SCP-534-FR
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アイテム番号: SCP-534-FR

脅威レベル: 未定

オブジェクトクラス: Archon1

特別収容プロトコル: SCP-534-FR遺跡の発掘調査の実施は、考古学局古代文明部門により正式に信任されたチームにのみその権限が与えられます。民間人に発見されることを防ぐため、最低2名の警備員が常時監視を行ってください。現在流布されているカバーストーリー(No.2-7: 「脆弱な考古学遺跡」)は様々な専門誌に捏造した論文を掲載することで半年ごとに情報を更新し、正当性を維持してください。SCP-534-FRの異常性に関する公共の場での言及は全て削除され、関係者には記憶処理が施されます。

SCP-534-FRはその大半が埋没しているため、追加の隠蔽を目的とした収容プロトコルは不要です。

SCP-534-FR-A、Bはその性質上、いかなる場合にも収容は許可されていません。

説明: SCP-534-FRは現在のイラクに位置する、古代メソポタミア最大の都市国家であったウルク地区を指します。この都市の成立はウバイド5期末期まで遡り、岩石の組成分析及び、建造物の構造と陶器の様式はSCP-534-FRの最初期が紀元前4000年紀初頭であることを示しています。これはウルクが現在の意味でメソポタミア最初の都市国家として認識されることに繋がった、大規模な発展が起こった時代よりも前のことです。

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1902年、収容された際のSCP-534-FR

SCP-534-FRは1849年にウィリアム・ケネット・ロフタスによって発見されましたが、その異常性が確認されたのは1853年に行われた次期発掘調査時です。複数の政治的対立により、1901年に検閲・情報操作部門が創設されるまで、無害且つ孤立状態にある異常存在の収容は、優先事項ではありませんでした。この部門により、SCP-534-FRの異常性が大衆に露見した場合、当オブジェクトが潜在的に有する危険性が発現するとともに、歴史の改竄という高コストな対応を余儀なくされるであろうことが突き止められました。従ってO5評議会にオブジェクトの迅速な収容を推進させています。SCP-534-FRは最終的に、ウォルター・アンドレの指示の下、1902年に確保されました。

オブジェクトは古代に作成されたものである為、時間の経過と共にかなり劣化しており、現存するのは建造物の土台とごく少量の工芸品のみです。これらは急速に土中へと埋没したため保護されていました。SCP-534-FRは約5ヘクタールに及び、他地区との境界がはっきりと定義されていません。また、特筆すべきものとして、部分的に用途不明な点のある数棟の長方形の建造物と、その構造を支えていると思われる巨大なテラス部分、柱つき或いは柱なしの中庭、正方形の神殿、イナンナ神に捧げられたジッグラトがあります。

長年保存されてきた工芸品の中には、数個の円筒印章、壺、希少な彫刻作品、小立像があり、その大半は石灰岩或いは雪花石膏製です。時間経過と共に摩耗したコーン・モザイクからは、作成当時の歴史的事項を辿ることが可能です。日常生活についてや少数の伝説について描かれており、かつて猿のような外見に擬人化されていた神々の最初期の姿を見ることができます。

SCP-534-FRはSCP-534-FR-Aの起源であり、必要条件を満たしてはいませんが、より狭義な概念であるSCP-534-FR-Bの影響を受けています。この異常性は[データ削除済]に由来しています。より包括的な説明は補遺534-FRにて閲覧可能です。

SCP-534-FR-Aの異常性は人間固有の分離不可能な状態を指します。この状態は生活や活動の場を単一の場に限定しようとする人間の自発的な傾向で構成されていますが、厳密には、人間にとって必要不可欠な範囲を超過している状態を指します。最も、SCP-534-FRは、危険に直面した場合の再集団化による単純な本能的反応、様々な地域における近接性に関する論理的推論、或いは環境への影響の制限を目的とした、共同体における決定事項などを無視し、その影響を受けた個人を大量に集結させるため、一度異常性が発現した場所で同様の活動を再発させる可能性があります。また、高い人口密度を作りだすことにより、集合生活に特化した建造物の施行、集団生活における蔓延の拡大における好都合な状況の形成、社会的経済格差の拡大を行います。或いは食物の需要拡大にも関わらず、食料生産手段の放棄を行う場合もあります。

つまり、SCP-534-FR-Aでは、一切の必要性がないにも関わらず、人々は社会生活を営むことを余儀なくされます。この異常性は人間の社会進化の過程で決定要因となり、意見、概念、多様な倫理について思想対立を可能にしました。その結果、新たな、しかし現在社会においては基本的な諸原則の出現したも同然の、社会契約に類似した合意の形成が出現しました。この強制的な両立性は、人間と異常存在に不変であり覆せない境界線を設けることに貢献しています。人間と異常存在を支配するルールの間には明確な不一致が存在するため、共存は不可能です。

大保管長によって作成された文書:

SCP-534-FRの収容及び、その後行われた分析によって得られた結果の一部は、我々の人型実体に関する複数の特別収容プロトコルとして義務付けられており、今日まで利用されています。このプロトコルにおいて最も適切かつ経済的な決定は、全ての異常を有した人物を、安心できる住居のような、安全性を確保した小さい部屋を集めた一つの大きな集合体として収容することにしたことでしょう。同一サイトで収容しているか否かに関わらず、同一の異常性を有した実体を分散させて収容することは、ロジスティクスとしての面でも組織化の面でも、最も効果的な解決策とは言えませんでした。

この決定事項の信用を損なう普遍的な理由はいかなる場合でも、我々が異常存在に対し根底に抱いている無理解によるものです。何の対策もなしに2体の異常存在が新たに接触してしまった場合、予測不能かつ制御不能な事象が発生する可能性があります。こうした不完全な実験ログの数々を見てもこれらの例が不足することはありません。

これは最も合理的な口実です。ですが、このことは本来の目的と比較すれば、大変些細なことなのです。

我々は人類と異常存在の根底にあるこの境界を維持するだけです。人間性は我々だけのものでなければならないのですから。

SCP-534-FR-Bは、同一都市部の居住者である対象約12000人において、限界値からSCP-534-FR-Aによる好効果の進行性が弛緩する現象を指します。数人の財団職員が誘導抵抗に喩えた未知のメカニズムによって、SCP-534-FR-Aの影響を受けた個人は、次第に身体的および社会的相互作用を行わなくなります。会話相手の多様性を考慮すると、取引に極めて有利な状況に存在するにもかかわらず、被影響者は実際にはごく少数の個人との関係のみを維持します。この異常性により、SCP-534-FR-Bには、重度のストレス状態、社会不安障害、気分障害、特に孤独感を感じるという症例が大幅に増加しています。

最も可能性の高い仮説は次の通りです。SCP-534-FR-Bの影響を受けた個人は、居住している都市空間を十分に探索すると、SCP-534-FR-Bが対象の知覚に作用し、対象と同じ影響下にある人物の間に存在する類似点に優先的に認識するようになるというものです。この類似点は人口規模を考慮しても非常に多いものとなっており、対象はとりわけ外見、経済活動、趣向、短所、余暇、さらには周囲の人物に関連している可能性があります。類似点が重複した場合、影響下にある対象は自身のアイデンティティを剥奪されたと感じるようになり、自己への自信を喪失します。また、自身を「平凡」で「陳腐」かつ「重要性のない」人間だと結論付けるようになります。結果的に、対象は上記のような精神的苦痛を経験する前に身体的および社会的に孤立します。その結果発生する社会的距離は、文学、社会学の研究において、文明社会に多数観測されるものとなっていますが、異常性によるものとは断言できません。

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SCP-534-FR-Bの影響が特に発生しやすい場所

現在、人口の約80%がSCP-534-FR-Bの影響を受けていますが、この異常性において最も目に見える結果である地方出身者の流出の持続もあり、その数は今後数年で増加することが予想されています。この性質を考慮した場合、この異常存在を収容する唯一の考えられる手段は、最も重要な都市部は細分化し分散させ、人口が臨界値を下回るようすることです。しかし、この手段はSCP-534-FR-Aが無力化される危険性があること、サイト-アレフのようにその規模から都市群と考えられる財団の多数の最重要サイト群の安定性を危険にさらすこと、加えて「大」都市という概念自体が全員に完璧に受け入れられていることが考慮され、実行されることはありませんでした。

補遺 534-FR: SCP-534-FRにて発掘された遺物の分析

現存する物品の入念な調査により、財団の考古学チームはSCP-534-FRの年代を特定することに成功しました。いくつかの出来事は既知の歴史的事実と矛盾の発生しない方法で整理することが出来なかったため、疑問は残る状態ですが、今回の研究の結果としては比較的明確かつ形式的なものであると思われます。複数の時代を形式にしたものを以下で閲覧可能です。

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神の1柱を表した彫像

1) いくつかのモザイクは多くの人間が広範囲に点在し、彼らを少数の神々が統治している様子を示しています。神々にはそれぞれに独自のシンボルがあり、それが人間に対して何らかの所有権の概念を与えていることを複数の円筒印章は示しています。これらの神格実体は人間と同等、或いはより大きく描写され、頭部には矢状稜を有しています。これらのモザイクには不整合な要素が含まれており、このような描写はウルクの都市よりも古いものである可能性を示唆しています。

2) 神々の数や描写される土地の範囲は同一ですが、人間の姿がこれ以降非常に多く描写されるようになりました。神々は皆同じように、進むべき方向の方角を示しています。陶器には、台座部分に簡略化された絵が描かれることが多く、これは地図に類似しています。記号を研究した結果、この地図はシュメールからバビロニアを描写していることが判明しました。人間を表したものは統一性を欠いた集団となり集まっており、その輪郭はほとんどがぼやけ、他の人間の輪郭と融合しています。

3) 大半の小立像は神官王像となり、これらは髭を生やし、細い布を頭部に巻いているというこの役職の特徴的要素を有しています。シュメール王名表と比較することにより、神官王像の身元に相当する人物を特定することを可能にしました。この人物はエンメルカルという紀元前4170年ごろのウルク王で、ギルガメシュの祖父にあたります。共同体はこの人物を中心に組織化が始まり、建物が建てられ、ジッグラトの基礎が築かれました。この地の共同体は巧みに秩序化されており、描写されている人々の輪郭線も重複しておらず、一貫したネットワークを構築しています。神々は爬虫類の特徴を有する実体との戦に時間を費やしていました。しかし、この実体がこの後に再登場することは殆どなく、した場合も多くは東方のごく一部の地域に限定されています。

4) モザイクには損傷箇所もありますが、鮮明に残っています。人々は全員が一列に並んでおり、ジッグラトは完成しています。ジッグラトは非常に高く見え、その最上部にはエンメルカルが見られます。しかし、発見されているジッグラトの土台部分は、内部に何も収容していなかったことを示唆しています。過剰なほどの厚さを有する壁や、大変狭く作られた部屋は、ジッグラトの恐らく物見やぐらやシンボルとしてという塔以外の用途の妨げとなっています。回収された円筒印章には、壺に保存されていた破片が示すように、意図的に傷がつけられていたと思われます。これらの壺には、猿のような外見を有する神々がウルクの塔を発見し、塔に向かって移動していると思われる様子が表現されています。

5) この時代について入手可能な情報はごく僅かなものとなっています。現存する陶器片はわずか数個のみであり、全ての陶器片には大量の花が描かれています。

6) この時代におけるモザイクはより貴重なもので、神々は描写されなくなり、人間の姿だけが描写されています。人々は以前のモザイクよりさらに多く描写されるようになっている模様です。巨大なジッグラトは小さく描写され、神官王像はそのふもとに描写されていますが、貧弱に見えます。

7) ルガルバンダの小立像群はエンメルカルが彼の後継者であるルガルバンダに王位を譲った可能性を示しています。従ってこの小立像は紀元前3950年ごろのものであると推定されています。最後のモザイクは現存しているものの不明瞭です。人々の姿は狭い範囲にかなりの数描写され、最終的に再び重なり合っています。ジッグラトは崩壊しているようです。

複数の粘土板も発見されていますが、これはもっと後の時代、恐らく紀元前3350年ごろに作られたものと考えられています。その大半は履行された取引や売買行為の事務的な詳細情報が原楔形文字で書かれています。しかし、そのうちの1枚のみは、ジッグラトの基礎部分で発見されました。SCP-534-FRに関する、完全に異なる性質の文書が含まれていました。SCP-534-FRに関連すると思われる一節を大まかに翻訳したのが以下のものです。

エンメルカルは彼の[神/主人]が[敗北/消滅]した後、新たなる[支配/呪縛]を手にすることになった。彼がこの隷属状態を[断ち切った/抹消した]のは、彼自身を[囲い込む/弱らせる]ためであった。彼は自身こそが暴君となるため、自らの[指導者/圧制者]を[消し去る/亡き者にする][機会を得た/ことを選んだ]。彼はこの人類という[恐ろしい/手に負えない][神の恵み/重荷]を受け入れたのだ。[存在すること/苦を伴うこと]、[集うこと/共に生きること]、我々は何物でもないということを。

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