19██年のSCP-833-JPの発見と収容に伴い、最初の内部探査が行われました。結果として、複数の部屋で人が居住していた痕跡が発見されました。しかしながらSCP-833-JPは数十年前に既に放棄されていたようであり、住民、およびその遺体などは発見されませんでした。放棄された正確な時期や原因は不明です。残されていた物品にはいかなる異常性も無いことが確認されました。
回収された物品リストからの抜粋
- 腐食が進んだ衣服34点。製造タグはいずれも1961年以前に日本で製造されたことを示す。
- 1959年に製造された型と同一の████社製モノクロテレビ。完全に故障している。
- 劣化が進んだ木製の家具類、26点。
- "201号室"と推定される部屋の台所に放置された食器類13点。
- 錆びた壁掛け時計。11時24分を指して止まっている。
- 机の中に保存されていた日記帳。水の染みにより表紙部分の劣化が激しく、筆者の名前の判別は不能。
文書 SCP-833-JP-2
SCP-833-JPの初期探査時に、かつて302号室であったと思われる部屋から発見された日記帳です。机の中に保管されていたため、比較的保存状態が良く、文章が判読可能な状態でした。以下は内容の抜粋です。
19██年10月20日
休日だというのに、この辺りの空気はとても悪い。本当にあの煙突達にはウンザリする。少し目を離した隙に何本か増えているような気さえする。
昼に201号の██さんと303号の██さんと一緒に工場に抗議に行ったが、成すすべもなく追い出されてしまった。
19██年10月29日
最近、咳をよくするようになった。心なしか顔色も悪い。食欲もあまり無くなってきている。
ここへ越してきてそろそろ1ヶ月になるが、こんなに酷いとは聞いていなかった。空は煙でろくに見えないし、夜でも遠くの工場達はギラギラと光っている。
19██年11月16日
咳があまりにも酷いので昨日医者にいったが、喘息らしい。原因を尋ねたが、医者はよく分からないと言った。工場の連中は医者にも金を渡しているのだろうか。原因なんて分かりきっている事だろうに。
あの煙突達だ。
19██年12月3日
年の終わりも近づいたが、空気はますます悪くなる一方だ。煙突がまた増えていた。
この団地はこの街の影の部分らしい。他の土地よりも少し低く、あまり日が当たらず、人も寄り付かない。なによりも煙を浴びやすい。僕は部屋選びに失敗したようだ。
101号の娘さんも喘息らしい。まだ7歳なのに可哀想に。
煙にはなんの害もないなんて嘘だ。
19██年12月28日
昨日からずっと、外も見えないほどの大雪が続いてる。仕事にも行けないし電話も通じない。
インタビュー記録 SCP-833-JP-4
SCP-833-JPの収容後、当該オブジェクトに関連する情報の調査が行われました。収集された情報は非常に少なく、内容も大半がオブジェクトとの関連性が低いと思われるものでしたが、三重県██市在住の内藤 ██氏からSCP-833-JPの起源に関連するとみられる証言を得ることが出来ました。以下はインタビュー記録の抜粋です。
対象: 内藤 ██氏(内藤氏と表記)
インタビュアー: エージェント 露木
(中略)
エージェント 露木: ではあなたは、「19██年に団地が消えた」という事件について知っていると?
内藤氏: ええ……事件と言うか…本当にあった事だとは私は思いませんが、そんなような話は確かに聞いたことがあります。到底信じられない話ですし、あいつ…白岩の嘘だと思っているのですが。
エージェント 露木: その件について詳しくお願いします。
内藤氏: はい。たしか19██年の冬、もう大晦日も近い頃だったと思います。ええ、たしか何年に1度かという大雪が降った次の日でした。あいつが血相変えて電話してきたんです。「管理していた団地が消えた」ってね。思わず笑いましたよ。普通は信じないでしょう?こんな話は。
エージェント 露木: 確かにそうですね。他にも何か言っていましたか?
内藤氏: 住民も一緒に消えたんだ、と言っていました。もっとも、あいつが管理していた団地は寂れた場所にあって、ほとんど人が入っていなかったみたいですがね。あいつが電話をかけてくる時は、大体金の無心をする時でしたから、私はいつもの嘘だろうと思って話半分に聞いていましたよ。なにかまた失敗して、借金でもしたんだろうと。それにしても変な嘘だと思いましたけど。他にも何か言っていたようですが、なにぶん30年近くも前の話なので、ほとんど覚えていません。
エージェント 露木: その後の白岩氏については、何か知っておられますか?
内藤氏: あの後、こっちから電話をかけたんですよ。あれは1月の…10日も過ぎた頃だったと思います。新年の挨拶でもしようかと軽い気持ちで。でも、通じませんでしたね。
エージェント 露木: 通じなかった?
内藤氏: ええ。やつとは元々深い付き合いでは無かったですし、色々と面倒事も抱えているみたいでしたから、またそのうちひょっこり電話でもしてくるだろうと思っていました。でも、結局それっきりでした。私が貸していた金も返ってきませんでしたよ。
エージェント 露木: 白岩氏の行方がわからなくなった事について、警察に届け出たりはしておられないのですか?
内藤氏: いいえ、していません。さっきも言いましたけど、またろくでもない事に首を突っ込んだんだろうと思っていましたから。こんな事を言うのもおかしいですが、あの頃の日本では、誰かがフラリと居なくなったり、連絡が取れなくなったりすることはよくある事だったんですよ。それに、あんな変な話を聞かされた後でしたからね。
このインタビューの後、内藤氏の証言に出てきた"白岩"という人物について調査が行われましたが、「1950年代から60年代にかけて三重県で不動産に関連する仕事を行っており、19██年以降姿を消した」という情報しか入手できませんでした。彼は1940年代からいくつかの土地や職業を転々としていたようであり、"白岩"という名前も現在では偽名であると考えられています。
文書 SCP-833-JP-5
かつて101号室だったと考えられる部屋から発見された学習帳です。空の勉強机の中に放置されていました。保存状態が良く、文章が判読可能でした。以下は内容の抜粋です。
9がつ 2にち
おひっこしした
あたらしいおうちはごかいだけど やまがみえない
10がつ 5にち
けむりが もくもく ずっともくもく
せきが こんこんでた
10がつ 19にち
せきがこんこん とまらなくて おいしゃさんにいった
びょうきだって
いやだ
10がつ 27にち
がっこうをおやすみした
はるちゃんみかちゃんとあえなくて かなしい
こんこん いたい
11がつ 14にち
せきが こんこん おなかがぜーぜー
どうして こんなに いたいの
ごはんもあんまりたべられなくなった
11がつ 25にち
がっこうでも みんなこんこんしてた
けいたくんも なっちゃんも わたしとおんなじびょうきだって
12がつ 4にち
せきがいっぱいでた
こんこん こんこん
いたくてないちゃった
おかあさんをみたら
おかあさんも ないていた
12がつ 10にち
きょうは いちにちじゅう ねてた
12がつ 18にち
おかあさんも わたしとおなじ びょうきだって
おとうさんは おこってた
きょうも いちにちじゅう ねた
12がつ 23にち
わたしは このおうちが だいきらい
えんとつも きらい
もうおともだちとあそびにいけなくなつた
せきがこんこん こんこん
おなかが ぜーぜー ぜーぜー
12がつ 27にち
ちがうところに いきたい
おともだちとあそんで
おひさまがげんきで
おほしさまが きらきらしてる
こことちがうところ