SCP-CN-1500
評価: +42+x

アイテム番号: SCP-CN-1500

オブジェクトクラス: Euclid Safe

特別収容プロトコル: 現在、財団はSCP-CN-1500-2の存在する地域を管制しており、対外的には当地域は軍事基地となっています。SCP-CN-1500-2を中心とする10km以内の範囲は飛行禁止エリアと指定されており、SCP-CN-1500-2が一般人に認知されるのを防ぎます。該当地域に関する航空写真はすべて編集され、SCP-CN-1500-2の存在は隠蔽されます。

現在、財団によりSCP-CN-1500-2の出入り通路には3つの検問所が設置され、一般人の立ち入り及びSCP-CN-1500-1個体の逃走は防止されます。必要であれば、対象者に電気ショックを加えることは許可されます。SCP-CN-1500-1による暴動事件の可能性を鑑み、SCP-CN-1500-2の内部には偽装された監視カメラが100台設置されており、すべて地下埋設線を経由してSCP-CN-1500-2の所在地から10km離れた財団施設アウトポスト-CN-91-23へ連系されています。セキュリティスタッフ以外のアウトポスト-CN-91-23への出入りは、サイト-CN-91所属の23号研究チームのメンバーに限定されます。

SCP-CN-1500-2の周辺で確保した一般人は勾留され、SCP-CN-1500-4による感染があるかどうかを確認するために48時間の経過観察が行われます。SCP-CN-1500-4に感染された場合、SCP-CN-1500-1-1個体に報告した後、対象はSCP-CN-1500-2へ収容されます。SCP-CN-1500-4に感染されていない場合は記憶処理を行なってください。

SCP-CN-1500に関連するすべての調査及び研究は23号研究チームのメンバーによって推進されなければなりません。研究員1人あたりのSCP-CN-1500-1個体との直接的な接触時間は1週間につき20時間以下に抑える必要があります。また、SCP-CN-1500-1と直接的に接触する際に、H. ジェン博士に開発された Zhugyui ドゥック・ユル-83-II型翻訳機を通じて会話を行い、SCP-CN-1500-3の影響を最低限に抑えなければなりません。SCP-CN-1500-3による影響の初期症状が発現した職員は、速やかに記憶処理を行われた上でミーム災害標準治療手順により治療を施され、他部署への異動となります。

SCP-CN-1500-2へ進入する場合、研究員は短波無線機を携行し、2名以上の私服エージェントを帯同しなければなりません。SCP-CN-1500-1個体と接触する際は対象2名以下、接触時間は1回あたり60分以下、なるべく45分以下に抑えるのが望ましいでしょう。接触時には、携行した電子機器を隠匿すること、なるべくSCP-CN-1500-2-34の建造物から距離を置くことに注意してください。非常事態が発生した場合、エージェントは研究員もしくはSCP-CN-1500-1個体に対して強制措置、必要であれば終了措置をとることが許可されています。

現在、財団の管理下にあるSCP-CN-1500-4個体(現在数量は13枚)はすべてサイト-CN-91に移転され、サイト-CN-91のSafeクラスオブジェクト保管区画に保存されています。必要がない限り、SCP-CN-1500-4個体を調査する申し出はすべて却下されます。有事の際にSCP-CN-1500-4個体を移送する必要がある場合、収容違反の発生に備え、現場で少なくとも30名のセキュリティスタッフを待機させなければなりません。

SCP-CN-1500-3について採取された文字及び音声データはすべてサイト-CN-91の資料室に保管されています。SCP-CN-1500-3の文字及び音声データを参照するためには、サイト-CN-91言語研究部門に書面の申請書を提出してください。データの参照はすべて監視下に行う必要があります。また、研究目的を超えたデータの転写、撮影、複写などの複製行為は固く禁じられています。SCP-CN-1500-3の段落を公開用の書類に引用する場合、Dクラス職員を用いた曝露テストでミーム的効果がないことを確認してから掲載してください。また、公開用の書類でSCP-CN-1500-3-1を言及する場合、すべての単語/文が完全に翻訳されたもののみを引用してください。有事の際にSCP-CN-1500-3の文字及び音声データを移送する必要がある場合、23号研究チームのメンバーを3名以上、現場で待機させなければなりません。

一般社会に存在するSCP-CN-1500について言及があると思しき文献資料の回収作業は現在進行中です。回収された文献資料はすべてサイト-CN-91の資料室に保管されます。

一般社会に存在するSCP-CN-1500-4と思しき個体またはその破片の回収作業は現在進行中です。回収されたSCP-CN-1500-4個体は、サイト-CN-91に搬送され、サイト-CN-91のSafeクラスオブジェクト保管区画に保存されます。有事の際における移送方法は上記を参照してください。


説明: SCP-CN-1500は、ある異常民族(以下SCP-CN-1500-1)およびそれに関連する異常現象の総称です。

SCP-CN-1500-1の集団は中華人民共和国四川省アバ・チベット族チャン族自治州█県███郷1に分布しています。彼らは「pʰoʃma」ポシマ2と自称しており、█県のチャン族人3「χbə²⁴¹mə³³」フバーマ4「qu³¹lu⁵⁵mə³³」クルマ5「χbə³³mə³³」フバマ6などと呼称されています。SCP-CN-1500-1は主に農業に従事しており、主要な農作物として青稞ハダカムギHordeum aegiceras)、小麦(Triticum aestivum)、トウモロコシ(Zea mays)やカブ(Brassica rapa rapa)など、近辺に居住しているチャン語群話者民族と同様なものを栽培しています。SCP-CN-1500-1は内婚制をとっており、外部との交易もほとんど行われていません。史料が少ないため、歴史上においてこの地域の民族同士がどのように交流していたのかは目下研究中です。繊維作物をあまり栽培していないため、SCP-CN-1500-1の伝統衣装は主に革や毛皮を原材料としています。また、SCP-CN-1500-1は家畜として犛牛ヤクBos grunniens)、犏牛Bos grunniens × taurus)、ヤギ(Capra aegagrus hircus)などを飼育しています。家畜に遺伝子検査を行った結果、それらの品種はアバ自治州四土地区7において飼育されている家畜とほぼ一致していることが判明しています。しかし、SCP-CN-1500-1及び四土地区のギャロン・チベット族の歴史文献および口頭伝承では、互いの存在に関する記述が一切見られないため、SCP-CN-1500-1と四土地区ギャロン・チベット族との歴史的な関係については諸説があります。

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SCP-CN-1500-1の雌個体の目元の写真。

2005年3月12日現在、SCP-CN-1500-1の個体数は102名となっています。SCP-CN-1500-1成年個体の身長は概ね130~160cmの範囲内に集中しています8。SCP-CN-1500-1個体は全員、体表の50%以上がターコイズ質のウロコ状構造9に被覆されており、大多数の個体は体表の70%以上が当構造に覆われています。ただし、ごく一部を除き、個体は腋下、会陰、掌や足底に類似した構造を持ちません。Dクラス職員を用いた実験によると、SCP-CN-1500-1の体表構造を強引に剥離する10試みは個体に多大な苦痛を引き起こします。この際、通常では個体はやがて狂乱状態に陥り、その場にいる職員に攻撃を加え始めます。SCP-CN-1500-1個体の大部分は体表の毛髪は少なく、虹彩の色は周辺地域の原住民より薄いという特徴があり、一部のSCP-CN-1500-1の目には瞬膜構造が現れています。また一部のSCP-CN-1500-1個体は頭部の蝶形骨縁部プテリオン11にターコイズ質の突起部分を発現します。突起部分の長さは概ね5~10cmで脆弱であり、折れやすいためSCP-CN-1500-1に武器として使用されることはありません。類似した突起部分を有するSCP-CN-1500-1個体はすべて雄ですが、SCP-CN-1500-1の中では突起部分を持たない雄個体も一定数以上いるため、当構造の社会活動における役割や第二次性徴との関連はまだ明らかになっていません。前述の異常な外見特徴を除けば、SCP-CN-1500-1個体の外見特徴はチベット高原東南部に居住しているチベット語・チャン語を話す諸民族にほぼ一致しています。

SCP-CN-1500-1の集団は原始的な父系社会を形成しています。彼らは「loitɕi」ロイチと呼ばれる5つの家系によって構成されており、それぞれの家系は「ʂos」ショスと呼ばれる1人の家長に服従する複数の核家族によって形成されています。家系の長である5人の「ʂos」ショスは、「ʃcɛɬpu」シキェスプと呼ばれる1人の族長と共に「potʂma」ポチマという小集団を形成し、SCP-CN-1500-1一族の宗教活動を含むすべての意思決定を実際に統括しています。その中でも、「ʃcɛɬpu」シキェスプは特に主導権を握っていると考えられています12。財団がSCP-CN-1500-1を観察する過程において、「ʃcɛɬpu」シキェスプは2回交代しました。2回とも、元の「ʃcɛɬpu」シキェスプが高齢により死亡する前、SCP-CN-1500-1全員の中から新しい「ʃcɛɬpu」シキェスプを任命する儀式が行われました。各家系内における「ʂos」ショスの交代の流れも、「ʃcɛɬpu」シキェスプの交代に類似しています。通常のSCP-CN-1500-1個体より、「ʂos」ショス「ʃcɛɬpu」シキェスプはより多くのトルコ石の装飾された衣装を着用する傾向があります。衣装に対して調査を行った結果、何らの異常性も持たないことが判明しました。現在、SCP-CN-1500-1の「ʃcɛɬpu」シキェスプ1名及び「ʂos」ショス5名はそれぞれ、SCP-CN-1500-1-1~SCP-CN-1500-1-6と指定されています。

SCP-CN-1500-1個体の発言によると、その平均寿命は150年以上に及びます。SCP-CN-1500-4によって改変された副次的なSCP-CN-1500-1個体への遺伝子検査は、体内のテロメラーゼが通常の人間より遥かに活性化されている結果を示しており、SCP-CN-1500-1個体の比較的長寿命の原因であると考えられています。SCP-CN-1500-1の土着個体は遺伝子サンプル採取に抵抗感を示しているため、現時点ではSCP-CN-1500-1土着個体の体内テロメラーゼ活性化レベルへの調査はまだ行われていません。また、SCP-CN-1500-1に通常の損傷に対する耐性はないと見られています。

SCP-CN-1500-1の集団は内婚制をとっているため、SCP-CN-1500-1の土着個体と通常の人間との間に生殖的隔離が存在しているかはまだ判明していません。Dクラス職員を使用した、SCP-CN-1500-1の土着個体と通常の人間との間の生殖的隔離について考察する実験の提案はすでに倫理委員会中国支部により却下されています。これまでに、SCP-CN-1500-1に生理的年齢が12歳以下の個体は見られませんが、一部の初期文献により、性的に成熟したSCP-CN-1500-1個体は通常の人間を出産する可能性があることが示唆されています。しかし、現在ではSCP-CN-1500-1の増員は完全にSCP-CN-1500-4に依存していると推測されています。

SCP-CN-1500-1はサーキック・カルトとの関連が考えられる宗教を信仰しています。他のプロト-サーキシズム信者と同様に、SCP-CN-1500-1個体は電子機器や近代の装置に嫌悪感を示しており、一部の個体は巨大な敵意を抱きます。SCP-CN-1500-1の信仰する宗教についての詳細は補遺CN-1500-2を参照してください。

SCP-CN-1500-2はSCP-CN-1500-1個体が居住する建築群を指します。SCP-CN-1500-2はSCP-CN-1500-1に「pʰokʰsu」ポクス13と呼称されており、███川の支流である███川の東沿岸に分布しています。SCP-CN-1500-2は種類の異なる63棟の建築物によって構成されており、配置順にSCP-CN-1500-2-1~-63の番号が与えられています。SCP-CN-1500-2-1~-63のうちの大部分は住宅や農業用建築物(穀物干場や囲いなどを含む)で、それ以外には工房が3棟(SCP-CN-1500-2-7、SCP-CN-1500-2-15、SCP-CN-1500-2-28と指定。順に焼き物工房、鉄器工房、竹・木工房)、会議室が1棟(SCP-CN-1500-2-33と指定)、祭壇が1棟(SCP-CN-1500-2-34と指定)発見されています。

SCP-CN-1500-2は、ほぼ垂直に交差する2本の大通りに沿って建設されています。2本の大通りはSCP-CN-1500-2-34(祭壇)で交差し、SCP-CN-1500-2-34の周辺は広さおおよそ50m×60mの小型広場となっています。大通りの交差点に位置するSCP-CN-1500-2-34は、土を盛り上げて作られた2階建てのほぼ円形の台となっており、SCP-CN-1500-1の主な祭儀場となります。SCP-CN-1500-2-34の上階は地面から7m程度離れており、面積はおおよそ20m2で、中央に土のかまど(面積は約1m2)が設けられています。かまどの上には、大きさがほぼ同様の土鍋が掛けられています。下階の高さは地面から3mで、面積は約100m2となっています。上階、下階と地面は土で作られた2本の階段によって連絡されています。祭事時以外の平常時において、SCP-CN-1500-1はSCP-CN-1500-2-34に立ち入ることを避ける傾向があり、またSCP-CN-1500-2-34に近づく人物に対しても強い敵意を示します。SCP-CN-1500-2-34は、SCP-CN-1500-1によって補修・整備された形跡が一切ないにもかかわらず、風化作用の影響を受けていないように見えます14。SCP-CN-1500-2-33はSCP-CN-1500-2-34の位置する小型広場の東端に位置しています。外部からの計測では、面積が約40m2となっています。SCP-CN-1500-1個体の発言によると、SCP-CN-1500-2-33はSCP-CN-1500-1-1~SCP-CN-1500-1-6が会議に使う場所となっています。SCP-CN-1500-2-34と同様に、SCP-CN-1500-1個体は不必要時にSCP-CN-1500-2-33への立ち入りを避け、SCP-CN-1500-2-33に近づく人物に対して強い敵意を示します。SCP-CN-1500-1-1~SCP-CN-1500-1-6は協力を拒否しているため、SCP-CN-1500-2-33内部の構造に関してはまだ不明のままです。

SCP-CN-1500-2-1~-63の外部構造はチベット高原東南部でよく見られるチベット式家屋に類似しています。SCP-CN-1500-2所在地周辺に竹材・木材が不足しているからか、SCP-CN-1500-2-1~-63は土を外壁材として大量に使用しており、木造のフレームを兼用して建築の強度を確保しています。このため、SCP-CN-1500-2-1~-63の大部分は1階建てとなっています。

SCP-CN-1500-1でない人間がSCP-CN-1500-2の圏内15に侵入すると、SCP-CN-1500-2は異常性を発揮します。影響された対象は概ね3つの段階を経験します。段階ごとの症状の詳細については下表を参照してください。

現時点での実験によると、段階IIIに進行した対象を強制的にSCP-CN-1500-2から連れ出す行為は、対象及びその場にいるSCP-CN-1500-1個体による実行者もしくは携行機器への暴行を引き起こします。SCP-CN-1500-4個体が発生する前に対象をSCP-CN-1500-2から連れ出すことに成功した場合、対象は1~12時間内にゆっくりと回復します。SCP-CN-1500-4個体の発生後になると、まだ感染されていない対象を強制的にSCP-CN-1500-2から連れ出す場合でも、対象はSCP-CN-1500-2に戻ろうとします。この際、対象は周りにいる人物もしくはその自身に対して、死に至らしめ得る暴行を加え始めます。段階Iを除き、影響された対象に対しては麻酔薬やミーム抑制剤を含む標準的な薬剤が無効となります。

なお、SCP-CN-1500-2の全域は超短波に対して極めて強い遮断効果を示しています。短波に対する遮断効果は大きく低下するため、SCP-CN-1500-2圏内から外部へは短波による通信が可能です。SCP-CN-1500-2所在地及びその周辺地域の大気、土壌及び水体に対しては調査を行いましたが、異常な点はありませんでした。

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SCP-CN-1500-3の音韻体系。

SCP-CN-1500-3はSCP-CN-1500-1が交流に使用する主要言語を指します。SCP-CN-1500-3はSCP-CN-1500-1に「pʰœçmo」ペヒモ17と呼称されており、チャン語群18に属する言語であると現在は考えられています19。SCP-CN-1500-3は膠着語20であり、主な文法範疇はチャン語群に属するほとんどの言語に一致しています。

大多数のSCP-CN-1500-1個体は、SCP-CN-1500-3を主な交流言語としています。一部のSCP-CN-1500-1個体は、他の言語を話せないと主張していますが、これまでに少なくとも25名のSCP-CN-1500-1個体が、中国語西南官話、チャン語南部方言やチャン語北部方言など複数の言語で簡単な意思疎通を行えることが判明されています。SCP-CN-1500-3はSCP-CN-1500-1の唯一の典礼言語(宗教言語)であり、一族の宗教体系はすべてSCP-CN-1500-3をもとに成り立っています。

SCP-CN-1500-3の異常性は主に2つに分かれています。SCP-CN-1500-3の言語環境に没入しなくとも、SCP-CN-1500-3を学習する過程は学習者に極めて強い言語喪失効果を及ぼします。Dクラス職員を使用した実験によれば、外的な干渉を完全に加えない場合、対象が能動的にSCP-CN-1500-3に暴露する21時間が1週間あたり25時間以上になると、5週間後に対象の母語及び第二言語に対する言語運用能力は著しく低下します22。対象が受動的にSCP-CN-1500-3に暴露する23場合でも、暴露時間が1週間あたり25時間以上になると、10週間後に対象にはある程度の言語喪失現象が起こります。暴露中にSCP-CN-1500-3を習得しようとしなかった場合に、対象の複雑な概念に対する表現能力は大きく損なわれます。再帰的分析によると、SCP-CN-1500-3に1週間あたり25時間のペースで25週間以上能動的に暴露する場合、対象はほぼすべて母語能力を喪失します(深度言語喪失状態になるとも)。SCP-CN-1500-3に1週間あたり25時間のペースで50週間以上受動的に暴露する場合も同様の効果を示します。実験により、言語喪失の異常性は、対象の母語に対する持続的な言語練習で一部相殺可能ですが、その過程を逆転させることはできないことが判明しました24

対象がSCP-CN-1500-3をある程度以上習得すると25、対象はSCP-CN-1500-1の集団およびその文化に対して強烈な興味を抱きます。この効果は、“サピア=ウォーフ”プロセスの一種であると推測されています26。対象はまず、自身が知っている、かつSCP-CN-1500-3を部分的に習得している人物に、SCP-CN-1500-1の詳細について尋ねます。その人物が関連情報の提示を拒否、または新たな情報を提示できない場合、対象はひどく落ち込み、妄想や偏執の症状に苛まれます。この際、SCP-CN-1500-1に接触できる機会があれば、対象はあらゆる手段を用いてSCP-CN-1500-1との接触を図ります。この場合、往々にして対象はEクラス職員に指定されるか、終了されることになります。ごく稀に、対象がSCP-CN-1500-2に到達することに成功した場合は、更にSCP-CN-1500-2に影響されることになります。しかし、段階IIでSCP-CN-1500-2から離脱すると、対象はSCP-CN-1500-1の集団およびその文化に対する興味を失い、SCP-CN-1500-3に能動的に暴露することを止め、SCP-CN-1500-3を運用する能力も喪失します。ただし、SCP-CN-1500-3に暴露したことによる言語喪失効果は消失しません。この段階の対象が受動的にSCP-CN-1500-3に暴露しても、SCP-CN-1500-3の影響が進行することはありません。対象に標準的なミーム災害対策手順を適用することにより、当効果を除去することができます。

1990年代以降、SCP-CN-1500-3の習得過程において、宗教用語と日常用語による学習者に対する言語喪失効果に差異が見られることが研究者により指摘され、その後、ハワード・ジェン博士(1997)により、SCP-CN-1500-3の語彙、句、文を「宗教的」(現在では一般的にSCP-CN-1500-3-1群)と「非宗教的」(現在では一般的にSCP-CN-1500-3-2群)の2群に分類することが提案されました。SCP-CN-1500-3-2に比べ、SCP-CN-1500-3-1の習得はより大きな言語喪失効果をもたらします。同様の暴露時間で、能動的にSCP-CN-1500-3-1だけに暴露した対象が深度言語喪失状態になるまでの期間は、能動的にSCP-CN-1500-3-1とSCP-CN-1500-3-2のまじり文に暴露した対象の60%程度です。現時点では、約███個の句と短文がSCP-CN-1500-3-1に指定されています27が、時間や人手の関係で、SCP-CN-1500-3の言語体系における全ての句と短文を逐一実証することは不可能です。従って、今後の実験では未発見のSCP-CN-1500-3-1の存在に十分な注意を払う必要があります。

他のSCP-CN-1500-3に関する詳細については、補遺CN-1500-3を参照してください。

SCP-CN-1500-4は、いくつかのトルコ石の薄い欠片が未知のゼラチン質で接着された作りの仮面です。形は半球状で、SCP-CN-1500-1顔面部のターコイズ質被覆部分の外形とほぼ一致しています。またその外縁部は、通常の人間の下顎角-外耳介内側-蝶形骨縁部-前頭結節の線を合わせた形状を取っており、一部のSCP-CN-1500-1と同様に、蝶形骨縁部に長さ約10cmの脆弱なターコイズ質突起部分が付属しているものもあります。ただし、SCP-CN-1500-1の眼瞼部にターコイズ質の破片が付着しているのに対して、SCP-CN-1500-4個体の同部分にはトルコ石の欠片が付着していません。SCP-CN-1500-4のトルコ石部分のモース硬度は約5-6で、物理的強度は通常のトルコ石結晶に類似しています。一方、そのゼラチン質部分は比較的に脆弱で、温度変化により強度が大きく上下します。常温ではゼラチン質のモース硬度は約2ですが、環境温度が40℃以上になると、SCP-CN-1500-4を構成するゼラチン質は明らかに軟化し始めます。環境温度が80℃以上になると、ゼラチン質の粘度は顕著に低下し、素手でも欠片を剥離できるようになります。しかし、これ以上温度が上昇しても、ゼラチン質の融解や液状化は起こらず、また酸素が豊富な環境でも燃焼しません。温度が室温に戻ると、トルコ石の破片に付着しているゼラチン質は再び硬化しますが、ホットメルト法で断面を接着させることはできません。従って、SCP-CN-1500-4が破砕状態になると、元の状態に戻ることはできません。ゼラチン質のサンプルを分析しましたが、既知の生物種の遺伝子を検出できませんでした。

財団の観察記録によると、SCP-CN-1500-4はSCP-CN-1500-1によって製造されています。SCP-CN-1500-1は顔面部のウロコ状構造をごく短時間のうちに破壊し、その全体を剥離することで、1枚のSCP-CN-1500-4を生み出すことができます。SCP-CN-1500-4を剥離された後、SCP-CN-1500-1の顔面部はトルコ石の粉末に付着されたような状態を呈します。粉末は時間が経過するとともに少しずつ融合し、最後にはSCP-CN-1500-4を剥離される前の状態に復帰します。

SCP-CN-1500-4はSCP-CN-1500-1の宗教において極めて重要な役割を果たしており、またSCP-CN-1500-1の発言によると現時点では新たなSCP-CN-1500-1を発生させる唯一の手段でもあります。SCP-CN-1500-1の生殖過程を未だに観測できていないことから、この発言は事実であると考えられています。

完全状態のSCP-CN-1500-4、もしくは残り部分が完全状態の50%以上のSCP-CN-1500-4残片に物理的に接触すると28、SCP-CN-1500-4に影響され、影響プロセスのα段階に入ります。実験では、対象はまずSCP-CN-1500-4もしくはその残片に対して強烈な興味を示します。前述もしくは他のSCP-CN-1500-4に触れ続けると、SCP-CN-1500-4に対する愛着がわきます。しかし、通常ではα段階の期間は比較的に長く、40~120時間持続します。一部ではα段階が240時間以上に及んだ例も観測されています。このため、ほとんどの対象はα段階の期間中にSCP-CN-1500-4もしくはその残片に対する興味を失い、手放すことになります。これにより対象は次の段階に進行することなく、SCP-CN-1500-4の影響から脱することになります29

SCP-CN-1500-4に愛着がわくと、影響された対象はSCP-CN-1500-4もしくはその残片を顔に着用しようとします。この際、SCP-CN-1500-4の複数の残片がある場合、または異なるSCP-CN-1500-4から由来する残片で被せる部分が重なる場合、対象は面積の小さい残片を無視し面積の大きい残片を顔面部に固定しようとします。この行為を境目に、対象は影響プロセスのβ段階に突入します。β段階に入ると、対象は可能な限りあらゆる手段を駆使してSCP-CN-1500-1との接触を図ります30。この時、対象がSCP-CN-1500-1の関連情報に接触することに失敗した場合、約120時間後にこの衝動はゆっくりと消えます。衝動が消えた後でも、SCP-CN-1500-4もしくはその残片に対しての興味を抱く対象が観測されていますが、異常性は伴わないと考えられています。

対象がSCP-CN-1500-1の存在を認識し、SCP-CN-1500-4もしくはその残片を所持した状態でSCP-CN-1500-2に到達することに成功した場合、対象はγ段階に突入します。この段階では、対象はSCP-CN-1500-1以外のものからの指令を受け付けなくなり、紐や接着剤などでSCP-CN-1500-4を顔面部に固定し、能動的にSCP-CN-1500-1との接触を試みます。この段階の対象はSCP-CN-1500-2の異常性に影響されることはなく、SCP-CN-1500-1もこの段階の対象に敵意を示しません。SCP-CN-1500-1は、対象をSCP-CN-1500-1-1~SCP-CN-1500-1-6のいずれかの元へ案内し、最終的には対象はSCP-CN-1500-1-1と接触します。この際、すべてのSCP-CN-1500-1はSCP-CN-1500-3を使用して対象と交流を行いますが、対象は未知の言語に困惑を示すことはありません。対象がSCP-CN-1500-4もしくはその残片を所持しなかった状態でSCP-CN-1500-2に到達した場合、すぐさまSCP-CN-1500-2の異常性の影響にさらされることになり、SCP-CN-1500-1に攻撃の的にされることもあります。

対象がSCP-CN-1500-1-1と接触する際、SCP-CN-1500-1-1は対象と簡単な会話を行った後、参列可能のすべてのSCP-CN-1500-1を招集して祭礼を開催します。この祭礼を境目に、SCP-CN-1500-4の影響プロセスはδ段階に進行します31。この段階で、対象は自分の母語を改変させて、SCP-CN-1500-3の声調に合わせることで、SCP-CN-1500-1と交流しようとします。祭礼前、SCP-CN-1500-1-1は複数のSCP-CN-1500-1に、対象の身を清めるよう命じます。この際、対象が着用しているすべての衣類、装飾品32及び外部から視認可能のインプラントは除去されます。その後、4~8名のSCP-CN-1500-1は順番に対象をSCP-CN-1500-2-34上部のかまど付近に移動させ、祭礼を始めます。祭礼の詳細については、補遺CN-1500-2を参照してください。

祭礼開始から50分後、すべてのSCP-CN-1500-1はSCP-CN-1500-3で、ある祝詞を唱え始めます33。この際、対象もSCP-CN-1500-1を模倣して祝詞を唱えます。その後、SCP-CN-1500-1は、トルコ石のナイフと思しき道具34で対象の胸腹部の皮膚を切開し、大量のトルコ石の粉末の付着された体表を露出させます。これを境目に、対象は完全にSCP-CN-1500-1個体へ変化します。次に、SCP-CN-1500-1-1は、副次的なSCP-CN-1500-1個体に変化した対象の元からある皮膚を少しずつ除去します。除去された皮膚は集められ、前述の土鍋へ投入され煮詰められます。この間、対象を含むすべてのSCP-CN-1500-1は、前述の祝詞35を唱え続けます。通常では、煮詰めは約2時間持続します。この間、対象の体表に付着したトルコ石の粉末は互いに融合し、他のSCP-CN-1500-1が体表に備えるターコイズ質ウロコ状構造と大きさ同等のウロコを形成します。この時、SCP-CN-1500-1-1は土鍋で煮詰められたものをそのまま対象の口へ注ぎます36。土鍋の内容物が完全になくなると、対象は地面から立ち上がります。

対象がSCP-CN-1500-2により影響された人物であった場合、影響プロセスが段階IIIに進行し、かつSCP-CN-1500-1~SCP-CN-1500-6の会議が終了した際に、SCP-CN-1500-1は対象をSCP-CN-1500-1-1と接触させ、祭礼を始めます。祭礼の開始時に、SCP-CN-1500-1-1は完全状態のSCP-CN-1500-4を1枚製造し、対象の顔面部に貼り付け、約30秒後に外します。上述の点以外に、祭礼の流れは概ねSCP-CN-1500-4に影響された対象のδ段階と類似しています。実験によると、この段階で回収されたすべてのSCP-CN-1500-4はすでに異常性を喪失しています。

副次的なSCP-CN-1500-1個体の体型は、元の身体から脂肪層を除去した際の体型にほぼ同様です。副次的なSCP-CN-1500-1個体へ再度インタビューを行った結果、祭礼終了後の24時間以内では、対象は記憶、人格及び技能の大部分を保持することができますが、24時間以降では、元の記憶、人格や技能が急速に喪失することが分かりました。その中で、技能の喪失速度は技能習得の難易度に関連があると見られています。外科手術の技能や戦闘スキルなど、習得が難しく、時に筋肉記憶も必要となる技能は通常、5~10日経過で完全に喪失します。その一方で、副次的なSCP-CN-1500-1個体は祭礼の6ヶ月後に依然として流暢に母語を運用することができます37。祭礼終了後の24時間以内に、副次的なSCP-CN-1500-1個体に対し身体検査を行った結果、対象の体内にあったインプラントや病変部位がすべて消失していることが判明しました。祭礼の24時間以降、副次的なSCP-CN-1500-1個体はSCP-CN-1500-3を主な交流言語として使い始め、他のSCP-CN-1500-1と同様に電子機器や近代の装置に対して嫌悪感を示すようになります。祭礼の5日後に対象と接触した際に、対象はすでに他のSCP-CN-1500-1から元々できなかった技能を習得しており38、また自身が保有していた技能を他のSCP-CN-1500-1に伝授していると主張します39。対象の人格や記憶については、祭礼の10日後にほとんど喪失し、やがてSCP-CN-1500-1とほぼ同一化します。

補遺CN-1500-1: 発見の経緯及び接触記録

長年にわたって、中原の漢族王朝もチベット地域の政権も、川西高原地区に対する統治は緩いもので、ほとんど羈縻きび政策40の形を取っていました。このため、中国語の文献においてもチベット語の文献においても、この地域の少数民族に関する記述は多くありませんでした。また、当地域のチャン族原住民は自らの文字を持っておらず、SCP-CN-1500-1も外界との交流をほとんど行わなかったため、初期の中国語・チベット語文献や、周辺地域のチャン族の口伝歴史においても、SCP-CN-1500-1について言及はほとんどありません。清の中期以降、四川盆地の人口増大を背景に、漢族は川西地区への入植を始めたことを契機として、ようやくSCP-CN-1500-1との接触を果たしたとされています。財団が保有するものの中で、中国語で記述されたSCP-CN-1500-1についての言及のある最古の文献は清乾隆五十四年(1789)、灌県41にて出版された『同福堂李氏宗譜』です。記述では、李家の一人が「墾雑穀、函称得龍神相助、後不知所蹤(荒地を開墾しに行ったが、『龍神様に助けられた』と手紙が来て、その後行方不明になった)」とあり、SCP-CN-1500-1との関連が見られています。その以降でも、複数の郷土誌や個人の手記などでSCP-CN-1500-1と思しき記述が散見されます。セキュリティクリアランスがレベル3以上で、サイト-CN-91資料室に書面申請を提出した職員は文献の一覧や具体的な内容を参照することができます。

19世紀後半、中国は列強の侵略により半植民地・半封建社会に。1860年、清がイギリス・フランスと北京条約を締結して以来、西側諸国の宣教師が各省で土地を購入し、教会を建てることが自由になりました。1870年代以降、アニミズムを信仰していた西南諸民族が宣教師の布教対象になり、同時に多くの博物学者や人類学者も布教の名目を借りて、中国西南地区の動植物や民族について考察を始めました。1869年(清同治八年)、フランス人宣教師アルマン・ダヴィドがパリの友人に送った書状の中で、現地住民の伝説で穆坪ムピェ42の北にあるとされる「龍神の村」(l'hameau de la déité de dragonne)についての記述があり、SCP-CN-1500-1について言及した最初の西洋文献と考えられています。この書状は直後にエステート・ノワールに確保され、「可能なアノマリー」(paranormalité possible)の関連書類としてアーカイブされました。しかし、エステート・ノワールの極東での勢力が弱く人的・物的資源を確保できなかったため、さらなる調査は行われませんでした。

1890年(清光緒十六年)、シッキム条約43締結後、イギリスはインドを足がかりに、「通商」「布教」などの名目でチベットでの探査を開始し、さらにチベット・カシャク政府44の管轄下にあった辺縁地帯も「チベット」として探査を行いました。1894年、イギリス人探検家ジョージ・D・ジャクソンがカルカッタで出版した『東チベット諸部族略記』(A record of tribes in Eastern Tibet)の中で、レメー(Remee)人45の近くに住んでいるというクールメ(Koolume)人46の存在を言及しており、「(クールメ人は)竜の化身とされる神を崇拝しており、罪もない人間をさらい、皮を剥いでは生贄として神に捧げているらしい。私がボウショック(Bowshock)47に居た時、ある婦人が彼らにさらわれて、皮を剥がれたあげく、死体はそのまま道路に放り出されて馬に踏みにじられたという話を聞いた」との記述があります。この記述はすぐ、当時の第零アンチ・カルト連隊バングラデシュ方面軍の目に留まりました。第零アンチ・カルト連隊はその後、ジャクソンの記述と手記を手がかりにこの異常民族の在り処を探しつつ、もう一方では当事案をロンドンの超常現象の確保収容に関する王立財団にも報告しました。第零アンチ・カルト連隊は1895年に秘密裏にチベットへ潜入し、当事案を調査する予定でしたが、同年に親露のダライ・ラマ13世トゥプテン・ギャツォが政権を掌握したことで、イギリスとチベットの紛争を誘発させてしまうことを懸念した連隊は計画を先延ばしにしました。

1900年の紫禁城条約締結後、財団は設立され、調査計画は1906年のチベットに関する北京条約48の締結後に再開されました。1910年、中華異学会、第零アンチ・カルト連隊及び超常現象の確保収容に関する王立財団の元構成員からなる12人の調査隊は四川省西部の四土地区で探査を実施しましたが、この時ジャクソンはすでにデング熱でカルカッタで死去しており、彼の残された手記での地名転写や地図があやふやだったため、調査隊はジャクソンにボウショックと称される場所を発見できず、SCP-CN-1500-1の所在地も特定できませんでした。財団はさらに1912年と1915年に、調査隊を2回に分けて派遣し、打箭炉ダルツェムド地区49炉霍タンゴ地区50松潘スンチュ地区51などの地区で探査を実施しましたが、SCP-CN-1500-1の発見に至りませんでした。その後、四川地区の情勢が不安定になったことで財団は当地域での調査作業を中止したため、計画はまたも先延ばしにされました。

1937年、国民政府が重慶へと遷都し、四川中部の情勢は大幅に安定化しました。一方、IJAMEAの攻勢により、華東地区の元異学会拠点の多くを失った財団は、中国での職員と資材を西北、西南地区へ移転することを余儀なくされました。これを機に、財団は中国西北・西南地区のアノマリーの発見及び回収を開始しました。1942年、財団がSCP-███(現在はSCP-CN-███)の追跡中に、汶川ぶんせん52で偶然に1枚のSCP-CN-1500-4を回収しました。その精神影響性質を認識した財団は、SCP-CN-1500-4をSCP-███としてナンバリングし、温江53に設置される臨時サイト-███へ保管しました。SCP-CN-1500-4に対して実験を行った結果、財団は1944年にはじめて、被験者を通じてSCP-CN-1500-1との接触に成功。財団からの接触に対して、SCP-CN-1500-1は敵対的な態度を貫いていたため、実らない接触を経験した財団は、私服エージェントを派遣してSCP-CN-1500-1を監視する方針に切り替えましたが、これも失敗に終わりました。SCP-CN-1500-2の異常性を判明した後、財団はSCP-CN-1500に対するさらなる実験計画を一時凍結することにしました。

1949年以降、財団の中国大陸における影響力は急激に弱体化しました。新しい人民政府の協力を求めつつ、財団は中国大陸における職員・資材を華東地区の大都市や、集中的に設立された複数のサイトへと移転。人手不足に苛まれた財団は、やむなくSCP-CN-1500-1との直接的な接触を中止、カメラによる間接的な監視に切り替えました。1983年10月になってやっと、SCP-CN-1500-1と接触すべく私服エージェントが再度派遣されました。当時のSCP-CN-1500-1-1は、態度が比較的に開放的で西南官話を流暢に話すことができたため、複数回の試験的な交流を経て、財団は1984年6月にSCP-CN-1500-1-1との本格的な交流を実施。同年12月、SCP-CN-1500プロジェクト・チームが設立。同時期に中国西南地区の研究サイトが少なかったことから、チームはサイト-CN-91の所属となり、その後、人類学者のハワード・ジェン博士がチームリーダーに着任しました。

チーム設立後、1984~1990年の7年間にSCP-CN-1500-1~-4に対し大規模の調査研究が実施されました。しかし初期では、SCP-CN-1500に対する認識不足が原因で、また歴史的にも当時の中国支部はミーム災害の危険性に対する認識が足りなかったため、1984~1990年の間に、SCP-CN-1500プロジェクト・チームでは50名以上の研究員とフィールドエージェントが脱落または異動し、一時期は当時のサイト-CN-91で職員交代率が最も高いプロジェクト・チームでした。そして1990年には、SCP-CN-1500-1、-2及び-4の異常性は初歩的に同定され、特別収容プロトコルの確立によりその危険性が回避可能になった後、脱落防止や余剰人員削減のため、SCP-CN-1500プロジェクト・チームは23号研究チームに再編され、サイト-CN-91の直属からサイト-CN-91言語研究部門(のち撤廃、異常言語及び宗教研究部門に吸収される)の所属になりました。1992年、23号研究チームは研究の重点をSCP-CN-1500-1、-2及び-4からSCP-CN-1500-3へ移し、これを手がかりにSCP-CN-1500-1の宗教、習慣と口伝歴史についてさらなる研究を開始しました。しかし、SCP-CN-1500-2及び-3の異常性により、当時の研究者はSCP-CN-1500-1との接触時間を抑えなければならず、フィールドワークの進捗は緩慢でした。6年後の1998年に、『普十麦ポシマ人(通称SCP-CN-1500-1)についてのフィールドワーク論文集』が出版されたことで、ようやくSCP-CN-1500-1の言語、宗教、習慣及び口伝歴史についての基本記述が完了したと言えます。

SCP-CN-1500-3の異常性を鑑み、財団は1993年からSCP-CN-1500-3の受動的暴露時間を短縮させるための自動翻訳システムの開発に着手し、1999年にはZhugyui-83-I型翻訳機の開発を完了。当翻訳機は、SCP-CN-1500-3の受動的暴露を遮断するとともに、受信したSCP-CN-1500-3を中国語に通訳し音声情報として出力することができ、これを用いることによりSCP-CN-1500-1との交流時間が大幅に延長され、SCP-CN-1500-1の文化に対する研究の幅と深さはより大きいものとなりました。同年、財団は収容を強化すべくSCP-CN-1500-2の上空を飛行禁止エリアとして指定し、アウトポスト-CN-91-23を設立。アウトポスト-CN-91-23の存在により、SCP-CN-1500-1を近距離で観察することが可能となりました。

フィールドワーク資料の完備のおかげで、2003年にZhugyui-83-II型翻訳機の開発が完了。その後、SCP-CN-1500-1に対する詳細研究や横の軸での比較研究についての論文や著作が次々に現れ、2004年のたった1年で『SCP-CN-1500-1とSCP-2481』『SCP-CN-1500-1とボン教54の神話体系の源流に関するいくつかの考察』や『SCP-CN-1500-3の言語系統論的考察』など、学界に多大な影響を及ぼした多くの傑作が発表される運びとなりました。しかし盛況は長く続かず、2008年に四川省アバ自治州汶川でM8.0の大地震が発生したことで、財団はアウトポスト-CN-91-23及びSCP-CN-1500-1との通信をロスト。アウトポスト-CN-91-23との通信の復旧後、SCP-CN-1500-2建築群は土砂崩れにより壊滅状態となったとの情報が入り、さらにその後の救助活動ではSCP-CN-1500-2の異常性が完全に無力化したことが確認されました。SCP-CN-1500-2の跡地で救助活動を行った結果、SCP-CN-1500-1の生存者を15名発見しましたが、2名が挫滅症候群55により死亡。その後、財団はSCP-CN-1500-1-1を含む残りの13名の生存者をサイト-CN-91へ移転させ、標準人型オブジェクト収容エリアへ収容しました。

2008年12月、6ヶ月にわたる心理学的介入による治療を実施した後、財団はSCP-CN-1500-1の生存者との交流を試みましたが、SCP-CN-1500-1-1以外の個体はすべて交流を拒否。これについて、SCP-CN-1500-1-1は「彼らは不信者と話したから竜母が災いを下したと思い込んでいる」と主張しています。研究員が目的を打ち明けた後、SCP-CN-1500-1-1はあえて中国語西南官話を話し始め、これにより研究員はSCP-CN-1500-3に暴露せずともSCP-CN-1500-1-1と直接に会話を行うことができました。この件で、SCP-CN-1500-1の文化に対する研究の幅と深さはさらに大きいものとなりました。

長期間の栄養不良と、大地震を経験したことで生じたPTSD(心的外傷後ストレス障害)56症状などの影響で、2008~2010年の間、7名のSCP-CN-1500-1が様々の要因により死亡。残りのSCP-CN-1500-1の精神・身体状態も芳しくなく、SCP-CN-1500-1の絶滅は不可避であると考えられています。2009年、ハワード・ジェン博士は定年により引退した後、チームリーダーの後継者であるセレナ・シュー博士は、残りのSCP-CN-1500-4を用いてSCP-CN-1500-1の一族を復興させる実験計画57を提案しましたが、チームメンバーの全員が反対。しかし、シュー博士は計画を強引に推し進めたことで、倫理委員会中国支部が介入しシュー博士を免職しました。その後、23号研究チームの管理権限はグナール・チン博士に移譲されることになりました。チン博士が着任後、引き続きSCP-CN-1500-1一族の文化を保護するための記録作業を推進し、この作業はSCP-CN-1500-1の完全滅亡まで続きました。

2018年10月6日未明、SCP-CN-1500-1-1が自らの収容室で死亡。解剖により、死因は心血管疾患と判明しました。これにより、SCP-CN-1500-1は完全に滅亡することになりました。2018年10月8日、23号チームも解散となり、プロジェクトの関連文書は簡単な整理作業を経て、サイト-CN-91異常言語及び宗教研究部門に移譲される事になりました。SCP-CN-1500についての研究は、一段落つくことになりましたが、残された記録・資料のまとめはまだ終わっておらず、SCP-CN-1500-1は1つの民族としてその初期の歴史にも曖昧な部分はまだ多いため、将来の研究者により整理・研究されることが待たれます。

補遺CN-1500-2: SCP-CN-1500-1の宗教観58

普十麦ポシマ人」(「竜人」の意)と自称するSCP-CN-1500-1は、中国四川省アバ自治州に住む、プロト-サーキックに類似した宗教を信仰する民族である。しかし、中央アジアや東ヨーロッパに居住するウラル語族話者が信仰していたプロト-サーキシズムとは異なり、SCP-CN-1500-1の宗教は“崇高なるカルキスト・イオン”と呼ばれる実体との関連はそれほど密接ではない。逆に、彼らの宗教はSCP-2481三符水会ホイ・バ・フトゥイなどの異常実体や要注意団体の宗教体系と大きく関連していると考えられる。

SCP-CN-1500-1の宗教体系は「普母」ポム59と呼ばれる女性神格を中心に展開している。原始的な宗教として、SCP-CN-1500-1の宗教体系は壮大な神話体系と複数の複雑な儀式によって構成されているものの、哲学的/神学的に比較的に深く研究されることはない。SCP-CN-1500-1の神話体系においては、「格謝」クセ60(「神」の意)と呼ばれるのは「普母」ポムのみであり、それ以外のすべての神格は「杜」ドゥ61(「御霊」の意)と呼称されている。

「普母」ポムの上半身は人間で、下半身が蛇であると伝えられており、西の最も高い山に住んでいるとされている。伝承によると、世界には最初、雪と剥きだした岩しかなかった。「普母」ポムが世界を巡り歩く時、これを退屈に思い、尻尾を剥きだした岩に叩きつけ谷を作った。谷が現れたことで、川が流れ始めた。そして、「普母」ポムは尻尾で川の中の砂をかき混ぜ、その砂が岸辺に落ちると人間になった。「普母」ポムは人間に婚姻と生育を教えた後、西の山へと戻った。その後、「普母」ポムは寂しく思ったので、一人の人間を選び、彼の皮膚を剥いて「普母」ポムに似た「杜」ドゥに生まれ変わらせた。SCP-CN-1500-1の神話体系で、この「杜」ドゥ「普巴」ポパ62と呼ばれている。「普巴」ポパは、その後「普母」ポムの伴侶となる。

SCP-CN-1500-1の神話体系においては、周辺のチベット・ビルマ語派話者民族の伝承でもよくある英雄譚や、文字を失った経緯についての伝説63の存在を除き、最も重要とされる2つのエピソードは「大いなるドゥの反乱」と「普十麦ポシマ誕生」である。SCP-CN-1500-1個体の主張によると、「大いなるドゥの反乱」は「普母」ポムが地上を離れたきっかけであり、「普十麦ポシマ誕生」はSCP-CN-1500-1の始まりとされている。2つの物語の詳しい内容は以下の通りである。

「大いなるドゥの反乱」: 「普母」ポム「普巴」ポパを創造した後、西の最も高い山へ戻った。何年か経つと、西の遠くから「波雄」ポヒュン64という名の大いなる「杜」ドゥが現れた。彼は人間を侍らせ、「普母」ポムに反旗を翻した。「普母」ポムは大いに怒り、雷で「波雄」ポヒュンを倒した。「波雄」ポヒュンが地面に倒れ込むと、その身体が一つの国となった。「波雄」ポヒュンを倒した「普母」ポムは怒りさめやらず、「杜」ドゥを祀り自らの地位を脅かす人間を滅ぼそうとしたが、「普巴」ポパが止めに入る。「普母」ポム「普巴」ポパが衝突し、「普母」ポムの住処である山は崩された。争いの末、「普母」ポム「普巴」ポパに敗れ、ある星に閉じ込められた。

普十麦ポシマ誕生」: 「普母」ポムはより多くの人間に自らを奉仕させたいと思うが、人間の寿命が短く体も弱く、山に連れてくるとすぐ死んでしまう。ここで「普母」ポムは一人の人間を選び、皮膚を剥いて「杜」ドゥに生まれ変わらせようと思ったが、「普巴」ポパに「この山は二柱もの『杜』ドゥでは住めない」と言われた。なので「普母」ポムは人間の皮膚を剥いて、半分の「杜」ドゥに生まれ変わらせてあげた。これが「普十麦」ポシマの祖先である。しかしこれでは彼は子孫を残せないと憂い、「普母」ポムは彼に「十雅」シンガ65を与え、結婚し子孫を残せるようにした。彼の息子たちは後に「普十麦」ポシマとなり、「闊巴」コパ66とも呼ばれている。

「大いなるドゥの反乱」では、SCP-2481や漢族上古神話に類似した内容が多くみられる。漢族とチベット族・チャン族との親縁関係やSCP-CN-1500-1が閉鎖的な点から考えると、類似した神話の起源が遥かな昔である可能性、至ってはSCP-CN-1500-1がSCP-2481-3及び夏異常文化群と同じルーツをもつ可能性も捨てきれないだろう。横方向での比較研究はまだ始まったばかりで、先が見えない状態にあるが、将来的には、夏異常文化群研究の結果次第でこの分野での大きな発見が期待される。

SCP-CN-1500-1の祭礼は、主に4種類に分かれる。1つ目はSCP-CN-1500-1に「舒碩」シュショ67と呼ばれる例祭で、毎月の新月と満月の夜に執り行われる。「舒碩」シュショは一般的に午前零時の20分前から始まる。その際、SCP-CN-1500-1-1は1枚のSCP-CN-1500-4を頭の上に掲げながらSCP-CN-1500-2-34(祭壇)の上階に立ち、SCP-CN-1500-1-2~-6は下階に立つ。その他のSCP-CN-1500-1は、下階の周辺に集まる。そして、SCP-CN-1500-1-1はSCP-CN-1500-3で下記の語句を繰り返して唱える: 「竜母よ我らに糧を与え給え、竜母よ我らに血肉を与え給え」68。この時、一部のSCP-CN-1500-1もSCP-CN-1500-1-1に合わせて唱え始める。この過程は通常午前零時20分まで続き、SCP-CN-1500-1全員が一斉に唱えることで祭礼は終了する。SCP-CN-1500-1-1によると、この祭礼の目的は月に2回「普母」ポムに奉仕することで、「普母」ポムから災いが降りかからないようにするためのものである。またSCP-CN-1500-1-1は、SCP-CN-1500-2が倒壊したのは不信者と話したのではなくその月の「舒碩」シュショをおろそかにしたせいだと信じている。

2つ目はSCP-CN-1500-1に「沙索」シャソ69と呼ばれる季節祭で、3ヶ月ごとに新月の日の正午に執り行われる。SCP-CN-1500-1-1~-6はまず6枚のSCP-CN-1500-4を製造し、その後すべてのSCP-CN-1500-1個体は順番にSCP-CN-1500-2-34(祭壇)の上階へ登り、トルコ石のナイフで右手の中指を切り、上階の土鍋へ血を滴らせる。全員がこの過程を終わらせると、SCP-CN-1500-1-1~-6は土鍋の中の血を加熱した後、SCP-CN-1500-2-34(祭壇)の下階へ降りて、新たに製造したSCP-CN-1500-4を顔に被り、SCP-CN-1500-3で「竜母よ我らに身体を与えくださり感謝いたします」70と繰り返して唱えながら、身に着用している衣服を少しずつを脱ぎ捨てる。初期の記録では、この際SCP-CN-1500-1-1~-6は性行為に及ぶことがあると記されているが、20世紀80年代以降の記録では見られない。土鍋の中の血が沸騰状態になると、SCP-CN-1500-1-1はSCP-CN-1500-2-34(祭壇)の上階へ登り、土鍋の血を飲み干す。その間も、SCP-CN-1500-1-2~-6は唱え続ける。SCP-CN-1500-1-1が血を飲み干した後、顔に被るSCP-CN-1500-4を外し、かまどへ捨てる。その後、SCP-CN-1500-1-1は下階へ戻り、衣服を改めて着用する。そして、SCP-CN-1500-1-2~-6も順番にSCP-CN-1500-2-34(祭壇)の上階へ行き、同様に顔に被るSCP-CN-1500-4を外し、かまどへ捨てた後、下階で衣服を元に戻す。SCP-CN-1500-1-1によると、この祭礼の目的は、SCP-CN-1500-1の先祖が「普母」ポムによって皮膚を剥かれ「普十麦」ポシマになった経緯を記念するためのものである。また、土鍋の血を飲み干す時「非常に気持ちよく、『普母』ポムがささやきかけているのを感じる」と主張している。SCP-CN-1500-2の跡地のかまどから回収したトルコ石の破片に異常性は検出されなかった。

3つ目はSCP-CN-1500-1に「西索」スィソ71と呼ばれる葬祭で、SCP-CN-1500-1-1~-6のいずれかが死亡、かつ後継者を指定している状態でのみ、翌日の正午に執り行われる。SCP-CN-1500-1-1~-672はまず、死者が着用している衣服を除去し、遺体を清めてから、SCP-CN-1500-2-34(祭壇)の上階へ運ぶ。指定された後継者は、トルコ石のナイフで死者の体表に付着するターコイズ質のウロコを落としつつ、その破片をかき集めてかまどへと捨てる。ウロコが完全に落とされると、後継者は遺体を分解し、五官、内臓及び生殖器を切断しかまどへと捨て、それ以外の部分を土鍋に入れ煮詰める。後継者が遺体を煮詰めている間、他の5人はSCP-CN-1500-2-34(祭壇)の下階にてSCP-CN-1500-3で繰り返して「汝の選びし後継ぎに導きを与えん」73と唱える。遺体の筋肉が完全に糊状に煮詰められると、後継者は鍋の中の骨格をすくいあげ、かまどへ捨てた後、鍋の内容物を飲み干す。内容物を飲み終わった後、後継者はSCP-CN-1500-2-34(祭壇)の上階に留まり、トルコ石の破片以外のすべての有機物が燃え尽きると祭礼は終了する。4種類の祭礼の中で、「西索」スィソは唯一、通常のSCP-CN-1500-1の参加を必要としない祭礼である。注意すべき点として、通常のSCP-CN-1500-1個体が死亡後、その遺体も類似した方法で取り扱われるが、死者の家族全員によって食されることになる。遺体の腐敗や死因を問わず、遺体を食すことは食用者に一切の悪影響を及ぼさないようである。SCP-CN-1500-1-1は、このような儀式は死者の魂を「永遠に家族と竜母に繋ぎとめる」効果があるとしている。

4つ目は新生祭で、SCP-CN-1500-1は「魯佐」ルツォ74と呼称している。通常では、SCP-CN-1500-4の被影響者がSCP-CN-1500-4もしくはその残片を顔面部に固定した状態でSCP-CN-1500-2に侵入した場合、もしくはSCP-CN-1500-2の被影響者が影響プロセスの段階IIIに突入した場合に執り行われる。対象がSCP-CN-1500-1-1と接触すると、SCP-CN-1500-1-1は簡単な会議75の後に、SCP-CN-1500-1全員を招集する。その後、SCP-CN-1500-1-1は何名かのSCP-CN-1500-1に対象の身を清め、衣服・装飾や外部から視認可能なインプラントを除去するよう命じる。その後、SCP-CN-1500-1-1が手配した4~8名のSCP-CN-1500-1は、順番に対象をSCP-CN-1500-2-34(祭壇)上階へ運び、かまど付近で寝かせる。そして、SCP-CN-1500-1-1はSCP-CN-1500-2-34(祭壇)の上階へ登り、SCP-CN-1500-1-2~-6は下階へと登る。SCP-CN-1500-1-1は、地上に集まるSCP-CN-1500-1たちに対して、新しい仲間の入族を宣言する。その後、対象がまだSCP-CN-1500-4の影響を受けていない場合、SCP-CN-1500-1-1はその場でSCP-CN-1500-4を製造し、対象の顔面部に30秒の間貼り付けることで対象を感染させる。そして、すべてのSCP-CN-1500-1はSCP-CN-1500-3で「竜母よ新たな兄弟/姉妹を与えくださり感謝いたします」76を繰り返して唱える。この際、対象もSCP-CN-1500-3を使用し、SCP-CN-1500-1に合わせて唱えようとする。対象の発音ミスは唱える回数を重ねるたびに少しずつ減少し、祭礼開始の50分後になると発音ミスは完全になくなる。その後、SCP-CN-1500-1の全員はSCP-CN-1500-3である祝詞を唱え始め77、対象もSCP-CN-1500-1を模倣して祝詞を唱えようとする。そして、SCP-CN-1500-1-1はトルコ石のナイフで対象の胸腹部の皮膚を切開し、大量のトルコ石の粉末の付着された体表を露出させる。これにより、対象は完全にSCP-CN-1500-1に変化する。次に、SCP-CN-1500-1-1は、対象の元からある皮膚を少しずつ落としつつ、落とされた皮膚をかき集め土鍋へ投入し煮詰める。この間、対象を含むすべてのSCP-CN-1500-1は、前述の祝詞を唱え続ける。煮詰めは通常2時間に続き、この間に対象の体表に付着したトルコ石の粉末は互いに融合し、他のSCP-CN-1500-1が体表に備えるターコイズ質ウロコ状構造と大きさ同等のウロコを形成する。そこで、SCP-CN-1500-1-1は鍋の内容物を対象に飲ませる。内容物を飲み切ると、対象は地面から立ち上がる。その後、SCP-CN-1500-1-1は前述のトルコ石のナイフで右手の中指を切り、血を土鍋へ滴らせ、他のすべてのSCP-CN-1500-1も順番にこの行動を繰り返す。この過程が終わると、対象は血を沸騰まで加熱し、そのまま飲み干す。ここで、祭礼は終了する。SCP-CN-1500-1-1によると、この儀式は「ある不慮の出来事」の後の、SCP-CN-1500-1の人口を増やす唯一の方法である。「不慮の出来事」について質問したところ、SCP-CN-1500-1-1は「よく分からない」と主張した。

財団が接触したことのある他のプロト-サーキシズム信者団体に比べて、SCP-CN-1500-1の祭礼はずっと温和で、人身御供やカニバリズムの要素は少ない。この現象については、現在は2つの仮説がある。一部の研究者は、理由を経済的な要因としている。SCP-CN-1500-1が居住する███川の河谷地域は交通不便であり、またチベット高原の東端に位置することから気候は複雑で土地の人口への支持力が低いため、SCP-CN-1500-1の人口は持続的に増長することがなかった。加えて近隣の村との距離も遠く、SCP-CN-1500-1の社会も閉鎖的であったため、ある意味「贅沢」とも言える人身御供を自ら放棄したと考えられる。もう一方で、SCP-CN-1500-1の宗教はもともと、フィン・ウゴル語派の諸民族のプロト-サーキシズムから由来したものではなく、夏異常文化群から受け継がれてきたものであり、人身御供を好んでいた殷の民と一線を引くためにSCP-CN-1500-1がこの行為をやめ、四川西部の山脈地帯に移住した後も人身御供を再開しなかった、との意見を主張する研究者もいる。現時点では、2つの仮説はいずれも十分な証拠を欠けており、さらなる証拠による証明が待たれる。

補遺CN-1500-3: SCP-CN-1500-3概説78

SCP-CN-1500-3の概要

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█県の四川省での位置

SCP-CN-1500-3(自称「pʰœçmo」ペヒモ、古い資料では「撇莫ペモ語」とも)は、四川省アバ・チベット族チャン族自治州█県に居住していたSCP-CN-1500-1の集団が使用する言語である。SCP-CN-1500-3の母語話者は一時期150人以上に及んだが、2008年の四川大地震の影響により、現在ではSCP-CN-1500-3を第一言語とする話者の人数はわずか7人、すべてサイト-CN-91に収容されている。

SCP-CN-1500-1は最初、財団前身組織により1869年に発見されたが、様々な要因により、初めての本格的な接触は1984年のことであった。1992年、H. ジェン博士は論文『四川西部で新たに発見されたチャン語群言語について』で初めてSCP-CN-1500-3を記述し、その後1998年出版の『普十麦ポシマ人(通称SCP-CN-1500-1)についてのフィールドワーク論文集』でその詳細について述べた。さらにその後、同氏はフィールドワーク資料をもとに、現在我々が使用しているZhugyui-83-II型翻訳機を開発した。

SCP-CN-1500-3とチベット語・チャン語との一部語彙の比較

古典チベット語 チャン語 ギャロン語 ラヴロン語 SCP-CN-1500-3
語義 チベット文字 ワイリー方式 南部方言(桃坪タオピン 北部方言(麻窩マウォ 卓克基チョクツェ 日部ズブ 二崗理ガンリ 茶堡チャプ 観音橋グラムデ 業隆ジャロ 普克蘇ポクス
གནམ gnam χmə³³da²⁴¹pə³³ mutup nɐm mkʰɐ təməs nə mkʰɒ nɤmkʰa mə⁵³ tə³³mu⁵⁵ tma
སྤྲིན་པ sprin pa χde³³ zdɤm zdᴇm zdim zdəm zdɯm zdəm⁵³ zdem⁵³ zlam
太陽 ཉི་མ nyi ma ma³³sɿ⁵⁵ mun kəjɑm⁴⁴ tɑŋi ʁnɑ ʁmbɣi ɣnə⁵⁵ ʁbɣi⁵³ ʃno
མེ me mi³³ təmtʃək sə mə ʁmə smi ʁmə⁵⁵ ʁmuˀ⁵⁵ zme
ཁྱི khyi kʰuə⁵⁵ kʰuə kʰə nɑ ku zᴇ kə to kʰɯna kʰə⁵⁵ta⁵⁵ /
kʰə⁵⁵
kʰe³³ne⁵⁵ kʰan
སྒོ་ང sgo nga χtə⁵⁵ tɕiwəst tɑɡɑm tɑɡum tʰɒɣ tɤŋgɯm stʰɑɣ⁵⁵ stʰeˀk⁵⁵ tsɑk
ལྷ lha tsʰie³³ kʰsi ɬɐ ɬᴇ ɬɒ fsraŋma ɬa⁵³ ɬa⁵⁵ kʰsɛ
འདྲེ 'dre du³³ χluʂ ɬɑ ndʐə ɬɑ ndʐᴇ dju ɬɤndʐi ndʐi⁵³ /
ɬa⁵⁵ndʐi³³
ndʐe⁵⁵ du
རྨི་ལམ rmi lma χmu³³ rmuʁe tɑrmo təlmɑ rmo tɯjmŋo rmo⁵³ rmo⁵⁵ ʃmu
ཤི་པ shi ba ʃe⁵⁵ ɕi kɑʃi kɑsə tɯsi sə⁵³ sə⁵⁵ si

明らかに、SCP-CN-1500-3の語彙はチャン語群の諸言語との高い類似性を見せている。統計の結果、SCP-CN-1500-3とその他近縁のチャン語族諸言語との間の非同根語率(普克蘇ポクス-観音橋グラムデ非同根語78.6%、普克蘇ポクス-桃坪タオピン非同根語72.6%、普克蘇ポクス-卓克基チョクツェ非同根語76.3%)は、チャン語族内の方言同士の間の非同根語率(卓克基チョクツェ-金川チュチェン非同根語52.8%)より高いことから、SCP-CN-1500-3は独立したチャン語族言語の一種であると我々は判断した。SCP-CN-1500-3の言語系統論的な位置については、未だに諸説ある状態である。非同根語率だけを見ると、SCP-CN-1500-3はラヴロン語やギャロン語より、チャン語との関係がやや近い。音韻体系から見ると、SCP-CN-1500-3は多音節語に富み、子音連結が多く声調に欠ける。これらの特徴はギャロン語やダウ語などのギャロン諸語に類似している。また、SCP-CN-1500-3の音韻変化はギャロン語ともチャン語とも大きく異なっている。以上のことを踏まえて、2000年以降で我々の研究チームは、SCP-CN-1500-3はチャン語群の祖語から独立した発展を遂げた言語群に属しているという意見に傾いている。横の軸での比較研究において、SCP-CN-1500-3の位置が曖昧になる問題も、これで説明できるだろうと考える。

SCP-CN-1500-3の文法について

SCP-CN-1500-3は膠着語であり、大量かつ発達した接辞を用いることで文法的な意義を表している。多くのチベット・ビルマ語派の諸言語と同様に、SCP-CN-1500-3の基本語順はSOV型であり、能格言語の特徴を併せ持つ(即ち他動詞の主語に接辞がつく)79。一般的には、SCP-CN-1500-3の自立語は、名詞・動詞・形容詞・形容動詞・代名詞の5種類に分けられる。時間の関係で、今回の報告ではSCP-CN-1500-3の文法体系の詳細について触れないことにする。詳細の情報については、拙作『SCP-CN-1500-3についての研究』を参照のこと。ここからは、SCP-CN-1500-3の文法の特殊な点について述べる。

チャン語群の他の言語に類似し、SCP-CN-1500-3においては向きを表わす接辞が発達している。SCP-CN-1500-3に向きを表わす接辞が12種類(上向き、下向き、前向き、後ろ向き、東向き、西向き、南向き、北向き、山を背に、山向き、川を背に、川向き)存在しており、その多くは動詞の具体的な意味に関与しない80が、動詞の向ける具体的な方向を表わす。ほとんどの接辞は他のチャン語群言語でもめったに見られない。これについては、SCP-CN-1500-1の長期間の閉鎖的な生活に関連があるとされており、外部と隔絶されたことで、SCP-CN-1500-1は生活における微細な変化を表現するために、向きを表わす接辞を大量に生み出したと考えられている。

前述の環境での発展を遂げたSCP-CN-1500-3は、証拠性81の表現にも富んでいる。SCP-CN-1500-3には5種類の証拠性表現(体験、目撃、非目撃、伝言、推定)があり、これほど複雑な表現はチャン語群でも珍しい。一般的には、このような証拠性表現もSCP-CN-1500-1が外部と隔絶された状態で、情報エントロピーの過剰により生み出した一種の判別手段であると考えられているが、一部の研究者はこれを「ある種の古い系統の名残」としている。

SCP-CN-1500-3の母語話者数および使用状況

SCP-CN-1500-3はSCP-CN-1500-1のみによって第一言語として使用されており、その異常性が原因で第二言語話者数は無視してもいい状態である。SCP-CN-1500-1の一族は外来語の衝撃をほとんど受けてはおらず、SCP-CN-1500-3を第一言語とする比例は100%に及ぶ。しかし、SCP-CN-1500-1一族の人口は比較的に少なく、全盛期でも156人しかおらず、現在はたった7人に減少している。この絶対数が原因で、SCP-CN-1500-3は絶滅の危機に瀕している。保守的な予測では、SCP-CN-1500-3は10年以内に完全に消滅する。

残念ながら、現在ではSCP-CN-1500-1は世代交代を行なっていないため、SCP-CN-1500-3を復興させることはできない。またSCP-CN-1500-3の潜在的な危険性を鑑み、周辺の近縁民族でSCP-CN-1500-3の教育を推し進めることも不可能である。これは我々にとって実に遺憾であると言わざるを得ない。

補遺CN-1500-4:インタービューログ-B-01

付記: 2008年5月四川大地震発生後、財団はすぐSCP-CN-1500-2の所在地で救助活動を実施。72時間にわたる救助活動の後、SCP-CN-1500-2跡地からは計15名のSCP-CN-1500-1生存者を救出、うち2名が重体のため死亡。その後、財団は残りの13名をサイト-CN-91へ収容し、6ヶ月にわたる心理学的介入治療を展開。2008年12月1日、ハワード・ジェン博士はSCP-CN-1500-1-1と震災後初となる直接的交流を行った。以下は会話の記録である。

[記録開始]

[ハワード・ジェン博士はZhugyui-83-II型翻訳機を着用し、耳に遮蔽措置を施した2名のセキュリティスタッフとともにインタービュー室へ入室。2名のセキュリティスタッフは、ジェン博士が腰を掛けたのを見届けてから、SCP-CN-1500-1-1の背後に待機。エージェント・フーはインタビュー室隣のモニター室にて監視を行う。]

ジェン博士: こんにちは、SCP-CN-1500-1-1。ここでの生活は慣れましたか?

SCP-CN-1500-1-1: [SCP-CN-1500-3で] こんにちは。そのjɛとかなんとか82はなんでしょうか?

ジェン博士: あなたに与えられた番号です。ご存知のはずですが……震災後、いろいろと事情が変わっていまして。

SCP-CN-1500-1-1: [軽く頷く] ええ。ここに来ている間は段々と分かってきたんです。あなた方がただ者ではないと。それで、今回は何を聞きたいのでしょうか?

ジェン博士: 我々はただ……震災のこともありますし、あなた方の状態を確認したいだけです。

SCP-CN-1500-1-1: ただの確認ですか?子供だましはおやめください。本当に何も企んではいないのですね?

ジェン博士: もちろんです。心配はいりません。我々に決して悪気はないのです。

SCP-CN-1500-1-1: まあ、悪気があったら、私はとっくに毒殺されているのでしょうね。でも、悪気がないというのなら、まず質問を2つさせてください。

ジェン博士: どうぞ。

SCP-CN-1500-1-1: まずは、震災の後、我々ポシマ人は何人生き残っているのですか?

ジェン博士: あなたを含めて、跡地からは15人の生存者が発見されました。その中の2人は怪我がひどく、残念ながら救出後に亡くなりましたので、いまはたったの13人です。

SCP-CN-1500-1-1: 本当にくまなく探したのですか?ほんの少しの漏れもなく?

ジェン博士: 人命探査装置で、すべての場所は検査済みです。[SCP-CN-1500-1-1は困惑した顔を示す。]人命探査装置は、ええと……犬ならわかるのですね?犬がエサを嗅ぎ分けることができるように、この機械は人の心臓音を聞き分けることができます。現在の救助活動ではよく使用されるものです。

SCP-CN-1500-1-1: つまり、機械だけで家の下敷きになった人の心臓音を聞き分けられるというのですか?機械を信じてしまっていいのですか?山の外の世界は、もう機械に頼らなければならなくなっているのですか?

ジェン博士: ええ。この機械の信頼性は様々な成功例で実証されています。これだけではなく、ここにある多くのものが機械です。たとえば、この円筒は[ジェン博士は右手でインタビュー室の天井の隅に取り付けられている監視カメラに指さす]、ここ部屋で起きた出来事を遠くにいる人に見せることができます。あそこにある丸い塊も機械です。[ジェン博士は右手でインタビュー室のドアの自動ロックに指さす]危険な状況が起こると、扉は施錠され、一匹のハエたりとも逃がしません。私が首にかけているこの輪っかも機械です。ほら、私が中国語を喋っていますが、通司83いらずであなたとポクス語で話すことができるのは、これのおかげです。山の外ではもう、機械はどこにもあります。しかし、あくまで我々人間が機械を制御しているのであって、人間が機械に操られることはありません。

SCP-CN-1500-1-1: いえ、他意はありません。私はただ気になるのです。私が山に入る前の頃は、機械はともすれば壊れる、頼りない舶来品でした。長らく山を出ていないので、山の外の世界はもうこんなになっているとは……ではもう一つの質問ですが、あなた方は一体何者ですか?思い出しましたよ、あなたに見覚えがあります。あなたはあの時、自分は炉霍ろかくから来た行商人だと言っていましたが、こんなに立派で明るい部屋を使っておいて、ただの行商人というわけではありませんよね?

ジェン博士: 落ち着いてください。我々はただ好奇心の強い人の集まりです。あなた方のところに訪ねたのは、あなた方の言語、文化と生活がどのようなものなのかを知りたいだけで、下心は一切ありません。あなた方に拒絶されてしまったから、しかたなく行商人を名乗っているのです。こうしないと、あなた方と会話する機会は得られません。

SCP-CN-1500-1-1: [懐疑的な表情で] 本当にそれだけですか?

ジェン博士: ええ。身も蓋もないことを言いますと、あなた方を害する能力は我々にあります。しかし、我々は決してそうしませんでした。我々は、友好的な意思を持ってあなた方と接しようとしているのです。ほら、長い間、あなた方の生活に一切介入はしなかったでしょう?大地震が起きたから、やむなくあなた方を廃墟から救出しただけです。

SCP-CN-1500-1-1: さきほど、ポシマ人の生き残りはたったの13人だと仰っていましたよね?民国二十二年の不慮の出来事でも、こんなに人が死ぬことはありませんでした。まさか本当に、ポム様への奉仕をおろそかにしたことで災いを下されているというのですか?

ジェン博士: あなたが言うには……

SCP-CN-1500-1-1: [割り込む]我々の歴史と文化を知りたいだけというのなら、あの時直接言ってくれればよかったのに。私は前任のʃcɛɬpuシキェスプと違って、山の外から来たものです。あなた方があの時、十分の誠意を見せてくれたら、私が他の者を説得できたはずです。

ジェン博士: 我々もあの時は慎重すぎたのです。なにより、我々はあなた方の文化と言語を知りたい一方、そんなに早く……ええと、あなた方の言葉で言うと、山に入りたくないのです。ご理解いただけると。

SCP-CN-1500-1-1: [しばらく沈黙] もしかして、ペヒモ語が原因ですか?たしか、ペヒモ語はポム様に近づくためのものだと、以前誰かに言われたことがあります。なら成都弁、成都弁はわかりますか?[SCP-CN-1500-1-1は老派成都方言に類似した中国語西南官話方言で話し始める]私の生まれは崇寧84でして、成都弁は少しだけわかります。崇寧弁がわからないなら成都弁で話しますが、官話85はそんなに話せません。

ジェン博士: [マイクを外し、都江堰方言で話し始める]崇寧の生まれでしたら、灌県弁ならわかるはずですよね?仰る通り、あの時我々が深入りしなかったのは、ペヒモ語が原因の一つです。ご理解を。

SCP-CN-1500-1-1: [しばらくの間沈黙、そしてゆっくりと老派都江堰方言に類似した中国語西南官話方言で話し始める] 久しく外の言語で喋っていないのでうまく喋れないかもしれません。ご存知のはずですが、我々が山にいるときはいつもペヒモ語を使っていますから。私が山に入ったのは民国三十年のことで、あの時は16歳でした。あの時からずっと崇寧弁を使っていなくて……今は何年でしょうか?

ジェン博士: ええ……民国紀元ですと、民国九十七年になりますね。今も民国紀元を使っているところがあります。

SCP-CN-1500-1-1: もうそんなに経ったのですか……はあ、ポシマ人はこんなに大きな災いに見舞われて、もしかするともう終わりかもしれません。昔は、ポム様はもう我々ポシマ人を見捨てられたと言う人も居ました。我々は何年も生き延びてきて、何年もポム様に奉仕してきたというのに、ここ数十年は変化は一切ありませんでした。しかし、山の外の世界はもう、我々が想像だにしなかったものに変貌してしまっているのです。実は数年前から、山の外の世界はどうなっているのかと、もうそろそろ外に出てはどうなのかと、私は思ったのですが、やはり足を踏み出せませんでした。今となっては、もう足を踏み出す機会すらありません。あなたがさきほど、あなた方が我々の歴史や文化を知りたいと仰いましたね?もう先が見えない我々の歴史と文化は、果たして知る価値はあるのでしょうか?

ジェン博士: そういうわけでもありません。漢人の目から見る世界は、ポシマ人の目から見る世界と形姿が違うかもしれないのですから。あなたはさきほど、ポシマ人はもう終わりだと仰いましたが、あなたさえよければ、記憶がまだあるうちに、我々とともにそれを書き留めることができます。こうすれば、少なくともポシマ人が無駄に終わることはないでしょう。

SCP-CN-1500-1-1: 書き留める?

ジェン博士: あなたは、語ることのみに集中すればいいのです。書き留めるのは、我々に任せてください。

SCP-CN-1500-1-1: まあ……いずれにしても、もう子孫に伝えることはできませんし、赤の他人に伝えるのもいいでしょう。しかしすぐには無理かもしれません。一旦帰って、崇寧弁でどうやって表現するか工夫する必要がありますし、色々と考えをまとめたくもあります。もしよろしければ、今日はここまでにして頂けませんか?

ジェン博士: [頷く]ええ、そうしましょう。

[ジェン博士は退室。SCP-CN-1500-1-1が収容室へ帰還後、他の職員も順に退室。インタービュー終了。]

[記録終了]

終了報告書: その後、23号研究チームはSCP-CN-1500-1-1を対象に高度なフィールドワークを実施。実施中、SCP-CN-1500-3関連の調査以外では、SCP-CN-1500-1-1は始終、中国語西南官話を使用し、「あなた方には便宜を図る」との態度を示している。他のSCP-CN-1500-1との接触は、すべて失敗に終わった。

補遺-CN-1500-5: お別れの挨拶86

皆様、こんばんは。

SCP-CN-1500-1の最後の一人——SCP-CN-1500-1-1が他界したという報せは、もうすでに皆様のところに入っているのでしょう。ここに皆が集まる理由についても、もう察しが付いているのではないかと思います。はい、今日の集まりをもって、23号研究チームは解散することになりました。つまり、この会場を出ると、もう我々の23号研究チームとお別れです。23号研究チームの解散申請は、サイト-CN-91異常言語及び宗教研究部門に正式に批准され、我々の書類や手記も整理された上で、そちらに移譲されることになります。

未練を感じる人は多くいるのでしょう。私も同じです。2008年に23号研究チームに参加してから、日々は本当にサプライズの連続でした。日夜問わず語彙表を入力したことも、徹夜で関連文書を解読したことも、長い努力の末ようやく得られた成果に喜んだことも、今や忘れられない記憶です。この場にいる皆様もきっと、似たような記憶を持っているでしょう。研究のアプローチは違えど、ルーツは通じ合っていると思います。

23号研究チームは、ハワード・ジェン博士が一手に作り上げたチームです。チーム設立以来の30年間、実にたくさんの人の参加と離脱を、たくさんの遠回りと成功を経験してきました。しかし誠に残念ながら、すでに天に召されたジェン博士を、今日この場に誘うことはできません。この場にいる多くの人が、ジェン博士と一緒に仕事をしたことがあると思います。博士の貢献は、皆様にとっても忘れ難いものでしょう。もちろん、ジェン博士と同期の先達たちも、偉大の一言に尽きます。私は、SCP-CN-1500-3のミーム効果で旧式のミーム災害治療による後遺症に苦しんだ研究員たちのことを忘れません。保護措置が不十分だったことでSCP-CN-1500-1に変化したエージェントたちのことも忘れません。今は想像できないかもしれませんが、23号研究チームはかつて、サイト-CN-91で職員交代率が最も高いプロジェクト・チームでした。7年の間、全部で56名の職員が失われていました。平均すると、一ヶ月半ごとに一人の同僚が永遠に離れる、ということになります。今ではEuclid、至ってはKeterクラスのオブジェクトがよく見られ、一ヶ月半に一人なんて大した頻度ではないと思われがちですが、1980年代にSafeクラスのアノマリーの研究を主要任務としていたサイト-CN-91にとって天文学的な数字だったでしょう。しかし、まさに先達たちが苦痛と血で落とし穴を示してくれたおかげで、私たちは憚ることなくフィールドワークに打ち込み、自分の身を心配することなくSCP-CN-1500の研究に没頭することが出来たと言えます。

サマンサ・モルガン博士のことも忘れません。彼女が率いたチームは、SCP-███の追跡中に偶然にもSCP-CN-1500-4を発見し、それを手がかりに初めてSCP-CN-1500-1との接触を果たしました。70年も前の先達が、いかにして雨季の細道に足跡を残しながらSCP-CN-1500-2にたどり着いたのか、綺麗で明るい研究室に座る私たちには考えもつかないでしょう。彼女は、財団によるSCP-CN-1500-1との初接触という貴重な資料を残してくれました。その中に記載されている情報は今から見ると正確性に欠け、ひいては間違いだらけのところもあるでしょうが、「ない」を「ある」にするというのは、十分に「突破的」と言えます。これらの資料があるからこそ、我々は暗闇に流されることなく、少しずつSCP-CN-1500の輪郭を思い描くことができたのです。

さらにその前の財団の先達たちや、前身組織に所属していた先達たちのことも忘れません。SCP-CN-1500についての知識がゼロの状態で、伝説の一言を頼りに地域の探査を敢行したことは、動機はどうであれ、こと自体は忘れられるべきではありません。そしてなにより、その行為は我々財団の理念を体現しています。今の私たちが未知の理論を探索することは、120年前の人々が川西地区の山脈と渓谷を探索することと本質的に同じだと思います。このような探索は、将来にも代々受け継がれていくでしょう。

そして、SCP-CN-1500-1の一族が、どのようにして外界と隔絶された状態で、口と耳だけを頼りに、太古の歴史を神話の口伝として頑なに伝承してきたのかは、私たちには想像できないかもしれません。確かに、SCP-2481-3を通じて、あの神秘的で狂気じみた時代を窺うこともできるかもしれません。ただ、齢4000歳の実体が過去のことを覚えているというのは、別におかしなことではないと思います。しかし人間は?人間は代々の伝承を通じて初めて、時間に忘れ去られることなく、あの時代の出来事を後世に残せるのです。この点から言えば、この場にいる皆様にとっても、SCP-CN-1500-1は感情を持たない中性的なアノマリーではなく、尊敬に値する民族であるべきだと思います。

SCP-CN-1500-1は、あたかも果てしなく広く、境界の見えない世界でした。私たちはこの広い世界を漫遊し、通り過ぎる情報を掴み取りながら、世界の元の姿を思い描いていました。しかし、SCP-CN-1500-1-1が亡くなったことで、この世界は突如として、無限大の宇宙から狭い金魚鉢に成り果ててしまったのです。私たちは、まるでSCP-CN-1500-1の境界線に触れたようで、その境界線は私たちの記録した文字の行間にありました。しかし、宇宙の裏に隠されたもっと古く、もっと神秘的でもっと広い世界は、ぽん…と小さな窓が閉まるように、私たちから離れていきます。私たちにとって、財団全体にとって、ひいては歴史全体にとっても、遺憾だと言わざるを得ません。

しかし、私たちの探索はまだ終わっていません。集められた限りある資料の中では、まだ多くの謎が潜んでいます。これらの謎は、私たち、私たちの後継者や後継者の後継者によって解決されていくのでしょう。23号チームの解散は、決してピリオドなどではなく、新たな旅路を示すコンマであると、私は思います。

ご静聴、ありがとうございました。

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