SCP-3X17-JP - 途中下車
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深夜、同僚たちの大半が仮眠についた時間帯。窓の外から見える廊下は既に消灯され、常夜灯のぼんやりとした明かりだけが覗いていた。一方、私が今いるサイト-8199情報室の中は、ほんの少し青い蛍光灯の明かりで満たされている。サーバーの稼働音が少しうるさい中、私は目の前にある携帯端末を触っていた。

手元のスクリーンをタップし、サイト-8199データベースの検索機能を開く。そこに「SCP-3X17-JP」と入力すると、すぐさま警告メッセージが出てきた。必須手順は終えているので、私は構わずスクロールしていく。


SCP-3X17-JP

—警告—

以下のファイルは致死性の高い認識災害のキャリアです。対抗ミームの摂取無しに本報告書を閲覧した場合、あなたは認識災害に曝露することになります。

あなたの端末の位置情報は記録されています。このファイルが30分以上閲覧されていた場合ポップアップが表示されますので、必ずチェックボックスをタップしてください。チェックボックスへのタップが確認されなかった場合、あなたの端末の位置へサイトの医療チームが派遣されます。

リクエスト: SCP-3X17-JP報告書ファイル

……

………

成功しました。取得したファイルを開示します。


アイテム番号: SCP-3X17-JP

オブジェクトクラ──

「ねえ、ちょっといい?」

「──え?」

肩をちょんと叩かれ、私は思わず声の方を見た。私の隣には70代ぐらいに見える老婦人が座っており、私に勢いよく顔を向けられて困惑しているような様子だった。一瞬、彼女の腕時計に室内の明るい光が反射し、目を背けてしまった。

──日光?

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私は慌てて周囲を見渡す。大きな窓や扉が向かいの壁に並ぶ。窓の下には赤いクッションの長椅子が設置されている。よく見れば、今私が腰かけているのもその長椅子だ。天井付近には鉄の棒が伸びていて、そこに白いつり革やよく見かけるような広告ポスターが掛かっている。電車。私は、ここがサイト-8199情報室などではないということに気づいた。

放心気味に手元を見ると、さっきまで触れていた筈の端末の代わりに、両手で新聞紙を握っていた。これまた、よく見る新聞の今日付けの朝刊なようだ。そういえば、既に外は太陽が昇りきった後に見える。

「あら、どうしたの?切符でも落としたのかしら?」

挙動不審な様子を気にしたようで、隣の老婦人が尋ねてくる。私は、一瞬素直に状況を話そうとして、この人物が異常存在である可能性に気付き慌てて言葉を飲み込んだ。この電車やその中の人間、ひいてはこの場所自体が異常存在である可能性は高い。いくら気が動転しているとはいえ、異常存在に対し下手な発言をするような事態は避けなければ。

「すいません、ちょっと寝ぼけていただけです。お気遣いありがとうございます。」

「あらそう。ふふ、なら良かったわ。」

この場所について質問することも考えたが、それよりも各存在の観察を優先することにした。キョロキョロと見回してこの老婦人に不審がられないよう、ゆっくりと、何か考え事をしているような雰囲気で車内を見渡す。

隣の2車両を含め、視界内の座席はほとんど空席で、ポツポツと数人が座っているだけなようだ。今確認できるのは、スーツを着た男、パーカーを着た女性、それから──

「……!!」

──見慣れた白衣を着た女性、Dクラスのつなぎを着た男に、財団支給の装備を身に纏った機動部隊隊員。あれは間違いない、私の働くサイト-8199の面々だ。同僚たちの姿を見て思わず声を上げそうになり、急いでこらえる。そしてちらりと横の老婦人の方を見て──彼女がうつらうつらと船を漕いでいてこちらを気にしていないことを確認し安堵する。

……しかし、これはどういうことか。改めて乗客を見直してみたものの、やはりその顔は見知った者たちのそれだ。サイト-8199の管理官、フィールドエージェント、前に一度インタビューしたDクラス、サイト-8199の警備を担当する隊員。そして──あの研究員は、同期の桜井だ。間違いない、ここにはサイト-8199の職員たち本人か、それを模した人型実体たちが集っている。私以外は、誰もが特に緊張した様子もない。ある者は眠りこけ、ある者は何もない手元をまるで端末でもあるかのように動かし、またある者は空中にまるで机があるかのように肘をついて何か悩んでいるようだった。

脂汗がみるみる噴き出してくるのを感じる。「致死性の認識災害」とは書いてあったが、認識した人物だけでなく、その関係者までまとめてこの列車内に引きずり込むなんてものだったのだろうか?勿論あの実体たちが本人である確証はないが──改めて見てみても、細かい仕草に至るまで本人にしか見えない。今見渡せる範囲には数人しかいないが、他の車両にもまだいるのだろうか……。取り敢えず、焦りばかりが募っていくのはまずい。冷静に、しっかりと状況把握をしていかなければ。

しかし、どういうことなのか。あの警告にあった対抗ミームの摂取は済ませていた筈だった。同じサイトに収容されているSCiPの情報を確認する為に、RAISAに申請して対抗ミーム処置を受けに行ったことはハッキリ覚えている。しかし現状、明らかに私は認識災害の影響の中にいる。ということは、認識災害自体に何か変化が起きたのだろうか?

とにかく、このままではまずい。SCP-3X17-JPの認識災害が対抗ミームで抑えられなくなっているとなると、第二、第三の被害者が生まれる可能性も大いにある。一度に大勢が被害に逢うような事象であることも考えられる中で、あちらへ何も情報を伝えずに野垂れ死ぬ訳にはいかない。一刻も早くこの電車から脱出し、財団へと帰還しなければ。……その為には、まずこの列車がどこを走っているのか確認する必要があるだろうか。

「この車窓から見える景色って本当に素敵よねえ。」

「えっ?……ああ、確かにそうですね。」

しまった、いつの間に起きていたのか。だが、ちょうど列車の走る場所を確認したかったところだ。素直に老婦人に話を合わせて、車窓に目を向ける。

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窓の向こうに見えたのは住宅街だった。建物の雰囲気からも察せるが、電柱に貼られていたポスターが見え、日本語が書かれていたのが確認できた。ここは日本なようだ。地形にも、特に異常はなさそうだ。

少しほっとしてため息をつく。見かけだけな可能性も勿論あるが、この外が普通の場所であるという希望が見えたことだけでも、私の焦る心は少し冷静になっていく。こういう時こそ冷静でいなければならない。

「私ね、あの外の景色を見るのがすごい好きなの。そこには色々なドラマがあって、色々な人がいて、色々な発見があって。本当に素敵なものばかりだから、何度見ても飽きないわ。」

「ドラマ、ですか。」

本当なら今すぐにでも、何故私たちがここに転移したのかといったことを問いただしたいところだ。しかしいきなり核心に迫ろうとしても、かえって老婦人に警戒されてしまうかもしれない。まずは、世間話から。これまでのSCiPへのインタビューで学んだことだ。

「そう。目まぐるしく移り変わっていく景色の中に、たくさんの生活が詰まってる。同じ場所にいるだけだとわからないけれど、この世界には70億もの人がいて、70億もの人生がある。それを垣間見れるのって、少しワクワクするでしょう?」

「なるほど。ちょっと分かるような気がします。」

「でしょう?うふふ……。ほら、そこの田んぼにも。」

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老婦人の言うとおりにもう一度車窓に目を向ける。確かにそこには田んぼが広がっており、何人かの一般的な服装をした人物が確認できる。しかし……私はその景色や、そこにいた人物の1人を見て、何か不自然な違和感を感じたように──

「あの人たちは、一体どんな生活を送っているのかしら?田んぼの近くだからやっぱり農業?それとも、牛さんとかを育てているのかしら?そう考えるだけでも、ワクワクした感じがしない?」

「はぁ。」

考え事をしているときに話しかけられ、つい気の抜けた返事をしてしまう。老婦人はそれを気にしていないようで、そのまま話を続ける。

「田んぼののどかな雰囲気も素敵だけれど、都会の騒々しい雰囲気も楽しいものよね。ほら、あんな感じで。」

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言われて、また車窓を見る。今度は、遠くに複数の高層ビルが建ち並んでいるのが見える。私は再び同じ違和感を抱き、冷や汗が額を伝うのを感じた。

どれだけ長く見積もっても、先ほどから3分も経っていない筈だ。しかしそれにしては、窓の外の風景があまりにも目まぐるしく変わっていっている。都会的な住宅街からすぐ田んぼに切り替わっていた時点でおかしかったのだ。こんな密度で住宅街・田んぼ・ビル群が集まっているような場所は、日本でも聞いたことがない。単に私が知らないだけだと思いたいところだが、そうでないとしたら──この電車が走っているのは、私の知る日本ではない異空間ということになる。

この可能性に至りたくはなかった。いや、住宅街を見たときから考えてはいたことだったが……異常な出来事が続く中で、更にこんな事態にまで陥っているなどという事実を認識したくなかったのだ。電車が日本のどこかを走っているのであれば、外に出るだけで私や同僚たちを救出できる。だが異空間となると、そういったものの専門ではない私には、どうやってここから出れば良いのか見当もつかない。何より、そもそも脱出することが可能なのかさえ分からないのだ。そんな状況で、どうやって元のサイトへと帰還すれば良いというのか。寒気すら感じるほど、私は絶望していた。

「……大丈夫?さっきから顔色が悪いけれど。」

「いえ、あの、大丈夫で──」

「同僚の皆さんのことを気にしているようだけど、安心して。ここにいるように見える人たちの多くは、あくまでそう見えるだけ。本当にいるのは私とあなただけだから。」

「──は?」

突然核心的なことを言われ、しばらく思考が停止する。異常存在というのは考えていたが、まさかこの女性は──

「それと……ここからどうにかして出るつもりみたいだけど、それも心配ないわ。次の駅まではもう少し時間がかかるけれど、ちゃんとあなたは降りられるの。扉は開くから。」

「──あなたが、私をここに?」

「違う、あなたはずっと、ずっとこの電車にいたのよ。最初に乗った時のこと、忘れてしまったかしら。」

老婦人──この人型実体の発言はうまく掴めない。ほとんど信用もできないが、取り敢えず「一見敵意がないように振る舞う」という情報は得られた。それに、物理的に肉体を損傷させようともしないようだ。万が一出られなかった時に次の影響者に伝えられるよう、メモを取りたいところだが、残念ながらポケットには見当たらない。……よく見ると、実体が持っている赤いハンドバッグに、私がよく使うメモと、あの端末が入っている。抜き取られたのだろうか。

「……違う話をしましょうか。ちょうど、さっきまでの話も終わっていませんからね。さあ、また窓を見て。」

話を逸らせるわけにはいかないと思ったものの、気がつけば私は車窓の方に目を向けていた。精神影響能力も有しているのか、という仮説を頭の隅に残しつつ、車窓の外の様子を見る。

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日本に多くあるスーパーマーケット。屋内では多くの人物が買い物をしていたようだが、その中に私は、また冷や汗が噴き出すようなものを見つけてしまった。

「……私……?」

ほんの一瞬しか見えなかったにも拘わらず、そこに誰がいたのかすぐに理解した。白衣ではなく、ごく普通のカジュアルな服装をした私が、何かパック詰めされた商品を手に取っていたのだ。意味がわからず混乱しかけたが、この場所が異空間であることと、真横にいる実体が精神影響能力を有している可能性を思いだし、少しずつ冷静さを取り戻す。あれは幻覚だ。そうに違いない。

高鳴る心臓をなだめつつ、もう一度車窓の風景を確認してみる。スーパーマーケットの周囲には先ほどのビル群は見当たらない。やはり、外の風景は不自然に切り替わっている。異空間であることがほぼ確定し、安堵と焦燥という相反する感情が湧いてくる。そんな私を尻目に、人型実体がまた話し始める。

「見えたでしょう?あなたは、スーパーでお魚を買う普通の人間になれるの。オフィスで働く社会人にだってなれるし、家でのんびりすごす人間にだってなれる。」

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「勿論、学生にだって。何かを学ぶことはとても楽しいわ、でも此処である必要はないでしょう?そうよ、あなたは『財団職員』である必要なんてない。ごく普通の、変わらない『一般人』になれる。あなただって、あなただって。」

実体が立ち上がる。私に財団での職務をやめさせようとしているのなら、自身を収容から解放させたいのだろうか?確か、SCP-3X17-JPにはちゃんと収容チャンバーが割り振られていた。ということは、このオブジェクト自体は物理的な実体を有していることになる。つまりは──

「ねえ、もうそんなこと考えるのはよして。あまり時間も残されていないのよ?早く身支度を済ませて、この電車から降りないと。そうしたかったのでしょう?」

「……降りたとして、私はどこへ行くと?」

「さっき見たでしょうに……。あなたは、あなたは、ごく普通の人としての人生を歩むことができるのよ。いや、そうしなきゃいけない。こんなところで訳のわからない報告書を読んだり書いたりしていてはダメ。そんなもの何もならないわ。……気づいてないようだけど、この電車がどこに向かうのか見てみなさい。」

実体は怒気を含めて語りかけてくる。私は再び、素直に顔を車内案内の電光掲示板へと向けてしまう。そういえば、ここへの転移に気がついた時は気が動転していてこれを確認していなかった。

その電光掲示板には何も表示されていなかった。行き先も、広告文も、次の駅名も、開く扉も、何も表示されていなかった。

「……ね?この電車は、『財団』という名前のこの電車は、どこに行くかもわからない。そんな電車に乗ることに何の意味があるというの?途中で降りていくことよりも、このまま乗り続けることに本当に価値があるというの?それよりも、財団なんて忘れて、普通の生活に戻る方が遥かにマシよ。本当なら、1駅でもこんな電車に乗ってはダメなのに。」

説得のような発言を聞いていると、突然一瞬の衝撃を感じる。車窓を見ると風景の流れる速度が──つまり、電車の走行速度が落ちてきている。実体は立ち上がり、私の手を引いて立たせる。抵抗しようとしたが、その力はあまりにも強く、成す術もなく座っていた反対側の扉の前に立たされてしまった。

「さあ、もうすぐ駅に着くわ。切符はここにある、これを持って電車を降りなさい。あなたが降りたかった、あなたが一番幸せになれる場所がそこにあるわ。」

そう言って、実体が私に切符を見せる。そこには「SCP財団」と大きく印字されていて、行き先は特に記されていない。料金も、鉄道会社の名前も、他の物は一切ない。ただの、裏が黒い厚紙の切れ端のような切符。そこに、私は底知れぬ威圧感を覚えた。

「降りろ。」という威圧感。しかし、そこに込められているのは怒りというより、思いやり。心配。気遣い。まるで、本当に親切心から私へ突き出されているように思えてくる。同時に、急に不安感が心臓へと押し寄せてくる。私はここで降りるべきなのか?それとも、このまま電車に乗っているべきなのか?正直、どちらを選んでもここから脱出できるとは思えない。外も中も、何なのかわからない異空間だ。そんな中で、どちらを選んでも無意味に思えてくる。ああ、自分の弱さが憎い。ここで諦めないで、自信を持ってどちらか選べればどれほど良いのか。わからない自分が憎く、悲しい。

葛藤は時間を止めてはくれない。ブレーキ音と衝撃の後に、電車が停止し目の前の扉が開く。決めなければならない。降りたくても、またいつ降りるチャンスがあるかわからない。ならば、降りるならここしかないと考えるべきだ。

私は、深呼吸する。実体が一旦手を引き、無言でもう一度切符を突き出してくる。覚悟を決める。それしかない。私は、私は、その切符へと手を伸ばして──

















































──手を、自分の方へと引いた。

「ねえちょっと、何をしているの、早く──」

実体が慌てた様子で話しかけてくるが、もう遅かった。大きな音を立てて扉が閉まり、衝撃が走る。再び電車が発進したのだ。

「……な、何てことを、何で……。」

彼女の額に汗が線を描く。私は、真っ直ぐ彼女に向き直って、言った。

「……悪いけど、私には降りることはできない。外はここよりも不安定だし、一度降りてまた戻れるかわからない。勿論、降りた方が良かったのかもしれないが──この電車が『財団』なら、尚更降りることはできない。一時的に降りるならともかく、永遠にここを去ることは、少なくとも私の意思では、できない。」

「……あれだけ私の、異常存在の発言を信じていなかったのに?」

「それでも、異常存在の法螺だとしても、無視するなんてどうしてもできなかった。私は職員として失格かもしれない。でも、それでも財団にいたいと思った。離れたくないと思った。……色々なことがわからなかった。だから、わからないなりに、わかることだけで決断しようとした。その結果、こうなった。例え間違っていたとしても──勿論、そうでないことを願うけれども──私がこの選択をした、ということに変わりはない。私は、自分の意思でこの電車に残った、と信じたい。」

歯切れが悪くなりながらも、率直な思いを話す。わからないなりに考えて決めたことだ。この実体の正体もわからないが、彼女の「お節介」から逃れる為にも、敢えて本心を告げるべきに思った。

彼女は、私をじっと見つめ黙っている。数瞬の後、彼女はため息をついて、元の座席へとくたびれたように座った。

「……それで、いいのね?」

私は無言で頷く。彼女は、残念そうに首を振る。

「……どれだけ苦しんでも、どれだけ傷ついてもいい。でも──でも、後悔だけはしないで。あなたの選択は、あなただけの宝物なのだから。わかった?」

「……うん。」

彼女はうなだれ、またため息をついた。しかし、顔の影から覗くその顔には、どこか寂しい笑みが見えたような気がした。

「……そう。なら、もうおやすみなさい。まだまだ旅路は続くでしょう。再び駅に出会うでしょう。その時に、また、悔いのない選択ができることを祈っているわ。」

彼女が手元のハンドバッグに手を入れ、私の端末を取り出す。それを私の方へと突きだした。私はそれを手に取る。その瞬間、唐突に視界がぼやけ始める。平衡感覚も失われていく。私は、彼女か何かに手を伸ばしたような感覚がして、それから──

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