"たのしいざいだんlol"
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「どうもはじめまして、育良です。じゃあ早速ですけど、サイト内を御案内しますね」
 サイトの正門前に駆けてきたのは、エージェント・育良だ。Tシャツ姿の細身の青年は、にこにこ笑っている。
 彼が相対しているのは、三十代らしきスーツの男性。やや緊張した表情で、丁寧に一礼する。
「よろしくお願いします。財団のことは、まだ概要しか伺っていませんので」
「オリエンテーションだけでは、わからないですよね。ささ、どうぞどうぞ」
 育良はサイトの正門を開け、男性を中に招いた。

「ここは財団フロント企業の敷地で、表向きはその企業の研究所ということになっています。最近、財団施設に対する小規模な襲撃が相次いでいますので、こんな場末のサイトまで入念に偽装しているんですよ」
 育良の説明に、男はうなずいてみせた。
「なるほど、さすがは財……」
 最後まで言う前に、建物の向こうから爆音が聞こえてきた。
「な、何です!?」
 男が身構えるより早く、雄叫びが聞こえてくる。
「いやあああああぁっほおおおおおおおぅ~っ!!!!!!」
 バイクのマフラーから噴射炎を巻き上げながら、ライダースーツ姿の男が走ってきた。ドップラー効果と共に、そのまま去っていく。
 少し遅れて、五十代らしき男性が歩いてくる。
「あ、木場さん。今のは速水さんですか?」
 育良が挨拶すると、木場と呼ばれた年輩の男性は笑った。
「ああ、ちょっと整備を頼まれてな。……ところであいつ、どこ行った?」
「奇声をあげながら、Dクラス職員棟の方に」
 育良が言い終わらないうちに、彼が指さした方向で爆発が起きる。
「あー……」
 育良が呟くと、木場は楽しそうに笑った。
「水素エンジンのいい出物があったんで、ちょいと載せてみたんだがな。とんだじゃじゃ馬になっちまって……まあ、それも過去の話さ」
 木場はタオルで額を拭って、育良に手を振った。
「じゃ、あの馬鹿を回収してくる。ついでに改造してもいいか?」
「え、それってバイクの話ですよね? 速水さんをサイボーグ化するとか、そういう話じゃないですよね?」
 育良が念を押したが、木場は意味ありげな笑みを浮かべたまま去っていった。

 このやりとりの間、ほぼ無言だった男はハッと我に返る。
「あー、今のは?」
「気にしないで下さい。いつものことですから」
 育良は苦笑してみせるが、男は首を傾げる。
「そ、そうですか。しかし偽装されたサイトで、こんな目立つことを、なぜ?」
「あの人たちは、やりたいようにやりますからねえ」
 あまり困った様子でもない口調で応えると、育良は男を建物のひとつへと連れていく。
「こちらがサイトの中心部、研究員たちのオフィスになっています」
「おお、財団の頭脳にお会いできるのですね」
 そんな話をしていると、廊下の向こうから一人の男性が歩いてきた。見るからに研究職といった雰囲気だ。
 育良が男に言う。
「あ、運がいいですね。骨折博士ですよ」
「教授だ」
 骨折博士はにこりともせずに、そう応えた。
 育良は少し困ったような顔をして、こう返す。
「財団には教授ポストはありませんよ」
「だがこう、教授という響きの方がいいんじゃないか?」
 育良は小さく溜息をつく。
「そう言われても、俺にはわかりません。だいたい、何を教えるんですか?」
「そりゃ君」
 骨折博士はうつむき気味に少し考えて、それから顔を上げた。
「失礼するよ」
 すたすたと去っていく骨折博士を見て、男は呟く。
「変わった方ですね」
「そうですか?」

 育良は男を小会議室へと連れていった。
「ちょっと責任者を呼んできますので、ここでお待ち下さい」
 育良が退出した後、男はイスに腰を下ろして溜息をつく。
「どうも印象が違うな」
 そこにノックをして入ってきた者がいる。
「失礼いたします」
 男はその人物を見るなり、腰を浮かしかけた。どうみても、財団にいる人物とは思えなかったからだ。
 端的に言えば、その人物は諸葛亮孔明のような格好をしていた。ただし髭はない。
「なっ!?」
 男が叫ぶと、その人物は恭しく一礼した。
「ああいや、そのまま、そのまま。私は姓を三国、名を軍師と申す者。お客人に差し入れを持ってきたに過ぎませぬ」
 時代がかった台詞と共に、スッと蜜柑が差し出される。
「温州蜜柑でございます」
「はあ……」
 三国はそのまま、スススと退出していく。
 男はテーブルに置かれた蜜柑を凝視したまま、小さくうめいた。
「なんなんだ、今のは」

 そこに育良が戻ってくる。
「すみません、管理官は不在だそうです」
 男はその言葉に敏感に反応した。
「サイト管理官が御不在? 育良さんはご存じなかったのですか?」
「ええまあ、一番偉い人なんていてもいなくても変わりませんから」
 育良は適当に笑って、こう続ける。
「仕方ないので、先に食堂に案内しますよ。お昼にしましょう」

 サイトの食堂は規模こそ小さかったものの、妙に活気があった。大勢のエージェントや研究員がくつろいでいる。
「やけに人が多いですね」
「みんな暇ですからね」
 育良はそう言って、カウンターに向かって叫んだ。
「鬼食料理長のおすすめ定食ふたつ」
「あいよー!」
 厨房の奥から元気な声が聞こえてくる。
 そこに今度は、カンフースーツを着た男がやってきた。さっきの三国とかいう人物ではない。
「どうも、育良さん。そちらがお客様ですか?」
「え、ええ」
 育良が返事をすると、カンフースーツの男は恭しく合掌する。
「私は当サイトの武術師範、鮫拳伝承者のマオ老師と申します。どうかお見知り置きを」
「は、はあ、その、よろしくお願いします」
 男はよくわからないままうなずいたが、育良が首を振る。
「この人は、ただのフィールドエージェントですよ」
「何を言う! この私の鮫拳を見るがいい!」
 マオは身構えた。両手で鮫の口を模しているようだが、どちらかというとワニに見える。
 育良は対処に困って、口を開きかける。
「いや、あのですね」
 その瞬間、マオの体が宙を舞った。くるくると回転して、隣のテーブルを巻き添えにしながら床に激突する。
 慌てて振り返ると、白衣の女性が一升瓶を片手に正拳突きを繰り出していた。
「ま、前原博士……?」
 前原博士は一升瓶の中身をごっくごっくと飲み干し、据わったまなざしで育良と男を薙ぎ払う。
 そして言った。
「酔拳」
「は、はあ……」
「ノーカラテ、ノーエージェント」
「空手なのか酔拳なのか、はっきりしてください」
「どっちでもいいじゃない、そんなこと」
 くるりと背を向けてのしのしと去っていく前原博士を見送って、男は呟く。
「なんなんですか、あれは。昼間から泥酔してたみたいですが」
「ははは、暇なんでしょうね。収容違反でも起きない限り、やることありませんから」
「そうなんですか?」
 男が意外そうに尋ねると、育良は苦笑いする。
「こんな場末のサイトだと、大したオブジェクトは収容されていませんからね。セキュリティ担当も正門と裏門にしか配置されていませんよ」
 だが男は落ち着かない様子で、彼の背後を指さした。
「しかしそちらに、重装備のセキュリティ担当が見えますが」
 彼の指す方向には、対爆スーツを装備した人物がラーメンをすすっていた。
 育良は首を振る。
「彼もただのエージェントです。厚木さんですよ」
「なぜあんな格好を?」
 すると育良は首を傾げてみせた。
「昨日は放射線防護服でしたから、変化をつけたかったんでしょうかね?」
「意味がわかりませんが……」
「奇遇ですね、俺もそうです」
 男は黙り込んだ。
 ふと気がつくと、テーブルの上に唐揚げの皿が置かれている。用意された昼食だと思った男は、とりあえず箸をつけることにした。
「いただきます」
 だが次の瞬間、男は育良に取り押さえられる。
「待って下さい! 殺す気ですか!?」
「な、何を言ってるんですか、エージェント・育良!?」
 すると育良は唐揚げをじっと見て、声をかける。
「虎屋博士? 虎屋博士ですか?」
 当然だが返事はない。
 育良はほっとした表情で、男を解放した。
「問題なさそうですね」
「意味がわかりませんが……」
 そこに髭面の男が隣に座ってきた。
「虎屋博士なら、猫宮のカフェの手伝いに行ってるぞ。こいつはただの唐揚げ、俺の昼飯だ」
 それを聞いた育良は、ガタッとイスを蹴って立ち上がった。
「手伝い? 何の手伝いって言ってましたか、差前さん?」
「スコーンを差し入れるって」
「うわあ! 収容違反だ!」
 育良は走り出す。

 育良が走り去った後、男はしばらく呆然としていた。
 沈黙と同時に、周囲の会話が聞こえてくる。
「大和博士、こないだ申請があったDクラス職員の補充の件ですが」
「ああ、神山博士。ちょっとミーム汚染の実験をしてみたくなってね。若い女の子ばかり四~五人、都合をつけてくれないか。処女だとなおいい」
「こないだみたいに、楽しむだけ楽しんで遺棄するのはやめて下さいよ。上に報告する以上、実験をしたという建前は守っていただかないと」
 とんでもない会話が聞こえてきて、男は思わず振り向く。
 だがもっと異常な会話が聞こえてきて、男は反対側を振り向いた。
「ああ、俺だよ俺おれ。差前だよ。うん、例のオブジェクトは高く売れた。ああ、ダミーを収容室に入れておいたから問題ない。特異性が消失したっていう報告書だけ頼む」
「な!?」
 さっきの髭面の男が、スマホで誰かと会話していた。
「次回の収容室補修の入札も、よろしく頼むぜ。じゃな」
 楽しげに笑って、通話を終えるエージェント・差前。唐揚げを食べ始める。
 男はおそるおそる、差前に声をかける。
「このサイトは……いつもこうなんですか?」
「うん。ところであんた、骨董品とか好き?」
「いえ、別に」
 首を振る男に、差前はチシャ猫のような笑みを浮かべる。
「だったら、これから好きになればいいさ。お近づきのしるしに、これをあげよう」
 彼が差し出した不気味な人形のストラップを、男は渋々受け取る。ストラップには”瞬きなんてさせない”の文字。
「ど、どうも」
「ポケットに入れとくと、たまにゴリゴリ音がするらしいぜ?」
 楽しげに笑うと、差前は空になった皿を持って立ち上がった。

 男は男子トイレの個室に入ると、やっと一息ついた。
「なんなんだ、このサイトは。メチャクチャじゃないか」
 ネクタイを緩めた男は、すぐに表情を変える。あまり好意的ではない類の笑顔だ。
「管理官は不在で、通知が徹底されていない。警備は手薄。規則は守られておらず、職員の士気も低い」
 男は笑みを浮かべたまま、こう呟く。
「予想していたのはだいぶ違うが、これは好機だな」
 男は内ポケットに手を入れ、通信機のスイッチを押す。
「後は実行部隊に任せ……」
 そのとき個室に、「ゴリゴリゴリゴリ」という音が鳴り響く。
「えっ!?」
 物を擦るような音ではなく、ゴリゴリいっているのは女性の声だ。
「ゴリゴリゴリゴリゴリゴリゴリ」
 男は思わず、さっきもらったストラップを取り出した。
 安物の樹脂製人形は、特に何も変化はない。音が鳴るような仕組みは見当たらなかった。
「なんで……?」
 そう思ってふと見上げたとき、仕切の上から個室をのぞき込んでいた白衣の女性と視線が合う。
「ごりごりごりごりごり」
 前原博士は楽しげに、ずっとゴリゴリ言っていた。
「うわあっ!」
 思わず後ずさった男は、壁にぴったり背中をつける。
「ここ男子トイレですよ! 何してるんですか、あなたは!」
 すると一斉に、さっき見た顔ぶれがのぞき込んできた。
 エージェントの育良、マオ、差前。そして大和博士、神山博士。エージェントたちは全員が拳銃を構えていた。
 大和博士がニヤニヤ笑いながら呟く。
「どうやら馬鹿は見つかったようだな」
「な、何の話です?」
 すると差前もチシャ猫みたいな笑顔で笑う。
「なんで俺たちがここにいると思う?」
 男はハッとして、渡されたストラップを見た。そのときようやく、樹脂製にしては不自然に重いことに気づく。
「まさか!?」
「発信器兼盗聴器ですよ。あなたが例の団体の潜入工作員であることは、以前からわかっていました」
 エージェント・育良は男に銃口を向けたまま、淡々と告げる。
 男はその瞬間、支給品の小型拳銃を抜く。相討ち覚悟で、一人でも道連れにしようとしたのだ。
 だが引き金を引いても、弾は出なかった。
 神山博士が気の毒そうに言う。
「財団があなたに実弾を渡すはずはないですよね?」
 次の瞬間、個室のドアが蹴破られる。前原博士だ。
 彼女は間髪入れず、無言で男に拳を放った。タイルが砕ける音と共に、男の頬スレスレを拳がかすめる。
 パラパラとタイルが落ちる中、前原博士は真顔で言った。
「酔拳」
 男は観念し、無言で両手を挙げる。
「色気のない壁ドンですね」
 マオが呟いた。

 男がセキュリティ部隊によって連行された後、一同は建物の外に出ていた。
 大和博士は通信機の守秘回線で、誰かと連絡を取っていた。
「私だ。うん、御苦労。これで忌々しいクソ共も一網打尽だな。そうか損失はゼロか、そいつは素敵だ。いや、連行の必要はない。全員終了させろ」
 その横で多数の人員が建物を出入りし、内装工事が始まる。
 前原博士が大きく伸びをしながら、やれやれといった口調で呟いた。
「これでやっと、この偽装サイトともお別れね。ここに通勤するの、結構面倒だったから助かるわ」
 神山博士もスーツケースを手にうなずく。
「半月ぐらいずっと、ここで本当に仕事をしていましたからね。おかげで全くばれなかったようですが」
 人員の手配をした差前が、工事を見ながらのんびりと告げた。
「明日の朝までには、元に戻してくれるってさ」
 育良が感心しながら、何度もうなずく。
「そしたらここは、別のフロント企業の保養所になるんですよね」
「ああ、表向きは財団とも、今のフロント企業とも無関係だからな。連中が調査しても、何もわからんだろう。これで偽装任務・コードLOLは終わりだ」
 差前の言葉に、育良はグッと拳を握りしめる。
「凄いですね。こんなに手際よくテロを未然に防ぐなんて、財団はさすがです!」
 前原博士が楽しげにうなずく。
「うんうん」
「それに職員全員が、あんなに見事に馬鹿な演技をできるなんて! 俺まで騙されそうになりましたよ」
 すると前原博士が、形の良い眉を寄せた。いぶかしむように呟く。
「全員?」
 それを補足するように、マオが口を開いた。
「作戦の概要を知らされていたのは、ここにいるメンバーだけのはずですよ。漏洩を防ぐため、他の職員には『一時的にここで通常の業務をする』という以上の任務は与えられていません」
「あれ?」
 首を傾げる育良の背後を、エージェント・速水のバイクが轟音と共に駆け抜けていった。
「撤収前のひとっぱしりいいぃ! やべえここのコース最高おおぅ!」
「またあの馬鹿だ!」
「おい捕まえろ! 非致死性の武器なら使ってもかまわん!」
「タイヤ跡を消す苦労を少しは考えろ!」
 作業着姿のエージェントたちが叫びながら、バイクの後を追いかけていく。
「あれ?」
 育良はもう一度首を傾げた。

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