
エアロック。
アイテム番号: SCP-PL-043
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル: オブジェクトの確保は現在事実上不可能となっており、これを受け確保が行われるのは複合建造物の十分な研究が尽くされてからとなります。オブジェクトへの技術者用エントランスは三名の警備員により終日監視が行われています。エアロックが存在する地下階においては研究セル27も存在し、同研究セルは市庁舎の保安所に偽装されます。市においては居住セクター12も開設されており、SCP-PL-043担当職員により利用されています。機動部隊が残りのオブジェクトへの進入口3ヶ所の捜索を毎日行います。
複合建造物が完全に調査済みとなった場合は、複合建造物の合法的前哨地への再編が計画されます。
複合建造物へ進入可能であるのは五名(研究員二名、警護係二名、医師一名)からなる数組に限られます。複合建造物の特定エリア群における危険性との関係上、遠征参加者全員に事前訓練の後に小火器セットならびにガイガーカウンター、水、保存食を装備する事が義務付けられます。医師は自身が特定の時に対応する数の探索隊員に提供可能となるだけの十分なルゴール液1の備蓄を携行する事が必須となります。
探索隊員は鉛製スーツの装備を行います。第四室への遠征の際は遠征隊員の間にノイズキャンセリングヘッドホンの配布を行う必要もあり、「居住地」への遠征の際は追加で暗視装置の装備が要求されます。
以下に挙げる行為は厳禁とします。
- SCP-PL-043の電源供給の回復;
- 第二室の六階2への進入;
- 第五室への進入;
- 第六室へと続く扉の開放の試行;
- プロジェクトマネージャーの同意なき第六室由来の実体群との接触
リビジョン番号218: 2009年に特別収容プロトコルの改訂が行われ、学術的利益をめぐる貴重な職員の安全確保が優先される事となりました。新たな手順導入の要因は、オブジェクト内の許容し難い死亡件数ならびにSCP-PL-043の探査方法の陳腐化でした。長期にわたる方法論的研究が人材における損失を最小化した事ならびにオブジェクト担当職員向けの特別訓練が、プロトコルが後に改訂される理由となりました。改訂版に則り、2009年1月1日より次の手順が有効となります。
- 未知のエリアの探査は機動部隊アルファ-18により行われ、機動部隊は核兵器の貯蔵庫発見の際にはその武装解除や、次いでO5司令部による更なる決定を受ける時までの確保を行う事が可能です。
- 「Dクラス」に割り当てられた職員の利用は、機動部隊アルファ-18による核兵器貯蔵庫の存在の有無に関する確認が未了のエリアにおいては実施不可となります。Dクラス職員の利用は改訂版に則り、探査が実施済みであるにもかかわらず学術遠征隊員にとって危険となり得るSCP-PL-043のエリアにおいて行われるべきです。
- 安全が確保されたエリアは、複合建造物の防衛リフレクター活動に対抗する指導通信システム(研究セル27からの接続が可能な内線)に接続されます。
- 研究遠征組は、複合建造物の防衛リフレクターを制御を可能とする仕組みの追加捜索の目的で技術職員の増員が行われます。
- 学術遠征隊の職員への小火器の支給はその適切な利用範囲の義務訓練六ヶ月を経た後に限り行われ、訓練の肯定的な完了は必ず試験の合格により確認されます。SCP-PL-043担当職員による適切な小火器の使用を行う能力の欠如は、免許の剥奪や、次いで他プロジェクトへの異動ないしは財団からの解雇に繋がる原因となります。
探査の完了後、職員は放射線生物学の専門研究の対象となり、場合により反ミーム治療や心理鑑定ないしは精神鑑定の対象となる可能性も存在します。
説明: SCP-PL-043は地下の複合建造物であり、海面下約100~450mの位置に存在します。SCP-PL-043のうち調査済みであるのは一部(概算3%未満)に過ぎません。複合建造物の地図情報によれば、全ての有益な部屋の合計面積は約12,000,000,000m2であるとされています。SCP-PL-043の全長は20km近く、幅は約50kmで、これには全十二階分の面積の合計が匹敵します。
オブジェクトは私有地であり、且つ[編集済](セキュリティクリアランスレベル3以上の職員はプロジェクトマネージャーへの適切な申請の提出を経た後に、地図上のこれまでのオブジェクトの位置情報特定の表示の試行結果を知る事が可能です - ███████・█████████████博士)の土地を取り囲む地域の下に存在します。
複合建造物へのメンテナンス用進入口は2004年に上記市庁舎の地下階において、将来的な拡張や必要な技術職への引き継ぎを行うべく建造物の測量を行っていた建築士らにより発見されました。財団はポーランドにおける選択された情報源を捜査するアルゴリズムが地方紙に翌日付で印刷される予定であった記事を発掘した際、こうした情報の掌握に至りました。財団はオブジェクトの性質の検証が行われる時まで記事印刷の差し止めを行い、その異常性が確認された際、メディアならびに話題に興味を抱く個人らはこの件から撤収させられています。複合建造物の探索隊員らによる最も重要な発見は2009年よりも前の出来事であり、現在の研究は著しく遅めのペースで進められていますが、これは探索隊員による健康や生命のあり方に重点を置く改訂版安全確保手順が利用されている為です。
ポピェルニツキ博士による悲惨な遠征や回収された研究員の日誌の内容と関連し、9階のトンネル進入口は改訂版安全確保手順適用の日に封鎖されました。
捜査: 外部によるSCP-PL-043の研究は、多数の分析によればまさに第二次世界大戦の時期において最も活発であったとして、主にその第二次世界大戦時における意義に集中していました。しかし、市庁舎自体ならびに当局の職員らの繋がりは適切な捜査なく残されていませんでした。
[編集済]市自体は第二次世界大戦の際には敵国陸軍3により大した意義のない停留所として扱われていたに過ぎず、停留所には農家の住民たちが暮らしていただけでした。当地は占領者にとっては何の脅威ともなってはいませんでした。しかし時は遡り1932年、ポーランド軍司令部は「ドミノ効果」と称する、財団ですら計画の存在を認知していなかった程に機密化されたプロジェクトを行いました。プロジェクト文書自体は不完全で言葉選びも端的であり、実際に管理を行う事となっていた人物らの名は故人となって久しい者たちのものでした。プロジェクトの論題に関して回収に成功した最重要情報は以下のものが挙げられます。
- "GHG"(これが何の略号であるかは依然不明)の最新技術を最大の潜在力を有する場所において利用していた。
- その完了は1946年と予期され、戦争の関係で延期された。
- 複合建造物下方への場所の準備は1923年に開始されるも、当時の "GHG" はまだ使用準備が整っていなかった。
- 1950年にプロジェクトは完了したが、同日に複合建造物において大惨事の発生に至った。プロジェクトは放棄され、複合建造物は閉鎖された。
プロジェクトの司令部はその利用により戦争を終結させる意向であった為、戦争継続時には高確度でプロジェクトに関する仕事が強化されました。多数の報告書によれば、[編集済]の住人たちは1923~1950年に幾度も周辺における地震、空に見える不明な光、警告音、そして複合建造物上に存在する畑に不可解な不作が見られた事も訴えていました。
アーカイブデータによれば、市庁舎における進入口は四つ存在するうちの一つに過ぎず、もっぱらメンテナンストンネルの性質を有していた為に決して利用されてはいませんでした。他の進入口は[編集済]、[編集済]ならびに[編集済]に存在しているという事になります。