アイテム番号: SCP-ES-030
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-ES-030は1m×1m×1mのガラスケース内に収容されます。SCP-ES-030の収容室はサイト-34にあります。SCP-ES-030の収容室の入り口には常に最低2人の警備員を配置してください。
SCP-ES-030の研究に割り当てられた職員は、12時間以上連続してSCP-ES-030の効果範囲内に居続けてはなりません。実施された実験によると、SCP-ES-030の精神影響効果範囲の半径は40 45 50mです。SCP-ES-030に関して、聴覚的、視覚的、嗅覚的な幻覚または異常行動の発生が判明した職員は、治療および依存に対するリハビリテーションのために、サイト-34の心理学科で診察を受けなくてはなりません。
説明: SCP-ES-030はqhapaq hucha1と呼ばれるインカの儀式によって作成された、8〜10歳の子供のミイラ化した遺体です。 放射性炭素年代測定により、15世紀ごろに死亡した遺体だと判明しました。死因は、鋭い物体によって背後から刺され、横隔膜を貫通して胸に至る左半胸郭の穿刺創傷であり、この傷が出血性ショックと多臓器不全を引き起こしました。この死因は他のqhapaq huchaによって作成されたミイラには見られないものです。
SCP-ES-030はほぼ完璧な保存状態にあり、皮膚やその他の軟質組織の弾性を維持し、36.6℃の一定温度を保っています。しかし、様々な実験によりSCP-ES-030は生物学的には確実に死亡していることが判明しています。
SCP-ES-030は自身の周囲半径45 50mの範囲内にいる人物に、自身を崇拝させる異常性を持ちます。影響を受けた対象はSCP-ES-030の服を元の服と似たもの2に着替えさせること、食べ物や花輪、ろうそく、宗教的なシンボルを供えることを試みます。
SCP-ES-030の「健康」を改善するために、対象は次第に自身の生活に必須な行為を無視し始めます。対象は当初、SCP-ES-030に捧げることと対象自身が消費することの両方を目的とし食料を集める集団を形成します。しかし、対象がSCP-ES-030への奉仕に専念するようになることで、後者を目的とするものは次第に減少します。その結果、ほとんどの場合脱水症または飢餓によって、SCP-ES-030の影響を受けた集団は終了します。対象の約█%がSCP-ES-030への奉仕を続けるために自身を生存させようとし、[データ削除済]。
回収記録: SCP-ES-030は192█年に、アルゼンチンのサルタにある████████山にて、████████氏と█████████氏によって回収されました。SCP-ES-030が地元の町に運ばれてくると、その周囲で小規模なカルトが発生しました。村人はろうそくを灯し、供物を捧げました。その後の調査により、█████氏が似た特徴を有する別のミイラ3との交換でSCP-ES-030を入手したことが判明しました。
█████氏は、アンタレス協会の最初期の構成員の1人であり、初代「鉄槌」であると推測されている人物です。196█/12/24の夜、彼とその家族が消息不明になりました。その後、196█/1/20、[データ削除済]に彼が保有していたコテージで彼の居場所についての調査が行われ、機動部隊デルタ-5 ("遺跡の追跡者")によって彼の家族および他の被験者、従業員らしき人々、SCP-ES-030およびその場にいた唯一の生存者である彼の息子[データ削除済]とともに発見されました。
SCP-ES-030の輸送と調査の間、業務に携わった職員は行動の大きな変化と様々な種類の幻覚を起こし始めました。その後SCP-ES-030の効果範囲が特定され、現在の収容プロトコルが策定されました。197█/██/██以降、SCP-ES-030は完全に収容されていると見なされています。
事件 I-030-7: 2008/2/27、SCP-ES-030収容室周辺の電気系統および廊下の監視カメラの故障と警備員の無線通信断絶が発生しました。異常事態が検出されたことで、追加の警備員が派遣され、SCP-ES-030の[データ削除済]を監視していた警備員を発見したため、彼らは安定化と治療のために医療部門に移送されました。
SCP-ES-030収容室内の西側の壁に、走り書きされた文字が発見されました。この筆記に使用された塗料はまだ特定されていません。