譫熬
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 私がこの財団に雇われたのは、秋の寒い日でしてね。当時の私はお恥ずかしながら仕事もなく。そう、ちょうどバブルがはじけたあたりで。遠い田舎に転勤させられそうになったものですから、そういうことなら辞めさせていただきますと会社をこちらから出ていって、それからしばらく経った頃のことでした。まあ、大変でしたよ、妻子は勝手にどこかへ行ってしまいましてね。何年かは一人で無駄に広いマンションに住んでいましたが、どうにも広いばかりでは不便ですから、まあ家を出たはいいものの、住む場所も決まらず。それで一人で公園だとか駅だとかをぶらぶらしながら暮らしていたところに、エージェントの方がいらっしゃいましてね。それで晴れて、今はここで焼却作業員として働いているわけです。良い職場ですよ。私みたいな境遇の人間もたくさんいますし。
 仕事としては単純ですよ。流れてくる色々なものが、しっかり燃えるか見守るだけですから。最低限焼却炉の操作さえ覚えてしまえば、ごみを運ぶのに多少の体力は必要ですけれども、基本的にはレーンを眺めている時間がほとんどです。
 死体ですか? まあ、見慣れたと言えば見慣れました。とはいっても、私の作業場に来るのは、例え人のようでも人ではない、我々は人擬きと呼んでいますけどね、そういうものだというお話ですから。ええ、人の死体だと思っていないだけです。ほら、人の死体はさすがに火葬に回しているということでしたよね。人擬きの存在自体は、まあここに居れば、そういう不思議なお話も信じざるを得ませんよ。
 それで、事の始まりは大体一年ほど前でしょうか。私はいつものように管理室からレーンを眺めていたんです。そうしたらですね、そこまではずーっと、紙くずやら肉の塊やらが流れていましたが、突然白衣の男性が流れてきたんです。私は驚きましてね、すぐにレーンを止めました。もうこの仕事も長いですから、彼が人擬きでないことは、すぐにピンと来たんです。そもそも人擬きっていうのは、大体が裸なんですよ。まあ、服を着ているのも稀にありますが、白衣というのは見たことがありません。だってそれは、ここの学者さんたちの服でしょう。それに、着ているものが白いせいか、肌の血色の良さが目立ったんです。これは生きていると、そう確信しましたね。
 私は急いで管理室から飛び出して、彼のもとへ駆け寄りました。年の頃は大体、30か40くらいでしょうか。少々痩せて目の下に隈もありましたが、それ以外は健康な様子でした。一応白衣なども捲って確認しましたが、傷なども見当たりません。そうやってまじまじと見るうちに、息子も今頃これくらいになっているのだろうかと、ふと思ったところで、ハッと我に返りました。いけない、早く起こさないとと、私は彼の肩を掴んで、何度も揺さぶります。そうすると、彼はちょうど朝起きるときのように、小さな声で唸って、それからゆっくりと目を開きました。
 大丈夫ですか、そう私が尋ねますと、彼はこくりと頷きましたが、あたりをきょろきょろ見回していて、どうやら困惑している様子でした。無理もありませんよね。どういう経緯かはわかりませんが、目を覚ますと突然レーンの上にいて、見知らぬ男が語りかけてくる。行く先にはどうやらごみを燃やす焼却炉のようなものがあって、もしかしたら自分は燃やされそうになっていたのかもしれない。そういう事態におかれたら、誰だって混乱しますよ。
 それから私は、ここがごみの焼却施設だということを説明して、あなたは誰か、どうしてごみに紛れて流れてきたのかと彼に尋ねたんです。しかし、彼は少し考えこむように俯いたあと、首を横に振りました。私は困ってしまいました。こういったイレギュラーなことがあれば、当然上司に報告する義務がありますから、お名前だけでも知っておく必要があったのです。
 彼も私が困っているのを察したのでしょうね。白衣の胸ポケットからカードを取り出しました。あなた方も持っている、職員証です。それを見るとですね、Aクラスと書いてあったんです。Aクラスというと、私の上司がCクラスですから、それより上ではありませんか。正直なところAクラスというのが実際にどんな地位なのかはよくわかりませんでしたが、とにかく高いということだけはわかりましたから、言うことを聞かないわけにはいきません。
 こういった理由もあって、彼が「このことについてあなたは詳しく知ってはいけませんから、私の方からあなたの上司に報告しておきましょう」と言ったとき、私は素直に従うことにしたんです。この職場が知るべきでないことで溢れているということは、もちろん理解していました。
 私が返事をすると、彼は私の顔をじっと見つめるので、何か気に障ることでもしてしまったかと、私は一瞬体を硬くしました。けれども、彼はそれ以上不穏な態度を取ることはなく、助けてくれたことへの礼を口にしたので、ほっと安心したのを覚えています。結局その日に彼と話したのはそのくらいのことで、その後は、特におかしなことも起こらず、私は終業時間までいつも通りごみを燃やし続けました。
 自宅に帰っても私は、すぐに眠ることができませんでした。正直なところ、当時は内心、少し興奮していたのかもしれません。そもそも財団に雇われているといっても、ただごみを燃やすだけの仕事ですから、少々奇妙なものが流れてくることはあっても、私自身こういった不思議な事態の当事者になることは、このときまでありませんでした。そのせいで、なんというか、私だけが何も知らされず、そのせいで財団という社会に受け入れられていない、そんな疎外感を感じていたんです。それが、あの出会いで、ついに私も財団に認められたような気がして、それが嬉しかったのかもしれませんね。
 ただ、それからしばらくはいつも通りの日常が繰り返されるだけでしたので、いつしか興奮も消えていきました。彼の顔も忘れかけていたほどです。しかしある日、昼時で少し眠たかったことを覚えていますが、私は、流れてきた人型が白衣を着ているのを見て、あの興奮が再び沸き上がるのを感じ、すぐにレーンへと走りました。また彼が流れてきたのです。 
 私は前回と同じように肩を揺すって彼を起こしました。彼はやはりゆっくりと目を覚ますと、どこで知ったのか私の名前を呼びました。私は驚きましたが、とりあえずすぐに彼をレーンから降ろしました。彼は以前よりもやや痩せこけていて、目の下の隈はもっと深くなっていました。声にも覇気がありません。明らかに不健康といった彼の様子に、私は思わず、「最近よく眠れていますか」と、そう尋ねていました。
 彼の方も私の言葉には驚いたようでしたが、仕事が忙しくてあまり寝られていないのだと教えてくれました。今思えば出すぎた真似だったかもしれませんが、それを聞いた私は、どうしても親心のようなものが働いて、睡眠はしっかりとった方がよいですよ、と管理室にある仮眠用のベッドで横になることを勧めたのです。彼は最初迷っているようでしたが、私が何度も勧めるうちに、ベッドに横になって、それから小一時間ほど眠りました。
 このときの私は、おそらく息子のことを思い出していたのだと思います。息子はどうもムラのある性格で、普段はそこまで努力家ではありませんが、追い詰められたときや何かに熱中すると、夜遅くまでそれをやり続けるような子供でした。私は毎度、健康に悪いからと夜遅くまで起きている息子を寝かしつけてやったものですが、もしかすると白衣の彼もそういった性格だったのかもしれません。
 それからというもの、彼は定期的に流れてくるようになりました。彼が流れてくるたびに、私はレーンの上で眠っている彼を起こし、代わりにベッドに寝かしてやります。そういうことを繰り返しているうちに、名前も知らない彼はだんだんと私的なことも話すようになり、いつしか私達は友人のような関係になっていました。
 どこか頼りない彼に、私が年長者として忠告をすることもありましたし、ときには彼と他愛もない雑談をすることもありました。かつての仕事の話のような軽い話題へもそうでしたが、自分勝手な妻が息子を連れて出て行ってしまったことへの嘆きや、息子との楽しい思い出話にも、彼は熱心に耳を傾けてくれました。
 そうですね、はい。ああ、彼が話したことですか。えーと確か、彼には消えない火傷の痕があると、そんな話をしてくれたことがありました。それを聞いて私はまた息子を思い出したんです。確かあの子の成績が悪かったとか、そういう理由で、私が少々きつめに焼きを入れた――𠮟りつけたことがありまして。そうしたらですね、妻がヒステリーを起こして暴れたのか、それとも息子が驚いて飛び上がったのか、よく覚えていないのですが、それで確かテーブルの上の鍋がこぼれて、息子の腕にかかってしまったことがあるのです。そういうことがありましたから、息子にも火傷の痕が残っているはずでした。
 ああ、そうだ、そうです。思い出しましたよ。確かそのとき気付いたんです。彼は私の息子だって。だって、そうだ、彼の腕にも火傷の痕がありました。彼が息子ということになれば、それで全て不思議なことに合点が行くんです。私がここに雇われたのも、彼が何度もレーンに乗って流れてくるのも。ええ、そうだ、彼が教えてくれました。私が仕事を失ってから、彼はあの神経症の母親に連れ去られましたが、そこから何とか抜け出して、この財団に勤めるようになったんです。それで、私と息子は長い間音信不通でしたけど、それでも彼は私を忘れず、私に会いたかった。会いたかったから、人事にでも頼んで、家の無くした私を雇ってくれたんでしょう。それで、流れてくるのも無意識に私に会いたいと願っているからということでした。ええ、やはりうまく育てたんです。ああ、よかったなあ。それもそうだ、私の子なんだから。あの女に毒されずにいてくれてよかった。素晴らしい子に育てあげた甲斐があった。それでこういう組織の、Aクラスなんて、素晴らしい役職を得て。あの母親を捨てて、私を助けてくれたんですよ。あの子は知っていたんですね。私がどれだけあの子のために苦労していたか――
 ああ、すいません。話が逸れてしまいましたね。ええ、私はあの子が息子だとわかってから、余計に放って置けなくなってしまって。あの子も以前よりよく流れてくるようになりました。どうにもあの子は栄養が足りないようだったので、お弁当を分けてやったり、そういうこともするようになりました。
 それから、はい。昨日のお話ですね。
 ええと、昨日は――昨日も、そう、あの子が流れてきました。でも、いつもと様子が違ったんです。なんというか、あの子は乾ききっていました。肌が白い粉を吹き、皺も増え、唇はかさついてひび割れていました。顔もひどく白くなって、触ってみると、冷たかった。
 冷たかったんです。おかしいと思いました。生きているのに冷たいというのは、おかしいじゃないですか。それに、脈もありませんでした。私はあの子を慌ててレーンから引きずり落として、肩を揺すりました。反応はなく、あの子は死んでいました。
 私は暖めなければいけないと思って、あの子をベッドに寝かせて、布団をかけました。だけども、そうするたびにあの子はどんどん乾いていきました。私は必死に肩を揺すって呼びかけました。そうすると、あの子はゆっくりと目を開きました。そうして、「私は乾ききって、そうして死んでしまいました。だから燃やしてください」と言うのです。
 もちろん私はダメだと言いました。私は「どうしてお前はそんなに乾いて死んでしまったんだ」と尋ねました。あの子は私を見るばかりでした。お前がやったのだと言わんばかりに。だから私は彼を叩きました。生意気な目でした。彼は怯えもせず、光のない目で言いました。「私が燃えれば、あなたは何を残したことになるのだろうか」と。
 私はもう一度彼を殴りました。その拍子で彼は転がり、白衣の袖がめくれ上がりました。彼の腕には、小さな丸い火傷の痕が点々とあって、それぞれがぷっくりと膨れていました。
 私は告げます。「お前をどうするかは私が決める。こんな悲惨な最期は認められない」と。彼はただ答えました。「あなたはまともなものを何一つ残せなかった。ここがあなたの行き止まりだ」。
 そんなわけがないでしょう。そんなわけがない。あいつらは知らないだけなんです。私がどれだけ優秀で、どれだけ稼いだか。この財団で偉そうにしている学者よりも私は稼いだんだ。それを目の前のごみがわかったように適当なことばかり言う。許せますか? 許せないでしょう。それで私の息子は、私の息子は、だから、優秀に違いなかったんです。だって私が育てたんだから。あれが上手く成功すれば、私が優秀だって、ようやくあの女も理解するでしょう。それに――
 ――ああ、すいません。取り乱してしまいましたね。大丈夫です。それで、何の話でしたか。
 はい。ええ、もちろんです。その人擬きは、きちんと燃やしました。

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