聖母マリア
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ええ……わたくしはあの人を愛しておりました。私のお腹に妄らな空虚が充ち満ちた時、アノ場から逃げ出しておけば、コンナ結末にならなかっただろうと考えております。結果は変わらなかったでしょうけれど、状況や環境によってわたくしの被害者の数がグンと減っていたでしょうし、わたくしは懺悔しなくちゃ気が済まないの……ごめんなさい……心の底からあなた方に謝りたいの。異形のモノとして存在してごめんなさい。でも、アンナことになるだなんて、誰が想像致しまして……?
 
わたくしがまだ人間だった頃、神父様が教会のお庭に咲いている白薔薇をお手に取り、スンと匂いを楽しんでいらっしゃる姿に心打たれました。神父様の黒い服装と横顔を見て、修道女として許されない事なのに、一瞬で恋に落ちてしまったのです。神父様は妙齢であるのに対して、わたくしは初々しく成り立ての修道女でございました。神父様は特別お顔が優れている方ではありませんでしたが、信者に聖書を説く優しいお姿や、信仰に費やす誠実な態度の積み重ねにより、わたくしは以前から心惹かれてしまったのでしょう……スンスンと両目を閉ざして花の香りを味わう横顔を見て、たまらなくイジラシイ気持ちを抱いたのです。
 
神父様……如雨露をお持ちしました、といつもならソッと声を掛けてお渡しするのですが、胸が張り裂けるようにドキドキして、声が嗄れたようになり、身体が余りにも熱く火照っていました。わけがわからないまま地面に如雨露を置きその場から逃げ出し、その日、夕食もいただかないままお部屋に閉じ篭っていたものですから、心配して神父様がドアの前に来てお声を掛けてくださったのですが、その喜びはほろ苦く何とも優美なものであったことでしょう。神父様が気にかけてくださっている事実に不遜ながら悦び、掠れた甘い声で「……体調が悪うございます。風邪かもしれませんから……どうぞ……お引取り下さいませ」と答えるだけで、一杯イッパイでした。
 
その日を堺に、わたくしは恋煩いにかかってしまったのですが、神父様から見れば突如、理由もなく憂鬱になったようにしか見えなかったのでございましょう。驟雨が降るある日の夕暮れに、神父様は「どうしたのか」とお尋ねになりました。声をかけられた瞬間、身体を強ばらせ、瞳をキョロキョロ泳がせ、わたくしは傍目にも落ち着きのない挙動でございました。硝子窓を拭いていた手が戦慄き、鳩胸が切なさに乱れ、呼吸がまともに出来ません。裏返った声と引き攣った笑みを浮かべ、「何もございません」と返事したのですが、神父様はわたくしをお見逃しになりませんでした。
 
「何もないって……僕は心配だよ。この頃、よくぼうっとしているし、ご飯もあまり食べていないようじゃないか。女性には……その、毎月の大変さがあることを知っているが……それとはチョット違うようだし」
 
「ええ、だから何でもないんです。ただ、……ホホ……ごめん遊ばせ」
 
隙を見て逃げようとしたのですが、神父様はドアの前に壁のようにお立ちになられました。わたくしの体調不良のワケを聞き出すまで逃さないつもりなのでしょう。神父様は、医者へ掛かるよう勧めるのではなく、思いの丈を吐露するように促そうとしたのです。何か悩み事があって思い苦しんでいるのだろうと神父様なりに考えてくださったのでしょうが、まさか神父様に対する恋慕のために懊悩としているだなんて、キット想像すらしていなかったでしょう。
 
罪深いわたくし……そうです。質問され、逃さないと壁になられ、わたくしはトウトウどうすることもできない混乱と焦りの果てに、云うまいとしたことを震える声ではっきりと……お気持ちを告げてしまったのです。か細いながらも、明瞭に聞こえた告白に神父様は驚きになられました。呆然とし唖然とした表情で、わたくしを頭の天辺から爪先の先端まで見遣ります。恥ずかしさと罪悪により猛り狂ったわたくしは神父様を乱暴に跳ね退け廊下を真っ直ぐ走り、自室に逃げ出し、ベッドにもぐって枕を濡らしました。
 
それからわたくしと神父様の妙に意識しあった生活はトテモぎこちなかったこと……他のシスターは喧嘩があったのかと余計なお節介をし、ホトホト参りました。ヤハリ、例えどのような脅し、誘惑があっても口を噤むべきだったのです。後悔と自責により、食事だけでなく眠りさえ満足に摂れないようになっていました。水火氷炭の苦しみの中、このまま衰弱して死ぬのかしらん……それならそれで構わない……相応しい罰なのよと、身体が弱りきった頃に、神父様がわたくしの自室にお声掛けとノックもなく、突如お入りになられました。
 
ギョッとしてお布団を頭から被り、イヤイヤをする子供のように神父様を拒絶しました。神父様から逃げ縮こまり、しばらくそのままでいたのですが長い時間何もおっしゃらないし全く動く気配もございませんから、怪しくなって恐る恐る顔を出しました。神父様はベッドの脇に備え付けられた椅子に座り、わたくしを見守っておりました。稚拙な態度を自覚したわたくしは羞恥に顔を染めましたが、それは単純な恥ずかしさではなく、女が男に向ける気恥ずかしさが含まれていたことは申すまでもないでしょう。
 
「最近はロクに食べず、碌々眠っていないようだね」
 
「……」
 
神父様はふうと浅く息を漏らしました。窓際にあった硝子花瓶を手に取り、細工を確かめた後、教会に咲いている白い薔薇を一本挿しました。
 
「……まぁキミの気持ちは分かった。だけど応えることはできない。貞淑に暮らし務めることが神に身を捧げた僕達の宿命だからだ」
 
「それはとっくに、モウ、分かっておりますわ……」
 
「うん……断ることは簡単だけど、はいそうですかとキミが納得できるわけじゃないだろう。だからね、キミには……ホントウに残酷なことを云うようだけれど……僕はこの田舎の教会を離れようと考えているんだ」
 
「…………」
 
「これが一番、双方にとって良い結果だと思う……だから僕はキミにお別れを云いに来た」
 
「いつ行くんですの……?」
 
「今日の夕刻にはここを出て、明日の早朝には村を出ていると思う」
 
何故、そんなに事を急くのでしょう……!

と、胸のうちで裂帛を轟かせました。しかし、それを云うことは許されない……神父様はわたくしに話しかけようとしたのに機敏に察知しソレを避け、幾度となく対面しようとした毎に彼から退いたからです。自分が教会からいなくなることを、是非お教えしようとしてくだすったのに、親切心を跳ね除けてしまった……自業自得でございましょう。ですから恨み言も云えないまま、湿っぽい鼻の音と、大粒の涙ポタポタと布団に落とし滲ませました。
 
「最後だから……」
 
と、神父様がおっしゃったかと思うと、わたくしの手の甲を軽く摩るように撫でました。次いで人差し指を、中指を……薬指……親指を軽く摘むように動かせられれば、逆らうことなどできません。気づいた頃にはすっかり布団から手を放しておりました。神父様は布団を半分ほどはぐり、わたくしの身体を抱きしめました。最初は軽く擁するだけの淡い引き寄せでしたが、段々と力強く手繰り寄せていくのです。息をハッと呑み、もがこうとするように肉体を動かしましたが、遣る瀬無くやる気のない抵抗でございました。
 
「ずっと、こうしたかったんだ……」
 
神父様は頬擦りをするようにわたくしの胸元に顔を埋めました。肉の双丘に顔を収めた神父様は、幸せそうな子供の顔で、蕩けるように至福な堪能しておりました。男性と手を繋いだことはおろか、話をすることが殆どなかったわたくしは、通常時なら例え神父様でも拒絶していたことでしょう。しかし、愛している男性がゆるゆる身体を弛緩させ、甘えてくる子供のような彼に、どうしてそんな横暴な真似が出来まして? いっそ慈愛に満ちたわたくしは、神父様の背中にかいなを伸び回し、女性の身体とは異なったゴツゴツした肉体を甘えさせました。女性の温かみとは違う男性の熱度に驚きつつも、暫くわたくしと神父様は抱擁し合っていたのです。
 
1時間か2時間ほどしてから、神父様はトテモ名残惜しそうにわたくしの身体からお離れになりました。その顔はいつまでも埋もれておきたい誘惑に迷っているようでございました。しかし、「ぼくは行かなくちゃ」とお別れのお言葉を残して、目の前からいなくなりました。わたくしは神父様の残り香ともいえない、我が身に残る熱をじんわり確かめながら、頬を真紅色に染めました。目尻から涙が滲むのは仕方のうございますが、彼が最後にくれた白い薔薇を見詰めている内に心持はスッカリ平気になっていたのです。
 
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神父様が教会からいなくなってから、新しく赴任なされたのは50の歳を過ぎた祭司様です。祭司様は神父様とは異なり、寡黙で愛想のない方で何を考えていらっしゃるのか解らない人でございました。ただ、感情の起伏を感じさせない瞳が、蟲のように思えて仕方なく、正直あまり好きではございませんでした。わたくしは司祭様に対して、苦手意識ではなく嫌悪感を自覚していたのですが、男性の年長者……それも祭司様に一介の修道女が憮然とした態度を取るわけには参りません。嫌悪を押し殺し、我慢我慢の生活だったのですが、そんな折、お祈りの言葉を捧げ、お庭に咲いている薔薇たちにお水を遣っている時、偶然通りすがりになった祭司様は、ワザワザ道をお戻りになりわたくしを……いいえ、わたくしの下腹部辺りを凝視するのです。
 
「いかがなされましたか……?」
 
一瞬、激しい嫌悪で顔が強張りました。ですが、何とかやり過ごし尋ねると祭司様は首を捻り顎を摩りつつ、
 
「お前、お腹どうしたんだい……?」

「……お腹でございますか? そういえば……何だか膨らんでおりますね」
誤魔化すようにゆるゆると呑気を装って笑うわたくしに対して、司祭様は剣呑な眼で睨みつけ一言、……交わったか?……と。
 
「ま、まじわう……とは」
 
「不純な行動をしたのかと、聞いておる」
 
「エエッ、そんな……わたくし、わたくしは……」
 
「前の神父と……」
 
「アノ……わ、わたくしは神父様と抱き合いはしましたが、神父様は胸でお休みになっただけですわ。わたくしがいけなかったの……まさか、そんな、タイソレタ……間違いを……間違いを犯すだなんてわたくし、わたくし!」
 
爪を立て頬を押さえ、迫真蒼白、意識朦朧、息も絶え絶えとなり、激しい衝撃が頭を襲いました。涙を溜めつつ、神父様が無罪であることを訴えるのです。わたくしがどうなろうと構いません。だけど、だけれども……神父様のお身に、迷惑がかかることが何よりも恐ろしい……。祭司様に拙い女の言葉を訴えると、その内に心なしかお笑いになり、
 
「分かった解った。君の話は心得たさ。でも、お腹のことは心配だからちゃんとした病院に診て貰った方が良いよ。不安なら私も一緒についてあげよう。そんなに泣きじゃくっちゃだめだ」
 
と嗜めるのです。
 
 
 
この時、二人は勘違いをしていました。
 
まず祭司様は、神父様とわたくしが身体と肉体を抱き締めあったこと、それを大袈裟に驚き悲しんでいるものだと考えていたのです。病院に罹るようにおっしゃったのは、純粋な年長者としての言葉であり、他意などありませんでした。しかしわたくしの方では、無知が故に甚だ身の程知らずの思い違いを強くさせていたのです。司祭様の一言で貞淑を犯したことがスッカリばれてしまったのだと思い込んでいたのです。端的に述べれば、正直なところわたくしは異性の交友……交わうというものがどういうことなのか全く知りませんでした。花が風に香りを乗せ、花弁の一片を崩すだけで子供ができるのだと思うように、異性と抱擁した事実が不純な罪そのものだと、そう考えていたのです。
 
祭司様に促されるまま一緒に馬車に乗り、村から少し離れた病院に掛かりました。わたくしを診察して下さったのは男のお医者様で、わたくしの膨らんだお腹と修道服を一瞥して非常に驚いた様子でした。わたくしに異性との交友関係についてお尋ねになり、司祭様の手前、正直な返答をしたのですが……。
 
「ハハハ。そういうことか。心配しないで下さい。あなたは男性と関わりがなく妊娠したというのだがね、これは……ん、いや、それにしても乳が張っているね、産んだわけじゃあるまいし」
 
「……様、だ」
 
ぼつりと司祭様が、何かをおっしゃいました。お医者様とわたくしは不思議そうに司祭様を見ると、ギラギラ炯々、活気と熱気が狂気にウネった眼をし、口角を上げ、両手を広げながら、次いで大声で叫びました。
 
「マリア様の再来だ!」
 
司祭様はどこか壊れたご様子で、わたくしの両肩を肉に肥えた脂っこい指で掴み、唾を飛ばすほど興奮し……いいえ、錯乱し顔をズイっとお近寄せになりました。わたくしは余りにも不快で顔を思わず顰めてしまったのですが、司祭様は全く気になさらず矢継ぎ早に捲し立てました。
 
「ああ! マリア様の再臨だ! 神だ! 神の子がこの女に! 奇跡だ、奇跡だ!」
 
「あの? 祭司さん、これは人間だけじゃなく、動物にも見られる女性特有の想像に……」
 
お医者様は慌てた様子で立ち上がり、司祭様を窘め落ち着かせようとしましたが、司祭様は一切構わず、わたくしの腕を蛆虫が五匹揃った嫌悪感を与える指で握り締め、強引に引っ張って行きました。わたくしは嫌悪感の余り短い悲鳴を出し、そうしてどこへ向かうのかを祭司様にお尋ねしたのですが、何もお答えになりませんでした。馬車に無理に乗せられ、教会とは逆方向に走り、身支度もないまま汽車に乗せられてしまったのです。わたくしは混乱と不安の余り両手を覆ってシクシクと涙を漏らしましたが、司祭様はわたくしの真横に座り一心不乱に「マリア様の再臨」を説き、目をぎらつかせ舌を回しておいででございました。
 
到着した場所は村の教会とは全くことなった、辺鄙な土地にある大きな修道院でした。司祭様は昂ぶりながら修道院に入り、院の牧師様をお呼びになられました。その間、わたくしは別室に預けられたのですが、両者が話す内容は余りにも大きなお声でございましたので全て筒抜けでございました。密談の内容を纏めると「マリア様」の再臨を力説なさる祭司様と、「マリア様」の存在を否定する牧師様の、怒号轟々罵倒冷罵の論いでございます。修道院の牧師様はまともな感覚をお持ちになっている方でした。半ば暴力的に祭司様を追い出しになり、わたくしの境遇にご同情してくださいました。「きみはもう元いた場所には戻れないね」とおっしゃって、牧師様のご好意でこの修道院で生活すること勧めてくださったのです。
 
修道院での生活は極短いものでした。イイエ……わたくしは別に死去したわけではございませんの……というよりも、わたくしは死ねるものならば……自身で首を絞め、命を絶つことが出来たらどれだけ嬉しいでしょう。わたくしは最早……モハヤ……ああ、すみません。話を急いて、わけがわからなかったでしょう。修道院での短い生活を纏めると、記憶が薄れて不確かなところもございますが、お聞きくださいませ。
 
修道院の生活は以前のような、それこそわたくしが愛した神父様がおいでであった頃の穏やかな生活そのものでございました。お庭に咲いた花に水を遣り小鳥が囀り歌い、聖書を読み膝をついて懺悔する……修道女にとっては当たり前の日常です。ですが、そんな和やかな日々にある異変が起きました。それは修道院の門前に生まれたばかりの赤子が打ち捨てられてあったのです。赤ん坊の体は赤黒く、臍の緒も繋がったままであり、本当に生まれたばかりなのでございましょう。母親の母乳を一口もお召し上がりならず、愛情の授かりのない赤子に大変同情いたしまして、皆様と話し合いをし、この修道院で育てることになったのです。
 
そこで問題になるのが赤子のご飯のことでございます。修道院は辺鄙な場所ということと、貞淑で神聖な場所も手伝って、母親という存在からかけ離れた場所でした。唯一お乳がでるのはわたくしだけでございますので、これが修道院への何よりのお返しになると考え、命令されるまでもなく快くお引き受け致しました。はじめて触れる赤ん坊に不安があったのですが、両腕に抱いてみると不思議なもので、気持ちが一変し、授乳をした経験の有無などどうでもよくなりました。肝が据わるとは正にこのことなのでございましょう。首がグラグラと動く赤ん坊を抱いて口に含ませたとき、本能で子育てを会得し、問題なく授乳することができました。赤ん坊は元気よくアハアハとお乳を呑み、その姿にわたくし、強く母性愛を募らせました。
 
初めての授乳の後、不思議なことがひとつございました。お不浄のとき、白い腿の間からヌラヌラとした太く赤黒い筋が垂れてきたのです。久方振りの月物かしらんと思いましたが、それとは少し異なっていました。通常女性の月物は日にちを跨ぎ小出しに分けたものですが、赤黒い筋は一度に容赦なく流れ出るのです。ソレコソ禁断の果実を進めた蛇のような輝血が素肌を這いずっておりましたが、痛みは全くありません。血筋が収まった頃には、膨らんでいた下腹部がなだらかになっておりました。しかし、一度に大量の血をながした所為で、立ち眩みや眩暈などの貧血の症状がありましたから、お水を頂き横になりました。
 
ゆっくりお休みたいところでございますが、赤ん坊は大人の都合に関係なくお乳をせがみます。充分休めず身体のだるさが抜けきっていない疲労の中、何とか体を起こし、お乳を飲ませます。授乳が終わった時、自分の腹部に視線を寄越すとニキビともいえない、小さく赤い痣のようなものがぽつんと付いていることに気が付きました。虫に刺されたのか、どこかぶつけたのかしらと胸の真下にあるソレに触れると、指に伝わる柔らかさが虫刺されやニキビとは別種のものであることを教えてくれました。妙にフニフニと柔らかく、日が経過するにつれて乳頭のようなものになり、遂には乳房そのものとなりました。
 
わたくしは自分の身に起きた変化がさすがに堪らず恐ろしくなって、修道院にいらっしゃる年配のシスターに相談し、病院へかかることに致しました。修道院から最も近い病院でお医者様が傍目にも落ち着きを失った様子でございましたので、わたくしは死病か何かに罹ってしまったのだろうかとシクシク悲しくなってしまいました。赤ん坊がせめて乳離れするまで死ぬわけにはいきませんので、お医者様に患いを直す方法を幾度となく、何度となくお窺いしたのですが、はっきりした返事は一度も貰えませんでした。
 
自身が死ぬ可能性を自覚した大変恐ろしい不安の中、わたくしの肉体の変化は留まることなく変異していき、2月も経つ頃には牝牛のような有様となっていました。変異はそれだけではなく、赤ん坊がお乳を欲しがるのは当たり前のことですが、嘔吐するまで呑み狂うようになっていたのです。心を鬼にして時間を決め、お乳をやるようにしても赤ん坊は火が付いたように……いいえ、阿片か麻薬等の中毒者のように異常に狂いました。這いも覚束ないのに懸命に手足をもがき、わたくしを探し出しお乳をせがむのです。遂には乳を求めるのは赤ん坊だけではなくなりました。司祭様を追い払った人格者の牧師様までもがわたくしを無理に押さえつけ、乳房に吸い付くのです。シスター達も同様にわたくしの胸元にワラワラ集うようになりました。
 
その内にわたくしの肉体は人の形状を失い、波打つ肉塊へと成り果てました。人間の形が保たれていた頃、わたくしは誘惑したわけでもないのに胸元を求める他者に醜悪の感情と、人間の心を無条件に乱す自身に強い罪悪感を抱いておりました。しかし乳を求め、アハアハ急き吸い付く人を……“子供達”を見ていくにつれ、母性愛と慈しみを覚えるようになったのは否定できません。ソノ中に確かな懺悔心はありましたが、裏面にこびりつく我が子の愛情をどうして切り離すことができましょう。
 
聖母マリアは子供を産んだあと、立派に子を育てたとお聞きしました。しかし、わたくしが“あの時”生んだのは、虚構と虚妄の愛の子だったのでしょう。神父様の子にお乳をやるまで、わたくしは肉塊であり続けなければいけません。でも、どうやったら存在しない子供にお乳をやるのか、それがわからないの……神父様の子じゃない愛子に恣お乳を与える様は、神様のお目から見ればさぞ浅ましい事でしょう。醜悪そのものでございましょう。
 
ああ、罪深いわたくし……こうして生きて、死ぬこともできません。ああ……神父様。あなたのことを考える度に肉体が波打つの……お願い神父様、出来ることならば、最後に是非わたくしを、強く抱きしめてくださいまし。あなた様の抱擁に満足し、一生を終えることができるでしょう。自我を手放すことができましょう。神父様を強く願うたびに肉塊が俄に蠢動します。醜く身悶え、狂い脈打つ姿をどうかお許しくださいまし。

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