
筑波山。
アイテム番号: SCP-3833-JP
オブジェクトクラス: Neutralized
特別収容プロトコル: SCP-3833-JPは異常性を喪失しました。当該文書は類似する現象の発生に備えて保管されます。
説明: SCP-3833-JPは日本国筑波山で発生した異常現象です。発生期間は1999年2月9日から同年2月18日までであり、以降の発生は確認されていません。
SCP-3833-JP発生中の筑波山では、滞在する人物に全身の倦怠感や脱力感などの体調不良を発生させます。滞在する標高に比例して症状が深刻化し、呼吸障害や食欲の低下や嘔吐が併発します。重症化する場合では運動失調の兆候が現れ、肺水腫や脳浮腫が発生します。これら症状は極高高度における高山病に類似する症状であり、筑波山から退避することで回復が可能であり、長期間の滞在による高度順応や、酸素ボンベによる酸素の吸引により症状が緩和されることが明らかになっています。また、アセタゾラミド等の予防薬も有効です。
SCP-3833ーJP発生中の筑波山では、上記異常性が筑波山に侵入した瞬間から発生します。これは対象人物が平地から高山地帯へ瞬間移動した場合と同様の負荷が人体に掛かることを示し、多くの場合深刻な高山病や減圧症の症状を発生させます。そのため、SCP-3833-JP発生中の筑波山に侵入することは困難であり、内部探査には相応の準備が必要となります。
SCP-3833-JP発生中の筑波山では、空間に異常が発生しており、地形に変化/拡張が確認されています。空間異常に伴って筑波山及び筑波山上空では異常な気流が発生しており、航空機の接近及び落下傘降下は困難です。この空間異常は麓から確認することは出来ず、筑波山領域内且つ、御幸ヶ原(標高800 m地点)以上の標高に到達しない限り確認することができません。この空間の拡張は、地質学的にも民俗学的にも存在するはずが無い空間にも関わらず、拡張部分に侵入することが可能です。詳しくは補遺2を参照してください。
補遺1: SCP-3833-JPの発生
1999年2月9日にSCP-3833-JPは発生しました。発生当時、筑波山には観光客や就労者を含めて32名が滞在しており、内18名が脳浮腫や脳卒中の症状により死亡しました。事象の発生が冬季であったことや、早朝であったことにより、被害者の人数は抑えられたものの、前年にポーランドで発生したイベント・ペルセポネ及びSCP-1710-JP事象が報道されて以降、日本国民は異常災害に対して過剰な反応を見せており、SCP-3833-JPを巡って日本国内全体に根拠の無い憶測によるパニックが伝播しました。
財団を含めた正常性維持機関は事態終息に向け、事象発生当日の2月9日から調査を開始しました。この調査では、筑波山領域内に侵入し、異常性発生原因の調査と被害者の収容を行う調査登山隊が必要です。ヴェール崩壊以降、Dクラス職員を利用した表立った実験/調査は困難であり、財団職員から適性の認められる職員を選出する必要がありました。結果として3名の財団職員を選出し、2月10日に調査登山隊として派遣しました。
補遺2: 第1次調査登山隊報告
事象報告 #1
1999/02/09
場所: 日本国 筑波山(男体山 871 m/女体山 877 m)
発生日時: 1999年2月9日 07:41:33
秘匿状況: 民間により報道済
概要: 複数の異常事象が発生中。筑波山領域内に侵入した人物に重度の高山病/減圧症と類似する症状が確認されており、民間人に多数の死傷者が発生、報告時点で13名の被害が報告されている。また、筑波山上空に異常で激しい気流が発生しており、筑波山周辺を飛行する航空機が針路を変更する影響が発生している。
地力で下山した民間人による情報提供により、御幸ヶ原周辺(800 m)に未だ多くの民間人が身動きの取れない状態で取り残されていることが示唆された。
SCP-3833-JP インタビュー記録 #1
1999/02/09
付記: SCP-3833-JP発生状態の筑波山より、自力での下山に成功した民間人"豊本 茂"に対してインタビューを行いました。インタビュー記録は調査登山隊の活動に活用される。
豊本 茂は協力的であり、自身への治療処置よりも情報提供を優先した。酸素ボンベによる酸素吸引を行いながらインタビューに応えており、会話中に発言が途切れる箇所があったが、可読性のために最小限に省略する。
<再生>
インタビュアー: 下山して早々に申し訳ありません。何があったのですが?
豊本: わからない。突然、息苦しくなって、一気に、体調が悪く──、ちょっと待ってくれ。
インタビュアー: ゆっくり話して頂いて問題ありません。
豊本: すまない。あれは、高山病だ。キリマンジャロに登った時と、似ている。一歩一歩が、酷く重くて、ひたすらに息苦しく、頭にナイフを、差し込まれるような、頭痛が、した。
インタビュアー: 今の体調はどうですか?
[豊本が大きく息を吐く]
豊本: 今は大丈夫だ。徐々にだが、良くなってきている。下山してからは、楽になっている。
インタビュアー: どのようにして高山病を発症しましたか? 予兆などあれば教えて頂きたいです。
豊本: 前触れは無かった。突然だった。激しい頭痛と息苦しさ。俺以外の人間も次々と苦しみ始めて、そのまま、[沈黙]
インタビュアー: 他の方がどれくらい居たかは覚えていますか?
豊本: 詳細には分からない。途中3人ぐらい見かけたが、皆倒れていた。あれはもう……。
<終了>
財団以外にも、筑波山の異常を認知した複数の正常性維持機関や、日本国の公共機関が筑波山に集結していました。集結した機関により緊急会議が行われ、御幸ヶ原に取り残された民間人の確保を第1目標として設定することで目的が統一されました。
航空機を用いてピックアップする作戦や、救助隊の降下を行う作戦は、筑波山上空に発生した異常な気流により困難であり、採用されませんでした。
筑波山にはロープウェイとケーブルカーが設置されていますが、ロープウェイは異常な気流により使用することが出来ません。ケーブルカーは御幸ヶ原に存在する山頂駅で停止しており、緊急停止のシグナルが発信されています。遠隔でケーブルカーを操作できる運転室は山頂駅にのみ存在し、運転士との連絡には成功しなかったため、ケーブルカーの利用は不可能です。
結果として、登山隊を結成し、陸路で登攀する方法が支持を集めました。ただし、筑波山は山頂部を除き森林地帯が広がっているため、異常性の影響で極限状態に陥った登山隊が山道を外れた場合、救助の困難な遭難に罹災する可能性が憂慮されます。そのため、経験豊富な人員を厳選し、少数精鋭の救助隊を結成することが望まれます。
筑波山は登頂難易度が低いことから、登山客により登山届が提出されていない可能性が考えられます。そのため、当時の筑波山に訪問していた登山客の総数は明らかではありませんでした。筑波山には大きく分類して7つの登山ルートが存在し、救助隊はその全てを網羅することが望まれます。財団以外の各機関から優秀な人員が選出され、5つの救助隊が結成されました。この救助隊は「ルート救助隊」と命名され、登山ルート上の登山客の救助を目的とします。ルート救助隊は森林地帯を探索する必要があるため、午前6時35分の日の出と共に救助活動を開始しました。
財団からも優秀な人員を選出し、救助隊を結成しました。この救助隊は「財団隊/御幸ヶ原隊」と命名され、御幸ヶ原での救助活動とケーブルカーの復旧を目的としています。財団隊は一般の登山ルートを使わずに、ケーブルカーの軌道に沿って登頂します。ルート救助隊と異なり、登頂ルートを誤る可能性が低いため、各種準備が完了した午前2時12分に救助活動を開始しました。
登山ルート

登山ルート。
概要: 筑波山神社参拝者有料駐車場より出発、宮脇駅を経由し、ケーブルカー(筑波観光鉄道ケーブル)の軌道に沿って御幸ヶ原を目指すルート。御幸ヶ原に可能な限り早く到着し、御幸ヶ原に取り残された民間人の救助とケーブルカーの修繕を行う。男体山及び女体山への捜索活動は、他の登山隊が合流、または御幸ヶ原での救助活動が早期に終了し次第行う。
ルートは完全に整備されているため、特筆点は存在しない。
装備

極地訓練用ポータブル減圧室
極地訓練用ポータブル減圧室:
少ない資材で構成され、工具と3名の人員を確保できれば遠隔地でも設置できるポータブル減圧室。高度8,000 m以上の気圧環境を疑似的に再現できる。当該事象に於いて、異常領域内に侵入した瞬間から極高所環境に晒されるため、高度順応が不可能である。ポータブル減圧室を利用し、高度順応を試みる。
極地探査用標準登攀具:
最大グレードの極地探査用装備一式。探査中に異常性が変化し、環境が急変するの可能性を加味し、軽装備ではなく重装備の携行を選択した。内容は酸素ボンベ、テント、クッカー及び燃料、ヘッドライト、ランタン、雨具、防寒具、ピッケル、アイゼン、トレッキングポール、通信機器及びモバイルバッテリー、信号弾、アセタゾラミド、水、携帯食料。
修繕工具類:
ケーブルカー復旧に装置の修繕を要した場合に利用する工具類。ケーブルが断裂していた場合も修繕が可能。
財団隊は予定通り作戦を開始しました。財団隊は御幸ヶ原に到着するまでの過程で情報資料を獲得している他、極めて異常な事例を確認しました。以下、財団隊による報告の抜粋です。
第1次登山隊 報告#1
標高200 m ~ 526 m(筑波山神社参拝者有料駐車場 ~ 中ノ茶屋跡付近)
異常領域侵入時の所感:
隊員全員が高山病の症状を訴えた。減圧室を利用した高度順応と、アセタゾラミドの服用と、酸素吸引に高山病異常性に対する効果が認められ、救助活動の継続は可能だった。高度順応や酸素吸引を行わずに高山病異常性に罹災した場合は、身体に深刻な影響を受けることが予想され、既に筑波山に取り残された民間人達の状況は、この時点で絶望的であると評価できる。
高山病異常性は行程の進行速度に大きく影響し、作戦進行度に深刻な遅延が発生した。特にケラー隊員の体調は徐々に悪化し、複数回の休息を余儀なくされた。対して、小野寺隊員は高山病異常性に一定の耐性を有しているようであり、好調を訴えた。小野寺隊員は重量物の物資を率先して運搬するなど、登山隊の中心人物として活躍した。よって、筑波山異常領域内への調査を今後も継続する場合は、小野寺隊員を再度招集することをここに進言する。
動植物への影響:
作戦中に野生動物を一切確認することが出来なかった。野生動物の消失も異常性であるか、異常発生を察知した野生動物による集団脱走が考えられる。
植物に関しては異常性の影響を認められない。急激な環境変化に対し植物が反応を示さないことは不自然であり、選択的に異常性の対象から植物が除外されている可能性を示している。この場合、何者かの人為的作用が予想される。
民間人の発見:
標高500 m付近で民間人を1名発見したが程なくして死亡。死因は重度の高度障害と推測された。
キャンプ設営
途中休憩を多量に挟んだ影響で進捗に遅延が発生していた。標高500 m付近に到達した時点で16時を迎えており、冬場であることもあって既に薄暗さを感じていた。整備された道を進む関係上、夜間の登攀も不可能ではないが、隊員の体調を加味してこの地点で簡易キャンプを設営することにした。
第1次登山隊交信記録 #5
1999/02/10
付記: 標高500 m付近で民間人を発見した際の交信記録。隊内では英語を公用語として利用していたが、民間人への呼びかけには日本語が用いられた。交信記録内では可読性を加味し全文日本語で表記する。
<再生>
フォート: 登山隊からBC、高度500 m付近で民間人を1名発見。どうぞ。
ベースキャンプ(以下、BC): BCから登山隊、了解しました。容態を確認し、可能であれば救助してください。可能であればで良いです。
民間人: 誰か、[長い沈黙]、いるのか? 何も見えない。
ケラー: 失明しているのか? 高度障害だ。
小野寺: 大丈夫ですか?
民間人: ああ、あ ──
[何かの物音、民間人が地面に倒れた音と推測される。]
小野寺: しっかりしてください。酸素です。吸ってください。
[物音]
小野寺: 難しいですか? 水は飲めますか?
[民間人からの応答はない]
フォート: 登山隊からBC、民間人は重度の高度障害で瀕死。救助は難しそうだ。どうぞ。
BC: 了解。
[民間人のうめき声]
小野寺: どうかしましたか? 何か話せますか?
民間人: 山頂が、上に ──
[民間人が完全に沈黙]
フォート: 登山隊からBC、民間人が死亡。遺体の収容は放棄する。どうぞ。
BC: 了解。遺体の座標位置を記録した。
<終了>
第1次登山隊 報告#2
標高526 m ~ 800 m(中ノ茶屋跡付近 ~ 御幸ヶ原)
異常性の激化:
午前7時に登攀を再開。標高が上昇するにつれて、身体への負荷が激しくなっているのを感じた。特にケラー隊員の消耗が激しく、頭痛と酸欠が酷くなり、上空を吹き荒れる風の音を聞くだけで動けないほどの苦痛に襲われると訴えた。そのため、進行には定期的な休息を要した。
民間人の発見➀:
標高690 m付近で民間人を2名発見。2名共に死亡済。
民間人の発見②:
標高740 m付近の岩の上で、滑落して引っかかったと思われる民間人を1名発見。未確認であるが死亡済と推測される。この民間人は両手にリンゴと思われる果実を所持しているが詳細不明
御幸ケ原到着:
登攀開始から1日が経過した2月11日14時9分頃に御幸ケ原に到着。異常領域外を旋回していた財団のヘリコプターと交信し、お互いに目視出来ていることを確認した。御幸ケ原到着時点で6人の民間人を発見できたが、何れも死亡が確認された。
御幸ケ原には特筆すべき異常空間が発生している。筑波山は男体山と女体山の2峰からなる山岳であり、御幸ケ原はその2峰の中間地点/ハブ地点に該当する訳だが、異常現象影響下の御幸ケ原から第三の山岳を目視することが出来た。
この第3峰は、上空のヘリコプターや筑波山の麓からは目視が不可能である。御幸ケ原から見て北北西に存在し、その標高は3,000 mや4,000 m程度ではなく、5,000 mから6,000 m級の高山に見える。第3峰が実在する場合、桜川市の全域とその周囲の地域は第3峰の存在地点と領域が重複してしまう。
第3峰の探査は危険だと判断されたため、元来の作戦通りケーブルカーの稼働のみを実行して下山した。ケーブルカーを遠隔操作可能な状態に改造したため、第2次作戦の際に利用できる。
財団隊が報告した筑波山第3峰に関する情報は各正常性維持機関の関心を集めました。各正常性維持機関の間で筑波山第3峰は『筑波Ⅲ峰』と呼称/表記されています。以下、当報告書でも筑波Ⅲ峰の表記を用います。
当初、筑波Ⅲ峰の情報は正常性維持機関のみに共有される予定でしたが、当時の茨城県知事が恋昏崎新聞社を県の災害対策本部に招聘したことで情報の奪取が行われ、民間に報道される結果となりました。当時の茨城県知事は正常性維持機関の秘密主義的活動に否定的な思想の持ち主であり、ヴェール崩壊後も正常性維持機関に敵対的な姿勢を一貫している恋昏崎新聞社を招聘することで、正常性維持機関の秘密活動を阻止する意図があったと評価されています。
複数の正常性維持機関が筑波Ⅲ峰に立ち入り、筑波Ⅲ峰踏破を視野に入れた情報収集/ルート開拓を実施しました。結果としてルート開拓に失敗したものの、いくつかの情報獲得に成功しています。以下は財団に共有された情報群です。
- 筑波Ⅲ峰は実体として確かに実在しており、探索/登攀が可能。
- 筑波Ⅲ峰領域内に侵入すると、筑波山異常領域外から侵入者を目視できなくなる。侵入者が突然消失したように観測される。また、ヘリコプター等の航空機が筑波Ⅲ峰領域内に侵入した場合、御幸ヶ原及び筑波Ⅲ峰からは航空機が突如消失したように観測される。
- 複数回にルート開拓を実施したが、調査を実行する度に異なる地形が発見され、開拓済のルートを発見出来ない事案が100%の確率で発生する。設置された目印や機器は何れもロストしている。筑波Ⅲ峰内の地形は時間経過で変化すると予想される。
- 筑波Ⅲ峰内ではSCP-3833-JP極高所異常性が大幅に軽減される。
地形が時間経過で変化し、外部から登山隊を確認できない場合、登山隊が遭難するのは確実であり、踏破は困難を極めます。これら情報が共有されて以降、筑波Ⅲ峰の踏破を計画していた正常性維持機関は方針を転換し、慎重な姿勢を露にしています。
付録: 蒐集院から奪取した情報群から、筑波Ⅲ峰に関すると予想される文書が発見されました。該当する文書は巷説覚書帳目録群より発見されたものであり、巷説覚書帳目録は蒐集院が日本各地で獲得した巷説を総集したものです。多くの場合、噂話/都市伝説レベルの巷説が総集されており、蒐集院による研儀/確認が行われていません。当該資料の資料価値は現在鑑定中です。
筑波深山巷説覚書帳目録 第三四四八号
筑波深山 (ツクバミヤマ又はツクバシンザン)は、筑波山に出入りしている修験者達の間で存在が噂されている山岳。平素を閉ざされた幽世にある試練の山であるとされ、有望な修験者のみが御幸ケ原より立ち入ることが出来るとされている。命懸けの試練の末に山頂に辿りついた修験者は神仏より悟りを授けられ、森羅万象を理解できる。
海簾という禅僧が実際に筑波深山を踏破し、悟りを得たとされている。悟りを得た海簾は特異な法力を操ることができ、旱魃の地に植物を繁茂させ、人の心を読み、宙を歩いたと記録されている。
海簾は人間道の苦悩と矛盾を悟ることで俗世に嫌気が差し、当ての無い旅に出たとされているため、事実確認は出来ていない。海簾以外に筑波深山を踏破したという人物は存在しておらず、情報の追跡は困難。
一○○八年 原 如水
補遺3: 第2次調査登山隊
財団を含める大多数の正常性維持機関は筑波Ⅲ峰の調査に慎重な意思決定を行っていましたが、恋昏崎新聞社の報道によって日本国内の世論が過激化しており、これに影響される形で筑波Ⅲ峰の踏破を計画する正常性維持機関が出現し始めました。この報道は20世紀終盤に日本国内で流行していた終末論"ノストラダムスの大予言"やイベント・ペルセポネとSCP-3833-JP異常性を関連付けて発信されたものであり、日本国民の不安を無責任に煽るものでした。事態の収拾に苦戦する正常性維持機関の存在価値を疑問視する世論が集団ヒステリー的に伝播し、日本各国で過激な反正常性維持機関デモが展開され、このデモに影響する形でSCP-3833-JP異常性の解決へより前向きに取り組む正常性維持機関が現れ始めた背景があります。調査を強行する正常性維持機関が存在する以上、財団によるパラソーシャル内でのイニシアチブを確保するため、財団は調査に参加せざるを得ませんでした。
筑波Ⅲ峰への調査は、筑波Ⅲ峰の頂上踏破が目的に設定されました。これは蒐集院巷説覚書帳目録にて示唆された情報を頼りに設定された目標です。頂上に異常性の根源が存在する保証はありませんが、日本国民の集団ヒステリーを鎮静化させるための情報発信として、頂上踏破は効果的であると判断されました。筑波Ⅲ峰の頂上踏破はその登攀難易度を加味し、大人数を動員しての極地法の利用が提案されました。大量の物資と人員を用いて大規模キャンプを複数展開し、補給と安全を確保する狙いがあります。
財団を含める正常性維持機関による頂上踏破作戦に対して茨城県知事は難色を示し、作戦に対して妨害と評価される要求を行っています。以下は要求の一覧であり、この要求が達成されない場合は筑波山への入山を許可しないという通達がなされました。
- 登山隊の大多数が正常性維持機関職員であった場合、発見した情報を隠匿する可能性が高いため、登山隊内の正常性維持機関職員の割合は制限する。
- 登山隊の結成には茨城県の承認を要する。
- 登山隊に参加する正常性維持機関職員は、国連機関及び108評議会によって承認/推薦された人物のみを認める。
- 登山隊が大規模になった場合、正常性維持機関職員が身分を偽って紛れ込む可能性が高いため、ポーターやシェルパの随伴を認めない。
何れの要求も一方的かつ合理性に欠く要求であり、茨城県知事の偏った思想と恋昏崎新聞社による妨害工作が作用した要求だと評価できます。ポーターやシェルパを随伴させずに極地法を行うことは不可能であり、登山隊は自力での登攀を余儀なくされます。この要求は完全に不当であるとして各国の山岳会が抗議した結果、ポーターやシェルパに関する要求のみ譲歩がなされました。それでも登攀部隊と後方支援隊の連携は一部制限され、登攀部隊は自らルートをリアルタイムで開拓し、ほぼ自力で登攀を行うことが要求されました。
登山隊に参加できる正常性維持機関職員は実質的にGOC系の人物のみに制限されているため、財団に参加権はありません。そのため、第1次作戦でも活躍し、対外的には警察官であるエージェント・小野寺を登山隊に志願させ、登山隊に潜入します。また、ジェフ・フォート隊員の学生時代の友人であり、学生時代はフォート隊員と同じ山岳サークルに所属していた民間人医師"クリス・ミラー"を臨時職員として雇用し、登山隊に潜入させます。茨城県知事の暴走により、各団体は完全に委縮しており、登山隊の志願者がほとんど出現しなかったため、財団が手配した2名は両名とも無事に登山隊の登攀部隊に潜入しました。以下は登攀部隊の構成メンバーです。
登山ルート
概要: 筑波山神社参拝者有料駐車場より出発、宮脇駅からケーブルカー(筑波観光鉄道ケーブル)を利用し御幸ヶ原を目指す。御幸ヶ原に第1キャンプを設営、そのまま筑波Ⅲ峰へ侵入する。筑波Ⅲ峰からはルートが不定であるため、状況に合わせてルートを選択する。
装備

Ax-889 電磁投射砲。

パワードスーツ
極地訓練用ポータブル減圧室:
少ない資材で構成され、工具と3名の人員を確保できれば遠隔地でも設置できるポータブル減圧室。高度8,000 m以上の気圧環境を疑似的に再現できる。当該事象に於いて、異常領域内に侵入した瞬間から極高所環境に晒されるため、高度順応が不可能である。ポータブル減圧室を利用し、高度順応を試みる。
極地探査用標準登攀具:
最大グレードの極地探査用装備一式。探査中に異常性が変化し、環境が急変するの可能性を加味し、軽装備ではなく重装備の携行を選択した。内容は酸素ボンベ、テント、クッカー及び燃料、ヘッドライト、ランタン、雨具、防寒具、ピッケル、アイゼン、トレッキングポール、通信機器及びモバイルバッテリー、信号弾、アセタゾラミド、水、携帯食料。
Ax-889 電磁投射砲:
財団製の電磁カタパルト、筑波山神社参拝者有料駐車場に設置される。地形データをインプットした最新鋭コンピューターが弾道計算を自動で行うことで、精確な投射を実現している。登山隊の装備や第1キャンプ設営のための物資を御幸ヶ原に射出し、物資運搬のコストを軽減する。
パワードスーツ:
ツクバトニック大学の異常領域学者がフィールドワークで利用するパワードスーツ。電動アクチュエーターによって外骨格が稼働し、着用者の運動を補助する。異常工学を用いた動力源が採用されており、充電無しで約半年間に渡って稼働させることができる。異常工学の詳細は明らかにされておらず、分解等を行わないことを条件にツクバトニック大学から貸与された。
1999年2月15日午前6時32分に第2次登山隊は作戦を開始しました。財団は小野寺/ミラーが帰還した際に獲得できる情報資料に期待していましたが、筑波Ⅲ峰領域内で異常な事案が発生し、情報資料の獲得に失敗しました。筑波Ⅲ峰で発生した異常事案について詳細な情報を入手できた正常性維持機関は存在しませんが、小野寺が直前に財団と行った無線通信の内容と、広末が財団に共有した情報資料によって、財団は断片的な情報を獲得しています。
広末が財団に共有した情報資料は、広末が新聞執筆のために書き留めた覚書です。財団に対し敵愾心を明らかにしている広末が財団に情報を提供した理由について、広末は「気まぐれ」であると説明しています。詳細は補遺4を参照してください。
補遺4: 情報資料群
以下は第2次登山隊で財団が獲得した情報群です。
広末 孝行情報資料①
作戦開始
1999年2月15日午前6時32分、筑波山神社参拝者有料駐車場を出発。減圧室での順応の時点でやや体調が悪いが、問題は無い。
問題はもっと根本的な所に存在していた。小野寺とかいう警察官だが、あれは財団職員だ。名前だけではピンと来なかったが、顔を見て気付いた。2年前に公共機関に潜伏している財団職員を調べている最中に見つけたやつで間違いない。やれやれ、こういう所が目に余るから登山隊からハブにされるのだ。自身の目的のために平然と人を欺こうとする連中をどうして信用できるだろうか? ヴェールが崩壊した今でもこの姿勢を是正できないならば、財団は今までの地位を維持できないだろう。
しかし、ポジティブに考えれば、この危険な登山に心強い味方が出来たとも考えることができる。知事に正常性維持機関の人間の出入りは制限したほうが良いとは言ったものの、まさか登攀部隊に1名のみというのは流石に不安だった。山岳救助隊で活躍している財団職員が潜伏しているというのは、悪くない誤算だ。財団の人間は信用できないし、平時であれば間違いなく協力などしないだろうが、ここは一旦フラットに接していこうと思う。
広末 孝行情報資料②
御幸ヶ原

筑波Ⅲ峰入口。
御幸ヶ原まではケーブルカーで楽ができた。だが、ただ座っているだけでも脳が割れるような頭痛が襲ってくる。これが筑波山に発生している異常という訳か、凄まじい痛みだ。
私の様子を見てだろうか、長谷島君が気が紛れるように声を掛けてきた。長谷島君はアルプス三大北壁の単独踏破を日本人としては初めて達成した天才クライマーだ。それでいて普段は登山学校の運営をしながら山岳ガイドをやっている。私より断然若いのに大したものだ。恐らく山岳ガイドの職業柄、顔色悪い人間を放っておけないかったのだろう。
この間、小野寺は外国人組と何やら英語で談笑してた。ケーブルカー内は温和な雰囲気だった。どうやら体調が悪いのは私だけらしい……。
御幸ヶ原に到着し、すぐに筑波Ⅲ峰が目に入る。凄まじい高さの山、こんな山は日本には存在しない。他のメンバーも筑波Ⅲ峰の圧倒的な威圧感に驚いているようだった。私は過去に何度も御幸ヶ原を訪れているが、ここまで瘴気を感じる御幸ヶ原は初めてだった。
まだ午前7時ちょいだが、今日は御幸ヶ原に第1キャンプを設営し、情報収集を行う。ミラー医師の指示により、私は情報収集には参加せず、休息をとることになった。夕方に一度ミーティングを行い、明日の作戦会議を行う。
広末 孝行情報資料③
食い捨てられた果実
皆が情報収集しているにも関わらず、初日から休憩しかしていないのを負い目に感じたため、周囲をブラブラしていた所、茂みから乱暴に齧り尽くされた果実の残骸を見つけた。林檎や梨だろうか?
果実はまだ瑞々しさを残しており、最近捨てられたことが分かる。現在、筑波山に野生動物は存在していないことから登山隊の誰かの物ということになる。山にポイ捨てするのも信じられないが、この作戦におやつを持ち込んでいるやつが居るのも驚きだ
広末 孝行情報資料④
ミーティング
私は昼間見た果実の残骸を引き合いに持ち物検査を呼びかけた。登山隊の中に緊張感を欠いた人物がいるなら指摘した方が良いと思ったからだ。
持ち物検査の最中、小野寺の装備の中から拳銃が出てきた。財団が拳銃を隊に持ち込んでいるという事実、私は「どういうつもりか」と小野寺に詰め寄ったが、長谷島君に「山岳警備隊は皆持ってますよ」と仲裁されてしまった。
そんな我々のやり取りを見てダイアー教授がクスクスと笑い始めた。ダイアー教授はそのまま自分のバックパックを開き、内容物を取り出す。マシンピストル、爆弾、火炎放射器、毒物、名前は分からないがなんだかヤバそうな何か。私は思わず驚嘆し、ダイアー教授に詰め寄るが、ダイアー教授はヘラヘラ笑って相手にしようともしない。小野寺もゲラゲラと笑っている。正常性維持機関の良くない所が出ていた。
小野寺が私に、「広末さん写真写真、帰ったらこの人逮捕だから証拠撮らないと」と冗談っぽく笑いかけると、私と長谷島君も笑い始めてしまい、持ち物検査の場は有耶無耶になって終了してしまった。結果的に果実を捨てた人物もわからず仕舞いだ。
ミラー医師だけは目を丸くして固まっていた。正しい一般人の反応はこれだと思う。凶器を持ち込んだ2人をもっと強く糾弾するべきだった気がしてきた。
音声交信記録①
第2次登山隊交信記録 #1
1999/02/15
付記: 小野寺が行った財団諜報部への報告記録。
<再生>
小野寺: ビーコンを起動。
財団オペレーター: ビーコン受信。座標、36度13分34.26秒、140度6分3.40秒。標高797 m。御幸ヶ原と一致。状況を報告願います。
小野寺: 進捗に異常なし。広末隊員に体調不良の傾向が見られるが、夜までに復調。広末隊員の提案で持ち物チェックが行われ、拳銃の携帯を見られたが特に支障ない。
財団オペレーター: 了解。ミラー臨時職員の様子を報告願います。
小野寺: やや緊張している様子だが特別不自然な挙動はない。私の正体が広末に露見しているという所感を持っているようで、私に注意を促してきた。私には実感がなかったがミラー先生は他のメンバーを注意深く観察しているのかもしれない。
財団オペレーター: 了解。その他なければ交信を終了します。
小野寺: ダイアー先生について照会願いたい。明らかに過剰な量の凶器を持ち込んでいるようだ。何か情報や事前通達はあったか?
財団オペレーター: 情報資料を照会します……。確認できました。ダイアー教授が異常領域調査の行う際は大量の凶器の持ち込みが度々確認されているようです。それが原因で山岳信仰の司祭らとトラブルになったという記録もあります。
小野寺: あれが通常運転って訳ね……。了解。それともう1つ、ダイアー先生が見慣れない機材を持ち込んでいる。トリガーの付いたミキサーのような……、言語化が難しいな。側面に「R・M・D」のアルファベットが刻まれていた。この機材はなんだ?
財団オペレーター: 照会中です。……該当する情報はありませんでしたが、ツクバトニック大学で研究されている記憶処理薬の合成機材かもしれません。財団の記憶処理薬を模倣する目的が研究が進められていたらしく、諜報部の情報では治験の段階を突破しているらしいです。毒性が強く、財団技術部は服用者に記憶障害が残る可能性を指摘しています。
小野寺: そんな物を俺たちに使うつもりなのか。油断も隙もないな。
財団オペレーター: 機材の持ち込みは、記憶処理薬をそのまま持ち込んで顰蹙を買う可能性に留意したものだと思われます。……研究チームが行った実験記録が照会できました。麦にツクバトニック大学製記憶処理薬を散布した結果、収穫された麦からも記憶処理薬の有効成分が検出されています。残存性も強烈なようですね。余裕があれば脅威の排除を行ってください。
小野寺: 了解。
財団オペレーター: 恐らく神経毒系の毒物を持ち込んでいるはずです。それは記憶処理薬の材料として持ち込んでいると思われますので、そちらを廃棄する方法でも良いと思います。
小野寺: 了解。こちらからは以上です。
財団オペレーター: 了解。交信を終了します。
<終了>
広末 孝行情報資料⑤
筑波Ⅲ峰へ
翌朝、夢見の悪さで目が覚めた。相変わらず頭痛は酷いが、眠れただけマシかもしれない。時刻はまだ起きるには早かったが、私はテントから出ることにした。
外に出ると小野寺が私より早く起床していた。おかげで小野寺とコミュニケーションをとる機会を得ることができた。財団職員である小野寺は当然警戒の対象だ。人当たりの良い男ではあるが、その振る舞いすら諜報活動の一環だと考えるべきだ。だからこそ言葉を交わし、相手の考え方を探るべきであろう。
小野寺との会話には1点特筆すべき発言があった。小野寺は昨晩夢を見たらしい。小野寺は崖に立っていて、反対側の崖から謎の2人組が叫んでくる。2人組は貫禄ある雰囲気の男性と小太りの女性だ。2人は終始「引き返せ」と呼びかけてくる。そんな夢だったらしい。
それは私が見た夢とまったく同じ夢だった。奇妙な一致、これが偶然だとは考えにくい。筑波Ⅲ峰には、やはり何があるのかもしれない。筑波Ⅲ峰へのアタックはこの後すぐだ。緊張感をもって取り組む必要があるだろう。
極地法で登攀する場合、本命となる登攀部隊の体力を温存するために後方支援を司る部隊が先行するのが一般的だ。しかし、今回は後方部隊に紛れ込んだ正常性維持機関職員が発見を隠匿する可能性があるため、我々登攀部隊が先行する。これは私が提案したルールだ。私が登攀部隊の負担になる訳にはいかない。
広末 孝行情報資料⑥
内部環境
筑波Ⅲ峰内に入ってから私の体調は回復しつつある。筑波山全域で感じた極高所のような環境は改善しつつあり、徐々に快適さを感じつつある。先ほどまであった息苦しさはまったく感じず、森林浴のような清々しさがある。
地形に関してもかなり良好だ。拍子抜けと言っても良い。高低差のある岩場もあるが、調度良く階段状に突き出した岩が存在していたり、手すりにちょうどいい木々の根が垂れていたりする箇所ばかりであり、スイスイと進んでいける。多少難しい岩場も長谷島君が先行して最適なルートを作ってくれるため比較的容易に踏破できた。
木々の間隔が広く、森林地帯特有の視界の悪さはあまり感じない。木と木の間からは筑波Ⅲ峰の峰を確認することができ、報告感覚を失っての遭難はまず発生しないだろう。日差しが入っており、冬場でも多少暖かさを感じる。
なによりダイアー教授の持ち込んだパワードスーツが素晴らしい。身体への負担が明らかに違う。体力に余裕を感じる。体感ではあるが、登攀のペースも上々だ。
広末 孝行情報資料⑦
雑談
皆も余裕が出てきたのか、私も含めて隊員たちが雑談に興じ始めた。それこそ登山隊の雰囲気は筑波山にきた一団のようだ。
一応隊内の公用語は英語ということになっているのだが、日本人が5人中3人もいることを慮ってか、外国人2名も日本語で会話に参加してくれた(私と長谷島君の英語がイマイチだからかもしれないが・・・)
長谷島君はダイアー教授の話に興味を示していた。ダイアー教授は禁足地となっている山で活動したこともある。登山家たちが登りたくても登れない、神々の山嶺での活動経験というのは登山家の長谷島君にとっては羨ましくて仕方がないもののようだ。というよりこの女傑の話は耳を疑うような体験談ばかりだ。この人にルポ記事の執筆協力を頼んでみたいものだ。
意外だったのはミラー医師の日本語だ。とても流暢で語彙力に溢れた日本語を操っていて驚いた。そんなに話せるなら顔合わせの段階で日本語を使ってくれても良かったのに……と思うぐらいには達者な日本語だった。ミラー医師も趣味が登山らしく、長谷島君とも話があうようだ。
一方、私と小野寺は少々ギクシャクした会話をしていた。私が警戒していたのが原因だ。しかし、話題が来年の大河の話になると一変、私たちは2人は随分と盛り上がってしまった。西田敏行の徳川秀忠に期待せざるを得ない。
広末 孝行情報資料⑧
甘い茶
かなり標高が上がってきた。気が付けば周りの木々が疎らになっている。
ペースも好調、好調すぎて後方部隊を置き去りにしてしまう懸念があったため、少々長めの休憩をとることにした。嬉しいことにミラー医師が温かいお茶を淹れてくれた。
味はとても甘く。正直私の口には合わなかった。タイ旅行で飲んだお茶の味を思い出す。長谷島君にも茶は振る舞われたが、長谷島君の表情は暗く、茶が私以外の人間の口にも合わなかったようだ。
外国人好みの味なのかと思ったらダイアー教授も味について不満を漏らしていた。小野寺は狡猾にも我々のリアクションを確認し、茶を断っていた。
味はどうであれ、身体が暖まる飲み物がありがたかったのは間違いない。私は小野寺に淹れられた茶を貰い受けると、そちらも飲みほした。
しっかし甘かったな…..。
広末 孝行情報資料⑨
落石
登攀中、上の方から毬ほどの大きさの石が転がってきた。この石は不幸にもダイアー教授のパワードスーツ膝部分に直撃してしまった。凄まじい衝撃だったのか、パワードスーツは破壊されてしまい、ダイアー教授自身も足に痛みを訴えている。ミラー医師曰く、幸い骨折はしていないようだが、休んだ方が良いとのことだった。
筑波Ⅲ峰に入ってから野生動物は見ていない。そして我々が先行している関係上、上には誰もいないはずだ。ではこの落石は一体どういうことなのだろうか。勿論、落石が起きやすい環境がこの先にあるのかもしれないが、どうにも違和感を感じざる得ない落石だ。
私たちはダイアー教授を休ませるため近場でキャンプ地を探した。するとどうだろうか、丁度良く風よけになる岩がある平らな場所を見つけた。こんなおあつらえ向きな地形がアッサリ見つかるとは運が良すぎる。……妙な違和感だ。
広末 孝行情報資料⑩
ウィルマ・ダイアー
夜、ダイアー教授の怪我を受けての今後を決めるミーティングが行われた。
ダイアー教授は作戦への続投を表明したが、ミラー医師はこれを諌め、キャンプで待機を勧めた。それでもダイアー教授は改めて作戦への続投を表明したことで押し問答になってしまった。
そこに小野寺が割って入り、「ダイアー教授が隊から外れてしまうということは隊から正常性維持機関職員が居なくなるということになる。専門家不在での探査は危険だし成果を十分に得られないだろうから、全員で下山するべきでは」と提案した。これを財団職員の立場から言っているのだからタヌキだ。
ミラー医師は下山というワードを聞き、微妙な反応をした。どうやら下山には反対なようだ。ミラー医師は小野寺に何か反論したようだがうまく言葉にならないらしくまごまごしている。
随分と変な反応だ。隊員の怪我を慮って大事を取ろうという慎重な考えはあるのに、専門家無しで調査を進めても意味がないという意見には同意できず、民間人にしては調査へのモチベーションが妙にに高い。もしかしてミラー医師もどこかの超常組織の一員なのか? 財団職員の小野寺と意見を反目させているということは財団ではないのかもしれないが、ちょっと怪しい人物なのかもしれない。
結局、ダイアー教授は作戦に続投することになった。パワードスーツは体にフィットさせて装備させる関係上、他者のパワードスーツを融通するのは難しい。足を怪我したならば猶更パワードスーツに頼りたいが、そうにもいかないようだ。なのでダイアー教授の荷物を小野寺や長谷島君が分担することで補助し、登攀ペースも少し落としながら進むことになった。現在の正確な標高は分からないが、進捗に十分すぎるほど余裕があるのは間違いない。ゆっくり進んでも問題ないのだ。
ダイアー教授のパワードスーツと謎の凶器群は廃棄していくことになった。廃棄は警察官(ということになっている)の小野寺が行い、下山時の目印に利用する。まったく、火炎放射器だの毒だの爆弾だの、とんだ荷物だったな。
音声交信記録②
第2次登山隊交信記録 #2
1999/02/16
付記: 小野寺が行った財団諜報部への報告記録。
<再生>
小野寺: ビーコンを起動した。
財団オペレーター: ビーコン受信。座標、36度16分16.61秒 140度6分6.39秒。標高、3,210 m。座標だけで言えば筑波山領域を脱出しています。登攀速度は予測を大幅に上回っているようです。状況を報告を願います。
小野寺: 筑波Ⅲ峰内の環境は報告通り快適そのものだ。地形も簡単な地形が続いていて登攀難易度はかなり低い上、進むにつれてドンドン難易度が下がっていっているような所感がある。あと、ツクバトニック大学製のパワードスーツの威力が凄まじい。時間が許すならまだ登っていられるほど体力に余裕がある。だが、不明な落石が原因でダイアー先生のパワードスーツが破損、ダイアー先生も負傷してしまった。
財団オペレーター: 落石ですか。登攀部隊が先行しているはずですよね。野生生物がいるのでしょうか?
小野寺: いや、落石を検めたが、石の下半分に多量の土が付着している。これは半分埋まっていた石が掘り起こされたものだと言えるはずだ。
財団オペレーター 登山隊以外の何者かが攻撃目的で投石を行った可能性があるのですね。対応を協議します。ダイアー教授の具合はいかがですか?
小野寺: パワードスーツが防具になったようで軽傷だ。本人も登攀の継続を表明している。それと、これに乗じてダイアー先生から荷物を取り上げることに成功している。
財団オぺレーター: 了解。協議の結果をお知らせします。作戦を続行し、登山隊以外の存在を確認した場合は下山を検討してください。また、ダイアー教授の持ち込んだ荷物ですが、処分を小野寺隊員に一任します。
小野寺: 了解。
財団オペレーター: その他無ければ交信を終了します。
小野寺: 2件照会を願いたい。
財団オペレーター: 1件ずつお伺いします。
小野寺: 1つ目、ミラー先生に日本国への渡航経験や日本語の長期的な学習経験は存在するか? 単純比較ができるものではないが、ダイアー先生に比べて日本語の能力が高すぎると思う。
財団オペレーター: 照会します。……1980年から1年半の間、日本国に滞在しています。この滞在に伴って日本語の語学講習を受講していますね。また、実家がホームステイの受け入れを行っていて、高校生時代に大阪府出身の日本人留学生と同居の経験があるようです。
小野寺: なら、あり得るのか。うーむ。了解。
財団オペレーター: 2件目をお伺いします。
小野寺: SCP-3833-JP異常性発覚から昨日までの間の、長谷島隊員の行動履歴を教えてほしい。今日のキャンプ地は長谷島隊員が発見したのだが、ダイアー先生が怪我してから数分で最適なキャンプ地が見つかったことに違和感を感じている。予め発見していた場所で、既に筑波Ⅲ峰に前入りしていたりはしないか?
財団オペレーター: 諜報員の追跡記録を照会します。特に注目すべき報告はありません。経営している登山スクールの臨時休業の資料を作成していたぐらいで、あとは自宅を一切でていません。そもそも筑波Ⅲ峰の地形は変化するのですから前入りしていても無駄なのでは?
小野寺: ただの偶然か。了解。以上だ。
財団オペレーター: 了解。交信を終了します。
<終了>
広末 孝行情報資料⑪
千里眼?

霧が濃い。
翌朝、標高が上がってきて肌寒さを感じるようになってきた。今日は少々霧が立っており、あまり清々しい朝とは言えない。寒さを訴える私を慮ってか、朝食にミラー医師がまた茶を淹れてくれた。凄くありがたい。味には目を瞑り頂くことにした。
朝食を手短に済ませ、我々は登攀を再開した。なんだか妙な感覚がする。この先にどんな地形が広がっているのか、この天気がどのように移ろうのか、全て知っているような気がする。これは既視感やデジャブと言ったものではなく、それら情報を知識として所持している感覚に近い。
とても不気味な感覚だ。山頂までの安全で簡単なルートを私は知っている。なんで知っているんだ。わからない。なにかの異常性を受けたのだろうか? そうだ。私は何かの異常性を受けている。自分が異常性の影響下にいることすら知っている。それは筑波山に発生した異常性と間接的に関連しているが、筑波山の異常性と直接的には関係ない。ではこの異常の正体はなんなのか、今は分からないが、そのうち必ず分かるはずだ。
広末 孝行情報資料⑫
星と嵐
ダイアー教授の足を慮り、早めの休憩を取った。私も考えを整理したいから時間が欲しいと思っていたところだ。
長谷島君と小野寺が何やら雑談に興じている。私は相談が出来ないかと思い、話題に加わった。話題は長谷島君のアルプス三大北壁単独踏破の偉業に関してだった。長谷島君はエベレスト登山で仲間に見捨てられかけたことがトラウマになり、単独での偉業達成に力をいれていたらしい。アルプス三大北壁冬季単独踏破本当に素晴らしい記録だ。そう思った私はこのような感想を口走った。
「その話、まるで長谷川 恒夫じゃないか。本当にすごいな」
2人は「?」と言った顔を浮かべている。小野寺が「長谷川恒夫って誰ですか?」というと長谷島君も「誰です?」と返してきた。登山家なのに長谷川恒夫を知らないなんて本当か? 長谷川恒夫は世界で初めてアルプス三大北壁を単独踏破した天才クライマーだ。第2次JCCヒマラヤ遠征隊で登攀隊の捨て石にされそうになり、そこから集団での登山を避けて単独での偉業挑戦を始めるようになって…..
世界で初めてアルプス三大北壁を冬季単独踏破した? じゃあ長谷島君は日本人初ではないじゃないか。 いや、おかしい。長谷川恒夫って誰だ? いや、でも、確かに長谷川恒夫に関する知識を私は持ちあわせている。架空の人物なんかじゃない。91年にウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれて死んだんだ。でも、そんな人いるはずがない。確かに日本人のアルプス三大北壁単独踏破は長谷島君が最初のはずだ。
これも朝から感じている異常な知識か? 私はこの感覚を2人に相談してみることにした。小野寺は怪訝な表情を浮かべたが、長谷島君はなにか思い当たる節はあるのか、考え込むような様子で黙り込んだ。
休憩中、2人から意見を聞くことは出来なかった。この後すぐに聞くことができるだろ。
広末 孝行情報資料⑬
樹高千丈
休憩が終わり、霧の中を進む。
かなりの標高のはずなのに木々が立ち並んでいる上、高地の特有の酸素の薄さも感じない。筑波Ⅲ峰に入った時は森林浴がどうだの喜んでいたが、ここまできてこの様子は不気味で仕方がない。
休憩地点を出発して程なくして長谷島君が話しかけてきた。どうやら、長谷島君にも不審な知識がいつの間にか備わっていたらしい。
長谷島君曰く、東弊重工の浜松工場で働いている長谷島君と私が社員旅行で知り合うというエピソードを知識として保有しているらしい。これは世界線の違いや平行宇宙の知識ということなのだろうか? 長谷島君の口ぶりでは第2次登山隊で知り合う(或いは筑波山に異常が発生する)世界線は何らかの特異点を受けて枝分かれした世界線のようだ。
流石に話がぶっ飛んでおり、私は長谷島君が高度障害を発症して譫言を言い始めたのかと疑ったが、民間人であるはずの長谷島君が知りえるはずもない東弊の浜松の話が出てきており、簡単には捨て置けない。異常性によって得られる知識は、想像しているより高次元なものであるのかもしれない。
長谷島君は更に続けた。ここから更に長谷島君の話は飛躍していく。
本来、長谷島君は私の手引きで恋昏崎新聞社の記者になる人物らしい。しかし、特異点になりうる異常な出来事が起因となって世界線は分岐することがあるらしく、今回のように特殊な経歴を持つ長谷島君が存在しているようだ。
本来の長谷島君は長谷川恒夫のファンであったが、長谷川恒夫が不条理な死を迎えたことで両親に登山を禁止され、登山家になる夢を諦めた後に紆余曲折あって東弊に入社する。しかし、この世界線では何らかの特異点によって世界線が分岐し、そもそも長谷川恒夫がアルプス三大北壁の冬季単独登頂を成し遂げていない世界線となっていたようだ。そのため、登山を禁止されぬまま登山家として大成した長谷島君が存在している訳だ。
特異点と言われると、どうしても去年に起きたポーランドでの事件を想起してしまう。あの日から明らかに世界が変わった。あの事件はきっと世界の特異点なのだろうと思う。しかし、長谷島君のターニングポイントは98年より前の出来事であるわけだから、長谷島君の特異点に去年の事件は関連性が薄いように感じる。ならば、特異点は1つではなく、様々な出来事が今この時も世界を分岐させているのかもしれない。まさに樹高千丈、巨大な樹から延びる枝が多様な方向に分岐していくように、世界は枝分かれしていくのかもしれない。
こんな知識、普通なら得られるはずがない。どういう次元の知識なのだろうか。平行世界やパラレルワールドに関する知識をここまで詳細に得られるというのはどういうことなのか。この知識の起源はどこなのだろうか。
広末 孝行情報資料⑭
蔓延する千里眼
夕方、今日のキャンプ地が決まり、休息の時間が訪れた。
私と長谷路君以外にも、ミラー医師やダイアー教授も異常な知識を得ているようだ。ダイアー教授曰く、我々は明日の午前11時24分に山頂に到着するらしい。本人もなぜそんなことが分かるのか理解できないらしく、ダイアー教授は酷く混乱しているようだった。ダイアー教授は自身に起きている現象について分析を続けており、あまり口を開かなくなった。
ミラー医師も明日山頂に到達することを知っているらしく、「無事に山頂に到達できそうで良かった」などと話している。私は「山頂に何か目ぼしいものがあれば話が早いんだが」と返したが、ミラー医師は冷静であり「どうであれ、私の仕事は皆さんを怪我無いよう補助することです」と肩透かしを食らわしてきた。まぁ確かに山頂に何があるかというのはダイアー教授や小野寺に任せるべきことだ。
その小野寺だが、長谷島君に何やら聞き取りをしている。小野寺自身は異常性を受けていないようだが、登攀隊に異変が訪れていることには勘付いており、情報収集を行っているようだ。私としてもこの知識の起源が何処にあるのか気になるところではあるが、向こうが身分を偽っている限り情報を共有する義理もない。もしかしたら明日、小野寺が自身の正体を明かしたり、下山を提案してくるかもしれない。その時は多少協力しても良いかもしれない。
音声交信記録③
第2次登山隊交信記録 #3
1999/02/17
付記:
<再生>
小野寺: ビーコン起動。
財団オペレーター: ビーコン受信。座標、36度17分37.37秒 140度7分2.57秒。標高、4,987 m。座標は桜川市の農地を指しています。状況を報告願います。
小野寺: 異常発生だ。登攀隊内でのみ発生している現象だが、私以外の全員の挙動に変だ。長谷島隊員に聞き取りを行ったが、どうやら起源不明の記憶と知識を獲得していて、それについて考え込んでいたようだ。
財団オペレーター: 精神影響異常性でしょうか。異常性の発現原因は特定できますか?
小野寺: わからない。恐らくは他の隊員も同様の現象が発生していると思われる。聞き取りが進めば確認できるかもしれない。皆考え事をしている辺り、獲得した知識を整理している部分もありそうだ。
財団オペレーター: 了解。異常性の起源特定に努めてください。ただし、精神影響性が悪化するようであれば下山してください。精神影響が原因で下山を拒否する場合は拘束し、後方部隊と合流して待機してください。要請に応じて応援部隊を派遣します。
小野寺: 了解。
財団オペレーター: その他無ければ交信を終了します。
小野寺: 了解、交信を終了。
<終了>
広末 孝行情報資料⑮
ユグドラシル・ピーク

既視感。
昨日から天気が回復し、清々しい朝だ。例によって小野寺が誰よりも先に起きていたが、身分を明かす様子や下山を提案する様子もない。恐らく登攀を継続するのだろう。
キャンプからは雲海からの日の出が見えた。雲海の存在からかなりの標高まで来ているのを実感する。美しい景色だ。
日の出の景色を見ていると、異常な知識が疼く。こんな景色をどこかで見た気がする。はて、どこで見た景色だったか、それを思い出そうとした時、私の中に宿っていた異常な記憶が呼応し、更なる記憶が私に宿りついた。
古代の地球には『ユグドラシル煌族』という地球外文明から飛来した支配種が存在していた。ユグドラシル煌族は異常な植物を操ることで文明を興しており、彼らは地球にユグドラシルと呼ばれる神樹を植え、その神樹の頂上にユグドラシル・ピークと呼称されるコロニーを築いていた。ちょうど、そのコロニーからは今朝見たような朝日が見えたのだ。
彼らの母星は崩壊しており、星の修繕に使用する黄金を集めるために地球に飛来した。彼らは古代の人類種を家畜または奴隷とし、黄金の採掘を代行させていたのだが、この人類種や人類種に共感した動物らが反乱を起こし、ユグドラシル煌族に戦いを挑んだ。戦況はユグドラシル煌族が圧倒していたが、ユグドラシル煌族の僕であるはずの植物たちの多くがユグドラシル煌族を裏切ったことで戦況が逆転し、ついにユグドラシル煌族は敗北してしまった。
ユグドラシル煌族を初めに裏切ったのは葦だったとされている。ユグドラシル煌族によってバベルの塔が破壊されたことで言語的な統制を失った人類種を手引きし、自らの茎を利用した楔形文字を授けることで人類種同士にコミュニケーション手段を与えたとされている。葦が人類種を匿った地が日本列島であり、葦原中国の語源である。そのためか、戦後にユグドラシル煌族が残した危険な植物は日本列島に持ち替えられ、日本各地に封印された。筑波山もその封印場所の1つだった訳だ。
なんだこの知識は。まるでファンタジー小説の設定のようだ。しかし、朝日を見ていると激情が湧き上がり、この知識が作り話では無い気がしてくる。
広末 孝行情報資料⑯
フレイスヴニルの樹
ユグドラシル煌族の神樹の中に「フレイスヴニルの樹」と呼ばれる樹があった。この神樹は根で取り込んだ生物の知識を溜め込み、果実として排出する。果実を食した者は神樹が宿していた知識を得ることが出来るのだ。老いたユグドラシル煌族の1固体は「回帰」と呼ばれる実質的な自殺を選び、自らの知識を神樹に預け、次代のユグドラシル煌族に使命を託す。フレイスヴニルの樹から得られる知識は神の知識であり、森羅万象を知ることができ、時空間異常や平行宇宙についても理解することが出来る、
ある日、フレイスヴニルの果実を奴隷人類種の番いが口にしてしまう事件が起きた。大した知性も持っていなかった2人はその身に過ぎたる知識を得たことでユグドラシル煌族に疑問を持つようになった。ユグドラシル煌族は2人を殺処分しようとしたが叶わず、取り逃がしてしまった。この時ユグドラシル・ピークから掠め取られた知識は、ユグドラシル煌族を倒す戦いに役立てられた。
またも飛躍した知識だが、「この不審な知識の起源は何なのか」と考えていた際に辿りついた知識だ。つまり、我々が得た知識は古代文明を起源とする知識ということなのか? だとしたら大変興味深いが果たして……
広末 孝行情報資料⑰
太古より伸びる影
聖書曰く、アダムとイヴは当初知性に乏しく、善悪と知恵の実を口にしたことで知性を得た。知性を得たアダムらは自らが裸であることを恥じたとされている。ここで疑問なのだが、果実を口にする以前と以後のアダムらは其々同一人格と呼べるのだろうか? 果実を口にした際にアダムらの思考や人格は変化している訳だが、変化の原因は外付けされた知性であり、当人の思考に連続性は無い。無邪気なアダムとイヴの人格は果実の摂食に伴い消滅し、上書きされてしまったことになる。
では我々はどうだろうか? 我々も今まさに起源不明な知識の到来に困惑している最中だ。我々はこの知識の到来をもっと恐れるべきかもしれない。
ユグドラシル煌族との戦いに勝った人類は、ユグドラシル煌族を根絶やしにするべく、ユグドラシルに火を放った。ユグドラシルの頂上に追い詰められ、下等種に滅ぼされる屈辱が敗残したユグドラシル煌族たちを包む中、1体のユグドラシル煌族がかつてユグドラシル・ピークで発生した事件を思い出した。
人類種がフレイスヴニルの果実を食し、知性を手に入れたという事件。この事件の記憶は、ユグドラシル煌族たちを1つの謀略に導いた。全員が回帰し、フレイスヴニルの樹に全員を取り込ませる。そしていつの日か、その果実を食らった者、恐らくは憎き人類種へ知識を上書きし、人類種の身体を乗っ取ることでこの世に蘇るのだ。
我々が置かれている状況は、まさに乗っ取りの過程なのではないだろうか? でも、果実なんて食った覚えがないのに、なぜ異常性を受けているのだろう。寝ている私の口をこじ開けて腹に流し込んだりしたのか? いやいや、とっくの昔に滅亡して肉体を持たない古代人にそんなことが出来るはずがない。
いや、もしかしたら筑波Ⅲ峰に入る前から果実を食らい、やつらの信奉者に成り果てている者がいたとしたら……? そいつが何かを手引きしているかもしれない。その可能性に気付くのが遅すぎた。もう頂上は目の前だ。もう異常を指摘する時間も、逃げ出すことも出来ない。
きっとユグドラシル煌族は今も機会を待ち続けているのだ。筑波山の封印を踏み越え、まんまと果実に辿り着く人類を。きっとこの先、頂上にて。
広末 孝行情報資料⑱
古代樹
午前11時24分、頂上到着。
頂上には樹があった。丸い異質な形をした根からリンゴの樹が生えている。季節外れにもリンゴの果実は大量に成っている。山頂には、呪術的なものだろうか、見慣れない封印術のような紋章が地上絵として刻まれている。
後方部隊が到着し次第、ダイアー教授が見分を行う予定となっているが、ダイアー教授の様子がおかしい。
補遺5: 異常性消失
2月18日午前11時29分に、筑波山全員に発生していたSCP-3833-JP異常性が消失しました。また、小野寺 将希とクリス・ミラーを除く第2次登山隊の全員が御幸ヶ原に突如出現しました。ウィルマ・ダイアー教授が心神喪失であった点は特筆すべきです。広末 孝行と長谷島 祥吾は意識がありましたが衰弱しており、茨城県内の民間病院に搬送されました。ただし、この2名は程なくして恋昏崎に身柄が移されたため、情報の聞き取りが出来ていません。
後方部隊はほとんど情報を入手しておらず、頂上に到達した登攀隊が異常性消失に関する情報を入手していると思われましたが、情報を持ち帰った人物は恋昏崎に移動した2名のみであり、財団は情報を入手できずにいました。しかし、2月20日付で宛先が小野寺 将希となっている荷物がサイト-8101へ郵送され、補遺4で示された広末 孝行の覚書が内容物として財団に共有されました。差出人は広末 孝行であり、Gpエキスプレス社の伝票には連絡先が記載されていました。財団はこの連絡先を用いて広末 孝行への接触を図り、結果として長谷島 祥吾へのインタビューに成功しています。以下はインタビュー記録です。
インタビュー記録 恋昏崎新聞社#1
1999/02/20
付記: 財団が秘匿回線にて行った恋昏崎新聞社へのインタビュー記録。広末 孝行へのインタビューとして実行されましたが、実際に応答したのは長谷島 祥吾です。
<再生>
[中略]
インタビュアー: 広末さんはご不在ですか。
長谷島: いいえ、隣にいますよ。これは新人教育らしいです。
インタビュアー: 新人? 長谷島さんのことですか?
長谷島: ええ、今日からお世話になることになりました。
インタビュアー: それはまた急ですね。あんなに流行ってた登山学校、閉めちゃうんですか?
長谷島: いや、もう知ってしまったからには登山学校の経営なんてやってられないですよ。
インタビュアー: 知った? なにを。
長谷島: ええ。[数秒無言] 話していんですよね、広末さん。
[通話先で会話のような物音が聞こえる。解析に成功していない]
長谷島: 僕らは筑波Ⅲ峰登攀中に、全員がそれぞれが妙な異なる記憶を手に入れました。身に覚えがない記憶や知識、そういうのがドンドン流れ込んできたんです。いや、身に覚えが無いどころじゃないな。知りえるはずがないような知識、それこそ神しか知るはずがないような記憶を得たんです。
インタビュアー: 神しか知りえない知識、それは何なんでしょうか? その記憶が登山学校をやめる理由になっていると長谷島さんは言いました。
長谷島: ええ、平行宇宙の記憶です。私たちがいる世界線、エルマ外教に言わせればユニバース98とは異なるベースライン、ユニバース58での長谷島 祥吾の記憶です。私が本来なにを使命にするべきなのか、それを知ってしまいました。
インタビュアー: 平行宇宙? それはまたすごい話だな。いったい ───
長谷島: ははは、そんなことはどうでもいいんです。私たちが貴方方に伝えたいのはそんな、『気がふれた人間の妄言かもしれないような怪しい話』ではありません。第一、私が得た記憶よりダイアー教授や広末さんが得た記憶の方が面白いですよ。
インタビュアー: 十分、興味深いですけどね。お話いただきたいですよ。
長谷島: [失笑] 私たちが伝えたいのは、小野寺さんとミラー医師が何故帰ってこないのかです。広末さんの話では小野寺さんはあなた達の仲間らしいのですが、そうですよね?
インタビュアー: それは、[数秒無言] お答えかねます。
長谷島: ああ、仲間じゃないんですね。それなら話すことはないかもですね。私は彼へのせめてもの報いとして、彼が持ち帰るはずだった情報を伝えるべきだと思っていたのですが。ダイアー教授も、ああなってしまったら情報もなにもないでしょうし。
インタビュアー: いや、待ってください。彼は ───
長谷島: ああ、もう大丈夫です。少し意地悪しちゃいましたね。その反応で十分です。
[インタビュアーのため息]
長谷島: 大丈夫です。ちゃんとお話ししますよ。
<終了>
インタビュー記録 恋昏崎新聞社#2
1999/02/20
<再生>
長谷島: 我々は無事に山頂に辿り着いたんですが、山頂には樹がありました。ただ、その樹はタダの樹ではありませんでした。
インタビュアー: タダの樹ではない?
長谷島: ダイアー教授と広末さん曰く、ですがね。確かに妙な見た目の樹でしたが、私には『変な樹だな』以上の感情は湧きませんでした。2人は前述の記憶で、この樹が筑波Ⅲ峰の元凶だと分かったようですね。
インタビュアー: なるほど。
長谷島: 程なくして、ダイアー教授が樹を破壊しようとしました。地面にあった大きめの石を拾い、それを打ち付けてね。
インタビュアー: 到着してすぐにですか? その樹を破壊しなければいけないような記憶を得ていたんでしょうか。
長谷島: そのようですね。似たような記憶を得ていた広末さんも加勢するか悩んでいたみたいです。……ダイアー教授の行動を見て、ミラー医師が止めようと駆け寄りました。でも、普通に止めようとした訳ではありませんでした。
インタビュアー: 普通に止めようとした訳ではないって、なんでしょう、なにか暴力でも使ったんでしょうか。
長谷島: 暴力というのは近いですが、そんな優しいものではありませんね。ダイアー教授に延びるミラー医師腕、その袖から木の根のようなものが伸びていました。その根がダイアー教授に絡みついて、ダイアー教授を締め上げたんです。
インタビュアー: 木の根で締め上げた? ミラー医師から根が出ていたんですか?
長谷島: ええ。ミラー医師、化け物だったんですよ。
インタビュアー: え? いや、そんなはずは……。
長谷島: そしてミラー医師は上に向かって根を伸ばし、樹から果実をもぎ取りました。もぎ取られた果実はそのままダイアー教授の口に捻じ込まれていきました。2個、3個、4個と次々ね。
インタビュアー: えっと、それをずっと見ていたのですか?
長谷島: いや、助けようと思いましたよ。明らかにやばいことが起きてますからね。でも、私に宿った記憶がそれをさせませんでした。「動いてはいけない」そういう強迫観念に駆られたんです。私も広末さんも動けませんでした。
インタビュアー: 動けない。それほど強烈に作用する記憶なんですか。
長谷島: ええ、そうです。そして、ダイアー教授が無理やり食わされている果実を見て、記憶の出所を私は悟りました。
インタビュアー: 出所、あなたに宿った異常な記憶のですね。
長谷島: 私に宿っていた記憶から、その果実の味を思い出せたんです。それは、道中、ミラー教授が飲ませてくれた茶の味と一緒でした。あの不気味な甘みはあの果実の果汁だったんです。
インタビュアー: 確かに広末さんの覚書にも、甘いお茶に関する記述がありましたね。果実が記憶に影響を?
長谷島: 広末さん曰く、古代人が文明を乗っ取るために残した古代樹だったようですね。果実を食ったの人間は古代人たちの記憶や知識を得てしまう。ダイアー教授のように大量に食ってしまえば最後、流れ込む記憶の量は膨大であり、食した人間の記憶を上書きしてしまうようです。
インタビュアー: では、ミラー医師は貴方達に果実を食わせるために登山隊に参加したということですか。
長谷島: そうでしょうね。古代人達は異常な植物を自在に操れたらしいですから、恐らくはミラー医師もどこかで果実を食してしまい、古代人として覚醒してしまったのだと思います。そこで得た記憶で、袖から延びた根を操ったのでしょう。
インタビュアー: うーむ。ちなみにこの時、小野寺は何をしていたんでしょうか? あなたたちと一緒に動けずにいたのでしょうか?
長谷島: この時、小野寺さんはこの時離れた場所にいました。恐らくは山頂に到着したことをあなた達に報告しようとしていたんでしょう。騒ぎを聞きつけて駆け付けた小野寺さんは、ダイアー教授を助けるために迷わずにミラー医師へ発砲しました。小野寺さんはミラー医師の茶を飲んでいませんでした。動くことが出来たはずです。
インタビュアー: じゃあミラー医師が帰ってこないのは死亡したからってことですかね。
長谷島: いいえ、撃たれてもミラー医師は倒れませんでした。それどころか傷口から樹のようなものがドンドン生えてきて、それがミラー医師の身体を覆い始めたんです。小野寺さんは応戦を続けましたが、樹人間とのようになったミラー医師には効いているように見えませんでした。
インタビュアー: もう本当に化け物ですね。そんなのに襲われて、広末さんと長谷島さんは生きていましたね。
長谷島: 小野寺さんのおかげですよ。ミラー医師は根を操り、小野寺さんに反撃しようとしました。ですが、小野寺さんは火炎放射器で根を焼き払ったんです。あれはダイアー教授が怪我をした時に廃棄したはずの火炎放射器でした。怯んだミラー医師を小野寺さんは更に追撃しました。火達磨になったミラー医師はもがきまわるうちに山頂から転がり落ちていきました。
インタビュアー: 我らがエージェントながら、火炎放射器なんてよく捨てずに山頂まで持ち込んだものですね。
[通信先より小さな人の声。広末のものと思われる小さな声で「本当だよ」と聞こえる]
長谷島: 化け物を撃退した長谷島さんに、私は宿った記憶のせいで動くことを出来ないことを伝えると、瓶に入った薬品のようなものを差し出し、手で瓶の上の方を仰ぎながら我々に風を送ってきました。「吸いすぎるな。記憶が消し飛ぶぞ。少しずつ吸うんだ」と言われたのを覚えています。
インタビュアー: 記憶処理薬ですね。
長谷島: 私と広末さんはじきに身体の自由を取り戻しました。ダイアー教授にも同様の処置をしましたが、恐らく手遅れだったと思います。私たちがダイアー教授を回復させようと模索していると、古代樹が暴れ始めました。
インタビュアー: 樹が暴れ始める?
長谷島: 根や幹が激しく動き回り、我々に襲い掛かりました。小野寺さんは「ここは俺に任せて、ダイアー教授を連れて逃げろ」と言ってくれました。恥ずかしながら、私と広末さんはダイアー教授を抱えて逃げ出しました。途中、大きな衝撃音が聞こえて、そっからは良く覚えてません。気が付いたら御幸ヶ原です。
インタビュアー: それで小野寺は帰ってこないんですね。
長谷島: 広末さんが今回こうやってあなたたちに情報を渡しているのは、小野寺さんに命を救われたことからくる気まぐれです。私個人としても、あの時一緒逃げることを選択せず、小野寺さんの申し出を素直に受け入れ逃げ出したことを負い目に感じています。
<終了>
インタビュー記録 恋昏崎新聞社#3
1999/02/20
<再生>
長谷島: 今回の件、私と広末さんは絶対に新聞に載せたいと考えています。
インタビュアー: まぁそれはそうでしょうね。我々としては遠慮願いたいですが、そうもいかないでしょう。
長谷島: ですが、うちのデスクが掲載に慎重な姿勢を見せています。恐らくは掲載できないと思います。
インタビュアー: 読谷山さんですね。しかし、どうしてまた。
長谷島: 今回の件が古代人の陰謀であったと報道することで、民衆の不安はいよいよ制御できないものとなる、と考えているようです。それでなくても恋昏崎新聞社は民衆の不安を煽っていましたから。
インタビュアー: なるほど。
長谷島: ですが、私と広末さんは納得していません。そんな理由は真実を隠匿する理由にならない。ましてや我々は小野寺さんに命を救われた身、報道機関としての使命を放棄するなんてとんでもない。
インタビュアー: 考え方には理解を示しますが、小野寺という財団職員に助けられた自覚があるならば、財団の意向を多少ご理解いただきたいものですが。
長谷島: 報道することは出来ないし、小野寺さんも報道して欲しいとは思っていなかったかもしれない。だから私たちは情報を送ることで貴方たちに託すことにしたんです。その覚書に複製はありません。
インタビュアー: コピーが存在しない? じゃあこれは原本なんですか? よろしいんでしょうか?
長谷島: ええ、構いません。それが小野寺さんへのせめてもの報いになることを祈っています。
<終了>
今日まで、恋昏崎新聞社は筑波Ⅲ峰での出来事を新聞として発信していません。
財団は諜報活動により、フレイスヴニルの樹に関して情報資料を入手しています。情報資料はこちらを参照してください。
財団はユグドラシル煌族及びユグドラシル・ピークを要注意団体に指定しました。ユグドラシル煌族は全滅しているため存在しませんが、何らかの手順でフレイスヴニルの果実が世界中に流布されていた場合、人類の身体を奪取したユグドラシル煌族が一定数存在する可能性があります。ユグドラシル煌族のフレイスヴニルの果実を利用し復活することを目的としていると考えられており、その謀略を阻止するため、ユグドラシル煌族及びユグドラシル・ピークの情報が求められます。
財団はクリス・ミラーについて調査を行い、ミラーの診療所より不審なカルテを発見しています。カルテに記載された受診者は茨城県在住の日本人男性"倉敷 高治"であり、第1次登山隊に参加していたジェフ・フォートは、標高740 m付近で発見した滑落遺体と人相が一致していると証言しています。財団が筑波山標高740 mを再度捜索しましたが、倉敷のものと思われる遺体は発見できませんでした。カルテの受診日は2月11日の米国時間午後4時であり、死亡していたと思われる倉敷がマサチューセッツ州にあるミラーの診療所を訪れたという不自然な事実を示します。
研究チームはこの不審現象について以下の所感を報告しています。
- 倉敷の遺体は不明な作用で自律していた或いは生存していた。
- 広末 孝行の覚書により、果実を摂食すると高度な知識を得ることが示されており、倉敷も果実を摂食していたと思われる。これにより、倉敷はユグドラシル煌族に身体を奪取されていたと思われる。
- 倉敷は入手した異常な知識により、ミラーが第2次登山隊に招聘されることを知っており、ミラーへフレイスヴニルの果実を摂食させるために渡米した。
- そのため、ミラーは来日時点でユグドラシル煌族に身体を奪取されていた可能性が高い。
倉敷の行方は判明しておらず、現在もユグドラシル煌族として活動している可能性があります。財団諜報部は倉敷の行方を捜索しています。
異常性消失後、異常性の再発現は確認されないため、3月23日に財団はSCP-3833-JPをオブジェクトクラスをNeutralizedに再分類しました。当該文書はユグドラシル・ピーク関連オブジェクトが発見された際の参考資料として保存されます。