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アイテム番号: SCP-6097
オブジェクトクラス: Neutralized
特別収容プロトコル: SCP-6097の遺骨は現在、更なる研究のためにサイト-44の生物学的異常ユニットに保存されており、SCP-6097-1は標準的なアイテム保管ロッカーに収容されています。SCP-6097とブラウンズボロー事件に関する全ての文献は全米確保収容イニシアチブ (ASCI) によって押収され、その後、より大規模な財団データベースにアーカイブされています。
説明: SCP-6097は18世紀初頭に北アメリカで短期間活動していた異常なヒト型実体です。SCP-6097は現代の財団が設立される以前に出現したため、その実在は生物学的・考古学的な遺物を通して確証されました。しかしながら、SCP-6097の容姿、行動、死亡時の状況などに関する情報が、主に目撃者の証言と現存する歴史的資料から得られています。

芸術家によるSCP-6097の描写、1732年頃。
SCP-6097は高齢のヒト女性に似た体格で、傷みの激しい服を着用し、細い銀髪が顔や胴体の大部分を覆っていたと描写されています。最大の特徴は脊椎の基部から生えた長い尾であり、目撃者からはRattus norvegicus (ドブネズミ) のそれに似ていたと語られています。この尾の先端には単一の膨らんだ眼球がありました。
SCP-6097は元々、未特定の金属合金で作られた巨大なスプーン (SCP-6097-1と指定) を所持しており、これを移動手段として用いたと考えられています。当時の証言によると、SCP-6097がその柄に座っている間、SCP-6097-1は機動性を発揮し、時速50km以上の速度で飛行することが可能でした。
周期的な間隔で、SCP-6097は未明のうちに、北アメリカ大陸のニューイングランド地方1にある様々な入植地に飛来しました。到着すると、SCP-6097は常に民家や救貧院の屋根に降り、自らの尾を伸ばして煙突に潜り込ませました。
尾が生後18ヶ月未満の幼児を発見すると、SCP-6097は幼児の口と鼻の周りに尾を巻き付けて窒息死させ、遺体をSCP-6097-1の掬い部分に入れて回収しました。科学捜査で得られた証拠は、出没していない時期のSCP-6097がメリーランド州の████████森にあった小さな木造の小屋に住んでいたことを示唆しています — この小屋からは炭化し、部分的に消費された形跡がある複数の幼児の遺体が発掘されており、いずれも1724年から1729年にかけて死亡したものでした。
補遺 6097-1 - 捕獲: 1730年9月4日、SCP-6097はマサチューセッツ州ブレア郡の小規模かつ孤立した町、ブラウンズボローで捕獲されました。午前3時、民間人の大工 ジェームズ・ウォーカーは目を覚まし、SCP-6097の尾が暖炉から延伸し、まだ乳児だったウォーカー家の娘を観察しているのを発見しました。
短い格闘の後、ウォーカーは複数の錆びた釘でSCP-6097の尾を木板張りの床に釘付けにし、逃げるのを防ぎました。その後間もなく、ブラウンズボローの警察官2名がウォーカー家の屋根からSCP-6097を回収しましたが、その際、尾の付け根には幾つもの真新しい歯形が残っていました。押収されたSCP-6097-1の掬いには、身元不明の男性新生児の遺体 (後ほどキリスト教式の埋葬が施された) と少量の砂2が入っていました。
SCP-6097は留置場に送られ、そこに8~10時間ほど拘束されました。SCP-6097はブラウンズボローの官憲から様々な拷問を受けたものの、英語を理解できなかったらしく、尋問は失敗に終わりました。翌朝、SCP-6097は妖術行使と嬰児殺しの罪で死刑判決を下されました。
補遺 6097-2 - 無力化: SCP-6097の終了は複数回試みられました。SCP-6097はまずロープで縛られ、ウォーカー家に程近い小さな溜め池に投げ込まれました。報告によると、これは水の温度が劇的に上昇し、数分以内に沸点に達する結果を招きました。SCP-6097は中程度の熱傷を負いましたが、10分以上水没していたにも拘らず意識を保ち、漁網で速やかに引き上げられました。
二度目の試みでは、SCP-6097は木製の杭に縛り付けられ、火炙りにされました。結果として生じた炎は各種の不自然な色合いに輝き、見物人に激しい偏頭痛と悪心を引き起こしたと伝えられています。約20分後、炎は若干の困難を伴って消火されました。SCP-6097は激しい苦痛を示し、身体の大部分に第3度熱傷を負ったにも拘らず、これを生き延びました。
処刑人たちは次第に躍起になり、SCP-6097は最終的に鉄の斧で斬首されました。斬首直後、SCP-6097の胴体は異常なほど急速に腐敗し始めました。特筆すべき事に、SCP-6097の頭部は無傷のままで、胴体から切り離された後も瞬きや眼球運動を長時間続けていたという目撃証言が複数残されています。SCP-6097の骨は町境から12kmほど離れた井戸の中に石灰岩の大きな板で封印され、SCP-6097-1は近隣のブレア峡谷に投げ込まれました。SCP-6097の頭部を破壊することは不可能であったため、木箱に収められ、不明な場所に埋葬されました。

マサチューセッツ州ブラウンズボローの通り (1728年)
補遺 6097-3 - 余波: 1731年から1734年にかけて、ブラウンズボローでは異常なほど多数の流産と死産が発生し、30名以上の町民が出産時に死亡しました。幾つかの事例で、これらの死産児は1つ以上の異常な奇形を有しており、その中で最も多く見られた特徴は、頭部の欠如と長い尾のような付属肢の存在でした。
更にこの時期、ブレア郡におけるドブネズミの生息数は大幅に増え、既存の個体は最大30匹もの子供を産むことが確認されました。新たな個体は通常の3倍まで成長し、人間に対して異常に攻撃的に振る舞うようになり、結果として周辺地域で感染症 (リステリア菌やサルモネラ菌など) のアウトブレイクが多発しました。こうした状況により、ブラウンズボローの町は1735年までにほぼ放棄されました。
その後数十年間、全米確保収容イニシアチブ (ASCI) などの財団前身組織は、ブラウンズボロー事件に関する知識を隠蔽し、関連する全ての新聞や裁判記録を没収するなどの措置を講じました。SCP-6097の遺骨とSCP-6097-1はどちらも回収され、フォート・ニュートン収容施設 (後にサイト-44と改称) に移送されました。
こうした措置にも拘らず、財団の神話・民俗学部門は、SCP-6097 (俗称“鼠尾婆”Granny Rat Tail) とブラウンズボロー事件にまつわる伝説や作り話が今日まで伝わっているのを確認しています。しかしながら、この事件は主流科学界では集団ヒステリーの一事例として否定されており、正常性を損なうものとは見做されていません。
SCP-6097の切断された頭部が収められた箱を発見する努力は、現在も続いています。