死神の願い
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人は誰しもこの世に生を受け、いずれ終わりの時を迎えるようにできている。そう、“できている”。その物語も、あらかじめ描かれた筋書き通りに進むように作られている。最後のページが終わった時、その生もまた、終わる。幸せに包まれながら死んでいく者がいれば、一度もそれに触れることなく死ぬ者もいる。この流れを人は運命だの宿命だのと名前を付けた。だがこれは、人が自分たちに与えられた筋書きを受け入れるために作った概念でしかない。物語はすでに終わりまで決められているのだ。ありとあらゆる生、すべての命の筋書きを守り、その通りにすべてを動かすことが私の使命だった。それがどれほど残酷で、どれほど救いのない生であっても。


自習室では子どもたちがそれぞれに与えられた課題をこなしている。この孤児院では午前は勉学の時間と決めている。彼らが生きていくために必要な知識を与えることが今の私の仕事だ。その知識は外に出ることなく、必ず無駄になってしまうのだが、学ぶ楽しさを彼らに知ってほしい。子どもたちの年齢はまちまちではあるが、一人ひとりに合った教材を用意している。もちろん頭の出来に差はあるのだが…。

「先生、7の段が覚えられないの」

そう質問してきたのは悠斗という男の子。ここに来てそろそろ1年になろうか。背中の痣も、もう消えている。最初は私のことを怖がってあまり懐いてくれなかったのだが、他の子どもたちの様子を見ているうちに心を開いてくれたようだ。九九を覚えるコツを教えてやった。と言っても何度も復唱して覚えるしかないという程度だが。

「ダメだよ先生、ちゃんと教えてあげなきゃ。悠斗がかわいそう」

そう言って美咲は悠斗に向かって歌を歌い始めた。どうやら九九に曲を付けた歌らしい。そんな歌があったのかと感心した。美咲は子供たちの中では最年長であり、面倒見もよくしっかりした子だ。悠斗もたどたどしくではあるが美咲の後について歌い始めた。単純な節の可愛らしい歌だ。「しちいちがしち、しちにじゅうし」。その様子につられてか、他の子どもたちも同じ歌を歌い始めた。明るい光が差し込む自習室が、子どもたちの歌声に包まれた。それを見ている私はきっと微笑んでいただろう。外見からは分からないだろうが。

ここにいる子どもたちは、皆私が連れてきた。それぞれ色々な過去を持っているが、ここにいる間はすべてを忘れて健やかに過ごしてほしいと切に願っている。いずれここでの幻の時間も終わり、残酷な最期が来てしまうが、せめて、その時までは、安らかな日々を、彼らに送りたい。それが罪であったとしても。

太陽が空のてっぺんに届くころ、私は手元のベルを鳴らした。昼食の時間の合図にしている。子どもたちは教材を投げ出すように食堂へと駆けていく。きちんと片づけをするよう促し、笑顔あふれる彼らと供に食堂へ入った。

「今日は金曜日だからカレーだよね!先生!」

「拓真、あんまりはしゃぐとまたこぼすよ」

「わかってるよ美咲姉。」

いくつかの四角いテーブルを数人づつで囲み、子どもたちは両手を合わせて「いただきます。」と唱えた。食事の前に行うこの国の習わしだ。私は、食事をしている彼らを眺める時間が好きだ。幸せそうにスプーンを口に運ぶ姿がとても愛おしい。将来への不安など微塵も持っていないだろう。命に終わりがあることすら、知らないのかもしれない。

「まーた私たちの食べてるとこ見て、ぼーっとしてる。先生も一緒に食べればいいのに」

美咲が呆れた顔でそう言ってきた。私は食事の必要が無いと散々言っているのだが。美咲は続ける。

「ねえ先生、夜はみんなでバーベキューしようよ!たまにはいいでしょ」

「え!バーベキューするの?私もやりたい!」

「俺は肉!肉が食べたい!」

美咲の提案に子どもたちが食いついてしまい、食堂は一層にぎやかになった。普段と違う催しごとに期待している子どもたち。どうやらバーベキューをするほか無いようだ。

食事が終われば彼らは自由な時間となる。幸いにもこの孤児院には十分すぎるほど広い庭があるので、何人かの子供たちは野球を始めた。食器を洗いながら窓越しに彼らを見守っていると、美咲に声をかけられた。

「私も手伝うよ」

美咲は手慣れた様子で食器の泡を流し、水気をふき取っていく。袖をまくって露わになる、腕の火傷の跡が痛々しい。この子は本当にしっかりした子だ。私一人で経営していることもあり、家事を手伝ってくれることは本当にありがたい。もっとも、手伝ってくれるのは美咲ぐらいだが。手を動かしながら、美咲はたわいもない話を始めた。涼介が最近沙也加を気にしているだとか、智之がいたずらばかりで困るとか、子どもたちのことを私に話してくれた。美咲はよく他の子どもたちを見てくれているようだ。そんな中唐突に「先生、いつもありがとう。私たちは優しい先生が大好きだよ」と、美咲は言った。

「ねえ、先生。私はいつまでここにいられるのかな。いつか私もああなっちゃうんでしょ?」

美咲はいつもと変わらない口調でそう訊いてきた。答えられなかった。隠しているつもりもないし、隠せるようなことでもない。“それ”は唐突に、だが確実に彼らに訪れる。このことをここで暮らす多くの子どもたちは知っている。目の当たりにしている。だが、こうして直接言葉にしてぶつけられることは少なかった。昔ここにいた子が言うには、この話をしているときの私はとても哀しそうに見えるらしい。表情がなくても、子どもは感じ取ることが出来るのだろう。

「先生、夕ご飯のこと、わがまま言ってごめんね。そろそろ私の番が来そうな気がして、どうしても最後にみんなでバーベキューしたかったんだ」

なぜ子どもは、こうも何かを感じ取れるのだろう。

「初めてここに来た日にも先生がバーベキューしてくれたんだよ。覚えてる?」

忘れるはずがない。丁度3年前の今頃だった。

「食材、買いに行かないとだよね」

そう言って美咲は私に微笑んだ。その笑顔は私を困らせるのに十分だった。

私は、彼女の最期を知っている。

残酷なほど克明に、知っている。

彼女のすべてを、知っている。

最期のページが、迫っている。


夜の帳が落ち、涼しい風が孤児院の庭を吹き抜けていく。私は子どもたちに急かされながら薪に火を起こしていた。これが意外と難しくて子どもたちを待たせてしまっている。ふと横を見ると美咲が手ごろな岩に腰掛け、遠くを見つめていた。風に揺れる髪で顔は見えなかったが、私にはその哀しそうな表情が見えた。私は目をそらし、何かを忘れる様に一心不乱に火起こしに夢中になった。

やっと炎が安定してきたので、串に刺した食材を焼き始めた。由美が野菜が嫌いだと泣き出してしまった。するとすぐに美咲がやってきて、泣いている由美をあやし始めた。その横顔からは先程の憂いは消え去っていた。

子どもたちは好きなように食材を火にくべ焼いていく。肉の焼けるにおい、脂が火に落ちる音が広がる。子どもの食欲にはまったく驚かされる。私も一度でいいから、子どもたちと同じものを食べてみたいと思う。きっと楽しいだろう。串を捨てるためにと用意した缶詰の空き缶はもう一杯になっている。新しいのを取ってこなければ。

食堂に入り空き缶を探していると、美咲も続いて入ってきた。昼間のこともあり、私はやや構えている。私と対面し、美咲は口を開いた。

「ねえ先生、先生はさ、死ぬのが怖い?」

分からない。私たちには死の概念がない。

「そうだよね。わかってる。私はね、怖いよ。でも先生がいてくれれば大丈夫。先生は、あれのことをもっと楽しい場所に行く準備なんだって言うでしょ。私はそれを信じてるよ。本当のお父さんとお母さんのことを思い出せないのは少し残念だけど、それも先生がそういう風にしてるんでしょ?先生ならできそうだもんね」

美咲が何を言いたいのかよくわからなかった。私はこの孤児院の本当の目的を子どもたちに話したことはない。子どもたちに彼らの過去を思い出させるわけにはいかない。この孤児院の中でしか、幻の幸せの中でしか彼らは救えない。

「そんな哀しそうな顔しないで先生。責めてるんじゃなくて、感謝してるの。なんとなくだけど、みんながここからいなくなる時の事とか、家族のことが思い出せないこととか、全部理由がある気がするんだ。これもなんとなくだけど、分かっちゃった気もするんだ」

いつか、こんな子どもが現れるのではないかとは考えていた。美咲は他の子どもたちよりも物事が分かる年齢なのだろう。ここで起きていることから、真実を感じ取ってしまったのだろう。胸が痛かった。私は、彼女の物語を知っている。全ての物語には必ず最後のページがある。私はその中身を好き勝手に書き換えることはできる。だが、ページを付け足すことは、私にはできない。


次の日の午後。昨日の鮮やかな空模様が嘘のように、雲が多く灰色の天気だった。それは突然だった。いや、私だけは知っていた。私の目の前で、庭で他の子どもたちと遊んでいる美咲が倒れた。それを見たことのある子どもたちは、何が起きているかを察した。見たことのなかった子どもたちは、何が起きているのか分からなかった。私はその場に近づき、子どもたちにこれは楽しくて新しい場所へ行くための準備なのだと伝えた。

美咲は瞬く間に衰弱していく。まるで何日も何も食べていないかのように。私はその様子をただ眺めている。曇り空の下で死にゆく美咲を、ただ、眺めている。数分後、美咲の物語は予定通りの最期を迎えた。私は小さく黙祷し、彼女を抱き上げた。いつも通り、死体は焼却した。煙が空に昇り、雲に溶けていった。

また、ひとつ終わってしまった。私には、過程を無理やり書き換えることしかできない。すべての人に訪れる死。この結果はどうしても変えられない。ならばせめて、その生きている間だけでも、彼らに幸せのあらんことを。

私は、死神は、願っている。

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