SCP-4173-JP
評価: +65+x
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注意: SCP-4173-JPに指定されるオブジェクトは存在しません。

SCP-4173-JP報告書は現在、テッセラクティブ・プロトコルに関連する最重要資料として管理されています。ヴィルヘルム=ピアジェ・ミーム回復エージェントの適用が指示された職員は、本報告書を熟読の上、対話部門の指示に基づき行動してください。

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SCP-4173-JP 第1版


アイテム番号: 4173-JP
レベル1
収容クラス:
pending
副次クラス:
none
撹乱クラス:
{$disruption-class}
リスククラス:
{$risk-class}

特別収容プロトコル: SCP-4173-JPの発生原因は現在判明しておらず、形式部門の主導のもと、研究方針を策定中です。

nuigurumi01.jpg

ぬいぐるみを抱えている財団職員。

説明: SCP-4173-JPは、財団内における不可解なムーブメントの総称です。SCP-4173-JPは職員間で「突発的・継続的なぬいぐるみへの依存」という形で発生しており、現在、財団内において職員の15%がぬいぐるみに対して何らかの好意的・依存的な感情的反応が確認できます。これらの職員に対し通常の心理学的検査、異常ミーム被曝検査、情報改変検査、現実改変検査等の各種検査が実施されましたが、いずれの例においても明確な異常性は発見されませんでした。

これらの事実から、SCP-4173-JPは未知の異常性を有するアノマリーが関係している可能性を踏まえ、現在SCP-4173-JPの発生原因特定に向けた研究が計画されています。現時点のSCP-4173-JP収容担当責任者は形式部門の呉部淳介上席研究員です。


CCTV-K5581 2015/5/29
サイト-8148 サイト管理官執務室

<再生>


呉部上席研究員: 要注意現象#4173-JP、ですか。

市原管理官: ああ。辞令ですでに通達した通り、君にはそいつについて調べてもらいたいと考えている。

呉部上席研究員: なるほど……資料を読む限り、ぬいぐるみが財団内で流行り始めている謎の現象と。

市原管理官: そうだ。すでにサイト内でも目立ち始めているのは君も気づいてるだろうが……先日もDクラスが6名、私物の支給申請をよこしてきたんだ。同様のことは隔週で起きている。異質だとは思わないか?

市原管理官: 考えてもみろ、強面のDクラスが、アヒルのぬいぐるみを抱きかかえて顔を擦り付けてる様子を頻繁に見る状況をまともと思うほうがどうかしている。

呉部上席研究員: (考え込む)……ええ、まあ……そう、ですね。原因も何もまだわかっていない状態ですよね、これ。

市原管理官: お察しの通りだな。一応、この現象そのものは多少ながら統計調査を軽く済ませてはあるが、「ぬいぐるみに甘える」以上の情報はほぼ得られなかった。

呉部上席研究員: 異常ミーム被爆検査などは?

市原管理官: 各種検査も数値上の問題もなかった。どれも正常値の範囲内……正直、普通に調べたんじゃお手上げなんだ。

呉部上席研究員: お手上げですか。

市原管理官: そこで、だ。呉部。君にこそ、このオブジェクトの初期研究を頼みたいと思ったのだ。うまくその原理が分かれば、収容担当責任者の任も視野に入れての話でもある。どうだね?

呉部上席研究員: え、ええ……なるほど。

市原管理官: どうした?あまり乗り気ではないのか?

呉部上席研究員: いえ。そういうわけでは。ただ……なぜ僕なのでしょうか。確かに、状況から見れば形式部門の役割ではあるのですが。

市原管理官: 私が君を信頼しているから、というのでは不足かね?

呉部上席研究員: もちろん、その信頼を無碍にするつもりはありません。ですが、少々買いかぶりすぎではないですか。僕はただ――

市原管理官: だとしてもだよ。だとしても。君はこの手のオブジェクトにはそれなりに知識を有している。3年前のあの件以来、狂ったようにミーム工学を学んだじゃないか。あの恐竜を一人で封じ込められたことも含め、君だからできることがあると考えているんだよ、私はね。

呉部上席研究員: そんなに大したことは……いえ、分かりました。異常な現象として起きている以上は手を打たなければなりませんし。いずれにしても、実際に調べてみないことにはわからないものではありますから。

市原管理官: ありがとう。

呉部上席研究員: では、失礼します。

(呉部上席研究員は退室しようとするも、市原管理官が引き止める)

市原管理官: ……ああそうだ、それとなんだが。

呉部上席研究員: は、はい。なんでしょうか。

市原管理官: この件に関しては、もしかすると形式部門の専門領域外のことにも触れるかもしれない。もちろん、君の能力を疑っている意味ではないが、協力できる人は多いほうが良い。それも踏まえて仕事をしてもらいたく思う。

市原管理官: 今の君には、そういった関係性も大事になるだろう。

呉部上席研究員: (沈黙)……はい。ありがとうございます。

市原管理官: ではよろしく頼むよ、呉部。


<停止>



財団人事部門
財団記録・情報保安管理局(RAISA)


登録人事情報照会結果報告書

表示可能クリアランス: 1
職員名
呉部 淳介
Junsuke Kurebe
職員識別ID 生 年 月 日 性   別
55300-47613F006 1990/04/13    男性      
職員クラス Class B
セキュリティクリアランスレベル Level 3
役   職 上席研究員 / 収容スペシャリスト
所   属 サイト-8148 / 形式部門

概  要

呉部上席研究員は、2012年4月1日にプリチャード学院における通常の職員雇用プログラムに基づき雇用された人物です。呉部上席研究員は同年に発生したサイト-8119におけるSCP-173-JP収容違反の際、SCP-173-JPの誘導およびプレス機による圧壊を単独で達成しました。また、同インシデントの発生から即時にサイト内の職員を効率的に誘導するなどの功績により人的被害が最小限に抑えられたことが表彰され、雇用からわずか3ヶ月で職員クラスBに昇格されました。

呉部上席研究員の勤務態度は極めて良好であり、他の職員からの評価も概ね好意的です。しかし、前述のSCP-173-JPに関連するインシデント以後、不定期的に精神的安定性が損なわれる瞬間が生じています。職務上これが致命的な問題に至った例は現在まで確認されていませんが、サイト管理官による指示に基づき、2013年より対話部門での定期的なカウンセリングが行われています。

この精神状態の変容は当初、SCP-173-JPがもたらす異常性によるものである可能性も示唆されていましたが、異常ミーム被曝検査等の各種検査においても数値上の逸脱は認められず、直接の因果関係は証明されていません。

 


端末ボイスメモ

記録者: 呉部淳介 上席研究員

記録日: 2015/6/11 21:46


ぬいぐるみへの依存、という現象そのものが、財団内で流行っているのは、僕も気づいてはいた。だが、統計データでも明確にわかるほど、急速にこのブームが到来しているとは思っていなかった。あまりにも加速度的に職員間で広がっている現象に見える。

そして、確かに報告通り、ミーム的な影響も認識災害の可能性も、数値としては現れはしなかった。職員が持っているぬいぐるみもいくつか借りて調べさせてもらったが、それらもこれと言った異常性は見受けられない。つまり、あくまで職員が自発的にぬいぐるみに心を委ねるという行動に出ている……そういう話としてシンプルに理解したほうが、この件は納得できてしまう。

しかし、なぜ今になって、いきなりそんなブームが起きたのか。何がきっかけなのかも不明瞭であるし、法則性も分かっていない。確かにこれはお手上げだ。

ともかく、もう少し詳しく掘り下げて、個人レベルで何が起きているのかを聞き取り調査するのが良いかもしれない。


インタビュー記録4173-JP - V1-01


対象:
D-7179

インタビュアー:
呉部淳介 上席研究員

実施日:
2015/6/12


<記録開始>


呉部上席研究員: D-7179。そのぬいぐるみについて、いくつか聞きたいことがあります。

D-7179: なんだよ。別に良いけど。取り上げたりはしないよな?

(D-7179はアヒルのぬいぐるみを抱きしめている)

呉部上席研究員: 大丈夫です。そのつもりはありません。ただ、なぜそれをいきなり欲しがったのか。どういう心境の変化があったのか。それらを調べているだけに過ぎません。

D-7179: そうかい。そういうことなら。俺がこいつを欲しがったのは……ああ、こいつはガァちゃんって言うんだけどさ。こいつとの出会いってのも、色々と偶然みたいな流れがあっての事だった。

呉部上席研究員: はい。

D-7179: まあ色々話す前に自分語りみたいになるけど……俺はほら、まあこんな身の上だろ。色々と理由があって、あんたらの下で、得体のしれないモンと向き合わされてる。だろ?

呉部上席研究員: はい。

D-7179: そういう立場に今さら文句を言うようなこともないんだけどよ。でも、やっぱり死にたくはないわけじゃんか。他の部屋で過ごしてる同類どもは、気がついたら同じ番号で別のヤツになってるなんてザラだしな。バケモノ相手に色々やらされてる手前で、その入れ替わりの意味を察した時に、どれだけ正気を保ってられるヤツがいるかなんて、あんたらのほうが詳しいだろ。

呉部上席研究員: そうですね。

D-7179: 当然、俺も……最初は怯えたさ。心底後悔した。自分のやったことの罪が消えるわけじゃないしな。死刑を求めて色々やったってのに、気がついたら怖気づいて、生に手を伸ばした。その果てにコレなわけだ。自分から望んでこうなったも同然だ。そんなの……耐えられるはずもなかった。そんな時だった。俺が、ガァちゃんと出会ったのは。

呉部上席研究員: どういうことがあったんですか。

D-7179: たまたま、通り過ぎた職員の持っていたぬいぐるみを見たのさ。それだけだ。

呉部上席研究員: それだけ……それを見て欲しくなったってことですか?

D-7179: まあそうだ。その時の俺が何を考えていたのか、詳しく思い出せないけどな。ただひたすら、あんたと同じ白衣連中が可愛らしいぬいぐるみを抱えているのが、無性に羨ましくてどうしようもなかった。

呉部上席研究員: それが、そのぬいぐるみを要求するきっかけの出来事だったと。

D-7179: ああ。

呉部上席研究員: ぬいぐるみを得てから、他に何か変わったことはありますか?

D-7179: うーん。まあ。なんだろうな。さっき言ったみたいな絶望で色々塞ぎ込むことはなくなったくらいか。

呉部上席研究員: それはなぜですか?

D-7179: そんなの聞くまでもないだろ。ガァちゃんがいるからだよ。俺にはこいつがいるから問題はない。

(沈黙)

呉部上席研究員: なるほど。ですが、それはただのぬいぐるみ。そんなぬいぐるみでも、君は構わないと思えるような心境だということですか。

D-7179: 変なこと聞いてくるなぁ。別に悪いことじゃないだろ?命令されたことはしっかりこなしてるし、戻ったらちょっとこうやって抱きしめるくらいのことしかしてない。

(D-7179の表情が少し険しくなる)

D-7179: ……なあ、博士さんよ。ぬいぐるみのことで、あんたは何かあったのか?

(沈黙)


<記録終了>



CCTV-K0143 2015/6/17
サイト-8148 対話部門 第3カウンセリングルーム

<再生>


(カウンセリングルームの扉が開く。呉部上席研究員が入室)

ミヤマ精神分析官: おはようございます。今日も時間通りですね。って、どうしました?前回よりもあまり調子が良くないように見えますが。

呉部上席研究員: どうも。いえ。なんでもないです。ただ少し……仕事が舞い降りたので。

ミヤマ精神分析官: なるほど。お話は管理官から伺っています。なんでも、ぬいぐるみブームについて調べておられるんですよね。

呉部上席研究員: そうですね。まあ……思ったよりも手強い相手だったので、どうしようかと考えているところです。

ミヤマ精神分析官: 要注意現象#4173-JP、ぬいぐるみブーム――いえ、今はSCP-4173-JPでしたっけ。

呉部上席研究員: はい。ナンバーは指定されたのですが、実際のところどこから手を付ければいいかはまだなんとも探り探りでして。僕からしても違和感そのものは強いんですが……Dクラスの例を見ても、どう異常と定義づけるか見当もついてないです。

ミヤマ精神分析官: ……呉部さんはその違和感について、具体的にはどう感じていますか?

呉部上席研究員: どうって。うーん。なんとかしないといけない異常の可能性を見ている、とかですかね。

ミヤマ精神分析官: なるほど。

呉部上席研究員: もちろん、異常だというのは直感でしかありません。今の時点では。主観的な違和感以上の事実もなく、データが薄弱すぎますし。でも……数値上の観測結果は何も異常なブレがないのがどうしても納得できない、と言いますか。うまく言い表せませんが。

ミヤマ精神分析官: 財団の収容しているオブジェクトも、必ずしも数値にすべてが出るわけではありませんしね。

(ミヤマ精神分析官は引き出しを開け、いくつかの種類のぬいぐるみを取り出す)

呉部上席研究員: それは。

ミヤマ精神分析官: ああ、これですか。これはうちでもたまに使っている、ぬいぐるみ療法用のセラピーアイテムですね。クライアントに必要であれば渡してるんですが、その話を聞く限り、あまり推奨はされなさそうですね……。

呉部上席研究員: あー、なるほど。

(呉部上席研究員がぬいぐるみを見るも、すぐに視線を外す)

呉部上席研究員: いやまぁ、しかしですね。この現象において、ぬいぐるみ自体には実は異常は見られないんですよ。これは各種検査でもそうでしたが……だからこそどうしたものかと。

ミヤマ精神分析官: でも、事実としてナンバリングもされている以上、普通の流行とは違うものである可能性は財団も無視はしなかったということですし。その直感に誤りはないんじゃないかって思いますよ。

ミヤマ精神分析官: 呉部さんはこのぬいぐるみから、何か感じることはありますか?直感として。

(ミヤマ精神分析官はウサギのぬいぐるみを持ち上げる)

呉部上席研究員: え?

(呉部上席研究員はミヤマ精神分析官の抱えるぬいぐるみに目を向けるも、再度視線を外す)

呉部上席研究員: うーん。わかりません。そもそも、僕はぬいぐるみには特段興味はありませんし。

ミヤマ精神分析官: そうですか。なにか感じることがあれば良かったんですけどね。

(沈黙)

呉部上席研究員: やっぱり、直感は直感でしかありません。根拠にならない。もっと綿密に……しっかりとしたデータがないことには。

ミヤマ精神分析官: どうして、直感は根拠がないと思うのでしょう?

呉部上席研究員: え?

ミヤマ精神分析官: ああいえ。誤解のないように補足しますが……ここでは直感がすなわち根拠たりえる、という真逆のことを訴えたいのではありません。あくまで、呉部さんの判断は何が根底にあるのかをお聞きしたかっただけですね。

呉部上席研究員: そんなの……財団の正式な調査研究の一環として、定式化できるデータにならないからじゃないですか。人の心の内側は、簡単にはデータ化できるものじゃない。

ミヤマ精神分析官: ええ、それは確かに。だからこそ、こうやってカウンセリングを重ねて、問題の根源を辿る作業というのがあるわけですからね。

呉部上席研究員: ことSCP-4173-JPに関しては、しっかりと原因を特定しなくてはならないというプレッシャーもある。正直分野外過ぎますし、荷が重いです。

ミヤマ精神分析官: うーん。そうですね。

(ミヤマ精神分析官は思案した後、再度呉部上席研究員に向き直る)

ミヤマ精神分析官: そうだ。少し、呉部さんの役に立つものを提供できるかもしれません。

呉部上席研究員: 役に立つ?なんでしょうか?

(ミヤマ精神分析官はデスクの端末を操作し、画面を呉部上席研究員に向ける)

ミヤマ精神分析官: 呉部さんは、RGSEという機器についてはご存知ですか。

呉部上席研究員: RGSE?

ミヤマ精神分析官: はい。正式名称、ランドール・五加潜在意識抽出器。人の心の内側で思ったこと考えたこと感じたことを、文書や映像という記録形式に変換してくれる機器ですね。おそらく、この件に関しては、これは大きく活用できるかもしれません。

呉部上席研究員: そんなものが……。

ミヤマ精神分析官: もちろん、簡単に使わせてもらえるかどうかはわかりません。とはいえ呉部さんの仕事の文脈を踏まえれば、断られることはおそらくないと思いますよ。まあ……いちカウンセラーとしては、この機器で人の心を覗くのはあんまり良い気持ちはしませんが。状況が状況ですし、呉部さんならきっと悪い使い方もしないでしょう。

呉部上席研究員: あ、ありがとうございます。とはいえ……まだ試験段階ということですし。開発者とはつながりはありませんよ。

ミヤマ精神分析官: 大丈夫ですよ。開発者の一人、ホルト博士とは知り合いですから、私。こちらから許可を願えないか持ちかけてみます。

(沈黙)

呉部上席研究員: ……どうしてそこまで。いつものカウンセリングらしくないですね。

ミヤマ精神分析官: あっ、あー……まぁ、そうかもしれません。でも、大事なことではあります。それもまた、カウンセリングの一環ではありますから。

呉部上席研究員: そう、ですか。わかりました。では、少しこの件はお願いいたします。


<停止>



SCP-4173-JP RGSE観測実験結果報告書

報告日時: 2015/6/28

実験監督責任者: 呉部淳介 上席研究員

rgse_00.jpg

ランドール・五加潜在意識抽出器(RGSE)

概要: SCP-4173-JP現象、すなわち職員の私物への依存現象に関して、その傾向的特性を調査することを目的とした実験の結果をまとめたものをここに記す。実験はランドール・五加潜在意識抽出器(RGSE)を用い、年齢・性別・人種・出身・所属・職位・クラス・クリアランスレベル・ヴェール内外の差などの条件バイアスを可能な限り排除しながら、複数回の潜在意識観測と記録を試行した。実験は心理学的な考察を必要とするため、対話部門所属のトレンシア・ミヤマ精神分析官の助力のもとで分析が進められた。

以下は、各実験の結果の抜粋として取りまとめたものである。すべての実験結果はSCP-4173-JP報告書付録データベースを参照。

RGSE観測記録4173-JP-01 - 2015/6/13:

実験者: 呉部淳介 上席研究員

対象: D-7179

付記: D-7179はSCP-4173-JP現象の初期発生例。市販のアヒル型ぬいぐるみを要求し、現在はDクラス職員用収容室内で依存的言動を繰り返している。

抽出結果: 日本のマンションの一室で泣き崩れる少年の主観的記録から始まり、有機的にシーンが切り替わりながら、最終的に少年は青年へ成長した後、自身の両親を惨殺する瞬間までが出力された。音声と文章による叙述の多くは他責的・攻撃的な言動を伴っている。抽出されたデータはD-7179が死刑判決を受ける原因となった殺人事件と状況が一致しており、このことから主観の人物はD-7179であると思われる。また、実験終了の3秒前、青年に対し行動を哲学的なニュアンスを伴いながら肯定的に宥めるアヒル型の不明な存在が確認された。

後記: 実験終了後、D-7179へ抽出結果を伝えたところ、D-7179は激昂した。その際の言動から、抽出結果に出現した不明な存在はD-7179が所有するぬいぐるみと同一、もしくは関連する存在であると考えられる。

RGSE観測記録4173-JP-02 - 2015/6/15:

実験者: 呉部淳介 上席研究員

対象: D-7179

付記: D-7179は前回の観測実験を経て再度使用したDクラス職員である。条件は前回と差が起きないように調整。D-7179は同実験に非協力的であったが、抽出結果への影響を最小限に抑えるため説得に4時間を要した。

抽出結果: 前回と同様のマンション内で、両親の前で泣き崩れる少年の姿が出力される。前回とは違い、第三者視点で出力される(この視点の差は対象の心理状況によって左右されるため、条件範囲内の現象である)。少年は血液で汚損したナイフに向かい、「仕方がない」「こうするしかなかった」と繰り返していた。シーンは取調室に切り替わり、少年から瞬間的に青年の姿へと変化。財団のエンブレムが刺繍された白衣を着た、頭部のない男性のような存在に機械的に書類を提示されていた。青年の衣服はDクラス職員の標準的な作業衣に変化し、取調室に取り残されるシーンで、前回出現したアヒルの存在が、膝をつく青年を抱擁していた。

後記: 各シーンの描写から、D-7179はその犯罪歴に反して当時の行動を後悔している可能性が極めて高い。また、途中で出現した白衣の男性はD-7179の視点に基づく財団職員の印象であると考えられる。出現したアヒルは出力された映像の詳細な分析によって、観測者に対して明確に視線を向けており、何らかの意図をもってこちらを認知している可能性が示唆されている。

RGSE観測記録4173-JP-03 - 2015/6/16:

実験者: 呉部淳介 上席研究員

対象: D-7179

付記: D-7179は前回、前々回の観測実験を経て再度使用したDクラス職員である。条件は前回と差が起きないように調整。実験には消極的だが、前回ほどの明確な拒絶は行わなくなっている。

抽出結果: 前々回から引き続きマンション内で、両親の死体の前に少年が立っている。だがこれまでと違い、この時点で少年の隣にアヒルが出現。少年はアヒルに「それでもいい」とだけ語りかけ、直後にシーンは青い空と開けた草原へと変化した。少年は青年へ変化し、ナイフを捨て去った後、アヒルを抱きかかえながら、目の前に現れた頭部のない財団職員のイメージと遠くへ歩いていく。青年は終始落ち着いた態度と緊張のほどけた声色を見せていた。この際、抱きかかえられたアヒルは青年の肩から顔を覗かせ、観測者を視認していると思しき様子を見せていた。

後記: 実験前後において、D-7179は以前のような粗暴な態度を取らなくなっていた。また、自身がDクラス職員として雇用されていることについて、「俺はそれでも生きている、それで良いんだよな」と呟いている。実験後に行われた精神鑑定においても、書類上で記録されるD-7179とは比較できないほどに極めて安定した精神状態であることが判明した。


[…]


これらの実験結果以外でも、SCP-4173-JP現象を発露した職員は共通して「何らかのキャラクター性を当てはめることの可能な依存対象」の姿形に相応する存在が潜在意識内に出現していた。また、財団外の一般人に対する広範的な探索においても、SCP-4173-JP現象が生じている・生じていると推測できる個人が相当数確認できた点も特筆すべきである。いずれにしても、SCP-4173-JPにおける「潜在意識内の存在」は発露者に対し何らかの精神的な作用を与えうる位置にいることに留意する必要がある。さらに言及するのならば、このアノマリーはRGSEを介して観測する我々に対しても意識的に知覚している恐れがあることも、念頭に入れておかなければならない事実の一つだろう。

以上の実験結果を踏まえ、SCP-4173-JPの割当対象の変更と、オブジェクトクラスの再指定を検討する必要があると、私は結論づける。











SCP-4173-JP 第2版


アイテム番号: 4173-JP
レベル1
収容クラス:
euclid
副次クラス:
none
撹乱クラス:
ekhi
リスククラス:
danger
many_nuigurumi.jpg

SCP-4173-JP発症者が所持する依存対象。

特別収容プロトコル: SCP-4173-JPの収容は極めて困難です。財団内ならびに財団外のネットワーク上で常にBLBY-EXEをクローリングさせ、SCP-4173-JPがいつ、どの場所で、どのコミュニティで、どのように広まっているかを観測し、情報収集を行います。SCP-4173-JPの発症を誘発させうる情報や言論は収集・記録され、すべてBLBY-EXEの自動判別に基づき統計データの収集とデータベース化がなされます。

説明: SCP-4173-JPは、ヒトの精神構造内において、各個人ごとに独立して生じる概念的知性体の総称です。SCP-4173-JPは通常の心理学的検査、異常ミーム被曝検査、情報改変検査、現実改変検査等といった手法では発見されず、ランドール・五加潜在意識抽出器(RGSE)の使用によって初めて存在が確認されました。財団の初期調査における多数の実験とその経過により、SCP-4173-JPはヒトの持つ高度な精神構造にのみ発症するものと考えられています。なお、調査の過程で得られた統計データから、本報告書編集時点で財団内では約18%が、世界人口では約1.3%がSCP-4173-JPを発症させている可能性があります。

SCP-4173-JPは通常、発症者に対して極度に許容的・抱擁的・哲学的な言動を繰り返します。該当者はSCP-4173-JPに対して依存的に振る舞う例が極めて多く、その言動は依存対象に対して向けられる傾向があります。なお、依存対象となるアイテムは基本的に人型あるいは生物的な形状を有した人工物や創造物であり、非生物的形状や過度に空想的でイメージを伴わないものでの発生例は極めて稀です。

SCP-4173-JPの容姿は発症者の依存対象を象徴的なアンカーとして用いていると考えられており、依存対象を没収・隠匿・紛失・破棄等といった状況が発生した場合一時的に消失ないし喪失する様子を見せ、発症者は強烈な精神的苦痛を訴えます。しかし、再度依存対象を得た発症者は、その依存対象と同質・同型のSCP-4173-JPが潜在意識下に再発するため、これらの手段によるSCP-4173-JPの抑制は効果を示しません。

SCP-4173-JPの発症原因については不明な点が極めて多く、またその伝播方法についても判明していません。しかし、RGSEによるSCP-4173-JPの観測が行われた際、その出力結果には極めて微弱なミーム痕跡が含まれており、そのミーム波長は財団が既知のものとは一切一致しません。この事実により、SCP-4173-JPは何らかのミーム的性質を持つ存在である可能性が示唆されています。この性質は極めて微小なものであり、SCP-4173-JPの伝播の根本原因であるかは現状判然としていません。また、仮にこれがミーム災害の可能性を示唆していると仮定した場合でも、その痕跡の微弱さゆえに、これを経路とした他者へSCP-4173-JPの伝播が生じる可能性は低いものと考えられています。

なお、SCP-4173-JPの追跡及び特定は選択的自動精神鑑定エージェント「BLBY-EXE」を用いて継続中です。BLBY-EXEはSCP-4173-JPの特定という機能のほか、前述のミーム痕跡の解析と研究によって開発された対抗ミーム「フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェント」が実装準備されており、2015年8月29日よりSCP-4173-JPの根本的な発症抑制に向けたロールアウトが予定されています。

現時点のSCP-4173-JP収容担当責任者は形式部門の呉部淳介上席研究員です。


CCTV-K5581 2015/7/19
サイト-8148 サイト管理官執務室

<再生>


市原管理官: 面白い発想でSCP-4173-JPの性質を特定したな、呉部。RGSEの出力結果からミーム痕跡を発見することができたとは。

呉部上席研究員: そんな……大したことではありません。でも、ただのぬいぐるみブーム、というわけではなくなりましたね。これで。

市原管理官: だな。そして、あまりに加速度的な広まりを見せている以上、追跡は困難を極める。通常の手法では誰がどんな形でSCP-4173-JPを発症しているのかなんて、わからん。

呉部上席研究員: それに関しては、RGSEの技術を応用することはできそうではあります。

市原管理官: ほう、どんな形でかね?

呉部上席研究員: ああいえ。その、これはまだ構想段階での話なのですが。RGSEによる潜在意識のスクリーニングをリアルタイムで、かつネットワークを介して行うことができれば、おそらく今まで以上に正確にSCP-4173-JPの追跡・特定が可能になると思うんです。

市原管理官: ネットワークでか。随分と大掛かりになりそうだな。

呉部上席研究員: 確かに、実装するとなると技術部門の力を借りる必要はあるかもしれません。僕だけの力では成し遂げられない。とはいえ、RGSE自体は様々なバージョンがありますし、ホルト博士の論文に基づくなら、その基幹技術自体は相当単純のようですから。実装そのものが不可能な規模というわけでもないと考えます。

市原管理官: ふむ。して、実装するとして、実際にはどうやってSCP-4173-JPを正確に特定するというのかね。聞くに、あの技術を使うとなればいかんせん、目視でデータを調べるのが主になると思うが。

呉部上席研究員: はい。そこで、それ専用の統合エージェントを作る必要が出てきます。例のミーム痕跡は、どうもRGSEの出力結果のうち、SCP-4173-JPが見られる範囲から最も強く確認できることが分かっています。

(呉部上席研究員は資料を並べる)

呉部上席研究員: このミーム痕跡についてまだ完全な解析には至っていませんが……これの有無をRGSE越しに表層的に観測し、SCP-4173-JPの発症が疑われる場合にさらに段階的に深層の状態を調べる、ということが可能となれば、誤判定の可能性を最小化しつつSCP-4173-JPの追跡に大きく役立てられるかもしれないと考えています。

市原管理官: 統合エージェント、ね。

呉部上席研究員: ……どうしましたか?

市原管理官: いや。随分と元気になったなと思ってな。最初はあまり乗り気じゃなかったじゃないか。

呉部上席研究員: あぁ、いえ……仕事ですから。それに。

市原管理官: それに?

(沈黙)

呉部上席研究員: いえ。なんでもありません。すみません。

市原管理官: そうか。まあいい。呉部の話はかなり興味深いし、実際、SCP-4173-JPの発症率の高さ自体、上の方も相当問題視しているようだからな。財団がある程度制御できる方法はほしいところだろう。職員の士気にも、場合によってはヴェール維持の問題にも直結しうる話だ。実際にエビデンスと資料を揃えて、交渉が可能になったらまた私のところに持ってきてくれ。

呉部上席研究員: あ、ありがとうございます。

市原管理官: 構わん。お前はよくやっているよ、呉部。その調子で仕事を続けてくれ。


<停止>



CCTV-K0143 2015/7/24
サイト-8148 対話部門 第3カウンセリングルーム

<再生>


(ミヤマ精神分析官は、呉部上席研究員の持ち寄った資料を読んでいる)

ミヤマ精神分析官: 選択的自動精神鑑定エージェント、BLBY-EXE……RGSEの技術を応用した、SCP-4173-JPの追跡のためのスクリーニング技術……大胆な機能実装ですねこれ。呉部さんが一人でこれを?

呉部上席研究員: いえ、まさか。僕にはこんな大掛かりなシステムは組み込めませんよ。専門外ですし。

ミヤマ精神分析官: そうですか。でも、実際に資料をこうやって書き上げ、実際に倫理委員会の承認も得ている。そうでしょう?

呉部上席研究員: まあ。はい。とは言え、ほとんど管理官が手配してくれたおかげですが。

ミヤマ精神分析官: だとしても、倫理委員会にも伝わる資料としてこれを仕上げた事実までは、否定しなくて良いはずですよ。それも立派な職務ですし、十分すごい仕事を成し遂げたと言えるでしょう。

呉部上席研究員: なんですかね……あんまり、実感が湧きません。仕事をするのは、至極当たり前のことですし。褒められる理由もわからないです。

ミヤマ精神分析官: 当たり前のことを当たり前にこなすというのも、十分立派なことですからね。これはどの組織だってみんな同じだと思いますよ。

呉部上席研究員: そう……ですか。だとしても、うーん。やっぱり実感が湧きません。本当にこれで良いのか。SCP-4173-JPの収容に躍起になるのが正しいことなのか。わからなくなってきました。

ミヤマ精神分析官: どうしてですか?

呉部上席研究員: どうして、って……うーん。うまくは説明できないんですが、SCP-4173-JPが、本当に実存的な、特定可能な存在なのか実感がないから、と言いますか。

(呉部上席研究員は俯く)

呉部上席研究員: RGSE観測実験の被験者に選んだ人たちも、正直良い顔をしていませんでしたからね。何より、ぬいぐるみを抱えたり、キャラクターを推したり、そういった趣味の範囲内で行ってることを、異常だと勝手に決めつけているような気がして……そういう、ふわふわとしたものに手を伸ばして収容しろと言われているような気がするのが、僕の中で納得感のある仕事になっていないというか。

ミヤマ精神分析官: 確かに、状況だけを見るとそう思ってもおかしくない話ですね。

(ミヤマ精神分析官は机の資料を整理する)

ミヤマ精神分析官: でも、忘れないでほしい事があります、呉部さん。

呉部上席研究員: 何でしょうか。

ミヤマ精神分析官: 呉部さんが最初に抱いた違和感。データとしては薄弱だと言って疑っていた直感があったからこそ、SCP-4173-JPは発見できたということを。その仕事自体まで否定するほどのことではないと私は思います。

呉部上席研究員: うーん。そう、なんですかね。

ミヤマ精神分析官: 専門家として2年も呉部さんのお話をこうやって聞いてきた側から言えばですが、そう思いますね。呉部さんは誠実な人ですから、自分のことを疑ってかからないと気がすまない部分も多いのでしょう。自分のことをあまり言葉にしたがらない部分も含めて、自分にやけに厳しい。もっと、肩の力を抜いてもいいと思いますよ。

(沈黙)

呉部上席研究員: 実は。

ミヤマ精神分析官: はい。

呉部上席研究員: 実は、SCP-4173-JPだけを、ピンポイントで取り除くことが可能な可能性というのを、僕はなんとなく感じるんです。直感として。

ミヤマ精神分析官: そうなんですか?それはどういう直感でしょうか。

呉部上席研究員: SCP-4173-JPの発症者本人を直接検査しても、ミーム的な異常は認められないというのは、ミヤマ分析官も前提として知っていますよね。でも、RGSEの観測結果……つまり、SCP-4173-JPそのものが映っている抽出メディア自体には、ミーム的な痕跡がある。あくまで痕跡程度で、これがどう他者に作用するのかまでは微弱すぎてわからないのが実情ではありますが。

呉部上席研究員: そして何より、過去の実験データを思い出してほしいんですが。SCP-4173-JPはRGSE越しに、こちらの存在を認識していると思われる動きも見られましたよね。RGSEの仕様として、あくまで潜在意識下の思考から外側、つまり我々の存在を認知することは不可能なはずなのに、です。

ミヤマ精神分析官: うーんと。つまり、本来は起こり得るはずのない双方向性が、SCP-4173-JPに対してのみは起こり得ていて、かつミーム的ななにかであるがために、それを逆手に取ってSCP-4173-JPに作用を与えることができるかもしれないと。

呉部上席研究員: そう。そういうことです。ミーム痕跡はまだ解析が終わっていませんが……解析が完了している範囲でも、なんとなく輪郭だけは分かってきています。その輪郭を踏まえれば、おそらく対抗ミームも作れる気がします。

ミヤマ精神分析官: その輪郭というのは?

呉部上席研究員: うーん。そうですね。うまく言い表せないのですが……強いて言えば――「郷愁」の気配でしょうか。

ミヤマ精神分析官: 郷愁。

呉部上席研究員: はい。SCP-4173-JPから滲んでいるのは、郷愁……懐かしさという感情につながる観念なんじゃないかなと。そう思うんです。

ミヤマ精神分析官: それも、直感としてですか。

呉部上席研究員: はい。直感です。根拠はありません。でも――

(沈黙)

呉部上席研究員: でも、ミヤマ分析官の言う通り、直感というものも、あながち信用できないものでもない。そういう気がするなって、信じてみたいと思えてきたんです。こうやって、カウンセリングの流れで、仕事の話をするうちに。なぜでしょうかね。ミヤマ分析官だからでしょうか。

ミヤマ精神分析官: どうなんでしょうかね。ふふ。

呉部上席研究員: なんですか……わからないものをわからないなりに言葉にしたのが、そんなに変ですか?

ミヤマ精神分析官: いえ。そういうわけではありません。ただ、呉部さんが自分から心を開くようになってきたのが、少し嬉しかっただけですよ。ありがとうございます。

呉部上席研究員: (咳払い)……ともかく。僕はそういう直感に基づいて、ちょっと対抗ミームの研究に集中してみようと思います。ある程度形になったら重ねてRGSEを使った実験をすることになりますが……きっと、この仮説未満の仮説はうまくいく気がするんです。

(呉部上席研究員は立ち上がる)

ミヤマ精神分析官: ええ。呉部さん。応援しています。……ですが。

(呉部上席研究員が振り返る)

ミヤマ精神分析官: 無理だけは、しないようにしてくださいね。

(沈黙)

呉部上席研究員: ありがとうございます。


<停止>



SCP-4173-JP 対抗ミーム開発研究報告書

報告日時: 2015/8/3

実験監督責任者: 呉部淳介 上席研究員


1. 本研究の概要

SCP-4173-JPは、その性質上有知性体であることは確かであり、それゆえ発症者の心理構造に対する予測不可能な影響を及ぼす可能性は常に留意しなければならない。2015年現在、発症者のSCP-4173-JPへの依存は、抑うつの改善やPTSDの超克、慢性的ストレスの改善などの効果をもたらしており、それによる財団の業務効率の改善と労働環境の向上という好影響がもたらされている状態にある。しかし、その効果がどのような理由で、どのような目的を持って与えられるものであるのかが不明である以上、さらなる理解と解析が求められる。

また、SCP-4173-JPがどのような効果を有しているかを問わず、財団内外の秩序に対して無制限に撹乱し続ける状況は、ヴェール維持に対する深刻な脅威の可能性も同時に内包し続けることを意味する。本研究では、SCP-4173-JPとRGSEの相互性の研究と、現状までで把握している性質を逆手に取った対抗ミームの研究開発を目的として行われるものである。

2. SCP-4173-JPの性質に関する前提理解

SCP-4173-JPは、ヒトの精神構造内に発生する有知性体であることは、既にアーカイブされているSCP-4173-JP報告書での記載の通りである。そして、それに付随して、SCP-4173-JPは通常財団が保有・使用する各種検査技術においては一切異常な兆候が認められない。そのような状況ながら、ランドール・五加潜在意識抽出器(以下、RGSE)はSCP-4173-JPの数少ない観測方法となっている。

RGSEの潜在意識抽出結果上において確認されるSCP-4173-JPの形象は、通常はSCP-4173-JP発症者の所有・認知する依存対象と同等のものとして記録される。現状確認できる限りのすべての例において、この形象を逸脱したものはなく、同様にすべての例において発症者に宥免的な言動を重ね続けるような行動を必ず取っている。

そして、発症者に対しRGSEを用いて得られた抽出結果には、特殊なミーム痕跡が記録される。このミーム痕跡はSCP-4173-JPが大きく記録されている区間にのみ見られ、現在までに実験を行った被験者すべてにこの痕跡が認められる。このミーム痕跡のさらに詳細な分析上では、マグデア式情報伝達流動値測定法(※1)によって算出される情報伝達流動値は5.5~30μMfV(※2)とごく微弱な流動値であり、この微弱なゆらぎは極めて固有のミーム波長(※3)を有していることも分かっている。この波長自体もまた、財団の既知のミームスペクトル・パターンとは一致しない。このミーム波長は侵襲性はなく、その微弱さのため通常は見過ごされうる可能性が高い、SCP-4173-JP特有の性質であると言える。

すなわち、これらの観測事実こそが、SCP-4173-JPが何らかのミーム的性質を有する存在の一種であることを裏付けているといえる。

※1: マグデア式情報伝達流動値測定法は、ミーム伝達の流動値、つまり「どの情報がどのように伝達しうるか」のゆらぎの指向性を可視化・数値化することを目的に策定された概念である。ミーム伝達には自律的指向性があるという前提理解と解釈を1986年に提唱したマグデア・バルタス博士の古典理論を発展・再研究する過程で定式化が進められた経緯を持つ。

※2: 情報伝達流動値は通常MfV(Memetic flow Value)で表され、値が大きいほどそのミーム伝達に対する認識の比重が強まる。相対的な指標に基づくものの、情報伝達流動値が一定値以上となるとヒトの精神構造への侵襲性が極端に増大化すると解釈されており、これが「ミーム災害」と呼称される現象の原理であると考えられている。

※3: ミーム波長は、当該ミームそのものの持つ固有の識別情報である。ミームには個別・固有の伝達波長があり、授受相互に波長が無意識下で調律されることによってミームの伝達が成立する。正常なミーム伝達においては一般的に前述のようになるが、異常なミームの場合はこの波長が侵襲的に受け手側に影響することがある。情報伝達流動値とミーム波長は縦横座標によってグラフ化することで、そのミームがどれほどの異常性を持つかを検査することが可能である。異常ミーム被曝検査の基礎原理は、これらに基づいている。

3. SCP-4173-JPの持つ性質を利用した対抗ミームの開発経過

前述の通り、SCP-4173-JPはミーム的性質を色濃く宿した存在である。そして、ミーム的性質を有しているということが明確であるのならば、SCP-4173-JPを人工的に構造化した対抗ミームを伝達させることによって制御の可能性も期待できる。それが本研究の中心的な視座であり、到達点である。

以下はBLBY-EXEによって分類された、SCP-4173-JPの発症者の一人、リリーゼ・トンプソン博士を被験者として行われた、対抗ミームの先行開発の経過である。トンプソン博士はSCP-4173-JPを発症しており、自身の所有する依存対象からの慰撫を求める形で、不定期的に欠勤を繰り返していた。当人もその状況を快く思っておらず、SCP-4173-JPによる影響の除去を強く望んでいたことから、本研究の被験者として志願することとなった。

以下は、その志願に際して行われた事前インタビュー記録である。

インタビュー記録4173-JP - V2-01


対象:
リリーゼ・トンプソン 博士

インタビュアー:
呉部淳介 上席研究員
トレンシア・ミヤマ 精神分析官

実施日:
2015/7/25

付記: 収容部門所属のトンプソン博士はSCP-4173-JP発症者の一人。依存対象は[編集済]社の販売するヒツジ型ぬいぐるみであり、「デイジー」と名付けている。トンプソン博士は注意欠陥多動性障害(ADHD)および自閉症スペクトラム障害(ASD)の診断を財団雇用以前から有している。その発達特性に起因する不注意が原因で収容違反を引き起こした記録も見られる。現在は自身の所属するサイト-8133において特別配慮規定に基づく対応がなされており、SCPオブジェクトへの直接接触は禁止されている。


<記録開始>


sheepnui.jpg

トンプソン博士の依存対象。

呉部上席研究員: トンプソン博士。まずは本研究にご協力くださりありがとうございます。

トンプソン博士: ええ、はい。はい、こちらこそありがとうございます。

呉部上席研究員: 本来なら、これはDクラスを用いるはずだった研究のひとつです。よって、この実験であなたの精神に今後どのような変化が起きるかは、我々でもあまり正確な予測はできません。

トンプソン博士: は、はい。……なるほど。

呉部上席研究員: 一応、倫理委員会からの事前承認は得たうえで行わせていただく予定ですが……研究の過程で生じた何らかの精神的影響に際して、あなた自身がどのような状態になったとしても、その結果はご自身の責任として引き受けていただく必要があります。その点は大丈夫ですか?

トンプソン博士: あ、えっと……はい。大丈夫です。私、もうその……あまり迷惑をかけていられないので。昨日も、結局出勤ができなかったですから。その。

ミヤマ精神分析官: そんなに緊張なさらなくても結構ですよ。

トンプソン博士: あっ。その、すみません。

(トンプソン博士はヒツジのぬいぐるみを強く抱きしめる)

呉部上席研究員: では、事前に色々お聞かせください。そのぬいぐるみについて、詳しく教えてくれますか?

トンプソン博士: あ、これですね。この子、はい。この子はデイジーって言うんですけど、私、いつも寝る時とか、寮で過ごしてる時とかはずっと一緒で。元々、財団で働く前に、3歳くらいの頃からずっと一緒で。お母さんに買ってもらったんです。あの、お母さんってすごく優しくって、その……私の実家はテネシーなんですけど――

呉部上席研究員: あー、えっと。すみません。もう少し整理していただけると助かるのですが……。

トンプソン博士: え?あぁ、すみません。また一気に話してしまいました。

ミヤマ精神分析官: 大丈夫ですよ。つまり、それは幼少期の頃からずっと一緒だった子だったってことですよね。トンプソン博士。

トンプソン博士: はい、はい。そうです。そう。デイジーとは、ずっとお友達でした。

ミヤマ精神分析官: そんなにも大事な子だということは、手放す覚悟は相当だと思うのですが……それでもなお、どうしてこの実験に手を上げてくださったのでしょうか。

トンプソン博士: あー、えっと……それは。

(さらに強く抱きしめる)

トンプソン博士: その。SCP-4173-JPだって知ったから、です。

呉部上席研究員: SCP-4173-JPが、Euclidクラスのオブジェクトとして指定されているからでしょうか。

トンプソン博士: あ、はい。それもです、それもあります。でも、一番大きいのは……デイジーがSCP-4173-JPだって分かって、私がいつもそれに甘えてるのが、良くない気がして。ほら、財団職員なのに、SCPオブジェクトを私物にしてるの、良くないですから。

ミヤマ精神分析官: だから、その子を――デイジーを捨てなきゃって思ったんですか?

トンプソン博士: はい、そうです。

ミヤマ精神分析官: うーん。やはり……それはどうにも性急過ぎるというか。無理をなさっていませんか?

トンプソン博士: そ、そんな!無理だなんて。それよりも、私はオブジェクトにすがってしまってることが、その……やっぱり、耐えられないんです。何度も、何度も休みたくなったのは、デイジーがずっと、ずっと優しいからで。私、その優しさに甘えすぎだったんです。発達障害だからって、財団で迷惑をかけていられませんし。配慮がされているのはありがたいです。ありがたいですよ。けど、やっぱり……。

ミヤマ精神分析官: それでも、配慮の中で最大限働けているのなら、十分だと思います。わざわざこんな危険な実験に、優秀だからこそこの地位にいるあなたの頭脳を捧げるなんて。

トンプソン博士: じゃあ、じゃあ!私、毎日、毎日休んだりしても良いんでしょうか。あっいや、毎日じゃない。そうじゃなくて、その、迷惑になるような休みをとって、仕事ができなくなっても良いのかなって。それが、SCP-4173-JPのせいでも良いのかなって。

(トンプソン博士は俯く)

トンプソン博士: (サイト-8133の)管理官さんに、欠勤について……先日叱られたばかりですし……だから……。

ミヤマ精神分析官: トンプソンさん……。

呉部上席研究員: 博士。本気で、そうまでして実験に挑みたいのですか。

トンプソン博士: え、あっ……(呉部上席研究員のほうへ驚いたような表情で振り向く)……は、はい。

呉部上席研究員: 我々としても、この研究は立場として、状況解決に向けて抜かりなく進めていきたいと思っています。そして、SCP-4173-JPの性質上、途中で被験者が変わってしまったりすると、条件不一致によってより良い結果が得られなくなる可能性もある。

呉部上席研究員: ……つまり。一度実験を開始したら、より最適な結果が得られるまで、継続して実験への参加をしていただく必要があるということです。

呉部上席研究員: それでも、構いませんか。

ミヤマ精神分析官: (耳打ちをする)……呉部さん。

呉部上席研究員: (耳打ちを返す)……もはや仕方がありません。こちらから心配をしたところで、覚悟している相手に言えることはあまりないでしょう。僕も心苦しいですが……。

ミヤマ精神分析官: で、ですが……やっぱり、リスクも大きいですってこれ。

トンプソン博士: あ、あの!

(強くぬいぐるみを抱きしめる)

トンプソン博士: はい。はい、あの。構いません。私、もうそのつもりで、このサイトに来ましたから……。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: ……分かりました。トンプソンさんがそうまで仰るのであれば、仕方がありません。よろしくお願いします。

トンプソン博士: はい。よ、よろしくお願いします。


<記録終了>


以下は、SCP-4173-JP専用対抗ミームのプロトタイプ「V-4173-β」を用いた後に行われたRGSE観測実験の抜粋である。

RGSE観測記録4173-JP-Thompson01 - 2015/7/26:

実験者: 呉部淳介 上席研究員, トレンシア・ミヤマ 精神分析官

対象: リリーゼ・トンプソン 博士

付記: トンプソン博士に実際にSCP-4173-JPがどのように存在しているかを確認することを目的に行われた初回実験である。何も適用せず、RGSEを用いて潜在意識を観測する。

抽出結果: 財団の研究室内と思われる場所で、男女様々な白衣の人間に囲まれているシーンから始まる。映像はトンプソン博士の主観視点と思われる。白衣の人間は全員口以外の部位が見られず、輪郭が抽象的である。彼らはトンプソン博士に向かって聞き取れない音量で何らかの指示を話しており、トンプソン博士が聞き返した際に暴力的な叱責が発生していた。

トンプソン博士はその状況に恐怖していると思われる描写が続き、最終的に研究室中央に突然発生した赤いボタンを慌てて押したことで、SCP-████が施設内に大量に脱走するシーンに続いた。施設内が混乱する中で、トンプソン博士はしゃがみ込み、パニックを発症したような状態となる。

直後、シーンは子供部屋のような場所に変化し、トンプソン博士が頭を上げた際にヒツジ型のSCP-4173-JPが出現。SCP-4173-JPはトンプソン博士を抱きしめながら終始、「今はもう休んでも良い」「君は頑張ってきた、だからちょっと立ち止まろう」「みんなが君を嫌っても、私は味方でいるから」と、非常に宥免的な内容の発言を与え続けていた。

後記: 抽出後、結果を参照させつつトンプソン博士に確認を行ったところ、映像内に出現したSCP-4173-JPは「デイジー」であると説明。子供部屋も幼少期の実家の自室だと説明した。実験後のインタビューでのトンプソン博士の反応から、無断欠勤はSCP-4173-JPの宥免的な会話に従ったものである可能性が極めて強く示唆された。

RGSE観測記録4173-JP-Thompson02 - 2015/7/27:

実験者: 呉部淳介 上席研究員, トレンシア・ミヤマ 精神分析官

対象: リリーゼ・トンプソン 博士

付記: 対抗ミームの最初のバージョンであるV-4173-β.01を照射し、RGSEを用いて潜在意識を観測する。

抽出結果: 前回の実験同様に、財団の研究室内と思われる場所で、同様に複数の職員らしき人影と立ち並んでいる様子から始まる。映像はトンプソン博士の主観視点だが、前回との差として、職員らはトンプソン博士に興味を示している様子が見られない点が挙げられる。トンプソン博士は慌てた様子で彼らに声を掛けるものの、無視されている。

そのような描写が4分ほど続いた後、トンプソン博士の右側にSCP-4173-JPが出現。この時点で背景はトンプソン博士の実家の自室に変化。SCP-4173-JPはトンプソン博士の右手を握り、「大丈夫。君は一人じゃないから」と宥免的な言葉を投げかける。しかし、彼女は前回よりもあまり好意的な態度をSCP-4173-JPに向けず、意図的に無視をしようとする心理兆候を示す。SCP-4173-JPはそれを受けてもなお、トンプソン博士から離れる様子はなかったが、背景に見られるオブジェクトの陰に複数の気配らしきものが観測された。

後記: 抽出後、結果をトンプソン博士に確認させたところ、SCP-4173-JPの口数の少なさについて複雑さを抱えた心情を吐露した。不明な気配に関しては、トンプソン博士も深く理解している様子は見られなかった。

RGSE観測記録4173-JP-Thompson03 - 2015/7/28:

実験者: 呉部淳介 上席研究員, トレンシア・ミヤマ 精神分析官

対象: リリーゼ・トンプソン 博士

付記: 対抗ミームの情報伝達流動値が1~4mMfV程度となるよう調整し、トンプソン博士にV-4173-β.02を照射。RGSEを用いて潜在意識を観測する。

抽出結果: 前回、前々回の実験同様に、財団の研究室内と思われる場所で、職員らしき存在と立ち並んでいる様子から始まる。今回のトンプソン博士は客観視点となる割合が多い。トンプソン博士は職員らと共に、異様に落ち着いた様子でSCP-████に対する不明瞭な実験業務を行っていた。SCP-4173-JPが出現し、トンプソン博士に何らかの会話を行おうとしているものの、声は判然とせず、トンプソン博士は気づくことなく実験を継続していた。

数度、SCP-4173-JPはトンプソン博士に接触を試みようとするが、トンプソン博士は一切気に留めることはなかった。その直後の視点の切り替わり以後、周囲の職員の頭部、およびSCP-████の頭部は顔の備わっていないぬいぐるみの頭部のような形状に変化した。実験終了直前、SCP-4173-JPはこちらに視線を向け、何かを訴えかけるように口を動かしている様子が確認できる。

後記: 抽出後、結果をトンプソン博士に確認させたところ、映像内に出現したSCP-4173-JPに対し、違和感を訴えるようになった。また、実験終了後に自身のぬいぐるみに対しても、同様の違和感を訴えている。周辺の人物の頭部がぬいぐるみに変化する瞬間において、トンプソン博士は原因は判然としないながら、それらに対してどこか好意的な態度を示していた。

RGSE観測記録4173-JP-Thompson04 - 2015/7/29:

実験者: 呉部淳介 上席研究員, トレンシア・ミヤマ 精神分析官

対象: リリーゼ・トンプソン 博士

付記: 対抗ミームのミーム波長をトンプソン博士のミーム波長とも適切に同期するよう調整し、トンプソン博士にV-4173-β.03を照射。RGSEを用いて潜在意識を観測する。

抽出結果: 財団の研究室内と思われる場所で、複数の頭部が顔の備わっていないぬいぐるみに変化した職員らに、トンプソン博士は迎えられている。映像は基本的に主観視点で記録された。トンプソン博士は彼らから「仕事をしよう」「君ならできる」と激励されながら、作業台に置かれたぬいぐるみの解体・破壊作業を行っていた。

観測中に13体のぬいぐるみをトンプソン博士は解体したが、最終的にSCP-4173-JPが作業台の上に出現し、それに対して彼女は表情を変えずに自らの手で押さえつけ、他のぬいぐるみと同様の手順で解体した。以後、同様の映像が出力され続けたため実験は終了した。なお、この際のSCP-4173-JPはトンプソン博士に追いすがり、行為を制止させようとしたほか、頭部がぬいぐるみの職員らに対して否定的な言動を繰り返していた。

後記: 実験終了後のインタビューでは、トンプソン博士は極めて平静な態度を示している。自身の依存対象に対して否定的言動も発しており、以前のように抱擁するなどの行動は見られなくなった。抽出結果の状態などと関連して分析する限り、SCP-4173-JPが潜在意識下から消失しつつある可能性があるため、V-4173-βはSCP-4173-JPに対して有効かつ実用的な制御手段となり得る可能性が示唆される。

RGSE観測記録4173-JP-Thompson05 - 2015/7/30:

実験者: 呉部淳介 上席研究員, トレンシア・ミヤマ 精神分析官

対象: リリーゼ・トンプソン 博士

付記: 最終調整版であるV-4173-β.04をトンプソン博士に照射。RGSEを用いて潜在意識を観測する。

抽出結果: 前回と同様に、トンプソン博士は頭部がぬいぐるみの職員らと共に、ぬいぐるみを解体し続ける作業を行っていた。トンプソン博士は前回までの様子から比較しても、明らかに明朗な態度を見せている。映像内にSCP-4173-JPが出現する様子は見られなかった。映像は変化がなく、トンプソン博士はぬいぐるみの解体作業を継続し続けていたため、実験は早期に終了した。

後記: 実験終了後、トンプソン博士は映像内と同じく、極めて明朗な言動が明らかに増加している。また、自身の依存対象であったはずのヒツジのぬいぐるみを処分するよう主張した。



インタビュー記録4173-JP - V2-02


対象:
リリーゼ・トンプソン 博士

インタビュアー:
呉部淳介 上席研究員
トレンシア・ミヤマ 精神分析官

実施日:
2015/7/30

付記: 以下のインタビューは、一連の実験が終了した後、精神的変化がどのように起きたかを検証することを目的に行われた最終確認の結果である。


<記録開始>


呉部上席研究員: それで、どうしてそのぬいぐるみを……処分したいと思ったのですか。

トンプソン博士: あ、はい。あの、私にはこれは必要はなくなったからです。

ミヤマ精神分析官: あれほど大事にしていたじゃないですか。その心境の変化には、何があったのでしょう?

トンプソン博士: 変化……そう、ですね。変化はありました。私、もう、一人でもやっていけると思えたからです。

ミヤマ精神分析官: それはどうしてですか?

トンプソン博士: 実験が終わって、しばらく考えてみて。その、私、思ったんです。ぬいぐるみよりも、もっと大事なことがあるって。私は、それをしっかりこなさなきゃって。

呉部上席研究員: 大事なこと、とは?

トンプソン博士: お仕事です。財団でのお仕事。

ミヤマ精神分析官: それが、ぬいぐるみよりも大事だと思えた変化には、何があったと思いますか?

トンプソン博士: うーん。そうですね。財団の職員のみなさんに、私もっとちゃんと向き合いたいと思うようになった……から?

(沈黙)

トンプソン博士: 私、私ですね。すごく感謝してます。仕事でもミスは多いですし、収容違反を起こしてすごく怒られたり、避けられることも多かったりするのが、ずっと怖かった。でも、でも。

(沈黙)

トンプソン博士: ……でも。今は、それも全部、ちゃんと向き合えることだと思うし、向き合わなきゃって思ったんです。

トンプソン博士: なぜなら、私は財団で働いているから。仕事をちゃんとするなら、向き合わなきゃいけないから。

ミヤマ精神分析官: では、今はそのぬいぐるみ……デイジーに対してはどう思っていますか?

トンプソン博士: あーデイジー。これはもう、私には必要ないかなって思います。いらないです。

(ぬいぐるみが乱雑に握られ、机に置かれる)

呉部上席研究員: トンプソン博士は、それに対して拒絶や嫌悪に近い感情で見ている……と理解していいでしょうか。

トンプソン博士: 嫌悪。いいえ、嫌悪や拒絶なんかじゃないです。そうじゃない。けど、必要がないと思っただけ。嫌いじゃないですけど、私のものにし続けるのは違いますよね。私、これのせいで、欠勤がすごかったんですから。

ミヤマ精神分析官: では、ぬいぐるみがなくても、欠勤は減るかもしれないくらいには安定している感じですか。

トンプソン博士: 安定。はい、安定しています。欠勤は……少なくともぬいぐるみのせいで欠勤することはないと思います。私の、その、発達のせいで遅刻はあるかもしれません。それは前までもよく怒られてたところですし。でも、それは配慮してもらってる範囲のことだから。でも欠勤はしないです。

ミヤマ精神分析官: そうですか。……分かりました。ありがとう。また、精神的になにか不安に思うことがありましたら、改めて私たちに相談してください。サポートします。

トンプソン博士: サポート。はい、サポートありがとうございます。こちらこそ!


<記録終了>


4. 本研究の今後の方針

トンプソン博士に対するV-4173-βの照射から導き出された結果からわかるように、明確かつ効果的にSCP-4173-JPを消失させ、職員の正常な士気を復帰させることが可能であると考えられる。また、事前に立てた仮説通り、SCP-4173-JPと観測者はRGSEを介して相互的に作用することも判明した。

ただし、V-4173-β.01~.04までの照射結果からわかるように、その効能はミーム波長と情報伝達流動値の適宜調整が必要である。そして、この調整は現状、専門家による深い精神分析を要する領域の作業であることも無視できないコストである。人間の精神構造はあまりにも高次的であり、トンプソン博士の例はその一側面に過ぎないと理解するべきである。

よって、SCP-4173-JPへの対抗ミームの開発は、さらにこの調整を最適化できる形式を模索し、かつ前述の高度な分析と調整作業を自動化できるエージェントプログラムの開発が求められる。RGSEの基礎技術を利用したBLBY-EXEを拡張・発展させる形で機能実装は、その手段として提案できるものの1つでもある。

現状では、対抗ミームはまだプロトタイプの段階だが、今後、SCP-4173-JPを発症しているDクラス職員、および実験を希望する職員に対抗ミームを照射し、その経過の観察と最適な手順を模索する予定である。安全かつ根本的なSCP-4173-JPの制御手段として有用であるといえる水準に至るまで、本研究を継続する見込みである。


音声通信記録4173-JP - V2-03


参加者
呉部淳介 上席研究員
市原秋斗 サイト-8148管理官
サリュート・スコルフ 倫理委員長
バクロス・シルヴィオール 倫理委員
O5-7

実施日:
2015/8/6


<再生>



[重要度が低いため省略]


呉部上席研究員: ……以上が、SCP-4173-JPに対する影響制御として効果的な理論モデルとなります。まだ完全な調整は継続中ですが、技術部門が開発・管理を担当するBLBY-EXEの基礎構造とも適合しますし、喫緊のSCP-4173-JPの無秩序な流行に歯止めをかけることができるものと思われます。

O5-7: 承知。現時点までの状況と、それに対応する手段を手札として理解した。SCP-4173-JPがミーム性を持った知性体であるという事実は、我々に対抗手段ができたことを意味する。好機。さらには、呉部上席研究員はミーム学に造詣が深い。対策として万全性に富んでいるといえる。

シルヴィオール倫理委員長: SCP-4173-JP問題は喫緊だ。倫理委員の中でも、発症者と思しきメンバーも発生している。監督評議会もまた同様の問題にさらされかねない事態でもある。このあたりは実際として、どうでしょうかね。O5-7。

O5-7: 肯定。把握している限り、現職のO5-3、O5-9、O5-11は、BLBY-EXEのスクリーニングにて発症者としてマークされている。直接の対処は重大性を鑑み、アプローチはこちらで保留としているが。

シルヴィオール倫理委員長: ……という具合だ。財団全体でも2割近くが既にSCP-4173-JPを頭の中に飼いならしている状況、管理側もまた人間である以上、同じ問題に直面している有り様だ。

スコルフ倫理委員: とは言え、リスクがないわけではありません。話を聞く限り、そのミーム除去エージェントの理論構想は、極めて侵襲性が高いものにならざるを得ないわけじゃないですか。おまけに、SCP-4173-JPはどこまでがそれの影響で、どこまでが当人の判断なのかを明確化できる技術もない。一歩対応を間違えれば、それこそ逆に職員の士気に直結しかねないのではありませんか。

呉部上席研究員: はい。スコルフ倫理委員の懸念は至極全うと考えます。よって、本件に関しては実際に研究を継続する過程で、その倫理的な暴力性をどこまで低減させるかが最後の鍵になるという結論に達しております。

市原管理官: とはいえ、このまま対処をせずに放置を続けてしまえば、どのような影響が生じるかがわからない以上、ある程度は受け入れなければならない側面もあるでしょう。

スコルフ倫理委員: しかし。ふむ……やはり承服しがたい。職員のプライベートでの活動までを監視・監督できるほどの余力が我々にあるのかも熟考すべきでしょう。本件にリソースを割きすぎるのは本末転倒な結末になる恐れもあります。

O5-7: 疑問。スコルフ倫理委員は何を懸念している?前提。既にBLBY-EXEは職員全体の自動スクリーニングを実行中である。ゆえに、SCP-4173-JPの発症者把握率は90%を超えている。当該懸念に関する検証は、今更熟考する領域にはない。

スコルフ倫理委員: それはそうですが……収容するにしても方法を考えなくてはならない、ということです。呉部の提案は確かに画期的な発見と応用だとは思いますが、だからこそ取り扱いには慎重にならなくてはならないはずです。

市原管理官: 既に技術資料および研究過程の報告書にあるように、この対抗ミームはSCP-4173-JPのみを選択的に処理することが可能です。

スコルフ倫理委員: あくまで人の手で、個別に調整をしたら、の話でしょう。専門性が必要な部分を自動化するのは合理的とは思えない。

シルヴィオール倫理委員長: では、人の手で一人ずつ、数百時間を掛けてミームの流動性と波長を調整するやり方で、どうやってSCP-4173-JPを収容すると言うのだね、スコルフ倫理委員?

スコルフ倫理委員: それは……。

O5-7: いずれにせよ、何らかのアプローチは必ず要る瞬間は訪れるだろう。呉部上席研究員。当該研究を担当した者として、率直に述べよ。結論。貴殿はどうあるのが適切と考えるか?

呉部上席研究員: えっ。そうですね。僕は。

(沈黙)

O5-7: 早急に述べよ。呉部上席研究員。

呉部上席研究員: 僕は……まだ、研究を継続すべきかと。

O5-7: 疑問。どのような研究を?先に貴殿が述べたように、暴力性を伴う誤謬を低減させる手段の模索か?

(沈黙)

O5-7: 呉部上席研究員。

呉部上席研究員: いえ。

O5-7: では、研究継続の事由を述べよ。

(沈黙)

市原管理官: (小声)呉部、何を言うつもりだ。

呉部上席研究員: その。やはり、この判断は些か性急過ぎるように思います。この対抗ミームは確かに、僕らの研究によって有効性は示されていますが、だからといってすぐに実装できるようなものとも思えないのです。人の心に介入する以上、システマチックに判定できる保証がどこまでできるかも不安が残りますし。

市原管理官: おいおい、待て呉部。君は何を言ってるんだ?RGSEの観測で、SCP-4173-JPの発症があるかないかで判断を自動でできるようにすれば、誤判定を最小化できると言ったのは呉部じゃないか。それじゃ筋が通らんぞ。

O5-7: 肯定、及び疑問。呉部上席研究員は何を懸念している?既に、我々は数多の自動処理プログラム、人工知能、エージェントを技術的資産として保有している。これらは既にヴェール外より30年先の技術体系として成熟している。BLBY-EXEもその技術の1つであることは確認済の事項である。

O5-7: 疑念。呉部上席研究員はそれを理解しているか?

(沈黙)

呉部上席研究員: しかし、それでも個々人の趣向にどう踏み込むかは重要じゃないかと……すみません。ですが、ここまで見てきた被験者は、一様にして異常があるとも思えなかったことを踏まえれば――

(ため息)

シルヴィオール倫理委員長: 呉部上席研究員、悪いがそれこそ、財団が憂慮すべき部分ではないかと私も考えてるのだよ。

シルヴィオール倫理委員長: 考えてもみなさい。SCP-4173-JPは、既存のカテゴリに当てはまらないミーム波長を持っていて、かつ人間の精神構造のすぐ隣にくっついているわけじゃないか。

シルヴィオール倫理委員長: そんなリスキーな箇所に未知のミーム性質のものが絡んでいて、むしろ君は警戒はしないのか?

O5-7: 支持。呉部上席研究員は主観的判断を根拠とするが、主観はデータとしての論理性・客観性の観点からは根拠に乏しい情報である。確認。形式部門の性質から思案しても、優先して排除すべきバイアスの可能性といえる。

呉部上席研究員: そ、それは……。

(スコルフ倫理委員が発言をしようとするも、O5-7と発言が重複)

O5-7: 指示。呉部上席研究員はSCP-4173-JPの収容に、現在想定される手段以外に有効な方法を提示せよ。

(沈黙)

O5-7: 呉部上席研究員。

呉部上席研究員: ……実装、すべきだと思います。

O5-7: よろしい。

スコルフ倫理委員: 本当によろしいのですね。

O5-7: 疑念。スコルフ倫理委員は何を懸念している?

スコルフ倫理委員: ……いえ。

シルヴィオール倫理委員長: ともかく、対抗ミームの開発はほとんど完了しているのなら、問題はないだろう。呉部上席研究員、その点に関してはご苦労だった。

呉部上席研究員: はい。……ありがとうございます。

O5-7: 結論。あとは我々が、BLBY-EXEへのミーム除去エージェントの実装可否の最終決議を採択した後、追って連絡する。確認。問題はないな?

呉部上席研究員: はい。


<停止>



監督評議会提言概要

提言:
“SCP-4173-JP専用対抗ミーム「フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェント」のBLBY-EXEへの実装可否、および発症者への照射実行可否を問う。” (O5-7)

評議会投票概要:



棄権
O5-1 O5-5 O5-3
O5-2 O5-8 O5-9
O5-4 O5-10 O5-11
O5-6 O5-13  
O5-7    
O5-12    


結果
承認

注記:
同ミーム除去エージェントのBLBY-EXEへの実装は承認され、8月29日より財団職員に対し順次ロールアウトされるものとする。以後、段階的に財団外のネットワーク上にも、同ミーム除去エージェントの照射を行うことも検討される。








CCTV-K5581 2015/8/14
財団日本支部マクロライン サイト-8148地下6階 2番ホーム

<再生>


(呉部上席研究員がベンチに座っている)

(数分後、スコルフ倫理委員が反対側のベンチに背中合わせに座る)

スコルフ倫理委員: 先日は大変でしたね、呉部上席研究員。仕事上がりですか。

呉部上席研究員: え?……あ、はい。そうですね。ちょうど。

スコルフ倫理委員: お疲れ様です。

(沈黙)

スコルフ倫理委員: そういえば結局、8月29日に例のミームエージェントは実装される見込みとなりました。

呉部上席研究員: はい。そう……ですね。把握しております。

スコルフ倫理委員: (ため息)残念でしたね。元々あの会議の場には、私も実装は反対するつもりで出席したんですが、どうやら倫理委員会も評議会も、今や冷静ではないのかもしれません。

(沈黙)

呉部上席研究員: ……O5-7はなぜあんなに焦っていたんでしょうか。

スコルフ倫理委員: さあ。それは我々倫理委員会と言えど、権限の問題からヒントに触れることすらかないません。ですが。

(スコルフ倫理委員は俯く)

スコルフ倫理委員: これは個人的な、いわば直感程度の話に留めておいてほしいんですが……あの会議や、他の委員やO5-7に見られたようなSCP-4173-JPに対する露骨な拒絶の態度は、私にはどうにも熱量が異常に思えてなりません。

呉部上席研究員: と仰りますと。

スコルフ倫理委員: 要するに、あの態度はなにか、別の意識の裏返しだったりするかもしれない、ということです。

スコルフ倫理委員: 例を挙げてみましょう。呉部上席研究員は犬は好きですか?

呉部上席研究員: 犬ですか。犬はあんまり興味がありませんね。

スコルフ倫理委員: そうですか。

(沈黙)

スコルフ倫理委員: 実は、私は犬は近くにいるだけでパニックになるほどの恐ろしい存在なんです。幼少期に野良犬に追いかけ回されて引きずられたことが原因で。それこそ、子犬だろうとぬいぐるみだろうと、犬という概念そのものが苦手と言えるほどです。まぁ最近ようやく、文書や写真で見る分ではパニックにならなくなりましたけどね。

スコルフ倫理委員: だから普段の生活でも、犬に近い場所や施設への赴任は、可能であれば別の倫理委員に頼んだりすることもあります。対話部門のサポートもあってですが。いわばトラウマですね。平たく言えば。

呉部上席研究員: ええっと、つまり何を仰りたいのでしょうか。

スコルフ倫理委員: 要するに。O5-7やシルヴィオールなども同じ可能性がある、ということです。

スコルフ倫理委員: いえ、最初に申し上げた通り、根拠はありませんよ。これも直感に過ぎません。でも、彼らのあの必死さには、なにか大きな感情的動機があるように思えてならないんですよ。無自覚な動機というものがですね。

呉部上席研究員: 無自覚な動機。

スコルフ倫理委員: そう。 言ってみれば彼らは、私が「犬が怖いから世界の犬をすべて収容しろ」と言い出しているように見える、と説明すればわかりやすいでしょう。

呉部上席研究員: ……あぁ、なるほど。確かにそう説明されると納得感は強いです。

スコルフ倫理委員: でしょうね。そしてその可能性はあの投票結果にも滲み出ているようにも思います。O5の決議報告は関係者なら見れるはずなので、呉部上席研究員もご存知ですよね。

呉部上席研究員: 確か、賛が6、否が4、棄権が3……でしたよね。

スコルフ倫理委員: 棄権者についてよく思い出してください。誰が棄権していましたか?

呉部上席研究員: ええっと確か、O5-3、9、11、でしたっけ。

スコルフ倫理委員: そう。そして、O5-7は会議の時、SCP-4173-JPの発症者についてなんて言っていましたか?

(沈黙)

呉部上席研究員: あっ。

スコルフ倫理委員: ……正常性の守り人の頭と言えど一枚岩ではないどころか、パワーバランスが見え隠れしてると言ってもいいでしょうね。

呉部上席研究員: そもそも棄権者が反対票を投じていれば、この判断は否決されていたかもしれない、とも読めますよね。

(スコルフ倫理委員は呉部上席研究員の方へ僅かに顔を向ける)

スコルフ倫理委員: これはあくまで私の予想ですが、評議会は、ひいては財団の上層部全体では、SCP-4173-JPに職員が心を委ねかねない構造そのものを、相当警戒しているのかもしれないですね。

スコルフ倫理委員: そして、その根底にあるのは「異常なものに依存しているO5や倫理委員がいる」という事実に対するパニックと言っても良いでしょう。O5-7はそれにいち早く気づき、他の3名を切り離そうとしてああなったのかもしれません。まあその3名も相当不服だったでしょうけど、反論できるだけの根拠も立場上おそらく組みにくい。

呉部上席研究員: だから、自ら棄権せざるを得ないことになった……とすれば、それって。

(呉部上席研究員は焦燥している様子を見せる)

スコルフ倫理委員: 落ち着いてください。あくまでコレは推測の域を出ません。本当のところは私にも知る由もありませんし。ただ倫理委員会の方では似たような空気は感じなくはなかったので、それほどズレた予想ではないでしょうね。

(車両到着のアナウンス。スコルフ倫理委員は立ち上がる)

スコルフ倫理委員: (咳払い)……ともかく。呉部上席研究員。あなたはあの場では最善を尽くしていたように思います。少なくとも私は、そう信じたい。

呉部上席研究員: 倫理委員。

スコルフ倫理委員: あの場では私は力及ばずだったことをお詫びします。だからこそ、あなたにひとつアドバイスをさせていただきたい。

スコルフ倫理委員: もし、SCP-4173-JP案件でなにか思うことがあるなら、その気持ちに向き合ってみてください。きっとあなたなら、SCP-4173-JPになにか思うところがあるはずです。一番近くで研究をしていたあなたなら。

呉部上席研究員: そんな。僕は何も。

スコルフ倫理委員: だとしてもです。少なくとも、あの議論の中で、あなたの立場でリスクをどこかに感じ取ったことは重要な根拠です。その点では今のO5よりもずっとあなたのほうが勝手を知ってるはずです。

スコルフ倫理委員: あとは、それを掘り下げるための直感を信じてみてもいいと思います。

(スコルフ倫理委員は乗車する)

スコルフ倫理委員: では、私はお先に。

(発車)

呉部上席研究員: 直感、か。

(沈黙)

呉部上席研究員: トラウマ、痛み、つらさ。

呉部上席研究員: ……ぬいぐるみ。

呉部上席研究員: ぬいぐるみなんて、そんなの。興味もない。

呉部上席研究員: 興味、なんか……。

(呉部上席研究員は俯く)

(車両到着のアナウンス。呉部上席研究員は乗車しなかった)


<停止>













端末通話記録

通話者: トレンシア・ミヤマ 精神分析官, 呉部淳介 上席研究員

記録日: 2015/9/25 21:46


<再生>


ミヤマ精神分析官: どうしたんですか呉部さん。突然電話を掛けてくるなんて。

呉部上席研究員: いえ、なんてことはないのですが、少し話をしたくなりまして。

ミヤマ精神分析官: なんだからしくないですね。呉部さんから着信なんて今まで一度も無かったし、電話口でのお話は苦手じゃなかったでしたっけ。

呉部上席研究員: (小さく笑う声)もう昔の話ですよ。今は平気です。それに良いじゃないですか。最近は仕事も調子が良いですし。

ミヤマ精神分析官: そうなんですか。ええっと、SCP-4173-JP関係で無理とかはしてないですよね?

呉部上席研究員: まさか。そっちも順調ですよ。例の対抗ミームをBLBY-EXEに実装して1ヶ月、しっかり機能してるみたいです。SCP-4173-JPの発症者を広域に特定、そして対処……それらを効率的に自動化できたことで、ようやく制御下に置けた感じです。長い道のりでしたが、結実して良かったですよ。ミヤマ分析官のおかげでもあります。その感謝も伝えたくてお話を――

ミヤマ精神分析官: (沈黙)

呉部上席研究員: って、ミヤマ分析官?

ミヤマ精神分析官: やっぱりおかしい。

呉部上席研究員: どうしたんですか?

ミヤマ精神分析官: そんなに明るく振る舞うなんて、変です。何かあったんですか?声色も異様に高すぎます。

呉部上席研究員: 高すぎるって、今まで通りですよ。むしろこんなにも心地良く過ごせていることの何が問題なんですか。

ミヤマ精神分析官: それ自体が問題なのではありません。やっぱり気のせいじゃなかった。他の職員も……いえ。ともかく今そちらに向かいます。その場でお待ちいただけますか。

呉部上席研究員: 大丈夫ですよ。今日の業務も終えたところですから。良ければこのあと一緒に飲みにでも行きますか?

ミヤマ精神分析官: 今から行くのはカウンセリングルームです。

呉部上席研究員: それも良いですね。お待ちしています。


<停止>











SCP-4173-JP 第3版


アイテム番号: 4173-JP
レベル1
収容クラス:
uncontained
副次クラス:
{$secondary-class}
撹乱クラス:
dark
リスククラス:
notice
laughing.jpg

後天性ストレス失認症候群(AS2)を発症した人々。写真はステージIの段階にある発症者のもの。

特別収容プロトコル: SCP-4173-JPの収容は監督評議会、および倫理委員会の回答待ちにつき保留されています。現在、インシデント"ボウルビィ"の発生に伴い、対処計画の策定が進められています。

説明: SCP-4173-JPは、ヒトの精神構造内において、各個人ごとに独立して生じる概念的知性体の総称です。SCP-4173-JPは通常の心理学的検査、異常ミーム被曝検査、情報改変検査、現実改変検査等といった手法では発見されず、ランドール・五加潜在意識抽出器(RGSE)の使用によって初めて存在が確認されました。財団の初期調査における多数の実験とその経過により、SCP-4173-JPはヒトの持つ高度な精神構造にのみ発症するものと考えられています。なお、調査の過程で得られた統計データから、本報告書編集時点で財団内では約45%が、世界人口では約7%がSCP-4173-JPを発症させている可能性があります。

SCP-4173-JPは通常、発症者に対して極度に許容的・抱擁的・哲学的な言動を繰り返します。該当者はSCP-4173-JPに対して依存的に振る舞う例が極めて多く、その言動は依存対象に対して向けられる傾向があります。なお、依存対象となるアイテムは基本的に人型あるいは生物的な形状を有した人工物や創造物であり、非生物的形状や過度に空想的でイメージを伴わないものでの発生例は極めて稀です。

SCP-4173-JPの容姿は発症者の依存対象を象徴的なアンカーとして用いていると考えられており、依存対象を没収・隠匿・紛失・破棄等といった状況が発生した場合一時的に消失ないし喪失する様子を見せ、発症者は強烈な精神的苦痛を訴えます。しかし、再度依存対象を得た発症者は、その依存対象と同質・同型のSCP-4173-JPが潜在意識下に再発するため、これらの手段によるSCP-4173-JPの抑制は効果を示しません。

SCP-4173-JPの発症原因については不明な点が極めて多く、その伝播方法についても明確ではありません。本報告書編集時点では、幼少期からの愛着形成に何らかの不整合を有する者ほどSCP-4173-JPが自然発生する傾向が高くなるとする仮説が支持されています。それ以外の性質を有する者であっても、依存対象に何らかの魅力を感じうる場合はSCP-4173-JPが伝染・伝播するものと思われます。

SCP-4173-JPはその普遍的発生率と極めて無害かつ精神的好作用を伴う性質のため、財団による収容の正当性、およびその基準について大きな論争を呼んでいました。しかし、全人類の約11%が後天性ストレス失認症候群を発症する状況となって以降、その対処リソースを優先する必要が生じたことから、SCP-4173-JPの収容可否に関する議論は一時的に保留状態に置かれています。現在のペースでAS2有病者が増加し続けた場合、以後10年以内に世界の過半数があらゆるストレスが感知不能となると予測されており、Null.E-クラス: "相貌失認"シナリオに至る可能性も否定できない状況にあります。

本報告書編集時点において、SCP-4173-JPに関する管理および調査は倫理委員会が管轄しています。

補遺4173-JP: 後天性ストレス失認症候群(Acquired Stress Agnosia Syndrome, AS2)は、ヒトが本来の生命活動で感じうるあらゆるストレスを感知する機能が永続的に損なわれる病症であり、発症者は現実的な危機回避能力や認知能力が数週間~数カ月にかけて段階的に低下もしくは消失します。

AS2はステージI~ステージIIIまでの3段階を経て、人間の本来有している認知能力の破綻をもたらします。発症段階の期間は一概にこれに従うとは限りませんが、統計的には概ねこの期間を経て悪化するものと考えられています。

  • ステージI: AS2の発症から約1週間~2週間以内の段階を指す。発症者は自身の所属や関係性に対し好意的・献身的な言動が増加し、社会適応能力の著しい向上が認められるようになる。この段階にある発症者は他者とのコミュニケーションに積極的となり、自身のストレス因子に対してすらその積極性を発揮するようになる。この原理のため、通常は一般的な社会適応との峻別が難しく、非発症者として看過されることもある。
  • ステージII: AS2の発症から約2週間~4週間以内の段階を指す。発症者は自身の置かれている状況や所属、関係性、信条、尊厳のメタ的な認知に異常を示すようになり、自身に対して実存レベルでの深遠な許容を伴った意識を発露するようになる。このため、業務そのものを放棄する、他者の発言への意識が散漫になる、将来設計に対する認識が崩壊するなどのメタ認知能力の破綻が明確化する。通常はこの時点でAS2の発症が認められることが多い。
  • ステージIII: AS2の発症から約4週間以上経過した段階を指す。事実上すべてのストレス認知が破綻・崩壊し、外界との対話や接続能力が損なわれる。結果として表情は常に温和もしくは明朗な性質を帯びたもので固着し、生命活動に必要な行動さえも行われなくなる。食事や排泄などといった行動欲求も消失するため、結果として栄養失調や衛生管理の破綻により間接的に死に至ることもある。

AS2の発症はヒトの本能的な感情の発生構造とその言語化処理、および防衛機制そのものが破綻するため、「危機意識」「挫折」「失敗」「苦痛」「恥」「罪悪感」「不安」「怒り」「違和感」「疑念」「恐怖」といった感情の消失が認められます。これらの感情行動は生命活動そのものにも直結する要素であることから、現在の世界規模でのAS2の発症率の高さは社会構造上極めて致命的です。さらに、AS2発症者に対する抜本的な治療法の研究は、財団内が最もAS2の発症率が高いことから遅延しており、その抜本的な治療手段を模索するリソースも極めて不足している状況にあります。

現時点までで判明していることとして、SCP-4173-JPの収容と発生の抑制を目的に、選択的自動精神鑑定エージェント「BLBY-EXE」に搭載された対抗ミーム「フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェント」がAS2の発症を促進していた可能性が極めて高く、その危険性が指摘された時点で、BLBY-EXEはSCiPNETコンポーネントから削除されています。


015/10/19
対話部門
トレンシア・ミヤマ 精神分析官


後天性ストレス失認症候群の研究、および対処に関する報告


本報告書は、後天性ストレス失認症候群(以下、AS2)の発症者に関する考察と、それが社会全体へ伝播した際に生じうる致命的な問題に関して、現時点で判明している事実を元に可能な限り推論・分析することを目的に作成された。本事案(インシデント"ボウルビィ")は、人間の本来有する健全な心理構造そのものを異常視する視座を、初期研究の段階から前提化して捉えてしまったことが原因である可能性が高い。それゆえ、前述の誤謬が内面化されてしまった果てに、こんにちの破綻に至っている状況下では、本文書の視座は極めて受容しがたい主張として映る可能性が高いだろう。

それでもなお、本事案がもたらす超長期的な人類社会の持続可能性の破綻の懸念を踏まえた場合、本文書を残す価値は十全にあると筆者は考え、記録に残すという選択に至った。本事案に対する将来の視座の変遷が起きた場合に備えて、本文書がアーカイブされることを、筆者は強く望む。


1. 後天性ストレス失認症候群の発症原理の分析

1-1. AS2とは何か

AS2という病症は、その名が示す通り「後天的に一切のストレスを感知する機能が損なわれてしまう」という症状を伴い、結果として生命維持活動そのものをも崩壊させる危険性を持つ精神疾患の1つといえる。生物にとってストレスとは常に外界との接点を持つ限り、必然的に授受しうるものであり、適度なストレスは心身に対する必要な負荷として求められるものである(これをユーストレスという)。

しかしAS2は、それらを含めたあらゆるストレス因子への感知能力そのものを根底から破壊する病症といえる。通常、ストレス因子に対する精神構造側の反応として、否認や抑圧、乖離、退行、合理化といった「防衛機制」はどのような形であれ、人間の正常な発達過程として自然に発露するものである。AS2はその防衛機制自体の成立条件を、ミーム的な手段によって外科的に歪曲・変質させることで発生するものと考察できる。そして、その成立条件の根底にあるのが、BLBY-EXEに搭載され、8月29日にオンラインとなったフェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントである。

1-2. ミーム除去エージェントの開発と、無視されたバイアス

フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントは、SCP-4173-JPの収容を名目に、個人の潜在意識の構造から選択的に除去・制御・抑制することを見込んで、BLBY-EXEに実装されたミームエージェントの一種である。同ミームエージェントはランドール・五加潜在意識抽出器(以下、RGSE)を介した潜在意識下のSCP-4173-JPとの相互干渉性、および情報伝達流動値とミーム波長の指向性を利用した、極めて侵襲的性質の高い構造を持った技術といえる。

フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントの開発に際して行われた各種実験において、その侵襲的な照射はSCP-4173-JPの抑制と消失に非常に効果的であることが明らかとなったのは記憶に新しい出来事である。これはまさしく、SCP-4173-JP自体がミーム的性質を有した存在であるがゆえであり、それを本文書も否定するつもりはない。しかし、この結果は、ある重要なバイアスを無視した研究であったと、現在の視点から見るならば言わざるを得ない。

そのバイアスとは、「SCP-4173-JPが発生していない者に対しては、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントを適用していない(適用する理由がそもそも浮かばない)」ことを無視してしまった、という部分にある。つまり、同ミームエージェントが、SCP-4173-JPを選択的に除去できているのか、あるいはそれ以外の理由により脳構造そのものを破壊しているのかの判断を行えるだけのデータの収集を怠っていた可能性が浮上しているのである。

そして、その推測は、実際にAS2発症者の状態を観察することで、より補強されたものとなる。

1-3. AS2発症者に見られる共通性と、導き出される懸念

以下は、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントの開発の過程で行われた実験に自ら被験者として志願した、リリーゼ・トンプソン博士に対するインタビューである。トンプソン博士は同実験の終了後、AS2を発症したと判断されうる状態となり、最終的にトンプソン博士のAS2はステージIIIにまで進行していた。

インタビュー記録4173-JP - V3-01


対象:
リリーゼ・トンプソン 博士

インタビュアー:
トレンシア・ミヤマ 精神分析官

実施日:
2015/9/7

付記: トンプソン博士は生命活動に必要な欲求や情動を消失しており、看護ベッド上で生命維持装置に接続されている。


<記録開始>


ミヤマ精神分析官: トンプソン博士。リリーゼ・トンプソン博士。聞こえますか?

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 博士?

トンプソン博士: トンプソン。

ミヤマ精神分析官: 聞こえていますか?

トンプソン博士: あー。

ミヤマ精神分析官: (指を3本立てる)……これが何本に見えますか?

(沈黙)

トンプソン博士: 指。

ミヤマ精神分析官: ご自分の名前は言えますか?

トンプソン博士: 名前。

ミヤマ精神分析官: 名前については理解できてますか?

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: (指を目の前で揺らす)……これが見えますか?

(沈黙)

トンプソン博士: 指。

(沈黙)


<記録終了>


後記: トンプソン博士は本インタビューの翌日に遷延性意識障害を引き起こし、4日後に脳死状態に陥った。同月21日に心停止し、死亡が確認された。

トンプソン博士は、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントのプロトタイプであるV-4173-βの照射を受け、業務態度の改善が認められた人物であった。当初、トンプソン博士は神経多様性に由来する二次的障害によって精神活動の負担が増大していたが、V-4173-βの照射によって寛解の傾向を見せていると解釈されていた。

しかし、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントのロールアウト以後、AS2発症者の続発によって、それが過誤であることが明確化することとなった。ここで語られる過誤とは、(1)トンプソン博士はAS2ステージIの状態であったこと、(2)本事案ではSCP-4173-JPを発生していない者も巻き込んで、AS2が生じていることの2点が大きく挙げられる。

1-3. BLBY-EXEの抱える構造的バイアスと欠陥

(1)の過誤については、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントが職員間に、そして民間においても再帰的に照射される中で発覚した事実であるため割愛するが、(2)の過誤については、そもそもBLBY-EXEの設計そのものに問題があった可能性も考察する必要がある。

そもそもBLBY-EXEはRGSEの基礎技術を応用し、潜在意識下におけるSCP-4173-JPの存在を外部的に感知した際に見られるミーム波長を追跡することで、SCP-4173-JPの発生者を特定するための精神鑑定エージェントとして設計されたものである。フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントは、そこにSCP-4173-JPの発生を制御する目的で後付けとして実装された機能である。

これについて、ミーム工学部門に依頼する形で、前提の再検証が行われた。その過程で、前提として致命的な見落としがあった可能性が浮上することとなった。

まず最初に、SCP-4173-JP固有のミーム波長は、果たして本当にSCP-4173-JP固有のものであったかどうかの検証が不足していた可能性が疑われるべきであったといえる。当初、SCP-4173-JPのミーム波長は、財団が既知としてカタログ化しているミーム波長とは明確に相同しないものであるという解釈のもと、研究が進められていた。だが、その解釈には前提として理解すべき点が欠落している。

それは、情報伝達流動値が最大でも4μMfV以下という微弱なミームであったこと、それ自体にある。ミーム波長は情報伝達流動値は微小であればあるほど、波長そのものの持つ固有の構造的輪郭は曖昧化する性質を持つ。その性質のため、同ミーム波長は既存のミーム波長とどれほどの差があり、どれほど相同するのかを分析するだけのデータを備えていなかったということになる。

そして、さらに指摘を付け加えるのならば、そのミーム波長を増幅させる形で情報伝達流動値の底上げが繰り返されたことで、本来の波長の持つ輪郭について「これは未知のミーム波長である」という誤った理解に対し、懐疑的な視点を持つことができなくなっていた可能性も考えられる。事実として、ミーム工学部門における判定では、増幅されたSCP-4173-JPのミーム波長は「郷愁」、より具体的には「幼少期から思春期にかけての体験に宿る喪失感と後悔を中心とした再獲得衝動」と極めて近い輪郭を有していたことが分かっている。

そして、その輪郭というのは、正常かつ健全に成長する人間であるならば、個人差を考慮しても必ず持ちうるユーストレスの1つであるといえるだろう。そして、その性質、つまりミーム波長を追跡するように構築されたBLBY-EXEは、多くの場合SCP-4173-JPが本当に発症しているかどうかの検証が曖昧化したままアプローチが進められていた可能性が否定できないのである。これは、大多数の正常な人間を「異常」と誤判定した上、その判定を疑うためのデータすらも存在しないまま研究が進められた可能性を露骨に示唆している。

ゆえに、BLBY-EXEは前提から致命的なバイアス構造を有したまま設計された上、そのバイアスまで二重に重なったまま搭載されたフェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントを、BLBY-EXEを介して社会全体に無差別に照射された結果として、本事案が顕在化してしまったのだと考察できるだろう。

2. 正常性維持機関の現状と社会への波及の考察

SCP-4173-JP、BLBY-EXE、ミーム除去エージェント、AS2――そして、インシデント"ボウルビィ"自体が「なぜ生じてしまったのか」を考察した上で、現状の財団が抱える立ち位置と、社会全体のあり方の変遷について予測する形で考察する。

2-1. AS2発症率11%の意味

まず、現在の世界全体でのAS2の発症率は、おおよそ1割程度であると考えられている。この数字はBLBY-EXEがこれまでにSCP-4173-JPを発生している人物としてラベル付けされたうえで、かつフェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントが照射済みであるとラベル付けされている者の数から算出されたものである。そして、この数字は実に、9人に1人の割合でAS2を発症している可能性を示しており、既に社会全体の多くの領域・階層・地域で精神構造が破綻した者で溢れていることが伺い知れる。

とはいえ、既にBLBY-EXEは運用が停止され、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントは(厳重にアーカイブされたものを除いて)データとして破棄されていることを踏まえれば、これ以上にAS2の流行が生じる可能性は限りなく低いはずである。現時点において、AS2はステージIもしくはステージIIの状態にある職員がほとんどであり、かろうじて財団自体の組織運営は破綻していない状態であると言える。しかしこれも時間の問題であり、AS2発症者に対する治療法が確立しない限り、いずれはステージIIIへと移行し、職員が一斉に沈黙化する未来は避けて通ることは不可能である。

財団外の民間においても同様であり、そして要注意団体に対しても、これは同じ形式で説明できる。都市国家の中枢部や企業の経営環境、そしてアノマリーの生成・利用・管理・破壊などに長ける要注意団体や他の正常性維持機関もまた、AS2の発症の可能性が現実的に起きていることを前提に考えなければならない。もしこれらの組織や個人が一斉にステージIIIへと移行した場合、どのような世界に至るのかが一切予測できない。

ゆえに、AS2発症率が、現時点で11%という状況は、決して無視することのできない事態だと言える。

2-2. 財団の現状

AS2の致命的で、なおかつ緩やかな危険性は、既に財団上層部も認識しているものと思われる。しかし、監督評議会にさえSCP-4173-JPの発生者が確認されており、かつSCiPNETを介してフェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントが照射されてしまっている可能性も同様に否定できない状態にある。すなわち、本事案そのものに対して危機感を持って対応ができる司令部の機能が破綻する可能性、もしくは既に破綻の兆候を示していることが懸念される。

その証拠として、本文書編集前に、筆者が9月初頭時点でこの可能性に気づいた際に倫理委員会に報告した際、既に倫理委員の多くがステージIに相当する状態に陥っていることを、筆者が確認したためである。そして現在、倫理委員会の大多数のメンバーがステージIIにまで進行しており、部門としての判断能力が削がれてしまっていると判断できる状態に陥っているのである。これが監督評議会にも伝播している可能性を否定できる根拠も存在できない。実際に、平時より処理されている評議会の判断を要する多くの問題に対して、9月中旬以降、回答待ちの状態が長らく続いていることが、事態を物語っているといえるだろう。

3. 筆者の私見

筆者である私、トレンシア・ミヤマは、精神分析官・カウンセラーとして、ここに私見を明確に記述する。ここまでの分析を経て見えてくる現実の考察は、極めて最悪かつ、最も緩慢で幸福な「死」そのものに突き進んでいると言わざるを得ない、と。

AS2とは、心そのものが緩やかに幸福に沈み、そのまま眠るように死を迎える症候である。そして、この症候を抱えている限り、その幸福がもたらす静寂に身を委ねるのが必然化してしまうのである。これを拒否し、状況に抗い、世界の正常性を維持するために行動する者も当然居る。

私もまた、そのうちの1人であることは、間違いない。

事実、私はSCP-4173-JPの収容担当責任者である呉部上席研究員と共に、SCP-4173-JPの心理学的・精神医学的側面からの分析を支援した立場である。彼のBLBY-EXEの開発を後押しし、ミーム除去エージェントの開発にも一部携わった身である。そのため、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェントがどのような形で照射されるか、どうすれば照射されずに済むかを理解していたがために、今なおAS2を発症することなく、本文書を編集することが出来ている。

同様にサイト管理官など、同ミームエージェントの基本構造を共有していた一部の職員や、BLBY-EXEの開発に携わった技術部門の一部メンバーは、おそらくAS2を発症しなかった者もいるはずである。彼らもまた、私と同様に現実を受け入れつつ、自身で対処可能な範囲で立ち向かっている状態にあるが、それがいつまで持続するかを思考することは、ただでさえ不足している士気を無駄に削り取る行為であるため、あえて記すことは控えさせていただく。

インシデント"ボウルビィ"の進行を止めるための術はない。だが、ないなりに足掻くことはできる。いずれにしても、それを理解したままに、今を生きるしかないのが実情と言えるだろう。我々の過誤が生んだこの災禍に、どうか終止符を打つことができればと切に願いつつ、本文書をここに閉じる。


CCTV-K6209 2015/10/19
サイト-8148 地下4階 101-隔離室前区画

<再生>


(隔離室のマジックミラーの向こうに、生命維持装置に繋がれた呉部上席研究員が見える。市原管理官が後ろに手を組みながら、それをガラス越しに眺めている)

(ミヤマ精神分析官が入室する)

市原管理官: ん。お疲れ様、ミヤマ君。

ミヤマ精神分析官: お疲れ様です管理官。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: ……どうですか、彼の様子は。

市原管理官: 見ての通りだ。ずっとあの調子で、話も通じんよ。ありゃステージIIIまで進行してるだろうな。

ミヤマ精神分析官: そんな。

(ミヤマ精神分析官はガラスに手を触れる)

ミヤマ精神分析官: 呉部さん。

(ミヤマ精神分析官は俯く)

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 私の。私のせいで。私は気づいてたのに。対処できるかもしれなかったのに。

市原管理官: ミヤマ君。

ミヤマ精神分析官: アレのせいで、アレのことを警告できなかった私のせいで、もっときちんと止めていれば、呉部さんは……。

(嗚咽)

市原管理官: 違う。ミヤマ君、落ち着け!

(ミヤマ精神分析官の肩を掴む)

ミヤマ精神分析官: 管理官。私……。

市原管理官: こうなったのは、誰のせいでもない。強いて言うならば、サイト管理官でありながら、部下の誤った道を舗装した判断を下した私のせいだ。ミヤマ君は何も悪くはない。

市原管理官: もちろん、呉部もだ。

ミヤマ精神分析官: でも、彼がこうなったのは――

市原管理官: 仕方がないことだった。これは逃避ではない。現実だ。現実として、もう……こうなってしまった以上は、受け入れるしかないんだよ。

ミヤマ精神分析官: 管理官……。

市原管理官: 呉部がAS2を発症した理由はわからん。誰よりもあれに詳しいはずの彼がミームを頭から被る理由なんてないはずだ。それを当人に問いただそうにも、あれじゃ話にもならんし。だから、我々として手を尽くせる範囲はここまでなんだ。

市原管理官: 君が後悔するように、私にだって後悔はある。でも、後悔だけでは、いつ潰れてもおかしくない世界の土台を生き抜くことは出来ない。できることならあの無責任に現場の人間に圧を掛けやがったクソO5-7に一発かましてやりたい気持ちも、ないわけじゃない。そのO5-7だって、今じゃチューブ巻きになってそのへんで行き倒れてるだろうけどな。

(沈黙)

市原管理官: だからミヤマ君。君は十分誠実にやった。それで十分だ。もう呉部にこだわるのはよしたほうがいい。彼に当たっても、縋っても、世界は変わらない。今は、どうやってAS2の流行が確約された世界を生きるかを考えるべきだ。収容中のオブジェクトのことだってある。もはや火の点いた火薬庫そのものだからな、あれらは。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 管理官。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 少し、彼と話してもいいですか。最後に。最後にそれだけ。

(沈黙)

市原管理官: 分かった。挨拶くらいはしてもいいだろう。

(扉が開く)


<停止>









インタビュー記録4173-JP - V3-02


対象:
呉部淳介 上席研究員

インタビュアー:
トレンシア・ミヤマ 精神分析官

実施日:
2015/10/19


<記録開始>


ミヤマ精神分析官: 呉部さん。聞こえますか。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 呉部さん。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 私。私は――

ミヤマ精神分析官: 私は、呉部さんに、謝らないといけません。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 私は、カウンセラーとして。精神分析官として、長らくあなたを診てきました。それは、仕事、職責としてそうしてきたという以上に、呉部さんのことを、放っておけなかったんだと思います。

(沈黙)

(ミヤマ精神分析官は俯く)

ミヤマ精神分析官: こんなことを、自分のクライアントにわざわざ言うのはおかしいかもしれません。でも、呉部さん。私は、ずっと自分がカウンセラーとしてやれているのか、長い間不安だったんです。本当をいうと。

ミヤマ精神分析官: 不安で不安で。ずっと苦しくて。だから、多少気丈に振る舞っていたというか、その不安を呉部さんに投影してしまったかもしれない。

ミヤマ精神分析官: その投影として、私は――呉部さんの感じた「直感」を信じてほしいと言ってしまったのかもと思うんです。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: 自分が、本当に自分の直感を仕事に活かして良いか、確証が持てないままだったから。

(沈黙)

ミヤマ精神分析官: もしかすると私も、SCP-4173-JPを発生させているのかもしれません。人間は、何かに依存しなければ生きられない。私が何に依存していたのかは考え続けていますが、まだ答えは見えていない。いえ、今になっては、そんな分析なんて、どうでもいいことかもしれませんが。

ミヤマ精神分析官: でも、それ以前に。そんな話の前に。私は、呉部さんの背中を後押ししてしまった。もっと止めるタイミングはあったはずなのに。BLBY-EXEについて語っていた呉部さんの表情が、どこか戸惑いがあった時とか、ミームエージェントの開発で、トンプソン博士に向ける目の険しさとか……(鼻を啜る音)……カウンセラーなら、そういうのは気づいていたはずなのに。

ミヤマ精神分析官: なのに、私は。

(呉部上席研究員の手を握る)

ミヤマ精神分析官: 私は、それを、その直感を無視した。だから……(声が上ずる)……半分は私の責任でもあります。ごめんなさい。

(嗚咽)

(沈黙)

呉部上席研究員: 僕。

ミヤマ精神分析官: ……え。

呉部上席研究員: 僕も、そう。

(沈黙)

呉部上席研究員: 直感を、信じたかった。

呉部上席研究員: 信じたかった。

呉部上席研究員: 嫌だ。

呉部上席研究員: 嫌だ、嫌だ。

ミヤマ精神分析官: 呉部、さん?

呉部上席研究員: 嫌だ。やめて。離れたくない。

呉部上席研究員: お願い。これだけは。これだけはだめなんだ。

呉部上席研究員: そこに戻りたくない。戻らない。あの子はそこにいない。

呉部上席研究員: 捨ててない。捨てたくない。母さん。お願い。お願いだよ!

ミヤマ精神分析官: な、何を……?

呉部上席研究員: いい子になるから、もうちゃんと点数とるから!

呉部上席研究員: だから、このぬいぐるみだけは……許して……。


<記録終了>











RGSE実験記録4173-JP - Kurebe


対象:
呉部淳介 上席研究員

観測者:
トレンシア・ミヤマ 精神分析官
市原秋斗 サイト-8148管理官

実施日:
2015/10/19

付記: 呉部上席研究員は、後天性ストレス失認症候群(AS2)を発症し、現在、症状はステージIIIまで進行していると考えられている人物である。しかし、ミヤマ精神分析官が行った呉部上席研究員への会話上において、ステージIIIのAS2発症者であれば通常見せることのない反応を見せたことから、その原因調査を目的として、RGSEを用いた潜在意識下の観測を行うこととなった。

既に、この実験を行うだけの意義も正当性も損なわれている。しかし、それだけ無駄であると分かっていながらも、我々は最後の足掻きの一環として、本実験を執り行うことを決断した。


<抽出開始>






































(腕が掴まれる)

職員: まて、お前、何をしてる?避難経路はそっちじゃないぞ。

呉部: 分かっています。でも。

職員: 応援を待て。お前一人が行ったところで、おもちゃに飲まれるやつが増えるだけだ!

呉部: し、しかし……あの区画にはまだ職員の多くが残されたままです。ここからなら距離も近い。それにやつも、あそこまで巨体になったなら動きも緩慢です。誘導すれば間に合うはず。

職員: いいから言うことを聞け、新人が!173-JPの脅威を忘れたのか?お前ごときでなんとかなるわけがないだろ!

(沈黙)

呉部: っ……!

(掴まれた腕を振りほどく)

職員: あっ、おい、呉部、呉部!命令に背くのか!おい!


呉部: す、すみません。でも、やっぱりだめなんです。放っておけない。

































記憶はログとして僕の積層から抜き出てくる。
目の前に映る映像は、まるで財団の記録形式に紛う仕立てを伴い、心を写し込んでいるかのよう。

他方で僕はそれを、まるで遠巻きに眺めるように、透けた身なりで佇んでいる。
ログを読めば、その奥で劇のごとく追随して、もう一人の僕が動くのだ。


そしてその動きを見てやれば、あの僕と今の僕が1つの糸で繋がっているかのように、生々しい感情がさざなみの如く胸中へとなだれ込んでくる。


"放っておけない。"――――


――そう、放っておけないんだ。放っておけなかったんだ。助けなきゃいけないと、その時は衝動的に動いた。
後先なんて考えていられなかったし、自分にはできるという確信がどこかあった。
そんな手応えを感じると、それが反映されるように、目の前の呉部淳介が飛び出していく。

ふと、駆け出す僕の後ろ姿を見て、別の気持ちがふつりと浮上していく。
この時に抱いた「できる」という確信も、「放っておけない」という動機づけも、なぜそう思ったのかまでは、深く考えることはなかった。

どうして、考えなかったんだろうか。


やがて――などという大それた言い回しを使う間などないほどの時間の隙に、そんな疑問など遠く消えていく。
そうしてスリムになって、吹っ切れていった衝動的確信だけが、ついぞ僕を突き動かす。

廊下を走る。
警報装置のけたたましい響きに張り合うように、音を立てながら。



思えば、そんな僕は――いや、そんな僕だからこそ、誰かを助けて死ねるなら本望だと思ったのかもしれない。

「どうせ生きていたって、自分ができることなんて、活躍できる場なんてない」
「それならこの組織で、潔く、誰かを救って散れたならそれでいいや」

そういう、この組織に殉ずることの意味を自らの手で決めてしまいたくて、僕は飛び出したんだ。


この感情は、体の良い諦めと形容しても良いのかもしれない。
きらびやかな自殺願望と言えば聞こえは良いけど、結局はそういうことだ。






















呉部: ここを曲がって。ゲートを過ぎて――

(警報音)

呉部: エスカレーターを降りて……見えてきた。

(警報音)

呉部: ――近い。勘付かれないように動かないと。

(人影が見える)

呉部: 多分、生存者は廃棄場区画のオフィス側にいる。

(プラスチックのこすれる音)






















わざわざ、僕がこの時に危険を冒す価値があったのか。それはずっとわからないままでもある。

でも、当時は必死だったし、それで殉職できるならそれで十分だったのだから、半ば投げやりな正義感とも説明できるかもしれない。

そんなあやふやな「かもしれない」を頭にぐるぐると廻らせながら、なおも走っている。

僕は何に必死になっているんだろう。






















(プラスチック同士が衝突し、ガチャガチャと音がする)

呉部: こっちです、こっちに。僕が通った道はまだ大丈夫。

職員: ありがとうございます、助かりました。

職員: お陰様で、もうどうなるかと……。

呉部: いえ、構いません。でも今は急いで、さあ!

(笑い声)






















避難誘導に従ってくれた職員たちは、僕に感謝の言葉を投げかけてくれた。
でも、僕はその言葉を受け取る余裕や意義を、どうしても見出せなかった。

別に悪い気がしてるわけじゃない。
でも、実感がないんだ。

なんで、こんな自己満足で人を助けているだけの僕が、感謝されているのか。

本気で分からなかったし、考えても無駄とまで思っていた。

だから、この時の僕は相当に、彼らの気持ちを自己満足に利用していただけなんだろう。

ただ死にたいだけのくせに、感謝されたくて人助けをしている。
そんなクズだということが、改めて突きつけられる。






だから、僕はきっと本当に死にたかったんだろう。
それも、英雄としてきれいな死に方を望むなんていう、ふざけたやり方で。

オブジェクトの危険も顧みず誰かを助けて、
死んだあとに勲章だけもらって、
誰にも覚えてもらえずに死ぬ。

それができれば……それさえ達成できれば、本当に、あとはどうなろうが構わなかった。

クズなりに、よく考えたものだと思う。






















呉部: 全員、これで避難は完了、かな。

(ガラガラとした音)

呉部: もう、だいぶ近いな。

(笑い声)

呉部: 最後に、顔だけ拝んでやる……か……。

(嬌声)




呉部: なんでなんだろうな。









でも、そんなのは結局叶わなくて。
……あれ?でもそうだとするとおかしいな。

なんで、僕は生きてるんだろう?















bluetoys.jpgbluetoys.jpgbluetoys.jpg























SCP-173-JP: (プラスチックの衝突する音)

SCP-173-JP: (不明瞭な声)

SCP-173-JP: (くぐもった笑い声)










SCP-173-JPが、笑ってる。

あれ……SCP-173-JPって、こんなふうに笑ったっけ。

こんなふうに、崩れたっけ。






こんなにも、懐かしかったっけ……?








職員: (嬌声)

呉部: (右へ振り返る)……え!?

職員: お疲れ様、呉部くん。

職員: よく頑張ったね。本当に。ここまでよく頑張った。

呉部: (左へ振り返る)財団職員……いや、違う。なんで頭がぬいぐるみ――

SCP-173-JP: (聞き覚えのある声)






















頭だけが、白いウサギのぬいぐるみでできた職員が、僕を取り囲むように立ってくる。

ふわふわと耳が揺れて、表情パーツが見られない顔で、僕に優しく微笑みかけている。



おかしい。絶対におかしいはずなのに。
その違和感は確実に感じているはずなのに。

こんな覚えのない感じじゃなかったはずなのに。

なぜだろう。すごく。


懐かしくって、しょうがないよ。






















bluetoys_2.jpgbluetoys_2.jpgbluetoys_2.jpg

職員: そう思うのも、無理ないよ。じゅんくん。

職員: だって、君はそれだけ、自分の失ったものを自覚できてるってことなんだから。

職員: それだけ、頑張ってきたってことなんだから。

SCP-173-JP: 苦しまなくて良い。悲しまなくて良い。

SCP-173-JP: 生きることに、命をかけなくても、いいんだよ。

SCP-173-JP: (聞き覚えのある笑い声)

(SCP-173-JPの胸部中央が大きく開く)








職員たちは、気がつけばSCP-173-JPにくっついて、離れなくなっていた。
彼らはまるで、最初からそこにいた存在だと言わんばかりに同化し、SCP-173-JPを構成するおもちゃとの見分けがつかなくなっていく。

……胸が苦しい。
締め付けられるような感覚だ。

どうして。どうして?

どうして、こんなにも喪失感があるんだろう?

どうして、こんなにも悲しくて、
つらくて、どうしようもなくて……。

たまらなく消えてしまいたくなってるんだろう。








(開いた穴から、顔のない少女が覗く)

SCP-173-JP: じゅんくん。

SCP-173-JP: じゅんくん。もう、ずっと一緒だよ。

SCP-173-JP: ずっと一緒。

SCP-173-JP: じゅんくんは、ずっと頑張ったから。そんなにもつらいんだよ。

SCP-173-JP: だって、その頑張りを、今まで誰も見てくれなかったから。

SCP-173-JP: でも、あたしは分かってる。全部知ってるから。

SCP-173-JP: だから、大丈夫よ。











……そう、そうだ。
僕は、ずっと頑張ってきた。

頑張って、耐えて、耐えて、どんなに一人でさみしくても、自分だけで生きなきゃって思ってきたんだ。

そして、いつの間にかこんな組織の一員になって。

やりたくもない仕事をして。
関わりたくもない人たちと関わって。

全部、どうでもよくなったから、僕は……SCP-173-JPに……。
















SCP-173-JP: うんうん。思い出せてえらいね。そこまで思い出せたなら、もう問題ないわ。

SCP-173-JP: ほら。君の関わってきた人たちも、みんな大丈夫だと思ってる。






ミヤマ精神分析官: ええ、呉部さんは本当に頑張りましたね。自分の気持ちに、素直に従えて……素直になれるのはすごいことです。そのまま、直感を大事にしてくださいね。

市原管理官: そうだぞ呉部。本当に、お前はやり遂げたんだ。君に仕事を任せて正解だった。

トンプソン博士: あ、ありがとう、ございます……おかげで、おかげで私頑張って仕事、できそうです。はい。

O5-7: 称賛。貴殿の功績は、十全に評価しうる根拠を伴う。我々は貴殿を祝福しよう。

シルヴィオール倫理委員長: みんなこう言ってるんだ。ちょっとは喜んだらどうだ?

スコルフ倫理委員: はは、負けました。君の判断は正しかったってことですよ。慎重な私と違ってね。ね、呉部上席研究員。


(緊張)


(ミヤマ分析官が抱きしめてくる)

呉部: んぁっ。


ミヤマ精神分析官: ほら。みんなこう言ってるんです。

ミヤマ精神分析官: みんなが、君の頑張りを、ようやく認めてくれてるんですよ。

繝溘Ζ繝樒イセ逾槫?譫仙ョ: ここまで来たら、もうだれも君を否定しません。生きることに命をかけきったんですから。

繝溘Ζ繝樒イセ逾槫?譫仙ョ: 複雑なことを考えなくてもいい。あの時のように、君は英雄として、幕を閉じてもいいんです。だから――



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おやすみなさい。じゅんくん。
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ウサギのぬいぐるみ: 淳くん!行っちゃダメ!!





































kirakira-01.gif














直後、僕の前に現れたのは、見覚えのあるぬいぐるみだった。
ふわふわで、もこもこで、白いボア生地で作られた、可愛らしいウサギのぬいぐるみ。

それが、SCP-173-JPの頭を吹き飛ばし、青いおもちゃを蹴散らしながら飛び込んでくる。








ウサギのぬいぐるみ: 淳くんから、はなれろっ!

(衝突音)








ウサギのぬいぐるみは変わらず勢いをつけたまま、僕を抱きしめていたミヤマの首を蹴り飛ばした。
ペレット材の入った柔らかな足とは思えないほどの衝撃で、同じぬいぐるみ素材でできたミヤマの首は吹き飛び、そのまま身体は外向きに倒れ込む。

そして、目の前で起きたことを理解する間もなく、険しい表情を向けてきたそれは、思いっきり僕の手を引っ張った。








呉部: ど、どういう――わっ、わぁっ!

ウサギのぬいぐるみ: 説明は後回し。生きていたいと思うなら、あたしについてきて!








ウサギのぬいぐるみは、僕の目を真っ直ぐ見て言う。

生きていたいと思うかどうか――それを考えるよりも前に、僕は一歩を既に踏み出していた。


廃棄場区画を全速力で抜けていく。
周囲に立っていた職員たちをまとめて蹴り飛ばし、殴りつけて道を作る。
そう、こんなにも強いぬいぐるみだった。

…………。

そうだ。僕はこのぬいぐるみを知っている。
とってもかわいくって、強くて、いい子なんだ。

さみしい時や怖い時は、いつも守ってくれる。


……守る?
誰を守るんだろう?

この強さは、誰のためのものなんだろう。








繧後↑: なんで。

(慟哭)

繧後↑: なんでなんでなんで。

(修復)

繧後↑: もどってきて。ねえ。

(復帰)

繧後↑: これ以上、頑張らなくていいのに。なんで行っちゃうの?

繧後↑: じゅんくん。じゅんくん。じゅんくん。

(移動)

ウサギのぬいぐるみ: 振り向かないで。追いつかれちゃうから!








長い廊下を走りながら、ぬいぐるみは叫ぶ。
40cmほどの大きさしかなく、僕とも身長差があるはずなのに、自然と手を引かれてしまう。

頼りになる柔らかな背中を見ていると、また懐かしさが込み上げてくる。
SCP-173-JPから感じ取った懐かしさとは……どこか、違う懐かしさだ。

それが何なのかは、わからない。
そもそも、こんな形で一緒に走ったこともない。

こんな経験なんて、したことがないのに。

どうしてこんなに懐かしいんだろう。








呉部: ……僕は。

呉部: 僕はなんで、こんなにも懐かしいのかな。

ウサギのぬいぐるみ: 淳くん……ダメ、危ない!


繧後↑: おいで。戻ってきてよ。

繧後↑: ねえ、じゅんくん。ずっと苦しかったでしょ。

繧後↑: 一人で頑張ることしかできなかったでしょ。

繧後↑: なのに、誰も助けてくれなかったでしょ。

繧後↑: 大丈夫だよ。今度はあたしがたすけるから。








SCP-173-JP――に見えるそれは、僕に向かってぬいぐるみを投げてくる。
手を引く彼女と同じ姿形をしたぬいぐるみたちだ。

顔のパーツがないそれは、僕の周りに落下すると、同じスピードで走りながら飛びついてくる。

両手にはハサミが携えられていて、今にもこちらを切り裂かんとカチャカチャ動かしていた。








(嬌声)

(嬌声)

(嬌声)

ウサギのぬいぐるみ: ニセモノのくせに、淳くんにつきまとうなっ!

(衝撃)

(衝撃)

(衝撃)








どうやってるのかはまったくわからないけど、一瞬のうちに襲いかかってきたぬいぐるみたちはバラバラに刻み返されてしまっていた。

他でもない、僕を引っ張るこのぬいぐるみの力によるものだということは分かる。
ふわりふわりと飛び回って、ニセモノのぬいぐるみたちを弾き飛ばす。

彼らを構成するボア生地は細かく引き裂かれ、綿を散らす。
残骸と化して動かなくなったそれらは、後方で追ってくるSCP-173-JPに吸い込まれていく。

そして、またSCP-173-JPを構成している部品として、再利用されているようにも見えた。








繧後↑: なんでそうまでして、こっちから離れたがるの?

繧後↑: そんなことをしてもつらいだけだよ。じゅんくん。君は苦しくない道を進むべきだよ。


ウサギのぬいぐるみ: 動きが変わった。このままじゃキリがないわ。

(衝撃)

ウサギのぬいぐるみ: 淳くん。あたしたちはこのままだと、どんどん追い詰められちゃう。さっきは、あいつらの処理にわずかに隙が出来たから助けられたけど、ずっとは逃げてられない。

呉部: じゃあ、どうすればいいの?

ウサギのぬいぐるみ: 大丈夫よ。淳くん、君が一番大事に思ってる場所を想像して!

呉部: 大事に……?

ウサギのぬいぐるみ: そう!早く!








咄嗟にそう言われても、すぐに思い出せるものじゃない。
SCPオブジェクトに追いかけ回されて、がむしゃらに逃げてる中で考えるなんて――








ウサギのぬいぐるみ: 淳くん!君なら、できるよ!








――ええいっ、こうなれば一か八かだ。

大事に思ってる場所、大事に……思い出……記憶……






――見えてきた!








ロケーション変更:




ロケーション変更: 対話部門 第3カウンセリングルーム

ウサギのぬいぐるみ: 変わったわ!








そこは僕が一瞬頭に思い浮かべた場所――直近で一番見覚えがあって、落ち着きを得られた空間だった。
それが、まるで頭の中から溢れ出るように視界全体になだれ込んでいく。

そして視界になだれ込んだイメージが寄り集まるように揺らめき、僕らが走る廊下の先――その先の壁に扉が形作られた。




扉は勢いよく開かれる。原理はわからないが、近づくとひとりでに開いていった。

そう。ここはカウンセリングルーム。ミヤマと一緒に過ごしたあの場所だ。
それを認識した直後、そのまま飛び込むように僕らは入り込んでいった。








ウサギのぬいぐるみ: 入った――って、わぁっ!

呉部: どわぁっ!

ウサギのぬいぐるみ: 危ない、淳くん!

(衝撃吸収)

(扉が閉まる)














ウサギのぬいぐるみ: っててて……。

呉部: あ、えっと……大丈夫?

ウサギのぬいぐるみ: ……え?あっ、うん。大丈夫よ。あたしぬいぐるみだもの。

ウサギのぬいぐるみ: それよりも、淳くんに怪我がなくてよかった。間一髪、危なかったわね!

呉部: うん。えっと、ありがとう、うー……ちゃ……。








……そうだ。
思い出した。

このぬいぐるみは、うーちゃんという名前だった。

ウサギだから「うー」、わかりやすく覚えやすい。

……でも、僕が名付けたような気はしない。
誰かが呼んでた名前を、間接的に僕は思い出したような感覚だった。


……誰が名付けたんだろう?








うーちゃん: そんなキョトンとした顔をしなくていいのよ。色々、聞きたいことは山のようにあると思う。でしょ?

(沈黙)

呉部: ……えっと。うーちゃん、だよね?

うーちゃん: 名前、思い出してくれたのね。嬉しい。

呉部: あ、うん。それもそうだけど……あれは何だったの?

うーちゃん: あれ?……あぁ、あれはね。

うーちゃん: 淳くんにまとわりついてきてたのは、他でもない。君が一番に知ってるはずのものよ。

呉部: 僕が……?








……SCP-173-JP。おもちゃでできた恐竜。
近づいた人間をそのおもちゃで誘引し、内部に取り込んで自らの一部として同化させてくるオブジェクト。
僕が昔、脱走していたところを、プレス機で圧壊させて再収容を果たしたオブジェクト。

だが、僕が見たあのSCP-173-JPは……どうも様子が違っていた。
本来のあの恐竜は、喋ったりもしなければ自分から胸に穴を形作ったり、そこから顔のない女の子を伸ばしたりすることはないはずだ。

でも、そんな例外的な動きを露骨に見せてきた。

……僕には、心当たりが思いつかなかった。
記憶が壊れているんだろうか。


そう考えていると、うーちゃんはデスクの上に飛び乗って座り込む。








うーちゃん: 悩んでるみたいだから、ヒントあげる。あれの最初の名前は、V-4173-βだったわ。

呉部: ……V-4173-β?それって……。

うーちゃん: うん。またの名を、フェスティンガー=フロイト・選択的ミーム除去エージェント。淳くんが、そして財団が作った、あたしたち――SCP-4173-JPのニセモノ、まがい物。

呉部: まがい物?

うーちゃん: そ。まがい物よ。








……だとすると、いくつかおかしな部分が出てくる。

なぜなら、まずあれがミーム除去エージェントだというなら、そもそもSCP-4173-JPを除去するためのもののはずであって、こんなふうに、強引に強引に襲いかかってきたりするなんてのは……想定していない動きだ。

それに、SCP-4173-JPの「まがい物」というのも、どうも捨て置けない。








呉部: つまりどういうこと?あれがSCP-4173-JPのまがい物だって。意味がわからない。

うーちゃん: まがい物はまがい物よ!あたしたちの猿真似みたいに優しい言葉だけを使ってるけど、あれは誰の心も救わない、ただ甘い言葉に過ぎないの。あれじゃ本当のつらかったことに向き合えないどころか、最後にはこころを消されて死んじゃうだけ。

呉部: 猿真似って……まるで最初は自分たちのほうが優しい言葉をちゃんと使えるって言いたいみたいか。それに死ぬって、そんな……。

うーちゃん: まぁ。そんな態度になるのも、無理はないか。








……なんで、僕はちょっと不機嫌になったんだろう。
別に、自分が否定されたわけでもないのに。

自分の努力を悪く言われたわけじゃないのに。








うーちゃん: 別にね、V-4173-βを作ったことは、あたしは悪く言うつもりなんてないの。だって、それもまたしょうがないことだったから。

呉部: しょうがない、だって……?

うーちゃん: うん。しょうがない。だって、君はあれを作らなきゃいけなかった立場だったもの。

(沈黙)

呉部: しょうがない、なんて。わからないよ。じゃあ、待ってよ。V-4173-β……あの対抗ミームは、もう……そうだ。もう、世界全体に向けて広まってるわけで……それで、死ぬって。

うーちゃん: うん。死ぬわ。V-4173-βは、そういう優しさをくれるものだから。

うーちゃん: 淳くんはそんなものを作って、財団のシステムに実装して、世界中に広めちゃったの。

うーちゃん: もちろん、それをやり遂げちゃったのは、別段淳くんだけじゃないけど……その元凶としての責任は、君にあるんだよ。

呉部: ……そんな。そんなの、ウソだ。

うーちゃん: ウソなんかじゃないわ。そもそも、それを君のこころの世界でウソだと思うということは……心当たりがあるからこその反応よ?

呉部: 違う。違う!そんなつもりじゃない。

呉部: だって、僕はただ仕事をやり遂げただけで……世界を破滅させたいなんて思ってなかったし、そもそもSCP-4173-JPなんていなければ、こんな仕事なんか受け持ってなければこんなことには――

うーちゃん: だとしても、もう既に起きちゃったことよ。

うーちゃん: あたしたちをSCP-4173-JPとして収容しようとしたことも、V-4173-βを完成させたことも、それを広める判断に評議会さんと頷いたことも、何も考えなくても苦しくない幸せ地獄にしちゃったことも……全部、もう巻き戻せない事実なの。

呉部: うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい!!

呉部: 聞きたくない、そんなの聞かせないでよ!

呉部: 僕は悪くない、悪くないんだよ。なんで、僕ばっかりこんな目に合うんだよ。

呉部: ぬいぐるみなんかいらない。そんなものに頼ったって、無意味なのに。

呉部: 無意味、なのに……。

(号哭)

(嗚咽)

(絶望)





(膝を抱えてうずくまる)

(その肩に飛び乗る)

うーちゃん: 淳くん。落ち着いた?

(沈黙)

うーちゃん: まあ、落ち着かなくても良いわ。でもね。そこまでを突きつけられて、どうしようもなくなって、頭がいっぱいいっぱいになっちゃったとしてもね。あたしはあえてこう言うわ。

うーちゃん: よく頑張ったわって。ほんとうの意味で、地獄の中で生きてきたねって。

うーちゃん: こころの底から、あたし見てたもの。ずっと。ずっとね。

(沈黙)

(頭を撫でる)

(膝を強く抱える)

うーちゃん: そこまでの地獄を経て、いっぱい死にたくてしょうがなくなったって、それでも淳くんは生きてる。生きて、こうやって膝を抱えられてる。

うーちゃん: いまわの際までの限界を知ってるからこその、本当のいのちの強さを、もう淳くんは掴んでると思うの。

(沈黙)

呉部: ……どうしてそう言えるの?

うーちゃん: それがね、君にとってのあたしの立場だからよ。

(沈黙)

うーちゃん: ちゃんと説明するとね。淳くんや周りの人たちがSCP-4173-JPと呼んでいるもの――つまりあたしたちってね。人間が自分の心を守るために作り上げる、自分だけの逃げ道なのよ。

呉部: 逃げ道?

うーちゃん: そう、逃げ道。つらかったり、悲しかったり、苦しかったりする現実の出来事に向き合えなかった時に、それでも生きても良いって肯定してもらえる何かを求めた時に、初めてあたしたちは生まれるの。

(顔を上げる)

(顔を覗き込む)

うーちゃん: だからね、そもそも取り去ることなんて、土台できないものなのよ。だって、あたしたちのあり方って、こころのありかそのものだもの。

(沈黙)

呉部: ……じゃあ。あの対抗ミームは、ミーム除去エージェントは……それを奪い去るための技術だったって言うの?

うーちゃん: ……うん。

うーちゃん: そして、その「つらさ」って、どこか懐かしさや切なさって言い方もできる。失ったものを取り返したい気持ちのいろんな裏返しを抱えて、苦しんで、悲しんで、こころを切り捨てて……それでも生きようともがく。

うーちゃん: その裏返しの形のひとつが、V-4173-βなんじゃないかしらね。あたしたちも、実はそのひとつ……と言っても良いかもしれないわ。

呉部: 意味がわからない。それじゃあ、V-4173-βとSCP-4173-JPは……まるで同じものだって言ってるようなものじゃないか。

(微笑む)

うーちゃん: SCP-4173-JPはね。みんな、形を変えて心に宿してるだけの、当たり前のもの。それがたまたま、ぬいぐるみという形に依存してる様子が、ちょっと目立ってしまっただけだった。

うーちゃん: そもそも最初にぬいぐるみブームだって言い出したのだって、淳くんの上司さんだったでしょ?

呉部: ……うん。

うーちゃん: そこで騒がれなきゃ、ただの日常のひとつとして流されるようなものだった。

うーちゃん: でも、それを取り上げすぎて、財団の色眼鏡でぬいぐるみを見ちゃった。そういうタイミングの悪さで、すべてがここまで転がっちゃった……それ以上に、うまく説明は出来ないんじゃないかな。

(沈黙)








僕はうーちゃんの話を一つ一つ、丁寧に聞いていくたびに、自分の中に静かに、しかし収束するように沸き立つ感情があった。

それはおそらく、罪悪感と形容するべき類の感情だと思う。

……罪悪感。

僕は、最初からこんな騒動なんて起こしたくなかった。
僕はただ仕事をこなす日々を過ごしてただけで、ミヤマに、管理官に、そして――世界の全てに迷惑をかけるなんて、本望なわけがなかった。

だから、うーちゃんの言う通り、すべてのタイミングが悪く噛み合ったからこうなったのかもしれない。

でも、納得できない自分もいて、それでしか説明できない自分もいて……。

もはや、どれが正しいのかなんて、わからなくてしょうがなかった。








うーちゃん: 淳くん。そんな顔なんてしなくて良いんだよ。

呉部: え?

うーちゃん: もっと単純に考えても良いの。この件はね。だって結局、淳くんは、あの流れの中で、ああするしかなかった。避けようがなかった果ての、今の世界の惨状だもの。

呉部: ……本気でそう言ってるのか。

うーちゃん: わっ、淳くん!?

呉部: 本気でそう言ってるのか。そんなの、結局言い訳じゃないか!

呉部: 僕はそんな言い訳なんて聞きたくないし、それで自分を納得させたところでなにも変わらない。

呉部: 全部自分が撒いた種なのに、そんな無責任な考え方、できるわけがないだろ!

(立ち上がる)

(うーちゃんに掴みかかる)

(目を瞑る)

うーちゃん: やっぱり、あの頃から変わらず真面目なのね。

呉部: 僕が、最初に管理官から仕事を引き受けなければこうならなかったのに。

うーちゃん: 淳くんは、職責に背けるだけの立場だった?

呉部: ミヤマ分析官の言葉を、ちょっとでも疑えばこうならなかったのに。

うーちゃん: 淳くんは、彼女からの信頼を寄せる目線を無碍にできるような性格かしら?

呉部: 倫理委員会との最終確認だって……ほかにも、色々なところで……踏みとどまれたはずなのに。

(項垂れる)

呉部: なのに。僕は、僕は……なぁ、どうして肯定できると思ったんだよ。どうしてそれを「しょうがない」なんて言えるんだよ!僕の罪を正当化しようとするなんて……おかしいだろ?!なぁ、なぁ答えろよ……4173-JP!

(締め付ける手を優しく撫でる)

うーちゃん: だって、その地点からしか、人間は立ち直る足場を作れないからよ。

呉部: っ!

うーちゃん: 淳くん。淳くんは納得できなくてもね、今の君がここまで、ずっと頑張ってきた事実は変わらないし、それは否定できないことなのよ。

うーちゃん: だから、そこから先を否定しようとするのは、自分を殴って自己防衛をしようとしてるだけ。

うーちゃん: あたしには、そんなもので守ろうとしなくても良いんだから。ね?

(沈黙)

呉部: なんで。

呉部: ……なんで、なんでなんでなんでっ!

呉部: なんで、そんなに……優しいんだよ……。

うーちゃん: だって、それが淳くんなんだもの。

(嗚咽)

うーちゃん: あたしは、そんな淳くんが、大好きなんだもの。

うーちゃん: それって、悪いこと、かな?

(号哭)








僕は、自分が今、とことん、どこまでも情けなく思えた。
込み上げるものを止められない。眼から溢れてくる涙は、いつぶりに溢したか。

どうして、こんなぬいぐるみに心を預けたくなっているのかもわからないまま、がむしゃらに泣きじゃくった。

情けない。本当に情けなくて、恥ずかしくて、大人げなくて。
子供みたいに喚き散らして、駄々をこねていて。

そんな僕の頭を、目の前のぬいぐるみは、柔らかい手先で撫でてくれる。


ただの甘えだと切って捨てたいくらいなのに、切り捨てられない自分がいる。
こんなことをしても無意味だと思うのに、意味を見出そうとする自分がいる。

そんな自分が、たくさんいる自分の姿が、互いに離れたがっているようにも、くっつきたがっているようにも見えてしまう。

僕は、結局、

どうしたいんだろう。



ミヤマ精神分析官: 呉部さんは誠実な人ですから、自分のことを疑ってかからないと気がすまない部分も多いのでしょう。








ミヤマの言葉が、頭の中に反響する。
このカウンセリングルームでかつて聞いたそのままの声で。

ふと見上げれば、ミヤマはデスクの椅子に腰掛けていた。








うーちゃん: 大丈夫、これは淳くんの記憶の一部よ。きっと、咄嗟に頭に浮かんだのがミヤマさんなんだと思うわ。



ミヤマ精神分析官: 自分のことをあまり言葉にしたがらない部分も含めて、自分にやけに厳しい。もっと、肩の力を抜いてもいいと思いますよ。







そうか。そうなんだ……。
僕は、今、ミヤマのことを考えたのか。

デスク越しに向かい合うミヤマに、僕は手を伸ばす。
伸ばした手は、そのまま握り返される。記憶の中の彼女の手は、こんなにも温かかったんだ。

いや、きっと……ずっと、その温みはここにあったんだろうな。

……彼女の言うように、僕はもっと、肩の力を抜くべきだった。
そんなふうに、ちょっとだけ思えてくる。








呉部上席研究員: でも、ミヤマ分析官の言う通り、直感というものも、あながち信用できないものでもない。そういう気がするなって、信じてみたいと思えてきたんです。

呉部上席研究員: こうやって、カウンセリングの流れで、仕事の話をするうちに。なぜでしょうかね。ミヤマ分析官だからでしょうか。

ミヤマ精神分析官: どうなんでしょうかね。ふふ。







どことなく、会話は弾んでいる。
この会話は、まるで第三者視点で見下ろすようにも感じられる。

ミヤマのカウンセリングは、いつも僕にとって大きな支えになっていたんだろう。
確かな手触りとして、強く噛み締めながら思い出す。

もっと、この時を追体験していたい。

優しく微笑んで僕を見るミヤマが、近くも遠い過去として、懐かしさを纏って揺らめいている。







呉部上席研究員: なんですか……わからないものをわからないなりに言葉にしたのが、そんなに変ですか?

ミヤマ精神分析官: いえ。そういうわけではありません。

ミヤマ精神分析官: ただ、じゅんくんが自分から心を開くようになってきたのが、少し嬉しかっただけですよ。

ミヤマ精神分析官: それだけ、じゅんくんは頑張ってきたってことですから。




うーちゃん: ……?







ミヤマ精神分析官: 思い出したくないことまで、自分のことを思い出すのは大変だったはずなのに。それでもまだ向き合おうとするのは、本当に頑張ってる人だからこそですよ。

ミヤマ精神分析官: そして、そこまで限界を見て、どうしようもなくなったのなら、立ち止まってみても良いはずです。じゅんくんには、その権利があるんですから。

ミヤマ精神分析官: もう、十分頑張ったといえる。そうでしょう?







ミヤマ……分析官?







(察知)

(飛翔)

うーちゃん: ――淳くん、そいつから離れて!それはミヤマさんじゃない!



ロケーション変更: […]

(プレス機を指定座標軸上にスポーン)

うーちゃん: なっ――――!!

(衝撃)

(圧壊)

ミヤマ精神分析官: じゅんくん。この子が言う通り、淳くんはすごく頑張ったと思います。

(頭部が変形)

ミヤマ精神分析官: じゅんくんは、自分が引き起こしたこと、どうしようもなく引き受けたこと、そのすべてをありのままに理解したんですよね。それって、本当にすごいことなんですよ。

ミヤマ精神分析官: そのすごさは、誰にも成し遂げられることじゃない。だから、私はこう言えるんです。



ミヤマ精神分析官: もう、休んでも良いんだよって。



ミヤマは、いつの間にか頭がぬいぐるみに変形していた。
うーちゃんと同じ頭に。顔のないふわふわの頭に。

僕は、そんなミヤマの声に、深い懐かしさを憶えていく。



(損壊)

うーちゃん: ダメ!そいつの言葉に従えば、自分を失うわ!

(侵蝕)

うーちゃん: 君の頑張りは、そんな雑に捨てて良いものじゃない!

うーちゃん: あたし、信じてるから……君が本当の居場所として、信じてる……淳くん、淳くん!

(同化)

うーちゃん: 淳く……むぐっ

(不明瞭)



うーちゃんの声が遠くなる。もごついた叫びが耳に残響するも、すぐに、ミヤマの声が上書きしてくる。

そして、懐かしさはさらに強まっていく。
もう、目を背けられない。

背けていられない。

ガラガラ、ガチャガチャ、ギチギチ。
そういった音が鳴り響いて、見覚えのある少女を胸から突き出した、青色の恐竜が現れる。



ロケーション変更: [蜑企勁]

(ガラガラとした音)

(嬌声)

繝溘Ζ繝樒イセ逾槫?譫仙ョ: あのぬいぐるみの子も、あたしと同じだから。ひとつになったわ。これで、どこにもいかない。あたしの中で生き続けるわ。

繧後↑: 今度こそ、あたしと一緒に、休もう。



……。
うん。

そうしたい。
やっぱり、つらいものは、つらいから。

変えられない現実を変えようとしたって、意味ないものね。



繧後↑: そう。どうしようもない。どうあがいたって、君の責任じゃ解決しない。

繧後↑: だから、立ち止まっても良いってずっと言ってきた。君のために。じゅんくんのためにね。

繧後↑: じゅんくんは、何もしなくて良い。

繧後↑: 何も守らなくても、何も考えなくても、もう良いのよ。



何も考えなくてもいい。
何も考えたくない。

もう疲れたよ。

そう。疲れたんだ。

優しい言葉を受けたって、その優しさに答えられる人間なんかじゃないから。
もともと、だってずっと、死に場所を探してた人間だから。



繧後↑: 本物の救いを。その優しさに見合った安らぎを。

繧後↑: じゅんくん、おつかれさまでした。



お疲れ様でした。



繧後↑: ゆっくり休んでね。あとは、あたしがやるから。
















さようなら。じゅんくん。










abuku-01.gif


闇。暗がり。大穴。












ここは、なにもない。








なにもない虚無に、僕は落ちていく。




ここがどこなのかは、もはやどうでも良くなった。



僕はただ、自分の輪郭すらも溶かす、この闇で、漂うように落ちていく。



abuku-02.gif



君は、消えていく。











僕は、消えていく。











ようやく、願いが叶う。











願いが叶う。

ずっと、こうしたかったという願いが。











君は、もう悲しくなんてない。苦しくなんてない。そんなものは、あたしが全部消したから。











ありがとう。誰かさん。

僕を解放してくれて。











良いのよ。君は、十分頑張ったんだから。



(記憶[O5-7]は見つかりません)
(記憶[バクロス・シルヴィオール]は見つかりません)
(記憶[サリュート・スコルフ]は見つかりません)
(記憶[D-7179]は見つかりません)
(記憶[リリーゼ・トンプソン]は見つかりません)
(記憶[市原秋斗]は見つかりません)
(記憶[トレンシア・ミヤマ]は見つかりません)











頑張った。うん。
頑張ったよね。

だって僕は、ずっと一人で生きてきたから。











そう。だから、もういいの。その記憶も、もう消える。



(記憶[第3カウンセリングルーム]は見つかりません)
(記憶[ランドール・五加潜在意識抽出器]は見つかりません)
(記憶[インシデント"ボウルビィ"]は見つかりません)
(記憶[後天性ストレス失認症候群]は見つかりません)
(記憶[サイト-8148]は見つかりません)
(記憶[SCP-4173-JP]は見つかりません)











僕の記憶が軽くなる。

次々に、僕を構成するものが消えるのを感じる。



これで、良かったのかな。











それも、考えなくて良い。だって、君という存在も、まもなく消えるもの。



(記憶[SCP-173-JP]は見つかりません)
(記憶[廃棄場区画]は見つかりません)
(記憶[サイト-8119]は見つかりません)
(記憶[上席研究員]は見つかりません)


(記憶[呉部淳介]は見つかりません)











うん。僕は、僕でなくて良い。
何も、なくても良いもんね。

…………。

……。











さあ、ここまで沈んだなら、もういいよね。ぜんぶ、お別れをしよう。



(記憶[受験勉強]は見つかりません)
(記憶[母の怒号]は見つかりません)
(記憶[捨てたくなかった思い出]は見つかりません)
(記憶[ハサミ]は見つかりません)
(記憶[ゴミ袋]は見つかりません)
(記憶[大人になるということ]は見つかりません)


(処理中....














<再生>





kirakira-02.gif


ねえ、じゅんくん。あたしもね、ほんとは引っ越したくなんてないんだ。

できれば、ずっとこのまま一緒にいれたらって思うし、同じ中学に受験できたら良いのになって、そう思うの。

はぁ、なんて残酷なんだろうね、現実って。











(エラー: コマンドは拒否されました)

(記憶[篠原玲奈]は処理できません)











え?














篠原……?
篠原、玲奈……。

玲奈、玲奈。

玲奈って、そうだ。



思い出した。あの子は。
あの女の子は。














(処理中....















kirakira-02.gif



だからね、じゅんくんにひとつお願いがあるの。
あたしね、いつか絶対、ぜーったい、この町に帰ってくるって、約束する。

だから、その時まで――じゅんくんにまた会えるときまでね。

この子を、あずかっててほしいんだ。














(エラー: コマンドは拒否されました)

(記憶[大事な約束]は処理できません)











ねえ。どうして、まだ考えるの?
















そうだ。そうだ、そうだそうだそうだ!

僕はずっと、この思い出を、この痛みを忘れてたんだ。



そして、その痛みは、誰かさんが記憶を掘り返してくれる中で、次々と浮き上がっていく。

懐かしいの中心が、そこに宿ってる気がしてならない。












kirakira-02.gif



ほら、かわいいでしょ?
この子はね、うーちゃんって言うの。
ふわふわのもこもこで、お洋服も着てるウサギの女の子。

とってもかわいくって、強くて、いい子なんだ。
あたしが寂しかったり、怖かったりするとね、いつも守ってくれるの。

えへへ……まあ、男の子は、こういうの興味ないもんね。

でもね。じゅんくんになら、この子を預けても良いなって思うの。

だって……あたし、じゅんくんがいるって思えば、もうへっちゃらだから!


……いや、やっぱりちょっと怖いかな。うちのお母さんも、勉強しないと怒るし。
じゅんくんはよく頑張ってるなぁって、あたし思うわ。



ともかく。じゅんくん優しくてかしこいから、この子のこと安心してあずけて良いなって思ったの。

受け取って、くれるかな……?




<停止>















(エラー: コマンドは拒否されました)

(記憶[引っ越し]は処理できません)

(記憶[預かりもの]は処理できません)

(記憶[やさしい笑顔]は処理できません)











こんなことを考えても、君はつらいだけなのに。











そう、つらい。
とってもつらい。



僕は今、胸が締め付けられるようなつらさを感じてるんだ。




でも、そのつらさの中に、僕は、本当に目を向けなきゃいけないものがある気がする。

その確信は、記憶が戻るたびに、読み出すたびに、強くなる。


あのぬいぐるみは、僕が本当に大事にしていたものだ。











ありえない。ありえないよ。だって、君は消えたかったじゃない。死にたかったじゃない!だって君は、君の大事なものは――











――待って。その領域は君が一番触れたくなかった部分じゃないの?!











(記憶[中学受験]は復元されました)
(記憶[母さんの愛]は復元されました)
(記憶[捨てたくなかった思い出]は復元されました)
(記憶[ハサミ]は復元されました)
(記憶[ゴミ袋]は復元されました)
(記憶[大人になるということ]は復元されました)











うん。ここから先は、本当に触れたくない話だと思う。
でも、それでもいい。それでもいいんだ。

なぜなら、それもまた、僕の大事な記憶だから。














<再生>





genkan_01.jpggenkan_01.jpggenkan_01.jpg








覚えのある玄関。
覚えのある匂い。
覚えのある温度。

覚えのある、この空気感。



痛み。苦しみ。

その根源が、この記憶に宿っていることは確かだ。



アレが記憶を消すたびに、僕のアイデンティティを、その強靭な優しさで潰そうとするたびに、僕は感じる。

それほどまでに、僕にとって重要な記憶なんだということを。










2人の人影が、玄関に現れる。

1人は少年、そしてもう一人は、妙齢の女性だった。









ロケーション: 玄関

母さん: お母さんね、本当に淳ちゃんには期待してるのよ。あんたは頭いいんだから、ちゃんと勉強して、いい中学行きなさいね。

母さん: 行ってらっしゃい。気をつけてね。








kurebenoheya.jpgkurebenoheya.jpgkurebenoheya.jpg







場面が変わる。
ノイズ混じりに現れたのは、色味の薄いごちゃついた和室だった。



僕のモノに溢れかえったこの和室で、少年が安っぽいパイプ机に向き合わされている。
カーペットの上で組んだ足が痺れているのか、体を強張らせながら。

その横で――母さんが、腕を組んでいる。












ロケーション: 居間

母さん: ほんっとうに淳ちゃんのことが心配なのよお母さんは。この前だって、100点をとったからってゲームをおねだりしてたでしょ?

母さん: 母さんはそういうところが心配なの。淳ちゃん、お父さんみたいな人になっちゃうんじゃないかって。

母さん: そんなの……淳ちゃんは、嫌よね?







母さん: 塾の宿題が多くても、淳ちゃんは頭が良いから今日中には終わるわ。

母さん: 母さんは信じて、横で見守ってあげるからね。

母さん: ……。

母さん: その問題、間違ってるわよ。なんで?

母さん: お母さんのこと不安にさせるつもりなの?淳ちゃんはできる子なのにやらないってことは、こんなに応援してる母さんのこと鬱陶しいって思ってるんだ?

母さん: ねえ、なんで黙るの?

母さん: ねえ?

母さん: 母さんのこと無視するの?










僕は咄嗟に胸を抑える。ダメだ。
目を向けてられない。

そう、そうだった。

僕は、ずっと母さんの人形だったんだ。






ロケーション: 通学路

母さん: 母さんのおすすめする高校、受かって良かった。淳ちゃんがちゃんと幸せになれそうで、母さんもとっても鼻が高いわ。

母さん: ちゃんと3年間きちんと勉強して、次はプリチャード学院が良いかしらね。

母さん: 母さんも目指そうと思ったところだけど、道半ばで失敗しちゃったからね。あそこに行けば、きっと淳ちゃんのためになるわ。

母さん: ……。









何をするにしても、僕は母さんの顔色をうかがっていたのを思い出す。

父さんが女を作って蒸発したから、女手一つで僕を育てようとして、
そのひずみが、すべて僕に降り掛かってきたんだろう。



ある意味、母さんは気負っていたのかもしれない。
見栄を張っていたのかもしれないし、父さんへの嫌悪の裏返しを、僕に押し付けていたのかも。





結局、僕の想像や主観でしかない。
母さんの問題を僕に重ねること自体、本来は関係がないことで。

それを強引に押し付けられたからこそ、僕は……そう。

僕は、自分に自信を持てなくなったんだ。




僕はこの記憶を、今……いろんな視点から見返すことができている。

どうしてかな。
未だに激痛が胸を劈いてくるのに。

その痛みに向き合いたいと、僕はそう思えて他ならないんだ。




それに気がついた時、感嘆の声が僕の口から漏れ出る。

そんな心の余裕があることを、どこか僕は驚きを隠しきれなかった。









ロケーション: 居間

母さん: …………。

母さん: ねえ。淳ちゃん。

母さん: 淳ちゃんは、まだ玲奈ちゃんのことを引きずってるの?

母さん: いつまでそのぬいぐるみを持ってるつもりなの?

母さん: いい加減、諦めなさいよ。死んだ人は戻らないのよ?

母さん: あの子も頭が良かったし、将来の淳ちゃんのお嫁さん候補としても十分だったと思う。

母さん: ……でもね。もういないの。あの時の淳ちゃんが小さかったから言わなかっただけで。

母さん: 引っ越しの日に、あおり運転に巻き込まれて家族ごと死んだのよ!

母さん: だから、そんなものを持ってたって意味なんてないの。淳ちゃんのためにならないの。

母さん: いい加減、分かったら目を覚まして頂戴。







部屋の隅に座る、あの懐かしいウサギのぬいぐるみに、少年が庇うような位置で立っている。
記憶の中の少年は、一度も口を開かない。

そんな彼にフォトフレームを投げつけて、破片を散らす。

――痛い。その痛みはガラスの痛みか、写真のあの子をぞんざいに扱われたことによるものか。


どちらにしても、あまりにも覚えのある追体験に、僕は吐き戻したくなる。
耐え難い痛みに心がすり減る感覚すらあった。




そうか。そうだったのか。
痛みの中に、僕は光を見る。

目を背けてはいけない、背けられない光を……。


あの子を――篠原玲奈を母さんが否定したのが、ずっと心残りだったんだ。
同じ塾で、同じように勉強熱心だった幼馴染は、小学校卒業の時に遠方へ引っ越しすることになった。

そして、その引っ越し当日に――




ああ、ああああ……。


僕は叫ぶ。母さんの言葉を聞くたびに、僕はやり場のない怒りを、その記憶に向けてぶつけたくなる。
でも、手を伸ばしても、殴りつけようとしても、何をしようとしても……それは、ただの記憶でしかなくて。






母さんの顔面をすり抜ける度、僕は無力感を抱く。



結局、その時に切り捨てられた心を今取り返そうとしたところで、どうにもならないのかな。



また、場面が変わっていく。

……この気配は。
まさか。







ロケーション: [...]

母さん: ああ、淳ちゃん。

母さん: 母さん、今からこの部屋を大掃除しようと思ってね。

母さん: こんな狭いアパートで、こんなに物に溢れかえってると生活も大変でしょ?淳ちゃんも高校生になったんだし。

母さん: だから、いっそ古いものは全部捨てちゃおうと思って。出てった父さんの品とか、淳ちゃんもいらないでしょ?

母さん: それに。

母さん: もう高校生にもなったんだから。

母さん: そのぬいぐるみももう捨てなさい。

母さん: ……。

母さん: 何よ、その目は。どういうつもり?

母さん: 前から言ってるでしょ?そもそもその年頃の男の子が持つべきものじゃないでしょ!

母さん: いつもいつもいつも……そうやってぬいぐるみに甘えて。泣き縋って。気持ち悪いって自分で思わないわけ?

母さん: 玲奈ちゃんのことはもう忘れなさいって言ってるでしょ。

母さん: ……。

母さん: いい?

母さん: そのぬいぐるみをそのハサミでバラバラにしたうえで、ゴミ箱に入れなさい。

母さん: それができない限り、母さんはもう淳ちゃんのことを大事にできません。

母さん: ここまでずっと淳ちゃんのことだけを考えて頑張ってきた母さんの気持ちを大事に思える、優しい子に育ってるなら……

母さん: わかるわよね?






(絶叫)






<停止>

















だから言ったでしょ。
一番触れたくないものに触れるのは、無理だって。











僕は、復元された記憶をシャットアウトしてしまった。

耐えられなかった。見ていられなかった。

無心であのぬいぐるみをズタズタに切り裂いていく少年を、僕の哀れな姿に、僕は目を向けられなかった。



でも、1つだけはっきりしたことがあった。











何をはっきりさせたっていうの?











玲奈は、まだ生きてるってことだよ。

そして、それが分かっただけで、もう十分なんだ。











(記憶[SCP-173-JP]は復元されました)
(記憶[廃棄場区画]は復元されました)
(記憶[サイト-8119]は復元されました)
(記憶[上席研究員]は復元されました)











なんで。
なんで、記憶を戻せるの?

見たくない記憶をなくしてあげてたのに!











世の中には、「余計なお世話」って言葉があるのさ。














<再生>





そもそも、財団の一員として名を連ねるようになった理由だって、居場所がなかったがためだった。

プリチャード学院時代、あれだけ僕を苦しめた母さんが白血病で死んで、僕は一人になった。

母さんという、僕の手を引いてくれた人もいなくなり、親戚の家に転がり込んでしばらく過ごしたけど、そこでだって、僕は誰とも心を開けるような状態じゃなかったんだ。

だから、将来のことや就活とかもどうでも良かったし、母さんがいない世界で、どう生きればいいか分からなかった。



その「分からない」が、いつしか「死にたい」へとすり替わるまで、そう時間はかからなかった。




ロケーション: サイト-8119 廃棄場区画

(プラスチックのこすれる音)




SCP-173-JPの収容違反の時にしたって、結局僕は、犠牲を伴ってあれを封じ込められれば、それでいいと思っていた。それで十分だと思っていた。

英雄として死ぬことを求めながら、英雄にあこがれているわけでもないなんて、変だという気配はずっと感じてたけど、そう。

この矛盾の正体は、今ならはっきりわかる。
僕は、ずっと誰かから支えられたかった。それだけのことだったんだ。




ロケーション: スクラッププレス機前

(プラスチック同士が衝突し、ガチャガチャと音がする)

(SCP-173-JPが近づいてくる)

(数mの巨体が目の前に立つ)




ああ、だからか。
だから、僕はSCP-173-JPに餐まれなかったのか。

あの中に、かき分けたオモチャの先に、僕は確かにうーちゃんの姿を見た。
なのに、僕が立ち止まったのは、あの引き寄せられるような懐かしさに抗えたのは、

僕の中に、既にうーちゃんはずっといてくれたからなんだ。




ロケーション: スクラッププレス機

(笑い声)

(楽しげな声)

(ガチャガチャという音)




今から言えば何ていうことはない。

同じ形、同じ製品として、そのぬいぐるみを、SCP-173-JPの構成物の一部として目にしただけに過ぎないし、SCP-173-JPは少なくとも玲奈とは無関係なのは確かだから。

だから、自分の人生で捨てさせられたものを、勝手に僕がSCP-173-JPに重ねただけに過ぎなかったんだろう。



そういう前提があったからこそ、僕は――




ロケーション: スクラッププレス機

(機械の稼働音)

(悲鳴)

(衝撃)

(圧壊)




僕は、SCP-173-JPを収容できたんだ。




<停止>















そして何より僕はずっと、そんなふうに欲しがっていたものが身近にあることにさえ気づいてなかった。

財団が僕を雇った理由は、僕自身の能力を買ってくれたからだし、避難誘導の時に率先して助けた職員から感謝されたのもそうだし。

そのうえで、SCP-173-JPでの功績を経て、僕は今もなお周りの職員が、真正面から手を差し伸べてくれていたこと。それを僕は、ようやく理解したよ。


僕のことを大事にしてくれる人たちは、思ったよりもずっと近くにたくさんいたってことにさ。











(記憶[第3カウンセリングルーム]は復元されました)
(記憶[ランドール・五加潜在意識抽出器]は復元されました)
(記憶[インシデント"ボウルビィ"]は復元されました)
(記憶[後天性ストレス失認症候群]は復元されました)
(記憶[サイト-8148]は復元されました)
(記憶[SCP-4173-JP]は復元されました)











ありがとう、みんな。

僕は、もう十分頑張ったよ。
頑張って、ここまで進んで来れたよ。

僕に仕事を振ってくれことも、肩の力を抜いても良いって言ってくれことも、僕は今とっても慈しいんだ。



さっきまで、ずっと深い闇の底に沈んで、閉じこもって消えようとしていた。
V-4173-β。僕の罪であり、無自覚な、逃げの自覚のない逃げの象徴。

そんなものの言葉なんか、僕はもういらない。
聞くこともない。だから、もう僕は沈まない。


もっと前を向いて、生きたいと願うよ。

僕が信じたい、僕を信じてくれる人たちと一緒に。











...
(記憶[O5-7]は復元されました)
(記憶[バクロス・シルヴィオール]は復元されました)
(記憶[サリュート・スコルフ]はは復元されました)
(記憶[D-7179]は復元されました)
(記憶[リリーゼ・トンプソン]は復元されました)
(記憶[市原秋斗]は復元されました)
(記憶[トレンシア・ミヤマ]は復元されました)
...

(記憶[呉部淳介]は復元されました)











僕の後ろに、いつしか、ずっと関わってきてくれた大事な人達が、上司が、同僚が、関わりを持ったすべての人達が立っている。

どんな形であっても、距離感であっても。
今、対峙しなければならない相手と最後の一瞬まで向き合う僕の背中を押すように。













おかしい、おかしいおかしいおかしいおかしい!

こんなはずじゃない。じゅんくんはそんなのじゃない。

なんで。どうして苦しみを、悲しみを、理不尽を、自分から求める?

一緒に沈めば、ずっと何も感じなくて良くなるのに。

どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?






何も感じないようにしてあげる。何も苦しくないように、つらくないように、だから、だから――

(突進)



こっちへこいよ











もう、いいんだよ。
君の役目は終わったんだ。

だから、そんなふうに暴れなくてもいい。
逃げなくてもいい。

SCP-173-JPの姿をしなくていい。
篠原玲奈の姿をしなくていい。
何より、僕の苦しみに執着なんてしなくたっていい。

だって、辛いことから逃げたくなる気持ちから逃げるために、死なんて大げさな選択を取る必要なんて、最初からないんだから。

だから、もう休んでくれ。V-4173-β。











(全記憶復元完了)

(SCP-4173-JP 分離復元中)














呉部: 今だ!


kirakira-01.gif


ロケーション変更: サイト-8119 廃棄場区画

(プレス機を指定座標軸上にスポーン)

V-4173-β: なっ!?

(V-4173-βからうーちゃんが分離し、呉部の方へ跳躍する)

うーちゃん: ――抜けたわ!


(絶叫)

(衝撃)

(圧壊)

























白飛びした世界の中心で、僕はうーちゃんを抱きしめながら座り込んでいた。

僕は、ようやく、自分を許すとは何か、
この先の現実を見るとは何か、

そして、生きるとは何なのかを理解できた気がする。


僕はそんな、自分の中で見つかった答えを、静かに抱きとめたかった。




















呉部: ごめん。僕、ようやくわかったよ。

うーちゃん: うん。

呉部: SCP-4173-JPは、そんな番号で呼ばれるようなものじゃなかったんだって。もっと、あったかくて、優しくて、当たり前のように胸に秘めていて良いものなんだって。

うーちゃん: うん。

呉部: 僕にとってのSCP-4173-JPは……ううん。一番大好きだったものは、ずっとその姿で、僕の中で生きてたんだって。

(強く抱きしめる)

呉部: 君は、ずっとそこにいたんだね。

(笑顔を向ける)

うーちゃん: あたしはどこにも行かないわ。これまでも、これからも。

うーちゃん: ずっと一緒よ。

(抱きしめ返す)

うーちゃん: ただいま、淳くん。

呉部: おかえり、玲奈。






V-4173-β: あーあ。痛いなぁ。

V-4173-β: せっかく、その苦しみも悲しみも消してあげられるところだったのに。

V-4173-β: まあ良いわ。あたしは、まだここにいるから。

V-4173-β: いつでも戻ってきていいわ。

V-4173-β: あたし、ずっとここで待ってるからね。








(消滅)







kirakira-03.gif







<抽出終了>












SCP-4173-JP 最新版


アイテム番号: 4173-JP
レベル1
収容クラス:
esoteric
副次クラス:
archon
撹乱クラス:
dark
リスククラス:
notice

特別収容プロトコル: SCP-4173-JPの収容を試みることは、人類社会そのものへの混乱を引き起こす危険性を伴うため実施されません。また、「SCP-4173-JP」という管理番号も同様のリスクを伴うことから、現在便宜的に欠番と同等の処理で扱われます。一連のSCP-4173-JP報告書は、ヴィルヘルム=ピアジェ・ミーム回復エージェントの中核適用プロセスとして読解が義務付けられています。過去に行われた収容計画による一連のインシデントへの対処計画として現在、「テッセラクティブ・プロトコル」が進行中です。

説明: SCP-4173-JPは、ヒトの精神構造内に発生する哲学的抽象知性体の総称とされてきた概念を指していました。SCP-4173-JPは有知性的な言動や反応を外部的に観測することはできますが、その性質上、ヒトが社会生活を営む上で生じるトラウマとそれに対する防衛機制そのものと完全に不可分な存在であり、SCP-4173-JPの発生の抑制・除去の試みは、ヒトが有するこれらの通常の精神構造を不可逆的に破壊しうる危険性を伴います。

SCP-4173-JPは多くの場合、発生者の愛着を持つ物品・概念(依存対象)をアンカーとし、その表層イメージをもとに潜在意識下に出現します。アンカーとなる依存対象は個人によって大きく異なり、多くの場合はぬいぐるみを中心に発生しますが、自動車やキャラクター、宗教的象徴、イマジナリーフレンド、家具、また極稀にペットや石などといったものもアンカーとなることがあります。同様に、前提として文脈が成立している限りにおいて、SCP-4173-JPは物理的な依存対象が紛失・没収・破壊するなどした場合でも、機能的には欠落することはありません。

これらの現象はランドール・五加潜在意識抽出器(RGSE)を用いることで図像・文章として形而下に記述可能ですが、本質的実体を伴わず、観測は抽象的なものとなることがほとんどです。この形式で記述された場合においてのみ、その抽出結果のうちSCP-4173-JPの出現が見られる範囲では、情報伝達流動値5.5~30μMfV程度の極めて微弱なミーム波長が観測されます。この波長は一般的には「幼少期から思春期において、何らかの感情的欠落を体験した者が持つ再獲得衝動」を伴う人物が放つものと相同します。このことから、SCP-4173-JPは多くの場合において「何らかのトラウマ・PTSD・抑うつを幼少期から継続的に経ている人物」ほど大きく顕在化しやすい性質を持つという仮説の論証となっています。

出現したSCP-4173-JPは許容的・抱擁的・哲学的な言動をもって発生者の精神負荷を低減させ、当人のメタ認知能力の飛躍的向上をもたらします。精神的安定性が十全に確保されたと思われる段階で、SCP-4173-JPは自然に消滅ないし抑制され、発生者は精神的成熟を果たします。これらの発生機序から、高い精神的負荷を伴う職務に従事する財団職員ほどSCP-4173-JPは発生しやすい傾向が統計的に示されています。SCP-4173-JPのその性質から、SCP-4173-JPをアノマリーとして理解することは極めて困難であり、既存の精神医学や心理学上のカテゴリとの峻別が難しいこともまた、当該オブジェクトがArchonに指定される根拠となっています。

SCP-4173-JPは当初、「財団職員間でぬいぐるみが流行している」という状況が報告されたことから、財団内で生じる異常現象として理解されていました。しかし、当時はその発生原理や条件などが不明な点が多く、結果としてバイアスを無視した実験や収容計画の策定が重なったことでインシデント"ボウルビィ"が発生、2016年現在において全世界人口の34%が後天性ストレス失認症候群(AS2)を発症するに至りました。このインシデントにより他の正常性維持機関を含む複数の国家の機能不全・陥落、オブジェクトの収容違反、監督評議会の崩壊などの問題が生じたことから、2015年12月13日より財団・世界オカルト連合の共同声明によりLV-Zero: 捲られたヴェールシナリオが正式に宣言されています。

その後、元収容担当責任者であり、自身もまたAS2を発症していた呉部上席研究員は、潜在意識下においてSCP-4173-JPと共に経験した独自の思考プロセスを経てAS2を無力化しました。さらに、前述の呉部上席研究員の体験をRGSEで観測したところ、抽出結果にこれまで記録されてきたミーム波長とは明確に異なる波長が検出されました。

このミーム波長はミーム工学部門によって詳細に分析・解析され、最終的にAS2によって破綻した防衛機制を回復させる効果を持つことが判明しました。現在、この効果を応用した哲学的回復プロセス「ヴィルヘルム=ピアジェ・ミーム回復エージェント」が開発されており、本報告書の文章構成は前述のミーム波長を正確に最大化するものとして、同エージェントの中核機能に組み込まれています。

ヴィルヘルム=ピアジェ・ミーム回復エージェントの技術的成立は、将来におけるAS2の完全治癒への可能性として高く期待されており、一連の手続は「テッセラクティブ・プロトコル」と呼称される全世界的精神治療計画として、正常性維持機関の連携のもとで施行が計画されています。















CCTV-N0572 2016/1/8
埼玉県[編集済]市 [編集済]墓地

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bluesky.jpg

2016/1/8 13:45

(呉部上席研究員は、篠原家之墓と書かれた墓石の前でしゃがんでいる)

(線香に火を点ける)

呉部上席研究員: 今日は随分と晴れてて、過ごしやすい日だね。……玲奈。君は君で元気にしてたかな。

呉部上席研究員: 僕は相変わらず、まだまだ自分に自信を持てないままだよ。

呉部上席研究員: 受け持った仕事をこなそうとして、全部裏目に出てさ。そのせいで、自分もみんなも巻き込んで、大変なことになったりして。今でも、そのあたりの話とか、昔のことの影響とかを考えると、頭が爆発しそうになる。

呉部上席研究員: だから、正直僕はずっとしんどいままなんだ。

(沈黙)

呉部上席研究員: でも。

呉部上席研究員: でも、そんな中でも、僕は大事なことに気づいたんだ。

呉部上席研究員: そういうやらかしで、自分が全部をしっちゃかめっちゃかにしたとしても、それでも世界は廻ってるんだって。

呉部上席研究員: だから、これから先もまだ廻っていく世界を、僕は……もっと見届けたいなって。そう思うようになった。

呉部上席研究員: 玲奈。君はもうこの世にはいない。9歳のまま、ずっとそこで眠り続けてる。けど、君が生きたという事実は、僕の中で生きている。

(持ち寄った袋から、新品の白いウサギのぬいぐるみを取り出し、墓に添える)

呉部上席研究員: だから、僕は、もう少し生きてみようと思う。

呉部上席研究員: そうやって、生きて良いって思わせてくれたのは、君と……この子のおかげだから。

呉部上席研究員: ありがとう。

(呉部上席研究員は立ち上がる)

ミヤマ精神分析官: 呉部さん。ご挨拶、どうでしたか?

呉部上席研究員: ああ。今終わったところですね。すみません。

ミヤマ精神分析官: 謝ることはないですよ。ゆっくり、時間を掛けてお話しすれば良いことですから。

呉部上席研究員: そう……ですね。でも、もう大丈夫です。僕も僕で、やることはたくさんありますし。

ミヤマ精神分析官: ええ。AS2患者は待ってくれませんからね。

(空を見上げる)

ミヤマ精神分析官: 呉部さん。

ミヤマ精神分析官: 呉部さん自身が、この先地に足をつけて生きていくのは、幸福に包まれすぎて滅びかけの最悪な世界です。多くのオブジェクトは収容違反を引き起こしていますし、財団も破綻をギリギリ免れているだけで、リソースは今までよりも限られています。

ミヤマ精神分析官: それでも、そんな現実でも……呉部さんがこの世界を生きたいと覚悟なさったのは、何よりも大きな前進だって、私は思いますよ。

呉部上席研究員: それは専門的な知見としてですか?

ミヤマ精神分析官: ごく個人的な好意として、です。ふふっ。

ミヤマ精神分析官: でも、もしこんな世界で生きるのがつらくなったとしたら、いつでも私に頼ってくれても良いですからね。対話部門はいつでも、そのためにありますから。

(ミヤマ精神分析官は呉部上席研究員に手を差し伸べる)

ミヤマ精神分析官: さあ、行きましょうか、呉部さん。

(呉部上席研究員は手を握り返し、2人は墓地を駆け足で去っていく)


<停止>


















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