SCP-ZH-258
rating: +13+x

アイテム番号: SCP-ZH-258

オブジェクトクラス: Safe

特別収容プロトコル: SCP-ZH-258は現在、サイト-ZH-25の低価値アノマリー収容箱にて保管されています。オブジェクトの特殊な性質をふまえ、日本国籍を持つ者による収容および実験は厳しく禁止されています。

説明: SCP-ZH-258は異常な効果を有する紫色の御守りで、表面には白い刺しゅう糸で「満州協和御守」と縫われています。現時点で41個見つかっており、情報によると、オブジェクトは大日本帝国陸軍の第十六陸軍技術研究所によって製造されたものとされます(新たに見つかった資料から、当記述は不正確である可能性があります。詳細は補遺1を参照してください)。

実験の結果、SCP-ZH-258の異常性は、日本国籍の内地農民によって所有され、かつ、対象が大日本帝国政府によって満蒙開拓地1または植民村を分配されている状況でのみ発現します。2つの条件を満たすと、オブジェクトの暴露者は開拓地/植民村を自身の生まれ故郷であると認識し、同時に強い帰属感を抱くようになります。今の所、この影響は形而上学的な現実改変であることが証明されています。これは所有者がタイプ・ブルーであった場合、内地に依存する奇跡術を満蒙開拓地においても行使可能になることを意味しています。

SCP-ZH-258は1943~1944年、満州国に派遣された満蒙開拓青少年義勇軍2のメンバーに対して支給されたものと推測されます。これは不作による士気の減衰がもたらす脱走を防ぐと共に、下落する生産力を解決するための措置と考えられています。また、愛郷心を醸成し、精神状態を改善すると共に、現地のゲリラやソ連赤軍による満州国境への脅威に対抗させるねらいがあったと推測されています。しかしながら、植民地のメンバーが減少の一途をたどり、食糧補給が依然として困難であったことをみるに、SCP-ZH-258は想定された作用を果たさなかったものとみられています。

補遺1: 1944年、満州国満蒙植民村・██村の駐留関東軍 東宮盛一のメモ。

一頁


十二月三日

私と五十名の██村民が到着してから、はや三ヶ月となる。我々は比較的辺鄙な所に配置されたと言える。農地ごとの平均生産量は減ったものの、どの村人も以前と比べ、二から三倍の土地を擁するようになった。日本にいた時よりも、生産量には伸び代があるはずだ。


二頁


十二月五日

隊員が動揺し始めた。多くの者が日本に帰ろうと騒ぎ立てている。だが、農林省34は我々の帰還策を用意してはいないし、用意するつもりもない。彼らは逆に、より大々的に移住を推し進めるそうだ。

帰るなど、もはや不可能だ。しかし、帰れないと伝えるわけにもいかない。隊員には上に報告したと伝えるしかなかった。


三頁


十二月六日

ようやく天気がマシになってきた。雪が降らず、日が差しているのだから、気持ち暖かいのは当然のことである。だが、天気の良さが関係しているのだろう、今日は三人の村人が脱走を試みた。幸いなことに、我々は彼らを連れ戻すことに成功した。

私は彼らの話を聞いた。彼らはここでの生活がたいへん苦しいと訴えた。汗水垂らして耕作しようが、結局は不作となってしまう。それに、余った時間は軍事訓練に行かなければならない。我々がいる地域は耕作に適さないどころか、ソ連に近い場所に位置している。北の赤軍は虎視眈々と侵攻の機会を伺っており、生き延びるためには逃げ出すしかなかったと語った。

私は二十日後、彼ら三人を処刑することに決めた。前進を続ける大和民族の車輪に、臆病者を許容する余地は無い。


四頁


十二月十日

上層部より、士気がますます落ち込んでいることへの対処を命じられた。

実の所、田舎でこんな解決策を聞いたことがある。噂によると、ある巫女が作る御守りは、着用者の記憶の定位を曖昧にし、変えることさえできるという。御守りを通じ、村人の故郷に対する記憶や思念を植民村に移すことができれば、士気は一気に上がるのではなかろうか。ちょうど去年、満州国が神道を国教に定めたことも、有利に働くと考えられる。

ひょっとすると、本当にこのやり方を持ち出すことになるかもしれない。


五頁


十二月十二日

私は上層部に先述の解決策を提示した。もちろん、これが田舎の古いやり方を元にしているとは言えない。私はただ、第十六陸技研が開発した三号特殊計画であると說明した。

上は当初、半信半疑で聞いていた。しかしながら、御守りを先日脱走しようとした民兵に着けさせた時のことだ。我々は小銃を突きつけ、彼を村から追い出そうとしたが、彼は立ち去ることを選ばず、即座に私の銃を奪うと、この村に残りたい旨を述べた。銃口を私に向けながら、彼はこの村を死守するつもりだと語った。彼が元来、これほどまでに故郷への記憶と思いを持っていたとは思いもしなかった。

長官たちは御守りの効果に至極驚愕した。上が陸技研の新発明に関する資料を受け取ることは無かったものの、彼らが再び疑問を呈することは無く、こうした物を村人全員にできるだけ着けさせるよう、私へ命じるに留まった。


六頁
備考: 6頁の筆跡は、上述の頁よりも著しくぞんざいである。


十二月十五日

五十個の御守りが完成し、本日、村民に配布した。その後、私も一つ持ち歩くことにした。例の三人を処刑する必要は無くなった。彼らは今、村一番の忠義を持つ死士と成っている。

作物がいくら不作になろうと、ソ連軍やゲリラがどんなに脅威であろうと、彼らは永遠にこの地を守り続けるだろう。

なぜなら、ここは彼らと私の故郷、つまる所、我々の祖国なのだから。

現地在住の中国人はインタビューにおいて、██村と現地に駐留していた関東軍部隊は1945年8月、日本が降伏を宣言した後も投降を拒否したことを供述し、関東軍██名と村人50名は全員戦死したとしています。

「第(可変)陸軍技術研究所」(現在、財団内ではGoI-096-JP「第██陸軍技術研究所」と総称)に関するアノマリーは以降も継続して発見されています。財団は今の所、GOC極東部門が保有するWW2期における日本政府の対超常/超常技術開発組織の資料を入手できていません。このため、ノートの5頁で言及される状況は当時の帝国軍内部で複数回発生していた可能性があります。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。