[録音開始]
Tictoc博士: Hannah?
Hannah博士: はい?
Tictoc博士: 昨日サイトに来た、亜麻色髪のタイプグリーンを調べたいんだ。許可をくれないか?
Hannah博士: ええ、いいわよ。彼女、協力的ではあるんだけど、強力な現実改変者には変わりないわ。長居しないよう気をつけてね。
Tictoc博士: そりゃあ当然だ。——話は変わるが、今日って何曜日だ?
Hannah博士: 木曜。明後日には休みよ。ここんところ死ぬほど忙しいから、オフが待ち遠しいわね。ねぇ神父、週末泳ぎに行かない?
Tictoc博士: オーケイ、Hannah。——あのタイプグリーンなんだが、昨日の午前中にやってきたんだよな?
Hannah博士: タイプグリーンって、どの?
Tictoc博士: 昨日サイトに来た、あのグリーンだ。
Hannah博士: あー……おとといのでしょ?亜麻色の髪の。
Tictoc博士: 悪い、今日は何曜日だ?
Hannah博士: 金曜じゃない。どうかしたの?ひょっとして、まーた徹夜しちゃった?明日泳ぎに行くって約束してたのに。あんまり疲れてるならやめても構わないわよ?
Tictoc博士: いや、大丈夫だ……すまんな、Hannah。手洗い行ってくるよ。
[ドアの閉まる音]
[長いノイズ]
[ドアの開く音]
[未知の女声]: やあ、ようやく来てくれたね、神父。
Tictoc博士: はっ、待ちわびたってか?オブジェクトを気にかける研究員は多いが、研究員を気にかけるオブジェクトってのは、なかなかに珍しいな。
[未知の女声]: 君は私の担当ってわけじゃない。そうなんだろう?まだ番号も振られていないんだから。
Tictoc博士: いいや、ナンバリングはもう済んでいる。——それで、105よ。お前はいったい何者なんだ?
[未知の女声]: こっちは逆に、君が何なのか聞きたいところだよ、神父。どうして改変の影響を受けないんだい?
Tictoc博士: 見たところ、お前がすべての元凶のようだな。差し支えない、教えてやるよ。俺の身体にはスクラントン現実錨が入っている。そこらの改変者じゃあ、俺をどうこうできない。お前もやってみると良いさ。だがその前に、Hannah……財団に何をしでかしたか、ここで喋ってもらおうか。
[未知の女声]: 私より物理に詳しいようだ、神父。一般相対性理論では、空間は時間の上に固定されている。そうだったよな?現実改変者は2冊の本を取り替えられる。ならば、昨日と今日を取り替える改変者を、どうして居ないと思えるんだ?
Tictoc博士: 昨日と明日を、取り替える……?
[未知の女声]: そう。君は今、明日にいる——あるいは、こうも言えるだろう。君の同僚たちは、君の昨日にいる。Sarahのジャングルに分け入る前、私は世界を2つに分割した。1つは、Sarahたちに覆われた明日だ。君と私はその中に包まれ、逃げることもままならない。もう1つは、正常な今日の世界だ。その世界にも、君は存在している。この世界——明日に対して、まるっきり無知な君が1人、な。ある種の不可抗力で、2つの世界は時折、重なることがある。——目の前の同僚が昨日から来たのか、明日から来たのか、君には見分けがつくだろう。だが彼らは、君が何時から来た君なのか、どうやって見分ければ良いというんだ?
Tictoc博士: 現実錨をSarahと呼ぶのは、財団の者だけだ。お前はいったい誰なんだ?
[未知の女声]: 焦りなさんな、神父。明日、また彼らに会う時、彼らは君がついさっきしたことを全部、綺麗に忘れてしまっているだろう。私の名前を打ち明けたとして、彼らに伝えることは不可能なんだ。
でも、逆に言えば、君は今、とても自由な身にあるのではないかね?普段は怖くてやれないようなことも、思い通りにやれてしまう。例えば、サイト管理官に抱きついたり、首輪爆弾をつけた、仏頂面の上官を打ちのめしたり、守辰とかいうエージェントと、剣で一戦交えたり——無論、背後から剣で襲う、彼の得意方式で、な。どうせ明日になれば、君のやったことは全部、昨日の君で上書きされるのだから。
Tictoc博士: どうしてこんなことをするんだ?お嬢ちゃん。
[未知の女声]: [大笑いする] 私は神父様より、ずっと年長ですわよ?——それとも、そういう趣味がおありで?いずれにせよ、今のは人生で最高の御世辞だった——
Tictoc博士: 質問に答えろ。
[未知の女声]: 単純なことさ、逃げるためだよ。
Tictoc博士: 逃げるため?
[未知の女声]: そうだ。財団は既に、私の情報を掴んでいる。私の能力もね——対して、私は情報を何ら持っちゃいない。敵は暗に在りて、我は明に在り。情報を集めるため、わざと捕まりに来たってわけだ。片方の時空にて、私は財団に自らを収容させた——サイト-CN-34の、ある収容室にね。もう片方の時空にて、私は君と自分しかいない、サイト-CN-34を作り上げた——無論、本来ならば私しかいるはずなかったわけだけど。
Tictoc博士: お前は本当に、財団のメンバーだったのか?
[未知の女声]: 君は本当に、壊れた神の教会のメンバーだったのかい?
Tictoc博士: とうに知っているくせに。何故また問う?
[未知の女声]: ああ。君だって分かりきってるんだろう?
Tictoc博士: 財団の実力を知っていて、まだ逃げ通せると思ってるのか?
[未知の女声]: もちろんだよ、神父。すべての現実錨を迂回しさえすれば、私は逃げられるんだ。
Tictoc博士: 残念だったな、お嬢ちゃん。詰みだよ。このペンシルレコーダーが見えるかな?当ててやるよ、お前の改変能力では、俺が肌身離さず持っている物をどうこうできない。この録音をファイルに上げられれば、彼らはこのやり取りを聞くことができる。
[未知の女声]: 知ってたさ、神父。でも、それがどうした?仮にアップロードできたとして、その時空——昨日にも、Tictocは1人いるんだ。おまけに、彼は君のやることに、まるっきり覚えが無い。ミームが入ってるかもしれない文書が見つかり、当のTictocは編集していないと否定する。その上で、文書の作成日が明日だということが分かったら、——彼らはどうするだろうか?愚かにもそれを開き、そのまま信じ込むと思うか?彼らが理解できたとして、明日に閉じ込められた人間を、どうして救い出せようか?
[未知の女声]: 詰んでるのは君の方だよ、神父。君はとても賢いが、君の盤上には、初めから駒なんてなかったんだ。財団の元エージェントとして言わせてもらおう。君はよくやったよ。最善を尽くして、彼らのために正しいことをしたんだから。
[未知の女声]: ご安心なさい、神父。あちらの世界にはきっと、君のタスクを全て代わりにやってくれる人がいるはずだ。それに、昨日と明日の混交は、他の誰にも避けられないものだ。それこそが、私たちが明らかに敵同士であっても、君にすべてを打ち明けられた理由なんだ。君がすべてを知ったとしても、私たちの結末は何にも変わらないのだから。アップロードしようがしまいが、何も、変わらないのさ。
Tictoc博士: それなら、録音を上げないことにしよう。
[未知の女声]: おや、それはどうして?
Tictoc博士: この録音はただただ、昨日の俺——あっちのTictocを追い詰めるだけだ。他者からの裏付けが無い状況で、信用を得るのは絶望的だ。それでいて「もう1人の自分」を無視することもできない。彼がより多くの人に頼れば頼るほど、多くの人が彼を異常者と見做すようになってしまう。
[未知の女声]: 良い指摘だね、神父——君は棋士なのかい?
Tictoc博士: とてもとても。せいぜい愛好家止まりだ。
[未知の女声]: それじゃあ、王手をかける時間だ。君が録音を上げれば、もしかすると誰かが信じて、私を止めようとするかもしれない。上げなければ、時が経つにつれて、私の創った新世界はますます完璧になり、いつの日か、世界を二度と重なり合わなくさせられるだろう——その後、私は無人の世界から逃れ、2つの世界を再統合させる。君たちからしてみれば、それは私が難攻不落のサイト-CN-34から逃れたように映ることだろう。
Tictoc博士: つまり問題は、財団が俺を信じてくれるか否か。そういうことだな?
[未知の女声]: 聡明な人だね、神父。もしかすると、私より賢いかもしれない。——それで、君はどうするつもりなんだい?
Tictoc博士: とっくに気付いてるだろうが。
[未知の女声]: このガラスの独房が無かったら、本当に君と一指ししたいものだけどなあ。
Tictoc博士: お前が収容されてからにしよう。たっぷり時間が取れるぞ。
[未知の女声] [次第に遠ざかっていく]: そうはならないと思うよ、神父。その小型レコーダーじゃあ、これ以上の録音は難しいみたいだね。残念だなあ、標準型のを持ってれば、もうちょっと長く記録できたかもしれないのに——結局のところ、録音バレを恐れる必要は、初めから無かったんだけど。
[未知の女声] [大声で叫ぶ]: 行っちゃうのかい、神父?考え直しておくれよ、私1人じゃつまらない——
[ドアの閉まる音]
[荒い呼吸音]
Tictoc博士: 畜生、畜生、俺は……
Tictoc博士: あいつは恐らく、ドア越しに力を行使できないはずだ……問題ない。だが……
Tictoc博士: 聞け、良く聞け——あんたが誰でもいい、聞くんだ。
Tictoc博士: あんたらがまた解ってないのなら——あの野郎、あいつは俺に、これを上げるよう仕向けている。あいつはかつて、エージェントだった。俺がこうすることを、あいつは見越していたんだ。
Tictoc博士: もっと早く気付くべきだった……もし昨日、俺が記憶障害と見做され、財団に隔離されたら……昨日にはもう、あいつは出ていけるかもしれない、のか?
Tictoc博士: 俺……もしかすると俺は、どこかの時空で上げてしまうかもしれない……あるいは、既に上げてしまったのだろうか?
Tictoc博士: ……座して死を待つか。それとも、相手の罠に飛び込んで、活路を見つけ出すか……
Tictoc博士: ああ……畜生……
[荒い呼吸音]
[録音終了]