夏休みの偽装工作──SCP-228-JP隠蔽任務
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 その日の早朝、エージェント・マオは電話の呼び出し音で叩き起こされた。
「すみません、あと20ページぐらいです」
 電話の声は一瞬沈黙したが、すぐに事務的に用件を告げる。
「いや、そっちはどうでもいい。虎屋だ、今日中にカバーストーリーを作ってくれ」
「また随分と急ですね、虎屋博士」
 だんだん目が覚めてきたので、マオは起き上がってパソコンを立ち上げようとする。だがつけっぱなしだったので、マオはすぐにメールをチェックした。
 虎屋博士はこちらの行動が読めているかのように、説明を始める。
「見ての通り、SCP-228-JP は一般人も立ち入り可能な場所に現れる」
「でもこれ、ちゃんと特別収容プロトコルできてるじゃないですか。これなら大丈夫でしょう?」
 すると虎屋博士は溜息をついた。
「大人はな」
「ああ、なるほど」
 マオもようやく理解する。
「あれだ、公園にやってくるガキどもを追っ払う必要があるんですね。もうすぐ夏休みですし、ラジオ体操に来たついでに殺人事件が起きたら大変だ」
「ラジオ体操の会場は、近くの空き地に変更してもらったんだがな。そのせいで余計にまずいことになった」
「なんです?」
 電話の向こうで、マウスをクリックする音が聞こえた。
「今あの辺りの小学生の間では、『ラジオ体操の会場が変更になったのは、霧じじいのしわざ』という噂でもちきりだ。詳細は今送った」
 ちらりと画面を見て、マオは思わずうなる。

"霧じじい"は、これらの2学区に噂として流布されている架空の存在です。以下の共通点があります。
"霧じじい"は、霧の日の公園にだけ現れます。
"霧じじい"は、会話した相手を殺します。しかし、勇気のある人間には手出しをしません。
"霧じじい"に対して「殴り殺すぞ」「真っ二つにするぞ」などと言えば、"霧じじい"は怯えて立ち去ります。

 マオは数十秒黙ったあと、口を開いた。
「……どう見てもSCP-228-JP ですね。収容前に目撃した子どもがいたんでしょうか」
「そちらは別のエージェントが調査している。君は噂が広まらないよう、そして子どもたちが公園に近づかないよう、適切なカバーストーリーを作ってくれ。今日中にだ」
 少々厄介な用件だが、緊急性は十分すぎるほど理解できた。マオは即答する。
「ええ、わかりました」
「今日中にだぞ」
「財団の仕事は締切ちゃんと守りますって!」

 午前中、マオは近所のスーパーで買い物をしながら考えていた。
 大人相手には、様々なカバーストーリーが適用できる。大人は最低限の計算ができるからだ。
 しかし子どもとなると、そうもいかない。
 隠されたものがあれば見たがり、禁じられたことはやりたがる。彼らに怖いものなどない。
「そいつは素晴らしいんだが、今回は困るんだよな」
 タマネギの産地を確認しながら、マオは溜息をついてかごに入れる。
(ホームレスのコロニーとか蜂の巣とかがあるから入ってはいけません、なんて言ったら、ガキどもが大挙して押し寄せてくるだろうなあ)
 ナスの袋を裏返して色と張りを確かめつつ、マオはさらに考える。
("霧じじい"の噂に、新しい項目を付け加えてみようか。「殺すぞ」と脅かしたら、本当にできない限り殺されるとか)
 一瞬解決法が浮かんだ気がしたが、マオは首を振った。

──よーし、どっちがほんとか確かめに行こうぜ! お前、逃げんなよ!
──じゃあ俺、家からバット取ってくる!

(おいよせ、やめろ)
 頭の中に浮かんだ光景を振り払って、マオはナスの袋を棚に戻した。
 いっそのこと、収容要員のエージェントたちに"霧じじい"になってもらうというのも考えたが、「実物」に会えたら子どもたちがますます興奮するだろう。
 マオは困りながら、えのきとしめじとエリンギのパックをかごに放り込んだ。
 子どもの行動は予測不能だ。どうにかするなら力ずくが手っ取り早いが、霧で視界の悪い日に財団職員だけで確保するのは難しいだろう。
(子ども騙しじゃ子どもは騙せないって言うしな……どうしたもんかな)
 菓子売り場に足を運んだマオは、そこで幼児を連れた母親を目撃する。

「ねー買ってー! おかし買ってー!」
 保育園の帰りだろうか、男の子が「SPC・シャークプレデターチョコ 深海の捕食者シール入り!」の箱を手にして床に座り込んでいる。
 母親は男の子を置き去りにして歩きながら、ちらりと振り返ってこう言った。
「今日の晩ごはん、八宝菜にしてもいい?」
「だめー!」
 男の子はDクラス降格を言い渡されたような顔をして、チョコの箱を放り出して立ち上がる。
 すかさず母親は続けた。
「じゃあハンバーグと八宝菜、どっちにしようか? 早く来ないと、お母さんが決めちゃうわよ?」
「ハンバーグ! ハンバーグだよ!」
 駆け出していく子ども。チョコのことは、もう完全に忘れている様子だ。
 マオはチョコの箱を拾い上げながら、小さくうなずいた。
「これだ」

 その夜、虎屋博士から電話がかかってきた。
「うまくいったよ。彼らは"ミチザメ"の話題でもちきりだ」
「あっちこっちのアスファルトに、みんなでサメの足跡つけて回りましたからね。サメの足跡って、あれでいいのかどうか知りませんが」
 マオはほっとしたが、虎屋博士も同じ気持ちらしい。口調が明るかった。
「もう"霧じじい"の話題なんかしている小学生はいないし、いても時代遅れ扱いされる空気らしい。"ミチザメ"は公道にしか出ない設定にしておいたから、彼らが公園に行くこともないだろう」
「そうですね。ところで、明日も足跡つけて回りますか?」
「今週いっぱいぐらいはやろうか。なんだか楽しくなってきたし」
「SCPオブジェクトみたいなのを捏造するの、癖になりますよね。じゃあまた明日、報告します」
 電話を切って、マオはチョコを一口頬張った。

 彼らは隠されたものがあれば見たがり、禁じられたことはやりたがる。
 その上、恐ろしく飽きっぽい。

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