雨が降っていた。
運転手はトラックを走らせていく。助手席に座る同僚は最初こそ話しかけてきていたが、今は装置の状態を確認しているようだ。雨音だけが静寂を侵していた。
雨の日は不測の事態が起こりやすい。運転手自身、経験からそう思っていた。特に今走っているのは山の中だ。仕方ないとはいえ、危険を考えれば避けるべきではある。
無線が入った。先に反応していた同僚が手に取る。
「こちら第3班。前方で崖崩れが発生。慎重に進んでくれ」
「了解」
「ほれ見たことか」と言いたいのを呑み込んで、トラックを走らせた。しばらくすると、前方に赤い光が点々と見えてくる。運転手は誘導に従い、速度を落として進んだ。
荷台が揺れた。
明らかに内側からの衝撃だ。
運転手は装置の不具合を疑った。同僚も同じことを思っていたらしく、計器を確認するが問題は発見できなかったようだ。
再度荷台が揺れた。
さっきよりも大きい。
同僚は予備の装置を起動させた。運転手は無線で異常事態を伝える。
それが彼らにとって最期の仕事だった。
現場責任者が目にしたのは、トカゲの尻尾を荷台から生やしたトラックが崖下に落ちていくところだった。すぐに周囲を警戒していた機動部隊に命令を下し、トラックを攻撃させた。
崖下で火の手が上がる。だが、終わりでないのは十分に知っていた。
無線を使用して、一番近くのサイトから応援を要請する。
「こちらサイト68」
耳を疑った。しかし、間違いなく現実だ。
彼は苛立ち紛れに1度舌打ちをしてから状況を報告した。
「SCP-682が輸送中に収容違反。応援を求む」
放たれた弾丸が怪物の鱗を抉る。されど巨体は止まらない。憐れな兵士たちは次の瞬間にはただの肉と骨に成り果てる。
「全職員に告ぐ。これ以上進ませるな」
隊長らしき男の怒鳴り声に呼応して、攻撃はさらに激しさを増していく。同時に、兵士たちは何らかの意思を持って動いているように見えた。まさに、「この先に重要なものがあるぞ」と言っているようなものだ。
「お前たちの都合など知ったことか。俺は俺の行きたい場所に行く」
そんな意思が反映されたかの如き暴力は無慈悲に行使されていった。
進めば進むほど抵抗は激しくなっていく。だが、今の怪物を止めるには不十分だった。「今まで閉じ込めてくれた礼だ」と言わんばかりに破壊し尽くしていく。いくら怪物を想定した兵器であっても無力だった。
抵抗の中、怪物の脳裏にはある疑問が生まれていた。
怪物は解放されてから今に至るまで様々な人間を殺した。逃げる者もいれば、立ち向かってくる者もいた。瞳に恐怖を宿す者もいれば、その逆もいた。それはいつもと同じだ。しかし、今日ばかりはそこに別の思考を持った者たちがいた。
「こいつをこのまま進ませてもいいんじゃないか」
そのような考えが透けて見えるようだった。もちろん、それはすぐに消える。怪物が殺すからだ。
疑問を胸にしたまま、怪物は兵士たちが守ろうとしていた研究施設を襲った。施設内では何人も殺した。そして、ある文字を見た。
SCP-1485。
怪物はその異常存在を知らなかった。
自分に知らないものがある苛立たしさと気持ち悪さ。怪物は警戒心とそれらを天秤にかける。――そして、好奇心が勝った。
壁を破壊して踏み込んだ先には空中にぽっかりと穴が開いていた。時空間異常と呼ばれるものだ。当然、一目見て平行世界につながっているのは理解できた。
怪物は巨体を一歩一歩、穴に向けて進ませていく。
銃声がした。
弾丸は怪物に当たるが、すぐに傷は塞がった。
「そこから離れろ」
血まみれの白衣を着た男が拳銃を構えていた。
怪物が従うはずはなかった。意に介すことなく新たな世界へ歩みを進めた。銃声が何回もして、止まった。最後に投げつけられている感触がしたが、それもすぐになくなった。
気まぐれに、背中に作った目で男を睨んだ。男はその場に座り込んで怪物を見ていた。表情はどこか安心しているように見えた。命が助かったからではないのは怪物の目から見ても明らかだった。
だから、尻尾で瓦礫を飛ばして頭を潰した。
かくして怪物は新たな世界に辿り着いた。降り立ったのは何らかの研究施設に見える部屋だった。サイレンが鳴り響く中、出入り口の前には雑多な銃を構えた兵士たちが横一列に並んでいる。財団が怪物のことを知らせたのは明白だった。加えて、彼らが怪物のような存在に慣れていないのも態度から推察できる。
怪物は吼える。吼えて、怯んだ隊員に爪を振り下ろす。
怪物に衝撃が襲った。目を閉じて、開いてみれば空に向けて放り出されていた。体はひたすら上に向かい、真下に視線を移せば海が見える。少なくとも先ほどの施設らしきものは見当たらない。
――何が起こった。
理解しがたい事態に怪物は動揺を隠せないでいた。それでも何とはなしに、未知のオブジェクトが絡んでいるのはわかった。
――あいつらが使ったのか? いや。そんな様子じゃなかった。
そう考えている内に、雲の上に飛びだした。
視線を感じた。ありとあらゆる方向から。間違いなく、怪物自身を異物だと見なしている。
怪物は唐突に理解した。
この世界は異常を許さない異常で満ちていることを。これから行われるのは世界による処刑なのだということを。
抵抗しようにも、怪物の体から怪物を成していた根幹が消え失せているのを感じていた。
怪物は吠えることをしなかった。悪態をつくこともなかった。ただ、重力に従い落ちていくだけだ。落ちて、海に叩きつけられる。
水が流れ込んでくる。息はできない。体はもう動かない。
色々考えていく中で、怪物が最期に理解したものがあった。
――俺はあの世界に愛されていた。今更、か。
自嘲気味に笑い、そのまま意識は闇の中に溶け込んでいった。
怪物の生は海中で間違いなく終わった。けれども、物語にはまだちょっとした続きが存在する。
怪物の死体はそのまま波に流され、とある海岸へと打ち上げられた。怪物の死体を発見した人々は口々に何の死体なのか話し合った。真に辿り着く者もいたが、当然、本人も含めて真だとは思わない。ただ、奇妙な死体として撮影された写真はすぐにインターネットを駆け巡り、一部で話題になった。もちろん、日々増えていく情報の1つにしか過ぎないが故に、数日後には新しい話題の下に埋もれていった。
そんなある日、とある人物がその写真を見つけた。
彼は怪物の死体を物語に組み込むことにした。文字をキーボードで打ち込み、試行錯誤の末、完成した作品に名前を与えた。
SCP-682 - Hard-to-Destroy Reptile(不死身の爬虫類)
怪物は再び生き返る。