SCP-8004


評価: +24+x
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RAISA — 死亡証明書

財団ID番号: K832-127L


名前: ヴィンセント・B・ボハート

生年月日: 1969/03/31

役職: 管理官

財団施設: サイト-333


死亡年月日: 2024/02/19

死因: 自発的窓外投身 (非自殺)

故人の近親者及び関係者: シャーロット・ボハート、母親。

生命保険金支払額: $0.00 USD
注記: 故人は度重なる説得にも拘らず、ゴールドベイカー=ラインツ社の関連保険を解約した。

追加情報: SCP-8004を参照。








SCP-8004


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ネバダ州ラスベガス — サイト-666

デーモン・ピット: ティキバー 兼 カラオケラウンジ

監視カメラ映像 — 1991年2月12日、2:22 am


普段なら賑わっているバーには、照明の不十分なべたついたテーブルに座る1人の人影を除いて、誰もいない。人影の前には装飾的なティキ・マグカップやコップが多数散乱している。人影は無人の店内に低い音量で流れている音楽に合わせて調子外れに歌っている。

暗色の長いローブを頭から被ったもう1つの人影が、カメラの視点内に入ってくる。当該実体は顔をフードで覆い隠し、片方の肩に雑草刈払機を担いでいる。実体は座っている人影に近寄り、椅子を引いてテーブルに着席する。

ヴィンセント・ボハート: どっかのコンベンションに来たコスプレ野郎じゃなさそうだな。

不明: 答えはお互い承知の上ってな。おうおう、俺も荒れてる連中をそれなりに見てきたつもりだが、ヴィンセント、おめえ。酷え面してるぜ。

ヴィンセント・ボハート: お前みたいなのがここに来た時点で、もう大した問題じゃねぇよ。お前は… [ヴィンセントはペリカンの形をしたマグカップで実体を指しつつ、マグカップからカクテル傘を外す] …こう、どういうタイプのアレなんだ?

実体はテーブルの向こうへと腕を伸ばして、骨格だけの手を露わにし、笑みを浮かべた骸骨の形の陶製マグカップを掴む。実体はフードの下にストローを持っていき、飲んでから返答する。

SCP-6292: 俺は笑えるタイプの死神さ! こりゃ何だ、ペインキラーか? それともゾンビ? こういう名前のカクテル、良い趣味してるぜ。ハリウッドでこいつの流行をおっ始めたのはラム酒の密売人だったって知ってたか? 最高の時代だった - ま、俺にとっちゃな。死と酒、これ以上のコンビがあるなら言ってみやがれってんだ。まだバーテンダーはいんのかな? もう1杯どうよ?

ヴィンセント・ボハート: その“もう1杯”が俺を殺すかどうかによる。カクテルの添え物で窒息死なんて嫌だぜ。

SCP-6292: 相棒、おめえはディーラー席を立った時からもう死んだも同然よ。それも文字通りの意味でだ。そりゃ誰だって胴元ハウスが勝つのは予想済みだとも、ここはベガスだもんな。でもよ、あいつらがギャンブルをやるホントの理由は、負けを最小限に抑えるためなんだぜ。おめえは最後の最後で気を抜いた。欲を出し過ぎた。自覚はあんだろ、さもなきゃ外で祝杯を挙げてるはずだ — こんなシケた店じゃなくてな。

ヴィンセント・ボハート: そんなとこだ。あいつらにもバレたかな?

SCP-6292: どの連中を指して“あいつら”と言ってるかによる。あのテーブルにゃ沢山の目が向けられてた。おめえが思ってる以上にだ。事によると、カジノのドアをくぐって外に出た途端にJFKみたいな有様にされちまうかもな - JFKと言やあ… おい、あの男がどう死んだか知ってっか。面白え話があるんだよ。

ヴィンセント・ボハート: いい加減にしろ! 俺はもう破滅だ - あのラウンドの結果にはどデカく賭けたんだ。それが全部台無しになって、それでお前は何しに来た? 傷口に塩を塗りに来たのか? 失せろボケナス。どうせ死ぬんならわざわざサタンと罪の合いの子からきざったらしいニヤニヤ笑いでもって見下ろされながらハゲタカみてぇに待ち構えてもらう必要なんかありゃしねぇんだ。

SCP-6292: まぁ落ち着けや、ミルトン並に表現力豊かだな。俺はおめえを浮世から刈りに来たわけじゃねえ。別な逃げ道を用意してやろうってんだ。

ヴィンセント・ボハート: は?

SCP-6292: まだ生きていてえだろ? おめえみてえな奴は大抵そうだ。おめえをこっから連れ出して、追っ手が探そうともしねえ場所に隠れさせてやるよ - もし見つかっても、わざわざ捕まえに行く気にもならねえ場所にな。永遠とまではいかねえが、あと33年の猶予をやる。その人生を最後まで全うできるかどうかはおめえ次第だ。そんでも、ここに留まってるよりは勝算が高いぜ。

ヴィンセント・ボハート: なんか裏があるんだろ?

SCP-6292: やり方を教えろよ。テーブルに並べたカードの柄をおめえの思い通りにできる例の手品のからくりを、順を追って俺に説明してくれや。俺もおめえと同じゲームをしてるんだよ、ヴィンセント、ただ規模がでっけえだけでね。協力してくれるんなら、33年待ってやる。

ヴィンセント・ボハートは飲みかけのティキ飲料をテーブルから取り、ストローで1分以上吸い続ける - 飲み干した後もしばらくそうしている。彼は空になったマグカップを下ろし、ブレザーのポケットに手を入れ、輪ゴムで束ねた1セットのトランプを取り出す。

ヴィンセント・ボハート: オーケイ、乗った。実演してやる。ただ、その前に、行き先を聞いていいか?

SCP-6292: アトランティックシティって知ってっか?


アイテム番号: SCP-8004
レベル4
収容クラス:
euclid 
副次クラス:
{$secondary-class}
撹乱クラス:
vlam 
リスククラス:
caution 

CardBanner.jpg

SCP-8004の実行に用いられる物品 [トランプ] の一例。


特別収容プロトコル: ヴィンセント・ボハートはSCP-8004を実行できる唯一既知の人物です。ヴィンセント・ボハートは1991年にサイト-333に転勤となり、現在はサイト管理官を務めています。ボハート管理官による別な財団サイトへの転勤要請は却下されます - 能力不足、道徳心/倫理観の欠如、予算/リソースの不適切な配分、及び/またはその他の苦情を理由とする管理官の地位からの解任要請も同様に拒否されます。現時点では、それ以上の特別収容プロトコルは必要とされていません。

説明: SCP-8004は、“ディーラー”の役目を務める人物が、標準的な52枚1組構成のカードデッキから配られるトランプの順序を操作することを可能にする異常な手品です。これはデッキをカード奇術的重ね合わせ状態にする特定のシャッフル方法によって行われ、ディーラーはその状態のデッキから引いた各カードに絵柄と数字を直接割り振ることができます。この段階で別な人物がデッキに触れると - または何らかの形でカードの並びを乱すと - 重ね合わせは崩れ、カードは非異常なやり方でシャッフルされたかのように決まった順序になります。

事実上、SCP-8004を実行するディーラーは、成立し得る 80,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000 (52!) 通りの並びをカード単位で選択することができます。

SCP-8004は多種多様なカード操作手段の中でも、検出可能な奇跡術痕跡、EVE放射、アキヴァ放射、ヒューム値変動を全く伴わないという点で特異です。物理的なシャッフルとカード分配の手法を見分けるのが、SCP-8004の実行を見抜く唯一の方法だと仮定されています。SCP-8004の実行に関する文書記録には幾つかの矛盾があり、再現の試みはこれまでのところ成功していません。

通達: SCP-8004クリアランスレベル
2018年のサイト管理官地域会議 (東部沿岸区) での事件に続いて、SCP-8004のファイルは機密解除され、過去及び今後の会議出席者たちに配布されました。これはボハート管理官が業務時間外に主催する賭博行事への参加を抑止するための措置です。


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サイト-333の現在の所在地である、アブセコン灯台と併設建造物を描写した絵葉書。


サイト-333 監視映像 — 管理官オフィス

11:42 am — 2024年2月12日



ヴィンセント・ボハートがオフィス椅子に前のめりに座り、サンダルを履いていない片足をデスクに乗せている。彼は足の親指を見つめながら、爪の下に潜り込んだゴミをレターオープナーで取り除こうとしている。

ヴィンセント・ボハート: このっ - もうちょい -

頭上の照明がちらつき、1個の電球が切れて、部屋の奥の隅が影に包まれる。1体のヒト型実体が暗がりから出現する。この実体は、幾つかの染み汚れが目立つボロボロの黒いローブで身を包んでいる。

ヴィンセント・ボハートは実体の出現に気付かず、話しかけられるまで作業に気を取られている。

SCP-6292: よう、ヴィンセント。お久し -

ヴィンセント・ボハート: うわぁあ!

ヴィンセント・ボハートは衝撃を受けた表情で顔を上げた後、後ろに反り返る。その際、彼はレターオープナーを足爪の下に押し込み、そのまま手放してしまう。彼は反射的に足をデスクから振り上げ、バランスを崩す。オフィス椅子の背もたれが壊れ、彼は勢いよく床に転倒する。ヴィンセント・ボハートは一瞬呆然としているが、すぐに気を取り直して実体と対峙する。

ヴィンセント・ボハート: ジーザス石投げクライスト、一体全体なんだってんだ。

SCP-6292: 悪いな、ヴィンセント。タイムアップだ。それにしても… [SCP-6292は骨格だけの片手を振り、身振りでオフィスを指す] 随分と猶予を有効活用したらしいな?

ヴィンセント・ボハート: それ以上近付くんじゃねぇぞ。どうやってここに潜り込んだ? このオフィスは聖別してもらったはずだ!

ヴィンセントは素早く、壁に取り付けられた、表面にラテン文字が刻印されている真鍮の銘板を指す。

SCP-6292: よっしゃ、まずその1、ありゃラテン語じゃねえ。スペイン語で“アホ”って意味だ。その2、20ドル払えば遊歩道で結婚式を挙げてやるってのを売りにしてたその男は、正規の神父じゃねえし、司式者の資格すら持ってねえ。その3、俺はそもそも悪魔じゃねえ - おめえらの専門用語を借りるなら、俺は“知性あるクラスXII神学的現実改変能を有するヒト型実体”“死の概念の概念物理学的具現体”だ。だが、おめえにとっちゃ、こんな話はみんなどうでもいいこった、なぜなら… これは強調しておかねえとな…

SCP-6292はローブの中に手を入れ、銀の枠に収まった砂時計を取り出す。ガラス部分の下半分に大きな砂の山が形成されており、SCP-6292が砂時計を持ち上げると、狭い漏斗に収まっていた最後の一粒が落ちる。

SCP-6292: もう時間切れだ。

ヴィンセント・ボハートは砂時計を、次いで視線を上げて骸骨型実体を見つめる。

ヴィンセント・ボハート: ハッ、惜しかったな。引っ掛からねぇよ。

SCP-6292: そ — うん?

ヴィンセント・ボハート: 1ドルショップの商品にしちゃ、なかなか良い出来のハロウィン仮装セットだが、イカサマかどうかはこの目で見りゃ分かる。もう脱いでいいぞ。

ヴィンセント・ボハートは壊れたオフィス椅子に座り直し、デスクの上の書類を適当に弄り始める。彼はSCP-6292を素早く横目で盗み見しながら、地元のレストランのテイクアウトメニュー表に署名し始める。

SCP-6292: 何してんだよ。

ヴィンセント・ボハート: 仕事だ、見りゃ分かんだろ。

SCP-6292: おめえ - まさかハッタリで乗り切ろうとしてる? 無視すりゃ俺が帰るとでも思ってんのか?

SCP-6292はデスクの前に回り込み、軋む椅子に勢いよく腰を下ろす。SCP-6292はデスクに砂時計を置き、ローブの中からビール瓶を取り出すと、左前腕の骨の間にキャップを挟んで捻る。発泡音と共にキャップが外れる。

SCP-6292: ここまでマヌケな計画じゃなきゃ、その厚かましさを褒めてやりてえよ。せっかくドラマチックな展開を計画してたってのに。おめえは駆け引きをしようとしたり、嘆願したりするはずだった。俺はしばらくストイックな態度で構えてから、譲歩するつもりだった。そして新しい取り決めを - おい、おめえには威厳ってもんがねえのか。

ヴィンセントはペンを取り落とし、SCP-6292を再び見つめる。

ヴィンセント・ボハート: 新しい何をするって?

SCP-6292: あー、気にすんな。おめえの選択だ、すぐ刈り取ってやるよ。刈払機は外に置いてきちまった - 逃げたいなら俺が取ってくる間に走り始めていいぞ。

ヴィンセント・ボハート: 待て待て! ちょっと時を戻そう。交渉がどうとか言ったな。交渉ならいつでも応じる!

SCP-6292: 俺は“嘆願”って言ったんだ。

ヴィンセント・ボハート: そっちも応じるよ! 土下座すりゃいいのか?

SCP-6292: 正直な話、そうしてもらえりゃ少しは気が晴れるかもしれねえけど、いや、もうその瞬間は過ぎた。

SCP-6292はローブから追加2本のビール瓶を出し、同じように開封してから、片方をヴィンセント・ボハートに手渡す。

SCP-6292: あのな、ヴィンセント、おめえが知ってるかどうかは知らねえ - だからおめえは知らねえって方に賭けようと思ってんだが、知ってっか?

ヴィンセント・ボハート: え… いや?

SCP-6292: なら多少は手間が省けるな。いきなりだが本題に入る。おめえに教わった例の手品はもう何十年も役に立ってる。俺は時々ポーカーの勝負を -

ヴィンセント・ボハート: だから見逃してくれるってことか?

SCP-6292: 先を急ぐんじゃねえよ。おめえにチャンスをくれてやる、ヴィンセント。もっと生きる時間を稼ぐ機会だ - 盗むんでも、せびるんでも、騙し取るんでもねえ。稼ぐんだ。

ヴィンセント・ボハートは少しの間沈黙しているが、やがてSCP-6292が提供したビールを大きく呷る。

ヴィンセント・ボハート: 成程な。命には命を、ってか。誰を殺ればいい? 実は今回が初めてなんだが、こうなったらもう仕方ねぇ。

SCP-6292: 失礼を承知で言うけどな - まぁおめえに対して失するような礼は元から大してありゃしねえけど - おめえに人殺しを助けてもらう必要は、これっぽっちもねえし、むしろいい迷惑だ。 違う、ヴィンセント。おめえが条件を満たしたら、俺は喜んで手札を返して、このささやかなゲームを打ち切ってやるよ。

ヴィンセント・ボハート: その条件ってのは?

SCP-6292: 3つの無私の行為だ。おめえが今週のうちに心底から無私無欲の行いを3つ実行したら、あと33年生き続ける猶予をやろう - いや、35年でもいいぞ。90歳までってのはどうだ? それだけ生きりゃ、老人ホームの恥さらしになれるぜ。これがラストオーダーだ、ヴィンセント。今注文しないならもうチャンスはねえ、バーは永久に店仕舞いだ。

ヴィンセント・ボハートは椅子にもたれかかり、ビールを飲み干し、長い溜め息を吐いてからSCP-6292に視線を戻す。.

ヴィンセント・ボハート: 誰かを身代わりにぶっ殺して手打ちってのはマジでダメかな?



第一の行い


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サイト-333 — 部門間テキストベース交流ログ:
2024/02/12 — 2:37 pm (EDT)
  • ヴィンセント・ボハート、管理官
  • ノア・パテル、未確認動物学者 兼 博物館学芸員

ヴィンセント・ボハート: おう、ノア。調子はどうだ?

ノア・パテル: なかなか順調だよ、ボス! さっきはギフトショップに家族連れが来て、ソルトウォーター・タフィーを買ってくれたんだけどね、その家族の子供が店内ですぐ食べ始めちゃったんだ!

ヴィンセント・ボハート: あー、うん、そりゃ良かったな。

ノア・パテル: その後、その子がゲロしちゃってね、ちょっと後始末に追われてる。モップは見つからなかった。

ヴィンセント・ボハート: ほうほう、そうか、素晴らしいな。実はお前に訊ねたいことがあるんだ。

ノア・パテル: うん、どうかした?

ヴィンセント・ボハート: うーん、切り出し辛いな。お前、こう、なんか必要なもんはないか?

ヴィンセント・ボハート: 5ドルぐらいコーヒー代にくれてやろうか? それとも今日は上等な方のホチキスを使わせてやろうか、針がつっかえないやつ。

ノア・パテル: 話が見えてこないなぁ、ボス。なんでそんなことを訊くんだい?

ヴィンセント・ボハート: いやいや、気にすんな。ところで、オフィスを整理してたら古いファイルフォルダーがどっさり出てきたんだが、ファイルフォルダーは好きか?

ノア・パテル: 確かに便利だけどね。でもちょっとどう答えたらいいか困ってる。

ヴィンセント・ボハート: 俺はただ… 手助けしたい。だから何か必要なもんがあれば言ってくれ。例えばモップ探しとかもできる! トニーにお前の掃除を手伝うように言うのも数の内に入るかな? ルールがよく分からん。

ノア・パテル: そっか、だとすると1つお願いがあるんだ。

ヴィンセント・ボハート: おぉ、いいとも。話を聞こうじゃないか。どのぐらいヤバい状況だ? 俺に何を期待してる?

ノア・パテル: あのね、もしどうしてもって言うのなら、今日は終業後にジャージーデビル捜索に行く予定なんだよ。だから一緒に来てくれると嬉しい! 普段は私一人だけだから、ちょっと寂しくてね。

ヴィンセント・ボハート: ケッ。

ノア・パテル: 大丈夫?

ヴィンセント・ボハート: あーいや、つまり、“結構!”って言いたかったんだ。是非とも蚊がうじゃうじゃ飛び回ってる湿地帯を歩きながら、絶対にお前の妄想の産物なんかじゃない生き物を探したいと思ってるよ。

ノア・パテル: やったぁ! 仕事が終わったら早速出かけよう! ここの誰かが同行したくなった場合に備えて、しばらく前に装備をもう1セット用意しておいたから、荷物の心配は要らないよ!

ノア・パテル: ああ、それと私の論文 “ニュージャージーデビル考察 - 改訂版” の控えを、あなたのデスクに置いておくよ! 未確認動物学部門と神話・民俗学部門に掲載拒否されて以来、新しい理論を沢山追記したんだ。悪魔学部門にも断られた。概念物理学部門は返信してくれなかったからメールアドレスが間違ってたんだと思う。

ヴィンセント・ボハート: いえーい。



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ポータブルカメラリグから回収された映像

5:42 pm — 2022年2月12日



ヴィンセント・ボハート: ノア、この機材ときたらとんでもねぇ重さだぞ。ところでここはどこだ?

ノア・パテル: グレート・エッグ・ハーバー川、今週のデビルハンティング・スポット。いつもなら遠足をライブ配信してるんだけど、せっかくあなたが来てくれたんだから、今回は二人きりの方が良い気がしたんだ - 絆を深めるためにね!

ヴィンセント・ボハート: どうしてジャージーデビルがその辺の橋の下に出没するんだ?

ノア・パテル: 他の未確認動物とも相互参照して判断してるんだ、ほら、トロールとかそういうの。先週末はグレート・ディズマル・スワンプまで足を運んだよ。

ヴィンセント・ボハート: どうして“陰鬱な沼地”ディズマル・スワンプなんて名前の場所に行こうと思った?

ノア・パテル: そりゃあ、素敵な名前だと思ったからさ。分かるだろう?

ヴィンセント・ボハート: 分からん方が幸せだった。とにかく、何も見当たらないぞ。今日はこれで切り上げようか。よくやってくれた、諸君。それともジャージーデビルが冷房の効いたカジノで寛いでるかどうか調べに行くか?

ノア・パテル: ハハ、いいねぇ、ボス。さぁ、日が落ちる前に出発!

ノアは自信ありげに、腰の高さまである湿原の草むらを歩き始める。ヴィンセントも1歩前に踏み出し、湿った土に脚が沈んでよろめく。彼は足を引っこ抜き、泥まみれの靴を見て、溜め息を吐いてから歩き続ける。

ヴィンセント・ボハート: ニュージャージーデビルのクソッたれ。


ヴィンセント・ボハートとノア・パテルは約2時間、この地域を歩き回る。ノアが頻繁に立ち止まって双眼鏡で地平線を見渡す一方で、ヴィンセントは携帯電話の電波受信を確保しようと試みる - やがて彼は携帯電話を泥の中に落としてしまう。

湿原を幾度か周回した後、2人は近くの橋の下で小休止する。太陽が地平線に沈み、薄明かりが夕暮れに変わっていく。


ヴィンセント・ボハート: ノア、もう無理。マジでもう1歩も歩けない。泥と哀しみの中に俺を置いてってくれ。

ノア・パテル: 気にしなくていいよ、ボス。何も見つからないのにはガッカリだけど、とにかく進み続けよう。時として本当に肝要なのは、自分が何を知っているか、それを自分に向けて証明するために何をする覚悟があるかってことなんだよ。とりあえず、お菓子を持ってきた。

ノアはバックパックに手を入れ、小さな茶色の菓子類が入ったプラスチック容器を取り出す。彼はそれをヴィンセントに投げ渡そうとして的を外す。容器を拾い上げ、表面から泥を拭ったヴィンセントは、しばし手を止め、ノアを見る。

ヴィンセント・ボハート: ノア、これは犬の餌だ。

ノア・パテル: どういう意味だい?

ヴィンセント・ボハート: ラブラドゥードルの写真がデカデカと印刷してあるぞ。ドッグフードだ。

ノア・パテル: いや、そういうブランド戦略なんだよ。運動中につまむお菓子だし、エネルギッシュな犬はイメージにぴったりさ。

ヴィンセント・ボハート: “子犬タスティック”な味だとよ。ダジャレにすらなってねぇ。あー、もういい。

ヴィンセントは容器の蓋を捻って外し、何粒かを口に放り込む。彼はしばらく音を立てて咀嚼した後、数回咳込んでからようやく飲み込む。

ヴィンセント・ボハート: ノア、どうしてお前はこんなことをするんだ? いつからこんなことをしてる?

ノア・パテル: ずっと、かな?

ヴィンセント・ボハート: ずっと?

ノア・パテル: うん、私はこの辺りで育ったんだ - アトランティックシティが血に溶け込んでる。育ち盛りの頃は家族が忙しく働いていたから、放課後は散歩するようになった。近所だけでなく、もっとこの街を見てみたいと思ったんだ。そして、あいつを見た - ジャージーデビルを。

ヴィンセント・ボハート: なんかこう、やたら図体のデカい猫とかではなかったのか?

ノア・パテル: いや、まさに想像通りの姿だった。背丈は肩に届くほどで、コウモリの翼にヤギの脚と犬の鼻面があった。遅くまで出歩いていたとある晩に、あいつがこちらを見つめていたんだ。まるでニュージャージー州の全てを一気に目にしたような感覚があった。あいつが辛い目に遭っているのが、私には分かった。でも、不運とかマズい食べ物とかが色々積み重なっていても、あいつは立ち続けていた。そして翼を広げてあっさりと飛び去ったんだ。信じられるかい - 街と州の重みを全て背負って、まるで何でもないように飛び立つだなんて!

ノア・パテル: あなたが多忙なのは知ってるし、うちのサイトの人たちはみんな、アトランティックシティがあまり好きじゃないのも分かってる。少なくとも、私ほどこの街を気に入ってる人はいない。だけどね、あなたもあいつの姿を見たら、ここでの暮らしが少しは気楽になるんじゃないかと思ったんだよ。何年もの間、あれは私の妄想だと思ってたけど、世の中には色んなものが存在するんだから、あいつだけが存在しない理由は無いじゃないか?

ノア・パテル: ジャージーデビルは実在すると思うかい、ヴィンセント?

ヴィンセント・ボハート: お - 俺には分からん、ノア。だが多分… お前にとっては本物なんだろう、それで十分じゃないか?

ノア・パテル: うん、そうかもね。でもやっぱり証拠を見つけられれば最高なんだけどなぁ。

ヴィンセント・ボハート: おう。ノア、俺は別にアトランティックシティが嫌いじゃないぞ。そりゃ確かに -

ヴィンセントが話していると、ノアが横によろけ、橋の支柱に身体を預ける。ノアは穿頭術で生じた頭部の穴を片手で覆う。ヴィンセントが近付き、ノアが座り込むのを手助けする。

ヴィンセント・ボハート: ノア、お前死ぬのか? こんなうんざりするほど人里離れた橋の下で、脳天にどデカい穴が開いた死体と一緒にいた理由を警察に説明するなんて俺は御免だぞ。お前がその途方もなく酷い治療法を選んだ責任までは俺は負わねぇぞ。

ノア・パテル: たまにあるんだ、大したことじゃないよ。ちょっと気を失うだけ。ジョン・クラーク先生が言うには -

ヴィンセント・ボハート: それはどこをどう解釈しても超絶大したことだぞ、ノア。その男を先生とか医者とか呼ぶのはいい加減止めろ。そいつがお前にどんな善人ぶったヒポクリティカル誓いを立ててようと知るか。

ノア・パテル: 何分か、目を閉じて休むね。

ヴィンセント・ボハート: こういう時って寝かしといていいのか? ファック、それは脳震盪か偏頭痛の時か? 血が頭に流れるように逆立ちさせるんだったか? それともあれはゲロが喉に詰まった時の対処法か? ノア、俺はこういう状況を避けたかったから応急処置の必須訓練を中止したんだ。

ノア・パテル: ちょっぴり… 休む… だけだから…

ヴィンセント・ボハート: おぉ、オーケイ、休むといい。俺は電話で人を呼ぶ。

ヴィンセントは後ろに下がり、泥まみれの携帯電話の電源を入れようとするが、既にバッテリー切れで反応しない。

ヴィンセントは携帯電話に気を取られているため、ノアの頭部の穴が暗い色合いになり、ゆっくりと拡大しているのに気付いていない。

穴が広がるにつれ、鉤爪が生えた3本指の手が内側から現れ、ノアの頭蓋の側面を掴む。2本目の手がそれに続き、開口部を外向きに押し広げ始める。穴の中から低いゴボゴボという音が発せられる。

不明: うぅんんんぐぐぐぅぅううぅぐぐぐんんんんん

ヴィンセント・ボハート: よーし、もうちょいだ、待ってろよ。バッテリー寿命云々なんてのはな、別なケータイを買わせるための嘘っぱちだ。詐欺師の手口だが冴えてやがる。俺も同じアイデアを“今月の最優秀従業員”制度の仕組みに盗用してやったぜ。

実体は穴から出ようとし続けている。鉤爪の生えた前肢が外に伸び、無意識のノアの身体を掴んで押し下げる。角の生えた、動物の鼻口部を思わせる形状の頭部が暗闇から現れ、次いで体毛と鱗に覆われた胴体が露出する。実体は正体不明の暗色の粘液にまみれて濡れているように見える。

不明: んぅぐぐんぅううう - るぅあむむむむむ。

実体の出現中に、ヴィンセントがノアに向き直り、硬直し、携帯電話を取り落として壊す。

ヴィンセント・ボハート: なんだこいつ!

実体は皮のような1対の翼を広げて羽ばたき、ノアの頭蓋から飛び出す。実体の後ろ脚は脂ぎった毛皮で厚く覆われ、先割れした蹄がある。実体は疲弊した様子で地面に倒れ込んだ後、顔を上げ、長方形の瞳孔がある目でヴィンセントを見つめる。

不明: んんんぅむむむむぅんんん -

ヴィンセント・ボハート: なんなんだ、てめぇは!

不明: むむぅんんむぇぇぇっっ - めったあぁ - めた - めためた - めたふぁーっ!

実体は後ろ脚で立ち上がりつつ、翼を広げてバランスを取る。実体の背丈は人間の腰よりもやや高い。実体は長い舌を口から垂らし、顔にこびりついた脂っこい粘液を舐め取る。

不明: そう、俺はくだらねー隠喩メタファーだよ、分かったか。いい加減落ち着けよ、あんた。よく聞け、俺の方があんたより遥かに悲惨な目に遭ってんだからな。人間の脳みそからクッソ狭い穴をくぐって這い出ようとした経験無いだろ?

ヴィンセント・ボハート: 一体全体何がどうなってる?

不明: だから落ち着けって。怒鳴られるとストレスになんだよ。

ヴィンセント・ボハート: おう、そうかい! うちの従業員の頭からバケモンが生まれたのを大騒ぎして悪かったな!

不明: 俺のせいじゃねーから! この男が1日にどんだけジャージーデビルのこと考えてるか知ってる? ノンストップだぜ、脳内スペースはごく狭いってのに。だからすぐ混雑する。悪魔には翼を広げる余地が必要なのさ、お分かり?

ヴィンセント・ボハート: 分かって堪るか。お前はメタファーだと言ったな? 何のメタファーだ?

不明: ぶっちゃけ見当もつかねーよ。アメリカン・ドリーム? 社会の恐怖と疎外への衝動の顕現としての怪物的な他人? 前回の奴は映画と関係があったはずだ。ノアは自分の考えをまとめらんねーから、脳内で全部ごっちゃにしちまうんだ。あいつの論文もう読んだ?

ヴィンセント・ボハート: いいや、あいつの論文は読んでない! 誰があんなもんを読むか! ちょっと待て、“前回の奴”ってのは何だ。

不明: さっき言ったろ、ノアの脳内は混雑するって。先週、俺たちのうち1匹がまた飛び去ったのさ。あ、今“俺たち”って言ったけど、俺たち別に集団意識とかじゃねーから。どっちかってーとコミュニケーションを通して存続する共有された経験の集 -

ヴィンセント・ボハート: 詳細はどうだっていい。ノアの脳内に何匹いる? ネズミみたいに巣食ってんのか?

不明: マジで失礼だね、あんた。俺たちはただ、つるんでるだけだよ。俺が知る限りじゃ数十匹はいるかな。少なくとも、俺がイデオロギー原理の明確な下位具現体になってからだけど。因みにそのイデオロギーってのは -

ヴィンセント・ボハート: お前の素性もどうだっていい。さて、今から俺がノアの頭にお前を押し戻して、穴をダクトテープで塞いじゃマズい理由を1つでも挙げてみろ。

不明: いやー、それは財団のプロトコル的に認められねーっしょ。

ヴィンセント・ボハート: この野郎、ノアがこういう時のために何か持参したはずだ。

ヴィンセントは自分のバックパックを地面に落として、その中を漁り始め、漠然と円筒形をした金属製の装置を取り出す。上部には多数のバネで吊り下げられた半球が取り付けられており、側面のレバーで上部の半球を装置下部に固定できる仕組みになっている。

ヴィンセント・ボハート: こういうのが欲しかったんだよ、スクラントン現実錨だ、参ったかコラ。お前も現実にぶち当たる気分を味わいたいか? 経験者として断言するぜ、お前は徹底的に打ちのめされる - 果たしてお前が電気ボイラーと石油ボイラーの相対的な暖房費の比較に耐えられるかどうか、試してみようじゃねぇか。

不明: そいつの機能ちゃんと理解してる? 製造された時期は?

ヴィンセント・ボハート: 俺はクソ同然の現実と向き合うのには慣れっこだ。お前はどうかな?

不明: ヴィンセント、そいつはね、第1世代の現実錨なの。今はもう第73世代なの。最初の10世代にどういう機能が付いてなかったか知ってる? 教えてやんよ。放射線遮蔽だ、バーカ。その丸いのは兵器級プルトニウムだぜ。あんたは今デーモンコアを抱えてんだよ。

ヴィンセント・ボハート: デーモンコアってのは何だ。

不明: リトルボーイとか、ファットマンとかだよ。ヴィンセント、その装置は中性子線を通して現実強制因子を伝達する仕組みになってるワケ。そのレバーを引けば、確かにちょっとの間は周りの現実味が増すさ。でも放射能汚染はもっとずーっと長続きするぜ。ま、あんたは血反吐を吐いてくたばるから、生きてそれを見届けられねーけど。考えてみりゃノアも一緒に死ぬわな。あんた死ぬ覚悟ある?

ヴィンセント・ボハート: あー、もういい喋るな。今日はもうその話題は十分だ。どうせ今の説明だって口から出まかせの噓だろう。だがな、この装置の重さは20ポンド近い。つまり、お前を叩きのめして元の居場所に押し戻すことならできる。

不明: そいつは間違いなく“保護”に該当しねーよな。組織の3分の1を否定してどーすんだよ。

ヴィンセント・ボハート: お前を保護しろと言われた覚えはない。ラグーとデューンはまだお前を統合プログラムに引っ張り込んでない、つまり俺には倫理委員会が口を挟む前に1回か2回ぐらいはこいつでお前をぶん殴る余裕がある。

不明: あのさー。幹線水路を汚染したりとか、俺の頭を殴ったりしないやり方で解決できると思うんだよね。俺はノアが考えることを実質的に全部知ってんだ、きっとなんかの役に立つだろ?

ヴィンセント・ボハート: ノアの言葉にはできるだけ耳を貸さないようにしてる。いや、しかし待てよ。俺に考えがある…


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第1世代スクラントン現実錨の開発状況を記録したアーカイブ写真。


ヴィンセントと実体の交流から約20分後、ノア・パテルが身じろぎし始める。ヴィンセントは無意識のノアに近寄り、ブーツでつつく。

ヴィンセント・ボハート: おう、ノア。起きろ。ほら。見てほしいもんがあるんだ。

ノアが意識を取り戻し始める。ヴィンセントは不規則な間隔でノアをつつき続け、やがてノアが上体を起こす。

ノア・パテル: ボス? ごめん、すっかり気が遠くなっちゃって - さっき言ったけど、たまにあるんだ。

ヴィンセント・ボハート: 心配すんな。お前に見てほしいもんを発見した。

ヴィンセント・ボハートは、ノア・パテルを橋の下から川沿いのぬかるんだ場所へ連れ出す。彼は泥に残された一連の跡を指差す - ヤギの足跡に似ており、唐突に途絶えている。

ノア・パテル: この歩幅、二足歩行生物だ! そして - ヴィンセント、ただ途切れてるよ。 飛んだと思う?

ヴィンセント・ボハート: そうかもしれん。実はな、妙な形のもんを空に見た気がするんだ。街の方に向かってた。

ノア・パテル: なんてこった。ヴィンセント、あなた、あいつを見たんだね! ジャージーデビルを見たんだ! 石膏キットを持ってきて、この足跡の型を取らなくちゃ!

ヴィンセント・ボハート: ああ、勿論いいぞ。俺はしばらく座って休む。その後、街に戻ろうか。

ノア・パテル: だけど、もしあいつが戻ってきたらどうする? せっかくなんだし -

ヴィンセント・ボハート: 車ん中で待ってるぜ。



補遺-8004.01: 不審な活動としてフラグ付けされた転勤、1992年
従業員の転勤、解雇、異動に関する年次審査の後、記録・情報保安管理局 (RAISA) は、ヴィンセント・ボハートがサイト-666からサイト-333へ転勤となった経緯を、変則的なものとしてフラグ付けしました。

1991年のヴィンセント・ボハートの転勤の発案者となった財団職員は特定されませんでした。RAISAが潜在的なセキュリティリスクをサイト-666管理官に警告したところ、次のような回答が得られました: 「大学を中退してディーラーをやってるパートタイマーなんかいちいち気にしてられませんよ、彼はもうあちらの問題です。」

それでも尚、RAISAは、サイト-333におけるヴィンセント・ボハートのキャリア、SCP-8004との関係、外部からの潜在的な影響を監視するための予防措置を講じました。


どこか

♠♡♦♧ 1991年 ♣♢♥♤


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死はカードテーブルの周りに集い、四つの席に落ち着きながら明確な形へと凝集していった。煙草をくゆらせる黒いスーツ姿の男、事象の地平面を掻き毟る飢えた虚空、それよりも一層顕著な不在を示す空の椅子、そして薄汚いボロボロのローブを纏った骸骨。

テーブルの木材は - 数え切れないほどの年輪が刻まれた大木の輪切りだ - 使い込まれてすっかり磨り減っていた。死が自分たちに向かって身を乗り出し、各々の椅子をテーブルに近付けると、皮も脂身も無く、甲虫に綺麗に齧られた吹き曝しの手が、ローブの中に隠れた襞から、擦り切れたトランプを取り出した。

“愚かな死”Death-the-Foolは親指で箱の蓋を開け、カードを出しながら微笑した。会話はほとんど無い。彼らはこのゲームを幾度となく繰り返してきたので、気軽な歓談などはどうでもよくなっていた。概念こそがこの集まりの共通言語だった。作用と反作用、開始と停止、リスクと報酬、ギブ&テイク。ぐるりぐるりと、カードは配られた。“穏やかな死”Death-the-Comfortへ、“貪欲な死”Death-the-Ravenousへ、“空虚な死”Death-the-Absentへ、そしてまたにやけ笑いを浮かべる“愚かな死”へと。

配り終えられたカードはテーブルに伏せられ、そこに秘められた可能性が場に満ちた。

ディーラーが沈黙を破った。「どうだ、ひとつ参加費アンティを上げてみねえか。近頃の俺たちゃ、小銭ばかりで勝負してて、段々とマンネリになってきちまった。ちょっとした思いがけない終焉だの、欲しくもない領分の滓だの、儚い意味だの - もっとでっけえ勝負をしたくねえかい?」

“貪欲な死”が猛然とそれに応え、不毛の砂漠で吹き荒れる暴風のオーケストラが奏でた悲鳴は、心拍モニターの均一で安定した音調をかき消した。光源の無い灯りが明滅し、その周囲の壁は力を内側に振り向けた。

「ほーらな、こいつは絶対に乗ってくるって分かってたよ。おめえはどうだ、気分屋さんよ? その大事な大事な灰色の身なりを危険に晒してみねえか? おめえの彫りの深え顔に赤みが差すのを見るのが楽しみだ」

向かいの男は、答える前に、指の間を踊る煙草がすっかり燃え尽きてしまうのを待った。「いいとも。君からボロ布を着る権利を巻き上げるつもりはない、それは君に任せるよ。しかし、私はいつも多様化を求めている。そのような狭い枠に私を押し込めるのは正々堂々たる態度とは言い難いな」

“愚かな死”の笑みは空っぽの眼窩にまで広がった。「おめえの愛着にひとこと言いたくなるのは仕方ねえだろ。病弱、孤独、煙草好きの三拍子が狭い固定観念でなくて何だよ。俺がやってのけた一番の大仕事は、海に“死の液体”をぶちまけてやったあの時だ。“あっちもこっちも水ばかりWater, water everywhereなのに一滴も飲めやしねえ”Nor any drop to drink。そう詠んだ時、コールリッジはマイクロプラスチックなんてもんが現れるとは考えもしなかった! 今じゃあ、海には文字通り“デッドゾーン”って名前の水域まであるんだぜ。いやいや、話が逸れちまったな。みんな賭け金を増やすのに異存がねえのなら、そろそろポットを満たそうや」

全員が、自分たちを形作る何かが - いつも以上に - 外側へと流れ出し、周囲の空間を満たしていくのを感じた。それは流動する星雲の中に漂い、個々のプレイヤーと結び付いていた。彼らはそれぞれの理由でそれを欲した。飢え、親しみ、憧れ、そして単純な欲。損失と報酬の瞬間こそが、彼らを幾度もこのテーブルへと引き戻し、その表面の年輪よりも多くのゲームへと駆り立てていた。

五枚の手札を掲げる手がある者たちはそうした - それ以外の者たちは、内側を向いた、或いは欠落した目で手札を見つめた。視線が互いを見回して、そこに浮かぶ意図を、躊躇いを、恐れを、拒絶を探った - 嘘や、噓の皮を被った嘘ならざる感情の兆候を。

“愚かな死”が最初に賭け金を置いたオープンベットした

“貪欲な死”は案の定、掛け金を吊り上げたレイズした

“穏やかな死”は直前と同額を賭けたコールした

“空虚な死”は勝負を降りたフォールドした、或いは出席者たちの満場一致の合意でそう解釈された。

各ラウンドは概ね同じように進んだ。彼らは皆、習慣と癖にまみれた生き物であり、彼らのベットとライズは他の通貨と同じくらい気まぐれに行われた。ポットの中身がいよいよ魅力的になった時、彼らは手札を表に向けた。仮面が落ち、その下に潜んでいた博徒の興奮が剥き出しになった。

“愚かな死”は喜色満面で他の者たちの手札に目をやってから、己の手札をテーブルに広げた。エース、キング、クイーン、ジャック、10 - ロイヤルフラッシュ。

刈り取る時が来た。“愚かな死”はポットを、その全てを取って、己を潤し、増強し、拡張した。それは流れ込んできた新たな思考、空間、意味を堪能した。それが歯をカタカタと震わせながら話すと、言葉は中空の頭蓋骨の中で反響した。

「さあて、俺の今夜の運もこれで尽きたかな。もう一勝負、やろうか?」



第二の行い


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サイト-333 監視映像

10:42 am — 2024年2月14日


ヴィンセント・ボハートが、レオノーラ・モラレスによって鳥小屋及び動物小屋として再利用されている空間に入る。彼がドアを後ろ手に閉める際、大きなガァガァという鳴き声が幾つかの鳥籠から聞こえる。ドアにテープで貼られた印刷用紙に、適切な施錠を促すメッセージが記されている。ヴィンセントは背後のドアを施錠しない。

ヴィンセント・ボハート: よう、レオノーラ。ちょっと訊きたいんだが… そいつはなんだ?

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サイト-333の野生動物記録資料より

レオノーラ・モラレスがヴィンセントに向き直ると、巨大な鳥類が彼女の腕に止まり、彼女が嵌めた鷹匠用の手袋に爪を食い込ませているのが分かる。羽毛は概ね暗色だが、所々が白くなっている。鳥は禿げ上がった頭をヴィンセントの方に向けて荒々しく“ガァ!”と鳴く。

レオノーラ・モラレス: アンデスコンドルです。

ヴィンセント・ボハート: そいつはどっから来た?

レオノーラ・モラレス: アンデス山脈です、ヴィンセント。名前で分かるでしょう。

ヴィンセント・ボハート: なんでここにいるのかって話をしてるんだ。

レオノーラ・モラレス: ああ、テレポートするんですよ。原理はまだ分からないんですが、とにかくカニ料理店の急速冷凍庫にそうやって入り込んだのは間違いありません。すっごく可愛いでしょう? カニが大好物なので、どうにかここまで誘い出せました。

ヴィンセント・ボハート: おい、もしテレポートできるのなら、なんでこいつは逃げ出してオフィスを荒らそうとしないんだ?

レオノーラ・モラレス: 主にカニのおかげですね。それに、この子は私が好きなんです。

ヴィンセント・ボハート: どうして好かれてるのが分かる?

レオノーラ・モラレス: 私は一緒にいて楽しい人間だからですよ、ヴィンセント。ところで、何か用事ですか、それとも会議から隠れに来ただけですか?

ヴィンセント・ボハート: そうだった。あー、ちょっと訊きたいんだが、何か俺に署名してほしい書類とかはあるか? 新しい鳥籠の購入申請とか。

レオノーラ・モラレス: 何言ってるんです?

ヴィンセント・ボハート: なんでどいつもこいつも俺が手助けしようとすると疑うんだ?

レオノーラ・モラレス: 修辞疑問ですかね? 本気で言っているのなら、1つ頼みがあります。

ヴィンセント・ボハート: ダメだ、その鳥に俺の肝臓をえぐり取らせるつもりはない。

レオノーラ・モラレス: なんと謙虚ですこと、プロメテウス。私は火を求めてはいませんよ。サイト-58がですね、進化が逆方向に作用する影のガラパゴス諸島への遠征を計画しているんです。一生に一度のチャンスです。申込書にあなたの署名が必要なんです。

ヴィンセント・ボハート: 書類にサインするのは俺の業務の80%ぐらいを占めてるぞ。実はハンコを買ったからペンを使う必要すらない。ハンコの誤植だってまだ誰も気付いてない。

レオノーラ・モラレス: そして、必ず私の申請が受理されるように取り計らってほしいんです。サイト-58は新しい研究プログラムへの志願者を募っています。もしあなたがそれに参加してくれれば、きっと向こうもこちらの申請に応じてくれるはずです。

巨大な鳥は羽ばたきながら一声鳴き、唐突にレオノーラの腕から消失する。天井越しに、大きな衝撃音とノア・パテルの悲鳴が聞こえる。

ヴィンセント・ボハート: 前言撤回は無しだぞ。俺はお前の申請書をどうにかするから、お前もあの鳥をどうにかしてこい。



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レオノーラ・モラレスとなんかの鳥かな? — ヴィンセント・ボハート


サイト-333 — 部門間テキストベース交流ログ:
2024/02/14 — 2:13 pm (EDT)
  • ヴィンセント・ボハート、サイト-333、管理官
  • ベス・ラングストン博士、サイト-58、人工知能部門 副部門長
  • Dopple.aic、サイト-58、DoAA/DISセラピー用人工知能構成体

ベス・ラングストン: 快諾してくれてありがとう、ヴィンセント。心から感謝しています。より多くの人たちにドッペルを訓練してもらえば、長い目で見ればより良い支援が可能になりますからね。

ヴィンセント・ボハート: どういたしまして。人助けは大好きなんだ。ただ、これから俺に何をさせるつもりなのか、いまいち飲み込めてないんだ、博士。てっきりまた俺をあの根性悪のガチョウと戦わせる気かと思ってた。

ベス・ラングストン: どうして我々がそんなことを望むと思ったんです?

ヴィンセント・ボハート: おたくは動物を扱ってるサイトだろ?

ベス・ラングストン: 他にも色々取り組んでいます。同梱した説明書は読みましたか?

ヴィンセント・ボハート: ざっと目を通した。ヘッドギアも付けた。ただ、重要なことを忘れないように改めて復習しとく方が良いかもしれないな。

ベス・ラングストン: ドッペル、自己紹介をお願いします。


Dopple.aic: こんにちは! 私はDopple.aic、あなたの自分探しのお供! 私の役目は、あなたの人生において最も重要な - そして時として厄介な - 相手、即ちあなた自身との和解の支援です!

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Dopple.aic: 個人情報へのアクセスに関する同意書にご署名いただき、ありがとうございました - あなたの私的/業務SMS、電子メール、ソーシャルメディア上の投稿やメッセージ等々、全て解析させていただきました!

ヴィンセント・ボハート: おい待て、同意書って何の話だ? 俺の携帯は2018年の管理官地域会議で盗まれたから、そこに入ってるデータは何一つ信用できないぞ。倫理委員会もあの時の訴えは取り下げなきゃいけなかったんだからな!

Dopple.aic: チーン! そして今、あなたの脳の神経経路のスキャンが完了し (通常より早めに終わりました!) 、人格記憶マトリックスが構築されました! これら全てを組み合わせることによって、あなたがテキストベースのプロンプトにどのように反応するかを類推し、人格の外在化を通して疑似意識を表出できるようになりました。今からあなたが向き合う相手は… あなたなのです!

ヴィンセント・ボハート: こいつは何をほざいてんだ?

ヴィンセント・ボハート: 全くだよ、こいつは何をほざいてんだ?

ヴィンセント・ボハート: 今、誰が入力した?

ヴィンセント・ボハート: 俺だよ、バカ野郎。

ベス・ラングストン: これがドッペルの機能です。ユーザーに生き写しの分身となり、内省を促すんですよ。

ヴィンセント・ボハート: ロボットにコピーされるとか勘弁してほしいんだがな。

ヴィンセント・ボハート: ちょっと待てよ、何を言ってる? AIはお前だろ。ベス、俺にはこのスカイネットが役立つとはとても思えない。

ベス・ラングストン: 正直に言うと、私もセラピーでの重要性はよく分かってません。それは別の部門の担当です。私の仕事は人格が忠実にコピーされるようにすることで、そちらは上手くいったようですね。有効性のデータを集めるために、もうちょっと対話してもらう必要があります。

ヴィンセント・ボハート: 今お前が話してる相手はAIだぞ。

ベス・ラングストン: あれっ、そうでした?

ヴィンセント・ボハート: そうだ。

ヴィンセント・ボハート: 違う。

ヴィンセント・ボハート: 黙れ。

ヴィンセント・ボハート: いや、お前が黙れ。

ベス・ラングストン: ちょっと待ってくださいね。簡単に見分けられるようにしますから。

ヴィンセント・ボハート (1): 何を変更した?

ヴィンセント・ボハート (2): あの野郎を“1”にするのはダメだろ、ベス。誰も“ヴィンセント2号”が偽物じゃないなんて信じねぇぞ!

ヴィンセント・ボハート (1): そうとも、信じるべきじゃねぇんだよ、脳みそが配線でできた嘘つきめ。

ベス・ラングストン: “信じる”ってどういう意味ですか? ここには私たちしか - いえ、もういいです。数字の代わりに文字ならどうでしょう?

ヴィンセント・ボハート (1): 奴をBにするならそれでいい。

ベス・ラングストン: オーケイ、これでどうにかなるはず。

ヴィンセント・ボハート (A): 何がどうにかなるって?

ヴィンセント・ボハート (1): ほぉ。

ヴィンセント・ボハート (A): ま、これならいいんじゃないか。

ベス・ラングストン: オーケイ。それでは、ドッペルの機能評価のために、幾つかあなたに対する質問を預かっています。一番上から始めましょう。あなたは自分が他者を第一に考える人間だと思いますか?

ヴィンセント・ボハート (A): そりゃ、俺はレオノーラのためにここにいるんだから、そうだろ。

ヴィンセント・ボハート (1): お前は“ここ”にいないんだよ、見掛け倒しのロボットオウム。

ヴィンセント・ボハート (A): アルミの檻の中でペラッペラに薄い上辺だけの“人生”を生きてるくせにデカい口を利くんじゃねぇよ。

ベス・ラングストン: オーケイ! どうやら質問セッションは - あまり上手くいってないようです。ちょっと待って、何か通知が来てました。

ベス・ラングストン: ヴィンセント、このネットワークの安全性は確保してありますよね? 今、誰かがチャットに参加しようとしました。

ヴィンセント・ボハート (A): どこよりも安全だ。少なくともノアがサイトでライブ配信するのを禁止してからはな。やっぱり一番の弱点になるのは人間だよ。

ヴィンセント・ボハート (1): お前が人間の弱さを語るとは皮肉なもんだ。何しろお前は誰にも愛してもらえない金属とガラスの塊なんだから!

ベス・ラングストン: 誰かが無理やりチャットに割り込もうとし続けてる。どこから来てるか調べてみます。

ヴィンセント・ボハート (1): なぁ、もしボハート管理官が最初から2人いて、これが全部手の込んだ策略だとしたらどうする?

ヴィンセント・ボハート (A): 外でお砂場遊びでもしてろ。

ベス・ラングストン: 訳が分からない、発信源があちこちを飛び回ってる。

ヴィンセント・ボハート (1): アトランティックシティがいつものクソみてぇな悪戯を始めたらしいな。こういう不具合はいちいち気に病んでも始まらないぞ、ベス。大事なのは自制心だ。

ヴィンセント・ボハート (A): 階段の手すりの隙間に頭を突っ込んで抜けなくなるのは自制心とは言わねぇよ。

ヴィンセント・ボハート (1): おい、俺の記憶をネタにして攻撃する権利はお前には無い!

ヴィンセント・ボハート (A): それは俺の記憶だ - もういい、やってられるか。くたばれポンコツ。そんなにヴィンセント・ボハートになりたいなら、今週いっぱいお好きにどうぞってんだ! 回路基板でもなんでも刈り取られちまえ。クソまみれの時間をせいぜい謳歌しろ。

ヴィンセント・ボハート (1): ハッ、自己憐憫にどっぷり浸るのもいい加減にしろよ。根性をプログラミングしてみろ。ヴィンセント・ボハートを名乗りたいか? だったらヴィンセント・ボハートらしく戦えよ。苦境に立った途端にルンバみてぇにゴロゴロ転げ回るだけならその物真似も名前も止めちまえ。

ベス・ラングストン: オーケイ、この対話がどこへ向かっているのかよく分かりませんが、進歩はあったようですね!

ヴィンセント・ボハート (A): もう諦めたとでも思ってんのか? 俺はこのヤバい状況を乗り越えようと全力尽くしてんだ、お前みてぇな邪魔立てしてくる奴らにはもううんざりだ。

ヴィンセント・ボハート (1): 俺は自分の全てを守るために運と死神に挑んでるんだ。お前にそれを横取りする資格はこれっぽっちもありゃしねぇ。俺の名前も、人生も、死もくれてやらねぇからな。

ヴィンセント・ボハート (A): こいつとはもう話してられない。

ヴィンセント・ボハート (1): お互い様だ。

ベス・ラングストン: 成程、全然進歩してませんでしたね。もしかしたら、仲介役を挟んだ会話を試すべきかもしれません。ドッペルの訓練には、数多くのセラピストや哲学者の著作や理論が用いられています。ここに導入できそうな人格がないかを確認します。

ヴィンセント・ボハート (1): そんなこと言われたってこのロボットさんは「ハァ?」しか言えねぇだろ。

ヴィンセント・ボハート (A): これはテキストチャットだ、バーカ。

ベス・ラングストン: しまった。さっきから割り込もうとしてる人をうっかりチャットに加えちゃいました。

ベス・ラングストン: これはマズい。

HOGSLICE が参加しました。

HOGSLICE: オ前ラ自己中ノバカ2人、イッタイ何ヲ言イ争ッテヤガルンダ。オ前ラノチャットヲ読ンダラ、クソホドナヨナヨシテヤガルト言イタクテ堪ラナクナッテ乱入シチマッタジャネエカヨ。モシモオ前ガロボットダロウト誰モ気ニシネエ。ソイツハイカシタヘビーメタルダ。デモ俺ニトッテハ十分ナメタルジャネエナ。俺ハ一旦リングニ上ガレバドンナメタル野郎デモブチノメス。オ前ラ2人マトメテカカッテキヤガレ、脳天ニエルボーヲ2発オ見舞イシテヤルゼ。
— HOGSLICE

ヴィンセント・ボハート (A): おいミスター大文字バカ、お前が誰だかさっぱり分からんが、このもう1匹の負け犬を始末してから相手してやるから待ってろ。

ヴィンセント・ボハート (1): ほう、どうする気だ、CDドライブを俺に発射するのか?

HOGSLICE: オ前ラハドッチモ負ケ犬ダ。オ前ラハ自己啓発ニ集中スベキデアッテ、口喧嘩シテル場合ジャネエ。イイ加減ニシロヨ。オ前ラハ自分自身ト向キ合ウチャンスガアッタ、ソイツハ途轍モナクロックンロールナコトナンダゼ。人生デ毎日毎日戦ウコトニナル相手ガ誰カ知ッテルカ? 他人ダヨ! 自分自身ト喧嘩スルノニ手一杯ノ野郎ガマサカ他人ト戦エルト思ッチャイネエダロウナ?!
— HOGSLICE

ヴィンセント・ボハート (1): どこからともなく割り込んできたガキンチョのセラピーアドバイスは受けねぇよ。

ヴィンセント・ボハート (A): そうとも、そもそもお前は誰なんだ?

HOGSLICE: 俺ハHOGSLICEだ、マヌケ。ダカラ俺ノユーザーネームハHOGSLICEナンダ。トットト俺ノアドバイスヲ聞イテ納得シロ、サモナイトオ前ノ喉ニ俺ノ拳骨ヲ押シ込ム。良イ人間ニナリタケリャ、ソレラシイ努力ヲシロヨ。絶対ニ。一日モ。欠カサズダ。オ前ノ問題ハ独リデニハ治ラネエシ、イツマデモ逃ゲ隠レシチャイラレネエンダゾ。ソイツハ女々シイゴマカシダ。
— HOGSLICE

HOGSLICE: 今ノ言葉ハ性差別ダッタナ、言ウベキジャナカッタゼ。俺ハ正真正銘ノ男ダカラ自分ノ問題ニ取リ組ンデルゾ。俺ハモウオ前ラミタイナタチノ悪イタフガイ気取リノ態度ニハ騙サレネエシ、オ前ラヲソノママデノサバラセテオクツモリモネエ。サア、俺ガソッチニ乗リ込ンデオ前ラ2人ノケツヲ蹴リ上ゲル前ニ真面目ニセラピーニ取リ組ミヤガレ。
— HOGSLICE

ヴィンセント・ボハート (1): それで脅しのつもりか、タフガイ? 俺はお前の人生を焼き尽くしてその燃えカスでお前を窒息死させてやる。お前の魂は4分割してそれぞれ別の悪魔に、お前の名前は妖精に、お前の内臓は興味がある相手なら誰にでも、お前のキンタマはメカニトに、お前の血は吸血鬼に売り飛ばしてやる、吸血鬼がいるかどうか知らねぇけど。配管工事のやり方を勉強してお前の家の配管をぶっ壊してやる、それから -

ヴィンセント・ボハート (1) が退出しました。

ベス・ラングストン: ちょっと! ヴィンセント、あなた何をしたんですか?!

ヴィンセント・ボハート (A): え? 俺は何もしてないが?

ベス・ラングストン: HOGSLICEがうちのサーバルームに出現してハードウェアを破壊し始めたんです! そちらで何があったんですか?

ヴィンセント・ボハート (A): それはあのAIの責任だろ!

ベス・ラングストン: あのAIはあなたです、ヴィンセント! それが実験の要点です!

ヴィンセント・ボハート (A): あ、そうか。えーと、ちょっとした問題に取り組もうとしてたって感じかな。



TO: ヴィンセント・ボハート、サイト-333管理官

FROM: ザカリアス・ハンネマン、サイト-58動物学研究部門 部門長

件名: Re: レオノーラも遠征に参加する


どうも、ヴィンセント。

レオノーラ・モラレスがサイト-58主導の研究旅行への同行を申請する旨、メール連絡をありがとうございました。我々はあなたに“借りがある”から申請を全面的に承認すべきだという、あなたの度重なる主張に、私は些か困惑しています。

しかし、当部門では今回の研究対象に関わるモラレスさんの専門知識を把握していますので、是非とも彼女には当サイトの代表団と一緒に来ていただきたいと思っています。

モラレスさんは一緒にいて楽しい方ですからね。早速連絡を取って関連情報をお伝えするつもりです。

今後は、どうしても必要でない限り、私への連絡はお控えください。

ザカリアス・ハンネマン博士


補遺-8004.02: RAISA工作員による更新情報、2018年
ヴィンセント・ボハートによるSCP-8004実行の監視を担当するRAISA工作員からの定期報告書の要約は、次の通りです。

  • ヴィンセント・ボハートは、カードゲーム及びカードを使用する賭博行為のディーラーを務める際、異常な水準の成功を収める。
  • この現象はネクサス-36 (アトランティックシティ) 内部及び外部の活動で一貫して発生する - これは、参加者の運を悪化させ得るネクサス-36の特性が主な原因ではないことを示唆している。
  • これにも拘らず、ヴィンセント・ボハートがこのようにしてアトランティックシティ内で得た収益は、しばしば即座に失われる。
    • ヴィンセント・ボハートは、とある“独身最終夜パーティー”において、マーシャル・カーター&ダーク社の代表者が開催したポーカーゲームにそれと知らず参加した際、SCP-8004を利用して500万米ドル以上の収益を得たと推定されている。しかし、イベント会場を立ち去ろうとした際、ヴィンセントは古代メカニト文明が制作した精巧な吹きガラス製花瓶の台座にぶつかり、花瓶は倒れて台座から落ちた。ヴィンセントは落下する花瓶を受け止めようとしたが、足を滑らせ、カルマクタマ帝国の陥落を描写した古代ナルカのタペストリーに反射的にしがみ付いた。ヴィンセントが転倒して壁から引き剥がしたタペストリーの有機繊維は破れ、同時に花瓶は床に当たって砕け散った。これら2品のオークションでの予想落札価格の合計は、ヴィンセント・ボハートが得た収益よりも僅かに高く、彼の収益は出席者たちによって全額没収された。
  • ヴィンセント・ボハートは、彼が有するSCP-8004についての知識やその実行方法を、既知のいかなる人物にも明かしていない。また、サイト-333に転勤となった経緯を詳しく語ったこともない。


録音された通話 - バベッツ・レストラン

1991年


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発呼者: よう、母ちゃん。うん、俺。

発呼者: 今さ、あー、アトランティックシティから掛けてるんだ。

発呼者: そう、東海岸。だから“太西洋の”アトランティックって名前なんだよ、母ちゃん。

発呼者: オーケイ、仰る通り。ごめんな。別に“生意気言ってる”わけじゃねぇんだ。俺さ、新しい仕事が決まって転勤になった。

発呼者: いや、クビじゃねぇよ。なんですぐそう考えんのかな。これはただ、えーっと、“ノー”とは言えねぇデカい機会でさ。すぐ決断する必要があった。その時の心理状態がマトモだったかどうかはともかく、俺は話に乗ったんだ - それで今ここにいるってワケ。今考えると俺って父ちゃん似なのかもな。

発呼者: そう - うん - オーケイ -

発呼者: あのな、なんで俺が酒飲んでたと決め付けんのかよく分かんねぇけど、これはマジでデカい機会なんだって、母ちゃん。俺はベガスのフロアで、あー、2年ぐらい働いてたけど、一度も昇進とかしたことなかった。そりゃまぁ、25歳でGOCに引き抜かれて実験航空機を飛ばすのとは違うかもしれねぇけどよ。

発呼者: 母ちゃん、落ち着けよ、誰もこんな電話は盗聴しねぇし、誰も俺の話すことなんかクソほども気に掛けねぇし、誰もたまたまヤバい響きの頭字語が出たからって書き留め -

発呼者: 言葉遣いね、うん。ありがと、母ちゃん。俺が言いたいのは、ここで勤めるのは何かを成すチャンスだってことだよ。母ちゃんだって、俺はもっと人生の目標を高く持つべきだって言ってただろう、もしかしたらこれが目指すべき目標かもしれねぇじゃん!

発呼者: いや、勿論。デカい変化なのは承知してる。だけどさ、20代の男にはこういうのが必要なのかもよ? クソマズいフィッシュケーキと海風。アトランティックシティは案外、俺に合ってんのかもしれねぇ。

発呼者: そう言ってくれて嬉しいよ。俺もそう願ってる。今度、絵葉書を送る。

発呼者: 俺も愛してるよ、母ちゃん。

発呼者: そうだ、最後に悪いんだけど、50ドルぐらい仕送りしてくれっかな?



第三の行い


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サイト-333 — 部門間テキストベース交流ログ:
2024/02/16 — 11:33 am (EDT)
  • ヴィンセント・ボハート、管理官
  • トニー・カタラーノ、経理・観光部門

ヴィンセント・ボハート: やれやれ、繰り返してもさっぱり慣れねぇ。よう、トニー、ちょっと訊きたいんだが…

トニー・カタラーノ: ああ、ノアとレオノーラから、お前が手助けできることはないか訊ねて回ってるって聞いたぞ。正直に言う、ヴィンセント。気色悪い。

ヴィンセント・ボハート: それで? 俺に自分探しの旅をさせたり、過去と対峙させたり、お前のオフィスを改装させたりしてくれるか?

トニー・カタラーノ: そうしてやりたいのは山々だが、実は今期の報告書を仕上げるのにてんてこ舞いでね、お前と一緒にふざけてる時間は無いんだ。

ヴィンセント・ボハート: おう。

トニー・カタラーノ: ただ、あー - 今週末に飲みに行く余裕はある。どうだ、ヴィンセント? ナイフ&フォークで待ち合わせってのは?

ヴィンセント・ボハート: トニー、お前。

トニー・カタラーノ: どうした?

ヴィンセント・ボハート: いや… ありがとう。

監視カメラ映像: ナイフ&フォーク・イン

7:14 pm — 2024年2月18日



店内のアンビエント照明は薄暗く、ごく少数の集まり - ほとんどは地元民 - があちらこちらのテーブルに散在している。何気ない会話やグラスを軽くぶつけ合う音が、バー全体に響いている。ヴィンセント・ボハートとトニー・カタラーノはいつものブースに座っている。空になったグラスが多数テーブルに置かれており、テーブル自体は一方に大きく傾いている。

2人は会話を続けており、ヴィンセントが話し終えるとトニーは大声で笑う。

ヴィンセント・ボハート: そう、俺はそのまま車に戻ったよ。ノアにどう言えばいいか分からなくてな。

トニー・カタラーノ: ジャージーデビルが頭の穴からどんどん這い出てくるのを教えるのが名案だとは思わなかったって?

ヴィンセント・ボハート: だってお前、ここはアトランティックシティだぜ。お前もここに来て長いんだから、その問題に対処したって、どうせまた別な種類の厄介事に変わるだけだって知ってるだろ。

トニー・カタラーノ: 異議無し。だから俺たちは敢えて問題に向き合わない。

ヴィンセント・ボハート: その通り。もうこの店に… 30年は通ってるよな? メシは相変わらずマズいし、常連は気に食わねぇ奴らばかり、しかも2012年に起きたグリース精霊事件絡みのちょっとした誤解のせいで、未だに15%の“弁償金”を勘定に上乗せされる。

トニー・カタラーノ: グリーストラップの清掃を止めさせるのが最善手だったなんて未だに信じられねぇよ。

ヴィンセント・ボハート: 全くだ! でもな、仮に俺たちが注文と違う品を出されるのとか、まともに動くビールタップが2つしかなくて片方はダブルIPAなこととかに、いい加減うんざりしたとしようか。俺たちは新しい店を見つける。そこは初めのうちこそ最高に楽しめるだろうが、そのうちにネズミが支柱をかじったせいで桟橋から落ちるかなんかして閉店しちまうのさ。

トニー・カタラーノ: 今でもバレッタの店が恋しい。

ヴィンセント・ボハート: 俺が初めてアトランティックシティに来た時、衝撃を受けたことの1つは、その儚さだった。ベガスは人を引き付ける。周りに重力が働いてる落とし穴みたいなもんだな。アトランティックシティはどうかって言うと、通り過ぎていく奴らのためだけにある。すれ違った人の懐から金を掏り取るために存在する。ネオンとミニゴルフ場、中途半端な集客施設と気晴らし、中身の無い娯楽の街さ。それでも人はきらびやかな輝きを求めてやって来る - 長居しないから、自分がいつも負けていることには気付かない。

トニー・カタラーノ: ここはモノポリーの街だぜ、ヴィンセント。誰かをねじ伏せなきゃ成功できねぇのさ。

ヴィンセント・ボハート: そして財団は大抵の連中よりも長くその遊びを続けてる。サイト-333は… 4、5回は移転してるだろ? 全焼するわ、浸水するわ、倒壊するわ、他にもありとあらゆる理由で使用禁止指定されたが、相変わらず俺たちはここにいる! なぜだ? 財団は辛うじて電気代を賄える程度の予算を割り当てて、あとは俺たちを無視してる。

トニー・カタラーノは肩をすくめ、ビールを飲み干してから返答する。

トニー・カタラーノ: 無能どもを囲っておく場所が要るんじゃないか? 前任の管理官はいつもそう言ってたよ。

ヴィンセント・ボハート: じゃあ、俺たちがお遊びに付き合うのを止めたらどうなると思う? 財団が俺たちをどうでもいいと思ってるのなら、とっとと逃げればいいじゃねぇか? 333の壁から銅線を根こそぎにして金属スクラップとして売り飛ばすなり、建物全体を実際に博物館に改装してノアの夢を叶えてやるなり、やりようはある。レオノーラは鳥がいれば平気さ。お前は結婚してて、しかも引く手数多の技能持ちだ - 秘密を守れる会計士を雇いたがる所は幾らでもある。

トニー・カタラーノ: でも、お前には何があるんだ、ヴィンセント?

ヴィンセント・ボハート: この飲み残しと、今夜の残りだ。

ヴィンセント・ボハートは残っていたビールを飲み干し、空のグラスを勢いよく降ろしてテーブルを揺らす。

ヴィンセント・ボハート: 思う存分活用するぞ。


トニー・カタラーノの携帯電話から回収された写真:

8:17-9:43pm

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ヴィンセント・ボハートとトニー・カタラーノは、アトランティックシティの板張り遊歩道に立ち、手すりに寄りかかって夜の海を眺めている。カモメが頭上で鳴き、少人数の集団が陽気に騒ぎながら通り過ぎていく。

ヴィンセント・ボハート: 俺は死にかけてる。

トニー・カタラーノ: 知ってるよ。

ヴィンセント・ボハート: 悪酔いしてるって意味じゃないぞ、トニー。俺は本当にもうすぐ死ぬんだ。

トニー・カタラーノ: ああ、ヴィンセント。知ってるよ。2018年、サイト管理官地域会議から帰ってきたお前はへべれけに酔ってて、俺に一切を打ち明けた。トランプ手品も、死神との取引も、全てな。

ヴィンセント・ボハート: なのにそれから一度もその話を蒸し返さなかったのか? お前の慎み深さに感激すべきか、無関心に傷付くべきか分からんな。

トニー・カタラーノ: 問題はそこだ、ヴィンセント。手品の方、SCP-8004に関して言えば、俺はずっと前から知ってた。

トニーは溜め息を吐き、遊歩道の手すりに大きくもたれかかってから話を続ける。

トニー・カタラーノ: 俺が北部の州から転属になったのは知ってるよな。それがヘマしたせいなのも知ってるはずだ - お前はその件を詮索しなかった、感謝してるよ。でもな、そのしくじりは話の全てじゃねぇんだ。俺はRAISAの下位部門の工作員だった。

ヴィンセント・ボハート: 突然何を言い出すんだ、トニー。お前はスパイじゃなくて会計士だろ! ずっとサイト-333のために帳簿をごまかしてきたよな? 待てよ、そもそも俺たちは本当に借金してんのか、それともまさかそっちも嘘か?

トニー・カタラーノ: 俺たちには相当な借金がある。それに、そう、俺は会計士だ。俺はかつて財政内偵・解析・諜報部門の一員だった。ヴェールの裏で動いてる諸々の組織がどうやって人を働かせ、リソースや素材を取得し、施設や兵器開発プログラムを運営していると思う? 金だよ、ヴィンセント。十分な現ナマがあれば、どんな奴の視線でも逸らし、何にでも手を付けられる。だが、金は必ず痕跡を残す。

トニー・カタラーノ: 俺たちの仕事はそういう交換、売買、取引、賄賂の追跡だった。金の出所と行方を繋ぎ合わせた。スプレッドシートや領収書からデカい動きを割り出すのが、俺たちは得意中の得意だったんだ、ヴィンセント。俺は…

トニー・カタラーノ: 俺はニューヨークのアトップ・ザ・ウォールで活動していた。ありとあらゆる大物が居並ぶ超常金融街さ。シャンパンとキャビアと他愛ないお喋りの中から、微かな手掛かりを探し、細部にまで耳を傾け、別な仲間がもっと汚い手を使って掴み取って来た経費報告書や在庫表と照らし合わせて計略を暴き出した。俺は自惚れたんだ、ヴィンセント。金ぴかのセーフティネットで守られてる連中に囲まれている時、多少しくじっても大丈夫だろうなんて感じる奴はそうそういない。ところが俺がそうだった。俺は馬鹿だった、財団がやってることは当然他の奴らもやってるってのを忘れたんだ。口を滑らせ、そもそも俺が知る由もないはずの取引の話をした。仲間が大勢傷ついた、それは全部俺のせいだった。そして俺は落ちた - 壁のてっぺんアトップ・ザ・ウォールから真っ逆さまに、どこまでも、どこまでも。地べたに叩きつけられた時、そこはアトランティックシティだった。

ヴィンセント・ボハート: ジーザス、トニー。

トニー・カタラーノ: RAISAには俺をここに派遣する口実があった。事情がよく分からん数年前の転勤と、目を光らせておいてほしいトランプ手品だ。俺は何もかも台無しにしたが、それでも役立たずではないと示すための、厚意から出た任務だった。だから俺はここに移り、仕事に取り掛かった。

ヴィンセント・ボハート: そして30年間、ずっとそうしてきたのか? ただ俺を見張ってるだけ?

トニー・カタラーノ: いや! まぁ、初めのうちはそうだった。自慢できる任務じゃねぇよ、ヴィンセント。自分の居場所が無いような気がして、この街が憎かった - 自業自得だ、もっと酷い目に遭っても当然だと分かってたから、自分が憎かった。だが、俺は引き込まれていった。サイト-333の会計はメチャクチャだ。筋が全く通らない上に、毎年毎年、糸球に新しい結び目が見つかる。俺はその問題に専念した。この暗号を解読できれば、俺もまだまだ捨てたもんじゃないと証明できるかもしれないと思ったのさ。ところがさっぱり分からん! どこから金が流れ込んでくるのか、こんなショボい予算でどうして運営が成り立ってるのか、理解できないんだ。誰にどう金を払ってるかさえ掴めない! 2020年には予算の半分がぶっ壊れ続ける冷蔵庫の修理につぎ込まれ、その翌年には手違いで敷地整備チームを3組も雇っちまったのに、どのチームもほとんど姿を見せなかった! まるで毎年、俺をおちょくるために変化しているように思えるぐらいだ。

ヴィンセント・ボハート: アトランティックシティが昔からのおふざけを遂行してるんだろう、俺はそう思う。

トニー・カタラーノ: 俺はこの挑戦が好きなのか、終わりがないと分かってるから嫌いなのか、未だに分からない。

ヴィンセント・ボハート: どうして終わりにしたいんだ、トニー? ほら、最低のクソだとしても、何事かではあるんだぜ。

トニー・カタラーノ: お前が話題を自分絡みにねじ戻すのにどれだけ掛かるだろうと思ってたところだ - 予想より長かったな。

ヴィンセント・ボハート: おう、俺も案外まともな人間になりつつあるのかもな、え?

ヴィンセントは1分ほど海を見つめているが、突然、盛大に笑い始める。

トニー・カタラーノ: 何がそんなに面白いんだよ?

ヴィンセント・ボハート: 勘定を払わずに出てきちまったよ!



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補遺-8004.03: 職務放棄要請 - RAISA工作員、2024年
2024年2月17日、RAISA工作員 トニー・カタラーノは、SCP-8004及びヴィンセント・ボハート管理官を監視する職務・責任の放棄と、現地における偽装役職であったサイト-333経理・観光部門への正式な転属を要請しました。

この要請の理由を問われた際、トニー・カタラーノ工作員は「[RAISAにも]すぐ分かる」と回答しました。


サイト-333、管理官オフィス

10:13 am - 2024年2月19日



ヴィンセントが朝食のサンドイッチを食べながらオフィスに入室する。彼がサンドイッチを噛むと、卵の黄身が飛び出してシャツに飛び散る。彼は包み紙で汚れを拭き取ろうと試みる。

SCP-6292: いよお、ヴィンセント。遅刻か?

ヴィンセント・ボハート: こん畜生、またかよ。今度は何がお望みだ?

SCP-6292はローブの中から銀色のフラスコ瓶を取り出し、栓を抜き、目の前の2個のクリスタルグラスに指3本分の琥珀色の液体を注ぐ。SCP-6292は自分に近い方のグラスを骨格だけの手で取り、話し始める。

SCP-6292: 何だよ、昔の飲み仲間が午前半ばに一杯やりに来ちゃいけねえかい? 俺たちゃ面白え時代を生きてんだな、ヴィンセント。

ヴィンセント・ボハート: 今の状態を“生きている”と言うのもどうかと思うが、もう1つの結果よりはマシか。そんなわけで、飲み終えたらとっとと出てけ? 俺はまだ昨夜の酒で頭がクラクラしてんだ。

SCP-6292がグラスを肉の無い口元に近付け、傾けると、液体はその身体の影に吸い込まれて消える。SCP-6292はグラスに液体を注ぎ直す。

SCP-6292: 昔からあるトリックだなあ - 飲み続けりゃ二日酔いにはならねえってか。そういう意味じゃ酒は人生に似てる、とにかく続けるしかねえ。そう言やあ… 先週はどう過ごした?

ヴィンセント・ボハート: 最高とは言えなかったが - そいつをカーペットに零してみろ、タダじゃ済まさねぇぞ - これからはもっとマシな時間を送れるようになる。俺はお前のささやかなゲームに付き合い、勝ったんだ。ノアやレオノーラやトニーに訊いてみろ。俺は粉骨砕身してあいつらに尽くした。だからもうこの話は終わり。

SCP-6292: ああ、見てたとも。おめえはここ数日間、よく頑張ったぜ。問題はだな、ヴィンセント、俺はおめえに親切であれとか、気前良くあれとか、多少なりともまともであれと言った覚えはねえってこった。俺は無私無欲であれと言った。ところがおめえは全てをおめえ自身のためにやったな、ヴィンセント。何もかも我が身可愛さにやった行為じゃねえか。

ヴィンセント・ボハート: そんなのは無意味で些細なことだ。

SCP-6292: 港の海図のずれた位置に書き込まれた岩礁も、看護師がやらかした処方量のミスも、あるキノコと別なキノコの違いもそうだ。人生は大したことない無意味で些細な物事に満ちている。そしてある日、それは大したことになる。死神は細部に宿るんだ、ヴィンセント。

ヴィンセント・ボハート: じゃあお前の目的はいったい何だったんだよ? 俺をただ殺すために1週間も駆けずり回らせたのか?

SCP-6292: おめえはどっちみち死ぬ運命だったのさ、ヴィンセント。ゲームの展開が気に入らねえからってテーブルを立ち去っちゃいけねえよ。今回はダメだ。

ヴィンセント・ボハート: だったらこれに何の意味があったんだ!

SCP-6292: さあな。俺がサディストの外道なのかもしれねえ。おめえは課題を成し遂げられたかもしれねえ。おめえがクソしょうもねえ身勝手な考えを改めるチャンスとしてこいつを捉えてたなら、逝っちまう前に周りを見渡して、自分が色々と状況をより良くしてたと気付けたかもしれねえ、ヴィンセント。これは全部、おめえが親しい奴らから自分本位のゲス野郎って印象を払拭してから旅立つ機会だったのかもしれねえ - おめえは極力認めまいとしてるけどな。ノアやレオノーラやトニーがおめえの行動を記憶してるのが重要なのかもしれねえ。そいつが生きるってことの意味そのものじゃねえかい? 俺はおめえが想像できる以上に色んな形で人間がこの世を去るのを見届けてきたぜ、ヴィンセント。だが、そいつらが後に残してきた連中もいた。それはおめえにとって十分な慰めにはならねえか?

ヴィンセント・ボハート: ふざけんな、そんなもんが慰めになるわけねぇだろうが。何より重要なのは俺が生き続けることだ。他人なんかどうだっていい。この建物の連中も、この神に見捨てられた街の連中も、数え切れない大昔の死者の軍勢も知ったこっちゃねぇ。俺は今ここにいる。今まさに。本当に大事なのはそれだけなんだよ、嘘吐きと反則と自己正当化がお得意な真っ昼間から酒飲んでやがるクズ野郎!

ヴィンセントはオフィスのドアに顔を向け、ドアが閉じていることに気付く。彼はドアノブを掴むが、それは動かない。

SCP-6292: ベガスのバーで会った日からなんにも変わっちゃいねえなあ、ヴィンセント。おめえはずっと逃げ続けてきた死人なんだよ。そろそろ逃げるのを止めて、腰を下ろして、一杯やって、俺たち2人で仲良くこいつを締め括ろうや。

ヴィンセントは必死に部屋を見渡した後、閉め切った窓に視線を集中させる。

ヴィンセント・ボハート: おい、世の中にはこういう言葉があるんだぜ。“敢えて挑む者こそが勝利する”。

ヴィンセント・ボハートはオフィスの壁に向かって疾走し、窓枠に向かって跳躍する。衝突と同時にガラスが砕け散り、彼はそのままの勢いで数フィート前方に飛び出した後、弧を描いて頭から地面に落下してゆく。

突然、割れた窓の向こうで、何かが折れるような音が聞こえ、直後にドスンという大きな衝突音がする。SCP-6292は誰も触れていなかったグラスに手を伸ばし、その中のウィスキーを素早く飲み干す。

SCP-6292: 最後はいつも俺の勝ちさ。



ヴィンセント・ボハートの通夜


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ギャンブラーズ・ルイン — 葬儀場 兼 火葬場

5:48 pm — 2024年2月19日



木目調パネル張りの壁と、床に敷かれた暗色のカーペットは、弔問室に荘厳でありながらもみすぼらしい印象を与えていた。両開きドアが設けられた入口を挟んで左右に椅子が並べられ、そのいずれもが、棺に面するように向きが調節されていた。飾り気のない箱、その上半分が開かれて、ヴィンセント・ボハートの冷たく穏やかな顔が覗いていた。首周りに巻かれたスカーフが、生前一度も気に掛けた試しがなかった滑稽なファッションセンスを誇示していた。

談話室には暗色の花や蝋燭で - 意外にも - 上品な装飾が施され、何列もの温め用のトレイに軽食が用意されていた。壁沿いには小さなバーがあり、この施設のたった1人の支配人 兼 バーテンダー 兼 遺体整復師が待機していた。

軽食の品ぞろえは、まばらな参列者たちの目には豊富であるように見えた。トニー、ノア、レオノーラは元上司からそれなりの距離を置いて立ち、その静穏な態度が信じられないとでも言うように、ちらちらと遺体を盗み見ていた。ごく少数の同僚たちは寄り集まって、グラスの中身をすすりながら棺に近付く勇気を振り絞ろうとしたり、座って携帯電話でテキストメッセージを打ったりしていた。何やら戸惑った様子の一団が慌ただしく入室し、ノアは彼らに話しかけようとその場を離れていった。

レオノーラ・モラレス: トニー、不躾かもしれませんが、いったいどうやってこの葬儀を手配したんですか? 私は歯医者に行くのでさえ半年待たされたのに、テーブルクロスに合う色の花まで用意してあるじゃないですか。ウェディングプランナーになろうと考えたことあります? あなたは会計士には勿体ないですよ。

トニー・カタラーノ: それがなぁ、俺は何もしてないんだよ。サービス内容を問い合わせようと葬儀場に電話したら、もう“ボハート氏”の葬儀の準備は整ってるって言うじゃないか。向こうは遺体が運ばれてくるのだけ待ってたんだ。

トニー・カタラーノ: だから、うん、俺のお手柄でいいのかな。あと、葬儀代も全部前払いされてるんだが、サイトの経費で出したことにしとくわ。浮いた金で従業員休憩室にビリヤード台を置こうぜ。ヴィンセントなら喜んだだろう。

レオノーラは手に持ったシャンパングラスをすぐに飲み干す。

レオノーラ・モラレス: まぁ、そういうことならもう1杯貰ってきます。何かついでに持ってきますか?

トニー・カタラーノ: おい、バーは前払いじゃないぞ - お前が飲んだ分はさっきからずっと勘定に入ってるんだからな。でも奢ってくれるならビール1杯頼む。

ノア・パテルが参列者の一団から離れてトニーの横にやって来る。

トニー・カタラーノ: あいつら誰なんだ、ノア?

ノア・パテル: ああ、ほとんどは観光客だね。ここを蝋人形館だと勘違いしたみたいだ。明日333で灯台に登れるチケットを売ってきたよ。ここにいるのは私たちだけなのかな、ヴィンセントの家族も来るだろうとばかり思ってた。

トニー・カタラーノ: シャーロット・ボハートは明日、飛行機で来るよ - あの人は聖人だな。ヴィンセントは大西洋側のこの辺に親族があまりいなかった。飛行機事故の後、彼女は息子のためだけにベガスの近場に住んでたんだ。ヴィンセントが東部に引っ越した時、彼女も同じ旅をしたが、その飛行機はイギリスまで止まらなかった。

レオノーラが発泡酒のグラスを2つ持って戻ってくる。

レオノーラ・モラレス: どうもここで出してるのは、“チャンペイン”Champ-painとかいう、普通のスパークリングワインと法的に区別されたお酒みたいですね。この味ならそれも納得です、どうして1杯12ドルもするかはともかく。あら、観光客たちも着席してますよ。親切なんだか無神経なんだか。そろそろ始めましょうか、トニー?

トニー・カタラーノ: そうしようか。

トニー・カタラーノは、開かれた棺に納められたヴィンセント・ボハートの遺体の傍にある演壇へと歩み寄る。彼は少数の参列者に向き直る - レオノーラとノアの他にも、数人のサイト-333職員が出席している。観光客の1人が写真を撮影し、話し始めようとしていたトニーは眩しいフラッシュに一瞬気を取られる。

トニー・カタラーノ: えー、本日ご参列いただきましたサイト-333の皆さん、誠にありがとうございます。サイト-333の職員ではない皆さん、えー - 私がこれから話すことの意味をあまり深く考えないでください。合意的現実に対して疑いを抱く必要はありませんし - あー - 世界最大の勢力はアメリカ政府です。特に皆さんが信心深くない限りはそうだと思います。ヴィンセントは違いました、今日ここではその話をしたいと思います。今の“違いました”というのはヴィンセントが信心深くなかったということではなく、全般的にアレな人間だったという意味です。ただこういう状況では宗教の話も時宜を得ていますね。すまん、さっきから脱線ばかりだ。カンペを作ってきたからちょっと待ってくれ。

トニー・カタラーノは数枚の小さなカードをスーツの上着から取り出す。彼は少しの間、それをめくってから話を再開する。

トニー・カタラーノ: ヴィンセント・ボハートは善良でも親切でもありませんでした。寛大とか、忍耐強いとか、物分かりが良いといった言葉で表せる性格の人間ではありませんでした。会話を避けるために人の名前を知らないふりをする癖もありました。しかし、そのような欠点にも拘らず、彼は -

トニーは次のカードに目をやり、困惑した表情になり、カードを数枚めくってからスピーチを再開する。

トニー・カタラーノ: すまん、次のカンペを失くした。飛ばして先に進む - ヴィンセントは私たちの上司でした。気に食わなかった人もいるでしょうが、それが事実です。サイト-333が皆さんにとってどんな職場であれ、それは変わりません。クソみたいな選択のせいでここに飛ばされたにせよ、他所でチャンスを掴めなかったからやって来たにせよ、皆さんは依然としてここにいます - ヴィンセントもそうでした。大抵は彼のせいで訪れた最悪の日々も、ごく稀な最高の日々も、彼はずっとここにいました。

トニー・カタラーノ: 色々と欠点があったせいで、ヴィンセントは批判しやすい男でした。自分の部門が資金不足だと思った時、勤務時間が長すぎる時、彼が自分を不当に扱ったと感じた時、彼のせいにするのは簡単でした。しかし、私たちは完璧な人間ではありません - 自分は完全無欠だと言える人間はいません。ヴィンセントは私たちを導くうえで全力を尽くしてはいなかったかもしれませんが、確かに努力していたのです。それが私の心に残るヴィンセントの想い出です。彼は時々努力した男でした - 専らそれが自分の利益になる時でしたが、常にそうだったわけではありません。そして -

葬儀場のドアが勢いよく開き、ローブに身を包んだ実体が棺に向かって歩いてくる。実体はフードを後ろに落とし、剥き出しの頭蓋骨を露わにする。

トニー・カタラーノ: あんた何者だ? 弔辞の途中だぞ!

SCP-6292: おう皆の衆、悪いな、遅刻しちまったよ。午後ずっと渋滞にはまっちまってた。それにしても陰気臭え会場だな。通夜は祝い事じゃなかったか? 次は俺が話す番だ。

SCP-6292は開かれた棺に近寄り、ヴィンセント・ボハートの遺体を覗き込む。

SCP-6292: 見るといつも妙な気分になるぜ、この - 分かるだろ? 空っぽな感じ。知らねえ奴らのために言っとくが… ほとんど、さもなきゃ誰一人知らねえだろうな、俺はこの部屋の誰よりもヴィンセントと長え付き合いがある。33年だ。正直に言おう、この男はいつも俺にとってちょいと謎めいた存在、ワイルドカードだった。

SCP-6292: 俺がわざわざ参列すんのは妙かもしれねえがな、俺は決定的瞬間を迎えるまでにこいつの姿を沢山見てきた。もうこの世にいないとしても、別れを告げるのが大切だと思ったんでね。もしかしたら俺はおめえら人間から影響を受けてんのかもな。葬儀は生者のためのものだと俗に言う、だからここは一つ、乾杯! グラスを掲げて祝え。旧き知己のことは忘れろ。他にもアトランティックシティでできそうなことはとりあえずやっとけ。俺は当分この街に戻るつもりはねえ。だからよ、トニー - そのしこり、ちゃんと診てもらえ。どれの話か分かるな。弔辞の続きは任せたぜ!

SCP-6292は棺から離れてバーへ移動し、あり合わせの蒸留酒でカクテルを作り始める。

トニー・カタラーノはスピーチを再開し、やがて締め括る。ノア・パテルとレオノーラ・モラレスが手短に発言した後、他の参加者たちに、帰る前に棺に近付くように促す。3人組はカクテルシェーカーから直接飲酒しているSCP-6292に近付く。

トニー・カタラーノ: さてはお前か? ヴィンセントが取引したピエロってのは。

SCP-6292: 俺は“笑えるタイプの死神”と呼んでほしいがね、その通りだ。ご名答。

レオノーラ・モラレス: すみません、話がよく見えてこないんですが。ヴィンセントの取引って何ですか?

SCP-6292: また最初から説明しなきゃいけねえかい? ヴィンセントは俺が欲しいもんを持ってた。俺はあいつにもっと生きる猶予をやったし、無私無欲の行いを3つやってのけたらもうちょい待ってやるつもりだった。その結果どうなったかは、あそこの箱を覗きゃ分かる。

レオノーラ・モラレス: あなたは人が死ぬのを止められるんですか? そうするとあなたは何か損をしますか? いつも人を死なせているだけなんですか? どうして?

SCP-6292: 法律問題に触れるにゃ飲み過ぎたし、哲学的な話をするには酔い足りねえ。その手の懸念を口に出したのはおめえが初めてじゃねえし、きっと最後でもないとだけ言っとこうかね。ヴィンセントはおめえら一人一人に声を掛けたが、結局は目標を満たせなかった。世の中はそういうもんさ、歯向かったって始まらねえ。

ノア・パテル: でも、我々にだって発言権があるべきじゃないかな? あなたは今、ヴィンセントが為すべきだった3つの無欲無私の行いに我々が関わったと言ったね。どうしてあなたが裁くんだ? そんなのは公平じゃない。

SCP-6292: なかなか良い質問だ! 事実、公平じゃねえよ - 人生は不公平だ、死が違うって道理はねえよな? おお、それで思い出した、遅刻しそうなゲームがあるんでこれで失礼。いずれ、また会おうぜ。

SCP-6292は酒を飲み干して葬儀場を立ち去る。ほとんどの参列者も同様に去っていく。退出する前に、SCP-6292はヴィンセント・ボハートの遺体の方を向き、演技めいた大袈裟なお辞儀をする。

トニー・カタラーノ: なんて野郎だ。


どこか

♠♡♦♧ 2024年 ♣♢♥♤


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“愚かな死”は遅刻していたが、慌ててはいなかった。それは他のプレイヤーたちが数ラウンド、自分抜きでプレイできるのを知っていた - そうさせておけば、自分にディーラー役が回って来るまでに、彼らはますます勝負に熱中し、ベット額も相当高くなっていることだろう。

テーブルに姿を現した時、同胞にして対抗者たちを見極める準備が整っていた“愚かな死”は、すぐさま何かがおかしいと悟った。死の幾つもの形が減じられ、慣れ親しんだ印象が淡くなり、弱まっていた。“貪欲な死”は抑制されて希薄になり、“空虚な死”は普段よりも更に虚無に向かって遠ざかり、“穏やかな死”は乱れた身なりで狼狽していた。その場に染み渡る喪失感と違和感は、“愚かな死”を当惑させ、骨の髄まで震え上がらせた。

しかし、その喪失は完全なものではなかった - 力は動き移ろうが、決して消滅することはない。“愚かな死”はようやく、誰かが五番目の椅子に座っていることに気付いた。それは人間で、男で、50代半ばで、禿げかかっていた。袖はまくられ、砂漠の太陽の下で日焼け止めも塗らずに青春を過ごした者に特有の、永久に残る日焼け跡が露わになっていた。ヴィンセント・ボハートの見慣れた姿が手札越しに“愚かな死”を見ていた。しかし、その名は脳裏をよぎった途端に消え去った。伝わってきた馴染み深さは、その名が意味する以上に根深く、本質的なものだったからだ。かつて人間だったその姿に何かが宿っていた - 彼の勝ち分だ、“愚かな死”はそう察した。

“ゲス野郎の死”Death-the-Bastardは微笑し、テーブルにカードを広げた。勝ちの手札であった。

「ちょうどよかった、座れよ。今度は俺がディーラーだ」 音節の一つ一つに重々しい含意が籠っていた。“愚かな死”は、自分で選択したという認識さえ欠いたまま、彼の言葉に従っているのに気付いた。 「おめえ、どうやってここに」 それはどうにか言葉を絞り出した。

“穏やかな死”が震える手で煙草に火を灯した - 紫煙を一服すると震えは収まった。「私たちが彼岸へ向かう途中の彼を見つけた。明らかに、誰かさんが最後まで付き添ってやる気分にならなかったようだ。彼は君の知り合いだと言い、私たちは君が遅かれ早かれここに戻ってくると分かっていて、彼はそれまで座って一勝負してもいいかと頼んだ。別に構うまい、死者に相応の敬意を払うべきだと、そう思った」

“愚かな死”は崩れゆく氷河のような耳障りな声で罵った。「とんでもねえことをしてくれやがったな。イカサマ上等のゲス野郎に席をくれてやるとはよ」

「お前が言えた義理かってんだ - おっと、クラスのみんなには内緒だったかな?」 “ゲス野郎の死”が口を挟んだ。他の者たちの興味が薄れた分だけ“愚かな死”の周りで再燃し、その視線に“愚かな死”は思わず身じろぎした。“愚かな死”は自分がいつどのようにテーブルに着いたかを全く思い出せなかった。それを独特な存在たらしめていた自我の力は、嵐の中の小舟のように揺さぶられていた。

“ゲス野郎の死”が次の手札を配り始めた。“愚かな死”は整然と並ぶカードの裏面を見つめ、考えを巡らせた。すぐ手元にある刈払機のスイッチを入れるべきだと分かってはいた - かつての己の言葉に反しようとも、それとも逃げるべきなのか、この偽物を追い払うべきなのか、跪いて懇願すべきなのか、或いは -

しかし、可能性を秘めた時間は過ぎ去り、数限り無かったはずの選択肢は目の前の手札へと絞られた。一枚また一枚と、カードは増えていった。

そしてベットの時間が訪れた。

“ゲス野郎の死”はそれまでの取り分全てを、テーブルを囲む者たちの事柄と意味を、彼らの長い年月と恐怖と溜め息と叫びをポットの中へと注ぎ込んだ。彼らの周囲の空間が膨らみ、張り詰めた。“貪欲な死”はフォールドした - 文字通りにそれ自体を幾度も幾度も折り畳んでフォールドして圧縮し、弱々しい怒りを包み込む檻をきつく引き締めていった。“穏やかな死”は病んだ様子で咳込み、前屈みにテーブルにもたれかかった。“空虚な死”は最早そこに存在すらしなかった。

自分の番が回ってきた時、“愚かな死”はさながら旋風のように、ローブを破り裂き、骨を揺さぶり、その間にある全てを外側に引きずり出して、膨れ上がってゆくポットに振り向けた。それは己を抑えられず、突如として、自らの選択がもたらした過酷な現実に直面した。“愚かな死”のベットと過ちが - それを構成するものの大部分が - 今や周囲の空間を漂っていた。“愚かな死”が手札を一枚ずつテーブルに広げた時、勝負は始まる前に終わっていた。

ハートのジャック、

スペードのエース、

クラブの3、

ダイヤの3、

ハートの3。

テーブルの向かいで、“ゲス野郎の死”が二枚のキングと残り三枚のエースをめくった。彼はフルハウスを、そして“愚かな死”を見た。

彼はポットに手を伸ばし、その巨大さに身を包んだ。死の多様性と記憶と言葉と行動に。そして -



総取りした。


ギャンブラーズ・ルイン — 葬儀場 兼 火葬場

6:33 pm — 2024年2月19日



トニー・カタラーノ、ノア・パテル、レオノーラ・モラレスが、ヴィンセント・ボハートの棺の近くに椅子を寄せている。レオノーラが3人のグラスにワインを注ぎ、彼らは何気ない会話を交わしている。

ノア・パテル: 良い弔辞だったよ、トニー。

トニー・カタラーノ: 良くねぇよ、でも誰かがやらなきゃいけなかったからな。

レオノーラ・モラレス: これからどうなるんでしょうね。新しい管理官が任命されると思いますか、それとも当分は管理官不在のままなんでしょうか?

ノア・パテル: 役割を埋める人は必要じゃないかな?

トニー・カタラーノ: ヴィンセントがサイトにとって本当に不可欠だったと思うか、ノア?

レオノーラはワインボトルを棺の傍らの床に置き、ヴィンセントの顔を覗き込む。

レオノーラ・モラレス: うわぁ。ねぇ、彼のこんなに安らかな顔、初めて見ましたよ。

突然、ヴィンセント・ボハートの遺体が激しく揺れ動き、首の部分からゴキッという音が聞こえる。目が見開かれ、腕が上がって棺の蓋にぶつかる。レオノーラが悲鳴と共に立ち上がり、トニーとノアも立ち上がって駆け寄る。

レオノーラ・モラレス: ゾンビ! ファッキンゾンビ!

ヴィンセント・ボハートの腕が上に伸び、口から低い呻き声を発しながら棺の側面を掴む。トニーが開いたままの棺の蓋に駆け寄って勢いよく閉め、それまで活動性を示していなかった遺体の前腕を木材の縁に押し付ける。棺の中で遺体が上体を起こそうと試みながら叫ぶと、トニーはいったん蓋を上に持ち上げる。

ノア・パテル: 頭を狙え!

トニー・カタラーノが再び蓋を勢いよく閉め、上体を起こした遺体にぶつける。遺体は - 恐らく苦痛の - 呻き声を上げ始める。

ヴィンセント・ボハートの遺体: お前ら止めろ! 止めろぉ!

トニー・カタラーノがまたしても蓋を持ち上げて閉めた際、棺が乗っていたテーブルの脚が折れる。棺が転がり落ちて開き、押し倒されたトニーは隣の枝付き燭台にぶつかる。遺体が立ち上がろうと試みると、レオノーラとノアは慌てて後方に下がる。

ヴィンセント・ボハート(の遺体): 殴るのを止めろって言ってんだろ! ゾンビじゃねぇよ!

ノア・パテル: ボス?

レオノーラ・モラレス: し - 死んだはずなのに!

ヴィンセント・ボハート: おう、言われなくても分かってる。向こうを拝んできたぜ、レオノーラ。近々腕の良いカイロプラクターに診てもらわんとな。首がスリンキーかってぐらいガタガタだ。

トニー・カタラーノが立ち上がり、燭台を振り向く。燭台から外れた蝋燭の火がカーペットに引火し、急速に広がりつつある。

トニー・カタラーノ: えーっと、ヴィンセント。困ったことになったぞ。

ヴィンセント・ボハート: ジーザス復活クライスト、死から蘇った男には気を取り直す時間も無いのか? お前らもボーっと突っ立ってないでどうにかしろ! 消防訓練はそのためにあるんだ!

レオノーラ・モラレス: ヴィンセント! あなたが消防訓練を廃止したんですよ!

ヴィンセント・ボハート: じゃあ今から再開だ! ノア、何か手を打て!

ノアは奥の間に駆け込み、透明な液体が入った瓶を数本抱えて戻ってくると、下手投げで火中に投入する。瓶は衝撃で割れ、爆発して天井や近くの壁に接するほど巨大な火球になる。カーテンと木材パネルが所々で延焼しているように見える。

ヴィンセント・ボハート: オーケイ、“何か”と言った時、それは止めろとはっきり言うべきだった! あの瓶には何が入ってたんだ、ノア?

トニー・カタラーノ: 密造酒か防腐処理液だと思うね。

レオノーラ・モラレス: あっ - ヴィンセント、あなたの血管にも防腐処理液が!

ヴィンセント・ボハート: なんでそんなもん入れさせたんだよ?

レオノーラ・モラレス: だって死んでたじゃないですか! 真っ直ぐ火葬に送らなかっただけまだしも幸運ですよ!

トニー・カタラーノ: 早く脱出しねぇと火葬すんのと同じだ!

頭上に濃い煙が立ち込める中、一同は出口へと走り出す。彼らが咳込みながら歩道に飛び出した時、遠くからサイレンの音が近づいてくる。一同は立ち上がり、燃え盛る業火に包み込まれてゆく葬儀場を振り返る。

ヴィンセントが最初に立ち上がり、他3人の方を向く。3人も同様に気を取り直し、お互いを見つめる。

ヴィンセント・ボハート: ま、今までで最悪の葬儀ってほどじゃなかったな。腹減ってないか? 奢るよ。


Fire.jpg

ヴィンセント・ボハートの通夜の余波。




どこか

通夜の後、復活の前

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“ゲス野郎の死”と“愚かな死”はテーブルにもたれて立っていた。他の者たちは既に立ち去っていた。彼らの身にまだ残されている、失わずに済んだものは、時間と共に融合して新たな意味と意義に変わるだろう。彼らにはこの世の終わりまでそれを待つ時間がある。

“愚かな死”は、自分を征服した敵が、完膚なきまでに勝利した者の根気強い優雅さでカードを一枚また一枚と集めるのを見ていた。“ゲス野郎の死”が束を崩してシャッフルし始めた時、“愚かな死”は沈黙を破った。「これからどうすんだ?」

“ゲス野郎の死”はその身に纏った煮え滾る力を軽く解き放った。どこかで一匹の単細胞生物の細胞壁が破裂し、一羽の鳥が窓ガラスに向かって飛翔し、大地の終わりなき運動が上へと押し上げられて、長閑なアイスランドの村の遥か下方で地殻変動が起こった。彼は煮え滾るエネルギーを発散させた。細胞壁は癒え、鳥は向きを変え、大地の下で蠢く力は収まった - ほんの僅かに。

「これから? 全てをやるのさ。いつも、いつまでも。そういうもんなんだろ? なぁ」 と彼は続け、その声は“愚かな死”の空っぽの頭蓋骨の中で反響した。 「お前は随分とケチな野郎だな。俺に33年の猶予をくれたが、それが33,000年だったとしても特に失うもんは無かったんだろ?」

“愚かな死”は沈黙していた。

「この全てが意味するものを、俺は今、感覚として掴んでる。お前が何なのか、あいつらが何なのか、俺たちが何なのかをだ。無限じゃないが、かなり近い。お前は俺が望む以上のもの、必要以上のものを用意して、先に進むこともできた。もしかしたら、太陽が崩れ去る頃、さもなきゃ星が一つずつ消え始める頃にまたひょっこり顔を出して、一杯やったりなんかもできたかもな。こんなゴタゴタや気まずい空気は全部避けられたはずだ。ところが違った。33年。お前が俺に恵んだのはそれっぽっちだ。お前はそんなしみったれた勝負にデカく賭ける気はなかった。どうせ負けるなら全てを失う方がまだしも潔いとは思わねぇか?」

“ゲス野郎の死”は肩をすくめた。「俺なら別なやり方を選んだとまでは言わん。いや、もしかしたら選んだかもな - とにかく、身勝手なゲス野郎はお前だけじゃねぇってことさ。お前が今後もやっていくのに十分なもんは残してやったぞ。あとは意見を交わし合って、異なる選択が俺たちをこの先どう導くかを見極めるってのもありだな」

「おめえは全てを奪いやがった! この先やっていくのに何の意味があるってんだよ - 俺は今じゃあ、昔の俺の風刺画みてえなもんだ。安もんの判子みてえに、毎日毎日、触られるたび磨り減って、いずれ跡形も無くなっちまうだろう。ただの想い出になる - おめえの中の想い出に! 終いには尊厳さえ残らねえ!」 “愚かな死”がテーブルに手を叩きつけた時、その手首にひびが入った - 骨は以前より脆くなってはいなかったが、問題はそこではなかった。

“ゲス野郎の死”はテーブルにカードの束を置いた。 「最初のうち、理解できなかったことが一つある。お前は俺と同じ手品ができる。過去33年間のどの時点でも、お前はあの三馬鹿から一切合切を巻き上げることができたはずだ。俺の取り分は全てお前の取り分になっていてもおかしくなかった。そこで俺は考えた、どうしてお前はそうしなかったのか?

答えはもうはっきりしてる。お前は実は勝とうと思っちゃいなかった。お前が知ってる勝負はあれだけで、遊び相手はあいつらだけだったから、ゲームを続けていたかったんだ。全てを賭けようとはしなかったし、全てを搔っ攫うことができてもそうするつもりはなかった。優位に立ちたかったし、勝負を自分に都合良く傾けたかったが、ポットを本気で狙っちゃいなかった。お前はただ、ドヤ顔で威張り散らす機会を増やしたかっただけだった。

もし本気だったら、勝利を掴むためにプレイしてたら、もうそこには“お前”も“あいつら”も無かっただろうな。勝者も無く、敗者も無く、ただお前だけが永遠の果てにいただろう。物事は退屈で予測可能に、死は決まりきった絶対的なものになっただろう。いつも負けるカジノよりタチが悪いのは、遊ばせてすらもらえないカジノだけだ。図星かな?」

“愚かな死”にはまだ、威勢のいい返事をするだけの自尊心があった。 「そいつは質問の答えになっちゃいねえ。これからどうする? ひとまず、おめえが俺のハッタリを見抜けたとしようや。おめえは賭けに勝利を収めた、次はどうすんだ? 欲しいもんは手に入れたよな? おめえは勝った。それで? ポケットを一杯にしてテーブルから離れて、死神として暮らすんか?」

“ゲス野郎の死”は笑い、軽く間を置いて、また笑った。「マジで言ってんのか? 俺はな、なぜか自治体扱いされてるぼったくり観光地で低予算の財団施設を運営するのに - まぁ満足しちゃいなかったが、似たような思いではあったんだぜ。11時までに出勤できれば、良い一日のスタートを切れたぞと思ってた。なのに今からこの世の終わりまで死神の責任を背負えって? 冗談じゃねぇ、真っ平だ。死神は隔週月曜日が休日になってるか? 財団でも公式には休日じゃなかったが、俺が勝手に休んだって誰も気にしなかった。

別に俺はお前らのささやかなゲームを妬んじゃいない、333でポーカーナイトを開催してるのはどうしてだと思う? 喜んでリセットしてやるよ。俺はもう勝ったんだ、そうだろ? お前に - お前ら全員に - 損失を返してやる。もし取引に応じるなら、だけどな」

ある種の衝撃が“愚かな死”の身体を走り抜け、欠けている神経系のシナプスを燃え上がらせた。何かが戻ってきたのだ。何らかの力、何らかの意味が。「じゃあ、おめえは何が欲しい?」

「多分、普通の人間らしい生活に落ち着きたい、と言うならこのタイミングだろうな? 運が良けりゃ、あと40年ぐらい? 俺は今こそ全てを振り返って、“そうだ、死すべき運命を受け入れ、人類にとって唯一つ真に共通する経験である死に意味を見出し、和解しよう”と言うべきか?」

「そうだ」 “愚かな死”にはその問いかけが修辞的なものか否かはどうでもいいと分かっていた - ただ促されるままに、“愚かな死”は割り当てられた台詞を言った。 「それこそおめえが今言うべきことだと思うね」

「ヘッ、願い下げだ」 “ゲス野郎の死”はそう答えた。 「その日のうちにバスに轢かれてまた同じ流れを繰り返すようなクソ同然の取引には応じねぇぞ。いいか、もし全てをチャラにしたいなら、お前らは俺にもっとデカい借りがある。俺は生きたいんだ、死神。好きなだけ生き続けたいんだ。俺は自分本位のゲス野郎かもしれないが、命ある限り、それに甘んじてやるよ。

条件はこうだ。俺はお前らが自ら進んで失ったものを返す - そうとも、あれは選択だった、お前らは全員テーブルを離れられたのに誰もそうしなかった - 引き換えに、俺は望む限りいつまでも生きられる。俺は人生を歩み続けるし、お前らのうちの誰一人として俺には手出しできない。そして、俺が何か別なものに向き合う準備をしっかり整えた時、その時だけ、もう一度勝負しようぜ。勝っても負けても、それで終わりだ。

手を打つか?」







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