シャンティ・クライム・パラライザ 前編: 上
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ライ

前編: 上

前編: 上 | 前編: 下 | 後編: 上 | 後編: 下


のバンが上海シティパートナーズ銀行の前に停まったのは、午後2時ごろのことだった。初夏の日差しが照り付ける気怠い暑さの中、車体のソリッドホワイトは輝いてすら見えて、入り口近くに立っていた警備員は思わず目を細めた。間を置かずに車のドアが開き、5人ほどの男たちが出てくる。水色のツナギを着た彼らは、日差しを避けるかのように帽子を目深に被っていた。


「ちわーす。清掃でーす」

先頭に立つ男  赤く染色された長髪が帽子から出ているその男の声に、窓口の行員たちは眉をひそめる。外部の清掃業者を入れることも決してないことではない……しかし、この銀行が持つとある「背景」故に、それは漏水や汚損など何らかの非常事態があった際に限られる。そもそも、業者を呼ぶなら窓口業務が終わる3時以降を指定するのが普通ではないか。


「何かの手違いかもしれません。失礼ですが、お名前を伺っても?」

行員の目くばせを受けた警備員が男たちの前にさりげなく体を差し込み、銀行の奥に入ろうとするのを阻んだ。現在ロビーに客はいない。行員が居る窓口まではまだ5m以上の距離がある。例え暴れたとしても、人質を取る前に警備員が男たちを制圧することは容易い。


「あー問題ないっす。ちょっと待ってくださいね」赤毛の男はそう言いながら、慌てることも無くポケットを探る。そして、おもむろにそこから取り出した布で自分の口をおさえた。


「どうせ全部、忘れちまいますから」

その言葉が合図だったのか、後ろの男が背負っていた掃除機のような機械を警備員の方に向かって構えた。瞬間、ノズルの先端から噴き出した赤色の雲煙が立ち込め、窓口からその奥に至るまで、銀行内の全てを覆い隠した。



「以上が、監視カメラに記録されていた犯行の一部始終だ」


スクリーンに映し出されていた映像が終わると、会議室には明るさが戻り、そこに集っていた面々を照らし出した。一見して共通点の無い老若男女たち。しかし、近畿地域統括サイト-81KK  大阪の箕面山地下に建設されたこの大規模財団サイトにおいて、彼らはある任務に特化した人員として知られている。

名を『対抗犯罪セクション』。財団が取り扱う異常な事案の中で、特に超常事物を利用した犯罪を追跡する部門である。


「被害にあったのは財団フロント企業である上海シティパートナーズ銀行の大阪西支店。およそ5100万円相当の現金及び有価証券が持ち出され、現在も発見されていない。おかげで『戦術会計』カイケイの連中は今月分の資金回収ルート見直しを迫られてる」

セクション主任である粟屋あわやの言葉に、忍び笑いの声が上がった。財団の総資産に比べれば盗まれたのはごく一部だが、サイト随一の"締まり屋"どもはその補填のため今も駆けずり回っているに違いない。しばらくは調査の経費にうるさく口を挟んでくることも無いだろう。


「で、今回問題となっているのが映像に残っているこの"赤い煙"だ。このエアロゾルを吸い込んだ行員は激しい偏頭痛、吐き気とともに意識を失った。そして目覚めた時、彼らは事件について何が起こったのか記憶がないと証言している。……"わからない"ではなく、ほんの1時間前のことを"覚えていなかった"。現場の残留物に対する分析はこのエアロゾルに、クラスA記憶処理に用いられる薬剤と同じ化学組成が含まれていることを証明した」

どこか弛緩していた空気が、ざわ、と緊張で波打つ。記憶処理用薬剤の財団外流出  。それは機密情報の漏洩というだけでなく、財団が長年独占的に培ってきた記憶処理技術という英知が知れ渡り、他組織に対する優位性を失わせることに直結する。


「以前、ポーランド支部施設において非異常性の記憶処理薬の開発中、その一部が裏社会に流出する事案が発生した。今回使用されたエアロゾルは恐らくその派生であると考えられる。よって本案件は、この薬剤の出所及び実行犯の特定を最優先任務とし、現時点よりレベル4専用クリアランスの機密指定を受ける」

そこまで言うと粟屋はフゥーと息を吐きだして俯く。そして体を起こしながら掛けていたサングラスを外し、向こう傷が目立つ左眼と、それ以上に怒りが滲んだ眼光を露わにした。


「要するに、連中は財団ウチの技術でウチのフロントを襲ってる。……舐め腐ったやり口だよなァ?これをみすみす取り逃すようじゃ、これまで俺たちが睨み聞かせてた木っ端悪党どもも調子づく。てめえら、『対抗犯罪』タイハンの威信にかけて、必ず犯人の確保マルカク取るぞ!」

粟屋が飛ばした檄に一同は起立し、応の声が会議室を揺らした。




「稲城、お前はちょっと残れ」


そのエージェントが粟屋に呼び止められたのは、差し当たっての捜査方針が決定し、対抗犯罪セクションの職員が三々五々に会議室を出ていく時のことだった。稲城 祐希いなぎ ゆうき。よれたコートに無精ひげと乱れた髪……どこか不道徳的で、澱んだ空気を漂わせる男。

稲城はうんざりした顔で振り返った。

「勘弁してくださいよォ、粟屋サン。またお説教ですか?」

「当然だ馬鹿野郎。相変わらずお前は単独行動独断専行!勝手ばかりしやがって」

「独自の調査ルートなんてここの連中はみんな隠し持ってるもんでしょう。それに、この前の話ならちゃんと手柄を共有したじゃないですか。ほら改造ガス銃の密造工場を突き止めた件」

「ああそうだな。結局工場が爆発炎上して、その始末を俺に押し付けてきたあの件な。お前は自分で拭けないケツの汚れを"手柄"って呼ぶんだな、覚えておくよ」

「あのコリアンマフィアどもはマガジンに詰めるガスを地獄の第七圏から調達してたんですよ?儀式を止めなきゃ部隊を待ってる間に工場一帯がポータルの向こう側に持っていかれる可能性があった!ガスの貯蔵タンクに引火したのは、その……些細な不運ってやつです」


粟屋はハァとため息をついた。

「本来なら今回の件からも外してる所だ!……だがな、俺はこれでもお前の腕を買ってる。なんだかんだ成果はきっちり上げてくるし、危険な場に踏み込む度胸も、そこから五体満足に帰ってくる運もある。しかし何よりお前のその腐り切った眼だ!」

顔に指を向けられ、稲城はギョッと後じさる。

「そのドブみてえに濁った瞳を見れば、どんな悪党もお前を自分と同類のカス野郎だと信じて疑わない。裏社会に紛れて清濁併せ呑む『対抗犯罪』のエージェントとしては理想の姿だ」

「褒められてる気ぃしないすね……」

「とはいえ、このままお前の暴走を見過ごしておくわけにもいかん。お前のケツ拭きのために俺の定年後の地位は脅かされ続けてる。そこでだ、俺は良い案を思いついた」

どうぞ来てくれ、という粟屋の声で会議室に入ってきたのは、若い女性職員だった。年の頃は20代前半といったところだろうか、物静かで冷静だが、いかにも「真面目で正義感にあふれ」「おかしいと思ったことを指摘せずにはいられず」「仕事へのやる気に満ちていそう」な  稲城が最も苦手とするタイプ。

「紹介しよう。彼女は『未詳怪異調査セクション』の若きホープ、石神 茜いわかみ あかね君だ。今回の件はウチと向こう、2セクション合同で追うことになってる」

「ご紹介にあずかりました石神です。今回はよろしくお願いします、稲城先輩」

自分にむかって恭しくお辞儀をする石神に、稲城は思わず目をむいた。「ちょっと待ってくださいよ、もしかして俺に『未調』ミチョウとバディ組めってんですか!?」


『未詳怪異調査セクション』  財団が公的に発見する以前のアノマリーを民間の巷説や都市伝説より調査し、"未然の収容"を行う部門。通常は事件や事故などの問題が起きてから事後対応の確保・収容に動く財団の中で、積極的に異常の深淵を覗き込もうとする異質なセクション。

そして、そこに属する職員たちもまた、どこか"外れた"連中に他ならない。


「いつも通り勘が良いじゃねえか。このセクションでお前を止める気概のある奴はもういないんでな、今回は外部から"お目付け役"を用意したってわけだ。向こうの主任もこの娘に経験積ませたいってことで快く了承してくれた」

「はい。今回は『対抗犯罪』のエースである先輩のやり方、しっかり勉強させてもらいます」

「俺がエース?いったい誰がそんな呼び方を  

「よーしよし、お互いやる気十分ってわけだ。今回はこのエージェント・石神がお前に随行する。なーに、お前はいつも通りやってくれて構わねえよ。た・だ・し、その行動は俺に逐一筒抜けになってると思え。話は以上だ」


稲城に口を挟む隙を与えず、「じゃ、仲良くなァー」と粟屋はひらひら手を振って歩き去っていった。すると、会議室に残されたのは、苦虫を嚙み潰したような顔の男と、それを黙って見上げる女の2人だけとなる。

この膠着状態はしばらく続いたが、それもなかなか無人にならない会議室に清掃員がしびれを切らすまでのことだった。追い出されるように歩き出すことで、やっと稲城と石神  奇妙なバディによる事件の捜査は開始された。



カーテンを閉め切った暗い部屋に、荒い息遣いが5つ反響する。


「やったぞ、やったったぞチクショウ……!」


低く小さな声。しかし脳内に分泌されたアドレナリンが、喉にまで染み出したかのような興奮した声。


「でも……大丈夫やろか、もし警察来よったら……」

「アホ、今更気にしてどうすんねん。それに"ブルース"のおかげで、だーれも俺らの顔覚えとらん。完全犯罪ってワケや」

「そうそ、全部アキトの書いた計画通りにうまく行ったやないか。なあ?」


ドシリ、と重い物が部屋の中に置かれた。舞い散ったほこりと共にカーテンが少しなびき、わずかに日光が部屋の中を照らす。旅行用の大型鞄に詰められた5000万円を、10の瞳が囲んでいた。そのギラギラとしたまなざしは、欲望と、興奮と、追い詰められたネズミがネコへ噛み付く一瞬に見せる、決死の焦燥が滲んでいた。


「ああ。これで俺たちは、あいつらから解放されるんや……!」



近畿。ヤマト王権成立の立脚地として古代から数多くの都を擁し、千年以上にわたって日本の中心地であり続けた"上方"かみがたの地。首都機能が東京に移動した現代でも、なお経済・文化を産み出す場所として人であふれ、栄え続けている地域にもかかわらず   いや、だからこそと言うべきか   この近畿という土地は「異常」アノマリーに満ちていた。

都市を覆う"正常性"の表面を一皮剥いでみれば、それらは様々な形で姿を現す。

例えば、それは交差点を行きかう人々に伝染する奇妙なアイデアとして。あるいは、埃っぽい土蔵で祀られた不可解な容姿の剥製として。はたまた、マップアプリに表示されない小路から迷い込む異界のネオン街として。企業に雇われた呪殺専門の陰陽師集団として。地下鉄路線に顔をのぞかせる"存在しない"下水道に関する噂として。社会の裏に巣食う人食いの鬼たちとして……。

そして今、稲城と石神の前には、苔むしたカーネル・サンダースの人形としてその姿を現していた。


"道"Wayを使ったことは?」

「いえ、『未調』ではまだその手の案件に関わったことがありません」


大阪府、浪速区。店先やアパートの集まりを通り過ぎた薄暗い路地裏の突き当りに、そのカーネル人形は立っていた。奇妙な点と言えば、人形が苔に覆われ、地面やその背後の壁と一体化するかの如く境界線が溶け合っていることだった。それは石神に、何百年と経って今にも崩れかけようとしている地蔵尊の石仏を思い起こさせた。

プリチャード異常領域学ネクソロジー課程では、異なる世界と世界をつなぐ通路だと教わりました」

「なんだ、"特進コース"出身のエリートかよ」とぼやいて、稲城はその説明を補足する。


「大体合ってる  が、重要なのは大抵の"道"が通り抜けるために通行手形を要求してくるってことだ。いわゆる"ノック"だな。身分証明になるのは特定の何か、例えば正しい日時や手順、所持品、思念、儀式なんかが求められる。ここの場合は……合言葉か」

その時、柔らかな笑みを浮かべていたカーネル人形が、塗装の剥がれ落ちた白い目を見開いた。石神が驚きに身構える間もなく、人形の口が地下道で反響するような歪んだ音を紡ぎ出す。

"旅人よ 今日はいずこで何見るん?うちらの宴に寄ってきや"

「"それでは一献相伴しましょう、逢坂おうさかの夢で食い倒れ"」


稲城の合言葉が浪花節のように歌いあげられると、カーネル人形の顎が"落ちた"。いや正確には、人形の口に当たる部分が急激に下方向へ拡張され、楕円形のポータルとして展開した。それは見た目には、全ての光を吸収するような深い闇を湛える洞窟の入り口に見えた。

「よし、行くぞ」と稲城は勢いをつけてその穴に飛び込む。ズブリ、と重いものを水に沈めた時のような音がして、彼は基底現実から姿を消した。石神はポータルをしばらく見つめた後、その直上のカーネル人形の顔に視線をやり、もう一度ポータルに目を移してから、息を整えてそこに踏み込んだ。

世界の境界は石神の顔面で伸縮性のある物質のように伸びたが、なおも前進するとついにそれが裂け、逆に彼女の体を奥へと吸い込み始めた。

空間と物質が柔らかく溶け出し、1人の存在を世界から引きはがした。右足と、まだポータルに入りきっていなかった左足が1km以上も離れたように感じたが、痛みは無かった。彼女は自分の肉体から"厚み"が失われ、かつて見たピカソのキュビズム絵画のように輪郭が崩れて長く長く蕩け流れる感覚を瞬間的に味わった。

そして、伸ばし切った輪ゴムがパチンと音を立てて戻るように、彼女は元の形を取り戻した。




光、音、温度、空気。全てが唸りを上げて石神に襲い掛かった。"道"を抜けたのだということを理解するまで、彼女は、世界と世界の狭間を移動する際に一度失った感覚の奔流にただ圧倒されていた。左足がちゃんと自分の腰に付属していることを確認した後、石神はあたりを見回した。

そこは開けた、雑木林のような場所だった。空の暗さを見るに間違いなく夜であるようだが、不思議と周りのものを見ることができる。彼女の前には1本の砂利道が続いていて、その向こう側からはどんちゃん、と祭囃子に似た笛と鉦太鼓の音が聞こえてくる。

「……本当に、ここに情報提供者が?」

そうつぶやくと石神は少しよろめきながら立ち上がり、事前に稲城に指示されていた通り、砂利道を辿ってその音の方へ向かう。背後からは、カーネル人形が見慣れた笑みを浮かべて歓迎の言葉を述べた。

おはようおかえり。新世界キッチン を 楽しんでな


シャンティ・クライム・パラライザ
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