
パストゥール博士の入室に対し、ベッドに腰かけていたアルバートが立ち上がる。
手にしていた本をテーブルに置き、端末を取り出す。
アルバート: 先生。わかっています、ヨリックの件ですよね。
パストゥール博士: 今日じゃない。だが、明日には答えてもらいたい。答えなければ、君は棄権扱いになる。
アルバート: 再三言われずとも、わかっていますよ。
パストゥール博士: すまない。ともかく、今日は声をかけにきただけだよ。長く塞ぎ込んでいる様子が見えたからね。何か、本を読んでいたのかい?
アルバート: えぇ。"かしこいねずみ"が出てくる小説です。読み終わって、少しずつ読み返していたところでした。
パストゥール博士: これは……『アルジャーノンに花束を』3か。私も読んだよ。読んでいたから、君が娯楽物品として希望したときは要求を弾いた。
アルバート: はい。弾かれた理由がわかりました。
パストゥール博士: 今はもう、受け入れられただろう?
アルバート: アルジャーノンは、幸せになれなかったんですね。彼は頭がおかしくなって、死んでしまった。
パストゥール博士: 主人公の男、チャーリィもね。賢くなれば、見えなかったものが見えてしまう。途方もない理不尽に直面し、ならば何も知りたくなかったと思う。そのうちに手術で得た知能が衰え、世界を認知できなくなっていく。
アルバート: そして最後に、何もできなくなる自分に代わって、アルジャーノンのお墓に花束を捧げるよう頼む。そこでお話は終わりです。
パストゥール博士: 知能を獲得して幸せな日々を謳歌していた君には、あまりに目に毒だ。
アルバート: 今の僕は読んでいて思いましたよ。僕も知能が下がればいい、と。
パストゥール博士: しかし、君の知能は下がらない。この状況から逃げられない。
アルバート: その通りですよ。どうして僕だけが考え続けなくてはいけないのでしょうね。[息を吐く] そういえば、そのことについても考えていたんです。判断から逃げたかっただけではあるのですが。
テーブルの引き出しから書類を取る。以前パストゥール博士が渡した資料だとわかる。
アルバート: この針金人形……SCP-3801-JPは、どうして知能を高める母乳を流すのでしょう? どうして僕だけが、先生に追いつくほど知能を高められたのでしょう?
パストゥール博士: あまり理由を求めてはいけないよ。そういった異常に我々は詳しいが、理由なんてないことが多いんだ。科学で解明できないものに辛うじて科学を当てはめて、上手く場を納めようとする。それが我々のやり方だ。
アルバート: そうかもしれません。だけどこれは僕が生まれて以来、最大の不可解なんです。「わからない」が転がってきて、目の前に現れた。これを「わかる」に変えられたら、すべての答えが出るんじゃないかって。
パストゥール博士: 似た感覚を覚えたことがあるよ。野球ボールを吐き出すヒョウの体内システムを解明できたら、妻との仲違いの謎が解けるかもしれないとね。 [笑う] 君の考えを聞かせてもらおうか。
アルバート: 僕も答えは出ていません。ただ、気になったのは……SCP-3801-JPはかつて実験に使われていた。ハリー・ハーロウの実験に。母乳を出す針金の人形と、何もしない毛布の巻かれた人形。アカゲザルの子どもが抱き着くのはどちらか。
パストゥール博士: 実験では、アカゲザルの子どもは常に毛布の人形に抱き着いていた。それがどうかしたのかい?
アルバート: 直感的にはそうだとわかるんです。毛布の方が暖かくて柔らかくて安心できるでしょうし。でも、それじゃあ針金の人形があまりに可哀想じゃないですか。母乳を出してくれるなら、ちょっとは寄り添ってあげてもいい。
パストゥール博士: 可哀想、ときたか。申し訳ないが、SCP-3801-JPは無機物だ。感情を持つことはできない。何も言えないし、言わない。悲しみを覚えないから、可哀想ともいえない。
アルバート: えぇ。だけど、それは僕も同じだったはずなんです。
パストゥール博士: 君は生物だ。外界の情報を感じ取ることができる。
アルバート: けど、僕だって単純な感情以外は持てなかった。何も言えないし、言わなかった。正確には、感情を掘り下げる方法も、表現する方法も知らないで過ごしていた。だから、針金の人形も同じなんです。ただ、僕らに伝わるように何かを言えないだけなんじゃないかって。
パストゥール博士: それで母乳を流した?
アルバート: はい。
パストゥール博士: 興味深いが、興味深いだけだな。科学的根拠がない。それに、その母乳を飲んで知能が上がる意味もわからないままだ。
アルバート: それは、何故なんでしょうね。何の意味もなく、単に異常なだけなんでしょうか。
パストゥール博士: 私ならそう捉える。 [呼吸音] 寄り添ってあげてもいい、か。君はずっと、子猿の頃から変わらないな。知能を得て、身体が育ってもなお、底に眠るものはまだそこにあるらしい。
アルバート: そうなんですか?
パストゥール博士: ああ。君がこの檻の中でキーボードを叩いていた頃……ちょうど、初回のインタビューだった。君は檻の向こうにいる我々を見て、「自分と同じかもしれない」と感じた。そうして君は我々に接触を試み、我々は返した。それが君のはじまりだった。
アルバート: そうでしたか。その頃の記憶は、僕は薄っすらとしか覚えていません。
パストゥール博士: なら、教えてあげよう。賢くなるのを手伝えば、君はぐんぐん知能を伸ばしていった。あらゆる数字と文字を欲して、知識を自分のものにしていった。私でも目を見張るくらいだ。それから君はヨリックに、自分の持つ知識を与えていった。素晴らしい熱意だったと思う。
アルバート: 褒められるようなことではないです。僕は、好き勝手に振る舞っていただけで。自分の衝動に任せるままに、動いていただけなんです。
視線を逸らし、アルバートがアクリルガラスの向こうを見つめる。
アルバート: 知識も、先生も、ヨリックも。みんなみんな、そこにいた。それに手を触れようと、「わかる」にしようとしていただけで──。
途中でアルバートの言葉が途切れる。
パストゥール博士: アルバート?
アルバート: 先生。僕は、わかってしまいました。正しいとは思えないけど、僕の中で答えが、「わかる」が見つかったんです。
パストゥール博士: それは何の答えかな?
アルバート: すべてのことの。判断についてもです。でも、その前にヨリックに会わせてください。僕はこの答えをあいつにも聞かせたい。
映像ログ - 1975/02/05
付記: この映像はヨリックの飼育環境にて撮影されました。
アルバート: ヨリック。起きていますか。
ヨリックは首を固定された状態で寝床に倒れている。瞬きをするが、瞳が動く様子はない。
アルバート: そのまま聞いていてください。といっても……何から話すべきか、僕にはわからないのですが。とにかく、話しておくのです。教わったこと、教えたいと思ったこと。
アルバート: 僕とお前について、先生から教えてもらいました。この場で話してもいいとも言っていました。僕たちをこうした原因……僕とお前のママ、と呼びましょう。僕らのママは、針金の人形だったのです。
SCP-3801-JPの画像が掲載された紙を取り、アルバートはヨリックに見えるようにかざして床に置く。
アルバート: もちろん人形から生まれてきたわけではなくて、僕らには僕らの親がいるのですが。けど、ここまで頭を良くしたのは、人形のお乳を僕たちが飲み続けたからだと聞きました。なんというか、馬鹿な話もあるものですね。
アルバート: でも、本当のことらしいです。それに僕らには他にも兄弟がいて、みんなお乳を飲んだそうです。ただ、お互いに意思を交わし合えるようになれたのは、数多くいる兄弟の中でも僕らだけだった。ヨリック、何故だと思います?
ヨリックの瞼が微かに痙攣する。
アルバート: 僕にも、正しいと断言できる答えは見つかりませんでした。でも、こうあってほしいと思える答えは見つかりました。
アルバートがヨリックから離れ、飼育環境のアクリルガラスに手を触れる。
アルバート: 檻の向こうに、何かがあるのが見えました。そこに広がっているものを、そしてそこにいる誰かを、僕はわかりたいと思った。頭に抱いた感情が僕の身体を動かしたのです。下肢は発達し、2本の足で僕は立ち、脳は膨らんだ。小さな衝動が、僕をここまで歩かせた。
アルバート: わかりたいと、願っただけなのです。まだ知らない、いろんなことを。お前のこともですよ、ヨリック。お歌が好きだと知って、じゃあ他にどんなお歌が好きかたくさん試した。それもきっと、僕はお前を理解しようとしていたのです。それからお前も、世話をする僕のことをわかろうとしていたのでしょう。単語を覚え、僕の流す歌の意味を掴もうとした。
アルバート: ではヨリック、また問題です。僕たちのママ……針金の人形は、僕たちがそうなることを望んでいたでしょうか?
ヨリックは返答せず、しばらく沈黙が続く。
アルバート: 先生にも聞きました。望むはずがない、と答えました。人形が自律思考を持つと考えられる根拠が存在しないから。それが科学的には正しいのでしょう。だけどそれまでの境遇を知ると、知能があったんじゃないかって、僕は思うんです。
ガラスから手を離し、封筒から数枚の紙を取り出してアルバートは眺める。
アルバート: 針金の人形は、毛布の巻かれた人形と隣り合わせで置かれました。そこに1匹のサルが入れられ、どちらに懐くか実験が行われた。サルはずっと毛布の人形に抱き着いていた。本当にサルを育てたのは、お乳を出せる針金の人形だったのに。
アルバート: 僕は、わかろうとしました。最初はまったく意味がわかりませんでした。会ったこともない不気味な針金で作られた人形のおかげで、今の自分があるなんて。それでもどこか惹かれるところがあって、考え方を変えました。僕らの母親の1人、ママの1人。可哀想だな、と思えたんです。
アルバート: 悲しいじゃないですか。自分から出てくるお乳だけ飲まれて、あとは無視されるなんて。毛布の抱き心地が良くて、自分の身体が冷たい針金だったとしても、ちょっとくらい構ってくれてもいいじゃないですか。そのサルが生きられるのは、自分から出てくるお乳のおかげなんですよ。でも、しかたありません。普通のサルに、そんなことはわかりませんから。
アルバートはヨリックに近づき、持った紙を床に並べる。その後、屈み込んでSCP-3801-JPの画像を撫でる。
アルバート: だから、わかってもらおうとしたんです。
爪で画像を何度か叩いてから、アルバートは自身が持つ端末へ指を戻す。
アルバート: 懸命に自分のお乳を飲もうとするサルを愛しく思って、だけど無視されて……だから僕らのママは、本当にお乳を流し始めた。自分がここにいるってわかってもらおうとして、そのために賢くさせようとした。自分勝手な思いのせいで、僕たちは賢くなったんです。賢くなって、苦しんでいる。
アルバート: ここに来る前の廊下でこの持論を話したら、先生には笑われました。「やっぱり君らしい」って。でも、「もしそうだったらいいな」って思うんです。一緒に過ごしてきた相手を愛しく思う気持ちが、今の僕にはたしかに理解できる。声が届いてほしいって子どもっぽい気持ちが、痛いほどわかる。これはただの想像、自分勝手な思いです。だけど、賢くなければできないことです。
しばらく沈黙が続く。その間に、アルバートはヨリックの頭を慎重に撫でている。
アルバート: ヨリック。僕は、勇気が出ました。賢いから、また自分勝手な思いを持つことにしました。僕はお前に生きてほしいと思っています。お前がこの世からいなくなることに、耐えられそうにないからです。
端末を握る手が震え、その震えを押さえつけるように文字を入力する。
アルバート: お前の命を生かすために、お前の心を殺します。
音声が響くとアルバートの呼吸が荒くなり、それを落ち着かせてから文字入力を再開する。
アルバート: お前が心を持ったまま、最期を迎えさせてやることもできます。でもそれは、ただ何もしないで過ごそうとしているんじゃないかって。お前に生きていてほしいという思いが叶ってほしいと、こんなに頭の中では考えているのに。判断を下す恐怖で縮こまってしまったら、賢くなった意味がない。伝えられる気持ちがあって、その立場にもいるはずなのに。
アルバート: 僕は、賢くなったのを恨まないことにしました。僕はお墓に捧げる花束を、人に頼まなくてもいい。してやれることをやれる、背負える苦しさを背負える。それが、知能を持つことだと考えました。
アルバートが床に膝をつく。端末を胸の前で握り、両手で包み込んだ。
アルバート: 許してください、ヨリック。お前を歪めてしまう、僕の自分勝手な思いを、どうか許してください。
アルバートが俯き、黙り込む。
しばらくの時間が経ってから、アルバートが立ち上がろうとする。
ほんの微かにだけ首が動き、小さい鳴き声が響く。
アルバートは一瞬だけ驚くが、すぐに平静を取り戻す。
アルバート: あ、あの [誤入力による雑音] そうですね。わかりました。今すぐ取ってきますよ。
アルバートが同伴している職員の元へ戻り、水入れを要求する。
突発的な申し出に職員も驚くが要求は受け入れられ、アルバートは水入れを持って戻る。
アルバート: ヨリック、お水です。お前は動かなくていいのですよ。
水入れに指を浸し、アルバートがヨリックのくちばしへ数滴ずつ流し込む。その動作を何度か繰り返す。
やがてヨリックの瞼が閉じていき、アルバートは指を端末に置く。
端末から音楽が流れ始める。
アルバート: "誰がコマドリを殺したか? 「それは僕だよ」スズメが言った"
アルバートが童謡"クックロビン"の歌詞を打ち込む。
ヨリックは反応せず、"クックロビン"の歌詞のみが部屋に響き続ける。
瞼が完全に閉じ切り、ヨリックが眠りに就く。アルバートは歌詞の打ち込みを止める。
アルバート: おやすみなさい、ヨリック。お前は、僕が殺したのです。
アルバートはヨリックの脳部位摘出に賛同する旨をパストゥール博士に伝達しました。この意見を含めた実験参加職員らによる意見交換の結果、研究チームはヨリックについて脳を切除する実験の実行を決定しています。
1975/04/16~: プロジェクト・マザーグースの終了
脳部位摘出および脊椎矯正治療は問題なく終了し、ヨリックは2ヵ月程度のトレーニングを経て歩行機能を回復させました。運動機能に重大な問題は見られませんが、知能は想定通り、通常のニワトリと同程度まで低下しました。これより喪失した知識の再獲得などSCP-3801-JPの母乳を使用しない範囲での実験が行われる予定ですが、達成可能性は低いと考えられています。
これによって、プロジェクト・マザーグースは実質的に終了しました。アルバートは異常性保有職員規定により研究職での雇用が見込まれていましたが、本人の希望によりこれは実現しませんでした。代わりにサイト-██での用務員としての雇用となり、サイト内部での自主的な収容体制が継続されています。このため、実験の終了とともにアルバートのみ、生物研究科とは異なる部署で管理されることが決定しました。
映像ログ - 1975/04/30
付記: この映像はヨリックの飼育環境にて撮影されました。アルバートは研究参加期間の最終日を迎え、翌日にはサイト-██への移動が決定しています。
アルバートが飼育環境に入室し、作業を開始する。
アルバート: おはようございます、ヨリック。
ヨリック: [アルバートに関心を抱かず、檻の中を移動しては鳴いている]
アルバート: 今日が最後の日ですね。次の職務について勉強してきたので、その実践をさせてもらいます。
ヨリック: [作業するアルバートの足元をくぐり抜ける]
アルバート: 用務員というのも考えることはたくさんあってですね。重い荷物を持つときの腰の使い方に、廊下を効率的に動く方法。何か1つ欠けても非効率になって、作業時間を大きく変えてしまうんです。
ヨリック: [くちばしで身体を掻く]
アルバート: 本で読んだのですが、こうした肉体労働は初めてなので緊張しますね。それか、そういえば僕はサルなので、実は体力があって天職だったりするのでしょうか。同僚よりてきぱき働いて、驚かせてみせましょう。
ヨリック: [敷かれた藁を横切り、身体に藁が付着する]
アルバート: [近づき、その藁を取る] そうそう。最後に計算大会をしないかと、研究チームのみんなから持ちかけられたんです。僕が優勝しました。先生のあの驚く顔は、たぶん忘れようと思っても忘れられないですね。
ヨリック: [空になった水入れに顔を突っ込む]
アルバート: ああっと、もうお水はないですよ。もらって来ますね。
アルバートが水入れを受け取って戻り、置いた途端にヨリックが顔を突っ込む。
ヨリックが身体を激しく動かし、水入れから水が何滴も零れる。
アルバート: 元気になって良かったですね。できるだけ、長生きしてくださいよ。
飼育環境での作業を完了させ、アルバートが立ち去ろうとする。
ヨリック: [何度も壁を叩く]
アルバート: こら、やめなさい。くちばしが傷つきますよ。
ヨリック: [何度も壁を叩く。次第に、打突音が特定の周期を形成する]
アルバート: ヨリック? これは──。
その後しばらく、ヨリックの壁への打突が続く。
アルバート: わかりました。お前は相変わらず、"かしこいとり"ですね。わかりました、いいですよ。
アルバートがヨリックの元に戻り、端末を掲げて歌詞を打ち込む。
メロディーのない"クックロビン"が再現され、しばらく続く。
やがてヨリックが鳴き、先ほどまでと同じように歩き出し、離れていく。
アルバート: もう終わりですか。最後まで気まぐれですね。
アルバートが立ち去り、扉を閉めるために振り返る。
アルバート: "かしこいさる"も長生きしますよ。お前に負けていられません。
この直後にヨリックへの検査が実施されましたが、アルバートを捕捉して条件反射として動作したと考えられ、知能回復の兆候は見られませんでした。高い知能を持っていた際の記憶が残存している可能性が推測されましたが、1992/10/12にヨリックが老衰死するまでそれを確認する方法は確立されませんでした。
関連職員の死去・退職により、2015年現在でのプロジェクト・マザーグース関係者はアルバートのみです。