「ベネディクト、そろそろ休んだらどうだ、もう大方片付いたんだろ」
「もう少しやらせてくれよ、ダン。今いいところなんだ」
ベネディクトのやつは変に凝ったところがある。ちょっとはてっぺんを回った時計の針も気にしてくれるとありがたいんだが。『ゲーデ・フィルム』編集部屋の扉を閉め広間に戻ると、雑用もやることが無くなったアルスナがソファに転がっていた。スティックアイス片手にいかにもけだるげだ。
「まだかかりそうなの?」
「もう少しいるかもな」
暖炉のそばに腰かけ、バニラ味のスティックアイスを一本もらう。こういう夜通しの作業では糖分補給は必須だ。アイスのひんやりとした歯にあたる感触も、脳をクールダウンしてくれる。
「ダン、まだできたのは見てないけどさ……今回のフィルムもファッキンクールだった」
「ああ、当然さ」
全身に伝わる疲労感とそれを上回る達成感が教えてくれる。最高のフィルムだ。きっと彼女もそれを感じているのだろう。今編集室にいるベネディクトも、たぶんそうだ。
「次はどんなの作る?あんたとならどこまでも行ける気がするよ」
「気が早いな。流石に今は考える余裕はない。出しきっちまった。……そうだアルスナ、君が考えてくれよ」
えー、という声を出しながらも目はらんらんと輝きだした。当然だ、こういう業界に居たら誰だって自分が好き放題できるスペシャル・フィルムを作ることを夢見る。アルスナは起き上がってあれやこれやと考え始めた。
「やっぱり少女物?エイリアンに襲われるパニックホラーもいいな。デスゲームは好きだけど考えるのが難しいな……」
ほほえましい光景だ。俺だって今も負けちゃいないが、バカやっていたあの頃は胸の内に滾るものが無尽蔵にあふれていた。気の合うクソッタレどもと毎晩毎晩スナッフビデオの未来を語り合った。
「そうだパロディものはどう?子供のころから誰でもしっている名作アニメをぐっちゃぐちゃに汚すの。サイッコーにイカしてない?」
「あー……パロディ、ねぇ」
「なにか問題?」
「うん、そうか、あの時はアルスナはいなかったか」
「なんの話?聞かせて」
どこから話したらいいか。話したとてキディングとしかとらえられないだろうが……まあいい。疲れた夜にはこんな変な話も合うだろう。
「今みたいにベネディクトが言ったんだよ、パロディものをやろうってな。それで俺が提案したのがスシブレードだった」
「スシブレード!いいじゃん!」
「だろ?みんな知ってるからな。とびっきりのスナッフが映えるぜ」
「ダンはカートゥーン一期ではタカオ派だった?それともカイ派?」
「俺はカイ派だったな。闇に堕ちてからのヒール役が良かった」
「なんだぁダンもかぁ。まぁこの業界、カイ派の方が多そうだけど」
「正統派じゃないはみ出しものばかりだしな」
そう俺たちははみ出しものだ。正統、真面目、法律、倫理、常識……そんなもんはファックだ。あの日、常識は変わってしまった。だが、街に出れば人々はそれでもまだ何もなかったかのように道を歩いている。前とは変わった外見になっても、機械式外骨格を手に入れても、それを常識に組み込む。スカムな常識は俺たちの聖域まで奪った。今じゃ首を絞めて泡を吹かせようが、四肢を切り落として飾りつけしようが、誰も嘔吐しない。コンセントにペンを突っ込むくらいのスリルは誰も求めないのと同じだ。常識を踏み越え命を踏みにじることすら常識と言われれば、もうスナッフビデオは死んだも同然だった。
だからこそ俺たちは常識信者に中指を突き立て続けなければいけない。信じる常識、それを理不尽に踏みにじることへの愉悦。お前たちが何度常識を書き換えようと、その上に白濁した修正液をぶちまけてやる。
だからこそ、昔のカートゥーンはいい。過去は変わらない。それをメッタクソに愚弄してやれば、耳の穴に常識が詰められた"かわらず屋"も冒涜される衝撃を味わうだろう。
「なあ、ベネディクト。こういう筋書きはどうだ……」
「話はすぐにまとまった。あちこちに声をかけ俳優やスシブレードセットなんかを用意してもらった。闇寿司役の奴はスシレストランでバイトしてるやつで自分でスシも握れた」
「いい感じじゃないの」
暖炉に薪を放り込む。パチパチと音を立てながら火の勢いは増していく。
「数日後、撮影が始まった」
「追い詰めたぞ!闇寿司め!さあヒラミを返せ!」
タンクトップに野球帽を被ったガタイのいい青年が、フードを被った男を指さし叫ぶ。廃倉庫内、フードの男の背後にはヒラミと呼ばれた女性が手足を壁に磔にされている。猿轡を噛まされた彼女はうめき声を上げながら逃れようともがくが、熟練のスタッフによりつけられた拘束は微動だにしない。
「ふふふ、追い詰めた、だと?笑わせる」
「なにを!もう寿司ネタは残っていないはずだ!」
口元に笑みを浮かべながら、フードの男は懐からきらりと光るものを取り出した。そう!それは刃渡り40cmにもなろうかという刺身包丁だ!
「あるじゃないか……ネタならここになあ!」
男はヒラミの豊満な胸に刺身包丁を突き立て、まっすぐ下ろした!瞬く間に下半身が赤黒く染まる。廃倉庫にヒラミの絶叫が響き渡った!
「くそ……ヒラミになんてことを!」
男は鮮やかな手つきで包丁を操りヒラミの腹の肉を切り取った。ヒラミの手足についた鎖がシャンシャン音を立てる。そして出来上がった。あまりにも禍々しい、人の肉で作られた寿司だ。
「さあ待たせたな、タクオ?俺の"ヒラミ寿司"を倒せるかな?行くぞ!」
「 3、2、1、へいらっしゃい!」
スタジアムに打ち出される二つの寿司。バックにはぱっくり開腹されたヒラミが映る。体からは赤黒い液体が噴き出し、床に血だまりを作る。
勝負はすぐについた。タクオのサーモン寿司がヒラミ寿司を弾き飛ばした。
「あーあ、負けちまった。じゃあ寿司を食べなきゃな……」
フードの男は大きく口を開け"ヒラミ"をパクリと食べ、そして呑み込む。血にまみれた口元を赤い舌が一回転した。
「さあ次だ」
再び男はヒラミを解体して次の寿司ブレードを作り出してしまった。ヒラミの目はカッと見開かれ、体内の穴という穴からバラエティー豊かな体液が流れ落ちる。
「ごめん、ヒラミ……へいらっしゃい!」
そうしてタクオは何度もフードの男を負かすが、そのたびヒラミの体は削れていく。
「どうだぁ?お前の愛した女、もう残る部位も少なくなってきたなぁ」
「ワオ、なかなかゴアな感じね」
「だろ?スプラッターやサイコスリラー好きにも受けると思ったんだ」
棒に付いた一塊のアイスをほおばる。
「このあとヒラミはどんどんバラバラにされ頭以外のほとんどを寿司にされてしまう。けどフードの男も満腹になってしまい、それで出来た隙をタクオが必殺のシュートで倒す。ラストシーンでは残った恋人の頭をタクオが涙を流しながら抱きしめ、それを股間に当てて慰める、って脚本だったんだがな……」
突如、弾丸のようなものがフードの男の包丁を弾いた。
「な、何ッ!?」
驚いたのはフードの男、いやフードの男役の俳優だけではない。タクオ役の俳優やダン監督などスタッフ一同もだ。廃倉庫の入り口には、ミリタリージャケットを着た若い青年が立っていた。
「やはり闇寿司か」
「だ、誰だ君は!ここは立ち入り禁止だぞ!」
撮影スタッフが現れた青年の肩に手をかけ注意をする。が、撮影スタッフはカメラとともに壁に吹き飛ばされた。割れるカメラ。壁に激突したスタッフの腹には回り続ける寿司があった。
「クズに名乗る名前はないんだがな。まあいい。俺の名前は根田 一寛だ」
つかつかと廃倉庫の中を歩く根田にざわつくスタッフたち。勇敢な一部のスタッフは根田にとびかかるが、皆一様に壁に頬ずりすることとなった。そしてダン監督の前に立ち、言った。
「周りを見る限り、あんたがここのボスか?」
「まあボスと言えばそうだな」
「闇の居場所を知っているか」
お互いの視線が交錯する。
「撮影の邪魔だ。闇なんてカートゥーンのキャラだろ?」
「闇寿司のやつは冗談が好きなんだな」
「俺たちは闇寿司じゃない」
「嘘をつくな。人間を解体して寿司にする、そんな邪道の寿司を握るのは闇寿司くらいしかない」
根田はダン監督の言い分を聞く気は全くない。ダン監督も同様だ。カメラを回し始めた以上、監督は責任をもってビデオを完成させなければならない。それが彼にとっての矜持だ。
「もう一度言う。撮影の邪魔だ。カートゥーンごっこがしたいんならよそでやりな」
根田は左口角を少し上げた。そして撮影用に用意されていたシャリとサーモンの切り身に近づき、一すくい。スパンという音とともにサーモン寿司をその場で握り、すぐさま射出した。
ダン監督はその一部始終を見ていた。なんの異常もないはずのシャリとネタから作られた寿司が、自分のこめかみ横を通り過ぎ壁に穴を開けたのを。
「おいおい……人が吹っ飛んだのは手品じゃなかったのか?」
懐から寿司を出しダン監督の頭に押し付けた。
「もう一度聞く。闇の居場所を知っているか」
大きく手を横に振るダン監督。彼にはその寿司が弾丸のごとく発射されれば自分の頭がどのように打ち砕かれるか、これまでの経験から想像できてしまった。手足の先が冷えるのを感じ、ガチガチと歯を鳴らしながらも彼はようやく一言絞り出した。
「撮影の、邪魔をするな──」
その時背後から新たな寿司が射出され根田に襲い掛かった!根田は即座に反応し手持ちのスシで撃ち落とす!
「ふむ、不意打ちは失敗か」
寿司を打ち込んだのは……闇寿司役の俳優!なんと彼こそは本物の闇寿司ブレーダーだったのだ!
「貴重な人肉が手に入るからと受けた仕事が、まさか裏の人間に嗅ぎつけられるとはな」
「あんたが相手してくれるのか」
「闇寿司に逆らうイディオットめ。この闇寿司四包丁が一人、肉包丁のストーンが片付けてくれる」
ストーンは人肉寿司を握るが先ほど撮影中に回していた寿司とは明らかに違うオーラを纏っている。あまりの闇の深さに、寿司を握るさまを近くで見ていた照明スタッフは失神した。根田も懐から寿司を取り出し臨戦態勢だ。
「笑止……まさかその初心者向けのアルティメットマグロで勝とうというのか?」
「そのまさかさ。だが一つ間違いがある。コイツの名前は……アルティメット=Aエイジド=マグロだ」
二人は寿司を構える。いい年でAエイジドとか何を言っているんだと呟いたスタッフは顔面に寿司の一撃を喰らった。睨み合う両者。
そして。
「3、2、1、へいらっしゃい!」
試合開始の声はおなじみの掛け声だった。
二人の寿司は撮影用に用意されたプラスチックのスタジアムをすぐさま破壊し、廃倉庫を縦横無尽に駆け回る。砕かれる鉄骨、破裂する荷物、逃げ惑うスタッフ。これは現実なのか。誰しもが自分が夢の中にいるのではないかと混乱している。そして寿司がぶつかり壁が崩れ、ダン監督の意識はそこで途絶えた……。
「とまあ、そういうわけ」
語りつかれた喉を潤そうと、しゃがんで小型の冷蔵庫から水を取り出す。
アルスナには背を向けているが、見なくてもわかる。彼女は口をへの字に曲げ怪訝な目でこちらを見ているだろう。
「ジョーク?」
「いや、ジョークじゃない。少なくとも俺たちは真面目だった」
アルスナは体を大きく後ろにそらし伸びをして、後ろのゴミ箱にアイスの棒を投げ入れた。
「で、その後二人は?」
「わからねえ。気づいたら消えてた」
「で、カメラも壊れたしお蔵入りってわけね」
「いや」
ボトルの口をひねる。カシュッ。
「確かにメインカメラはやられたが撮影データは何とか復元できた。あと倉庫内に仕掛けておいた別角度用のサブカメラは割と無事だった」
「じゃあ、その映像あるの!?」
「ある。というかビデオにした」
水をゴクリゴクリと飲み、ぷはーと息を吐く。
「根田とかいう男の乱入もうまいこと脚本書き直してな。女優も置き去りだったし、ラストシーンも後から撮れた」
「そんなスナッフビデオがあったなんて知らなかったよ。でもなんか浮かない顔だね」
「アー、それなんだがな」
ポリポリと頭をかきむしる。
「終盤のスシブレードの演出がすごい!まるでカートゥーンがそのまま実写になったようだ~、なんて評判で変に話題になっちまってな。誰もスナッフビデオとして見てくれなかったんだよ」
思わずため息をつく。我ながら締まらない話だ。アルスナは2個目のスティックアイスのパックを開いた。そしてフフッと笑う。
「それにしてもいきなりスシブレーダーが登場して解決、だなんて三文フィルムもいいとこだね」
「全くだ。理不尽というか、常識から外れている。そう、俺たちはそんな常識知らずな世界を描き出してこのクソッタレな常識を──」
「そんな無理に教訓を見出さなくていいよ、ダン」
時計の針は4時を指す。そろそろ夜が明けるころだ。暖炉の火は弱まってきた。俺たちはソファに体を委ね、ベネディクトが編集部屋から出てくるのを待っていた。