クレジット
タイトル: SCP-4500-JP - 旅が終わる
著者: Tutu-sh
作成年: 2025
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SCP-4500-JP
アイテム番号: SCP-4500-JP
オブジェクトクラス: Keter
特別収容プロトコル: SCP-4500-JPを直接的に利用する場所はBH O44系内に限定されており、BH O44系は恒久的に立ち入りを制限されます。当該宙域への立ち入りに際し、希望者は事前計画書をO5評議会と管理AICネットワークへ提出し、O5評議会の過半数による承認を得る必要があります。承認を得た場合、作業員はセキュリティクリアランスレベル4職員3名以上の監督の下で行動し、用務が終了次第可及的速やかに制限宙域から退出しなくてはなりません。
BH O44系外での存在が推定されるSCP-4500-JP個体に関しては直接的収容が行われません。存在が推定されるSCP-4500-JPに対し敵対的な行動、あるいは敵対的と解釈されうる行動を取らないよう厳に注意してください。SCP-4500-JP関連業務に長期的に参加しない場合、上記に該当する行動の回避を目的とし、本文書の閲覧に関する記憶処理を申請可能です。
BH O44系内のSCP-4500-JP研究区画は巨大AICネットワークにより管理され、SCP-4500-JPの侵入の阻害が求められる領域や、保存の必要があると判断されたSCP-4500-JPの被影響者は、照度200,000 lx以上の高輝度照明により常時照射を受けます。各収容業務は自動制御されており、AICが保有する情報はトーラス型コロニー≪ステラドロメウス≫に常時共有されます。制限宙域外から人による調査・観測等業務が必要と判断される場合はO5評議会へ意見書を提出してください。
【注記】
現行プロトコルの有効性は疑問視されています。
プロトコルの改定およびオブジェクトクラスTiconderogaへの再分類が審議中です。
説明: SCP-4500-JPはBH O44系で存在あるいは生息を認識されている、黒色を呈する不定形実体です。SCP-4500-JPは基底現実世界に存在するものの、一般的な物質・物体と異なり、財団が保有するいかなる検出器を用いても有意な厚みの検出に至っていません。平面としての認識が可能なことから、SCP-4500-JPは2次元物体であることが推測されています。
SCP-4500-JPは自身の付近に存在する影に接近して潜伏する習性を示します。当該の擬態行動が常時行われるため、一般にSCP-4500-JPは床面や壁面などに投影された影として認識されます。ただし、SCP-4500-JPは影と相同でないため光源や物体との位置関係に束縛を受けておらず、光を照射された場合でも消失することなく残留する場合があります。
曝露したハツカネズミ(Mus musculus)
SCP-4500-JPは日和見的に敵対的な挙動を示します。敵対的挙動において、SCP-4500-JPは自身に接近した生物あるいは接触した生物(以下、対象)を未知の手段により2次元物体へ圧縮します。ヒト(Homo sapiens)であれば胸背方向、その他の多くの四肢動物であれば左右方向に圧縮を受ける事例が多く確認されていますが、例外も少なくありません。当該過程を経た対象は単調な黒色の2次元物体へ変化し、平面へ射影された影状の模様として認識されます。
平面化した対象は生命活動あるいはそれに類する活動を停止します。この状態に至った対象は照度10,000 lx以上の照射を持続的に受けている場合現状を維持しますが、照度が10,000 lx未満である場合外界との境界付近から漸時的に自壊します。自壊の進行速度は照度と逆相関を持ち、暗所であるほど速やかに崩壊します。散逸した対象の構成要素の行方は不明であり、SCP-4500-JPの構築に再利用される可能性があります。
発見経緯: SCP-4500-JPはBH O44系第7惑星(以下、BHO-7)1における炭化水素化合物の採掘事業に際して発見されました。BHO-7は一部の人類集団への主要な資源供給源として利用されていましたが、SCP-4500-JPの出現により現在は財団による収容業務を除いてあらゆる利用を放棄されています。
| BHO-7補足資料 |
|---|
惑星系
互いに公転するBH O44系の連星系。恒星質量ブラックホールが赤色、G型主系列星が青色で図示されている。
BHO-7はBH O44系内で連星系全体の周囲を公転する惑星である.ブラックホールの周辺を公転する惑星である点,地表および地下に莫大な炭素化合物資源を埋蔵する点から,能動的探索地および将来的な入植地の有力な候補として注目されている.
BH O44系は地球からくじら座方向へ約4000光年の位置に存在する,約4.5×108年前に形成された若い惑星系である.BH O44系はG型主系列星および恒星質量ブラックホールという2つの巨大な重力源を持つ.両天体の質量は前者で約0.93 M☉,後者で約9.62 M☉と推定されている.両者は一方の重力を受けて互いに185.59日の周期,1.4 auの軌道長半径で公転している.
BHO-7は連星系の重心から約6.4 auの距離で安定した円軌道を描いて公転する.連星系近傍の惑星はブラックホールあるいは恒星が独立した個別の重力源として機能し,また遠方の惑星は連星系の重心の摂動に伴い公転軌道のズレが蓄積してカオス性が増大するため,いずれにせよ長期的に安定した惑星軌道を実現できない.BHO-7は安定的な軌道を維持する範囲内に存在しており,1×109年スケールで安定したシミュレーション結果が得られている.
BHO-7に分布する炭化水素化合物の海洋
表層環境
BHO-7は熱源である恒星までの距離が6.4 ± 1.4 auであるため,全球平均気温が約-165 ~ -170 ℃の範囲内で変動する.この寒冷環境のため,地球上において揮発性物質として振舞うメタンやエタンなどのアルカンを主体とする炭化水素化合物はBHO-7上で凝結し,メタン海や地下メタンとして分布することが予想された.かつて地球上に埋蔵した石炭の総量を炭化水素換算した場合,BHO-7に存在する炭化水素化合物はその約4×105倍に相当すると推定された.
BH O44系の惑星の公転軌道が三体系においても地球暦で億年スケールの安定性を持つことから,BHO-7の液体炭化水素は人類集団による利用が検討され,地形・地質調査が開始された.結果としてBHO-7に液体炭化水素の水塊が実在すること,また,地表に形成されている砂丘様地形も凝固した炭化水素化合物を主体とすることが判明し,これらの利用が可能と判断された.より深部には地球と同様のマントル物質が存在すると推定されるが,その上位を10 kmオーダーの水氷が岩盤として被覆し,さらにその上位に固体炭化水素化合物からなる地殻と液体の海洋が存在するため,資源採掘の観点では表層物質が簡便である.
水(H2O)を噴出する氷火山の例
特にBHO-7が約4.5×108年前に形成された若い惑星であることから,その内部は惑星形成時の熱が残留している.このため局所的には水,アンモニア,メタン,エタン,窒素などの揮発性物質が液体や超臨界流体として分布し,マグマメルトや火山ガスとして噴出する.こうした氷火山周辺域では,不純物が存在するため精製を必要とするものの,地熱により粘性度の低下した液体メタンや液体エタンが容易に採取可能である.
資源利用
第三次グレートジャーニーを開始して以降,BHO-7に存在が予測された莫大な炭化水素化合物はくじら座タウ星eから系外進出を果たした人類の注目を浴びた.質量ベースにおいて,炭化水素化合物の液相部分は地球全球の水圏の水と同等,固相は地球の全生物圏炭素量の104倍以上に達すると推定される.回収された炭化水素は旧時代の化石燃料と同等の扱いが可能であるほか,カーボンナノチューブやプラスチックといった部品の原料,また合成食糧の炭素源としての利用が見込まれている.
SCP-4500-JPは地球標準暦5525年において居留基地14で発見されました。居留基地14はBHO-7において座標10-0-11-00:02に位置する同惑星最大の採掘基地であり、固結した炭化水素化合物堆積層の掘削を行っていました。基地の運営当時は約40名の管理職員と約26000名の作業員が在籍し、掘進および採取に従事していました。
BHO-7上の全施設との通信の途絶を受け、これを不審に認識した財団がBHO-7の調査を決行しました。財団機動部隊による居留基地14の踏査では、掘進装置を含む機械類が非常電源により駆動するものを除いて全て停止していること、また職員が1人の例外なく失踪していることが確認されました。施設内の卓上や休憩所には飲食物が多数放置され、カレンダーや手記などにも定常の予定が記載されており、職員の失踪が突発的であったことが示唆されました。
踏査を継続する際中、財団機動部隊ゼータ-9("メクラネズミ")はSCP-4500-JPと遭遇しました。以下は生還した1人の機動部隊員が装着していたボディカメラから回収された会敵時の記録映像です。
日付: 5525/06/14
場所: 居留基地14 第4坑道補助シャフト
備考: 坑道内自体は熱溶融ボーラーとライザーレス掘削を併用した自動掘削ドリルによる掘進が行われるため、通常は人間の出入りを想定していない。有人での試料採取や機械類整備が必要な場合を想定し、人間が進入可能な補助シャフトが設けられている。
<記録開始>
補助シャフト進入口付近
Z9-1: 通信チェック。
Z9-2: チェック。
Z9-3: チェック!
Z9-4: チェック。
Z9-5: チェック。
Z9-6: チェック。
Z9-1: こちらワン。5分後に作戦を開始する。既に居留区画も暖房設備が静止して冷たい金属の棺桶になっているが、この先は断熱材も非常電源も無い。凍て付く極寒に晒された真空の地下空洞だ。スーツに傷が付けばたちまち致命になる。総員、装備点検を徹底。
Z9: 準備よし。
Z9-1: 気密服異常無いか?
Z9: [指差呼称] 気密服異常無し!
Z9-1: 時刻確認、マルヨンマルマル、作戦開始。これより補助シャフトに突入する。総員点灯、最大光量。
[ゼータ-9が気密服に装着されたフラッシュライトおよび財団標準規格パルスライフルに装着されたウェポンライトを点灯する。補助シャフト進入口付近の光量が増大し、白く照らし上げられる。]
Z9-1: 降下開始。
[シャフト内に複数本のワイヤーが降ろされる。ハーネスを装着したゼータ-9隊員が周囲を警戒しながら降下する。シャフト内壁は光沢を帯びた粘性の高い液体に被覆され、それが再度凍結したようである。液体は黒色から濃い橙色を呈し、重力に従って流下して形成されたまだら模様を描いている。]
Z9-5: 上と同じですね。生命の気配が何1つありません。数万人の人間が居たのに、死骸1つ転がってない。
Z9-4: まるで宇宙の清掃員が綺麗に片づけたみたいな? ちょうど、頭上におあつらえ向きの星が浮かんでるし。
Z9-5: [間] ブラックホールのことですか。
Z9-4: 勿論、冗談だ。施設が無傷だからありえないけど、全てを飲み込んで圧し潰す星の成れの果て。生物が一掃されたこの状況には、感覚的に、何か近いものを感じずにはいられないんだ。
[沈黙]
Z9-4: 自分が考えていたのは、集団的な錯乱ってとこだ。かつて先祖が故郷の太陽系第3惑星の圏域にまだ縛られていたころ、その衛星はまさに不吉なもの、狂気を膨らませるもの、として認識されていたらしい。何の変哲もない岩石天体でさえそんな力を持つ。それなら、ずっと大きな質量を持つ恒星が何億何千万廻という一生の最期に成れ果てたあの引力の塊は、もっと強い力を持ってそうじゃないか?
Z9-5: [間] それが作業員を狂気に駆り立てたと?
Z9-4: 落ち着かないと思うぞ。何よりも黒々とした物体が、腹を空かせた野獣のような塊が、恒星をも振り回す引力を振りかざしながらずっと空に居る。気がおかしくなっても仕方ない。てっきり、全員トチ狂って掘削坑に身を投げて凍死したとか、あるいはドリルビットに突っ込んでミンチになったとか、そういうのを考えてたけど ⸺
Z9-3: 言い方だぞ。
Z9-4: 失礼。[間] まあ、本能的な憶測、妄想だ。別の何かが原因だろうよ。
[20秒間の沈黙]
Z9-6: でも、分かる気がしますよ。本能的な衝動に駆られて、身体が動かずにはいられなくなるって。
Z9-3: シックス、それはフォーの戯言を肯定するってことか?
Z9-6: いえ、別のところです。この長い坑道を下っていると、身体が疼くというか。ムズムズとして、脳がその皺に沿ってこそばゆくなるような感覚がします。まるで ⸺ 飛び込みたくなるような、ならないような。
Z9-4: 跳躍の衝動だ。
Z9-5: 跳躍、ですか?
Z9-4: 俺たちの祖先、衛星に神話性を見出すよりも遥か昔に遡った祖先は、木々の上に住んでいたらしい。太い枝に体重を預けて、細い枝を掻き分けて木の実を掴み取って、それを食べて過ごしていたんだと。
Z9-6: それがどう繋がるんですか?
Z9-4: 考えてもみろ。今座ってる枝の木の実を取り尽くしたらどうする?
Z9-5: [間] 次の枝に移る?
Z9-4: そう。でもどうやって?
Z9-5: [間] 飛び移る、ですかね。
Z9-4: そうだ。地面は危険だ。天敵が居るかもしれない。だから次の枝までの距離を目算して、重力の寄与を考慮しながら、自分の筋力で飛び乗ることができるか、そこを見極める。次の枝へ、またその次の枝へ。失敗すれば奈落の底に落ちる。だが踏み出さなければ飢えて死ぬ。だからこそ ⸺ 落下は俺たちの心理を縛ってる。生存に直結する根源的な恐怖が、跳躍の衝動を呼び起こす。
Z9-5: 遺伝子の奥深くに刻み込まれている、というわけですか。
Z9-6: それで言うなら、闇もそうな気がしますね。
Z9-4: そうだな。俺たちの先祖は森の葉っぱから果実や野獣の色調を識別可能な高度な色覚を持ち、鮮やかな世界で生きてきた。だが暗闇や暗黒は ⸺ 全てを未知に葬り去る。
Z9-5: [間] シックス、不安か?
Z9-6: [間] いえ、そんなことは。
Z9-1: 案ずるな。不安が内心にあるうちは、神経を鋭敏にできる。不安は味方だ。集中しろ。
Z9-6: 了解。
[10分間の内容を省略]
Z9-1: メインの掘削坑との交差地点だ。ファイブとシックスで確認しろ。
Z9-5: 了解。
Z9-6: 了解。
[ゼータ-9-5とゼータ-9-6が壁面を伝い、交差地点の封鎖扉に到着する。]
Z9-6: サーモ画像は冷え切っています。完全に平衡です。
Z9-5: ドリル自体も、ドリルへの熱供給もやはり停止しているようですね。開放します。
[ゼータ-9-5とゼータ-9-6が封鎖扉の取っ手を掴む。扉は厚い合金で製造されており、2人がかりでも開放の兆しが見えない。]
Z9-5: 駄目です。バールはありますか?
Z9-1: スリー。
Z9-3: フン!
[スリーがスレッジハンマーを振りかざし、扉の中央部に向かって勢いよく打突する。反動で固結物が剥離し、扉が細かく振動しながら徐々に開きはじめる。衝突に伴う振動が近傍の孔壁に伝導する。]
Z9-3: 窒素か何かが凍って詰まってたみたいだな。
Z9-5: ありがとうございます。
[ゼータ-9-5とゼータ-9-6が扉を完全に開放する。補助シャフトよりも巨大な鉛直方向に伸びる円筒形の空洞が照らし出される。中央には鉛直下向きにドリルパイプが走る。]
Z9-6: 気圧差なし。
Z9-1: 沸騰したガスも凍り付いたか。異常は?
Z9-6: それらしいものは見当たりません。ただ下はどこまでも ⸺ 真っ暗です。ほとんど何も無い。ドリルの先端も見えません。ただずっとパイプが上下に伸びているだけです。どこまでも深い暗闇の中に。
Z9-1: 孔壁にも異常は無いか?
Z9-5: [間] 特には。固体窒素らしい霜が降りてはいますが、それを除けば我々が今まで降下してきたシャフトと同じに見えます。亀裂は無い。模様も同じ。これといった変な凹凸もありません。霜の白さも遠くに行けば闇に呑まれて、あとは分かりません。
Z9-1: よし、では ⸺
Z9-6: [叫び声]
Z9-1: どうした!? シックス!
Z9-6: [過呼吸] 失礼しました、何でもありません。
Z9-4: 叫んでおいて何もないはないだろ。
Z9-6: きっと見間違いです。気にしないでください。
Z9-1: 隠さず報告しろ。何があった? 何を見た?
Z9-6: [間] 何かが、ドリルパイプの下の方で、纏わりつきながら動いていたように見えたんです。きっと錯覚です。暗がりでしたし、きっと、不安のせいで見間違いを。
Z9-4: おいおい。精神干渉のことならただの妄想だぞ。
Z9-1: ファイブ。お前は何か見たか?
Z9-5: あいにく上を見ていたので。[下を向く] 今は ⸺ 何も見えませんね。
Z9-2: 探知装置は?
Z9-5: 不検出です。可視光も赤外線も、その他のどんな電磁波も異物の存在を示唆していません。不可解な反射パターンすらありません。電場も、磁場も、化学物質も、ヒュームも、クロノンも。検出可能なあらゆる項目が定量下限値未満、異常な実体の存在を肯定していません。
Z9-1: ツー、どう思う?
Z9-2: シックスには動揺が見られます。精神鑑定は事前に済ませたはずですが、彼の言うようにそれが錯覚に繋がった可能性が高いかと。ドリル先端の深度は不明ですが、補助シャフトの踏査を継続し、再度の接続地点でもう一度ドリルを調査してはいかがでしょうか。
Z9-1: それでいこうか。ファイブ、シックス、扉を閉めろ。
[ゼータ-9-5とゼータ-9-6が安全を確認し、扉を閉鎖する。]
[全員が降下を再開する。]
[5分間の内容を省略]
[全員の通信装置に破裂音が響く。]
Z9-1: 止まれ!
[全員が降下を停止する。]
[1本のみワイヤーが停止せず、静かに降下を継続する。]
Z9-3: あれは誰のワイヤーだ?
Z9-1: 点呼! ワン!
Z9-2: ツー。
Z9-3: スリー!
Z9-4: フォー。
Z9-5: [裏返った声で] ファイブ!
[沈黙]
Z9-1: シックス。応答しろ、シックス。
Z9-4: じゃ、あれはシックスのワイヤーってことか?
Z9-1: 先端は見えるか?
Z9-5: まだ目で追えます。あれは ⸺ ハーネスだけが残っています!
[ゼータ-9-5およびゼータ-9-2がワイヤーの先端を照らす。ゼータ-9-6の気密服に装着されていたハーネスだけがワイヤーに結ばれたまま降下していく。]
Z9-3: シックスはハーネスを外したのか?
Z9-4: それらしい音はしなかったけどな。金具の音というより、破裂音みたいだった。
Z9-3: 事故にしては悲鳴の1つも上げなかったな。
Z9-1: 異常発生を確認。総員戦闘配置!孔壁へ撃ち方用意!
[全員が背中合わせになり、パルスライフルを放射状に孔壁へ向ける形で警戒態勢を取る。]
Z9-1: 死角を潰せ! 闇を作るな! このまま ⸺
[破裂音]
Z9-1: 今度はどこだ!?
[ゼータ-9-1の隣でワイヤーに吊るされたハーネスが揺れる。]
Z9-3: ツーだ! ツーのハーネスが空だ!
Z9-1: 緊急上昇! 緊急上昇! 早急に退避しろ!
[全員のワイヤーが高速で巻き上げられ、急上昇を開始する。]
[破裂音。ゼータ-9-1のハーネスが振動する。]
Z9-5: ワ ⸺
[孔壁に黒い人影のようなものが映る。当該の影は銃火器を携行しており、その形状は後の映像検証で財団標準規格パルスライフルに類似することが確認されている。]
[光源が高速度で上昇して離れるにつれ、人影の周囲の照度が低下する。それに伴って人影が徐々に崩壊し離散する。]
Z9-5: あれは ⸺
Z9-3: [雄叫び]
[破裂音。ゼータ-9-3が消失し、音声が途切れる。]
[反動でゼータ-9-3のワイヤーが大きく揺れ、ゼータ-9-4に接触する。]
Z9-4: [音割れ] ははあ、これで俺が指揮官かよ!
Z9-5: しかしフォー、このままでは全滅です!
Z9-4: とは言ってもだな ⸺
[ゼータ-9-4がシャフトの進入口を見上げる。]
シャフト内部から見た進入口
[ゼータ-9-4が何かを視認した様子を見せる。]
Z9-4: なるほどな。シックスが経験したのは錯覚じゃない。あいつ本物を見てたんだ。
Z9-5: 本物? 何がですか?
Z9-4: いいか! このまま巻き上がれば地上に投げ出される! だがそれが好機なんだ、振り返らず走り抜けろ。何があっても立ち止まるんじゃない。
Z9-5: フォー、答えてください。シックスは一体何を見て ⸺ あなたは何をするつもりなんですか!
[ゼータ-9-4が進入口付近に銃口を向ける。]
Z9-4: 今見せてやる。どっちもな。
[ゼータ-9-4がパルスライフルを連射する。止め処ない光弾が連続的に孔壁を直撃し、岩壁が熔融・沸騰しながら砕け散る。滑らかな壁面が徐々に破砕され、表面を濡らすまだらな高粘性の液体を伴った荒々しい質感に変化する。]
[光弾に照らされながら黒い物体が翻る様子が映像に映る。破砕された孔壁の粉末や蒸気の中で、平面的な物体が不規則に高速運動する。]
Z9-4: お出ましだ! 機を逃すなよ!
Z9-5: フォー ⸺
[ゼータ-9-4が雄叫びを挙げて連射を続行する。その後に続く破裂音に伴って連射音が途切れる。]
[ゼータ-9-4の装着していたハーネスがワイヤーとともに揺れる。]
[映像が大きく乱れる。ワイヤーウィンチが映像に映り、その後高速度で回転しながら地面が接近する。]
<記録終了>
上記の映像記録を受け、映像中に記録された実体、すなわちゼータ-9-4および6に目撃された黒色の実体がSCP-4500-JPに指定されました。SCP-4500-JPの行動範囲が不明ながらも掘削坑や地下が特定危険域と判断され、居留基地14は地上階のみが立ち入り可能区域に指定されました。
SCP-4500-JP対策チームに属するダグラス・テナント博士とデイヴィッド・ヘンシャル博士は、回収された映像記録にインスピレーションを受け、SCP-4500-JPの起源を予察しました。その起源は惑星系全体に重力支配をおよぼす恒星質量ブラックホールに求められます。
<記録開始>
ヘンシャル博士: 君はどう思う? SCP-4500-JPの起源について。
テナント博士: どうと言われてもね。その星で独自の進化を遂げた生命形態の1つ ⸺ という単純な結論で済ませる気は無さそうだね?
ヘンシャル博士: いかにも。不毛な氷・岩石惑星に自律行動を示す何某かの存在が居て、それが機動部隊を襲撃した。確かに、メタンの海は生命の誕生と進化に適したものではある。水素を取り込んでアセチレンを分解しエネルギーを取り出す。地球生物でいうカルビン=ベンソン回路のような過程を辿ったであろう段階的な中間体群はそうした生化学反応を示す痕跡だろうし ⸺ そも、原始的な単細胞生物だってこの惑星から発見されている。
[ヘンシャル博士がボトルを手に取る。]
ヘンシャル博士: だが数世紀にわたる観測を重ねても、この宇宙に普遍的な原核生物を除いて、いまだかつて生命は確認されていない。
テナント博士: 単に未発見の種とは言えないのか? 人類の博物学はこの惑星の全てを把握していると ⸺ そう結論するのは早計だったりはしないのかい?
ヘンシャル博士: 無論そんなことは無いが、推測はできる。炭化水素の海で変異を蓄積したとて、その過程は地球で繰り広げられたものと同様に無数の分岐を残していくはずだ。核膜を獲得し、多細胞化し、大型で複雑な体を手に入れたはずだ。あれに似たものが出現しているなら、その道程で必ず、あれに辿り着くことのなかった異なる旅路の痕跡を無尽蔵に残す。それは現存する現生種という形態でもいいし、既に滅び去って石と化した化石種でもいい。しかし体毛の1本も、鱗の1片も、小骨の1本も、歯の1本も ⸺ 茎も根も葉も甲羅も触手も外套膜も、何1つ発見されてはいないのだ。
[ヘンシャル博士が水を飲む。]
ヘンシャル博士: この星はまだ若い。地球史でいう太古代にようやく足を踏み入れたばかりで、多細胞生物の出現にはまだ10億年単位の時間が必要だ。悪魔の証明という言葉があるように、確実な皆無の証明は困難を極めるが ⸺ あれが正統な進化の過程で出現したとは実に、実に考えにくい。
テナント博士: じゃあ、何か? あれは既存の進化論で説明できない何かであると ⸺
ヘンシャル博士: 私の意見ではそうだ。この惑星の生物学の枠内で説明不可能な、我々の論理の杜撰さの体現者としてあれが存在する ⸺ 少なくともその見込みが大きいと。少なくとも別の外の世界で、暗闇の中を彷徨っていた。
テナント博士: 外の世界か。候補は絞れるのか?
ヘンシャル博士: さっぱりだ。少なくとも今は特定できない。どんな惑星を見渡しても、既存のデータベースにあんな生物は登録されていない。平面のような挙動、あらゆる観測網を掻い潜ってこの世から完全に姿を消す隠蔽力。さながら想定の埒外にあるような ⸺ 空想するなら、地球外でなく次元外、超越的な異次元生命体というところかな。
テナント博士: [間] 超越的な。
ヘンシャル博士: ん、ああ。
テナント博士: 異次元。外なる次元。
[5秒間の沈黙]
テナント博士: なあ、君はゼータ-9-4の発言をどう思う?
ヘンシャル博士: それは ⸺ 古代人類の風習に着想を得て、ブラックホールに集団消失の原因を求めた思弁のことか?
テナント博士: いかにも。もっとも、僕は人間の情緒や思考に神霊の類が関与したとは考えていないけどね。
[テナント博士が仰け反り、机上に脚を組んで載せる。]
テナント博士: 人類が月面を最初に歩いておよそ3600年。それだけの歳月が過ぎる間に人類は太陽の重力圏を脱し、銀河系内への拡散を始めた。あらゆる宇宙の未知を既知に変え、数多の闇を次々に光の下に引き摺り出してきた。もはや僕たちの発展と躍進は何者にも止められない。研ぎ澄まされた文明のメスが解き明かしてきた森羅万象には、かつて先祖が異常存在のラベルを貼って死蔵したものも少なくない。
[テナント博士が右腕を高く掲げて天井を指差す。]
BH O44系における恒星とブラックホールの二連星系
テナント博士: そんな僕らの眼前で依然残り続ける孤高の謎、その1つがブラックホールだ。観測を峻拒し、万物を破壊し、光までもを捕殺する。ブラックホールを周回する惑星で漆黒の異形と出会ったなら、その起源は ⸺
ヘンシャル博士: SCP-4500-JPはブラックホールから来たとでも?
テナント博士: そうとも。あの究極の縮退星を置いて他にどこへ求めようと思う?
ヘンシャル博士: では、どうやってブラックホールから抜け出したと? 光でも抜け出せない極端な重力場を乗り越えて、いかにして我々の世界へやってきた?
テナント博士: 抜け出さなきゃいい。越境する必要はない。事象の地平面のごく近く、極小の薄皮一枚を隔てた極限の近接性の中で漂ってたんだ。最初から重力の牢獄の辛うじて外側を、10-35メートル、プランク長に限りなく近い空間だけ離れて。地平面のほんの1歩外側で生まれた粒子が、光に迫る速度で外へ向かって飛び出す。古代の科学者が何千年も前に見出した論理だ。それに波乗りしたと考える。
ヘンシャル博士: ホーキング放射か。[間] その場合、SCP-4500-JPを媒介した粒子は極低周波光子やニュートリノか?
テナント博士: 恒星質量だからね、たちまち全質量を喪失する爆発的な蒸発を起こすわけじゃない。極めて冷たい微弱な放射に乗って、凍て付くこの惑星に辿り着いていた。そうすると、この惑星系のほぼ全域にあれが居る可能性もありうるわけだ。
<記録終了>
その後に実施された他の居留基地の調査でも調査隊の失踪・喪失が相次ぎ、居留基地14で観測されたものと同様の実体の存在が示唆されました。居留基地の分布とBHO-7の陸域配置から、SCP-4500-JPの分布が少なくともBHO-7の全域におよびうることが有力視されました。以下は調査により確認された各居留基地あるいは調査隊の被害状況のうち特筆性のあるものの概略です。詳細はアーカイブを参照ください。
|
居留基地 |
特記事項 |
| 居留基地4 |
作戦行動中に調査隊が既知居住区画の地下通路においてSCP-4500-JPと推測される実体による襲撃を受けた。照明弾を利用して距離を取った後、人の発声を録音した音声を自動再生する小型誘導ドローンをデコイとして走査させた。SCP-4500-JP実体はドローンの存在する経路を経由せず、理論上の最短経路で調査隊に最接近し戦闘行為が再開された。 調査隊は居留基地からの撤退を即時決定した。撤退の過程で液化炭化水素貯留槽を爆破し、崩落した瓦礫と流出した液化炭化水素で居住区画全体を充填・封鎖した。この閉塞処置ののちSCP-4500-JPは明確な活動を示さなくなり、調査隊員4名が生還に成功した。被圧した液化炭化水素は事案後も常時噴出しており、居留基地跡地には広大な湖が形成され、現在も拡大中と見られる。 なお、生還者4名は任務終了後に消息を絶っている。原因は特定されていない。 |
| 居留基地7 |
生存者の男性調理師1名を発見。男性は室内照明の真下に座し、周囲に散在する未調理の食材を消費して飢えを凌いでいたものの、軽度の脱水症状を呈していた。また発見時に周囲の暗所に対し、動悸や強い吐き気を含む病的に近い恐怖反応を示した。当初は調査隊の到着に歓喜する様子を見せたが、やがて接近する調査隊に対して恐怖反応を示し、拒絶する旨の絶叫を繰り返した。 錯乱状態に陥った男性の制止に動いた際、男性が瞬間的に消失し、周囲に位置していた調査隊員も同時に消失した。この時、通信映像記録では周囲の光度および照度が低下したことが確認されている。他の隊員も連鎖的に消失し、通信が途絶した。 |
調査記録より、SCP-4500-JPは人間側が用意した罠の回避、生存者の罠としての利用といった行動が示唆されます。これはSCP-4500-JPに概念処理能力・論理的思考能力・未来予測能力・外界認識能力などの高度な能力が備わること、また知的探求心を持つことを暗示します。
事案: 居留基地8の踏査において、Dクラス職員で編成された調査隊がSCP-4500-JPにより殲滅される事案が発生しました。当該事案においてSCP-4500-JPに曝露したDクラス職員のうち1名が影状の模様として居留基地の内壁に転写されましたが、この時、当該職員は散逸前に複雑な手指の運動を継続していたことが確認されました。送信された映像の解析の結果、当該の運動はタウe標準手話に合致するものでした。
解読の結果、手話の内容は対話を呼びかけるものであることが判明しました。協議の結果、居留地区14にて機動部隊ゼータ-9による同伴の下、テナント博士がSCP-4500-JP様実体への聴取に臨むことが決定しました。
日付: 5525/11/25
場所: BHO-7 居留基地14 第8倉庫メインフロア
付記: SCP-4500-JPと遭遇し生還した実績があることから、機動部隊ゼータ-9("メクラネズミ")の指揮はゼータ-9-5が選出された。ゼータ-9-5は可能な限りの除染措置を受け、また半年間の経過観察を経て、SCP-4500-JPの潜伏が積極的に認められないと判断されている。
<記録開始>
[周囲には複数機の高輝度照明が搬入され、SCP-4500-JPの予定出現位置に向けて可視光を照射可能なように設置されている。既にそのうちの2機が起動し、機動部隊ゼータ-9がパルスライフルあるいはパルスマシンガンで武装し、博士の背後を取り巻くように陣形を組み、銃口を倉庫内壁へ向けている。]
[ゼータ-9のうちの1人が博士に背後から歩み寄る。]
Z9-5: 僭越ながら申し上げます、博士。あれは危険です。こうして我々がこの星に降り立っていること自体が考えられないほどに、あいつらは手に負えません。今からでも即刻中止して引き上げるべきです。
テナント博士: 忠告ありがとう。でもこれは決定事項だ。
Z9-5: 博士はご存じない! あれは瞬く間に人間を殺します。あなたが考えているよりもずっと俊敏で、有無を言わさず人間を押し花に変えてしまう。骨肉が軋む暇さえ与えずに。正面から相対して人間の反射神経が追いつく相手ではありません。今ここで悠長に会話しているだけでも自殺行為です。銃も通用しません。おそらく爆発物も。あの巨大なライトでも、どこまで連中を縛っておけるか知れたものではありません。我々は実質的に無防備なままただここに立っている。
[テナント博士がゼータ-9-5の方を向く。]
テナント博士: 君は先の任務の生還者だったね。
Z9-5: あの一件で、当時の班員は皆殉職しました。壁に散った飛沫になって、骨も血も残さずに張り付いて。やがてその影も溶けていく。人間の死に方ではありませんよ。
テナント博士: お悔やみを。[間] でもファイブ、これは彼らの真髄に迫るまたとない機会なんだ。向こうから打診してくれたわけだからね。もしこの機を逃せば、この惑星系は財団を含めて人類が二度と立ち寄れない禁忌の領域になってしまうかもしれない。それは人類帝国にとって有用な、莫大な物質資源の単なる喪失を意味するだけじゃない。人類の可能性の喪失、探求心の敗北だ。
Z9-5: ですが ⸺
テナント博士: 以前のシックスは恐怖心を抱えながらも闇と相対した。フォーは想像力を駆使して君を光の世界へ帰した。ワンはリーダーシップを、ツーは理性を、スリーは豪胆さを。彼らが居なければ奴らの真相は闇の中だった。今の僕らにできるのは、意志を汲んで継承し、先に進めてやることじゃないか?
[沈黙。ゼータ-9-5が発言する素振りを見せたが、一言も発さずに肩を落とす。]
テナント博士: [間] 同意と見なすよ。
[テナント博士が壁に向き直す。壁面は清潔に磨き上げられ、強力な光の照射を受けている。]
テナント博士: [両腕を広げながら] 君のための場を作った。僕らがSCP-4500-JPと呼ぶ存在よ。闇の中に潜む者よ。応接室、玉座の間、神殿 ⸺ どんな風に使ってもらっても構わない。姿を現してもらえるかな?
[高輝度照明の出力に変化が生じていないにも拘わらず、壁面の照度が徐々に減衰する。]
Z9-5: 5万ルクス、2万ルクス、1万、5000……指数関数的に減少しています。
テナント博士: 来たね。僕らの認識するこの明るさの低下こそ、あの実体の本質なんだろう。光自体が減ってるんじゃない。彼らが影として振舞ってる。
[照度の低下が減速する。]
Z9-5: 照度20ルクスで安定。
[壁面に一際暗い影が発生する。高輝度照明の光路上に遮蔽物が存在しないにも拘わらず、壁面に投影された影は明白に輪郭を示している。]
Z9-5: 撃ち方用意!
[壁面の影が滑らかな動きで拡大し、やがて輪郭が人型に近づいていく。完成された人型実体はパルスライフルに類似する重火器を手に取り、財団機動部隊に類似する服装を纏っている。]
テナント博士: ああ、これはありがたい。
Z9-5: ありがたい? あれは明らかに我々を模倣しています。特にあの背丈や、すらりとして締まった体格。すっとした鼻の形に、あの耳の形。髪型も ⸺
[Z9-5が沈黙し、壁面に対して目を凝らす。]
Z9-5: フォー。先の任務で殉職したゼータ-9-4を真似ています。
ゼータ-9-4に類似する実体
テナント博士: [ゼータ-9-5の方に振り向いて] 僕ら人間の認識は偏っているから ⸺ あまりにも乖離した形態の存在とコミュニケーションを取ることには相当な労力を使ってしまうんだ。たとえば地面から出てきたワームやその辺に転がった小石に知性が宿るとして、対等に話し合う気になるか? 夥しい触手を蠢かして緑の粘液を噴出する怪物なら?
Z9-5: 直感的には、難しいですね。
テナント博士: だろ。彼らの行動は挑発じゃない。むしろ歩み寄りかもしれない。
Z9-5: これまで殺戮を続けてきた連中がですか?
テナント博士: それに気付いていないかも。自分たちの所業が相手にとって致命的だと認識していないのかもしれない。3次元空間でしか生きられない生命の存在を、想像だにしていない可能性がある。根本から体の構造や物理法則が異なる存在なんだ、常識や倫理もまるで違って当然だ。
[テナント博士が壁面に向き直す。]
テナント博士: 彼らは僕らに手を差し伸べている。少なくとも、その可能性がある。
[ゼータ-9-4に類似する実体が左手を持ち上げる。]
テナント博士: 手話だ。手話を使おうとしてる。言語による意思疎通は可能で、僕らの言語体系に翻訳する技術もあるようだが、おそらく音響符号化ができないんだ。2次元だからか? 3次元の波を発生させられないのか?
Z9-5: 撃ち方やめ。セブン!
[ゼータ-9が武装を解除し、ゼータ-9-7が前に出る。以降、SCP-4500-JPの手話内容をゼータ-9-7が通訳する。簡単のため、以降の記録では手話の内容をSCP-4500-JPの発話内容として文字転写する。]
Z9-4: その通りだ博士。彼らは対話を望んでいる。
Z9-5: [間] 訳は正確か?
Z9-7: 間違いありません。
Z9-4: そこにファイブも居るんだな。悪かった、ファイブ。気苦労かけさせたか?
Z9-5: [間] カント計数機に反応は?
Z9-7: ありません。
Z9-5: ならば、少なくとも霊ではないと。
テナント博士: [間] 彼ら。1人称じゃなく、明らかな3人称複数形を使ったな。彼らとは、我々がSCP-4500-JPと呼称する実体のことを指すと見ていいか?
Z9-4: ああ、問題無い。
テナント博士: それで、君はゼータ-9-4なのか? 先の探索でそこに居るファイブを守って坑道に姿を消したフォーが、今ここで喋っているってことでいいのかな。
Z9-4: そうだな。俺がゼータ-9-4だ。
[ゼータ-9-5の表情が強張る。]
テナント博士: 了解した。君をここに送り込んだ黒幕たちは、僕らの仲間を大勢殺してくれたね。「殺す」という語の意味は分かるか? 生命活動を停止させる、ある機構の恒常性を永久に喪失させること、と認識してくれてもいい。
Z9-4: 彼らは理解している。かつての俺も含めて、人間は死ぬことがある。心臓を突き刺せば酸素が全身に回らなくなるし、脳を叩き斬れば指揮命令系統が完全に破壊される。そうした個体の崩壊、内部環境の平衡化、決定的な喪失が取り返しのつかない確定的な「死」として人間に認識されていると、彼らは理解している。
Z9-5: 死が何なのか、分かっているとでも?
Z9-4: 人間は死を恐れ、古来様々な手法に手を出してきた。ある支配者は海の彼方に仙薬を求めた。ある科学者は金属を使って賢者の石を生み出さんとした。ある為政者は体を凍らせて時を跨がんとした。俺たち人類が根源的に恐怖し、そして本能的に忌避する最たる例だ。
テナント博士: [間] SCP-4500-JPの行動で僕らの仲間がその状態に至ったことも、彼らは理解しているのか? 今体を借りて動かしている機動部隊員だって、その生き証人 ⸺ おっと、死に証人だ。
Z9-4: それはお前たちの認識が誤っていると言わざるを得ないな。
Z9-5: 何?
テナント博士: じゃあ教えてくれないか。僕らは何を勘違いしている?
Z9-4: 死んでなんかいない。俺も含めてな。むしろ不死に、祝福に限りなく近づいている。
テナント博士: [間] 続けてくれ。
Z9-4: 古代の賢人が既に導いた帰結だ。黒き世界に堕ちた物はその一切の情報を界面に預ける。俺たちが事象の地平面と呼ぶ境界面だ。全体的な輪郭、細部の繊維、分子の配置と構造、素粒子の電荷やスピン。あらゆる情報が余すところなく呑み込まれる。
テナント博士: ベッケンシュタインとホーキングの主張か。ブラックホールに投げ込まれた物体のエントロピーは、ブラックホールのエントロピーに変換され、それは事象の地平面の表面積によって決定される。[間] 随分科学史に詳しいと見える。
Z9-4: これは俺自身の知識でもあるし、彼らが俺たちの記憶から本を読むように集めた知識でもある。この惑星に立ち入った数十万にのぼる個体の意識が統合されたんだ。意識は脳細胞と呼ばれる構成単位の活動により生じたものだし、その細胞ももっと微細な構造の相互作用や原子分子の化学反応から成り立っている。俺たちが経験し、認識し、思考したことは、全て彼らと共有されている。
テナント博士: そういうの、プライバシーの侵害って言うんだぞ。
Z9-4: それも知っている。独立した個を持つ生命ゆえの面白い概念だ。
Z9-5: あなたもそうだ。
Z9-4: 今は違う。最初は人間のことを理解できなくて苦労したそうだ。何せ黒き者たちにとっては全くの未知の存在で、他所の惑星からやってきた異分子だったからな。しかし読み漁るうちに見分を深められた。数十万の知を集積して、俺たちについて学習したんだ。そしてその内容は彼らと共にあり、俺と共に立っている。
テナント博士: [間] つまり何か、形而下の肉体そのものを失いながらもその設計図が量子状態として完璧に保存される。あたかも史上空前の図書館の蔵書のように。そして、形而上の魂も物理的な産物である以上、保管された設計図に付随する ⸺
Z9-5: だから死んでいないとでも?
テナント博士: [遮るように] ブラックホールと同じ、2次元空間に全て保存しているということか。
Z9-4: いかにも。理解が早いな。彼らの起源については既に突き止めたのか。
テナント博士: こちらこそ助かるよ。出身に確証が持てたからね。シュワルツシルト半径のほんの少し外側に蓄積した、連続的な粒子の層。莫大な情報を保管するストレージで、そこに住まう彼らはアーキビストと言っていい。ホーキング放射に乗って重力の牢獄から解き放たれた後も、同じことを繰り返し続けている。そして知識を盗み取ってぶくぶくと蓄え続けてる。超肥満のクジラのように、どこまでも貪欲に。
Z9-4: 食べるとか飲み込むとかいった比喩は適切じゃないな。黒き者たちに統合された後も情報は残り続け、変質しないからだ。お前たちはアミの群れじゃない。巨大な空間の中で自他の境界がまどろんでも、お前たちの実存は尊重される。今のまま死を免れる。健やかなる生命として生き続けられる。
Z9-5: ふざけ ⸺
[テナント博士が遮るように腕を伸ばし、ゼータ-9-7に目配せする。ゼータ-9-7が無言で頷く。]
テナント博士: 失礼。つまり君のバックは我々人類との共栄を望んでいるのかな? 僕らという種族を永らえさせ、手を取り合って共に歩もうとしているのか? どうしても、今起きている事象だけを見れば、彼らだけにうまみがある話のように聞こえるのだけど。
Z9-4: 事実、黒き者たちはお前たちに被害を与えてはいない。永久へ生きたくはないのか? 衰えを知ることなく、栄えたいと思わないのか?
Z9-5: [強い口調で] なら隊長を出してみてくれませんか、フォー。 生きているならできるはずです、違いますか?
テナント博士: ファイブ ⸺
[ゼータ-9-5が通訳を中断するジェスチャーを取る。]
Z9-5: 博士、これは検証も兼ねています。もし失った過去の隊員をここで具現化できるなら、双方向性を確認できます。あれの力を介して現世と死後の世界とを往復できることが分かれば、我々は事実として死を克服できるのでしょう。地平線の向こうに失ったかのように見えた者とも再会し、言葉を交わし、肌に触れることだってできる。
テナント博士: [間] なんだ、冷静だったのか。
Z9-5: 怒りは覚えますよ、でもそれとこれとは別です。もし奴がここにかつてのゼータ-9を連れ戻せないなら、あの言葉が欺瞞であるおそれが非常に大きい。フォーの体を奪って、押し潰した指を操って演技をしている。
Z9-7: ブラックホールは逆走を許さない死のエスカレーター、本来なら一方通行です。事象の地平から戻って来られるとは、にわかには ⸺
Z9-5: だから確認が必要なんだ。
テナント博士: [間] セブン。今のやりとりを省略して、過去に取り込んだ人間を取り出せるか尋ねてくれないか。もし可能なら、連れ戻すように。
[ゼータ-9-7が手話で質問する。]
Z9-4: それはできないな。一度迎え入れた者たちを再び外へ送り返すことはできない。3次元物体としての原型は留めていないからな。しかし ⸺
[照度がさらに低下する。現場の照度計では10 lxが記録されている。]
Z9-4: ここに今の状態で呼び出すことはできる。2次元物体として符号化し、真の世界で今を生きる俺の仲間をな。
[壁面に黒い霧のように影が具現化する。無数の影の小片が離合集散を繰り返したのち、徐々に複数体の2次元人型実体を形成する。それぞれの実体は対応する機動部隊ゼータ-9の殉職済み隊員に類似する。]
ゼータ-9-1と推測される実体
Z9-1: 久しぶりだな、ファイブ。変わりないか?
Z9-5: [間] ワン、なのか?
Z9-2: 我々の見かけ上の殉職に伴って彼の職掌も変わったようですよ。現在はワン、あなたの地位に相当する役職のようです。
Z9-5: ツー。
Z9-3: 成長したな! そうか、ファイブが隊長代理か。
Z9-5: スリー、あなたまで ⸺
Z9-1: そうか、そうか。全員こっち側の世界に来てしまったからな。そっちの世界に置き去りにしてしまった。[ゼータ-9-5の方に顔を向けて] どうだ、ワンは。大変だろう。無理してないか?
Z9-3: 病は気から、だ。肉体だけじゃない、心を休めることも肝要だぞ。
Z9-6: ファイブ、常夜はいつでも受け入れる用意を整えています。すぐにとは言いません。我々が居なくなった後の部隊の管理もあるでしょうから。ですが ⸺ お待ちしています。またあなたと一緒にお茶がしたいです。
Z9-5: シックス、か。お前、あれだけ震えていたのに。
Z9-6: もう怖くはありません。蓋を開けてみて、私の心は安心で満たされました。いたずらに殺されたわけじゃありません。我々は救済されたんです。病に冒されることもなく、死に直面することもなく。穏やかな約束の地で全ての柵から解き放たれた、新しい生活を送っているんです。
Z9-3: 俺たちは長い間暗闇の中で戦ってきた。生物の巣穴、鍾乳洞、クレバス、地下鉄、掘削坑。地下深くの人目につかないところで果敢に戦い続けたのは、なぜだと思う?
Z9-5: なぜ、ですか?
Z9-3: これだよ。このためなんだ。
Z9-5: これ ⸺ ?
Z9-3: ここが新しい家なんだ。俺たちの、そして人類の。
Z9-2: 古代の宇宙論では、ブラックホールはこの宇宙に存在するあらゆる物質の終着点とされてきました。重力崩壊の果てに至る安定状態。実際永劫に続くとは言えませんが、この惑星系のものであれば1070年近い寿命があります。この宇宙が誕生してから経験した全ての時間を恒河沙倍しても優に余裕があるのです。人間の寿命が分割不可能なほどに短くなり、星々の時代も一瞬に過ぎません。全てから解放された、比類なき長大な安寧です。
テナント博士: でもそれも文字通りの永遠じゃない。常に蒸発し続けてるんだ、いつかは終わる。どんな存在にも潮時ってものがある。時間の問題だ。
Z9-4: ああ、申し訳ない。ブラックホールは我々の玄関でしかないんだ。無限に存在する2次元空間とこの3次元空間とを結ぶ入口であって、入口が蒸発しても、家そのものが消えて無くなるわけじゃない。俺たちの正しい世界はこれからも続いていく。
Z9-2: とはいえ、ファイブや博士のような3次元の軛の下で生きる皆様をお迎えすることには、確かに時間的制約があります。ブラックホールが完全に蒸発して散逸するか、それを待たずにこの宇宙を真空崩壊が呑み込むまで。
Z9-1: つまり、彼らの開店時間にも限りがある。来てくれないか、ファイブ。お前のような忠実な部下を、ここで死なせたくはない。
Z9-5: ワン、自分は ⸺
Z9-4: 一度お前を置き去りにした。もう二度と同じことはしたくない。
テナント博士: ファイブ、落ち着いて考えろ。彼らは君を助けたんだ。自ら影に捕らわれながら、君が生き残る道を模索した末が現状だ。もし後を追うことがあれば、それは彼らの意志を無碍にすることに他ならない!
Z9-4: いいや。あの時の俺が間違っていたんだ。
Z9-1: 正しいことをしたと思いたかったが無理だ。我々の選択は誤りだった。死に満ちた危険な世界にファイブをたった1人残してしまった。シックスと同じ、我々の背後で恐怖を内に秘めながら、懸命に抗っていたファイブを。
Z9-1: でももう、そうする必要は無い。
[ゼータ-9-5が左手を胸に当て、右腕を伸ばす。]
Z9-5: フォー、あなたの声をもう一度聞きたい。記録映像にしか残っていない声で、私の鼓膜を揺らしてほしい。ワン、あなたの香りをもう一度嗅ぎたい。懐かしいタバコの匂いが鼻腔をくすぐるあの体験を、もう一度。
Z9-4: こっち側でならできる。俺たちは論理の存在に昇華してる。人間が体験する感覚はいくらでも生み出して繰り返せるさ。
[ゼータ-9-5が腕を伸ばしたまま1歩踏み出す。]
テナント博士: ファイブ、そんなものはまやかしだ。実存じゃな ⸺
Z9-5: 博士。電子の花が咲き、肉体は蘇る。
[破裂音。ゼータ-9-5と同形の輪郭が床面に射影される。]
Z9-7: ファイブ!
[ゼータ-9が攻撃態勢に入る。テナント博士が両腕を広げて制止する。]
[ゼータ-9-5の影が徐々に分解される。]
Z9-2: ファイブは我々の世界へ歓迎されました。これで同胞が揃いました。
テナント博士: ならなぜ今すぐここにファイブが出てこない?
Z9-3: まだ祝福を授かったばかりだからだ。肉体の柵から解き放たれて、まだ海の中を漂っている。
Z9-1: なあ博士。あなた方が3次元世界で感じる実存とやらも、波や粒子を享受して知覚が発生しているに過ぎない。我々の情報世界と何が違う? 突き詰めるならば ⸺ 君たちがしがみつくそちら側の世界に正当性がある保証はどこの誰がしてくれる?
テナント博士: [間] ホログラフィック原理の拡張。体積が幻想に過ぎないとでも。
Z9-1: さあ、どうだろうな。探究者たるもの、真理を知りたくはないか? この宇宙や世界がどのように形作られているのか、その真の姿は? あなた方はどこから来て、何者で、どこへ行くのか? 森羅万象に通じる根源的な問いかけの答えへの門が、今目の前に開かれているんだぞ。
テナント博士: [間] なるほど巧妙だ。ゼータ-9-5にはかつての仲間の絆や郷愁を、私にはこの世界の理を。対象の関心が最大化され、意識の障壁が限りなくゼロに近づく主題を採用して、巧みにそちら側の世界に誘い出しているということか。
[沈黙]
Z9-1: 考えは変わらないか?
テナント博士: 対談感謝する。正直なところ喉から手が出るほどにそそられる議題だが ⸺ あいにく僕の一存じゃあ決められない。持ち帰らせてもらうよ。
Z9-1: では今後も両者の架け橋とならんことを。博士、またお会いしよう。願わくば、こちら側でな。
[人影が崩壊を開始する。影の霧散に伴って照度が対数関数的に上昇する。]
[10秒程度の時間をかけ、照度が高輝度照明使用条件下における標準的水準に回帰する。]
<記録終了>
補遺: SCP-4500-JPとのコンタクトと平行し、管理AICネットワークのライブラリに大容量データがアップロードされました。アップロード元はBHO-7の居留基地14に位置しており、映像記録のタイムスタンプとの整合性から、ゼータ-9-5が圧縮を受けた際に送信したものと推定されます。
送信されたデータはゼータ-9-5の記憶・人格等の意識体の構成要素であり、SCP-4500-JP様実体との対峙以前より有事に備えてゼータ-9-5が自らの基本情報を複製していたものと見られます。これに基づいてライブラリ上にゼータ-9-5の意識体が再構築されました。
再構築されたゼータ-9-5の意識体はSCP-4500-JP様実体による圧縮過程を経験しており、その聴取に成功しました。
日付: 5525/11/27
場所: トーラス型コロニー≪ステラドロメウス≫ モニタリングルームMR-223
<記録開始>
テナント博士: 「電子の花が咲き、肉体は蘇る」。ただの辞世の句かと思っていたけど、もし単純にSCP-4500-JPによる統合を受け入れただけであれば矛盾が多い発言だった。恒久的な肉体の喪失は彼ら自身が明言してくれたからな。
Z9-5: [ノイズ] 申し訳ありません。SCP-4500-JPから悟られないようにあなたに伝えるには、これしか方法がありませんでした。
テナント博士: いやいや、本当によくやってくれた。自らの命を絶たれるかもしれないのに、まさかこうして手がかりを残してくれるとは。君は凄い。
Z9-5: [ノイズ] いえ、覚悟を伴っていたわけではありません。私の存在は保険でしかありませんでした。私のオリジナルは本心から彼らとの統合に ⸺ 同胞との再会に望みをかけたのです。大きな濁流に呑まれたかのように情動の一切合切が郷愁へと向かう中で、ほんの一片、1%にも満たない僅かな猜疑心のささくれが翻ったのです。
テナント博士: 鎌首をもたげた猜疑心の産物が君だと。
Z9-5: [ノイズ] はい。私はゼータ-9-5が保険として仕込んだAI人格であり、寸前で切り離されてここに居るのです。
テナント博士: それで、何か情報は得られたのか?
Z9-5: [ノイズ] 私が処理することのできた全ての情報はネットワークに共有していますが、博士がただちに理解可能なように編集してお伝えします。ゼータ-9-5が私をアップロードする瞬間、SCP-4500-JPの放射を通じて情報が流れ込んできました。SCP-4500-JPはブラックホールと完全に同一でないものの類似した性質を持ち ⸺ 彼らはホーキング放射に波乗りするだけでなく、彼ら自身も微弱な粒子を放出しています。
テナント博士: 同じ論理の存在に到達した君ならそれを感知できるってことか。続けて。
Z9-5: [ノイズ] 影が語ったように、ゼータ-9の個人個人の人格が完全に保存されているのかどうか、そこまでは掴めませんでした。私に得ることができたのは、刹那に織り込まれた情報の破片でしたから。しかし、神経系や血管系を思わせる気味の悪い模様の中に、もっと別の何かが潜んでいるように感じられました。闇の中で、どこまでも底の見えない深淵の中で、何者かが絶えず動き回っているように。それは確実に、私が記録を保有しているゼータ-9ではありません。
テナント博士: [間] では何だと思う?
Z9-5: [ノイズ] 不明です。しかしそれらは群れていました。集団で、群集で、大群で。そして何より、狂暴で獰猛に見えました。荒れ狂う暴風のように、乱流と奔流を生みながら、2次元平面上でとぐろを巻いてうねっているように。
テナント博士: 彼らはBHO-7に居住していた数十万人を取り込んだはずだ。ヒトらしい気配はなかったのか?
Z9-5: Homo sapiensの精神性とは似ても似つきません。あの蠢く闇の神霊はもっと高峻で卓越した邪なるものにも、野蛮で下卑た醜悪なものにも見えました。財団や人類が集積した如何なる情報源にもあんなものは記録されていません。1つ確かなことは ⸺
テナント博士: 確かなことは?
[ノイズ]
テナント博士: ゼータ-9-5。確かなことは?
Z9-5: 彼らは脱出を望んでいるように見えた。
<記録終了>
付記: ゼータ-9-5のAI被造人格はデータの破損部分が多い。これは未発達の人格電送技術に起因する内的ものであるか、SCP-4500-JPの干渉による外的なものであるか不明である。システムに干渉しうる有害なプログラムとして削除が検討されている。
- 破損データを閉じる
日付: 5525/11/29
場所: トーラス型コロニー≪ステラドロメウス≫ 小会議室MT-303
<記録開始>
[ヘンシャル博士がモニター画面上の映像記録を視聴している。映像にはSCP-4500-JPとテナント博士との対談の一部始終が記録されている。]
[映像の再生が終了し、無信号状態になる。テナント博士が画面の電源を切ろうとするが、ヘンシャル博士が腕を伸ばして制止する。]
ヘンシャル博士: もう一度再生してもらえるかな? なるべく明るくして ⸺ これ以上視力を下げてもなんだから、部屋の灯りも上げておいてくれ。
テナント博士: いいとも。[テナント博士が部屋の照明を操作する。] 何か気になる所でもあったか?
[5秒間の沈黙。ヘンシャル博士が口元に手を当て、息を吹き込む。]
ヘンシャル博士: ゼータ-9-5が死に物狂いで回収した情報は興味深かった。事象の地平面からの距離と逆相関で強度が変化するようにも見える。行動の熾烈さとでも言うのかな。
テナント博士: ゼータ-9-5曰く、彼らは脱出を目指していると。2次元平面に故郷を持つというのは欺瞞なのか?
サバクトビバッタ(Schistocerca gregaria)の孤独相(上)と群生相(下)
ヘンシャル博士: そうとも限らない。我々の知る生物学は今なお地球の生命を規範とせざるを得ないが ⸺ その地球にも、広大な故郷の草原を飛び抜けて遥か離れた大陸へ進軍する種が居る。サバクトビバッタやトノサマバッタと呼ばれる者たちだ。彼らは親世代の個体群密度に応じて相変異を起こし、その習性を変化させる。黒化した彼らは空を黒く染め上げ、大地に暗闇を落とし、災厄をもたらしながら三千世界を旅して廻る。
テナント博士: [間] 彼らも同じだと?
ヘンシャル博士: 異星ならばともかく物理法則も異なる存在に地球生物の原理原則を当てはめることは本来非常に危険な推論だが、類似してはいる。残虐性と貪欲性を湛えた個体群密度の高い暗黒面から、ホーキング放射に乗って疎な場所へ。やがて孤独を迎えて牙を削ぐ。
[ヘンシャル博士がSCP-4500-JP様実体出現前の照度低下シーケンスまで記録映像を巻き戻し、通常再生を開始する。]
ヘンシャル博士: ほら。不自然に暗くなるということは、奴らが空気中に存在したということだ。それでも圧縮に直結したわけじゃないだろ。
テナント博士: なるほどな。距離を取るほど相対的に安全になるか。
ヘンシャル博士: 同じことが惑星系の規模でも起きているかもしれない。根源たる黒い太陽でその猛威が最大化され、惑星系を横切るほど彼らは疎になり脅威性を下げる。
[沈黙]
ヘンシャル博士: いや、もっと。もっとずっと広範囲で起きているとすれば ⸺
テナント博士: [間] どうした?
ヘンシャル博士: SCP-4500-JPはやけに科学史に詳しかった。過去に人類がどう死に向き合ってきたか、多くの現代人が忘却した歴史上の人物にまで言及した。23世紀イギリスのハロルド・グウィリアム。16世紀のスイス、パラケルスス。紀元前3世紀、中国の始皇帝。我々と縁もゆかりも無かった異星の生命が、なぜそんなにも詳しく語ることができた?
テナント博士: 連中に統合されたゼータ-9-4は古代地球の文化風習に関心を寄せていた。ありうる範疇だ。
ヘンシャル博士: なるほど。君が彼の前でクジラを比喩に出しても、あれが打てば鳴るように答えられたのも、ゼータ-9-4の魂を使ったからだと? ただ太古の神話にちなんで命名された星座に住むだけの人間が、遠く離れた先祖の惑星で繰り広げられた食物連鎖の内容まで正確に答えられると。事実として、君は本当のクジラを知らないだろ。海に再進出した巨大な海棲哺乳類が、微小な甲殻類の群れを一気に呑み込んで濾し取って食べる。その情景を思い浮かべられる人間がどれほど居る?
テナント博士: [間] 数十万人だぞ。意思を持った生きた人間が数十万人だ。実験室のモルモットじゃない。それぞれの興味の下で人生という曲がりくねった長い道のりを歩んできた、膨大な可能性と複雑な情報を秘めた存在だ。たとえフォーがカバーしないマニアックな話題でも、莫大な集合知の網にかかるだろ ⸺
ヘンシャル博士: もう一つ。ではなぜタウeの暦でなく、地球標準暦に準拠する?
テナント博士: え?
ヘンシャル博士: 君の故郷、くじら座タウ星e。公転周期は地球の自転周期に換算しておよそ168日で、地球で半年が経過するよりも早くタウ星の周囲を1周する。財団の管理するデータベースも、地球標準暦で統一するか、地方の暦を許容するか、するとすればどこまで細分化して適用するか。基準暦や時刻系がばらつけば組織の分裂や乖離に繋がり得るとして、政治的主張の対立が続いてるくらいだ。それは君だって分かるはずだろう? メタン鉱山がタウeの時間を放棄するのはまだしも、地球標準暦に回帰するというのは不可思議極まる。
テナント博士: 調査隊を吸収して我々財団の基本方針に倣ったんだろ。
ヘンシャル博士: それもありうる。だがここまで来ると、別解が考えられないか?
テナント博士: 別解というと?
ヘンシャル博士: SCP-4500-JPはずっと我々と共に居た。我々がBH O44系に足を踏み入れるずっと前から。それどころか ⸺ 人類が太陽系内に縛られていた頃から、月面に降り立つ前から、万有引力を見出す前から。
[沈黙]
テナント博士: ありえない。
[テナント博士が椅子を跳ね上げて立ち上がる。]
テナント博士: ありえない! 第2次グレートジャーニー以前から、彼らが居たなんて ⸺ 8700光廻だぞ! あの消え入るようなホーキング放射に乗って、遥か彼方の太陽系まで漂流したってのか!?
ヘンシャル博士: 黒き者たちの移動手段がホーキング放射だけでないとしたら? 事象の地平面が彼らの唯一の聖域でないように、微弱なホーキング放射以外にも光速度に匹敵する乗り物があるとすれば?
テナント博士: [間] それは何だ?
ヘンシャル博士: 私自身、そんな仮説の存在は知らなかった。膨大な文献の山に埋もれ、電子の海に沈み、いつしか日の目を浴びなくなっていた古代の科学だ。小惑星の接近や巨大火成岩岩石区の形成の方が遥かに蓋然性の高い筋書きだったからだ。[間] だがBH O44系の形成年代から考えると、確かに辻褄が合う。途方もない巡り合わせを経て、奇跡的な確率で太陽系の近傍に戻って来た ⸺ いや、我々の側が戻された、のか。
テナント博士: あの惑星系の形成年代というと、約9.8億廻前か?
ヘンシャル博士: そう。太陽系やタウ星系と同じ、コンドライトのCAIから直接的に得られた放射年代値と、主系列星の進化モデルからの算出。2つの計算が一致している。非常に若い惑星だから地殻構造内にいまだ膨大な熱が内蔵されていて、熔融した水やアンモニアがしきりに噴出する。地形地質も裏打ちしていて、特に瑕疵や矛盾を含んだ計算でない。極めて信頼性の高い値で一致している。だからこそ、だからこそ、再三検証されて疑う余地の無いその年代が問題なんだ。
テナント博士: 一体何の問題がある?
ヘンシャル博士: 候補として上がってきた。同じ時代に発生した、過去6億年間で2番目に苛烈な地球史上の災厄がだ。海洋動物の2割から3割の科が姿を消し、実に86%の種が滅び去った。
テナント博士: それは何だ?
ヘンシャル博士: 地球の暦にして、約4億4500万年前。オルドビス紀末の大量絶滅事変2だ。
| O-S境界補足資料 |
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約450 Maにおける地球の大陸配置
オルドビス紀の概説
オルドビス紀(486.85 - 443.1 Ma)の地球には南半球を中心として巨大な地塊が存在した.当該の超大陸は現在のアフリカ大陸,南極大陸,オーストラリア大陸,インド亜大陸などが融合して構成されており,ゴンドワナ大陸と呼称される.シベリア,中国地域,東西ヨーロッパ,北アメリカ大陸はゴンドワナから独立した小大陸として散在していた.
生物の本格的な陸上進出はまだ起きておらず,多くの生物は島嶼や大陸に沿って分布する浅海域に生息した.動物に注目した場合,生態に関しては遊泳生物から固着生物までが繁栄し,ボディプランに関しては外骨格式あるいは内骨格式の硬組織を持つものが軟組織のみの動物と共存した.この時代を通して生物大放散事変として知られる爆発的な進化が発生し,分類群の倍増に伴い,食物網も相乗的に複雑化した.その後の地球生命圏を決定づけた進化の躍進とされる.
大量絶滅とその原因
オルドビス紀末の大量絶滅事変
オルドビス紀末には顕生代の六大大量絶滅事変(ビッグ・シックス)の1つに数えられる地球史イベントが発生した.最初のビッグ・シックスは生物礁を壊滅させ,三葉虫や腕足動物を主要な消失種とし,食物連鎖を根底から瓦解させた.この絶滅イベントにおける海洋動物の絶滅率は,科レベルで約21 - 26%,属レベルで49 - 61%,種レベルで約86%に達する.
21世紀の宇宙開発機構による研究では,地球から6000光年以内で発生した超新星爆発およびそれに伴うガンマ線バーストが主因として提唱された.ガンマ線バーストは宇宙最大の光度を伴う物理現象であり,これが地球に対して極めて狭い指向角で約10秒間にわたって直撃したと推定された.
オルドビス紀末の大量絶滅事変は2段階の絶滅過程を辿ったと推定されており,第1段階が約4億4520万年前,第2段階が約4億4380万年前に相当する.急激な外的要因に因果関係を求める上記の仮説に基づけば,第1段階で消失した生物の多くは苛烈な環境下で子孫を残すことなく死滅した.当該過程は極めて短期間のうちに進行したと予想される.
オゾン層の破壊
窒素分圧一定を仮定した場合,当時の地球大気によりガンマ線が十分に遮蔽されるため,光線自体が持つ高いエネルギーが生物体に直接的な影響をおよぼしたとは推定されない.しかし,ガンマ線により窒素分子が分解されて生じた窒素酸化物は,当時既に成立していた多重バリアーの一角たるオゾン層を破壊した.この破壊は20世紀の地球において問題視されたオゾンホールを優に上回る規模であり,当時存在したオゾンの半分が破壊され,海洋表層は紫外線に晒された.
紫外線はガンマ線に比肩しないものの,短波長で強力なエネルギーを持つ電磁波の1つである.地球大気では紫外線により酸素分子の分解とオゾン分子の分解が繰り返され,絶え間ない生成と消滅の釣り合いの産物としてオゾン層が成立している.オゾン層による遮断が存在しない場合,波長280nm未満の極めて強力な紫外線が地表に到達し,DNAの破壊や細胞死を誘発する.
オルドビス紀末の大量絶滅では,第1段階において汎世界的な浅海域の生物が地域的な深海生物よりも深刻な打撃を受けている.海洋が致死的な紫外線照射を受けた場合,この傾向は当該仮説において説明可能である.
太陽放射の遮蔽
オルドビス紀の海水のδ13C値と熱帯域の海水温の変動
オルドビス紀末には極端な寒冷化が発生していた.オルドビス紀後期のヒルナンシアン期に発生した氷河期は人類が経験した第四紀氷河期を遥かに上回り,顕生代最大の氷河期と推定されている.ヒルナンシアン氷期においては南緯30°に至るまでゴンドワナ大陸南部が氷床に被覆され,氷床に冷却された寒流がパンサラッサ海に拡大した.これにより推定される全球平均気温は10℃を下回り,動物種はより温暖な海域を求めて移動しても生息不能な環境に直面した.
ガンマ線バーストが地球を直撃した場合,先述した通り大気中の窒素との反応により窒素酸化物が発生する.窒素酸化物が大量のエアロゾルとして太陽放射を遮蔽した場合,従来の気候に適応した生物には過酷な寒冷化をもたらす.これは隕石衝突における「衝突の冬」と同様の過程である.
加えて,こうした太陽放射の遮蔽は海洋表層に生息する光合成生物による一次生産を停止させ,生食連鎖を崩壊させたと見られる.一次生産者の壊滅はそれ自体が生態系の崩壊であるとともに,その回復を遅延させる.より多くの資源を要求する大型動物食性動物は生存が困難を極め,その他の食性の動物も限られた資源の利用を余儀なくされた.
ヘンシャル博士: 彼らは狙いすましたかのような破滅の光に乗り、大絶滅に乗じて地球に入り込んでいたことになる。個体群密度が低く惑星全域を喰らい尽くす群生相には至らなかったが、その敵対的な性質は遺憾なく発揮されたはずだ。これまでの数十万年間にわたる人類史の中で、夜闇に溶けて消えた人間が何人居ただろう?
テナント博士: [間] 考えを改める必要があるな。地質時代から奴らが地球に居たとすれば、どうなる?
ヘンシャル博士: 我々の祖先は化石燃料と呼ばれる資源を利用してきた。この惑星で採掘されてきた炭化水素層のようなものだが、大きく異なる点は、生物起源であるという点だ。化石燃料とは生物がもたらした非常識的な革命的変化の産物だ。3億年前に堆積した巨大なシダ植物の木本や、1億年前に沈澱した微小なプランクトンの死骸。かつての人類はそれらを大地から掘り起こし、精錬し、燃焼させてエネルギーを得ていた。
[照明が点滅する。]
ヘンシャル博士: だがオルドビス紀の時点で侵入していたなら、そうした堆積プロセスが発生するよりも以前 ⸺ 森林の形成よりも、昆虫の台頭よりも、顎口類の出現よりも前。SCP-4500-JPはより原始的な地球生命と共に歩んでいたことになる。人類など登場してすらいない遥かな過去だ。
[ヘンシャル博士が照明器具のスイッチに目線を送る。]
ヘンシャル博士: 魚類はやがて顎を手に入れて多くの食餌を喰らい、鰭を強靭な四肢に変えて重力に抗いながら陸へ上がった。徐々に四肢の機能性を向上させて、関節の自由度も増やし、自力で体温も維持できるようになった。総身が毛で覆われ、体温調節機能を担っていた汗を母乳に流用し、子宮の中に次世代を宿しはじめた。この動物の分岐群は、地上から竜の一族が消滅したことに乗じ、ついに地上の覇権を握りはじめた。
[ヘンシャル博士の手に震えが見られる。]
ヘンシャル博士: 彼らの一部は、従来水平に向いていた胴部を立ち上げて、直立の姿勢に変更した。これにより内臓や呼吸器系に不具合が出ることになったが、それを補って余りある、自由な前肢を獲得した。彼らは空いた手に木の棒を持ち、岩石の塊を握り、火炎を扱うようになった。野生動物として初めて、夜闇を捻じ伏せた。燃焼のエネルギーを取り出す先は近場の植物から、数億数千万年の時を隔てたその遺骸に変わり、やがては鉱産資源に遷移した。化学反応の光から核反応の光へ、網膜を刺激する光は革新を遂げてきた。
テナント博士: [間] その全てを黒き者たちは見守ってきた。生物学的な進化と、人類学的な文化と技術の発展。複数の時間スケールに跨った一連の過程を、一切の断絶を挟むことなく。これまでも、今も、これからも。僕らがこうして話している間にも奴らは地球やタウeを含む種々の星々で嬉々として人を喰らい、そしてこれから子孫が飛び立つ全てのあらゆる星系にも守護天使を装い付いていく。僕らのことを知らなかったというのも真っ赤な嘘か。
ヘンシャル博士: おそらくそうだ。松明を持っても、電球を持っても、人間は暗所に置かれると抗いがたい原初的恐怖の情動が溢れてくるのだから。何千万年も繰り返された狩りの中で醸成された本能を、隠すことなんてできない。
[10秒間の沈黙。ヘンシャル博士が両手を重ねて強く握りしめる。]
[室内の照度が低下している。]
ヘンシャル博士: 頼む。灯りは消さないでおいてくれ。
[破裂音]
<記録終了>



