アイテム番号: SCP-425
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル: SCP-425はファラデーケージ1で裏打ちされた通常の収容区画に保管されます。セキュリティレベル2を上回る職員のほとんどはSCP-425の利用が許可されますが、誕生日が8の倍数の日(8日、16日、24日)である職員は除外されます。8の倍数の日に生まれた職員はSCP-425の悪影響を受けやすいことが証明されています。
説明: SCP-425はPhilco社製1958年式Tandem Predictaテレビセットのような外見をしています。1963年に所有者の█████ ███████によって初めて報告されました。当初███████夫人が、このSCPオブジェクトが時折不規則な振る舞いをすることについてFBIに接触しました。彼女はFBIに、彼女の息子の█████ ███████がひどい悪夢を見はじめ、テレビの左側パネルに"∞ = 8"という傷をつけたことを報告しました。███████夫人はさらに、テレビのプラグを抜いたにも関わらず、時折電源の供給もなしに放送を続けたことを報告しました。組み込みエージェント2の██████が状況に気が付き、SCP-425を財団に提出しました。
SCP-425が持ち込まれ、6週間にわたり研究されましたが、決定的な発見はありませんでした。1963年03月24日までSafeに分類されていましたが、その日、ひとりでに電源が入り"放送"が始まりました。当時5人の職員がその部屋に居合わせており、4人が揃って"無限"と報告する視覚体験をしました。彼らはまた、無調音3が壁のあたりから聞こえてきたと報告しました。この4人の職員は、体験に若干の不安を覚えながらも、全般に及ぶ幸福感を覚えました。彼らはその感覚を”この世には我々を超越する何かがいたことを知った"ような感覚であると説明しました。この説明は、事件直後に彼ら4人を隔てて個別に事情の聴取を行ったにも関わらず、全員が全く同じ説明を繰り返し述べました。事情聴取以前に彼らが口裏を合わせるような時間はありませんでした。
5人目の職員(被験者ゼロ)は異なる体験について述べました。被験者ゼロは宇宙からブラックホールの事象の地平面めがけて非常に大きな速度で向かっていく視覚体験を報告しました。被験者ゼロはブラックホールへ向かい突破する視覚を体験した時"砕けて忘却の彼方へ飛ばされる感覚"4を体験したと報告しています。被験者ゼロはまた、無調音についても報告していますが、雑音の向こうから囁くように聞こえてきたことを報告しています。被験者ゼロはその囁きを聞き取り解釈することはできませんでしたが、少なくとも英語やその他の人間の言葉ではなかったことは確かであると報告しています。被験者ゼロは視覚体験と囁き声に激しく動揺を受け、事件の後から数週間繰り返し悪夢を見たことを報告しています。大規模な心理療法によっていくらか被験者ゼロの容態は改善しましたが、少なくとも月に1度は悪夢を見続けたことを報告しました。彼はまた、他の人間と一緒にいて心地が良くなくなってしまったこと、友人たちと共にいても孤独感を覚えるようになったことを報告しました。この時点をもって、SCP-425はEuclidに分類されました。
さらなる研究により、SCP-425は毎月8日・16日・24日の夜中、およそ20:00から23:24の間に8分間の放送を行うということが明らかになりました。放送はこの時間帯に1度だけ行われると見られています。有志の職員による早期の研究では複雑な体験が得られました。5人の職員がSCP-425の収容されている部屋に配置され、観たものについて質問を行うことによって、結果を得ました。6か月間の実験により、特定の誕生日を持つ被験者がSCP-425の悪影響を受けやすいということが発見されました。"忘却"視覚体験を受けた23人の被験者のうち、17人が被験者ゼロと同様の結果となり、4人が再分類5と記憶消去治療を求め、1人がSCP-425を収容するサイトを去って行方不明となり、1人がなんの悪影響も受けませんでした。(補遺を参照)
この時点でSCP-425はファラデーケージ内に配置され、上記の日に生まれた職員は利用を禁止されました。ファラデーケージ内において、SCP-425はひとりでに電源が入るものの、放送は行いません。放送の発信源は地球外であると見られていますが、その特定の努力は実を結んでいません。
補遺: 1971年08月08日、███ ██████職員は食堂にて大きな発作6を起こしました。医学的な検査によると、██████女史の脳の頭頂葉には大きな9角形の損傷があることが判明しました。彼女はその点を除けば健康であり、どのようにしてこの傷を負ったのかは分かっていません。██████女史は医学的観察下に置かれました。1971年08月16日、██████女史は不明な言語で8分間喋りました。質問されると、彼女はなぜこのような発話をしたのか、また何を言ったのかわからないと答えました。1971年08月24日、██████女史は医療棟の彼女の部屋を抜け出し、近くの黒板へと歩いていき、不明な宙域についての広大で精巧な天文図を描きました。天文図を書き終えると、彼女は床に倒れ、死亡しました。解剖の結果、生物学的な死因は見つからず、彼女の頭頂葉の9角形の損傷は消失していました。