SCP-4867

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唯一既知のSCP-4867の描写。17世紀の宝石商/旅行家、ジャン=バティスト・タヴェルニエ 画。

アイテム番号: SCP-4867

オブジェクトクラス: Safe (未収容)

特別収容プロトコル: SCP-4867を発見する努力が進行中です。サイト-890を拠点とする専門研究チームは現在、アメリカ合衆国西部でSCP-4867が存在し得る場所を調査しています。チームの努力に関するより完全な説明は以下で閲覧可能です。

説明: SCP-4867は“コー・イ・パランデ”Kuh-e Parande1“コー・イ・ヴァクト”Kuh-e Vaght2などの様々な名称で知られている1個のブルーダイヤモンドです。

SCP-4867は物質の形成以来存在し続けてきた普遍定数です。従って、SCP-4867は如何なる手段を用いても改変・損傷させることができません。SCP-4867の特性を観測・発見した19世紀の財団工作員 ショーン・ハモンドは、宇宙の存在そのものがSCP-4867に基づいて成立していると仮定しました3

最後に判明しているSCP-4867の所在地は、1871年3月のワイオミング準州またはモンタナ準州でした。更なる情報は以下で閲覧可能です。

補遺4867-1: 歴史

SCP-4867の現存する最古の記録はセルジューク朝の官僚、ザヒール・アル=ダウラ・アル=カーシャーニーが著したセルジューク朝の年代記、“アルスラーナーメ”Arslannameに残っています4。アル=カーシャーニーは、SCP-4867が11世紀初頭にアフガニスタン東部のサー・エ・サン鉱山で発見され、ガズナ朝初代統治者のマフムードが“総督アミールにして君主スルタンである彼の権威の象徴として扱い、戦場において身に付けた”と述べています。SCP-4867はダンダナカンの戦いに続いてマスウード1世から奪われ、アル=カーシャーニーの時代(12世紀半ば)にはアフマド・サンジャルが宝冠に組み込んで着用していました。ダイヤモンドに関するアル=カーシャーニーの説明は、それが“青く”、“クルアーンと同じように永久なるもの”5であるという描写を除いてごく僅かです。

SCP-4867が次に姿を現すのは、17世紀にイスファハーンで宝石を購入したフランス人旅行者、ジャン=バティスト・タヴェルニエの手記です。タヴェルニエはSCP-4867に関する1枚の描写図と長大な説明を残し、SCP-4867が“天地創造以前から存在した”もので、“神ご自身にも等しい時を経ている”と述べています。タヴェルニエはコンスタンティノープルで強盗にダイヤモンドを奪われました。

SCP-4867の最後の文書記録は、SCP-4867がジョサイア・グラスという人物の所有下にあるのを見たと主張するショーン・ハモンドの手記です。ハモンドは、グラスがSCP-4867を過保護なまでに重要視しており、1867年にSCP-4867を持参してイエローストーン川流域の探検に出発して以来、二度と帰還しなかったと述べています。ハモンドはダイヤモンドについて“不規則な形だが極めて華やかな青い宝石だ。私が観察した限り、これは普遍の定数であり、外見こそ似ているが真のダイヤモンドではない”と描写しています。

ハモンドの出資による探検隊は1870年に組織され、二度と帰還しませんでした。直近の調査は1993年、時間的遺物部門によって、最初の探検隊に何が起きたかを特定し、可能であればSCP-4867を回収するために行われました。

補遺4867-2: 調査結果

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イエローストーン川の地図。

最初の探検隊の記録はごく僅かしか残っていません。ハモンドの覚え書きで名前が挙がっているメンバーは以下の人物のみです。

  • マーティン・クライド、イギリス出身の財団研究員。アメリカ合衆国(とりわけ西部開拓地)にはさほど馴染みが無いものの、時間異常の第一人者であり、卓越した剣士として知られる。1859年、アルバータ州南部でSCP-173の再収容に関与した。
  • セス・ミラー、アメリカ人の罠猟師/開拓者/“山男”。ダコタ、モンタナ、ワイオミングの各準州に精通し、レッドクラウド戦争でアメリカ陸軍の斥候を務めていた。やや神経質な性格で、しばしば大酒を飲む傾向が知られていたが、生存率の高い探検隊を幾度も率いた信頼できる人物と結論付けられている。
  • フリードリヒ・ハインツ、ドイツ国バーデン出身の探検隊付き料理人。物静かだが一流のシェフとして知られる。英語は未だ学習過程にある。
  • アグネス・ハインツ、フリードリヒの娘。
  • アニー・ハンター、開拓者/プロの斥候。ハモンドからは“並外れて愛らしい”、“ライフルの名手であり、カラミティ・ジェーンをもっと素面にしたような生き様”などの美辞麗句で評価されている。

以上に加えて、探検隊にはミラーに雇用された十数名の経験豊富な開拓者と、“3、4人のご婦人方”が所属していました。彼らは全員問題の地域に精通しており、“誠実さと人の良さで有名”でした。

ハモンドはダコタ準州のフォート・ピーアまでしか探検隊に同行していないため、彼の覚え書きはそれ以降の足跡を辿るうえでは役に立ちません。しかしながら、彼らはグラス氏、彼の探検隊、そしてSCP-4867を発見するためにイエローストーン川に沿って南下するという大まかな計画を詳述しています。

以下の文書や記録は、想定される年代順に並べられています。








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ヘンリー・バンクスの写真、1890年頃。

補遺3: 2019/07/08、財団はジョセフ・バンクスという人物が所持していた異常な収集品群を入手しました。これらの中に、バンクスの曾々祖父、ヘンリー・バンクスが記した覚え書きが含まれていました。ヘンリー・バンクスは1873年にサンフランシスコに現れ、地元で有名な実業家となりましたが、それ以前の人生については全く知られていませんでした。覚え書きは遺書に添付され、彼の死後まで開封してはならないという厳密な指示が下されていました。1911年のバンクスの死後、覚え書きを読んだ家族は、それをバンクス家にある鉄の箱に1世紀以上保管し続けていました。

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