SCP-CN-2464
評価: +9+x
blank.png

アイテム番号: SCP-CN-2464

オブジェクトクラス: Necropsar Neutralized

レベル2/CN2464

無効化


1

SCP-CN-2464を記録したものとされている写真。1894年撮影。撮影者不明。

特別収容プロトコル: 当オブジェクトは既に無効化されていると推定され、以前の収容プロトコルは廃止されました。SCP-CN-2464の発生地近辺における対象に関連したあらゆる風説は、既に財団によって封殺されています。SCP-CN-2464の活動が疑われる区域は軍事管理区域の名目で保護し、一般民間船の侵入を禁じてください。

説明: SCP-CN-2464はトンガ王国東部に存在するアルカイック諸島(Nga Moutere Tawhito、マオリ語で「太古の群島」の意)近辺にて高頻度で目撃される異常生物です。対象は一般的に「樹木に変化する巨大なタコ」もしくはそれに類似する外見で説明されます。

SCP-CN-2464はアルカイック諸島の土着の民謡や伝説上で古くから語り継がれて来た存在であり、外観に関して数多くのバリエーションが存在します。先住民の移住の歴史は西暦十世紀前後まで辿れるため、こうした伝説や民謡に関する具体的な発生時期や歴史については既に考証が不可能となっています。これらの外観のバリエーションは多数の現地部族のトーテムにも取り入れられており、その力強い外見を通じて力を獲得し、部族間における指導者としての地位を示すことができると考えられています。

SCP-CN-2464は、現代において「動物と植物の間」に位置づけられるあらゆる架空生物の原型とされています。この類の「生物」の目撃情報は20世紀初頭までは時折報告されていましたが、現存する画像資料は非常に少なく、標本として残存しているものはありません。オブジェクトは20世紀初頭にオセアニアの財団施設によって初めて記録され、データベースに登録されました。しかしその後、オブジェクトに関して追加の更新は行われませんでした。

補遺I: SCP-CN-2464に関連する歴史及び文献記録

SCP-CN-2464が最初に記録された文書は、1668年にフランスの探検家ジャン=ポール・アントワーヌ・ド・ソワソン(Jean-Paul Antoine de Soissons, 1622~1687)が南太平洋の島群を探索した際に書き記した手記であると考えられています。

2

ジャン=ポール・アントワーヌ・ド・ソワソンによって描かれた「樹の巨人」が人間を捕食する場面の絵画。しかし、彼は直接この光景を目撃したわけではなく、絵画の内容は彼の想像に過ぎないと一般的には考えられている。


……ここの先住民はこのような幻想的な生き物に対して独特な立場を取っている。彼らはこういった半分が樹木、半分が蛸の怪物を「樹の巨人(nui rakau)」もしくは「水の夜の使者(He karere ka puta i nga po ua)」と呼んでいた。私は当初、この奇妙なデカブツに対して彼らは強い崇拝感情を抱いているものと思い込んでいたが、実際に耳にした現実はどれも私の憶測の反対を行っていたのだ。

現地の人と貿易する過程でこの生物について言及した時、部族の祭司と思われる人物がそれらには近づくなと忠告してきた。このとてつもなく大きな生き物は悪魔の化身のような存在であり、満月の晩が来るたびに大地から目覚め、邪悪な妖術で月を覆い隠してしまうらしい――その祭司は私に、あれらは月食を引き起こす元凶だと教えてくれた――そうして村にやって来ると、家畜や子供を捕食するのである。だからこの島の男達は、この生き物を斬り殺すことで、自身の力強さと男らしさを示すのだ。

ここでの旅の期間中、光栄なことに私は招待を受け、現地部族の成人の儀を見学する機会に恵まれた。夜の帳が降りてすぐ、部族の中で16歳となった少年は松明を持って山奥へと向かい、ほぼ完全に樹木と化した「樹の巨人」を自力で見つけ出さなければならない。そして枝を一本へし折ると、皆の前に持ち帰り、枝の中心から滴る怪しげな青い汁液(現地の人間はそれをこの生き物の「血液」と呼んでいた――本当かは知らないが)を一族の前で飲み干すのだ。そうして悪魔に立ち向かう勇気を示し、またその体液を飲むことで悪魔の力を獲得した少年は、一人前の戦士として認められるのである。

理解を深めていくにつれ、私はこの儀式を執り行うのは想像しているほど容易ではないことに気がついた。夜の密林で毒蛇や蜘蛛に襲われる危険性についてはひとまず置いておくにしても、事実として「樹の巨人」自身も非常に危険な存在なのである。「樹の巨人」の中でも、抵抗もせず、若者達のなすがままに枝を折らせてくれるのは老衰している個体のみであり、経験が浅い子供達がそのような個体を正確に見分けるのは非常に難しい。私も以前、部族の歴史について聞いた際に、とある首長の一人息子が儀式の中で選ぶ枝を誤り、生まれたての「樹の巨人」が地面から突き出した鋭い枝に胸を一突きされて亡くなった、という話を聞かされたことがあった。

1737年、フランスの博物学者ジャック・ユーゴー(Jacques Hugo,1693~1757)はその著作である『ポリネシア紀行』(Voyage en Polynésie)の中で、「嵐の後に名もなき無人島へ流れついた」経験について言及しています。彼は『木の精』(Dryad)の一節にて、「名も知らぬ小さな島の上」の奇妙な生物について記しました。

hugo.jpg

ジャック・ユーゴーの肖像。ヨハネス・コルネリスによって制作。


……午後の太陽が雲一つない青空に静かに吊り下げられている。海は凪いでおり、久しぶりの心地よい暖かさが私を包んだ。私は運命の女神が自分の味方についているような心地がしていた。そのため野営地を離れ、運試しがてら、低木林のもう一端へ行ってみることに決めたのだ。

しかし、私が目にした光景は想像していたような素敵なものではなかった。低木林の突き当りまで辿りつくか否かという時に、遠くの林の中央で何本かの木が風もないのに揺れているように見えたのだ。私は幾らか自身の目を疑ったが、それらの樹木は特別な魔力でも宿しているかように私を惹きつけ、この足を向わせた。私は足取りを早めると、林をまっすぐに抜け、自身の好奇心を満たそうとした。

しかし林の端まで辿り着いた時、私はおかしなことに気がついた。樹林の中で、突然一本の「苗木」が目の前で尖った針のように土を突き破り、気ままなメデューサのごとくしばらく身を震わせ、大きく揺れ出したのだ。それから全ての枝を広げると、周囲の普通の苗木と同じようにその場に佇んだのである。林の中からは、うっすらと鼻を刺すような、花の香りに似た甘ったるい香りが漂っていた。

ともかく、私は必死に恐怖心を抑え込みながら、極めて慎重にあの背の低い「樹木」へと近づいた。何歩も歩かないうちに、あの生き物の網のように広げられた小枝の真ん中では、鷹のような黒ずんだ嘴が空へ向かって大きく開かれ、獲物の訪れを静かに待ち侘びているのが見えた。私は瞬時に周囲で蠢いている灰緑色の樹木の正体を理解した。恐らくあと一歩でも近づけば、あれらの枝はすぐさま大蛇のように私へ絡みつき、開かれた巨大な口に放り込んでいたのだろう。


……私は極めて慎重に、まだそれほど大きくない「メデューサ」の一つへと近づいた。これらの奇怪な樹木に気づかれないようにするには、音を立てないように、それでいて俊敏さを保つために、全身の体力を使い果たさなければならなかった。私は登山杖で木の枝に恐る恐る触れたが、それは何の反応も示さず、何ら変哲のない木と同じようにその場に佇んでいた。おかげで私は少しずつ警戒心を緩め、そっとその木へ近づき、近距離での観察を始めた。

これらの木を遠くから見た時は、他の樹木と何ら違いはないように思えた。しかし一定の距離まで接近すると、その表面が小さく不規則な鱗で覆われていることが分かった。鱗はある種の規則性に従って並んでいるようであり、遠目には奇妙な灰緑色に見えたが、近くで観察すると絶えず変化する虹色の光沢を放っていた。それは私に、かつての錬金術師らが語っていた「孔雀の尾(Cauda Pavonis)」を思い出させた。

この奇妙で怪しげな生物の観察に夢中になっていると、何度かの鳥の澄んだ鳴き声が聞こえて来た。声の方を見れば、一羽の無辜な赤いスズメ目の小鳥が、恐る恐る「メデューサ」の枝に沿って登って行き、徐々にあの魅惑の香りに吸い寄せられて行くのが見えた。小鳥が「魔女」の大きく開かれた巨大な口を覗き込んだその刹那、黒い嘴は勢いよく閉じられ、瞬時に鳥の首を噛み千切った。直後に周囲の枝も巻きつき始め、蛸の触手のように鳥の体を掴むと、丸ごと口の中に放り込んだ。全てはたった数十秒の出来事だった。その後、全ての枝は再び広げられ、空中で軽く震えると、静止して元の姿に戻った。まるで何事もなかったかのように。


……青い血を垂れ流し続けている木の幹の断片を野営地に引きずって行くのに、午後を丸ごと費やしてしまった。予想していた通り、その黄褐色の表皮が再び灰緑色に戻ることはなかった――あれはまだ生きている「メデューサ」の樹皮の色だったようだ。その嘴は始終開いた状態で固定されていたため、私はその中に潜む何列にも並んだ鋭い針のような歯を一目で確認することができた。

私はかつてアフリカで「食人樹」と呼ばれる植物について聞いたことがある。そのような樹木は枝で被害者に巻きつき、樹冠にある口に放り込むそうだ。この奇異な生命をこの目で見るまで、私は単なる古い伝承としか捉えていなかった。当時の私にはどうしても分からないことがあった。どうして猛獣のように、人間や動物を捕食する植物が存在するのだろうか?

私は徐々に自分の推論は正しかったのだと確信し始めていた。私が見たのは、正に伝説上の植物と動物が交合して誕生した精霊、木の精(Dryad)なのだと。私はかつて、中国やギリシア、ペルシアでも同様の伝承を耳にし、アフリカで似たような報告を見たことがある。それが今では、世界の最も辺鄙な場所で、ついにこの目でその奇妙な生命を見ることが叶ったのだ。私は深く息を吸い、胸の前で十字を切った。わが主より賜られたこれほどにも素晴らしい出会いに感謝して……。

当著作は、現代におけるSCP-CN-2464に関連した風説の最も主要な発信元と見なされています。これらの記述は同書における他の奇異な動植物に関する描写や、「ポセイドンの財宝」に関する記述と合わせて、ジャック・ユーゴーが大衆からの注目を大きく集め、多くの裕福な商人のパトロンを獲得することに繋がりました。当人が1757年の海難事故で亡くなった後も、彼が残した記録は依然として19世紀の航海探索活動に大きな影響を及ぼしました。しかし、これによってSCP-CN-2464の性質が初歩的に解明されたと思われていたにもかかわらず、ジャック・ユーゴーが学術界において終始神秘主義の立場を取っていたこと、またオブジェクトの説明に関して多くの誇張や捏造が加えられていたことにより、当該人物は広範囲から批判を受けました。そのため、当該文書の信憑性については常に多くの人々から懐疑的な目を向けられており、そのうち一部の見解は長期間に渡って、SCP-CN-2464に関連する風説の変化の方向性に影響を与えることとなりました。

その後の約90年間、SCP-CN-2464を発見したという報告は稀にありましたが、大半の記録はあやふやかつ具体的な証拠を何一つ提示できず、ユーゴーの死後に行われたより「精密」な陳述も多くの矛盾点を孕んでいました。ユーゴーは『ポリネシア紀行』にて当該島嶼の位置について非常に曖昧に記述していたため、オブジェクトの研究は一旦停滞状態に陥り、「樹の精」も徐々にクラーケンやシーサーペント等の他の伝説上の生物と同様に、風説上にのみ存在する伝説の生物と見なされていくようになりました。

1888年、イギリスの生物学者アラン・ロバート・スペンサー(Alan Robert Spencer,1858~1942)が遠洋視察活動中にSCP-CN-2464を再び発見したと主張し、現在に至るまでで最も詳細なレポートを提出しました。同時にこのレポートはSCP-CN-2464の実在を証明する最も有力な証拠とされています。

……ジャック・ユーゴーの全くあてにならない記述をもとに、航行を続けて四十五日目、我々はついにこの無限に広がる青色の中であるものを見つけた。それは巨大な火山島である。密集したサンゴ礁によって囲まれていたため、我々はやみくもに岸に寄るわけにもいかず、船を寄せるのに適した天然の港湾はないかと、島の周りを延々と周回していた。

島を発見した次の日、おおよそ朝九時四十五分に、目が良く利くスティーブがウキウキと私の部屋の扉を叩いて押し入り、あの島の砂浜に「一風変わった物」を見つけたと告げてきた。私はまともに服装も整えないまま甲板にある望遠鏡のところまで飛んで行き、彼の指さす方角を見た。そこには非常に停泊に適した天然の港湾があり、そう遠くないところにあった洞窟の傍には、どれほどの間そうなっていたのかもわからない崩れた木製の小屋の残骸があった。

船が完全に停止すると、我々数人は次々と船から降りた。最初に木製の小屋に入ったのは私である。そこで私は、幾つかの奇怪な破片と、文字が記された非常に小さな紙片を見つけた。その筆跡はジャック・ユーゴーのものと完全に一致していた。そうして私は、ついに辿り着いたと知ったのだ。


……ともあれ、噂で聞いていた通り、ジャック・ユーゴーのこの生物に関する報告には相当の誤りがあった。あれは正確には「動物と植物の中間の生物」ではないし、「人間と樹木が交配してできた子孫」でもない。明らかに頭足綱の生物の一種である。フランシス1はそれをツツイカやコウイカ、タコや絶滅したベレムナイト等と共に、独立した亜綱に分類することを提案してきた。当初、私はそれについて懐疑的であった。なぜならこの生物の触手の構造は非常に複雑で、八本の主要な触手の末端は更に不定の本数に分かれており、このような構造は頭足綱として前代未聞だったからである。しかし、我々が実際にこの生物の標本を解剖した後では、もうこのような疑義を抱くことはなかった。我々はこれらの生物を同一の亜綱に分類することで同意し、鞘形亜綱(Coleoidea)と名づけた。議論の末、我々はこの生物が八腕形上目における特殊例であると見なしたのである。その奇妙な形態は我々にド・ソワソンが執筆した「樹の巨人」を連想させた。彼とジャックが書き残したものを記念するため、我々はこの種類の生物をNuiracaus dryadeと命名することにした。

実を言えば、陸生の頭足綱の生物を発見したことは、少なくとも私にとってはそれほど意外なことではなかった。この古き種族は出現以来ずっと、軟体生物の中では最も先進的かつ複雑な種類の生物であった。同じ軟体生物である腹足綱は早々に陸地を支配していたにもかかわらず、頭足綱はこの広大な大陸上に始終居場所を得られなかったことについて、私は更に不思議に思っていた。その謎は今日という日にようやく解き明かされたのである。それらはとっくに縄張りを陸地に広げていただけでなく、極めて聡明な手段を用いて、南太平洋の広大な亜熱帯のジャングルに自身らの存在を秘匿していたのだ。


……それは非常に大きな生物だった。成体のNuiracaus dryadeの体長は通常2~4m前後だが、私達は島で10mにものぼる体長の超巨大標本を採取することができた。この大きさはもはや北海に存在する伝説上の巨大な怪物・クラーケンの原型となったダイオウイカにも引けを取らないだろう――しかし、後者は生涯を海中で過ごすため、海水の浮力はその巨体を支えられるであろうが、この生物は全く以て事情が異なる。

この点は酷く私の直感に反した。しかし、Nuiracaus dryadeは卓越した手段によってこの問題を解決したのだ。この生物は近親であるアオイガイ属(Argonauta)と同じように、体表の外側に腺が分布しており、炭酸塩やリン酸塩に豊んだ液体を分泌することができるのである。このような液体は空気に触れて蒸発かつ凝固すると、体表に多数の空洞を持つ硬い外殻を形成する。この殻が正に、この生物の表皮を樹皮のように粗くしている原因であり、同時に絶えず上方へ成長する体を支える支柱にもなっていた。若い個体は薄い殻しか作れず、往々にして色素の沈殿が少ないがために灰緑色を呈する。それが成長と年齢の増加に伴い、体表のカルシウム質の殻も絶え間なく厚みを増していき、やがて灰褐色となるまで続いていく。この時のNuiracaus dryadeはほとんど生命としての末期に至っており、それ以上の移動や成長は難しい。樹冠も常に捕食時の、もはや俊敏性の欠片もない弛緩した状態を保つしかなくなっており、その場に静止したまま、ただ死の訪れを待つのであった。


……以前に聞いていた伝聞と全く違った。Nuiracaus dryadeは肉食性の生物にもかかわらず、人間には微塵も興味がないようだ。言い換えるなら、あれらの鋭くも脆弱な角質の嘴は、人間に対して致命傷を与えるほどの力を持ってはいなかった。

あれらにとって最も主要な食物は鳥類であり、現地の活発な植食性の鳥類を捕らえるために一連の独特なシステムを編み出していた。捕食時は全ての触手を最大限に広げて木の枝に扮し、同時に角質の嘴を開けて獲物の訪れを待つのだ。この時、成熟したあるいは既に発酵した液果を模倣して、嘴周辺の腺からある種の強烈な甘ったるい香りを発することで、鳥類をおびき寄せようとするのである。ひとたび鳥類が嘴の襲撃範囲に侵入すれば激しい攻撃を繰り出し、一部の比較的幼い個体などはまだ完全に硬化していない触手を補助的に使用することもある。この策略は必ず成功を収めるわけではないが、あれらにとっては非常に重要な食物の供給手段となっていた。


octopustree.jpg

SCP-CN-2464の活動について記録した写真。同一の調査船団に乗り合わせていた写真家、アントニー・パターン(Anthony Pattern)より1888年に撮影。


……三日の張り込みの後、我々はついに待ち侘びた光景であるNuiracaus dryadeの繁殖行為の全過程を見届けることができた。太陽が西の海面に近づいた頃、Nuiracaus dryadeの大群が地面を突き破って出現し、海辺の草地に集結したのだ。それらは部分的に硬化した触手で自身の重く柔らかい頭部を支えながら、砂浜の上をゆったりと這っていた。それから同族の中で心に決めた伴侶を選ぶと、種を保存すべく繁殖の使命を果たしたのだ。

南太平洋諸島の柔らかい火山砕屑物やサンゴ砂は、この生物に地表下での移動を可能とさせていた。あの生き物の柔らかな頭部は非常に脆いため、硬い触手で自身のために通路を掘るのである。何はともあれ、この大きな生き物は南太平洋の島々の温暖で心地良い陸地の生活に、既に相当に適応しているようであった。

考察をする時間は限られており、我々にはまだ解き明かしていない謎が幾つかあった。我々はNuiracaus dryadeという種がどこで産卵し、どのようにして子供を育て上げるのか知らなかったし、あれらの新生児が危険でか弱い幼年期をいかにして乗り越えるのかも分かっていなかった。我々はもうしばらくこの場所に残り、専らこの奇妙な生物の生態を観察する時間が必要なのかもしれない。

遺憾なことに、この旅程でSCP-CN-2464の有意義な標本は一つとして残されませんでした。本来Nuiracaus dryadeのために用意したホロタイプは不適切な防腐措置と炎天によって迅速に腐敗し、一行は標本を海中に投棄せざるを得ませんでした。それでもスペンサーによる当該種の詳細な陳述と写真証拠は、当該種の実在を証明する大きな後押しとなりました。

19世紀90年代から、SCP-CN-2464に対する目撃証言は急速に減少しました。20世紀で最も著名なSCP-CN-2464に関する目撃情報は、イギリス作家J.R.R.トールキン(J. R. R. Tolkien,1892-1973)が1925年に行った調査活動によるものです。彼はオックスフォード大学のペンブルック・カレッジで教授として勤めていた期間中に、同学で教鞭を執っていたスペンサーからSCP-CN-2464の情報を知り得たことで、対象へ強い興味を抱いたと一般的には考えられています。彼の日記では以下のように言及されています。

3

J.R.R.トールキン。1940年。

……大昔から、森の中には樹木と融合して一つとなる、不思議なニンフがいるとは聞いていた。彼女らはドリュアスと呼ばれている。その一部は月の女神の眷属であり、一部は人間もしくは神と、神の力を宿した樹木が交合して生まれた子供である。その中で最も有名なのは、太陽神・アポロンに追い求められた精霊・ダプネーだろう。アポロンに追いつかれそうになった最後の刹那、母なる大地は寄る辺のない彼女の絶望を受けて大いに憐れみ、彼女を一本の月桂樹へと変えたのだ。

このような半人半樹の精霊は、どのような存在であっただろうか。子供時代の私はこのために満月の日に森をゆっくりと歩き回り、あの美しきドリュアスがその真の姿を現して、私の疑問に答えてくれまいかと祈った。しかし私の知識が蓄積していくにつれ、この夢は破れてしまったのである。だが思いもよらぬことに、数日前、同僚のスペンサー教授から聞いたのだ。遥か彼方の南太平洋にある幾つかの小さな島で、世界の果てで、かつては本当に樹木と動物が融合したような奇妙な生命が存在したのだと。私はすぐさま彼に見に行きたいと訴えた。運が良ければ、彼が当時書き記した島を見つけ、この目でその不思議な精霊を見ることが叶うかもしれない。

この存在し得たかもしれない旅程に関して、トールキンは考証を可能とする文字による証拠を何一つ残しませんでした。しかし、彼が執筆した著名な長編ファンタジー小説『指輪物語』シリーズにはエント(Ents)という種族が登場しており、樹木に擬態する能力を持つといった当該種の一部の特徴には、SCP-CN-2464との関連性が見受けられます。

風説の信憑性に対する疑念から、財団はSCP-CN-2464を解釈するうえで「認識災害」を可能性の一つとして捉え、それに基づいた報告書を製作しました。1929年、財団はオーストラリアのサイト-84にて、SCP-CN-2464に関連する風説の調査を正式に開始しました(当時はアイテム番号SCP-048-OCに指定)。最初期の報告書からは、J.R.R.トールキンをアルカイック諸島へ連れて行ったマオリ人のガイドに対してインタビューを実施した際のものと思しき、音声記録が発見されました。

[記録開始]

[機密未解除]: つまり、当時のあなた方は……どこでその生物を見つけたのですか?スペンサーが当時行ったあの無人島ではないのですか?

[機密未解除]: 樹の巨人のことか。いや、オレらが行った島には人が暮らしてた。

[機密未解除]: あなたはどこでその名前を知ったのですか?

[機密未解除]: あの島……アンタらが何て呼んでるのかは知らないけどよ。現地の人はモケモケ(Mokemoke)って呼んでる。おおよそ……ただ一つとか、孤独って意味さ。あの島は周囲のどの島からもかなり離れてるんだ。

[機密未解除]: それで連れて行ったのですか?トールキンを。

[機密未解除]: あのオックスフォード大学の教授だろ?ああ。そいつを連れて部族の首長に会いに行った。あいつは島にいる半人半樹の怪物にとても興味があると言ってたよ。でも部族のヤツらはみんな、こういった生き物に敵意を持ってたみたいでな。「外から来た人間」がなぜ揃いも揃ってあれを見たがるのかわかんねぇ様子だった。でも船の貨物に免じて、やっぱりヤツに従ったんだ。

[機密未解除]: なるほど……あなた方が目撃したものについて教えてください。

[機密未解除]: アレは確かに……奇妙なヤツだった。一本の木みたいで、すっげぇ高くて、どの木もすっげぇぶっとい枝が八本生えてんだけど、動くんだよ。でもオレらが行った時には、島のそういった木はもうかなり少なくなってた。ヤツらが言うには、ここいらの空を飛ぶ鳥が減ったから、こういう木も一本また一本と枯れちまったんだと。

[機密未解除]: 標本は持ち帰りましたか?

[機密未解除]: ……いや。島中の男が成人の儀式をやるためにヤツらが年取るのを待ってたんだ。アイツらはオレらに一本たりとも持ち去るのを許さなかった。あの教授がそうしたくてもな。

[記録終了]

1933年、Nuiracaus dryadeの標本を手に入れるため、スペンサーは七十五歳の高齢でありながら再び船団を率いて出港しましたが、ジャック・ユーゴーが発見した個体群は既に絶滅していることが判明しました。彼はこれを、後続の船団が持ち込んだ哺乳類によるSCP-CN-2464の捕食と、SCP-CN-2464の主食であったアルカイックショトウシギ(Prosobonia tawhitoensis Gmelin, 1789)の当該島嶼における個体群の著しい減少が原因であると結論づけました。

……言うにも及ばないが、これらの哀れな生き物はその進化史の過程で、旧大陸より来たる齧歯目の哺乳類など目にしたことはなかっただろう。殻による保護をほとんど得られない幼年期のNuiracaus dryadeなど、同様に地下での活動に優れた齧歯類にとっては歩くご馳走と言っても良い。我々が再びかの地に戻った時、現地はネズミで溢れんばかりの勢いだったにも関わらず、Nuiracaus dryadeに至っては影一つ見せなかった。

あれらが消えてしまった主な原因が、このせいなのかはわからない。なぜならあれらにとっての食物――この地で栄えていたアルカイックショトウシギも消え失せていたからだ。こういった小鳥の美しく赤い羽根はポリネシアシギの中でも特徴的であり、私の多くの知り合いはこういった鳥類の標本を手に入れることを誉と考えていた。時が経つにつれ、それらを狩るのは人類にとどまらず、彼らが乗ってきた船から島々へ逃げ出した猫達までもが大量捕殺に参加するようになった。我々は群島中を探し回ったが、幸運にも生存している個体群は二つしか見つけられず、全ての個体を合わせても30羽もいなかった。残念なことに、これらの島でも外来の哺乳類が活動した痕跡が発見された。

最後に裏取りが可能である目撃情報があったのは1942年です。太平洋戦争の勃発により、モケモケ島は米軍基地に徴用されました。この期間中に、現地に駐在したアメリカ軍によってSCP-CN-2464との関連が見られる記録が残されています。

以下は島に駐在していたアメリカ軍兵士、ロナルド・アッカーマン(Ronald Akerman,1921~2012)の日記から回収された資料です。

もう十五日目だ。相変わらず信号は送れない。備蓄はほとんど底を尽いており、弾薬も数えられるほどしか残っていない。全員少なくとも五日は肉にありつけていない。補給船は二日前には到着する予定だったが、未だに影も形もないのは、日本人の動きと関係があるのだろうか。皆の機嫌はとても良いとは言えない。今日のマイクは非常に怒りっぽくなって、砂浜の打ち上げられた海草に向かって発砲していた。ジムとハワードは毎日海まで走り、海岸の一番高い岩の上で遠くを見渡している。だが、彼らが目にできるのは永遠に、果てしなく続く水の色しかない。

夜になると、俺達は大勢で焚火を囲ってぼうとしながら、林で拾った果実を焼いて食べた。苛立った数人がぶつぶつ当てもなく罵り声を上げる中、普段から最も悪知恵を働かせるクリスが急に声を落とし、意味ありげに話し出した。

「お前ら、『樹の巨人』って知ってるか?」

それはこの島に伝わる伝説だった。ここの住民は、この森には鳥を捕らえ、人間を食べる奇妙な木が存在するのだと語り継いで来たそうだ。クリスはそれに関する論文を読んだことがあるらしく、きっと蛸の親戚のようなものだと話した。それは一本の木と同じくらいの大きさで、適当に一匹捕まえるだけでも、俺達全員が二三日続けて食うにも困らないだけの肉が採れるらしい。ここまで聞くと、皆の目は揃ってひもじさにギラついていた。簡単な話し合いをした後、俺達は明日にでも実行に移すことにした。


この生き物を捕まえること自体は大したことないが、見つけるのが大変だった。俺達は山のふもとの森で三時間探し回り、ようやく一匹見つけることができた。肉眼だけでも「樹の巨人」と普通の木を見分けるのは難しくなかった――奴らの灰緑色の皮は林の中でとても目立っており、樹幹はまん丸で、枝も極めて対称的な八角形になっていた。だが奴らは本物の木と瓜二つでもあって、それを見た瞬間、俺はなぜ現地の人がそれを悪魔に憑りつかれた木と見なしているのかを瞬時に理解した。

これらの木が「人を食べる」という島の伝承がどこから生まれたのか、俺にはわからない。むしろ、奴らが人間を相手する時の動きは相当に鈍かった。この大きな蛸を柔らかい土壌から引っ張り出すには、刺激性のある煙をほんの少し炊くだけでよい上に、頭部を丸出しにした奴らは人類の攻撃に対して何ら反撃の手段を持たないみたいだった。

この大物を宿営地に持って帰るのは確かに骨が折れた。その晩、隊内の全ての人間の元に肉が取り分けられた。待ち侘びた肉だ。肉質は少し硬く、直接焼いて食べるには強烈な生臭さもあった。だが野草や嫌というほどに酸っぱい液果と比べれば、ご馳走と言っても全く過言ではない。俺は隣に座っていたジムが、あのほとんど噛み切れない肉に全力で食らいつきながら、顔からひっきりなしに涙を滴らせていく様子をこの目で見ていた。

気がかりなのは、俺達が「樹の巨人」を捕まえる準備をしていた日の朝、ポリネシア人の子供が宿営地まで走って来て、あの生き物を殺すのを止めようとしたことだ。これらの木が現地の文化で特別な地位を得ているとは確かに聞いていたが、別に神として信仰しているわけではなく、悪魔や力の源と見なしているらしかった。

ほんと馬鹿馬鹿しい話だ。だろ?


もし俺が「樹の巨人」を捕まえるためにあの森までついて行ってなければ、今夜自分がとち狂ったと思ったに違いない。俺は正気だ。だが、もし俺達の宿営地が突如現れた大量の走り回る巨樹の精霊に襲われたと話したら、誰もが俺達を寝ぼけているとでも考えるだろう。俺達はまさか、奴らが本当に人類を襲撃するとは思わなかった。クリスですら、だ――彼が読んだ資料では、この動物は非常に温厚で、人に噛みつくことはないと書かれていた。事実は全く異なっていたが。

ともかく、現在、俺達の宿営地は滅茶苦茶だ。どこもかしこも、殴られたり啄まれたりした怪我人と、あの奇妙な木の死体だらけである。俺達は三人くらいを失って、五人が重傷を負った。クリスもそのうちの一人だ。俺は逃げ足が速いものだから軽症で済んだが、俺達の宿営地はその程度では済まなかった。皮肉なことに、今日になってようやく司令部に電話が通じた。そして彼らが最初に耳にしたのは、俺達の宿営地が化け物によって丸ごと廃墟に変えられてしまった、という報告だった。

皆が怪我人を担架で運ぶのに忙しい中、あのポリネシア人の子供は再び現れた。その子は全身血まみれのまま宿営地の出入り口に立ち尽くし、黙って俺達を見ていた。俺はその子が何か知っているのではないかと考え、痛みを堪えながら話しかけに行った。

その子は頭を横に振ると、ポリネシア語で告げた。

「とっくに警告したでしょ。樹の巨人を殺さないでって」


1942年6月19日、モケモケ島南部の森で火災が発生しました。これにより島を覆っていた植生の1/2が失われ、駐在米軍と先住民との間に流血を伴った小規模な衝突の発生に至りました。SCP-CN-2464が実在していた場合、島に生存していた残り僅かな該当種は、この事件によって完全に失われた可能性があります。


……当時の俺達がガソリンを撒きながら進んだ道を辿っていると、遠く離れた山の向こうから、朧げに誰かが泣いているような、奇妙な音が聞こえて来た。

泣き声を追いかけ、炭となった森を抜けると、ポリネシア人の小さな男の子が木の下に跪きながら泣いていた。その木は明らかに「樹の巨人」だった――非常に丸い幹、対称的で整然と周囲へ伸びる八本の枝、枝の末端は更に枝分かれしている。しかし、その全てが焼け焦げた黒に染まっており、軽く触れただけでも大きな黒い破片を落とした。

「なぜ泣いているんだ?」俺は彼に尋ねた。

樹の巨人が死んじゃったから」彼はすすり泣きながら頭を上げ、途切れ途切れに言った。「僕の成人の儀ができなくなっちゃった」

「樹の……巨人?」

俺はあの奇妙な枯れ木に視線を投げた。それほど大きくは見えなかった。

「こいつはお前達の神か?」

「ううん」少年は頭を振った。「神様じゃないよ。でも……」

「これは僕達自身だった。僕達の部族の一部だったんだ。なのにもう……どこにもいなくなっちゃった」

島に駐在していた米軍に対する多くのインタビューはどれも「樹の巨人」の実在を証明していましたが、関連する映像や写真の資料は残されておらず、またSCP-CN-2464個体によるものであると裏づけられる生体標本も存在しないため、依然として風説が真実であるとは立証できませんでした。インタビューを受けた複数の人物による「樹の巨人」に対する説明は概ね一致していましたが、彼らの説明には多くの軽微な差異や、時には自己矛盾すら生じていたため、当該の風説に対する疑念はより深まることとなりました。

SCP-CN-2464が本当に実在しているかどうかについては、現在でも確定していません。現存の証拠では、ある種の生物がかつて短期間だけ存在していたことが示唆されますが、一つから複数の再同定の提案が既に提出されています。現在、オブジェクトはNecropsarクラスに指定され、オセアニア支部の解体に伴い、中国支部の名義下で管理されることとなりました。これ以上の情報が得られない状況下では、当該オブジェクトに対する操作は一切必要ありません。


[記録開始]

[機密未解除]: それで、最近いかがお過ごしですか?

[機密未解除]: まあまあだ。WW2が終わって48年も経つ。今の俺は……君が見た通りだよ。妻を失い、片足を引きずって、だらしがない、気性の荒い変な年寄りさ。それでも毎月多少の年金はもらえてる。子供達も勉学に励んでくれたおかげで、長男と長女はそれぞれイギリスとオーストラリアに渡った。一番下の息子は大学卒業後にニュー・ジャージーに残って、医者として毎月それなりに稼いでる。この子は二年前に妻と金を貯めて一軒家を買ったから、俺もたまに遊びに行ってるよ。だから体がほとんど動かなくなった今でも、毎日そこそこ充実してるんだ。

[機密未解除]: でも心の中でははっきりと分かる。俺は未だに、当時駐屯していたモケモケと呼ばれる小さな島に戻った悪夢を見る。俺達の兵舎と駐屯地は滅茶苦茶になって、どこもかしこも血と散乱したわけのわからない物だらけで、そこにタコの触手みたいな木の精の切れ端が混じってる。俺の前にはあのポリネシア人の子供が立ってる。全身血まみれで、血なのか、涙なのかもわからない赤い液体を目の端から流しながら。

[機密未解除]: その子は、樹の巨人は死んだ、と言うんだ。徹底的に死んじまったんだと。俺は飛び起きて、大きく深呼吸を繰り返す。その後、冷静になってようやく、身に着けている寝巻が汗でびしょ濡れになっていることに気がつく。下の息子によれば、これはPTSDと言って、年老いた退役兵は皆この病気になるんだと。

[機密未解除]: ……だから、あの場所へ戻ると決めたのですか?

4

当時の我々が最後に樹の巨人を見た場所。

[機密未解除]: ああ。たぶん……知ってるだろうが、半月前、あの大火事で生き残った戦友の何人かと連絡が取れた。皆あの事件について覚えてた。俺達は各自の蓄えを持ち出して、ヘリコプターを借りたんだ。モケモケ島の様子を見に戻るために。

[機密未解除]: 全ては順調だった。俺達数人の老いぼれは杖を支えに、現地ガイドの指揮のもと辛うじて島を徒歩で一周した。戦火の痕跡はとっくに大自然に呑み込まれ、島全体が植物に覆われて鬱蒼と茂っていた。トンガ人はこの小さな島をやたら目にかけていて、元のジャングルは大昔に観光地として開発されていた。先住民も俺達を大歓迎してくれ、観光資源を元に少なからず稼いだと言っていた。何もかもが素晴らしかった。ただ俺が最も見たかったものだけが、最後まで俺達の前に姿を見せなかった。

[機密未解除]: ……その日、俺はわざわざあの木を最後に見かけた山のふもとまで行った。焼き払われたジャングルは再び蘇っていた。ガイドは慣れた様子で俺に全ての植物の名前を教えてくれたが、俺が期待していたあの生き物の名前だけはそこになかった。俺はガイドに、樹の巨人を聞いたことないか?と尋ねた。かつてのお前達は、この奇妙な生き物を使って、成人の儀式を執り行わなければならなかったんだぞ、と。

[機密未解除]: ガイドはただ笑って、所詮はただの伝承に過ぎませんよ、と言った。部族の老人達は皆、かつてはこういったものがあったと話すのだが、誰一人証拠を出せなかったらしい。骨も、枝も、一つとして。四十年以上もの時が流れたが、部族の人間は二度とあいつらに出会えていなかった。

[機密未解除]: 今の世代のポリネシア人にとって、漠然として捉えどころのない歴史上にのみ存在する影なんかより、遠くから運ばれてくる真新しい船の貨物の方が、遥かに崇めたくなる存在なのかもしれない。

[記録終了]




補遺II: オブジェクトと関連するメール記録の抜粋(アーカイブ済み)

以下の内容は2023/07/30に更新されたものです。オブジェクトクラスが再指定された理由について言及しているため、HMCL監督官の求めに応じてアーカイブ化されました。





































特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。