家族と過ごすかけがえのない時間
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たとえ彼がどんな身なりをしていたとしても、彼女が見失う可能性は0であった。

この任務を与えられた時、彼女はあともう少しで伯父のジャックの下に立ち寄って、これが財団としての任務なのか、家族としての任務なのか、オッズが出るかどうかを確かめようとするところだった。彼女が家族としての任務の方に賭けていたのは、血を分かつ彼らが干渉し続けてきたからだ。

伯父からはメッセージが送られ、叔母からの手紙も届いた。すると彼女はなんとなく、自分が勢力の分裂している家系の双方の立場で任務を遂行しているような気がしてくる。そんな役目について疑問に思っていた時、彼女は知らされた。それも随分と呆気なく。ハンド・シニスターは、並行線の諍いの均衡を保ち続けるために、様々な場所で機能できているのだと。

だとしてもだ。任務を受けた時、彼女はこの人物と共に仕事をすることになるとは (本当に) 予期していなかった。ただ、家族の仕事になるだろうという雰囲気は感じ取っていたが。『言論の自由』を主張する集会が開かれている大学のキャンパスへと向かう。言論の自由。ご立派なものだ。そんなものは裕福な白人のお坊ちゃんたちが人種差別の言葉を喚くため、ナチスのコスプレで自身の性的倒錯をひけらかす場を設けるための口実に過ぎない。

彼女はベンチに腰を下ろし、群衆をじっと見つめていた。隣の男の反応はない。彼の白い中折れ帽子は瞳を隠している。糊の利いた白いポロシャツに、皺なく完璧にアイロンをかけられた同じく白いパンツと、それはまるで成金の休日ような腹立たしい印象を与えた。唯一場違いなものといえば彼が履いている靴で、それは  

「本気で履いてるの? 青のスエード靴を?」彼女は少し鼻を鳴らす。指摘せずにはいられなかったのだ。

「ふむ?」彼は顔を上げなかったが、彼女の存在に意識を向けてはいるようだ。「すまないが、はて俺たちは知り合いだったかな?」顔にはにやにやとした、訳知りな、癪に障る笑みが浮かんでいる。なるほど、台本通りに演じたがっていると。結構。芝居に乗ってやろうじゃないか。

「あなたは警備security関係が管轄だと聞きましたが」彼女はため息混じりに言った。

「いつ俺がそんなこと言ったのさ」彼はそう返す。「厄介ごとは封じこめちまうcontaining方が、長期的に見りゃ良い結果になるってことが俺にはわかる」顔を上げると、キザでにやついた笑みが瞳の輝きの中に反響していた。

「まあ……」彼女は適切な反応を求めて、長くゆっくりとした口調で話す。「情報源を保護Protectingすることが、それらを存続させる手立てにはなりますね」

彼はそれを聞いて嘲る様子で首を振った。「良い関係を築くための土台foundationになるのさ」

「エージェント・ヨリック」彼女は頷きながら言った。

「シーっ!」彼は素早く前後を見渡した。彼女の台詞が周囲に漏れ出ていないか警戒している様子だ。「俺らがどれだけ厳重に監視されてるか、わかってるのか?」

テストだ。彼女はそれがテストであることをわかっている。集会の煽り声が大きくなっても、彼女は目を逸らさずに答えられる。既に彼が仕掛けたものを見抜いていた。「勿論。あなたはボディーガードを2人伴ってここに来た。1人はあそこの木の側で煙草を吸う素振りを見せていて  」 視線を向ける。彼らの注意を引くほど不躾にならぬよう。「そして、もう1人は後ろにある芝生の上に横たわっていますね。図書館の屋上で記録の現場を装おうとしている人がいますが、財団が支給したレコーダーだとわかれば見分けがつきます。学生が窓から身を乗り出して私たちを観察していますが、あれは監視というよりもあなたの恰好が間抜けに見えるからでしょう」ヨリックは得意げに口を開いて彼女が見落としたものを指摘しようとした。だがそうはさせない。「最後に、2つ下にあるベンチに財団の研究員がいる。彼は監視の任務を私たちに悟らせないよう必死な思いで演技しています」

ヨリックは目を細めた。顔を赤らめている研究者には一瞥もくれない。「ふむ。俺は奴をうまく変装させたと思っていたんだがな。どうやって見分けた?」

「そうですね、要素は2つあります。1つ目は、バッジがポケットからはみ出ていること」トマトのように顔を真っ赤にした研究員は慌ててバッジを隠した。「2つ目は、彼とはサイトのカフェテリアで何度か昼食をとったことがあります。ご機嫌よう、コンウェル」コンウェル博士はどうもと応じたが、ヨリックが鋭く睨みつけると萎れて引き下がった。きまりの悪い研究員はその場を立ち去る。とうの昔に彼の役割は終わっていた。

「で、なぜここに?」彼女は尋ねた。デモ参加者、抗議者、そのような一般的な行為すべてを網羅するようなジェスチャーと共に。

「君はその理由を察しているはずさ」彼は陽気で挑戦的な笑みを浮かべながら言った。「なんと言っても、君は恐怖の概念の中でも最も恐ろしいとされる象徴、世界中の人々の中で1番に危険な女性で、まさに財団のハンド・シニスターそのものだ。この手のことで何かスーパーパワーを持ってるんじゃ?」

片手が上着のポケットの中に滑りこむ。穴を開けることで銃の柄に手が届くようになっていた。滑らかな白い持ち手には、常に安心感がある。温かく、心臓の鼓動を感じることができた。「その道には詳しいつもりですが、すべてを知っているわけではありません。これはハンドの仕事なんですか?」

彼の視線が彼女の手をなぞり、それから顔に戻る、わずかな動きがあった。顔が少し青白くなっていることにもまた、観察力がなければ気づかないだろう。彼は降参するように手を挙げる。彼の特徴として、顔に刻みこまれたような笑顔があった。「ちょっとずつ。俺たちは皆、君に何らかの情報を伝える役割を担っているんだ。思うに、兄弟たちの用事は既に済ませてきたのかな?」

彼女は体を椅子にもたれかからせて一息つき、鼻を鳴らした。ポケットから手が抜き出されると、相手も同様に肩の力を抜いたようだった。「あなたはそれを知るに値するセキュリティクリアランスを所持していないようですが」

「そいつはどうかな?」彼はポケットから小さな白いカードを取り出した。知る人ぞ知るシンボルマークのついたものだ。「こいつは俺がレベル5だと証明してる」

彼女はカードを見て目を丸くした。「そのカードの本来の持ち主はソフィア・ライトです。彼女がこのことを知らないうちに返してしまうのが吉だと思いますが……気づかれないようにするために、あなたは何か巧妙な仕掛けをしている筈ですね」

「その通り……流石に賢いな……」彼は肩を竦めた。


「奥様……それは貴女様の名前が書かれたトランプのジョーカーです……」

ライトは警備員を最高光度で睨みつけていた。「私のIDカードではないということなの?」

警備員は選択肢を考えたあと、体を真っ直ぐにして敬礼した。「さしたる問題はありません。奥様、業務を継続なさってください」

「いつかあのバカを地獄に叩き落としてやるわ」彼女はぼそりと呟いた。「最近カンピロバクターの新しい品種を開発したのよ。私がその気になれば、奴は自分の糞で死  」オフィスのドアが勢いよく閉まり、警備員は安堵の息を吐いた。


「まあ、とにかくだ」彼は続けた。「君が何をしていたのか教えてくれ。皆が見落としている部分を俺がカバーする」

「はい」彼女は鼻を鳴らし、それからため息をついた。これまでのことを振り返ってみるのも、彼女にとって利点になるのかもしれない。

「ええと、暗殺業なんかは、勿論。そういう任務は大抵あなたから。マ  いえ。カウボーイ?」


「どちらでもいい」彼は大きな葉巻を口の隅に咥えながら、無愛想に彼女に打ち明けた。「大まかにはだ。ある種の公式な任務中である場合は、シックスと。現実世界でエージェントとして俺のことを呼ぶ必要があるなら、カウボーイと呼んでくれ。家族に関する任務中なら? そうだ。マイケルと、自由に使ってくれて構わない」

彼女は頷き、その呼び方をのちに正確に使うため、脳に刻みこんだ。「ありがとうございます、サー」彼は葉巻に火を灯す。その瞳は彼女の瞳を見つめていた。彼女は自身の言葉を訂正する。「すみません。マイケル」彼は頷いて、まだ少し落ち着かない心持ちで続けた。彼が椅子に寛いで座っている様子を目にした時、彼女は無意識に休めの姿勢で立っていた。彼は何か、人を軍の規則に従いたくさせるような雰囲気を纏っているようだった。

「それで」身を乗り出し、ドラゴンのように煙を吐き出す。「どうだった、アージェント?」

「はい……完遂しました。サー」彼女は両手を背中の後ろで組んで背筋を伸ばした。左手は無意識のうちに開閉し、銃を手にすることで得られる安心を求めていたが、たとえ身につけることが許されていたとしても、手を伸ばすのは少しやり過ぎではないかと感じていた。

「そう固くなるなよ、こいつは報告書ではないんだ。俺ぁただ、君の近況を知りたいだけなのさ」彼はそう促した。

「勿論です、サー。依頼された通り、あなたの情報に基づいて小規模な集会に潜入しました。彼らは私を生贄として申し分のない存在だと判断したようです。あなたの言う通り、彼らは以前見つかっていたものとは別の、多種多様なセメニッチ手稿を手に入れていました」吹き出してしまうのは流石に堪えたが、笑ってしまいたくもなった。この小さな儀式の中で見聞きした結果、彼らがどのようなことを行っていたのかを推測した彼女の結論に疑いの余地はなかったのだ。「ポータルが開き、新規の信者たちの遺骸を見た時、それらは平和的に撤退していきました」彼女はがやってくるのかはよく見ていなかったが、舌が脳に焼きつけられた。沢山の舌だ。そして何よりも、中折れ帽。それは彼女に対して軽く帽子を持ち上げたのち、去っていった。

「上等だ。よくやった」彼は揉手をし、姪に向けてウインクを贈った。「君の新たな任務の1つは、問題となる前に問題を阻止することだ。君が混乱を残している限り、内情を知る者たちは理解する。奴らが計画していたかもしれない事案を、安易に実行には移せなくなる。これはあくまで俺の意見だが、君は良い仕事をした」

その通りだと、彼女は思った。良い仕事だった。だが、それに見合う価値があったのだろうか?


「ああ、厳密に言えば、あいつこそビッグ・ボスだ」ヨリックは非常に退屈そうな語り口と動きでポケットからトランプを1組取り出した。中身をくまなく見つめ、混ぜ合わせ始める。「あいつから大量の任務を与えられてる筈だろ。つまるところの公式な任務をさ」顔を顰めながらトランプを切り続けている。「影の仕事を始めた時はアダムに直接報告していたけど、あいつはユーモアがわからないクソ野郎だよ。あの老人にはもう会ったのかい?」

彼女に躊躇いの色が見える。「ええ、1度だけ」

ヨリックは危うくカードを落としそうになったが、すぐに会話へと立ち戻った。「マジかよ。あいつは君とは一切関わりたくないもんだと思ってたぜ。辞任することに固執していたからな」

「あれは……事故だったんです」


彼は世界で最も強力な機関の創設者の1人には見えなかった。ただのくたびれた老人だったのだ。彼女はもう少しで彼と本屋で彼に出くわしそうになった。恐らくは彼がそうなるよう画策していただろうことは、間違いないと思った。

「ああ、ハンドか」その一言ですべてを説明し終えたかのように、彼は呟いた。彼女をじっと見つめ、頷く。「彼らは君に私を殺させるつもりだ。最終的にはね」彼は今日の天気について尋ねるかのような調子でそう言った。

「知っています」彼女は答えた。そして2人は別々の道に分かれていく。この出逢いにより、1人はもう1人よりも平穏を感じていた。


「ジャックじいちゃんは?」ヨリックは右手でトランプを切り、左手に移してを繰り返していた。彼女は彼から目を逸らして群衆を見回し、リアルなキツネ耳を頭に被った痩身の男に視線を落とす。鼻を鳴らして、首を振った。

「私たちは、あー……私たちはいくらか話をしました」彼女は短く刈り上げられた髪を撫でながら言った。

その台詞に従兄弟は同情するような表情を見せる。「アルコールはどれぐらい入ってた?」


それはそれは大量のアルコールだった。これだけの量の酒を見たのは久方ぶりで。伯父のオフィスの地下に酒蔵があるとは想定していなかったが、確かに彼のイメージ通りであると合点がいった。長い部屋だ。棚が並んでいて、どの棚の酒にも几帳面に違ったラベルが貼られている。部屋の正面近くにはモダンなもの。クラウン・ロイヤル、アップル・パッカーと、そのような流行のウイスキーがガス缶のようなものに入って置いてあった。更に奥に進めばボトルは古くなり、ラベルが黄ばんで剥がれかけている。最後の部屋にある酒のラベルは完全に剥がれてしまっていた。

ジャックは座り心地の良さそうな4つの椅子の間に立ち、黒板に向かって身振りを交えながら家族のルーツを説明しようとしていた。彼は上質な赤ワインを飲みたいという彼女の言葉を一蹴し、代わりにファミリーネームが刻まれたボトルから蜂蜜酒をグラスに注ぐ。「飲むなら飲んだらいいさ、ほら!」そう煽った。彼自身もリンゴの匂いの強い何か明るい青色の液体を同じように自分のグラスに注いでいる。石のコップを使う理由は「金属を酒の当てだと思っているから」。彼らの間にはキャセロールが置かれていて、『ジェフ・ブライト』からの小さなポジティブなメモが添えられていた。

「よぉし、ここからイカしてくるぜ」彼は家系図の下の方を指しながら言った。これまでだって十分ロクでもないのに、更に悪くなると? 「マイケルの娘、つまりはデイビッドの妹がアリスを産んだだろ? だがあ、その時の彼女の夫は、のちに私たちと関わることとなる男だったんだ……」自分の母親に繋がる名前まで線を引いていく。「その通り、プロメテウス博士だ。うん。ここではオリジナルの方な」彼はコップから酒を一口含み、喉の奥で喜びの声を上げた。「よし、ここまでで何か質問は?」

「デイビッドの妹……」顔を顰める。「彼女の名前は?」

18歳の連続殺人犯の身体のジャックは、決まりが悪く見せるだけの礼儀は弁えている。「誰も知らないんだ」彼は質問を阻止するため、彼女の前に手を掲げる。「プロメテウスは、プロメテウスになった時に何かをした。記録だけでなく、記憶からも彼女の名前を消し去ったんだ。“何者でもない”と取引をしたのではないかと考えている」ジャックは何もない部屋の角に恭しく会釈する。そこには恐らく誰もいない。だが万が一“何者でもない”がいた時のために、礼儀正しく振る舞っておいても損はないだろう。

セラも会釈をしたあと、ジャックは話を続けた。「アリスはサイト67の探索に配属され、その中にいる実体と命を賭けて取引をし、最初に生まれた子供を差し出した。最終的にその子供が成り果てたのは……」と、ジャックは下から上に向かって線を引いた。「ジョセフ・タムリン、ジョーイ・T、ジョシュア・ビン・ジョセフ。時の化身であり、2000年以上前の我が一族の家系の始祖だ」

彼女はグラスの底をじっと見つめてから、伯父にそれを差し出した。「もっと強いのをください」


「始める前に一握り分ぐらいアスピリンを飲んどくとマシになるぜ」 ヨリックは同情をこめて言った。山札を3回連続で切り、1番上のカードであるジョーカーを掲げる。「ふむ。こいつは処分したと思っていたんだがな」彼は肩を竦めた。「まあ少なくとも、父親の任務は簡単だったろ?」

「正直に言うと、精神的に辛かった」


2人は一緒に絵を描いて1日を過ごしていた。TJは自分が描いている絵のことを、無造作に言葉を繋ぎ合わせて説明しようとする。時折彼の瞳が聡明に輝く瞬間、彼女の母親のことを口にした。内容は決して詳細なものではなく漠然としていたが、のちに伝え聞いた話によれば、彼女にとって好ましくはない絵ができあがっていたらしい。

最悪だったのはその日の終わりだった。父は一緒に映画を観たいと強請ってきた。最近の映画に詳しくない彼女が選んだのは、美しいアニメーションで制作された冒険物語だった。

ココ1を観終わる頃には2人して涙を流していた。そしてお互いを決して忘れないと約束した。普段よりも大きな感情の動きがあったが、最終的に父親は落ち着きを取り戻し、眠りについた。彼女は財布に『僕の最高の愛娘』と書かれた絵をしまいこむ。神に誓って、その絵を奪おうとする何者にも容赦はしないだろう。


彼女は顔を顰めて、動物のコスプレをした人間にゆっくりと視線を戻した。あれには何か見覚えがある気がしたのだ。視認させなくするような何か。彼女はヨリックのカードを掠め取り、自分でも捲り始める。唇からはエージェントが標準的に用いるダブルスピークが漏れ出ていた。「ミスター・ジョーンズ。私たちは好ましくない状況下に居ると推察されます」トランプをシャッフルし、山札の下から1枚ずつカードを横向きにして指さしながら配っている。

ヨリックは体を強張らせた。そして、何やら奇妙なやり方で自分を宥めている。体は弛緩しているように見えたが、常に飛びかかる準備ができている彼の手足に、任務に対する束の間の剥き出しの緊張を見ることができた。「うん、ミセス・スミス。君の言う通りかもしれないな。いや情けないことに、気がつかなかった」彼は唇を舐め、彼女が何を見たのかを知るために群衆を注意深く見渡した。「線路の向こう側から来た人かな?」

「ええ、家族の側でもありません」彼女は一時思案する。「少なくとも、デイビッドから聞いた人あそこにはいませんね」

「ああ、もう1人の家族歴史家か。ミスター・カップケーキの調子はどうだい?」


「カップケーキ、おすわり!」セラは困り果て、鱗と毛で覆われた巨大な顔を遠ざけようとしていた。彼女の従兄弟の盲導犬……もといペットは、気に入った人間に出会うが最後少し熱狂的になりすぎて、あまりにも人懐っこくなった。2つの舌は鼻をひと舐めし、セラの手の上に涎を垂らす。

「ミスター・カップケーキ! よしよし、このおやつが欲しいんだね?」デイビッドは象の骨のようなものを手にしていたが……思うに彼のことだから、恐らくは未確認生命体の骨か何かを与えているのかもしれない。細い太腿……一体なんの骨だろう? 獣は嬉しそうに唸り声をあげながら駆け回る。デイビッドはその脚を掲げ、できるだけ遠くに投げつけた。幸いにも巨大な獣はセラから骨に興味を移し、弧を描くそれを追いかけて嬉しそうに走り出していった。「すまなかったね。彼女は君のことが大好きだから」

「時には気持ちが通じ合うことだってありますよ」セラは怪物の背中をじっと見つめていたが、食事に夢中の彼女が骨を粉々に噛み砕く音を聞いて首を振った。「それで、私に何か用件でも?」

デイビッドは悪戯っぽく笑みを浮かべて、プロジェクターのディスプレイに向き直った。「さて、これが君たちが見てきた家系図、いわば公式の家系図だ」ライトに映し出されたのはジャックの地下室で見たものとほぼ同じ図だった。「そしてこれ!」手は隅に積まれた資料を探り、点字の盛り上がりが適切な組み合わせになっているものを摘み取る。そしてもう1つの紙の上にそっと落とした。それは家系図の機能を果たさず、もっと煩雑としたものになる。「これが、ブライトの非嫡出児を加えた時の状態だ」

セラは近づいて図を観察する。「はぁ。確かに……非嫡出児の数は尋常ではないですね。え、待って」不意に立ち止まり、じっくりと見つめてそれを突き止めた。「ワンダーテインメント?」彼女は信じ難いと言った表情でそう尋ねた。

「そう、俺たちが知っているブライトたちの前に分岐した家系の出身なんだ。ジャックには内緒だよ、びっくりしてひっくり返っちゃうかもしれないから」デイビッドはにやりと笑って答えた。「勿論、非嫡出児たちはさらに子供を増やして、時には本家に戻って混ざり合うなんてこともあるけれど  」彼は奇妙で小さな唸り声やら、家族の垣根のもつれやらを身振りで示した。「そこまで書き出しても混乱を極めるだけだしね。何か質問は?」

猛スピードで近づいてくるカップケーキを見て、セラは身構える。「沢山ありますよ。でも、大事なことは1つだけ」

デイビッドはその獰猛な動物を捕まえて自分の前におすわりをさせ、首の後ろを嬉しそうに撫でていた。「なんでも聞いてよ」

「私の母親の名前は?」


「あいつはすごく……有益な情報を持ってる。相手が何を言っているのか認識させずに話をさせるんだ」セラは配られた手札を元に戻す。今度はソリティアの形に並べながら、この少年の何が自分をこんなに悩ませているのかを考えていた。

「あいつは俺の仕事をしてくれてる。向こう側のためにな」ヨリックはサングラスをかけながらそう言及した。目が隠れていれば、対象を監視している視線は気づかれないだろう。頭を少しずつ左右に動かしながら、注意深く観察していた。

彼女はちらりと目線を上げ、顔を顰めた。「家族と接触しているのですか?」

「いんや、そうじゃない」手で区切り否定を表している。「影の仕事のことだよ。人に見られないようにやらなきゃならないもんさ。あることをしているようで、実は別の意味があるような仕事。似たような賄賂の受け渡しなんかで、よくあいつに出会うんだ」彼は肩を竦めた。「ミセス・スミス、あなたは何か勘違いをしているようだ」

彼女の目は再び群衆を見つめ、紫色の髪の少女に焦点を当てた。その容姿はいささかできすぎているように見えたのだ。彼女は容疑者を一瞥し、眉を顰めた。「彼女でしょうか?」

ヨリックも同じく視線を落とし、笑った。「違うよ、ありゃRiverさ。彼女は家族だ」

「ああ……でも、こちら側の人間ではありませんよね?」セラは尋ねた。

「無論こっち側じゃない。彼女はアーティストなんだ」

「あー……」訳知り顔に頷いた。「“彼女はクールですか?”」

「おっと。随分と早計だな、ミセス・スミス」

「ミスター・ジョーンズ、私はちゃんとわかってやっていますよ」彼女は通常の口調に戻っていった。「かの偉大な貴婦人を思い出しました」

「年老いたエキドナのことを言ってるのかい? まさか彼女と一緒に働いていたとか?」ヨリックは身震いしながらトランプを奪い返した。「ブルル、あれはおっかない人だよ」

「本当のことを言うと、マイケルを思い出すのです」


「つまり、すべては敬意を表す心が大事なのよ。私たちは貴女を尊重し、人生をより魅力的にするための小さなプレゼントを贈りましょう。貴女も私たちを尊重し、私の赤ちゃんを殺すようなことがないように」エヴリンが立ち止まると、彼女の妙に膨らんだローブの下で何かが蠢いた。「そう。私が貴女を必要としない限りは、ね」

セラはため息をつき、腕を組んだ。「ごめんなさい。私には監視の任務が沢山あるのです。あれはその中の1つには含まれていません」

「あら、謝らないで愛しい子、当然よ! そもそも、ハートのジャックのことは成り行きに任せていたのだから! 私は新しいカードのデザインをいくつか考えているのだけれど、ヤギの要素を減らして、馬の体を多くしてみたの。女の子はお馬さんが好きでしょう?」彼女はふと静止する。頭に巻いたスカーフがずれてしまったが、両手は塞がっている。すると3本目の腕が体のどこかから伸びてきて、スカーフの位置を調整していた。

「一体なぜそれらを作ったのですか?」セラは女性の服の下で動く様々な塊を視界に入れないようにしながら尋ねた。

「正直に述べてしまうならば、すべてはワンダーテインメントが原因だったのよ」彼女は持っていたビーカーを置く。近くにあった機械に向き直り、熟練した手つきで容易にレバーを上下に動かしていた。「素敵な女性だった。誰もがそう言ったわ。でも、彼女がリトルミスターたちを作り始めた頃かしらね? 可哀想なテウスは取り乱してしまったのよ! 結局、彼は最初は異常性を持つ商品を販売していたのだけれど、ワンダーテインメントはここに来て彼に打ち勝った……もっと質の良い商品を収集していたのね」彼女は不愉快そうに唇を尖らせた。「酷く退屈なものたちだったわ。遺伝子配列は滅茶苦茶だったし。そのうちの1つ、DNAが組みこまれたリック・アストリーの曲の歌詞を知っているかしら? きっと彼女は儲かりすぎて笑いが止まらなかったことでしょうね」肩を竦め、更に別に取り付けられた肩をも竦めた。「他に私に何ができるのかを考えた時、愛すべき彼のために、彼の手持ちのカードを改良し育もうと思いついたの」

エージェントは体を左右に揺すった。怯えているわけではないが、いざとなれば逃げ出せるよう身構えていたのだ。「あなたがカードたちにそこまで入れこんでいるのはなぜ?」

「言ってしまえば、それは私が何をしてきたのかを記録するための簡単な方法に過ぎないのよ。知っての通り、私はトランプのマークごとに分類しているわ。ハートは被捕食者の動物を模し、クラブは捕食者、ダイヤはある種の昆虫、……そうね、蜘蛛は昆虫ではないけれど、私の好きなように分類することを許されているの。そして勿論、私の愛するスペードは、魚の類を模している」 彼女は気にしないよう手を振った。「ほら、粘液を出すものなんかのこと全般ね」

セラはコートのポケットに手を入れて考えていた。「それぞれの数字やマークには、異なる目的があるのですか?」

「ええそうよ!」3つの手が一斉に拍手を鳴らした。「私の愛しいジャックたちは繁殖種で、どうであれブライトたちはそういう家系だと思われている、そうよね?」彼女はおかしくて堪らないといった様子で、孫娘を親しげに小突いた。「貴女もそろそろ始めるべきよ。私のDNAが無駄になるのは耐えられないから……」

「他の数字たちは?」セラはその話題を避けようとして話を進めた。

「そうね、女王とは、育み、癒す能力を持つ者のこと。様々な方法で癒しを与えているわ。ナインは軍人だけれど、勿論女性もいるわよ。機会均等で、正義のために戦う、良き小さな兵士たちなの。そしてツーは、私の愛しいデュース  


セラはフラッシュバックから立ち直り、瞳を熱くさせた。「デュースはロクでもないトラブルメーカーなんです!」

カードがあちこちに飛び散り、再び切ろうとしていたヨリックは飛び跳ねた。「な、何?」

「“キツネ”が居る」彼の方を見るのではなく、位置のみを示す。彼女は立ち上がって、新しいターゲットに向かって進み始めた。「おばあちゃんの子供の1人のデュースです。捕らえることもできますが、それにはあなたに彼の気を逸らしてもらう必要がある」

「へへ。そいつは俺の得意分野さ。見てな、さりげなーくやってやるよ」彼はボディーガードにジェスチャーを送った。ボディーガードたちは目を丸くしたが、やがて護衛対象を見つめながら方々に散っていった。悪目立ちする服を着ているにもかかわらず、彼は別の顔を見せ、人ごみの中に溶け込むようにして近づいていったのだ。

彼女はゆっくりと位置につき、ヨリックの動きを把握しようとした。両陣営が扇動する姿を見た。囁くような言葉、叫ぶような声とスローガンの文句が暴力的になっていき、双方が文字通り怒鳴り合うようになると……国勢調査員の抗議者の後ろから白い袖の腕が飛び出してきた。鉤十字の腕章をつけた男の顔に叩きつけられたのだ。

その後、状況はカオスを極めていた。


「さりげなくできた?」数時間後、スキップ回収車の後部に2人で座りながら、セラが尋ねた。キツネの少年は別の輸送車に乗せられ、収容へと向かっていった。

ヨリックは肩を竦めた。「家族相手にしちゃできた方だぜ。俺が誰の頭も撃たなかったことからわかるだろ」彼はそう強調した。かつて真っ白だった服には血がこびりついていたが、その血の一部は彼自身のものだった。

「へえ。まあ、あなたがなぜあそこで私に会いたがっていたのかはわかりましたよ」彼女は車の壁に頭を預けて言った。

「ほう?」眉を上げる。「どうしてだと思う?」

「スキンヘッド2を殴る口実が欲しかっただけでしょう」

「へっ」後頭部を車の壁に勢いよくもたれかけ、彼は笑った。「その通りだよ」

彼女は瞬きをして振り返った。「待って、本当に?」

「そうさ。ナチスなんてクソ喰らえだからな」

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