アイテム番号: SCP-7242
オブジェクトクラス: Neutralized
特別収容プロトコル: SCP-7242はもはや脅威ではないと考えられています。SCP-7242に関する回収された全情報を再調査に備えアーカイブに保存してください。仮に追加の情報が利用可能となった場合、これらのファイルは更新されなければなりません。記録の保管を超える、さらなる収容プロトコルは適用されません。
万が一K-122の残骸が発見された場合、機動部隊により至急調査し、異常な活動のあらゆる証拠を早急に捜索してください。収容プロトコル実行の可否は発見物によって決定されます。
説明: SCP-7242は、K-122の名称で1963年に建造されたノヴェンバー型原子力潜水艦でした。保守管理と建造の記録のみならず写真や文書によっても、SCP-7242と当時の他の同型潜水艦の間に確認できる差異は存在しませんでした。
アノマリーの正確な性質は不明瞭です。機密指定を解除されたGRU-Pの記録は、一等航海士ヴァシーリー・ケストロフの証言のみならず、ある考察を提供しています。当然、これらの記述は全ての関係者がおのおの認知していたことに限定されています。以下の詳細は利用可能な記述から推定されています。
- SCP-7242はK-122潜水艦に関係していると考えられています。
- SCP-7242は乗組員の精神に作用しうるミーム的効果を発生させていました。これは多くの場合に幻視と幻聴をもたらしました。さらに乗組員の記憶を改変し、操作することも可能でした。
- K-122のシステムへのSCP-7242の支配力は最大でも極端に制限されていました。K-122の全ての機械は平常通り機能すると考えられ、ミーム的効果の影響から独立して動作可能です。
- 未確認ですが、潜水中にのみアノマリーの効果が発現した可能性があります。
しかしながら、ソ連の記録から異常な性質についての全情報が削除されたにもかかわらず、一連の事故はK-122が「呪われて」いるという評判をつちかいました。何人かの労働者がK-122の建造中に負傷または死亡したことが知られています。これは多くの場合には突然の事故によるものでしたが、それらの多くは起こりえないはずだったと生存者は主張しました。数人の労働者は声を聞いたことや幻覚を体験したことを報告しました。
奇妙な出来事にもかかわらず、これらの主張はソ連海軍によって迷信だとして早々に退けられ、建造のトラブルは隠蔽されました。進水の際にK-122の上でシャンパンの瓶は転がり、割れませんでした。1
K-122は、叙勲されたソ連海軍大佐ドミートリー・テラスコヴィッチの指揮下に置かれていました。当時、旧友のヴァシーリー・ケストロフを彼の艦の一等航海士にするため、テラスコヴィッチは彼の地位を用いました。1963年6月30日、K-122は処女航海となる大西洋における3か月の哨戒任務に出発しました。
補遺: ケストロフの日記
1963/6/31
艦は開放水域に入っている。北大西洋に移動せよというのが今の命令だ。妙な気分だ。一週間前は海軍歩兵の一兵卒だったのに、テラスコヴィッチが…彼は、信頼できる誰かが欲しかったんだろう。この地位に私を配転させるためにいくつかコネを使った。信じがたいようだが、私は自分が家族の誇りだと思っている。家族には海軍の一員としての長い伝統がある。祖父はポチョムキンに乗り組んでいた。いつか自分もそうなるだろうとはいつも思っていたが、本当になったとは。
テラスコヴィッチはこのときのため沢山の準備をしてくれた。今や、モスクワ川を彼と上り下りした全ての時間がとても役に立つものだと分かっている。
つらいのは狭い環境だ。とても狭く、周り全てを囲まれている。海面の塩っぽい空気にあたれないことを悟るが、この役に就いたとき何を相手に契約したかは分かっていた。105人の男とブリキ缶に閉じ込められているという状況は、厳しい事態を引き起こしかねない。しかし水中にいるとある意味興奮のような感じを覚える。艦は深いところにいる。この場所に来たことがあると言える人はそう多くない。
もちろんもし周りの海をいくらかでも実際に見られれば、もう少し興奮するだろう。艦に舷窓さえあれば。100人を超える男と金属の筒で日を送っていると、どんなに海が広いかということすら忘れやすくなる。
出航のときより多い乗組員がいる気がする。見覚えのない顔を見続け、乗員名簿で見た覚えのない名前を聞き続けている。時々どこでもないところから乗組員が現れるような気がする。だがこの艦には沢山の人が乗っている。一度もっと長い時間をともに過ごせば、もっと簡単に見分けがつくようになるだろう。
1963/7/2
K-122は今まで見事な働きを見せている。北緯75度00分28.0秒、東経24度42分48.4秒の座標において北大西洋で浮上した。テラスコヴィッチは乗組員を誇りに思っていると言った。彼は将校と飲むためにシャンパン一瓶を夕食に出してきた。どのようにK-122の全備蓄をシャンパンと、クルシェフが許せばだが取り換えるかについてのジョークを言った。だが彼は他の乗組員の精勤にも何らかの形で報いたいと思っていた。全員にいきわたるだけの酒を持ってこられなかったので、テラスコヴィッチはちょっと違うことを考えていた。
何に使うのか分からなかったが、彼は何とか蓄音機を艦に持ち込んでいた。娯楽のため乗組員にそれを贈ったのだ。さらによいことに、古典的な作曲家の作品が大半を占める数枚のレコードを持ってきた。皆とても興奮している。士気は向上したように見える。勤務中に音楽を聴くのを乗組員は楽しんでいるようだ。
1963/7/4
テラスコヴィッチが司令部から新しい命令を受領した。北緯43度55分19.9秒、西経59度30分30.3秒の座標に向け変針するよう要求されている。海図を確かめた-ノバスコシアの沖。大西洋の反対側だ。そこに展開するよう要求されるのは奇妙に思えるが、テラスコヴィッチは理由を言おうとしなかった。クレムリンからの命令だ、情報はneed to knowの原則下にあるとだけ言った。
祖国を疑うのは嫌だが、なぜカナダに向かっているんだ? 両国が最良の関係にないことは知っているが、あの国は明確な脅威をもたらしてはいないはずだ。核ミサイルさえ持っているかどうか? 飛行機事故はあったが、彼らは十字砲火を浴びているだけだ。相互確証破壊を望まないがため、クレムリンはカナダに対し確実に腹に一物抱えていない。
この任務には何か場違いなものがある。何も納得がいかないが、テラスコヴィッチは何をしているか分かっているようだ。最後には全ての意味が分かるよう願う。
1963/7/5
メルニクが急な熱で倒れた。ソボル2軍医が最善を尽くしているが、何が起きたのかよく分からない。昨日は元気だったのに、今朝になって急に倒れた。外、水中が見えると言い続けている。ありえるはずがない。舷窓などないのだ。どうにかして窓の幻覚を見てしまったんだろうか? 彼の心で何が起こっているのか理解できるとは言わないが、それは彼を不安にさせているのだ。
テラスコヴィッチと話そうとした。彼は冷淡に見え、メルニクの体調はさしたる問題ではないと主張した。一人にしてくれと我々に命じた。ほんの数日前にウォッカを皆にあげたのと同じ男だと想像するのは難しかった。
1963/7/6
ソバルの努力にもかかわらず、熱病は広がっているように見える。今やペトロフも病気だ。症状は同じようだが、もっと不安になるのは言っていることだ。彼は幻視に加えて外から声が聞こえると言っている-海から誰かが話しかけているように。そんなことはありえない、そうじゃないのか? けれどもちらちら外を見たとも言っている、水に浮いている死体らしきものを見たと。メルニクの幻覚とよく似ているように聞こえる。
不安を抑えられない。絶対にこれら全てを合理的に説明できるはずだ。たぶんペトロフはメルニクの話を小耳に挟んだだけで、それが心を離れなかったんだろう。論理的説明があるに違いないと分かってはいるが、胸底の声に表されるような小さな自分がいて、彼らが正しいという考えをどうにも振り払えない。何かが本当に外にいるという。
テラスコヴィッチは、任務を完遂しなければならないという重圧の下に置かれているようだ。彼はソバルに怒鳴り、「仕事をしろ」、メルニクとペトロフを治せと要求した。知り合って20年たつが、一度だってあんな風に誰かを怒鳴りはしなかった。司令部が我々に何を求めているにせよ、すでに彼がその代償を払っている。
1963/7/7
昨夜は眠れなかった。何か聞こえたように思えた。ほとんど耳へのささやきのように聞こえたが、何を言っていたのか分からなかった。始まってすぐに消えてしまった。その後にソバル軍医が船室に来て、メルニクとペトロフが医務室から消えたと言った。乗組員を助けようとしたが、テラスコヴィッチは私の命令を覆し続けた。皆に助けを求めようとしたが、彼は任務に戻れと言い続けた。消えた乗組員を気にしなかったように。
ペトロフの遺体は魚雷発射管室で見つかった。どうやったのか分からないが、どういうわけか彼はある将校から何とか拳銃を盗んで、彼自身を撃った。メルニクはどこにもいなかった。そんなことがありえるんだろうか? 艦外に飛び出したはずはない。水中の潜水艦に人が隠れられる場所がいくつある?
もし…いや、そんなはずはない。発射管に体を詰め込んだだろうっていうのか?
ここでは何かがおかしい。何が起きているのか分からないが、深く潜るほど、何かの中に捕らわれているという考えが強くなる。
1963/7/8
テラスコヴィッチは30ノットまで増速するよう命令した。その後に彼のところに私を呼んだ。彼はウォッカの瓶を持って座っていて、グラスにはもう注いであった。瓶を私に手渡してきた。彼は衝撃的なことを明らかにした、誰にも言うのを許されないことだ。彼が受領した命令-何かが起きているのではないかと疑っていたが…まさかこれだったとは。
ついに起きたのだ。皆、可能性があると知ってはいたが、起きないだろうとひそかに思っていた。アメリカがクレムリンめがけて核ミサイルを発射したということだ。モスクワは放射線を浴びた荒れ地になった。命令は、この艦から合衆国にミサイルを発射せよというものだったのだ。
信じられない。とても現実感がないが、さらにもう一つ困惑させることがある。なぜカナダに向かっているんだ。テラスコヴィッチはそこが最良の発射地点だと主張するが、納得できない。アメリカの海岸に近づいた方がいい、そうじゃないのか?
彼の理由が何にせよ、状況はかなり悪くなった。こんな経験をするとは思ってもみなかった。
1963/7/10
艦が何かに衝突した。実に突然のことだった。直前は全てうまくいっていた。次の瞬間、何かにぶつかった音が聞こえた。艦全体が足元で揺れたようだった。私は床に投げ出された。ソバルは数人のけがの治療をしなければならなかった。まるで山にあたったようだった。
テラスコヴィッチは激怒した。そして私を非難した。私を無能と呼び始め、一等航海士の地位につけてやった恩を忘れたと責めた。
海図を確認すると唯一の疑問があらわになった。私が言える限りでは、あのときは皆うまくやっていた。あそこに海山があったはずはない。今の座標には水以外のものは何もなかったはずじゃないか? ならどうやって海山にあたった? もしくは他の何かに? もしそうなら、それは何だ?
皆いらいらし続けている。彼らが合理的になってくれればと願ったが、この混沌に入り込むにつれ、それはどんどんややこしくなっていくようだ。テラスコヴィッチは、家がすでに破壊されてしまったかもしれないと私が乗組員に言うのを望まなかった。今ではロシアには何も残っていないかもしれない。しかしここでそれを信じるのは難しそうだ。
もしテラスコヴィッチの言う通り悪い状況なら、今までにその影響を確実に感じ始めていたはずだ。原子炉の外に放射能の兆候はない。海流は完全に平常通りのようだ。おそらく我々は少し深すぎるところにいるのかもしれない、分からないが。
1963/7/11
幸運なことに、損傷にもかかわらずまだ艦は機能している。何とか外殻貫通は避けられたが、次は万に一つもないだろう。チャイコフスキーが死んだ。海山にあたったとき脳震盪を起こしたのだ。今朝ソバルが死亡を宣告した。他に3人が危篤状態で、医療用品は限られている。
乗組員はまたストレスをためている。何人かは、テラスコヴィッチへの不満を表明するため私のところに来るようになった。艦長と乗組員のどちらかを選ばなければならないかもしれないことが怖い。けれども、テラスコヴィッチを選べる余地はあまり残されていないように見える。
流血なしにこの事態を終わらせる道を見つけたいと思っているが、それは不可能に思えてきた。
1963/7/12
オルロフが近づいてきたとき、私は艦橋にいた。彼は個人的に話せるか尋ねてきた。私の船室で話し合い、乗組員が怖がっていると聞かされた。皆、自分たちが死に向かっており、テラスコヴィッチは意見を聞こうとしないと感じている。彼は、何が起こるか恐れている、何かがとてもおかしいと感じると述べた。何かが外にいて、我々を見ている感じがするとも言った。ここ数日の後では信じるのは難しくなさそうに思えた。
最後に彼はある試みについて乗組員が話し合っていると認めた…テラスコヴィッチから指揮権を取り上げることについて。この試みを承認したくないのはやまやまだったが、テラスコヴィッチはいかれすぎていた。この任務は高くつきすぎていたのだ。
好きでやりたいわけではないが、今や行動すべきときだ。我々はテラスコヴィッチと対決することになるだろう。彼が理性を取り戻すとは思えないが、ことによると祖国に帰れるときまで押さえつけておけるかもしれない。心に巣くっているものが何であろうと支配力を失い、最後に我々に感謝するときが来るかもしれない。
1963/7/13
懐中電灯を使って、暗闇でこれを書いている。我々がここで消えていくように思える。艦は沈んでいる。どうやってこんなに深いところまで来たのか分からないが、艦が沈んでいるのを感じられる。万が一最悪のことが起きたら、耐水性の容器にこの日誌を入れて、海に流すつもりだ。それが、ここで何が起こったのかについての記録があることを示し、誰かの遺物として読んでもらうために最低限できることだ。
オルロフがテラスコヴィッチに近づいて、乗組員の意見と指揮権を取り上げるという決定について説明した。テラスコヴィッチは即座に彼を撃った。気がつくと残りの乗組員が反乱を起こしていた。テラスコヴィッチは、私のところに来るまでに最低でもあと5人を撃った。彼は私を裏切り者と呼び、銃を頭に向けてきた。
私はただ立っていた。この男をずっと知っていた。こんな風に敵対するだろうとは思いもしなかった。彼が撃てるようになる前に照明が消えた。私は走った。自分がどこにいるかなんて気にかけなかった。ただテラスコヴィッチから離れなければならなかった。周りに隔壁があると思い込もうとしながら扉を探した。しまいにジマに出会い、彼は懐中電灯をくれた。
何が起きたかそのとき分かり始めた。暗いだけじゃなく、しんとしていた。もう数人を見つけたが、皆が怖がり、混乱していた。艦の全システムが機能していないように見えた。
コヴァルチュクを機関室で見つけた。機関を修理する方法を知っているかと期待していたが、事態はもっとひどくなった。彼は、総点検している最中だが、全く異常を見つけられないと言った。原子炉を点検するのを手伝ったが-完璧な状態だった。少しの異常さえなかった。
何も壊れていないように見えたが、艦の全システムはまさに同時にダウンしたのだ。
艦橋に戻る勇気がついに出たとき、テラスコヴィッチが潜望鏡を通して何かを見つめているのを見つけた。この深さで何が見えると期待していたのか分からないが、何かに執着しているように見えた。
私は、ずっと家族の誇りになりたいと願ってきただけなのに。皆が望んでいた息子になれてたらよかったのに。
19683/7/14
照明はまだ消えたままだ。我々は闇に閉じ込められ、絶望的な選択肢しかないように見える。機能するトイレすらないのに、誰も何の機械的な故障も見つけられない。糧食の配給はできるかもしれないが、もし浄化装置を稼働させられなければ、空気がそうもつか疑わしい。よどんできているのだ。臥せっている者が多くなっており、数人はすでに死んだ。遺体をどうすることもできないから、今や悪臭さえ広がっている。
しかしこの闇には何か自然とは思えないものがある。光がないだけじゃない。懐中電灯からの光をどういうわけか吸収できている。すぐ前より遠くは照らせないのだ。
さらに艦内でどんどん不案内になっていっていることにも気づいている。あまりに皆そろいもそろって、歩き回ろうとして迷子になり始めている。扉は整然と並んでいない。私は機関室に行こうとして、気がつくと調理室にいた。来た道を戻ったら発射管室に着いた。
テラスコヴィッチを見つけられていない。照明が消えたときには艦橋にいたが、そこにはたどり着けそうにない。何度かやってみたが毎回違う船室に着いた。我々を別の方向に行かせるため、何かが区画配置を変えているように感じる。そんなことがありえるんだろうか?
日誌の容器を準備しておこう。24時間経って何の成果もなければ、海に流そう。
1968/7/15
こんな奇跡があるのは極めて稀だが、我々はそれを体験したばかりなんだろう。何が起きたのか分からないが、全ての機械が再び機能し始めた。照明は突如として元に戻り、機関は動き始めた。この2日間に経験した停電が全く起こらなかったかのように、全てが再び機能しているように見える。安心は艦を少し静かにさせたようだが、嵐と嵐の間にある一時の静けさにすぎないのではと心配だ。
この悪夢から逃れるチャンスがあるかもしれないことにほっとしているが、テラスコヴィッチが進み続けろと命令しているのだ。再浮上したかった。K-122があとどれだけもつか分からない。現時点では、たとえ放射性の荒れ地になっている世界にいるとしても、チャンスをつかむことがよりよいことではないだろうか。しかし彼は聞こうとしなかった。代わりに指揮の任を解き、活動を持ち場に制限すると命じてきた。
誰もあの命令を支持してはいないし、このままでは再び反乱が起きるのはひとえに時間の問題だろう。
1968/7/16
ついに起きた。全てが間違った方に向かっていた。誇れることをやったとは言えないが、誰かが行動しなければならなかった。誰かが狂気を終わらせなければならなかった。テラスコヴィッチ艦長は死んだ。尊敬していた、航海の仕方を教えてくれた男-その死の責任は私にある。けれども、まるで彼はすでに死んでいたかのようだという思いをまだ抑えられない。最後の瞬間に見た男は、モスクワ川の舟遊びに連れて行ってくれた男ではなかった。
海面にアメリカの駆逐艦を発見した。だが私は何か変だと気づいた。我々は駆逐艦の動きを海図に記してみた。定期哨戒の航路上にいるように見え、海上では何も起こっていないようだった。今や私は衝撃的な結論に直面している。テラスコヴィッチは嘘をついた。我々の頭上で戦争など起こっていないのだ。しかしなぜこんな嘘をつこうとしたんだ?
乗組員は必死になっていた。我々を助けられる者が初めて現れたのだ。敵かどうかなんて気にかけなかった。ジマはテラスコヴィッチに降伏してくれと懇願した。彼はジマを臆病者、祖国の裏切り者と呼んだ。私は割って入ろうとしたがあっさり押しのけられ、裏切り者はふさわしく罰されるべきだと言われた。私は何とか彼をつかんで、手から銃を取り上げた。ジマが逃げるには十分な時間だった。
けれどもまだ終わらなかった。まもなくテラスコヴィッチが皆を発射管室に呼んだ。着いたとき、彼がジマを拘束しているのを見た。どうもアメリカの艦と必死に連絡をとろうとし、その最中に捕まったらしい。テラスコヴィッチは、彼がアメリカ人に重要機密を渡しているスパイだと主張した。それでも私はこの目で見た彼の行為をどうしても忘れられない。
彼はジマを見せしめにすると言った。発射管を開け、哀れな若者を押し込み、閉じるのをよく見るよう命令した。その後に発射シーケンスを作動させた。
その瞬間に何かが変わった。何かしなければならないと分かっていた。誰かが狂気を止めなければならなかった。レンチを見ると、突如として憤怒の感覚が私を呑み込んだ。艦長が背中を見せるまで待ち、近づいた。これほど出せるとは知らなかった力で、頭めがけてレンチを振り下ろした。
遺体を見てはじめて、やったことを完全に理解した。殺したくはなかったが、他にどうすればこの悪夢を終わらせられただろうか。テラスコヴィッチが逝くとともに、今や私が指揮を執り、乗組員に浮上を命令できるようになった。
艦橋に行き、命令を下し始めた。艦を浮上させた。乗組員は出航以来見たことがないほど熱心に働いた。
1963/7/17
ついに静けさが訪れた。海面に出て一日がたった。どんな水中の危険も冒したくないが、全て秩序だって機能しているように見える。もしかすると何が起きているのか入渠検査でより明らかになるかもしれない。さしあたり皆、生きていることをただ喜んでいる。冷たいそよ風と新鮮な空気にあたりながら、甲板でこれを書いている。停電のときにはどちらもまた経験するだろうとは思わなかった。
安らかに眠らせるため、斃れた乗組員の遺体を横たえた。彼らは水葬で送られた。テラスコヴィッチが沈められるときは見ていられなかった。まだ逝ったことが信じられない。
救難信号を発した。残りの物資は救出されるまではもつだろう。今や乗組員は私が提供できる休息を全て享受しているようだ。さらなる任務は頼んでいない。
テラスコヴィッチの結末についての尋問があるだろうことは分かっている。答えられるよう最善を尽くそう。誰も信じないのではと疑っているが、他に何を言おうというのだろうか? 今のところは静かな波をただ楽しむつもりだ。けれども帰還したとき洪水を恐れはしないだろう。
あそこで何を経験したのかは分からない。おそらく確実にこれから分かりもしないだろう。憶測を伴って想像はたくましくなる。気づくと我々がぶつかったかもしれない古伝の海の怪物を想像している。あれが何であったにせよ、もはや我々に影響を及ぼしているようには思えない。どこか他のところにいるに違いない。
補遺: GRU-Pケースファイル
残存していた乗組員が救助された後、ケストロフはテラスコヴィッチの死の責任が自身にあると主張しました。ケストロフが出来事の証言を試みていた間、この行動はほどなくしてKGBの捜査を招きました。異常な出来事に関するケストロフの供述は当初KGBに軽視され、叙勲された将校の殺害という反ソ活動の罪で彼を告発する準備が整っていました。しかしながらGRU-P将校のセルゲイ・ヴェロニンに証言が届いた後、ケストロフはひそかに放免されました。
以下は、1991年に機密指定を解除されたGRU-Pの公式報告書の一部です。
OSI: K-122
承認済: 16-VII-1963
署名………….S
責任者: セルゲイ・ヴェロニン
課長: ボリス・メドヴェード海軍大佐
詳細: K-122は、1963年6月30日に3か月の哨戒任務に配置されたノヴェンバー型原子力潜水艦の名称である。1963年7月14日、K-122は、死亡していたドミートリー・テラスコヴィッチ艦長を含む数人の乗組員とともに、海上を漂流していたところを発見された。ヴァシーリー・ケストロフ一等航海士は、K-122の艦内における多数の奇妙な出来事について供述した。乗組員への取り調べは同様の証言を引き出している。添付されている日記を参照せよ。
K-122に関連する事件はケストロフ一等航海士への非難を引き起こしている。しかしながら利用可能な証拠を再調査した後、本職は、彼の証言はいくつか細かい点でつじつまが合わないと気づいた。ケストロフの記録は、テラスコヴィッチを殺害する論理的な動機を何ら提供していない。実際もっともな理由はなかったと考えられる。
本職はケストロフを取り調べ、彼の証言を収集している。証言はKGBの報告書で軽視された供述と一致しているが、いくつか異常な点に気づいた。彼は、テラスコヴィッチがノバスコシア沖からミサイルを発射せよという命令を受領したと主張している。しかしながら本職が調査した結果、テラスコヴィッチ艦長は航海中の無線封止を保つよう明確に命じられていたこと、この規定がいかなる手段によっても破られたと示している記録がないことを発見した。
本職はこの問題をより深く調査する予定である。ケストロフが水棲のアノマリーを発見したということ、潜水艦に関連して異常な何かが存在しているということ、いずれもありうる。仮にこれが正しい場合、それは我が海軍にさらなる危険をもたらしうる。何であるのか特定しなければならない。
推奨手続き: K-122は、異常な特性を適切に解明することが可能であればそのときまで、海軍の使用に再び供されるべきではない。損傷を受けたことによる解体という口実の下、保安施設にK-122を移送することを推奨する。さらなる尋問の後に生存している乗組員の釈放を認める。潜水艦の「呪い」に関する噂の拡散を促す。
公式記録は、K-122が処女航海で損傷を受けたため解体されたことを示しています。
実際には、GRU-Pがさらなる調査のため非公開の乾ドックに移送しました。GRU-Pの調査結果は全ての公開記録から削除されたと考えられています。K-122の最終的な位置と結末は不明のままです。