SCP-6500
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死後の世界と死


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大砂漠The Great Desert


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彼女は深い眠りから、おそらくは悪夢から目を覚ました。息は速く、疲れ切っていた。彼女は仰向けに寝ていたが、まるで走っていたかのように息も絶え絶えで、筋肉は痛んだ。風が髪をもみくちゃにしていて、白衣の下の砂は……

『風?』
サイト-43の彼女の宿舎は地下一キロメートルにあったが、風は裸の胴体を冷たい毛布のように包んでいた。
『白衣?』
彼女は確かに白衣を着ており、しかし他は全く何も身に着けていなかった。彼女には縫い目が肩甲骨に押し付けられるのが感じられた。なぜなら体の下で……

『砂?』

ウド・オコリーは目を開けた。

彼女に最初に見えたのは、月だった。それはあまりにも大きかったので、すぐに見るをのやめた。次に目に入ったのは、自分の体だった。それは確かに白衣以外裸だったので、ボタンを留めた。三つめに見えたのは、二つめの月だった。それもあまりに大きく、空に──緑真珠の色の空に──二つの月があることを確認する過程で、四つめのものが見えた。三つめの月。そのことにより、彼女は不愉快な真実を認識せざるを得なかった。

彼女が体を起こすと、果てしなく、変化なく続くオレンジの砂漠と、煤けた雲が水平線で溶け合うさまが見えた。心がひどく痛んだが、なぜかはわからなかった。彼女にわかるのは、自分があれを連れてここに来たことだけだった。こことは……

「コルベニク。」
彼女の声は驚くほど落ち着いて、澄んでいた。
「私は死んだの?」

『それはまた後で考えましょう。』

彼女は習慣で、胸のポケットに手を伸ばし、自分の瓶底眼鏡がそこにあることに気づいて驚いた。それを身に着けて、怪訝な顔をした。レンズが何かおかしかった。彼女はレンズを叩き、鈍い感触に再び戸惑った。
『プラスチックだわ。あらら。』
彼女は裸足の足でよろよろと立ち上がった。

呼応するように、リズミカルなドシドシという音が近づいてきた。彼女は振り返り、見た──『あれの音なの?』──カンガルーが彼女に向けて跳ねてきた。
「うわあ。」
彼女は言った。それが何かはわかっていた。数年前にガラハド作戦の文書の低クリアランス向け部分で読んだことがあった。それは炎を運ぶものと呼ばれており、一体しかいないのか、複数いるのかは不明だった。それは大砂漠に住んでいるのではなく……

それが近づいてきた。彼女は一歩下がったが、それままるでその行動は無駄だとでも言うかのように、大きく跳ねて近寄った。それは黒い瞳で、彼女を咎めるように見て、それから爪の生えた前足の片方を袋に突っ込んだ。彼女はその前足がほとんど拳のように握られるのを見て、ベルトに備わった薬品に手を伸ばそうとしたが、白衣以外何も着ていないことを思い出して狼狽した。

カンガルーは前足を引き抜き、二人の間に掲げて、それから開いた。

そこには何もなかった。

kangarooSmall.jpg

炎を運ぶものは、数秒間、憮然として自分の何も載せていない前足を睨み、それから非難するように彼女を見た。そして跳ねて離れていった。

「オーケー。」
彼女は言った。

他にすることもなかったので、彼女はその後をついていった。


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財団ミッション管制室


SCPdivider.svg

「なにか変化はあったか?」

エリア-08のミッション管制室は、今では千個以上の地球外オブジェクトをモニターしていたが、リチャード・バーナード管理官はどれについて尋ねたのか言う必要はなかった。彼は勤務日には、毎朝同じ質問をしていた。

「ノー・サー。」
主任地上管制官はメインディスプレイを曖昧に指しながら答えた。
「179はいまだに地球をまっすぐ指さしてます。」

バーナードは眉をひそめた。異常の力の均衡が回復したことにより、自称「見張り」は一週間前に胎児のような姿勢をやめ、即座にその長い指を人類の青白い点へと向けた。これは当初、どのような危険を検出したのかについての議論を引き起こしたが、それは今では終わっていた。

彼女は財団を指し示していた。彼らが難局を引き起こしたのだと、誰もが知っていた。どのようにして誰もが知ったのかは、誰も知らなかったが。そしてO5評議会がそれについて何をするべきなのかを投票にかけたことも知られていた。その投票が終わるまで、世界中の異常な生命は潜在的な危険にあった。

投票は六日前であり、そしてまだ……サウエルスエソルは指さしていた。

「彼女に一体どうしたのか聞いてみるべきですかね?」
管制官は言った。

バーナードは検討した。
「そのためにはまずサイト──」

管制コンソールからの大きなビープ音が彼の言葉を遮った。
「失礼します、サー。新たな接触がありました……ああ、例の、2578-Dです。」

バーナードは頷いた。SCP-2578-Dは地球の軌道上にある奇怪なカブトガニ型宇宙無人機であり、コルベニクの三ツ月イニシアチブに所属する。武闘派だ。彼らはそれを、ファシスト的な独裁者に穴を穿つために使用する。それは難局の最中には消えていた。月の裏側の次元の隙間か何かへ隠れたのか、何かのステルス機構を作動させたのかはわからないが、今では後者のほうが有り得そうだと考えられていた。
「そいつは何をやっているんだ?」

「あー、」
管制官は青くなった。
「尾をサイト-01に向けています。」

「オーケー、」
バーナードは再び頷いた。
「さっき言いかけたことだが、サイト──」

再びビープ音が鳴り響いた。今度は更にうるさかった。
「メッセージが着信しました。」
管制官が報告した。
「2578-Dからです。サイト-01からではなく。」

「そうか、見てみよう。」

プリントされるのを待つ間、バーナードはメインディスプレイを更に詳しく眺めた。彼は予想していたものを見つけ、深くため息をつき、側頭部を揉んだ。

「こちらです、サー。」
管制官がメッセージを差し出した。

財団の皆様へ、

近年の多元宇宙にまたがる、あなた方が単独でもたらした危機を、あなた方が解決(?)することに成功(?)したことをお祝いいたします。あなた方があなた方にとってのみ正しいことを行ったと私が言うことにより、私は影響を受けた他のすべての団体を代弁することになると思われます。この大勝利(?)を背景として、私は喜んであなた方が起こした大混乱を収拾する二度目の機会/義務を提示するものです!

正義の味方として行動したつもりではないでしょうが、あなた方の組織のエージェントは1体のウォーロックと、1体の忌々しい魔性を、コルベニクの共同支配地域である一時的な定命の領域に投棄しました。私は、あなた方ができるだけ早く、これを取り除くことをお願いさせていただきたいのですが、さもなくば激しく強要することになるでしょう。速やかに実行してください、さもなくば我々は、文字通りあなた方全てを穿ちます。

もしあなた方が両方を捕獲できないのならば、問題の99%は忌々しい魔性のほうなのでそちらをお願いします。我々はそのようなものをすでに十分持っており、すでにあるものの方を遥かに好みます。

あなた方は監視されています、あなた方は守られています、あなた方はたいへんクソの子です。

──ジラード・ニャン、「早まって我々に第4の月を与えてくれるな」イニシアチブ大統領

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P.S. 「文字通り全員」とは、財団とO5評議会を指すのであり、あなた方が(誤って)人類全体と考えているものではありません。我々は(あのような多様な)怪物ではありません。あなた方はまだO5評議会を備えているでしょうか?まだ12人いるのでしょうか?我々は13人め、もしかしたら14人目(0人目?)の噂を聞いたことがありますが、あなた方は我々のメッセージに返信をくれないので、はっきりとはわかりません。

「わかった、」
バーナードは言った。
「これで意味が通るぞ。じゃあサイト-01に連絡してくれ。」

SCP-179はダモクレスの剣のように頭を高く掲げる、三メートルの金属の甲殻類を指さしていた。

「彼女は気にかけてくれているんだな。」
彼はそう考えた。


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大砂漠The Great Desert


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ウドが歩くたびに、冷たい砂が足の指の間に入り込み、時間の感覚は失われ、再び取り戻すことはできなかった。コルベニクは死後の世界だ。そこに至るには、死ななくてはならないと考えられている。彼女はそこにいたものの、自分が死んだのかどうかわからなかった。そしてそこに至ったとき、生まれたときと同じように裸になるとも考えられている。しかし彼女はどういうわけか白衣と眼鏡のフレームを維持していた。レンズは合わせなくてはならないようだったが。叩いてみるとガラスなのかどうかはっきりしない。これら全ては何を意味するのだろうか?

『コルベニクが難局に影響されているということだわ。』
そのことは伝えられていなかった。生者の世界と死者の世界のあらゆる交流は、何ヶ月か前に突然断たれたのだ。

炎を運ぶものは、時々彼女を振り返り、彼女がまだそこにいることを確認しては頷いていた。そのことにより、それについていくことを選んだことが良い選択だったと、少しだけ思えた。彼女は、目覚めたときに見えた奇妙な黒い雲の方向に向けて歩いている事に気づき、何か関係があるのだろうかと思った。三つの月の下で、エンドウ豆のスープの色の空に、微かな星の明かりが見えた。彼女はそれに向けて歩いてもいた。
『次元の狭間をハシゴする地獄だわ。』
彼女はそう思った。
『カラキョイから、放浪者の図書館、そして……そして……』

『ああ、嫌、嫌、嫌』

彼女は全てを、恐ろしいほどの記憶の奔流とともに思い出した。アラガッダの宮廷を飛んだこと、追いかけてくる渦を巻き轟く影、自らを犠牲にして友を助けたこと、剥がれ落ちる防御呪紋、後ろに這い寄る漆黒に向け投げつけた最後の力、トンネルの終わりに見えた光……

彼女は固く目を閉じた。
『私は吊られた王をコルベニクに連れてきてしまった。』
再び目を開けると、カンガルーにぶつかる寸前だった。

それは彼女を強く集中している様子で見下ろした。その大きな茶色の目は細められ、その顎は閉じられ、その前足は固く握られていた。それはその場所で震えた。彼女が一歩下がったちょうどその瞬間、その頭部は明るい光で包まれた。

後ろだ、
彼女の頭の中で声が聞こえた。同時に、炎は消え、カンガルーはよろけて膝を付き、荒い息をついた

彼女は見たくなかった。

事実から目を逸らすな、
別の声が、ミキサーの中のボールベアリングのように彼女の精神の中で響いた。

自分の真実を見ろ、そして受け入れるのだ。

彼女は振り返った。何マイルも向こうに、異形の空を背景にして灼然とした姿があった。それは巻き付けた純白の外套を彼女のところよりも強い風にはためかせ、そしてゆっくりと、着実な足取りで近づいていた。彼女がそれよりも速く逃げることができることは確実だったが、それでもなお、どうにもならないと確信させた。

遅らせろ、遅らせろ、遅らせろ、
それは唸った。
私はいくらでも待てる。私は終焉、そして終焉とは避け得ないものだ。

彼女は必死に目を逸らした。カンガルーは彼女に同情したような視線を向け、それから再び跳ねはじめた。

彼女は切迫感を新たにして、それについていった。


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サイト-19


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デルフィナ・イバニェス主任は陣頭指揮をとることを好む。彼女の機動部隊が何処かへ行くならば、彼女も赴いた。それは彼女の時間を、サイト-43と、カナダや合衆国の様々な鉄火場に割くことになり、つまり他の財団施設で過ごす時間は殆どなかった。そのため、彼女がここに来たことは何年もなかった。そしてその間に、大小様々な変化があったようだった。芝生の明らかな線は壊れた神の信者が古い芝を巻き上げた跡だった。建て直されたように見えるところはカオス・インサージェンシーが外壁を平らにしたためだ、一棟全てにシャッターが降りているのはアノマリーの大量死で閉鎖されたためだ。サイト-19は昨年十月の財団排除のための連合による連続攻撃と、難局によるダメージを被っており、まるで全てが大きく変わったように見えた。ヘリパッドからの道の土すら新しくなっていた。

『ふうん。』
それほど新しくはないかもしれなかった。いくらかの砂粒には黒と赤のスプレー塗料の痕跡がまだあった。
『リデュース・リユース・リサイクル。』

管理官のオフィスは、管理官本人と同じように飾り気なく、整頓されていた。ティルダ・ムースは理路整然とした精神を持っていたので、この会合はフォーマルであり、しかし形式だけのものにはならないと思われた。

「アラガッダにはいつ出発するつもり?」

イバニェスが座るよりも早く会話が開始された。彼女は思考を整理する時間を稼ごうとした。
「イタリア料理は嫌いなの。」

ムースは瞬きをして、唇をすぼめた。イバニェスは肩をすくめた。
「オリーブ・ガーデン1。ジョークよ?」

ムースは短く切りそろえられた爪で机の上のファイルをめくった。
「あなたはサイト-91に出発するところで、そこでオコリー博士の両親に彼女に何が起きたかを伝える予定。それから、誰にも見られないようにして、ロンドン塔でAWOL2になるつもり。」

嘘をつくメリットはほとんどなさそうだ。
「その後半部分は予定表に入れた覚えはないけど。」

ムースは堅く笑った。
「あなたは非意図で友達を失った。そしてそれを取り戻そうとしている。あなたが自分が出発することに関してどう言うかは問題ではないわ。英雄を演じようとするのがあなたの本能だもの。」

イバニェスはしばし間を置き、返答する前に考えた。
「私はこの事態を収拾するのに一ヶ月を費やした。私は何も演じてなんかいない。」

ムースはため息をついた。
「言葉が悪かったわ。」
それは嘘だ。ムースはいつも慎重に言葉を選ぶ。
『私がどう反応するか見たかったのね。』
「あなたに計画をやめろと言いたいわけじゃないのよイバニェス。あなたの情熱を私は買っている。あなたの考えかけの思いつきを“計画”と呼んでいることは、便宜を図ろうとしていると受け取ってもらいたいわ。」
彼女は片眉を上げた。
「幾つか考えがあるけど、何というか、提案をさせてもらえないかしら?」


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大砂漠The Great Desert


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死と夢の国に睡眠はない。夜もない、なぜなら昼もないからだ。よって、ウドには時間を計るすべはなく、何週間も歩いていると推測することしかできなかった。彼女には食べる必要も、飲む必要も、止まり、休む必要もなかった。彼女にできることは移動すること、炎を運ぶものが行く所へとついていき、彼女を追うものより先に進むことだけだった。

あるいは、お前は私と対決することもできる。

彼女は後ろをちらりと見た。それは近づいてもいなかったが、後ろへと消え去ってもいなかった。彼女に注目されたことに反応したかのように、平坦な声が再び響いた。
あらゆるものは必ず過ぎ去る。あらゆる動きは必ず消えていく。お前は狭間にいるに過ぎない。

彼女が再び前を見たとき、心臓が喉まで跳ね上がった。
「パパ!?」

カンガルーは歩みを止めていたが、黒いもやを伴った水平線の光の特定の場所を見つめていた。オビ・オコリー博士が二人の間に立っていた。樽状胸3、やや肥満、健康的な黒い肌、禿げた頭、きちんと整えられた顎髭。彼は足首まで砂に埋まり、完全に裸で、悲しみに満ちた目で見せかけの陽気さを繕い、彼女を見ていた。

彼女は前に踏み出した。心の中で、安堵と恐怖がせめぎ合っていた。
「パパ、どうやって!なぜ!?」
彼女は彼の黒い目を覗き込み、返答を差し挟めないほど喋り続けた。
「どうやってここに!?お願い……そうじゃないって言って……」

彼は安心させるように微笑みながら、彼女の手を取った。彼自身は安心していないようだった。
「私は元気だよ。健康的な食事と、エクササイズと、サイトの医者に定期的に診断を受けている。ママがそれ以外は許さないからね。」

彼女は安心して、それから恥ずかしげもなく涙にくれた。
「じゃあ、どうやってコルベニクに来たの?そもそもどうして?」

彼は彼女の背後を指さした。
「歩きながら話そう。聡き子wunderkindよ。」

彼女はそれを見なかったが、頷いた。彼女が歩みを止めていたので、それは近づいているに違いなかった──そしてもっと近くへ、近くへ。カンガルーは跳ね続けており、彼らは引き離されていた。

「私はメッセージを伝えるために来た。」
オビの顔はいかめしく、決意を示していた。
「デルフィナ・イバニェスが昨日、私たちを尋ねてきた。彼女がお前を連れに来るだろう。」

ウドは白衣の袖で涙を拭った。
「勿論よ。彼女はヒーローだもの。」

オビは元気づけるように、彼女の肩に手を置いた。
「お前たち二人と、そしてあれは恐ろしく幸運だ。お前について、ここに来たものがある。」
彼はため息をついた。
「二つのものがお前についてきている。そしてそれらをここに居たままにすることは絶対にできない。そのために、コルベニクと我々の間に外交上の問題があってね。」

彼女は身がすくむような思いを感じた。
「なんとかしたいけど、私に何ができるの?ここには薬品もないし、いずれにせよ私はあれには……いえ、誰だってあれには敵わないわ。」

彼は彼女の肩を強く掴んだ。
「お前は言うなれば、一本のマッチだ。あいつらは雲だ。お前の上にかかり、暗くし、まとわりつく。お前はあいつらを燃やし、散らしてやればいい。」


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烏の峰Crow's Crest


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イバニェスが境界を踏み越えると、世界はバラバラに崩れ去った。そして別の世界がその場に降りてきた。彼女は変化の徹底ぶりに身震いした。彼女は草のない、荒れ果てた丘に、何か節くれだち捻れたものを背にして座っていた。アーモンド型の目の穴を通して、荒れ狂う、木炭の灰色と膿の黄色の空が見えた。黒と金の卑猥な大都市が、眼下の平野に広がり、皮膚の上のかさぶたのように、死んだ大地を引きつらせていた。周りには不透明な気流の海が取り巻いていた。風の中には囁きがあり、風は穏やかだった。彼女は、燃える薔薇と沸騰した血の匂いを感じた。

糖蜜が滴るような声が歌った。

黄疸の空の一片、
黒い油の海に混じらず。

「盗作?」
彼女は立ち上がりながら尋ねた。

本歌取りだ。

彼女は仮面を取った。
『これまでになく馴染むわ。』
このような事が可能だとは思わなかった。つまり、以前はアラガッダに魔法が完全に戻っていなかったのだ。彼女はそれを裏返した。そしてそれが何だっかを見て、顔をしかめた。

「チャーミングね。」
彼女は悲劇の仮面をフリスビーのように投げた。仮面は埃っぽい岩の上を回転しながら丘を下っていった。
「地獄の世界にもユーモアのセンスがあるのね。」
彼女は制式拳銃に手を伸ばし……

……そして突然のエクスタシーに声を上げた。
「一体何?」
彼女の銃は上質な黒いサテンの小袋に入っていたが、そのことにはほとんど気づかなかった。彼女は自分が着ている、何かはわからないが比類なく滑らかな絹のような服に完全に気を取られていた。彼女は指先の間で転がる思いがけない快感に身を震わせた。

彼女はドレスを着るのを好まなかったが、それはありがちな男勝りな理由のためではなかった。自分の身動き自体で、注目をあつめることを好んだのだ。この特別なドレスがある種のコメントを引き出すのは確実だろう。高いネックラインと低いスプリットヘム、光を反射し、むしろそれ自体が発光するようにかすかに光るサフランと輝く金。彼女は手足を伸ばし、実際に着ていたはずのレーヨンのジャンプスーツの慣れた引っ張りを感じた。彼女は生地を再びつまみ、そして触感の歓喜の奔流にもう一度耐えた。

そして突然に、アラガッダの何が危険なのかを理解した。

批判するな、汝らが批判されぬよう。
枯れた声が呼びかけた。
特にここ、審判の場所では。

サイト-19で受け取ったケブラーのバックパックは、今では可愛らしい、銀色のモールのついた赤いリネンのバッグになっており、片方のストラップで彼女の剥き出しの(実際には全く剥き出しではない)右肩にかけられていた。彼女はフラップを開けて、中身をチェックし、全てがあることを確認して安堵のため息をついた。彼女は全身にかゆみを感じたが、どうやって掻けばいいのかわからず、そしてそれは彼女のその様子に気づいた。

それこそが、人がいかに堕落を理解してないかということだ。全ての腐敗が不快な匂いを発するとは限らぬ。
何かが彼女の背中を這い上がり、彼女はそれを見たいという言葉にならない衝動を感じた。
彼も等しく学んだ。彼の悲しみと、我らの悲しみを。

彼女は少しだけ間を置き、意を決して、振り向いた。

この樹の下に、どれほど獰猛な獣がいるか、
それは突然の重力により変わった。

それは確かに木だった。あるいはかつてはそうだった。それは黒く、毛羽立った樹皮と黄色い膿を滴らせる捻れたコルク抜きのようだった。荒々しい白い棘のリースで飾られ、葉はなく、酔ったように歪んでいた。最も太い枝から、長く、赤く錆びた鎖が、風の中でも断固として揺れずにぶら下がっていた。

街の運命の鍵だ。
その声は厳かに言った。
そして街の門の鍵だ。

イバニェスは唇をすぼめた。
「文字通りに言って。」

お前が到着した場所の死んだ土を掘れ。
媚びたような口調が、淫蕩な色合いを帯びた。
お前の匂いが、判で押したように残っている。いつもそうしているのだろう?

彼女は言い返そうとしたが、少し前まで座っていた地面は実際に乱れていた。彼女は右のブーツを漂白された土に突き入れた。すると鈍い輝きが見えたので、その物体の下へとつま先を潜らせ、それを宙に跳ね上げた。

ナイスキャッチ。

「汚らしい隠し場所ね。」
彼女は黒い斑点のある鍵から泥を払い落とし、鼻にシワを寄せて匂いを嗅いだ。それは感染した傷口のような臭いがした。

人はここを避ける、
その声が説明する。低く深い笑い声。
彼らの殆どは。

彼女のうなじの毛が逆立った。そして彼女は先例に習うことにした。

今や木の最も高いところは、黒い目の烏の群れで満たされていた。彼女が崩れやすい丘を注意深く下っていくのを、彼らは静かに、不気味に眺めていた。


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ゼラチン荒野The Gelate Wastes


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終わりなく見えた砂漠はついに終わり、景色は厳然とした平坦さから更に粗野なものへと変わった。彼らは今は鈍く輝くゲルの海の上を歩いていた。注意深く歩くたびに、小さなターコイズの玉が、足元で踊った。

かつては果てしなかった行程は、ウドの父が加わったことにより、今では目処が立ち、ほとんど楽しいとも言えるものになっていた。彼の計画は常軌を逸しており、彼女はそれを自分が実行することを想像して震えた。しかし少なくともそれは概要を計画するのに長く要するようなものではなかった。彼らはもっと楽しい話をして、カンガルーに追いつき、そして大きな問題を無視して過ごした。

彼女は、勤勉な追跡者に敵意を込めた視線を投げかけた。

「お前がしたことは勇気あることだ。」
オビが話していた。
「吊られた王を仲間から引き離すなんてな。私が聞いた中の誰よりも勇気あることだ。」
彼の明らかな誇りは、冷たい荒野の中で暖かかった。

彼女は肩をすくめた。
「魔法がなければ私は死ぬわ。もし彼らが帰還できなかったら、もはや魔法はなかったでしょうね。とてもシンプルな選択よ。だから私は……」
彼女は言い淀んだ。それは音声のことに過ぎず、心には思い浮かんでいた。それから彼女は頭を振った。
「いいえ、実際、そうよ、どうでもいいわ。私は勇気を出したの。」

オビは笑った。
「なぜうまく行ったのかわかるかい?」

彼女は返答するために口を開けたが、答えを持っていないことに気づき、首を振った。

彼はわかっている。そして私も。そしてお前もいつか知るだろう。過去は死に、現在も死につつある。だから手放せ!お前の空虚な未来を受け入れろ。

彼女は追跡者に拒絶を込めて手を振った。
「嫌らしい奴。」

オビは彼女に答えなかった。彼は見るからに努めて笑おうとしていて、そして見るからに失敗していた。
「吊られた王はあの剣に誘引されていたはずだった。大使は実際そうだった。あれは力の源だ。アラガッダではただの魔法の源泉とみなされる。だからあれは炎が蛾を引き寄せるように、彼を引き寄せたはずなんだ。だが彼はお前についてきた。」

彼女は横目でオビを見た。
「これはまるで従者がついてくるan oncoming trainみたいね。つまり、世界の終わりrevelationってことよ。」4
今度は彼は笑わなかった。
「従者ってことよ。」
彼女は気まずい様子になった。

お前はそうやっていい加減なことを言って紛らわしている。
彼女の父にその声が聞こえているかはわからなかったが、彼は聞こえているそぶりはみせなかった。
寄り道しないのが一番だ。すぐに、確実に滅びるためにはな。

頭の中に響く声とはまた違った理由で、ウドの胸に鉛を流し込まれたような感覚があった。
「頼むわ、パパ。どういうことか言って。」

オビは明らかな苛立ちを感じさせる息をついた。
「炎に引き寄せられる蛾だ。」
彼は繰り返した。
「もしかしたら彼はより強い炎を──」

前方のゼラチンが突然波打ち、炎を運ぶものは止まった。それは二人を意味ありげに見てから、しゃがんで休む姿勢をとった。

「ちょっと。」
ウドはその鼻先に手を振った。
「ここが終点なの?」
彼女は後ろを見た。後ろにいる……

……アラガッダの白の君主を。彼女には大理石の悲劇の仮面が見えた。その目はただの濃い色のスリットであり、その口は残酷な傷跡のようだった。
お前は私を待つ必要はないぞ。
それは不安定な音程の鶏のような声で言った。
私は忍耐そのものだからな。

カンガルーはゆっくりと月に照らされたゲルに沈みはじめ、彼女に向け歯を鳴らした。それは目を細め、前足を握り、痛みに鳴き声を上げた。

彼女は父親の手を引き、揺れるゲルの上をよろけてそれへと近づいた。ポケットに手を突っ込み、砂漠で眠っているときに、ポケットに詰まった砂をひとつかみ取り出し、指の間からこぼした。
これは力の砂vim harenaeではないけど、少しくらいの魔法なら……

彼女の父親が、それを払った。
「お前にはそれは必要ない。」

彼女は瞬きをした。
「何?」

「お前には媒体は必要ない。動作をし、エネルギーを集め、魔法を喚び出せ。砂のことは忘れろ。考えるんじゃない、ただやるんだ。」

遠くの白い姿は、今は全く遠くなくなっていた。そこで彼女は空中に三角形を描き──吹かれた砂が、指の動きをなぞるように見えた?──そして手を炎を運ぶものの鼻先に向けて押し出した。彼女は目を閉じ、言葉を唱え、集中し、そして……

明るい光が、彼女の目を開かせた。カンガルーの頭部は炎に包まれ、それは仰け反り鼻を空に向けた。
下の主よ!浮かび給え!

その周囲のゲルが隆起し、そして砕けた。荒野は狂ったように波打ち、鴨の羽色の小丘が幾つもリヴァイアサンがリステリンでうがいするような音を立てて打ち寄せた。ゼリーの壁が彼らの足にぶつかり、彼らの周りで崩れた。ウドは揺れる粘性物体の中で膝を付き、白の君主の上へと青緑色の水平線がせり上がるのを見た。彼女は、その目があるべき場所に空いた黒い空間に、自分の目が固定されたように感じた。

少し遅れるだけだ。地理的には。

波がその上に砕けた。

何かが彼女の後ろで爆発した。粘ったアクアマリンの霰が彼女の白衣の背中に、あるいは後頭部に弾けた。

「オゥ。」
彼女の父はとても小さい声で言った。
「なるほど、これは大したものだ。」

彼女はそれが何かを確かめるために、振り返らずにいられなかった。


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反逆者の門The Gate of Traitors


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「ここを歩いて抜けたとして、ロンドンに送り返されているなんてことはないでしょうね?アラガッダでの扉なんてそんな風に働くんじゃないの?」

閉められた扉だけだ。そして門はそれに入らない。門は特別なものだ。

門番はいなかった。そして吊るし扉もなかった。馬車により踏み固められた道が黒い街の終わりなき境界と交わるところで、イバニェスには平坦な銑鉄の棒で作られた装飾のない二本の円筒が、トルマリンの突き立った壁に深く備え付けられている様子しか見えなかった。錠前は鍵よりも遥かに大きく、しかし彼女には馬鹿馬鹿しくもそこに鍵を刺すのが適切なように感じられた。彼女の手は震え、金属に金属が当たる音が嘲り笑うように感じられた。一瞬の間、彼女には全てが疑わしく感じられ──定命のものらしい──しかしその違和感はアラガッダの全てがずれている感覚に押し流された。彼女は大きな声で、反抗的に「クソ喰らえ」と言いながら、空虚な空気の中鍵を回した。

鍵は彼女の手の中で震えた。彼女は鍵をバッグに入れながら後ろに下がった。扉は一本一本開いていった。大きく広げられた一対の手が、彼女を招いていた。

甘く愛しきわが家だ。
猫が喉を鳴らすように、その声は言った。

「ジーザス」
彼女は囁き声で言った。

彼女は、点々と金が装飾されインクのように黒い磨かれた石の尖塔を、彼女には読めない文字と認識できない色が、垂れ下がった黒い帯に描かれている様を、奇妙に耳慣れず、しかし懐かしく耳慣れた、そして狂気のように捉えどころのない音楽が微かに聞こえてくるのを、壁や敷石が彼女からドリーショット5の背景のように広がっているのを、腐敗と活力の異臭を予想していた。しかし、彼女は虐殺は予想していなかった

あらゆるところに、陶器の仮面をつけた住人たちが倒れていた。彼らは通りに仰向けに、アーケードの屋根の下に投げ出されたように、反射し、また反射しない水たまりの中に突っ伏して、あるいは単に座っていた。彼らは低く呼吸し、仮面をまるで呼吸に必要かのように押し付けていた。

生あるものは失われ、死が死した者たちのために来る。

「一体何が──」

私はお前の思考を読めるぞ。
声が制止した。
しかし他のものは私を聞くことはできない。気が狂っていると思われたくはないだろう?

彼女は肩をすくめた。
『少々の狂気こそが馴染むためには大きな効果を持つのよ。アラガッダではどうかしら?』

声が呆れた顔をしたのが、見えずともわかるようだった。
狂気があるならば、愚かさもある。

彼女は捻れた死体が固まっているところへと歩いた。自分の仮面をとっておかなかったことを急に後悔した。彼女が見た顔はどれも他所を向いていて、仮面はどれも涙や血や吐瀉物で汚れていた。全員の目は取り憑かれたようで、あるいは赤く縁取られていた。

『何があったのかしら?』

過ちのなかったものなどない。神秘の力は消え、彼らの目から鱗は落ち、彼らは彼ら自身を見つめたのだ。
彼女は開かれた戸口で、お互いにより掛かる二つの裸体を通り過ぎた。彼らは緩く抱き合い、嘆きの声を上げ、しかし明らかな恥と嫌悪のために互いから目をそらしていた。
アラガッダには人々の記憶が住んでいる。人を人たらしめるものが死んだときに残された空間だ。残された残骸と言ったほうがお前にはわかるかな。呪いを取り除けば、彼らには何も残らない。

彼女は通りを急いで抜けた。頭がクラクラして、自分が魔法が消えたときにも消えない何かを着ていることを願った。その残酷な光景が見慣れないものへと変わった頃、微かに音楽が聞こえてきたことに気づいた。
『呪いとは?』

最初の呪いは魔法だ。
声が吐き捨てるように言った。
我ら全てを縛り付ける呪い。二つめの呪いは彼ら独自のものだ、彼らの正当な反逆のために得た報酬だ。

街の深くで、彼女は時折歩いている住人の前を通りかかった。それらの男、女、その他はまるでオペラグラスをつけて熱中している観客のように、仮面を顔に保持し、声を押し殺し泣いていた。
『なぜ仮面がそんなに重要なの?』

仮面は防御だ。
声は平坦で、直接的だった。
我々自身のために、そして他者のために。彼らは自分がどう見えるかを知りたくないのだ。彼らはお前に知られたくないのだ。。
再び残酷な含み笑いが響いた。
もしかしたら、何も見るべきものが残っていないことを恐れているのかもな。

今では、空は何故か黄色みかかっていた。
『それを受け入れなくてはならないでしょうね。バンドエイドは剥がした方がいい。知ってる?』

知っている。私はお前の仲間が同じように感じているかどうかが気になる。

彼女は歩みを止めた。
『何が言いたいの?』

お前は彼女について何を知っている?彼女がどうして今の彼女になったのか。

彼女は突然、挑発的なドレスと仮面をつけていない顔が、通りの中で目立っているように感じ、屋根の下の歩道へと入って歩き続けた。
『ウドは生まれついてのタイプ・ブルーよ。文字通りのウィザード・キッド。』
それらの単語はスラスラと出てきた。彼女は脅威評価部門で何年も、実際的なバリエーションのタイプ分けをしてきた。
『父親は奇跡論的なものの研究をして、母親は“手”から財団に転向した魔術師よ。子宮の中で魔法に撫でられて育った。』
空気の匂いが変わった。硫黄じみたシナモンとでも言うべき匂いだ。
『もし両親が研究者じゃなかったら、彼女は困ったことになっていたでしょうね。』

声は笑った。深く敬意を欠いた笑いの噴出だった。
まだそうなるかもしれないぞ。
それは嘲った。
真実が明らかになれば。

「真実って何──」
彼女は反駁した。苛立っていたので、注意散漫になっていた。手袋をした手が彼女の口を塞ぎ、もう一つの手が腰を掴み影へと引き入れた。最後の光が消え去る前の一瞬、長く白い嘴と、ビーズのような目が、一瞬見えた。


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ゼラチン荒野The Gelate Wastes


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それは、一言で言えば、蛸だった。しかし一言ではその実態は伝わらないだろう。それは八階分の高さを持つ透明な蛸であり、内部には七階分の高さの透明な蛸がおり、その内部には六階分の高さの透明な蛸がおり、以下同文であった。その足のうち六本はゼラチンの中に浸されており、それらが動くとき、景色は大きく変わった。二本は自由で、無限の広さに向かって伸ばされていた。

その蛸と思われるものは、突然高い声で、不平をこぼすような口調で喋り始めた。
「誰が私を呼び出した?」

ウドは、彼女の隣でゲルのベッドに横たわる父と視線を交わした。彼女は脚を組んだ。
「えーと、私の名前はウド。こちらは私のパパ。」
それでは不十分な気がした。
「彼の名前はオビ。」
それでもまだ不十分だった。
「ハロー?」

ハロー!
それはトレモロのような合唱で答えた。
私はエイトリージ。モルスカリの後審判、沈んだクレプスクの王子。真の名前はTHBBBBT THBBBBT THBBBBT。これが発音されているのを聞いたのは初めてか?

ウドは、その沈んだクレプスクの王子の名前を、少なくとも三人の別々の幼児が言っているのを、三つの別々の機会に聞いたことがあるなと思った。しかしそう言うことは賢くはないなとも思った。
「私はみすぼらしい未開の領域から来ました。」
代わりに、そう言った。
「そこは、偉大な……あなたのように偉大な方の光すら届かぬところです。」
もし彼女が立っていたら、カーテシー6で挨拶していただろう──白衣では長さが足りなかったかもしれないが。彼女は立ち上がろうとしながら、控えめに笑った。片方の腕をきらめく表面に突きこんだ。

蛸のようなものは、興奮してその二本の脚の吸盤を打ち鳴らした。
おお、なんと、それは素晴らしい。我々は素敵な会話をしているぞ!私はいつも素敵な会話をしたいと思っていた。

彼女の笑いは、よろよろと立ち上がったときにはだいぶ大げさになっていた。
「ええ、きちんとしていたわね。とてもベン・ジョンソン的ね。」
彼女は父親が立ち上がるのを助けた。

ベン……?誰だ?短距離走の?意味がわからない。

今では彼女の頬は痛くなっていた。
「違うわ、ええと、劇作家の?綴りが違うの。」
彼女は瞬きした。
「オーケー、クールにね。あなたと私、それと彼とで。」
彼女は助けになるかと思い、複雑なジェスチャーで三人を指さした。
『主よ、これが呪文になりませんように。』

ああ、勿論、私たちはクールだ。
摩天楼サイズの頭足類は豪快に片方に傾いた。
クールでないはずがないだろう。

ウドは肩をすくめ、父親を再度見た。彼も肩をすくめた。

大きな蛸だろう?そうだ、勿論な。
内部の蛸の何匹かが見てわかるほど小さくなり、それから見てわかるほど大きくなった。彼女は、それらが呼吸しているのかどうか、合わせて一体なのか疑問に思った。彼女はそれらについて考えないようにしようと思った。

Thbbbbt Thbbbbt Thbbbbtはまだ話し続けていた。
コルベニクでうまくやる方法を大雑把に言えば、誰かがお前をまっすぐ殺そうとしているとき、お前はクールではないと自覚すべきだ、ということだ。すぐ再生する世界では、人はとても正直になり、自分の感覚にまっすぐ従う。

「フーム。」
ウドは額に皺を寄せた。
「魔法が死んでいるのは知っているでしょう?そういうときに、その再生を試す気にはならないわね。」

オウ、あなたが来たところでは、そのようなものはないのか?もしないならば、これは気にしないでくれ。私の副鼻腔が大変なことになっているんだ。

「あなたの副鼻腔?」
オビが繰り返した。

そうだ。かつては奇跡論的な膜があって、私が呼吸するたびに鼻にゲルが入らないようにしていた。例のあれの一端として、我々はあなた方を二週間、地下に追放した。しかし我々は実際にあなた方を苦しめようとしたわけではない。

ウドはゲルを見下ろした。深くへと跳ねてゆくカンガルーの屈折した影が確かに見えた。
「あなたも追放された?なぜ?」

覚えていないな。
巨大な蛸の動作は、どういうわけか肩をすくめる動作にどこか似ていた。
ちょっとした神殿間の策謀、ちょっとした裏切り、化身同士の戦い……そんなものだ。そして誰かが、彼だか彼女だかの過ちを反省するためにゼリーの荒野の深くに送られたというわけだ。
その声は、どういうわけか、彼らの心のなかで欠伸をした。
刑期が終わったのかどうかわからんな。あなた達はあの月の夜明けの者たちと最近話したか?

ウドの目が見開かれた。
「月の夜明け?三ツ月イニシアチブのこと?そんなふうに呼ばれていたのは……」
彼女は眉をひそめた。
「遥かに昔よ。」

おう、二週間より長いか?

「そうです。」
オビは言った。
「二週間よりは長い。」

なるほど、ではそれはでたらめだったのか。
地面は、怒れる蛸が腕を振り回すと揺れた。
私は彼らが覚えているだろうと思ったのに。遅くとも十五日の後には!私は彼らの空の城に行こうかと思い始めていた。
それはゲルの中で、その六本の足を自由にしようと藻掻いた。
百年か二百年かかるかもしれん、そのつもりでいてくれ。

オビは娘の肩に手を置いた。
「それについて、助けになる人を知っていますぞ。」

彼女は彼を見た。
「パパのこと?」


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乞食通りBeggar's Boulevard


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あなたは一体ここで何をしているの!?」

イバニェスは通常は言葉よりも行動を好む。しかしある特定の言葉は強い効果を持つことも認めていた。彼女を攻撃したものは薄暗闇の中へ後退し、明らかに鳥のような動きで、首を片方へ傾けた。その顔を隠す、長く、嘴の付いた仮面により、ますますそのように見えた。
『これこそが顔なのかもしれない。』

「我々は知り合いでしょうか?」
声色は細く、甲高かった。クリーチャーはあらゆるありえる色、何色かはありえない色のローブをきつく巻いていた。
「私は通りであなたの起こした騒ぎを聞きました。それにより、あなたはここの住人ではないと予想しました。そこで、あなたが疫病の領域に入ろうとしていると警告したほうが賢明であると考えました。」

彼女は鼻を鳴らした。
「そうよ、私は疫病に関してはあなたを信頼するわ。あなたは一番効果のある治療法を知っているのよね?」

そのクリーチャーは手首が垂れ下がった手を顔の前に上げ、否定の鳴き声を上げた。その手はザラザラとしていて斑点があった。
「こちらからお願いがあるのですが、そのような下卑た言い回しをやめて下さいませんか?」

イバニェスは当初の推定を考え直し、注意深く返答した。
「私たちは……経験があるのよ。あなたのような人に。私が来たところでは。」

「あなたが来たところ。いえ、私は違うと思います。」
長い顔が熱心に前後に振れた。
「私とは全く違います。もし私たちが同じものを思い浮かべているのなら、私はあなたの不運に同情いたします。あの存在は大いなる不名誉の座から生まれ、そしてそこを占めております。我々は彼について語ることはしません。」
それは手を下げて、その最大長まで伸び上がった。それは彼女より明らかに高く、六フィートは下らないと思われた。
「私は気まぐれのイッキス、クル=マナスの堂守。彼方の地からの学者にして謎と驚嘆を追求するもの。大いなる移住によりこの金色の鳥籠に囚われています。」

彼女は頷いた。
「難局のことね。」

「難局、そうです。私にはあなたのオーラは馴染みあるものに感じられました。」
堂守はその鉤爪で、彼女の肩を優しく掴んだ。
「しかしながら、我々には今この場で、もっと切迫したやらねばならないことがあります。あなたがどうしてここに来たのかはわかりませんが、あなたが宮廷に行くつもりならば、その道は黄と赤の君主により邪魔されています。」

ああ、そうだ。
イバニェスは黒いラッカーで塗りつぶされたような声をしばらくぶりに聞き、飛び上がりそうなほど驚いた。
我々は彼らを殺さなくてはならないのではないか。

イッキスは少しの間ローブの中を漁り、より小さな嘴付きの仮面を取り出し、かぎ爪の一つを強く押し付けた。火花が散り、匂いが立ち上った。
「ここから先の道は、最も汚れた瘴気で覆われています。もし進まなければならないならば、あなたにはこれが必要です。」
それは仮面を彼女に手渡し、再度首を長く伸ばした。
「その上、これはあなたを目立ちにくくするでしょう。アラガッダでは、飾られずに過ごすべきではありません。少なくとも注意を引きたくないのなら。」

彼女が通りに戻ると、皮肉で絹のように甘い匂い以外のなにかに集中することは難しかった。堂守は彼女の後ろすぐをついてきた。確かに、敷石の上に薄い黄色い霧が漂っていて、グキグキと動く、あるいは姦通する鹿の群れのように動かない乱痴気騒ぎの光景が彫り込まれた下水の門や、砕かれた扉や窓、そして地面で喘ぐ仮面舞踏会の参加者たちの喘ぐ口から出入りしていた。黒いローブを纏うせむしの影が扉から扉へと移動し、ノックし、鉄の釣香炉を煽り、黄色い霧をさらに濃くしていた。彼らの仮面は金色で、彼らの表情は歓喜にあふれていた。

「彼らは何をしているの?」
扉をノックするものたちの一人が、半分引き裂かれた猫の仮面をつけた、青白い恐怖した顔の男と出会った。それは彼を通りの端へと連れ出し、釣香炉を彼の顔に当てた。彼が深く息をすると、彼は震え、病的な骨の砕ける音とともに膝をつき、ボロボロになった豪華な服に染みが広がり、肉の沸き立つ音が響いた。その音の中でそれは含み笑いを上げた。

「ここは黄の君主の領地です。」
イッキスは呟いた。
「彼はもし死神が来たならば、彼の任期の間だけとどまるという布告を出していました。三人の君主の任期です。彼と彼の不調和者は死神と毒の香気を使って競争しているのです。」

彼はいつも、どうやって部屋をきれいにするかをよくわかっているからな。

イッキスは一瞬彼女を見た。
「あなたのオーラには何かがある。小さな何か。最初は財団のナルヴァエスに似ていると思いました。しかし時々、アラガッタ人の側面が見えます。」

『彼にはあなたが聞こえるみたいよ。』

返事はなかった。彼女は肩をすくめた。
「どこへ向かうの?」

今や通りは下り坂になっていた。そして建物はそれとともに斜めになっていた。彼女には、行き先の円形プラザに、巨大な円屋根の円形の建物があるのが見えた。そこでは霧が最も濃く、巨大なけばけばしい柱から吹き出し、空から吹く風に撹拌されているのが見えた。

「オディオンへ。」
イッキスは甲高い声で言った。


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ゼラチン荒野The Gelate Wastes


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ああ違う、あれは主な空飛ぶ城の街ではない。あれがどこにあるのか誰が知るというのか。
Thbbbbt Thbbbbt Thbbbbtは腕を曖昧に振った。
二分城ダイコトミーは特別なものか?そこに奴らは巨大な空間ポータルを隠している。

彼らは白の君主を飲み込んだ深淵の断崖の前に立っていた。鴨の羽色の雨が無限に向けて流れ込んでいた。ウドは父親を見つめたが、彼は目を合わせようとしなかった。
「私が何なのか言って。」

それは巨大な二枚貝のようなものだ。
Thbbbbt Thbbbbt Thbbbbtは喋り続けた。
中には真珠ではなく、三十億ギガジュールの物体を精神に、そしてまた物体に戻すトランスポーターがある。二枚貝にはそれはないからな。それは確実だ。待てよ、二枚貝に真珠はあったか?牡蠣だったか?

オビの顔は苦しげに歪んだ。
「お前は自分が何なのかわかっているはずだ、ウド。魔法の子だ。」

コルベニク人、あるいは我々が自身を何と呼ぼうと、その上半分、そして下半分は月の人民だ。我らは月を愛する。だからその間の空間は、月が失われた、あるいは月のない間と呼ばれて嫌われている。どちらの呼び方も同じくらいだ。
それはその複数の目を螺旋のように同期させて回した。
月のポータルとはこのようにして作られている。

彼女は自分の頬が紅潮するのを感じた。
「私はオビとアンジャリの娘よ。それしか知らない。そしてそれではなぜ私が素手で魔法を行使できるのかの説明にはならないわ。」

私のことは気にするな。こちらで説明する。

彼の目は泳いでいた。
「その話は今すぐにしなくてはならないことか?お友達が今にも抜け出してくるかもしれないぞ。」

やがてはな。
頭の中に響くその声は弱かった。しかし半分にはなっていなかった。

彼女はそれを無視した。
「私は知らなくてはならないわ、パパ。そして私はもう待てない。」

彼が瞬きをすると、涙がこぼれた。
「何だって?」

彼女は手の震えを隠すために、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。
「私はいつも何かがおかしいと感じていた。何かがずれていると。パパの話は辻褄が合わないわ。イルゼ・レインデルズはパパとママを合わせたよりもたくさんの魔に触れてきているけど、彼女は人とユニコーンの間の子ではないわ。私に真実を言って。今すぐに。でないとあの白い男も追いついてくるわ。」

彼が語っているところで、お前に追いつきたいものだ。

オビは下に手を伸ばし、両手いっぱいのゲルをすくい上げた。再度立ち上がるときに、バランスに苦心した。
「お前の母さんは、財団にとって絶対に欲しい相手だった。私が彼女を欲する程ではなかったにせよ。」
彼は悲しく笑い、鴨の羽色の球体を一つ、虚空にゲルが落ちていくところに弾き飛ばした。
「彼女は“手”の司書だった。図書館の蔵書の、ほんの微小な一部に精通していた。それは言い換えれば、彼女は、我々がこの世に存在すると思っていたよりも、多くの魔法の本を知っていたということだ。」
彼は塊を一つ、親指と人差指の間で弄んだ。まるでそれを潰そうとしているかのように。
「彼女は切り取られた舌のアテナイオンAthenaeum of Severed Tonguesについてすらも知っていた。どうやってそこに行くのか、そこで何が見つかるのか。」

「アラガッダの図書館。」
ウドは顔をしかめた。
「安全なもの。比較的ね。」

「安全とは言えない。事は起こった。」
オビは最後の球体を指先から虚空に向けて落とした。
「私が護衛とともにヤヌスゲートに入ったとき、私たちは婚約していた。彼女は後方にいなくてはならなかった……彼女はまだ財団に信頼されていなかった。財団は私を信頼していた。彼女は私を信頼していた。」
彼は頭を振った。
「財団は間違えていた。全員な。」

彼らはいつもそうだ。

「我々はアテナイオンに出現した。おそらくアラガッダは入る者の欲する物を知り、自覚的に入る者を特定の場所へ連れて行っている。もしかしたらアラガッダは入る者が最も害をなし、あるいは害をなされる場所を知っているのだ。いずれにせよ、私は目標物のすぐ近くにいた。今では正直名前も忘れてしまった本だ。その時、私はその女を見た。」
彼は唾を飲み込んだ。
「私はその女を見た、そして堕落した。」

不注意と放蕩。小さな世界の人間だ。
声は近くなっていた。彼らは移動しなくてはならなかった。ウドは口を開けることができなかった。

「その女は小柄だった。イバニェスと同じくらいか。滑らかな黒い肌、長くカールした黒い髪、琥珀色の目……」
ほんの一瞬、彼はウドの目を見た。
「私には、仮面を通して目が見えた。アラバスターの顔を持つ雌虎。」
彼は頭を振り、目を閉じた。
「私は本を見つけられなかった。三日後、我々は救助され、私と護衛は、全員衰弱し、中毒患者のようで、正真正銘狂っていた。我に帰ったとき、私は……私は彼女に全てを話した。」
彼は再び目を開け、深淵を覗き込んだ。
「彼女は事務的に、その場所が精神に、肉体に、そして魂に及ぼす影響について話した。彼女は客観的に、そのようなことは起きうると知っていたと話した。もしかしたら、あってもおかしくないと。だけど起きないよう願っていたと。」
彼は浅く息をするたびに縮まり、一インチ小さくなったように見えた。
「私はその……もう一人の女と、もう一度だけ会った。シェフィールドの私たちの家に来たのだ。その時、お前を連れてきた。」

十分な時間があれば、真実は我々全てに追いつく。

ウドは叫びだしたくはならなかった。彼女は咽び泣きたくも、声をあげて泣きたくも、歯ぎしりしたくもならなかった。概ね、彼女は疲れていた。そうであったので、何かを蹴りたくも、大声をあげたくもならなかった。代わりに、彼女は父親の肩に片手を置き、そして尋ねた。
「その人は何だったの?パパ?」

彼は彼女の方に顔を向けたが、目は伏せられ、焦点は定まらなかった。
「アラガッダ人だ。それ以上のことは知らない。その女のことは……わからない。」

彼女はしばらく待ったが、彼ができたのは、悲しく口ごもる音を立てることだけだった。彼女は、彼が先程彼女にしたように、彼の肩を強く掴んだ。そして頷くと、涙が零れた。彼女は泣いていたことに気づかなかった。
「他の名で呼ぶなら、悪魔だ。」


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オディオンThe Odion


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イッキスは劇場に入ることを固辞し、代わりに彼女の背後を守ることを約束した。イバニェスは素直に従った。オディオンの周囲は、通りをうろついていた金の仮面をつけた者たちが守るように徘徊しており、数も不気味さも、まるで絞首刑の木に集まる烏のようだった。イバニェスは近くで顔を合わせたくはないものだと思った。

広いオークの扉は鍵がかけられておらず、広く開かれていた──『これは良いことね。私はまだ家に帰るつもりはないわ』──その中の一周するように作られたロビーには人気もスモッグもなかった。彼女の高いヒールの靴は豊かなサフラン色のカーペットに埋まり、小さな黄色い雲を発生させた。彼女の仮面の中の炎はまだ燃えており、芳香は塵を寄せ付けず、効能があると思わせた。アーチと半球屋根、ルネット7、そして出窓が、建築様式の不協和音を構成していた。高い柱の列が並んでいた。彼女はそれを見上げ、しばらくして努めて下を見た。彼女は垂直の空間に、終わりがないことに気づいたのだ。

『このクソ街全体がトラップね。』

足元に気をつけることだ、鼠よ。

次の両開きの扉に向けホールを横切りながら、彼女は拳銃に手を伸ばした。まぐさ石に彼女の知らない言語が刻まれ……

真の芸術とは苦しみである


彼女の眼前で、アラガッダ語の文書は溶けてラテン語に、そして英語になった。彼女は顔をしかめた。
『何が認識災害ではないのかについて定義することは簡単になったみたいね。』

もしお前が自分の精神について不安になったのなら、間違った都市国家に来たということだ。
恐ろしい、調性を欠いた衝突音がした。そしてもう一回の音、それから技術的には音楽的と言える散発的な音が、半狂乱の不協和音で聞こえてきた。

彼女は歩いて入った。

劇場の空間は暗い色で染まった木材と、黒く腐食した黄色いカーテンの洞窟だった。彼女はそこが無人であると想像していたが、そうではなかった。ほぼすべての席が埋まっていた。数百、否、数千のアラガッダ人が釘付けられたかのように演者に注目していた。彼らの目と口は胆汁と膿と血の詰まった穴だった。彼らの多くが動かず、更に多くは震え、咳をし、くしゃみし、泣いていた。金の仮面の付添い人が通路を歩き、丁寧に凝固していない物質を仮面へと押し戻し、窒息した抗議の声の祈祷を形成させていた。
『ファック。』

その疑いを知らぬ称賛の手を止めよ。アラガッダでは拍手は禁じられているゆえ。

黄色のカーペットにほとんど汚れはなく、霧を発生させてはいなかった。代わりに、劇場の空気はステージ上の巨大な黒いピアノから流れる騒々しい非音楽的な音で満たされていた。その前では、亜麻色のローブの人物が狂ったように鍵盤を叩いていた。彼女にはその手は見えなかったが、手があるべき場所には、ローブが束ねられており、拳のようにピアノに叩きつけられ、あるいは布を巻いた指先で反メロディ的なものが紡がれていた。

お前は思考の毒性を信じるか?イバニェス主任?

彼女は中央の通路を降り、観客を気遣う不調和者の一人の側を通り抜けた。それは彼女を誘うように横目で見た。
『ミーム学のことなら、切り抜けられる程度には知っているわ。』

黄色の君主の声はわざとらしく、調子が外れていた。
最初の単語ができる前から、世界には毒があった。だが最初の言葉が毒使いの最盛期を布告したのだ。
音楽は今では、さらに心をかき乱すものになっていた。至るところで調性があり、意味のある何かに解決していたが、意味のほんの端緒が見えたところで、何度も何度も、その不本意な聴衆を裏切るかのように再び無意味へと転じるのだった。 イバニェスは頭痛を感じ始めていた。
お前はゴルゴダとはどのような意味か知っているか?

『“あなたじゃ音楽では食べていけない”という意味よ。』
彼女はステージへの道の半ばに達した。

「頭蓋骨」という意味だ。髑髏、のほうがお前には馴染みか?磔刑の釘を脳内に感じるか?鼠よ。感覚が裏切るのを感じるか?

訓練された、努力せずともできる動きで、彼女は拳銃を抜き三回発射した。弾丸は音響版と、高音と低音の弦を撃ち、弦の弾ける音とともに音楽は止んだ。

不快を催す仮面をつけたものが彼女を称賛の眼差しで見た。
これほどお前が出来るとは思わなかったぞ。

「おふざけはもうたくさんよ。」
群衆は大騒ぎになっていた。窒息し、仮面を引っぱり、目を掻きむしっていた。
「鍵を渡しなさい。」

再び、狂ったような笑いがあった。
すでに渡した。お前の灰白質を這いずり回るのを感じないか?そして溝を──

「いいえ。」
彼女はステージに飛び乗った。馬鹿馬鹿しいドレスはその過程で裂けそうになった。
「例え話は終わりにして。」
再び立ち上がりながら言った。
「気味悪い話も終わり。鍵を渡して。文字通りの金属片で、文字通りのに当てはまるもの。そうすればあなたの変態的なリサイタルを邪魔したりしないわ。」

黄の君主は後ずさり、ピアノから離れ、プロセニアム・アーチ8の下で立ち上がった。それは骨の稜に似せて削り出されており、腫れ物と膿疱で覆われていた。
音楽も言葉もいらないのか?ではお前の毒とは何だ?
それは首を片方に傾けた。鳥というより、猫に見えた。
ハハッ!私は腫れ物BOILSの上に落ち着いたぞ!
その黒い目が細められた。
もしかして、怒ったBOILINGのかもな。私の気まぐれな気分は長くは続かないゆえ。

彼女は肩をすくめた。
「好きにしなさい。病気は無意味だわ。私がいた世界では。」

心を動かされたか?お前はアラガッダで長く過ごしすぎている。
狂った態度に、疑問が混じった。
疾患はどこでも通じる言語だ。

彼女はピアノの椅子に座り、背もたれにもたれ、肘を鍵盤に置いた。鍵盤から抗議の音がした。
「あなたは長い間ここに囚われている。多分自分でもわからないくらいね。私のいた地球は決して終わらない病に侵されているわ。それは毎日私たちを食べている。だけど私たちは気にしないわ!私たちは自分の仕事をし、自分が病気になることも、他の人たちが病気になることも気に病まない。まるでそれが起こってはいないかのように振る舞う。なぜならそれに飽きているからよ。それは楽しくないわ、わかる?」

ローブを着た人型は空気に揺らめいた。
ここは音楽の劇場だ、
それは抗議した。
お前が見たいのが喜劇なら、アゴナエウムやグローブTHE GLOBEへ行くといい。

彼女は笑った。
地球the globe、その通りね!地球規模のパンデミックがあっても、私たちはクヨクヨ悩まないわ。私たちについて言えば──自分たちは負けないと知っているから。他については──それらは私たちではないから。私たちと同じように考えれば、あなたにとっても病気はなんの意味も持たないわ。」
彼女は前に乗り出し、脚の間の座面に手を置いた。
「私たちはかつては病のない世界を夢見たわ。どうなったと思う?私たちはそれを得ることもできた。だけどもっと良いものを見つけたの。」
彼女は微笑んだ。
無関心でいることよ。」

言葉とはウイルスのようなものだ、友よ。
黄の君主は震え、鈍いトーンの声の源を探して半狂乱で周囲を見回した。
それらはお前の中に入り、お前を食い尽くす。

黒く濃い粘液が黄の君主の目と口から流れ、その顔は恐怖を認識し大口を開けたものに変わりながらステージの床へと落ちた。鮮やかなローブには黒い斑点がつき、それはまるで腐ったものを詰め込んだ麻布の袋のように床板を打った。

「遅すぎたわね。」
彼女は言った。

腐敗とは過程だ。出来事ではない。

彼女は立ち上がり、ピアノの椅子を横にどけ、ピアノの鍵を一つ一つ弾いた。ポロン、ポロン、ポロン、ポロン、カチリ。彼女は椅子から脚を下ろすと、椅子を高く掲げ、そして音の鳴らない鍵のあたりに向けて強く打ち下ろした。

黒と白の破片の散らばる中に、金属の輝きがあった。

一つ終わり。


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ゼラチン荒野The Gelate Wastes


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あなたは本当にそれが出来ると思っているのか?

「この子なら出来る。」
オビは言った。

「わからないわ。」
ウドはため息をついた。

勿論、お前にはできない。

彼女は覚悟を決めた。
「あいつが近づいているわ。やってみなくちゃ。」
彼女は右腕を伸ばし、空中のシジルを辿った。彼女には微かな三角形の閃光のアウトラインが見え、左手の人差し指がそれを鋭く横切った。突風が起こり、ゲルの玉を撒き散らし、彼女の白衣の下で心地よいヒューという音がした。

「いいぞ。」
彼女の父が囁いた。

今彼女は、巨大な蛸の周りに輪を描いていた。それからその下に幾つかのギザギザの線を描き、さらにもう一つ分かれた円を描いた。地面深くからガラガラという音が聞こえ、Thbbbbt Thbbbbt Thbbbbtは昇り始めた。

飛ぶのは初めてだ。
蛸は喜びのあまり嘴を鳴らした。
私には資格がないのでな。

「今日は航空管制官にはもっと大事な仕事ができそうね。」
彼女は地平線の二分城ダイコトミーの光と、その周りの黒い暗がりをちらりと見て、それから自分の仕事に戻った。車輪のようにスポークの付いた円。一つは上を、もう一つは下を指す二つの矢印。何列にも重なる十字架。彼女は今、目も眩むようなプラチナの光、反射フィールドの上に揺らめく錬金術の真のアルファベットの中に立っていた。そしてThbbbbt Thbbbbt Thbbbbtは大音響の吸い込み音とともに、ゼリーの牢獄から引き離された。彼の腕は廃棄物の水面を割り、六つの高くそびえる山脈を一時的に出現させた。ウドと父親は青緑色の物質の滝から離れ、何マイルもの長さの腕がパチリという音とともに自由になり、月光に輝くのを見た。

空にも手が届きそうな気がする!
蛸は空中で回転し、上昇しながら腕をいっぱいに広げた。
三つの月までな、ウド!

「もし良かったら、代わりに二分城ダイコトミーに手を伸ばして。」
彼女は今、頭より上に手を伸ばしていた。そして透明な神を浮かべるのがどれほど簡単だったかに驚嘆していた。

ああ、そうだな。
黒く細長い目が彼女を見下ろした。
私が橋をかけよう。
それは前肢を下ろし、あたり一面を平らにした。

ウドは父の手を取り、ゴムのような表面に登った。Thbbbbt Thbbbbt Thbbbbtは天の星にも届いており、呪文は彼女の集中なしでも持続していた。彼女は自分が何をしたのかも理解できなかった。

これまでになく近い。
白の君主が唱えた。それは彼らに近くなっていた。
最後の審判Revelationsまで。


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紅色街The Sanguine Quarter


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イッキスは悪党の門the Villain's Gateで別れを告げ、イバニェスは仮面を返した。
「助けに感謝するわ。」

堂守はオウムが羽を震わせるかのように震えた。
「あなたにも感謝します。迫害するものがいない今、彼ら未開の魂を救うことも出来るやもしれません。」

「彼はずっとあの状態だと思う?」

それは首を振った。
「わかりません。日に日に神秘の空気が戻ってきているのを感じます。しかしそれは問題ではありません。正しいことを為すべきときがあります。私は為さねばなりません。」
間があった。
「もしあなたがこの場の主と対峙するつもりならば──現在のそれが誰だったとしても、あるいは何だったとしても──一つだけ、最後に警告があります。」

彼女は腕を広げた。
「何だって言って。」

「私はかつて不運にも、吊られた王の悲劇の上演を見たことがあります。その台詞の一つ一つを忘れることができません。あなたのこれからの戦いに、これが役立つのではないかと感じるのです。」

大使
彼が我らが主である、しかし君主らはいまだより偉大である
我らが足下に住み、そして焦がれる
我らが意志と呼ぶものありしという
嘘により驕る定命の心臓を啜らんと


汝ひとつの柏手にてにて向こうへゆくやもしれぬ、
ならば我を試せ!そして汝の罠を閉じることなきよう──
我のものを開くゆえ。

彼女は眉をひそめたが、頷いた。
「わかったわ、その……覚えておくようにする。」

「それがよろしいでしょう。そしてお気をつけください、デルフィナ・イバニェス。それを見出したときには、逃げる方が良い。それは難しいことではありませんが、おそらくはあなたが思うよりは難しいことでしょう。」

彼女はその鉤爪のある手を握った。その肌は紙やすりのようだったが、その握り方は優しかった。そして開いたポータルを抜けた。

楽天的な愚か者だ。
声が、楽しげに歌った。

『臆病なくせによく言うわ。』
この通りは金で舗装されており、ルビーの窓がガーネットの枠にはめられ、バナーはよく目立ち猥褻なシーンが描かれていた。

もしかしたら、私は博士どもが嫌いなだけなのかもな。何十年か嫌な経験をしていたのでな。

『自分が扱われたように人を扱うようになったということよ。』
紅色街は放棄されたように見え、扉は締まり、街の他の地域のように建物の入口の階段や道路脇に呻きを上げる半死人が転がっていることもなかった。
『みんなどこに行ったの?』

中に。

『何の中なの?』

じきにわかる。
中央の大通りは、金メッキしたブラッドウッド9の巨大な構造物に繋がっていた。それは他の通りがあちらこちらに走る広場の中央にあった。それはどう見ても売春宿に見えた。

「黙りなさい。」
彼女は声に出して言った。

私はただ、お前の格好はこの場所にふさわしいと言おうとしていただけだ。


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それは驚くほど美しい光景だった。

彼らは彼方の空の要塞への橋である、荒れて凹凸のある蛸の神の腕の表面に驚いた。コルベニクの全てが絢爛たる無意味の平野に広がる様が見え、美しかった。何マイルもの体高の類人猿が、折った石筍やあり得ない高さの木の幹を棍棒として振り回し、山は怒りの拳のように雲を突き抜け、粘液と腱の脈打つ海はほとんど動かない灰緑色の川へと流れ、巨大な岩はほとんど見えない、互いに淫らに絡み合う人々の塊に囲まれていた。それら全てが理解を越えており、ウドはそれらについてもっと知りたいと切望した。

だが今日のお前は生徒だ。
白の君主が彼女に警告した。
そして生徒は授業を選べない。
それは一行を容易く追ってきていた。終わりなきセロハンの腕に沿って滑り、吸盤やべとつく表皮に邪魔されずに。思慮があり、止められなかった。

「どうやってここについてきたの?」
彼女に問いかける勇気はまだ沸かなかった。彼が質問に取り合わないかもしれないという事実だけで、彼女を恐怖でいっぱいにした。

オビ・オコリ―は心配そうに娘を見た。
「我々には道も手段もある。私がお前に何もかも教えることはできないとわかっているはずだろう?」

強制的に押しのけられた空気による衝撃があり、彼らは高空の止まり木から落ちそうになった。二つの磨かれた金属で作られた何かが側を通り過ぎた。ハイテク武器を満載した航空機だ。明るい青色のランタンが複眼のようなコクピットの前に吊るされていた。アンコウに似せて作られているのかしら、と彼女は思った。

彼女は父親が立ち上がるのを助け、その胸を叩いた。
「パパなら頑張らなきゃいけない状況と言うかもね。ちょっとした知恵が大きな効果をもたらすこともある。」

ここまでどれほどの道を来たことか。
白亜の追跡者は数百メートルに迫っていた。
だがお前はまだ準備ができていない……

オビは決心したようだった。
「コルベニクに行くにはひとつしか方法がない。怖いものじゃない。それは42-Humbabaと呼ばれる。完全に健康な人間を昏睡させる方法だ。」

彼女は彼をまじまじと見た。
昏睡する手順を受けたっていうの?パパの歳で!?」

彼は首を振った。
「私から頼んだんだ。他には誰も、砂漠でお前と会えるか確信が持てなかったんでね。コルベニクでは……為したことと向き合わされるんだ。お前が何者であるか、お前が犯した過ち。お前が聞くべきことを、私はまだ言えずにいる……だからお前が知る必要のあることを話しているんだ。

彼女は唇を噛みながら、緑色の空を睨んだ。

「ここには財団がMTFを送り込んでいる、だが今回はコンタクトを取っていない。信じられないかもしれないが、スマホのアプリがあるんだ。だがお前はアラガッダにスマホを持ち込んでいないからな。」
彼の声色は明るく、明らかに努めて笑おうとしていた。彼女は、彼に笑いかけないことに決めた。
「これはお前が帰る唯一の方法だ、聡き子よ。それだけが私の関心だ。ニャンは財団全部に穴を穿つことができる。私が知るかぎり、お前とママは安全だ。」

彼女はようやく彼をちらりと見て、少しだけ笑った。
「パパ自身の命を危険に晒さないで。でないと許さないから。」

彼は縮み上がった。
「もう危険なことはしないよ。約束する。」

彼らは残りの距離を黙って過ごした。遠くに見えた針のひと刺しのような物体は、そびえ立つ二色の水晶の空中要塞となった。だが吊られた王の本体である黒い塊がそれを締め付け、片側に恐ろしく傾いていた。アンコウのような航空機はその雲を虹色の光の弾幕を幾重にも投げつけて攻撃し、引き剥がしていたが、深い、黒い海に落ちた丸石のような反撃に苦しんでいた。

「もう一度、あるかもな。」
彼は呟いた。


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酔いどれ親父亭The Rubicund


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はめ込まれたカエデ材の扉は半開きだった。彼女はその残りを開け、薄い赤い液体の奔流で迎えられた。それは大理石の階段を流れ落ち、彼女の縫い合わせた革のブーツの周りに水溜りを作った。彼女は最初それを血だと思ったが、次はもっと理にかなった事を考えた。

また蛇口か。

蝋燭に照らされた暗闇の中に、動きがあった。
敷居をまたげ。
液体の乱淫が要求した。
そして扉を閉めよ。クラレット10が流れ出してしまうぞ。

彼女は売春宿の中へと歩き入った。そして流れを止める程度に、しかし帰るときにアラガッダの脱出シートを起動することのないように閉めた。床は彼女が今まで見た中では一番大きなレッドウッド材が張られていて、まるでカリフォルニアの良質な産地そのものを、この広大な空間を内装するために切り出したかのようだった。一本の磨かれたバーが……彼女の見える限りの長さにあり、オディオンの柱のように無限だった。何百もの背の高いテーブルがあり、更に多くの逆さのテーブルがその上に重ねられ、あるいは暗いワイン色の床に置かれていた。砕けたガラスや陶器があちこちにあり、樽やテーブルクロスや椅子が散らばっていた。天井は床の鏡写しのようで、残骸だけがなかった……そんな考えが浮かぶと同時に、一本の金属のフォークが、プラム色のプールの中に落ちて飛沫を上げるのが見えた。

重力はこのように度し難い。
酔った声のテレパシーが、彼女の耳でしゃっくりした。
天井を歩けるようにサービスするべきだろうに。

赤の君主は果てしないサロンを挟み、染みのついた赤いクロスをかけた巨大な円卓についていた。ニスを塗られた樽の山がその背後に積まれており、全てが少しずつ漏れていた。彼女が近づく間、その笑いの仮面はまるで起き抜けのような眼差しで彼女を見た。

楽しみに来たのか。もっと早く来ればよかったのに。
そのインクで染められた目は彼女を上から下まで眺め、震えるように頷いて彼女を認めた。
ああ、そうだな、本当に早く来ていてくれれば。

「一人で飲んでいるの?」
彼女は尻に手を当て、卑猥なドレスから右脚を挑発的に突き出し、故意に横柄な態度をとった。彼女の精神は、結局、戦術的なものなのだ。
「あなたの名声には似つかわしくないわ。」

赤の君主は、自暴自棄の熱に浮かされた犬が吠えるような深く嗄れた声で、彼女の顔に、というより頭の中で笑いかけた。
お前の曲線と筋肉は実にそそる。お前の溜まったエネルギーを私に開放してみないか。我々二人はそれを楽しめるだろう。
それは唸り、彼女の心の目には植えた狼のように写った。
これは私が望まなければできないことだ。だがこうした危険を犯すのを私は楽しむ。

彼女は逆さになっていた椅子をひっくり返し、ワインのしみたクッションを跳ね除けて座った。
「私はパーティー相手の好みにはうるさいわよ。」

それは袖を拒否するように振った。
祝祭はアラガッダでも、モーゼルでも、人と狂気の領域の両方で終わった。
それは間を置いた。
ところで、お前は何だ?人のように見えるが、しかし同時に、私には二重に見える。

彼女は頭を振った。
『彼は酔っ払っているわ。もし彼が鍵を持っていないなら、この馬鹿に関わる必要はないわ。』

赤の君主の笑みが危険なほどに大きくなった。
我々、我々とは誰のことだ?
仮面の目が細められた。
私の記憶はもうかつてのようではない、それは感謝すべきことだが、人間は複数型の生命体ではないことは覚えているぞ。

「そうよ、私は人間よ。」
彼女は扇情的な笑みに戻った。
「あなたについてはどうなの?そこが大事よ。」

その騒々しい、信頼おけない笑いが再び零れた。
弱点を聞きたいということか?勿論ある。酒、女、歌。
ほんの一瞬、その目が赤く瞬いた。
オディウムにはもう行ったか?私もチケットを持っていた。そしてその頃には、私には節度もあった。

彼女は笑った。今度は全てが演技というわけではなかった。
「それが聞けて嬉しいわ。その節度はあなたのセラーにも適用されるのかしら?」
彼女は空の樽の群れを指し示した。
「それが血でなくてワインなら、一杯飲んでもいいけれど。」

赤の君主は肩をすくめ、床から二本のフラゴン11を持ち上げ、見えない脚でよろめいた。
これはワインだ。
早口で言った。
だがそのことは、血でもあることを否定しない。

それが大量の中身を注ぐのを見ながら、彼女は背筋を伸ばした。
「どこでそれほど沢山の……」

それは満面の笑みを浮かべて笑った。沢山のルベドか?お前はもう答えを知っているはずだ。

彼女は突然気がついた。樽はどれも必要以上に大きかった。外の通りの静けさが、その不快な意味で彼女を押さえつけた。彼女は唾を飲み込み、立ち上がった。
「蔓の上で命を始めたものをあなたがここに集めているとは思えないけど?」

赤の君主は肩をすくめ、二杯目のマグをずぶ濡れのテーブル上に置いた。
私は公平な組織を運営している。弱いSPIRITSがストックにあったはずだ。お前のような弱いSPIRITSのための。

彼女は白いステンシル12でラベルされた黒い瓶がバーにあるのを見つけた。「シャトー・ラフィット、1787」
「冗談じゃなかったのね。」

いつもではない、だがよく言うな。

彼女がテーブルに戻ると、君主はすでに自分のマグの上に覆いかぶさっていた。彼女は再度座ると、ボトルの上部を剥ぎ取った。
「あなたの健康へ、でいいかしら?」

叶いそうにないな。
それは彼女を睨んだ。
お前が何者にせよ、何かを欲している。そして私は何かを人に与えるのではなく、奪うほうだ。そう思うだろう?私は奪う、差し出されていないものまで奪う。
それは背もたれにもたれた。彼女には、そのローブの下に広がり、速い息とともに収縮する革のような闇が見えた。
私から何を望む?幼き美よ。そして何を失うことを恐れる?
それはローブに包まれた手でカップを掴んだ。

彼女はボトルを持ち上げて唇に当てた。
「あなたが持っている鍵が欲しいのよ。」
彼女は言い、ボトルをあおった。実際に、中身が赤ワインだったことに気づき、彼女は驚き、また安堵した。
「私に渡しなさい。そうすればあなたは望むものを何でも手に入れられる。飲み終わった上でね。」
彼女はドレスの袖で唇を拭った。

君主は、そのあざ笑いが刻まれた唇にフラゴンを当てながら、シートの上でほとんど震えていた。
我々はお前が好きになってきたよ。
一息でルベドを飲み込みながら、その目がワインの赤に輝いた。
お前にとっては嬉しくないだろうが。

愚かで哀れな赤公よ。
赤の君主は忌々しい呟きが高まると固まった。
お前はこの状況に見事に嵌っているじゃないか、そうだろう?

それはよろよろと立ち上がり、嘲りの感情が複雑に混合した顔で彼女を見下ろした。
そうかそうか、ついにツケが回ってきたというわけだ。
それは急いだためにテーブルをひっくり返しそうになりながら、彼女の側を通り過ぎた。
おいとまさせてもらうとしよう。

古き友よ、お前はいつも最後にパーティーから去るな。
赤の君主は薔薇色の水溜りの中でつまずき、滑り、そして混乱した恐怖の表情で彼女を振り返った。

それが私の性質だ。
それが喘ぐと、そのあらゆる開口部から黒い物質が流れ出し、それは撒き散らされた飲料へと前のめりに倒れた。

引き出しの中に鍵があるぞ、
残酷な声があくびをしながら言った。
酔ったものの行動を推測するのは簡単だ。

「それを最初に言っても良かったんじゃない?」
彼女は不平をこぼし、再びバーへと向かった。
「気を張り詰めなくても済んだのに。」

張り詰めるだと?ハハッ、それに値するものなど何もない。
金メッキされたレジスターには、確かに赤く錆びた鍵があった。
ワインに溺れ、そしてまた帰る。錬金術のように基本的なことだ。


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ウドは驚いていた。蒼穹の要塞の周辺の光景は、眼下の何もなさからは想像もできないほど賑やかなものだった。あり得ない多様な船が列をなしていた。それらは多彩な色の金属がなめらかに繋がり、少なくとも複数の太陽の熱で輝く噴出口により空に浮かんでいた。スター・ウォーズから出てきたような、あるいはモデルコレクターの余った部品箱で作った混合物のような巨大艦、そして何十もの異なった機種の、多数の小型戦闘機。それらはウドたちの動きを追おうとしており、ウドはもう少しで遥か下の砂漠へと螺旋を描いて落ちていくところだった。

その前の大砂漠のように、Thbbbbt Thbbbbt Thbbbbtの終わりないように見える腕はついに終わり、彼らは空高くで全ての光景の終わりの光景に取り残された。二分城ダイコトミーは二本の空高い通路を提供していた。ひとつは三つの月へと伸び、もう一つは溶けたケーキのような荒野の上を通っていた。構造の上半分はオレンジで、下半分は青であり、揺らめき白い光を放射する中央の空洞を包んでいた。しかしその光は、知性のある黒い雲が膨大な発光する憎しみで吠え、包み込み、引き倒し、引き裂き、その胴体に蜘蛛のような亀裂を入れることにより消えようとしていた。ワイングラスが砕けるような音による音楽が流れ続け、さらに彼女が聞いたことがある、さらに幾つかは聞いたこともないあらゆるSFのレーザーの音が、三ツ星イニシアチブが吊られた王の薄膜を貫こうと無為な努力を続けるたびに響いた。彼女には、彼が要塞のコアの光の脈動の中に立ち、人工の太陽を引き下ろそうとしているのが見える気さえした。

死ぬにはいい光景だ、そうは思わないか?お前の父は確実にそう考えているだろうな。

白の君主は、まだゆっくりとした足取りで歩いていた。そして彼女たちは行き止まりにいた。彼女が間を乗り越えるために、浮揚することを提案しようとしたとき、突然の爆音が磨かれたクロムの輸送機の到着を告げた。それは蛸の腕の先端でホバーし、長い着陸ランプを肉の上に下ろし、濡れたものを叩くような音を発生させた。シンプルな戦闘服に身を包んだ、黒い肌の女が一人降りてきて彼女たちを迎えた。その恐ろしい、物語的には吉兆の瞬間、ウドはそれは母なのではないかと考えた。

それにしてはその女は背が高すぎ、目の色は濃すぎた。そしてその表情は、そのようなシーンには暗すぎた。彼女は片手を突き出し、ウドは考えることもなくそれを取った。
「これはあなたの責任よ。」
もう片方の親指で肩越しに周囲の光景を指し示し、女は宣言した。
「大変ありがたいわ。」

ウドは頷いた。
「ええ、ところで、あなたの宇宙船がどういう科学原理で動いているかはわからないけど、もし魔法がちょっとでも関わっているならば、のおかげで飛んでいるのよ。」

女は突然微笑んだが、少なくともその一部は捕食者のものだった。
「あなたの功績というにはおかしな話ね。財団は魔法を完全に殺した。あなたはD&Dまがいの遊びで、糖蜜のようにゆっくりとそれを戻しただけ。それで感謝しなくちゃいけないの?お断りよ。」
彼女はランプを戻った。
「ところで、不可侵たるものはあなたは使えると思っているわ。もしどうにかして二分城ダイコトミーに来れたならば迎え入れろって。そうそうできることじゃないと思っていたけど、認めるわ。」
彼女は伸縮式の手すりに片手を置いて頭を振った。
「あの──コルベニクでは軽々しく使うべき言葉じゃないわ──あの物に近づく危険を犯すべきか迷うところね。ただ別の犠牲者が食べられるのを見ているだけならね。」

お前の父の犠牲は、何にもならない。

ウドは声を無視した。
「私たちはここに来るまでに多くの危険を犯したわ。私たちなら助けになれる。」

ウドの予想に反して、激しい笑いが起こった。
「危険?むしろ犠牲と言うべきでしょうね。あなたは自分の脚で歩いてきたのでしょうけど、あなたのお友達は明らかに死んでいるわ。」

ウドは突然体重がなくなったかのように感じた。彼女が過去数時間……数日間……数週間?悩んでいた疑問が、脳の酸素を燃やし尽くしていた。彼女は父親を見た。彼は彼女を、静かな諦めの表情で振り返っていた。

女は片手を上げ、人差し指で空を指した。

ここでの私の仕事は──

彼女は腕を振り下ろした。幾つかの砲身を束ねた砲塔が白の君主に波打つ炎の一斉射撃を与えた。仮面と空のローブが、蛸の腕から両側へ、石と羽根のように落ちた。

「乗りなさい。」
女は鞭のように言った。
「あなたに弾薬の価値があったか、見せてみなさい。」


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無気力通りThe Phlegmatic Quarter


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放蕩者の門の鍵を開けるのは簡単なことだった。そして彼女らと宮廷の間に広がる最後の街並みは、先程のものより更に静かだった。ここでは通りは清潔で、高価そうな集合住宅からは流れ出る液体はなく、配置はシンプルで直接的だった。あまりにも直接的で、すべての線は途中で終わっているように見え、すべての角は鋭すぎた。そしてイバニェスには、地平線に厳然とうずくまる黒い要塞に向けて歩みを進める間、パニックが襲ってくるように感じられた。

この区画のアラガッダ人は、音を立てずに列を作り歩いていた。角から角へと列は伸び、頭を屈ませ、苦しそうに息をしていた。彼らは彼女が移動すると、彼女の周りを避けていった、彼女は、まるで上流へ泳ぐマスのように感じられた。

パレードを思い出す。
声が楽しそうに言った。
集まった群衆の目に宿る歓喜、天国に晒された希望に満ちた顔、彼らの歪んだ笑顔に宿る狂気、上流層の死体を裸足で踏みつける行進。

『ええ、まるでマルディグラみたいね。』

彼らは私の上に貪欲な獣の群れのように群がった。
それは物思いにふけり、ほとんど恭しくも聞こえた。
従順になるよう育てられ、だが癒やされず、しかし膿み爛れ膨れ上がる一方の憎しみと恐怖、そし暴力に駆り立てられていた。彼らは敷石で私を塵になるまで挽きおろした。それは私が、いつの日かそこへ挽きおろされると知った上で私が敷き詰めたものだ。

『オーケー、あなた方の基準に照らしても、それはちょっと奇妙に聞こえるわ。』

お前は街を、大衆を統制したことはない。お前は人の命を支配することとは、彼らの心を歪ませることとは、彼らの見せかけと増長と彼らがそう有りたいと思っている虚ろな投影を、彼らが真に、不可逆的にそうである腐った核だけが残るまで、それでも不十分だと、彼らは自身の啓発を制御することもできないと、彼らは怒りの中に立ち上がりお前を引き裂き倒すと知りながら蒸発させることとはどういうことかを知らない。お前は誰かにそのようなものを贈ったことはないのだろう、私が思うに。お前は真の愛を知らないのだ、デルフィナ・イバニェス。

彼女には最後の門が前方に見えた。それは彼女らを迎えるために、大きく開け放たれていた。
『その大衆があなたを殺した、なぜならあなたが恐ろしかったから、そしてあなたはそれを懐かしく感じている、そういうことね?』

お前は多くの快楽をみすみす捨てているのだ。もしお前が私がしてきたように長く、満たされて生きるならば、お前は更に洗練された嗜好を育てるだろう。世界全ての中で、お前がお前を裏切るように導いた者たちに、残酷で、悪虐で、血腥い復讐をするために、敷石を敷いてきたと知ることほど甘いものはない。

『オーライ、わかった、もうたくさんよ。あなたは──』

彼らが私の顔無き顔を石に打ちつけ、私の内臓をかつてアラガッダであった通りに撒き散らし踏みつける間、私は笑っていた。なぜなら私はすでに彼らの内臓をこの口で賞味し、この耳で慈悲を求める彼らの叫びを聞き、彼らが呪われ、破滅することを宣言するときこの胸に湧き上がる暖かさを感じることができたからだ。ああ、そうとも、私は我が予見を良いビンテージになるまで熟成させたのだ。そして今日、私は我が友らの悲しみを深く飲み干すだろう。

彼女らは暴君の門をくぐり、吊られた王の家の影へと入った。


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二分城Dichotomy


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予は世界の支点を破壊する。
渦巻く黒は、火花を散らす要塞の心臓で叫んだ。ウドと彼女の父は、一マイルほど離れて磨かれた鴨の羽色の表面に立ち、それを見ていた。予は玉座には座らぬ。亀裂の中を飛び回る。

「彼はおしゃべりね。」
ウドはこぼした。彼女は言葉を出すのがやっとだった。吊られた王の怒りの周りを包む空気のない空間では、彼女の軽口も気分を上げる役にはたたなかった。

「彼は誰もわからないほどの長い間、椅子に縛り付けられていた。」
今は三ツ星イニシアチブの軍服を身に着けた彼女の父は、驚嘆を顕にして混沌を見つめた。電光がインクのような雲の中できらめき、他世界にわたる割れ目を照らし出した。それを発生させるために二分城ダイコトミーが建てられたのだ。ウドには星々が、そしておそらくは月の表面が見えた気がしたが、瞬くような一瞬だけだった。
「パパもおしゃべりよ。」

彼女は遥か遠くの要塞本体を見上げた。要塞の二つの半身は接続されておらず、それらの間に開口リングが形而上の表面張力だけで浮いていた。彼女は、オレンジのローブを着た僧侶の集団が、オレンジの半身の底に、彼女から見て天井にいて、吊られた王の嵐の核を見ているのが見えた。彼らに対応する青い集団が、ポータルの周囲に輪を作り立っており、同じように王に目を奪われていた。生きた奇跡的アンカーに相当する二つの小さな町が、死の亡霊が次元間の扉を無益に叩くのを見ていた。

予を拒絶するのは許さぬ!
噴出した蒸気が巨大な鉤爪のある手の形となり、通り過ぎた二機の迎撃機を打ち、それらの右翼をもぎ取った。二機は暗い空を回転し、人工の地平線の下へと消えた。
予自身が拒絶であり、終末である。

三ツ星の艦隊はまだ雲に向けて秘儀の武装を射撃していたが、戦いは望みないものに見えた。脈打つピッチのような触手が窓を、ドアを、壁を破り、その源にておそらくは怒り狂う、かつて人間だった者を鎮めるものを探し求めていた。
予を鎮めよ、さすれば汝らは最初に倒れるものとなろう。抵抗せよ、さすれば予は汝らの世界が創造の目の前の揺らめきであったよりも前から私が学んできた苦しみの何たるかを汝らに見せるであろう。

ウドは飛ぶ要塞のリベットが打ちつけられた表面に座っていた。
「これに対して私が何をできるのかわからないわ。ここにいるのは現実を引き裂く解き放たれた神。そして私は下着も着ていないただの悪魔の子。」

彼女の父が彼女の隣りに座った。
「お前がただの何かであったことなどないぞ、ウド。そしてお前はそれを自分に言い聞かせるために私を必要としていない。お前は私の知る誰よりも強い。そしてお前は良い。お前はコルベニクが何者でもない誰かを助けるために尽力したと思っているのか?炎を運ぶものはゲロゲロ洞窟からお前のために出てきたんだ。彼らはそんなことはしない。神もその墓からお前のために這い出したんだ!元財団の三ツ星の将軍がお前のために時間を割いた。賭けの時間だよウド。」
彼は彼女の肩を叩いた。
「お前は困難に出会った。お前は自分がやるだろうと確信している。ならば何が問題なんだ?」

彼女の目は再び涙で霞んだ。
「何が問題かはよくわかっているはずよ。」
彼女は囁いた。そして白の君主の声を、吊られた王の怒りの騒音の中で再び聞いた。
運命の意図を探し求めよ。それを見つけ出せ。それを手繰り、端から端まで見よ。お前が失ったものの恐ろしい量を知れ。
彼女は頭を振った、何度も。

彼は明らかに何かを言おうとしていた。だがそれ以上言葉が見つからなかった。ついに彼女が口を開いた。
「ハンババ。」
彼女はサイト-91の膨大な書庫で育った。ギルガメッシュ叙事詩を暗記していた。
「ハンババ、私は覚えているわ。彼が誰かを見るとき、それは死神の眼差しだった。彼らはいつも……ああもう。」
彼女は目を激しく擦り、そして目には水が溢れた。
「彼らは婉曲にヒントを盛り込まずにいられないんだわ。」

「誰もが死ぬんだよ、ウド。」

彼女は彼を見た。

「ベッドの上で、車の中で、病院で、シャワー中に、道の端で、誰もが死ぬ。そしてそれは普通は忌々しいものじゃない。我々は一人で死に、精神は失われ、愛したものはたとえすぐ側にいたとしても、遠く離れてしまう。」
彼は手を伸ばして彼女の手を包んだ。
「私は、もっと良い、もっと崇高な何かのためのチャンスを得た。私はお前と話せた、お前に語れた……最後の一日をお前の側で過ごすことができた。それが十分な死でないというのなら、聡き子よ、他にどんな生を送るべきだったと言うんだ?」

彼女は試みた、とても強く、コルベニクが魔法を強化する効果では助けにならないことを。彼女には彼に言わなくてはならないことがあった。彼女は彼を安心させたかった。

彼女は立ち上がり、彼を引き上げ乱暴に抱いた。そして代わりに言った。
「私を待っていて。これはさよならじゃないわ。」

そして彼女は彼を離し、複雑な指の動きとともに空中に何かを描いた。そして見通せない積乱雲の中へと歩き出した。


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ホールには命あるものはいないように見え、彼女の足音は穴の空いた石の上で虚ろに響いた。残響は鉄の柱、何も書かれず虫に食われたバナー、空の部屋に続く大口を開けたアーチの作り出す薄暗がりに抑制され、それほど遠くまで響かなかった。アラガッダの宮廷は統治に失敗し、失墜し、そして逃亡した主権者と、かつてはその奴隷であり、今はこれらの朽ちゆく回廊を避けている死にゆく民の記念碑だった。

奴はまだここにいるぞ。

彼女は止まった。辛うじて、伏せようとする衝動を押し留めた。
『誰のこと?』

私だ。
嫌悪を催す呟きが彼女の頭蓋へ蚯蚓のように這い入った。そして今回は、突然の激痛に膝をつきそうになった。
我が墓所に戻ってくるとはな、逃亡者よ。一度は逃げる機転があったというのに。

彼女は両開きの巨大な鉄の扉をくぐった。そこには囁くシジルや顔のない兵士の軍隊が掘られていた。彼女はそれらの存在しない目に見つめられるのを感じながら、玉座の間に入った。彼女はそこに来たことがあり、来たことはなかった。二つのアラガッダがあった。ひとつは薄暗く、もう一つは暗闇で、宮廷の核の死んだ神の形をした腐敗の穴により、臍帯で繋がれたように密接に連絡していた。空の玉座は錆びた鎖でも棘でも血でもなく、ただ何世紀にもわたり放置されたゆえの埃に覆われていた。影は影に過ぎず、自身を王と呼ぶ、不自然に引き伸ばされた生とは言えぬ生を生きる獣の不自然な延長ではなかった。

よろめき、つまずく人影が、影から現れた。彼女はその動き方に嫌悪を感じ、武器を抜いた。

呪いは、空間の間の空間を流れる。
人影は白い包帯を巻かれ、皺の寄ったその隙間から黒い皮膚が覗いていた。
蒼穹も非意図も、盗まれた光で燃えるという意味で等しい。

「本当にあなたが死んでいればよかったのに。」
彼女は言った。実際には関係ないとわかっていたが、セーフティを確認し、心の中で弾丸を数えた。

そうであったし、そうであるし、常にそうであろう。
太い灰色の光の柱が、玉座の間の天井のルネットから射し込み、アラガッダの大使の姿を照らし出し、彼女はなぜそれがぎこちなく動いていたのか理解した。

その頭部は捻じられており、それは後ろ向きに歩いていたのだ。

「贈り物があるわ。」
彼女はドレスの官能的な素材が彼女の肌に与えた感覚のためにかすかに吐息を漏らしながら、胸をかすめてバッグに手を伸ばした。
「どこにもいない、新たな王への捧げ物よ。」

大使は笑わなかった。しかしぎくしゃくと近付きながら、喘鳴を漏らした。
暗殺者よ、私はお前の持つもの全てを奪おう、そしてそれから、お前自身を。
それはその空虚な黒い顔で、彼女を上から下まで眺め回した。彼女はその砕けた首が骨の鳴る音を立てるのを聞いた。
その武器を撃て。この機会を活かしてみせろ。もう二度とないぞ。

「一度で十分よ。」
彼女はバッグから運んでいた荷物を取り出し、一発だけ銃を放った。大使の右のハイヒールの踵が砕け、それは驚いて前に傾いた。彼女はその頭の包帯を裂き、SCP-035をその空虚な、震える顔に叩きつけた。

が涙を一万年飲むがい。
融合した怪物の泡立つような声が彼女の心に響いた。その憮然と睨みつけるような顔は、突然耳から耳まで引き攣れた笑いとなった。
もしかしたら一万と千年になるかな。


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二分城Dichotomy


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予は再び境界を超える。予の不屈の意志でだ。
撹乳機のごとき手足の絡み合いに近づくにつれ、吊られた王の掠れた声が彼女の耳を聾した。
我が鎖は切れ、我が足枷は砕けた。予は奴隷ではない!

「それで、あなたがしたかったことはこれなの?」

煙が分かれ、腐った黒いローブが浮遊する姿が、点滅する次元の隙間の前に現れた。
予は故郷から、我が民から、我が肉体から引き離された。
それは甲高い声で言った。
予は奪われたものを取り戻す。そして大地の全てもだ。

「生でも死でもない人生を楽しんでいるみたいね。」
恐怖が近づき、彼女にはその荒れ果てた顔が見えた。傷跡と膿疱、火傷と血を流す傷が固まった血で接着され、死体のような皮膚の下に蛆が這うように蠢く塊。どのように創造された仮面も隠せない貌。
「その力、あなたが何を体験したにせよ、どんな命令でも出来る程までのそれを身に着けたのね。なのにあなたは心の中に鉄の罠を仕掛けている。そしてずっとその瞬間に囚われている。」

予は自由だ!
二本のスモッグが羽根のように伸びて二分城ダイコトミーの表面を打ち、三本目が王の穴の空いた胸から彼女へと伸びた。
予は、予が失った地に自由を見せつける。

彼女は空中に円環を描いた。彼女を掴もうとした煙が、彼女からほんの数インチのところで霧散した。
「その割れ目がなぜあなたの思うように変化しないのか、本当にわからないの?なぜあなたには何も見せないのか。」
彼女は逆さになった群衆を見上げた。
「彼らがやってるんじゃないことはわかってるはずよ。あなたは全力を使ってるのが私にはわかる。そして彼らはかつてないほどに地球に集中している。そして扉はまだ開こうとしない。なぜ?」

吊られた王の声がセミの群れの音のように彼女の精神に響いた。彼女はその中に、笑いや、歌が混じってくれることを心から願った。しかしそれは、終わりなき絶望の響きだった。
アラガッダの王はお前には答えない。魔女め!あらゆる永遠こそが我が苦しみに答えるであろう。そしてその障害は、燃やされるべき薪が積み上がるに過ぎぬ!

彼女は首を振った。自分の心の穏やかさに驚きながら。彼女は吊られた王と話していた。あの吊られた王と。そしてそれは問題にはならなかった。
「あなたは苦しいのね、わかるわ。」

予を嘲るな!お前に我が苦しみの何がわかる。異国からの教師が予に永遠の繊細なる艱難をもって肉と魂の限界を見せたのだ。
それは彼女の眼前の空中を愛おしそうに撫でた。
彼らは鉄の咽び泣く宝物庫に籠もる予を引き出し、希望の残酷なる槍で貫いた。予は彼らのために鎖の先で踊り、ただ理解だけを得た。愛はなく、命はなく、ただ破壊があるのみ。非創造の創造性だ。

彼女は嘲った。
「あなたはとても長く闇の中にいた、そしてその後にすることがこれなの?光の中で怒りを振りまき、そしてどこにも行けない。」

王の怒りが沸騰し、その湿った密度に打たれ彼女の脳は麻痺した。
予はどこにだって行ける。あらゆる土地のあらゆる片隅は知るだろう。変化に面して、沈黙すること、停止すること、静止することとは何かを。予はその中を歩き、そして笑う。

彼女は自分のために笑った。その効果は絶大だった。黒いものはポータルの後ろへとたなびき後退した。そして彼女の眼前の惨めで不幸なものは、二秒のうちにその空間の中へと縮むように見えた。
「変化!あなたが一体どうして変化を知るというの?あなたはめちゃくちゃにした。一つの街を壊し尽くすほどに、そこの命を全て破壊するほどに、その魂を呪うほどにね。愚かなあなたを愛して信頼してくれた神のみぞ知るほどの人々から人間性を焼き尽くした。そして何が残ったの?呪いすら残っていない、時は全てを消し去っていくから。あなたは自分の悲しみしか見えていない。それは淀んでしまった、あなたの気高さも愚かさも。そしてあなたはまだそこに溺れている。」
彼女は次元の割れ目を指さした。
「それがあなたがどこにも行けない理由よ。まだわからないの?あなたには外の世界に行く力がないのよ。あなたはまだ玉座に縛られている。あなたはまだアラガッダにいて、そこから出ようとしていないのよ。あなたには希望も、夢も、魂もない……あなたはただ死んだ殻で、街に積もった、街の形をした憎しみの澱よ。あなたに行くところはどこもなく、ただ檻に帰るだけ。」

予はアラガッダには帰らない!
闇が彼女を押し返した。彼女は荒々しく鉄に押し付けられ、眼鏡が顔から落ちた。
そこには何もない。終わったのだ。それは過去だ。そして予は未来である。

「あなたは壊れているわ。」
彼女は喘いだ。
「そしてあなたは自分を壊したものから逃げている。その力、その能力、全てを自分を欺くために使っているわ。あなたさえ恐れる恐怖から隠れるために。」
彼女は顔の前に手を上げ、打ち付ける流れからほんの数秒身を守るために真の星座を描いた。
「アラガッダの君主たちは倒れたわ。あなたの街があなたを待っている。」

街は唾棄すべきものだ。それは予に何も与えなかった。

彼女は祈った。全ての希望に対して、あらゆる希望は無為だと警告しながら、あらゆる方向から迫る濃密な雲に。彼女が与えなくてはならない答えが正しいことを。
「終わりにしましょう。」
彼女は囁いた。

嘘だ。

白の君主は二分城ダイコトミーの端に立っていた。その渦巻く外套の後ろに、空想科学の戦いが荒れ狂っていた。その薄い口はほとんど陽気なほどにしかめられていた。吊られた王は鋼鉄の平原を挟んでそれを見下ろし、それから枯れた葉が鳴るような音とともに、ポータルから離れた。

忘れ去られ、ウドは割れ目へと雲を掻き分けた。


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「今頃までには開いているはずだった。何かがおかしいに違いないわ。」

我が主が関与するところでは全てがおかしい。私も損切りすべきかな?
黒の君主はイバニェスを嘲笑った。それは大使を支配して以降、その悲劇の表情を脱ぎ捨てていた。
お前をな。

彼女は反駁した。
「都合よく浮気するのをやめてから私に声をかけて。」

病的な破砕音とともに、仮面をした頭部が回転した。黒の君主が試しにその首を元に戻したのだ。
お前はこの体を相当に痛めつけたようだな。だが、お前のものは、良い形をしている。良い、実に良いぞ。どう思う?交換──

玉座の後ろで、灰色の電光のコロナが暗闇を破り、スイミングプールほどの大きさの空電の壁が突如出現した。空電はナンセンスなイメージへと変化した。オレンジと青のトンネル、緑色の空の黒いスモッグ、互いに近づく二人のローブを着た姿、そしてやつれたウド・オコリーのビジョン。

「助けて。」
彼女は言った。


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二分城Dichotomy


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裏切り者め、
吊られた王は息巻いた。そのローブから黒い酸の蒸気が滴り、青い要塞の壁に弾けた。
礼をしろ。

白の君主は怯まなかった。
良い知らせを持ってきた。あなたはもう必要ではないという知らせだ。

死した神は唾を吐いた。その唾は煙のような蜂の群れだった。それは白の君主を波のように洗ったが、ローブの先端がほつれ始めたのみで、白の君主は動じなかった。
反逆者め、汝を塵に返そう。そして風が汝を吹き散らすだろう。

オビ・オコリーは青いローブを着た僧侶の集団まで後退した。次元の隙間が再び空電へと溶けた。彼には、娘が対峙する二者へと近づくの見えた。

私こそが風である。
白の君主は吠えた。
私は遅く、気まぐれな変化の息吹である。理解の奔流である。回転する車輪である。
それは腕を大きく広げた。
あなたの懐妊は今日終わる。今日、あなたは真に神となる!星々の間に外套を纏い、宇宙にあなたの意志を拡散する。アラガッダの中だけでなく。

吊られた王の拳はガス状の板となり、幽鬼をデッキプレートに打ち倒した。
予は言葉の饗宴に仕込まれた毒に気づかぬほどのお人好しの愚か者ではないぞ。汝の言葉に真実はない、そして決して──

それは突然倒れた。膝(があったとして)をつくことすらできず。そして迫撃砲の砲弾のように破裂し、息もつけずに膝立ちになった。何だこれは?!

嘘だ。
白の君主は立ち上がり、かつての主君へと不気味に迫った。
ウォーロックの女が背信と策略であなたの力を奪った。彼女を破壊し、死体を烏らに任せるがよい。世界の交点があなたの前にある。新たな道を選ぶのだ。

王は燃え殻と灰のように縮み、ポータルを白の君主の視界から隠した。それは二分城ダイコトミーの基部を叩いた。何度も何度も何度も、その拳は塵へと砕けた。
予を傷つけ、血を奪った、予を傷つけ、血を奪った……
その声はか細く、葦が震えるようだった。その胆力はほとんど使い果たされていた。
血が、血が流れてしまう……

血は流れる、
白の君主がヤスリのような声で言った。
そして──

「このあなたの血は、吊られた王のもの。」
ウドは黒い粘液を入れた盃をその顔へと投げつけた。

白の君主は金切り声を上げ、その目を袖で掻き切るように拭ったが、その袖もまたピッチに染まっていた。それは吠え、怒り、そしてデッキに倒れた。同時に、吊られた王が立ち上がった。それは悪夢のような顔を彼女に向け、問いかけた。
なぜだ?

彼女は肩をすくめた。
「選択をするのは彼でも、私でもなく、あなただから。」
彼女は割れ目を指し示した。それは今は、アラガッダの静かな玉座を示していた。
「従者があなたを待っているわ。二度目のチャンスよ。これがあなたの欲しい物?」

オビが群衆から前に出て、白の君主の震える体へと近づいた。彼は勢いをつけてそれを蹴った。仮面が二分城ダイコトミーのリベットを打たれた表面を滑った。彼はその背中からローブを剥ぎ取り、広がる体液の中にその震える体を残した。吊られた王は仮面をデッキの表面から拾い上げ、ウドを睨んだ。
忠誠ある放浪者が戻ってきたのか?

彼女は頷いた。

ならば予はアラガッダに行こう。そしてどのような変化を起こせるか見てみよう。
灰の雲はその悍ましい姿を霞ませ、割れ目に向かって滑った。
予は汝によって完成したのだ、ウォーロックよ。

彼女はそれがポータルを抜けるのを見ていなかった。彼女は父が汚れた白いローブを持ち、目を輝かせて彼女の前に立つのを見ていた。
「言っただろう?」

彼女は喜びと絶望の中間の、ぶしつけな感情の発露を見せた。
「開いたわ。あのとんでもないものを、自分で開いたわ。」

彼は笑った。
「勿論、お前はやった。お前が道を変え、あのものたちを変えたんだ。お前にはあの空虚な殻が到達したよりも二倍の魂がある。お前は自分が何者か分かっている。ウド、お前は自分に嘘はついていない。そして私ももうこれ以上、お前に嘘はつかない。」
彼はありえないほど輝かしい布を振って差し出し、デッキに粘液の斑点を散らした。
「だが、あれが心を開いたのはそれだけが理由じゃない。お前は二つの場所に引き裂かれている、上と下にいる僧侶たちのように。お前は友と共に行きたいと思っており、私とここに留まりたいと思っている。両方はできない。わかっているだろうが。」

「わかっているわ。」
彼女は言った。

「お前は行かなくてはならない。」

わかっている。」

「お前は今行かなくてはならない。確信が持てないまま、まだ行きたくないと思っていても。でないとゲートは閉じてしまう。」
彼はローブを差し出し、彼女を乱暴に抱いた。二人は堅く抱き合ったが、十分な時間とは言えなかった。
「家へ帰るんだ。聡き子よ。」

彼は彼女にローブを巻き、彼女は理解した。生きた物質はコルベニクを包むベールを通る事はできない。だが黒い血の盃のように、白の君主を包む布は、貫き通せない非生物のシールドを通り抜けるのだ。だから、それが、別れだった。

彼は彼女をポータルへ連れていき、彼女の涙に濡れた顔に笑いかけた。

「パパは大丈夫そう?」
それは愚かな質問だったが、彼女は問わなくてはならなかった。たとえもう一度だけでも、彼女は、彼の嘘を聞かなくてはならなかった。彼がそうしてくれることを、彼女は願った。

彼は笑った。
「お前は私を砂漠で見つけて、ここまで連れてきてくれた。大変なところは終わったさ。」


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ウドが不浄なローブを不浄な床に落とし、友人と抱き合ったとき、次元の割れ目はまだ開いていた。彼女の父は少しだけそれを見て、振り返り歩き去った。

「馬鹿な計画だわ。」
ウドは泣いた。
「馬鹿、馬鹿よ……」

「あの人はあなたのお父さん?」
イバニェスには他に言うことが見つからなかった。
「なぜ……どうして?」

ウドは首を振った。
「まだよ。時間がないわ。」

おお、お前は知っているのか?私はお前を驚かせてやろうと思っていたのだが。

黒の君主は、吊られた王が身動きもせずにはまり込んだ玉座の横に立っていた。その動かない体の上で、無数の小さな顔のない生物が鎖と毛羽を焼かれた縄を引いていた。
次元を渡るのはとても消耗することだ。我が主君には休息が必要だ。

ウドは高台に近づきながら嘲った。
「忠誠あるものとは、あなたのことだと思っていたわ。」

悲劇の仮面は、わざとらしく尊厳を傷つけられたそぶりを見せた。
そうとも、そうとも!他のものは彼を永遠に腐るままにさせただろう。私は、ああ、何と言うべきか、ただ永劫一つか、二つ分か?の間、主導しようかと思っているだけだ。
二つの震える姿が、大使の盗まれた身体の後ろで、光の中に現れた。片方は赤く、もう片方は黄色。彼らの仮面は不透明なエクトプラズムで形作られていた。
我々は今では皆意見が一致している。いくらか探索をしようじゃないか。
それは飢えたようにポータルを見た。

「へえ、そりゃあどうも。」
イバニェスは床の汚れを蹴り、モルタルの亀裂を顕にした。
「私たちは呼ばないで欲しいわね。」

なぜお前たちを呼ぶ必要があるんだ?
悲劇のしかめ面が戻った。
お前たちはどこにも行けないぞ。

「私は次元の割れ目を閉じることが出来るわ。」
ウドは反駁し、ポケットに両手を突っ込んだ。
「私を試さないことね。」

私は多くの定命のものを使い潰してきた。人間のことはよく知っている。
黒の君主は笑った。
扉を閉じれば、お前は多くのものを失う。それを二度と開くことはできない。それはすなわち死──

「万物は死ぬわ。」
ウドは唸った。
黙りなさいGo fuck yourself。」

「それはいまいち詩的ではないわね。」
イバニェスが注意した。
うるせえ黙れshut your trapと言うべきじゃないかしら。」

黒の君主は突進した。そしてウドは両手で掴んだコルベニクの砂をその油ぎった顔に投げた。次元の割れ目は音を立てて閉じ、イバニェスは手を鳴らした。何世紀もの埃と乾いた涙の下で、床の扉が開き、二人は別世界へと落ちていった。

彼女らの世界へと。

黒の君主は顔を拭い、油と混じった砂の塊を壁に跳ね飛ばした。
なるほど、そうか。見事だ。


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財団ミッション管制室


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「何か変化はあったか?」

主任地上管制官は微笑んだ。
「179は今では火星近くの衝突体を指しています。2578-Dは消失しました。」

リチャード・バーナード博士は彼に笑い返した。
「もっとすごいファシストがいるんだろう。」


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薄幕の展望台The Shrouded Mirador


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王宮天文学者は頷き、青ざめた鷹の仮面の裏で興奮しているように見えた。
「あれです!彼女は実際に閉じたわけではなかった、ただ空に移動しただけだったのです。御覧ください!」
彼女は装飾を施した黒い望遠鏡からどき、それから考え深げに眉をひそめた。
「失礼、目は……?」

大丈夫だ。
黒の君主はその下面を接眼レンズに押し当て、見えたものを見て喜びの唸りを上げた。コルベニクへの割れ目が、黄色い空の中で蠢いていた。それは千の、それを予想もしていない世界へと、今にも征服に向かえることを意味した。 天文学者は、そこにあるとわかっていれば(ほぼ)裸眼で見ることができ、可能性に胸を過剰なほどに踊らせていた。

待て、なにか別のものもあるぞ。
一瞬の間があった。
お前は発光信号を読めるか?

それが発生すると同時に、彼女はもう読み始めていた。非意図には天体はなく、他の秘術的な科目に費やす時間は無限にあった。黒の君主は彼女に見えたものを復唱し、翻訳が終わると、天文学者はメッセージを復唱した。

「進路を変更してください。これは警告射撃です。」

強いエネルギーのビームが割れ目から放たれた。それは一瞬で消え、黒の君主の額に輝く赤い穴が残された。それは観測所のタイルの上に倒れ、黒い血と溶けた陶器を流し、微かに呻いた。

なぜそうしたのか自分でもわからないまま、天文学者は接眼レンズを再び覗き込んだ。更なる発光信号があり、彼女は傍らの机から日誌を取り、義務感を持ってそれを書き写した。

「警告をお忘れなきよう。」



<ログ終了>
主文書に戻り、時間分析を完成させる.


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