新米エージェントの日常──ピザ屋と認識災害
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──こちらエージェント・桜井智香、桜井千穂。初期収容ミッションを開始します。

「ちわー、宅配ピザの宅配デース」
 ピザ屋の格好をしたショートヘアの少女が、マンションのインターホンを鳴らす。
 返答はないが、彼女は気にしない。手にしたピザの箱の引き出しから、そっと合鍵を取り出す。
 もちろん普通のピザの箱に合鍵を入れる引き出しなどないが、彼女は普通のピザ屋ではない。財団のフィールドエージェントだ。

 合鍵でドアを開けて、桜井千穂は帽子を脱いでぺこりと一礼する。
「あ、ども。スパイシーチーズピザのMをお届けに上がりマシター。あ、中入っていいデスか?」
 わざとらしい演技の後、千穂は玄関に入り込む。
 それと同時に、するりと玄関に入ってきた者がいた。こちらも若い女性だが、ジャージにスパッツという出で立ちで、見事なアスリート体型をしていた。
 彼女は桜井智香。同じく財団のフィールドエージェントだった。
 智香はドアを後ろ手に閉めつつ、千穂に向かって言う。
「別にあんな演技しなくてもいいと思うけど」
 千穂はピザの箱を開けながら、こう応えた。
「お姉ちゃんみたいにゴリ押ししてたら、偽装工作なんてできないよ」
「私がプロレスラーだからって、なんでもかんでも力任せみたいに言わないでよ……何やってんの」
 千穂は箱の上段に入っていたピザをもぐもぐ食べながら、こう答える。
「偽装用ピザの隠蔽工作」
「油断してると死ぬよ? 確かにこの案件、いわゆる『モンスター』的なオブジェクトじゃないと思うけど」
 智香は玄関から、廊下の奥をじっと見つめる。
「対象はベランダから飛び降りて死亡。血中から多量の薬物が検出されてる。警察の捜査情報、覚えてるよね?」
「もちろんデス」
 ピザの箱を閉じて、千穂はうなずく。
「それだけなら財団が動く理由もないんだけど、要注意団体らしい組織と接点があったのが、まあアレなんだよネー」
「警察の実況検分も終わってるし、何かが襲ってくることはないと思うけど……ま、私たち新人だから、慎重にやりましょ。私が先行して安全を確保するから」
 智香は廊下を一歩踏み出した。

 内部の安全を一通り確保した後、智香が寝室を調べに行ったので、千穂は台所を調べていた。テーブルの上に郵便物が山積みになっている。
「白ヤギさんからお手紙ついた。黒ヤギさんたら読まずに積んだ……か」
 郵便物が未開封のままになっているため、千穂はここに危険なオブジェクトは存在しないと判断する。だが犠牲者の周辺情報を集めるために、軽く調べておくことにした。
「水道局とー税務署とーガス会社とー水道局とーガス会社とー電力会社とー……白ヤギさんだいぶ偏ってるナー。あ、これ違う」
 千穂が手に取ったのは、開封済みの封筒だった。手書きのあて名は、ここの住人のものだ。
「事件の匂いがするよ、ワトソンくん……でも怖いから、中身は見ずに確保しよっと」
 そう言って封筒を裏返し、差出人を確認する千穂。
 そして、彼女は凍りついた。

 
「うーん、どれがオブジェクトなんだろ」
 智香はぐるりと寝室を見回し、溜息をついていた。
「やっぱり薬物なのかなあ。一応、回収しとこ」
 手近な薬瓶を財団標準ケースに入れつつ、智香は首を傾げる。
「胃腸薬に鎮痛剤、これは……抗生剤か。なんか違う気がするなあ」
 そう呟いたとき、千穂の足音が聞こえてきた。智香はカラーボックスの中を覗き込みながら、背後の千穂に声をかける。
「どしたの千穂? なんかあった?」
 返事はない。代わりに智香の首筋には、冷たく硬い感触。
「え?」
「ごめんね」
 鋭い痛みが走った。

終了報告書: 通信途絶から2時間後、エージェント・千穂は狂乱状態で収容部隊に攻撃を行いました。収容部隊は応戦し、エージェント・千穂は射殺されました。室内からエージェント・智香の死体を回収。検死の結果、失血死と断定されました。
オブジェクトは予定より6時間遅れてサイト-81██に収容されましたが、拡散していた認識災害により被害が続発。初期収容の遅れにより、市民18人が暴露する結果となりました。記憶処理は効果がなく、対象は全員終了されました。

「良かったな、お前ら」
 筋骨隆々の覆面男が腕組みしながら、溜息をつく。半裸なのに、なぜか白衣を着ていた。
 彼の前にはオモチャの包丁を持った千穂と、首に赤いインクをつけられた智香が、面目なさそうにうなだれていた。
「すみマセン……」
「申し訳ありません……」
 千穂の手には、さっきの封筒。差出人のところには、こう記されている。

──訓練失敗:君は視覚による認識災害に暴露した。ただちにオモチャの包丁を用いて、バディを"殺害"せよ。

「本当に良かったな、訓練で」
「すみマセン……」
「申し訳ありません……」
 ますますうなだれる姉妹。
 だが千穂の方が顔を上げて、すぐに反論した。
「で、でも先輩! 封筒の中身ならともかく、差出人のとこにオブジェクトがあるなんて理不尽デスよ!」
 先輩と呼ばれた白衣のマスクマンは、肩をすくめてみせた。
「SCPオブジェクトってのは、理不尽なもんだ。だが消印がないから、郵便物じゃないことはすぐわかる。気づけないお前が馬鹿なだけだ。あと、ここじゃ先輩って呼ぶな。主任と呼べ」
「うぐぐ……」
 すると智香が妹を庇う。
「私の……ミスです。認識災害の可能性を忘れて、バディの状態をチェックするのを怠っていました。不意討ちを避けられなかったのも、油断していた私に責任があります。仮にも格闘家なのに……」
「さすがはお姉ちゃんだ。だが、何か言いたそうだな?」
 すると智香は上目づかいになる。
「あの、えーと、じゃあ言っちゃいますが……薬物関連の情報、完全にフェイクですよね?」
 マスクの主任は素直にうなずいた。
「おう。財団のカバーストーリーだ」
 とたんに智香が目を丸くする。
「ちょっ、ええっ!? じゃあ私たち、財団の隠蔽工作で死んだんですか!?」
「初期収容のときはバタバタするから、情報が錯綜することもあるんだよ。みっともない話だが、過去に実際に起きたインシデントだからな。ちゃんと裏を取ってないお前らが悪い。しかも情報を過信して、思い込みから油断した。エージェントとしては失格だ」
「気をつけます……」
 しょんぼりしている姉妹。

 すると主任は苦笑して、元気のない二人の肩に手を置いた。
「俺たちフィールドエージェントは、財団の目だ。だからこそ、見ちゃいけないものを見ちまうことが一番恐ろしい。凶暴なモンスターなら見てから逃げることもできるが、何気なく落ちていた認識災害は見た瞬間にアウトだからな。初期収容のときは常に意識しておけ」
「は、はいっ!」
「わかりマシた」
 桜井姉妹はうなずいたが、妹の方がしきりに時計を気にしながらこう続けた。
「あ、あのー……バイトの途中だったんで、そろそろ帰っておかないと怒られるんデスが……」
 すると主任は愉快そうに笑って、彼女の制帽を手に取った。
「大丈夫だ! "シャーク・チーズ・ピッツァ1"は、俺たち"桜井文化プロレス2"と同じ財団フロント企業だからな! 本部研修って名目で、店長さんには話を通してある」
 主任は千穂の制帽を被って、ポージングで筋肉を誇示した。
「さ、今度は違う設定で模擬訓練だ。お前たちは必ず、いいエージェントになる。俺が保証するぞ!」
 その言葉に、桜井姉妹は力強くうなずく。
 これから2人で街を守っていくのだ。

補遺: この日の模擬訓練で2人は3回ずつ首を折られ、世界終焉シナリオを1回引き起こし、フェイルセーフ用の核装置を2回起爆させました。訓練を継続します。

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